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終 章
 火煌山の噴火から、5年の月日が経った。
 降灰は桜深町にまで及び、名物の桜並木や美しい町並みを無残な姿に変えた。
 一時は観光客離れも深刻化したらしいが、今ではすっかり活気を取り戻し、以前のような賑わいを見せていた。
 そして今、伝楽座は各地の巡業を経たのち、再び桜深町を訪れていた。
「未来ちゃん、久しぶり! 綺麗になったねえ」
「公演、楽しみにしていたよ! がんばってね」
 5年前の公演を見に来てくれた町の人々が、町を歩く未来に声をかける。未来は笑顔で手を振り応えた。
 歳月は、未来の表情を大人のものへと変化させていた。
 少し伸びた背、すっきりとした曲線を描く頬、そしてわずかに愁いを帯びた瞳が彼女の成長を物語っていた。

 一座は、5年前と同じように大衆演劇場『やますずめ』の扉を叩いた。
「旅の一座、伝楽座の団長、海都です。このたびは巡業でお世話になります」
 出迎えたのは、これも以前と同じく館主の流香であった。
「お久しぶりですわね、海都さん。お会いできて嬉しいですわ」
「ご無沙汰しております。復興は大変だったと聞きましたが、こうしてまた舞台を使わせていただけるようになり、嬉しい限りです」
「わたくしのほうこそ、また当館をご利用くださり、ありがたく思っておりますわ」
 一通りの挨拶と契約、日程調整を済ませたのち、荷物の運び込みが始まる。新入団員の少年たちにてきぱきと指示を出す未来と凛の背中に、流香が歩み寄り声をかけた。
「……未来さん、凛さん。少しいいかしら」
「流香さん。なんでしょうか?」
 未来は、長い髪を揺らしながら振り返る。流香は、美しい顔をわずかに翳らせながら口を開いた。
「火神村から移り住んできた人に聞いたわ。……あの日のことを。さぞご心痛だったでしょう」
 流香の言葉に、未来と凛は当時のことを思い出した。
 降灰の中向かった桜深町で、先行した一郎たちと無事合流することができたのは幸いだった。一時退避を余儀なくされた桜深町の住民を含め、多くの人が混乱していたからだ。
 被害や混乱のない場所まで逃げるのに必死で、流香とは挨拶もできないままの別れとなってしまった。
 当然事情を話す暇もなかったのだが、流香の沈痛な表情を見るに、火神村で起きた一連の流れも耳にしたようだった。
「お心遣いありがとうございます。……これは、忘れてはいけない痛みだから……」
 未来がそう言うと、流香はゆっくりと頷き、「実は」と話を転じた。
「あなたたちに、渡したいものがあるの」
 そう言いおき、一旦自室の奥に下がると、一枚の着物を持って現れた。
「それは……!」
 未来と凛は、思わず目を見張った。濃紺から空色へ変化がつけられた美しい生地には、確かに見覚えがあった。以前カサネの家で見た織りかけの布、その完成品だ。
「あなたたちが捜し求めていた機織師……カサネさんの作品。噴火当日の朝、都の商人が火神村から買い付けた、最後の作品よ。……話を聞いて、なんとか買い付けたの」
 流香の話を、未来は半ば放心状態で聞いていた。あの時の布を、もう一度見られるとは夢にも思っていなかったからだ。
 大きな瞳をまたたきながら着物を見つめ続ける未来に、
「未来さん。よかったら、受け取ってちょうだい」
 流香は瞳を細めて囁いた。未来は驚き、慌てて顔を上げる。
「えっ……! あ、あの……お気持ちは嬉しいですが、とてもお支払いできません」
「お代なんて気にしないで。わたくしが勝手におせっかいを焼いただけですもの。あなたたちの手に渡るのが一番いいだろうと思って。……ね」
 流香は片目を閉じ、着物を差し出した。未来は、震える手でそれを受け取る。
 騒動が治まったころ、都でカサネの着物を買おうと海都が提案してくれたが、噴火の被害による交通機関の狂いなどの理由で、結局立ち寄ることはかなわなかった。もう彼女の作品を手にはできないだろうと諦めかけていたのだ。
 未来は流香の心遣いに心から感激し、瞳を潤ませながら「ありがとうございます」と頭を下げた。凛も頬を紅潮させ、目元を赤くして深々とお辞儀をした。
「……未来姉、凛、そろそろ……あ!」
 床几台を運び終えた廉が階段を軽やかに下り、未来と凛に話しかける。そして、未来の手の中の着物を見て目を丸くした。
「この着物……もしかして」
 未来と凛、そして流香を交互に見ながらたずねる。軽く説明を受けた廉は、未来たちと同じように頭を下げた。
「ありがとうございます……流香さん」
「勝手なことをして、ごめんなさいね」
「とんでもない!」
 未来と凛、廉が声をそろえて答える。流香は安心したように笑うと、事務作業をするため自室へと戻っていった。その背中を見送りながら、廉がしみじみと呟く。
「……よかったね、未来姉」
「うん……」
 未来は短く返事をすると、手の中の着物をぎゅっと抱きしめた。まさか彼女の作品を、こうして手にできるとは思わなかった。
「さて……未来姉。そろそろ出発してもいいって、団長が」
「……うん。ありがとう」
 未来は目じりに浮かんだ涙を人差し指で払うと、笑顔を見せた。そんな未来の背中を軽く叩き、凛が提案する。
「ねえ、未来。せっかくだからその着物、着ていきなよ。彼女、絶対喜ぶよ」
「そうだね。うん、そうする!」
 こくりとうなずき、未来は手の中の着物を見つめる。そして愛しげに瞳を細め、小さな声で呟いた。
「……今会いに行くよ。カサネ」


 桜深町から延びる街道の桜並木は、灰の重さで半数ほどが折れ、無残な姿を晒している。それでも残る木々は力強く蕾を膨らませていた。
 まもなく、四方に伸びる街道のすべて、そして町の周りは桜の花で彩られるだろう。そして、数十年後には、新しい木々が芽吹き、また目を見張るような桜街道になるはずだ。
 生命の逞しさとはかなさを思いながら、まだ寒さの残る風を身に受け、未来は歩く。カサネの織った着物を身にまとい、頭にかんざしを挿し、まっすぐに目的地を見据えて。

 火神村に到着した未来は、目を眇めながら景色を見渡した。
 災害の爪痕はいまだ深々と残っていた。火山灰の重みで潰れた家屋や納屋、灰に覆われ枯れた畑がそこかしこに見える。
 長らく立ち入り禁止とされてきた火神村だが、半年ほど前に規制が解かれ、かつての住人たちがぽつりぽつりと戻ってきていた。村中に散らばる灰をかき集め、埋もれた畑を耕し、新しい家を建築し――みな、復旧のために必死に働いていた。
 そんな中を、未来は手提袋を大事に抱えながら歩いていた。
 村人たちは、広場に向かって足を進める未来の姿に気づいたが、挨拶すらせず、気まずそうに目をそらしていた。
 たどり着いた広場、その向こうに広がる水鏡湖は、変わらず美しく澄み切っていた。湖のとなりに立っていた御神木は無残にも根元から折れており、災害の恐ろしさが生々しく伝わってくる。
「あの……」
 御神木を見つめていた未来の背中に、遠慮がちな声がかかった。
 未来が振り返ると、そこにはふたりの少女が立っていた。唄枝と桃枝だ。
「……お久しぶりです」
 微笑むふたりに、未来も笑顔で応える。
「うん。久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい。……未来さんたちのおかげで。そして……」
 唄枝はしんみりとした声で言うと、変わり果てた村に視線を向ける。桃枝がその言葉を引き継いだ。
「そして、カサネさんのおかげで、私たち……」
 未来はふたりと同じようにぐるりと視線をめぐらせた。乾いた風が未来の長い髪を揺らし、地面の草花を優しく撫でる。
 それぞれがそれぞれの思いをめぐらせ、わずかな沈黙が場に下りた。
「……なにもできなくて、ごめんなさい」
 やがて桃枝の呟きが、静寂を破った。
「あのとき、私たちは子どもでした。……いいえ、力ない子どもだと思いこみ、その事実に甘え、すべてを諦めていました。きっと、もっとできることがあったはずなのに……」
「ううん。あなたたちが謝ることじゃないよ。……私も同じだもの」
 項垂れるふたりに、未来は瞳を閉じて答えた。
「思い返すたびに後悔ばかり浮かんで、胸が締め付けられるよ……。あのとき、ああ言えばよかった、ああすればよかった、……そんなことばかりで」
 過去を反芻しながら呟く未来を、唄枝と桃枝は声もなく見つめている。
「でもね……何度考えたって悔いたって過去は変わらないし、時間はどんどん前に向かって進んでいく。立ち止まってばかりじゃ駄目だ、彼女はそんなこと望んでいない、って……ようやく思えるようになったんだ」
 未来はそう言うと、瞳を開いてふたりに笑顔を向ける。それは、切なさをわずかに含んだ力強い笑顔だった。
「彼女は、私たちに生きてほしいって、前に進んでほしいって願ってる。あのときも……きっと今も、ずっとね。だから私たちは、彼女のためにも精一杯生きなくちゃ。胸を張って、あなたのおかげで前に進めているよって、示さなきゃ」
 言いながら、未来は視線を空へと向ける。
「精一杯、生きる……前に進む……」
 唄枝と桃枝は、小さな声で繰り返した。
 この5年間、過去ばかりを顧みていたふたりは、大きな葛藤を抱え続けていた。胸の奥底にできたしこりの除き方がわからず、もがいていた。
 自分がここに生きている意味、生かされている意味。本来なら村ごと全滅していてもおかしくなかったあの日、救われた自分たちに今できること――それは漠然とした、だが確かな指標だった。
「そう思えるようになったら、すぐにでも彼女にお礼を言いたくなって……団長に無理を言って、巡業地の経路を変えてもらったんだ」
「そうだったんですね」
 唄枝と桃枝はうなずくと、互いに顔を見合わせる。そしてひとつうなずくと、再び口を開いた。
「……未来さん。あなたにお見せしたいものがあります」
「見せたいもの?」
 ふたりからの言葉に、未来は空に向けていた視線を下ろして首を傾げた。
「はい。……こちらに」
 ふたりが未来の先に立って歩き出す。未来はその後をついて歩いた。
 案内された先は、カサネがその身を捧げた場所――かつて橋がかけられていた湖岸だった。2本の柱の中央に紙垂はなく、代わりに石で誂えた小さな墓があった。
「これは……?」
「……代々役目を全うしてきた忌子たち、物の怪たち……そして、カサネさんのお墓です」
 未来は手にした手提袋をそっと地面に置くと、墓の前に膝をついた。
 文字も何も刻まれていない小さな墓標。その回りには、数え切れないほどの真っ赤な花が植えられ、また供えられている。
「私たちがここに戻ったのは数月ほど前ですが……そのときにはすでにここにありました。村人の誰が誂えたのかはわかりません。その意味も、その理由も……」
 感謝の意味を込めたのか、罪の意識から逃れるためか、物の怪や忌子の呪いを畏れたのか、理由は定かではない。だが、確かに彼女たちのために建てられたものだという。
「誰も、何も言わない。誰も、あのときのことを口にはしない。だけど……」唄枝は墓の周りに置かれた花を指しながら続けた。「添えられたこの花が、村のみんなの思いなのだと思います」
 未来は、花の名を知っていた。この地方にしか咲かないという夢紡花。カサネが大切に育てていた花だ。
「カサネ、この花が大好きだって言ってたよ」
 未来は花にそっと触れ、愛しげに撫でた。透き通った花弁は日の光を浴びてその鮮やかさを増している。その色に懐かしさを感じ、未来はわずかに瞳を細めた。
 誰が墓を建てたのかわからぬように、誰がこの花を供え始めたのかはわからない。だが、いつしか村人全員が夢紡花を手に、墓を訪れるようになったのだという。
「……あなたを忘れない、どこにいてもあなたを想う、あなたとの出会いに感謝を――夢紡花の花言葉です」
「毎日、誰かが参ります。花を持ち、黙祷を捧げるために……」
 村人たちもまた未来と同じように、花弁を見るたびにカサネの瞳を思い出すのだろう。彼女を思い、彼女に何かを伝えるために、墓前へと参るのだろう。
「きっと、届いているよ。彼女の心に」
 未来はそう言いながら、墓に向けていた視線を、眼前に広がる湖に向けた。
 水鏡湖の静かな水面は、頭上の空を映し、青々と輝いている。そのきらめきが未来の瞳をまばゆく焼くたび、あの日の光景が脳裏に浮かんでは消えていく。
 彼女が届けてくれた思いが、そして彼女が最後に浮かべた微笑みが、鮮明に蘇る。
「カサネ。あなたの気持ち……あのとき、ちゃんと伝わったよ。私、受け取ったよ」
 湖面からの涼しい風が、未来の髪をそっと揺らす。それはまるで、カサネの笑顔のように穏やかな風だった。
 未来は瞳を閉じて、胸に手を当てると、深く息を吸った。
「今度は、私の番……」
 そしてその唇が、ゆっくりと紡ぎだす。
 カサネとともに歌った、思い出の唄を。

「唄……?」
 家を建て直していた新八とその仲間は、歌声に気づき顔を上げた。聴き入るうちに、その手から鉄釘が零れ落ちる。
「この唄は……」
 自室に篭る定吉も、畑を耕す篠枝も、子どもと戯れる弥吉も、みな揃って顔を上げる。
 すべての村人たちの耳に、聞き覚えのある唄がはっきりと届いていた。
「……ねえ、これ、なんのお唄? だれが歌ってるの?」
 まだ5歳に満たない少女が、父親に尋ねる。父親は何も答えられず、ただ肩を震わせた。
 それはかつて、祭壇でカサネが歌った唄。村人たちの恐慌を落ち着かせた、あの子守唄だった。
 それぞれの脳裏に、あの日の光景が蘇る。境界の日の鮮明な記憶は、村人たちの胸を焦がし、奥底をぎりぎりと締め付けた。
 村人たちは復興に勤しむ手を止め、痛む胸を押さえる。生涯消えることのない痛みを抱えた、その胸を。
 かつて彼女に向けた見えぬ刃は、いまや彼らの胸を深々と貫いていた。
 口に出せないままの後悔と罪悪感が溢れ出す。償うことすら許されぬその悔悟は涙となり、そして慟哭となって零れ落ちていった。

 最後の一音を息の限り伸ばし、丁寧に歌い終えた未来は、瞳を開けた。
 水面は変わらず、静かに光をたたえている。その穏やかな光を瞳に映しながら、未来は囁いた。
「私の唄……あなたのもとまで、きっと届いたよね。カサネ……」
 自らの気持ちや思いをすべて込め、歌い上げたその唄は、5年前にカサネから送られた歌へに対する未来なりの返事だった。
「……あの、お願いが、あります」
 未来の背中に、唄枝がおずおずと声をかける。未来が振り返ると、唄枝と桃枝は嗚咽混じりに口を開いた。
「その唄、私たちにも教えていただけませんか……?」
「私たち、その唄を歌い継いでゆきたい。彼女のことを、ずっと忘れないために」
「そして、いつか誰かが誰かのために、この唄を歌えるように……」
 ふたりの提案を聞いた未来は、ぱあっと顔を明るくし、大きくうなずいて微笑んだ。
「もちろん! きっとカサネも喜ぶよ!」
 カサネの存在が、カサネの残した思いが、カサネの唄を通して継がれていく――それは、彼女が生きていたという事実を残せるということだ。
 彼女が生きてきた意味が今、確かにつなぎ紡がれようとしている。未来はそれを、とても嬉しく思った。
「つないでいこう。……ずっと、ずっとね!」
「はい!」
 唄枝と桃枝は涙を拭いながら、未来と同じように笑顔を見せた。

 遠くから、廉と凛の声が聴こえる。未来がそちらを見ると、ふたりは未来たちのいる広場に小走りで駆けてきた。
「ほんっと、ごめん! まさか雪駄がほつれるなんて」
 開口一番、凛が頭を下げる。桜深町を一緒に出発した3人だったが、出発してすぐに凛の雪駄がほどけてしまったのだ。修理を任された廉と共に足を止めざるを得ず、未来は先行して火神村に向かった。そのため到着に時間差が生まれてしまったのだ。
「日頃からきちんと手入れしてれば、肝心なときにこうはならないはずなんだけどね」
「だからごめんってば。あたしが悪いのは認めるけど、いちいち日頃のこと持ち出さなくてもいいんじゃない? あんたそういうとこ直さないと、いつまでたっても女にもてないわよ」
 廉の突っ込みに、凛が噛み付く。一気にまくし立てられ、廉はうんざりといった様子でため息をついた。
「ところで未来、あんた、まさか走ったりしてないでしょうね?」
 額の汗を手の甲で拭った凛は、呼吸を落ち着かせながら問いかける。
「あはは……とうとう火神村に着くんだ! と思ったら、気が逸ってどんどん早足になっちゃって……でも大丈夫、走ってはいないよ。あくまで細心の注意を払った早足だから」
「気が逸って早足になっちゃうなんて、未来ってば……図体ばっかり大きくなって、中身はいつまでも子どもなんだから」
「中身でいったら、凛だって同じようなものだろ。まあ凛の場合、図体も小さいままだけど」
「うるっさいなあ! なによ〜、あんたばっかりぐんぐん身長伸びてさあ! その無駄な背丈、あたしにちょっと寄越しなさいよ!」
 凛が眉を吊り上げ、顔を真っ赤にして廉につかみかかる。それを見た未来が吹きだし、唄枝と桃枝も思わず頬を緩め、くすくすと笑声をもらした。

「……じゃあ、そろそろ」怒る凛を制しながら、廉が未来に話を向けた。「どうだろう」
「うん。そうだね」
 未来は頷き、墓の前にしゃがみこんだ。足元の手提袋の紐をそっと解くと、中から小さな木箱が現れる。未来は、木箱の蓋を慎重に開いた。
「……我侭をかなえてくれたみんなに、感謝しないとね」
 呟きながら取り出したのは、はるか北の地にしか咲かない貴重な花――幸雪花だ。
 北の地で巡業中、貴重な株を分けてもらい、旅の間中ずっと大切に育ててきた。
 ほんのわずかな衝撃や気温の変化で花弁が落ちてしまう繊細な花を、ここまで持ってこられたのは、凛と廉をはじめとする他の団員たちの協力があってのことだ。特に移動経路まで考慮してくれた海都と芽衣には、感謝してもしきれない。
「……カサネ。約束、果たしにきたよ」
 未来はそう言うと、静かに歩みを進め、水鏡湖の淵に立った。次いで凛と廉が、その両隣に立つ。
 そして、幸雪花を持つ未来の手のひらに、ふたりが手を重ねた。
 3人は互いに顔を見合わせると、すうっと息を吸い、
「受け取ってね」
 湖に、そっと花を浮かべた。
 白く輝く花は、空を映した湖面をしばらく漂い、そしてゆっくりと水中へ沈んでいく。
 深い青色に紛れその姿が見えなくなり、3人は誰からともなく瞳を閉じた。
 未来は頭のかんざしへ、凛は帯飾りへ、廉は腰に下げた巾着へ手を当て、深々と黙祷する。
「……届いたかな」
「うん。きっと」
「そうだね」
 長い沈黙のあと、3人は静かに瞳を開き、目尻の涙を軽く拭うと小さく微笑み合った。

「……さて。貴重な道具搬入の時間に抜けさせてもらっているんだ、名残惜しいけど、早めに桜深町へ戻ろう」
「うん、そうしよう」
 廉の言葉に未来がうなずく。そして後ろに立つ唄枝と桃枝を振り返った。
「唄枝ちゃん、桃枝ちゃん。休みの日にまた来るよ。あの唄を教えるから、待っていてね」
「はい。楽しみに待っています」
「道中、どうぞお気をつけて」
 唄枝と桃枝は晴れ晴れとした表情で答え、去り行く未来たちに手を振った。未来たちは手を振り返しながら、村の入り口に向かって歩いていく。
「よし、体力づくりのために走って戻ろうか」
「あんた、ほんとそればっかりね! そのうち脳みそまで筋肉になっても知らないんだから」
「凛も花形踊子になったんだから、もっと体力をつけてだね……」
 廉がくどくどと持論を説き、凛がああだこうだと屁理屈をこね回す。賑やかな言葉を交わしながら歩いていくふたりの少し後ろを歩いていた未来は、不意に足を止め、ゆっくりと振り返った。
 長い髪をなびかせながら、光る湖面に向かって小さく呟く。
「――またね、カサネ」



 まばゆい輝きを放つ白い花が、形を崩さぬまま緩やかに沈んでいく。
 やがて、湖底に横たわる小さな胸の上に落ちた。

 朽ちることのないカサネの体は、変わらぬ姿で湖底に眠っている。
 その顔に浮かぶのは、一層穏やかな微笑みであった。







 
<了>
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