(Japanese version only)

 H O M E
地球と生命の歴史 
文明の誕生へ 
世界の歴史・鳥瞰図
縮尺:人類史年表 
  人名歴史年表
どこでもメニュー 
地球と生命の歴史(46億年前~現在) 
人類進化の歴史
(700万年前~現在)
文明の誕生へ(B.C.10,000年~3000年頃) 

私たち人間はいつ頃生まれ、そしてどんな歴史をたどってきたのでしょう・・・?
人類歴史年表


最初の人類からホモ・サピエンスまで                        戻る
河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史(2010年・ちくま新書)を基に作成) 

年代順の主な人類と出来事(この表は上の図と見比べながらご覧いただくと分かりやすいと思います。)                                                                 戻る
年   代 人  類  種 発 見 地(参考図 化石の名称略語解説
(注意:この列のリンクは
人骨の写真です!)
発見年 脳の容量 発 見 者 備            考
137億年前                                                    宇宙の誕生・・・ビッグバン
46億年前                                                    地球の誕生(地球誕生から人類誕生までの歴史は「地球と生命の歴史」を参考にしてください)
700万年前 サヘラントロプス・チャデンシス
(Sahelanthropus tchadensis)
チャド共和国
ジュラブ砂漠
トロス・メナラ遺跡 
トゥーマイ
TM 266
2002年 360
~370cc 
ミッシェル・ブルネ ・ここで人類はチンパンジーとの共通祖先から枝分かれをしました(参考図)。大きな特徴は「直立二足歩行」と「犬歯の縮小」です。
・「トゥーマイ」は現地のゴラン語で「生命の希望」の意味。
600万~580万年前 オロリン・ツゲネンシス
(Orrorin tugenensis)
北ケニア
トゥーゲンヒルズ
ルケイノ層
ミレニアム・アンセスター
BAR 1000'00
 
2000年
12月
―  マーティン・ピックフォード
・ブリジッド・セニュ 
 
580万~520万年前 アルディピテクス・カダバ
(Ardipithecus kadabba)
エチオピア
ミドル・アワッシュ
アサ・コマ
? (参考 2001年 ―  ヨハネス・ハイレセラシエ  ・「カダバ」は現地のアファール語で「家族の大もとの祖先」の意味。 
450~440万年前 アルディピテクス・ラミダス
(Ardipithecus ramidus)
エチオピア
ミドル・アワッシュ
アラミス
アルディ  1992年12月 300
~350cc 
ティム・ホワイト
諏訪元
・アスファオ
 
420万~390万年前  アウストラロピテクス・アナメンシス
(Australopithecus anamensis) 
ケニア
トゥルカナ湖西岸
カナポイ 
KNM-KP29281  1995年  ―  ミーヴ・リーキー
カモヤ・キメウ 
・「アウストラロピテクス」は「南のサル」の意味。
・「アナム」はトゥルカナ語で「湖」の意味。 
380万~280万年前 アウストラロピテクス・アファレンシス
(Australopithecus afarensis)
・エチオピア
アファール窪地
ハダール
タンザニア
ルーシー
AL 288-1
セラム
DIK-1
1974年 380
~430cc 
ドナルド・ヨハンソン
メアリー・リーキー 
・ゼネゼネイ・アレムゼゲド
ラエトリの足跡【注3】 
・「アファール猿人」とも呼ばれる
・「セラム」はアムハラ語で「平和」を意味する。
350万~330万年前  ケニアントロプス・プラティオプス
(Kenyanthropus platyops) 
ケニア
トゥルカナ湖西岸
ロメクウィー 
KNM-WT 40000  1999年 420
~500cc 
ミーヴ・リーキー
・ジャスタス・エラス 
・「プラティオプス」はギリシャ語で「平らな顔」の意味。 
350万~300万年前 アウストラロピテクス・バーレルガザリ
(Australopithecus bahrelghazali)
チャド共和国
バール・エル・ガザール
アベル
K 12
1995年 ミッシェル・ブルネ
342万~324万年前                                                    石器の作成(エチオピア北東部のディキカ地区)【注15】
320万~240万年前 アウストラロピテクス・アフリカヌス
(Australopithecus africanus)
・南アフリカ共和国
タウング
ステルクフォンティン
シルベルベルク洞窟
クロムドラーイ
タウング・チャイルド
Taung 1
ミセス・プレス
STS 5、STS 14
リトル・フット
STW 573
・1924年
・1947年
・1994年
405
~625cc
レイモンド・ダート
ロバート・ブルーム
ロナルド・クラーク
 
270万~230万年前 パラントロプス・エチオピクス
(Paranthropus aethiopicus)
ケニア
トゥルカナ湖西岸 
ブラック・スカル 
KNM-WT 17000
1985年 410cc アラン・ウォーカー  ・「パラ」は「傍系の」を意味する。
・「パラントロプス」=「頑丈型」と覚えてください。【注26】 
270万~250万年前 アウストラロピテクス・ガルヒ
(Australopithecus garhi)
エチオピア
ミドル・アワッシュ
ブーリ村近郊 
BOU-VP-12/130
参考
1997年  450cc ベルハネ・アスフォー
ティム・ホワイト
諏訪元 
・「ガルヒ」は地元のアファール語で「驚き」の意味。
「BOU-VP-12/130」頭蓋の近くで発見されたウシ科の動物の四肢骨片に、石器によるカットマークが付いていた。石器は見当たらなかったが、最古のブッチャリング・サイト(動物解体遺跡)であった。
260~250万年前  ・肉食の開始(エチオピア、ミドル・アワッシュ、ブウリ)【注27】  ・石器の作成( ハダール、カダ・ゴナ地区ケニア、トゥルカラ湖西岸ロカラレイ遺跡ほか )【注16】 ⇒脳の拡大(石器作成の20~30万年後)
250万~178万年前 ホモ・ルドルフェンシス
(Homo rudolfensis) 
ケニア
トゥルカナ湖東岸
クービ・フォラ
 
KNM-ER 1470 
②KNM-ER 62000ほか
①1972年
②2012年
790cc ・バーナード・ンゲネオ 
リチャード・リーキー
ミーヴ・リーキー
 
230万~140万年前 ホモ・ハビリス
(Homo habilis)
①タンザニア
オルドヴァイ
クービ・フォラ
オルドヴァイ
OH 7(オス)
KNM-ER 1813(メス) 
③OH62

①1964年
②1973年
③1986年
①680cc
②509cc
③不明
①・ルイス・リーキー【注21】 
・フィリップ・トバイアス
・ジョン・ネイピア
カモヤ・キメウ
③・ドナルド・ヨハンソン
ティム・ホワイト
・ホモ・ハビリスは出土する化石の数が多いので、代表的な3例を記す。
・ホモ・ハビリス=「器用なヒト」(オルドヴァイ峡谷の石器製作者と見られている)
・最近余りにも多種の化石が出るため種の帰属を考慮する動きがある。「ハビリス」を「ガラクタ箱」と表現する人もある。
230万~125万年前 パラントロプス・ボイセイ
(Paranthropus boisei)
・タンザニア
・ トゥルカナ湖東岸
クービ・フォラ
ジンジorナットクラッカーマン
=OH 5

KNM-ER-406
・1959年
・1969年
500cc メアリー・リーキー
リチャード・リーキー 
 
200万~125万年前 パラントロプス・ロブストス
(Paranthropus robustus)
南アフリカ
スワルトクランス洞窟 
TM 1517 
SK6  SK 48
・1938年
・1948年
410
~530cc 
・ガート・ターブランシュ
ロバート・ブルーム 
195万~178万年前 アウストラロピテクス・セディバ【注14】
(Australopithecus sediba)
南アフリカ・プレトリア近郊
マラパ洞窟
MH1 2008年 420
~450cc
リー・バーガー ・この辺までを「猿人」と呼ぶ【注1】
「セディバ」は地元のソト語で「水源」の意味。
戻る
180万年前                                                    人類の出アフリカ(出アフリカⅠ)(ホモ・エレクトスかホモ・ハビリスが実行?)【注17】
177万年前 ホモ・ゲオルギクス【注4】
(ホモ・ジョルジクス)
(Homo georgicus)
グルジア
ドマニシ遺跡
D 2700 1991
~2001年
600
~680cc
D.ロードキパニッゼ
170万年前            ・肉食の一般化「文明の誕生へ」の【注7】 ・病気の痕跡(「ビタミンA過剰症」または「イチゴ腫(熱帯性感染症)」のホモ・エレクトス女性東アフリカ・トゥルカナ湖畔)【注24】
153万年前 ホモ・エルガスター
(Homo ergaster)
ケニア
トゥルカナ湖西岸
ナリオコトメ
 
トゥルカナ・ボーイ
ナリオコトメ・ボ-イ
KNM-WT 15000
1984年 880cc カモヤ・キメウ
リチャード・リーキー 
・「エルガスター」は「働くヒト」の意味。
・この辺から「原人【注1】と呼ばれる 
150万~100万年前         火の使用(南アフリカ・スワルトクランス洞窟第三層【注6】・南アフリカ北部のワンダーウェーク洞窟【注20】) 
150万~10万年前 ホモ・エレクトス
(Homo erectus)
・インドネシア
トリニール遺跡
トゥルカナ湖東岸
クービ・フォラ
・Trinil 2
・KNM-ER-3733
・1891年
・1975年
850
~ 1,016cc
ウジェーヌ・デュボア
・バーナード・ンゲネオ
ジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトス)―150年前~10万年前(1891年、ウジェーヌ・デュボアが発見した)
北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)―約77万年前
120万~80万年前 ホモ・アンテセソール
(Homo antecessor) 
スペイン
アタプエルカ
グラン・ドリナ遺跡
1994年 1,000cc ・ベルミューデ
・アルシュアーガ
104万~4万年前 デニソワ人【注13】
(Denisova hominin)
南シベリア・アルタイ山脈
デニソワ洞窟
2010年 スヴァンテ・パーヴォ
マックスプランク
進化人類学研究所
ヒト属(Homo)と考えられていますが、未だそれらしき命名は有りません
65万~35万年前 ホモ・ハイデルベルゲンシス
(Homo heidelbergensis)
・ドイツ、ハイデルベルク近郊
マウエル採石場
・スペイン、アタプエルカ山
シマ・デ・ロス・ウェソス
ハイデルベルクのヒト
Mauer1(マウエル下顎骨)
1907年 1,100cc
~ 1,400cc
シェッテンザック
60万年前      宗教的な儀式の可能性(エチピア・ボド発掘のホモ・ハイデルベルゲンシスの頭蓋に石器による切り傷)【注25】 
40万年前                                                     狩猟の開始(ドイツ・シェーニンゲン遺跡で木の槍と獲物の馬の骨の傷跡)【注23】 
35万~3万年前 ホモ・ネアンデルターレンシス
(Homo neanderthalensis)
ドイツ
ネアンデル峡谷(tal)
フェルトホーファー洞窟
ネアンデルタール人 1856年 1,550cc ―  ・ネアンデルタール人を「旧人【注1】と呼ぶ
・参考「サイエンス誌、2010.5.7」 
・居住地域はヨーロッパを中心に中近東、中央アジア、シベリアに限定されている。最大人口は約50万人と推定される。
13万年前~10万年前 魚介類を食する (南アフリカ・クラシーズ・リヴァー洞窟の貝塚、南アフリカ・ブロンボス洞窟の魚骨・貝殻)【注28】
 10万年前                                                    ホモ・サピエンスの出アフリカ(出アフリカⅡ)【注17】
 10万年前~7万5,000年前 ・創造力、象徴表現が出現 (貝製のビーズ・オーカー)(南アフリカ・ブロンボス洞窟・イスラエルのスフール洞窟・カフゼー洞窟)【注19】 ・穀物を食べ始めた(モロコシをすりつぶす、モザンビーク・ニアッサ州・Ngalue洞窟遺跡)【注11】 
9万5,000~1万7,000年 ホモ・フロレシエンシス
(Homo floresiensis)
インドネシア
フローレス島
リアン・ブア洞窟
ホビット 2004年 380cc ・マイケル・J・モーウッド
・ ピーター・ブラウン
 9~8万年前                                                    日本最古の石器(岩手県遠野市の金取遺跡【注12】
 4万年前                                                    淡水魚を常食とする(中国周口店遺跡の人骨の成分分析による【注2】) 
3万5,000年前  ・芸術(壁画(南フランス・ショーベ洞窟【注18】・楽器(南ドイツ・ガイセンクレステルレのフルート)・彫刻)の広がり  ・言語の使用【注8】   ・日本列島に人類が現れる(沖縄本島の山下町第一洞穴人【注9】 
3万2,000年前                                                    繊維の使用(グルジア・コーカサス山脈・ジュジュナ洞窟【注10】
1万年~8,500年前                                                     農耕・牧畜の開始(シリア北東部・テル・アブ・フレイラ遺跡---前期ナトゥーフ文化) 
16万~15万4,000年 ホモ・サピエンス・イダルツ【注22】
(Homo sapiens idaltu)
エチオピア
ミドル・アワッシュ
ヘルト
ヘルト人 1997年 1,450cc ティム・ホワイト これはホモ・サピエンスの亜種なので、ここに記すべきではないのですが、上の年表には記されているのと、「オモⅠ、Ⅱ」などとの関係を記すため、取り上げています。【注22】
20万年前~現在 ホモ・サピエンス(現生人類)
(Homo sapiens)
エチオピア 1967
~1974年
1,150
~1,350cc
リチャード・リーキー 
ティム・ホワイト
・クロマニョン人(フランス・1868年発掘)は4万年~1万年前に生存していたホモ・サピエンスの地域集団の名前です【注7】
クロマニヨン人、周口店上洞人(これもホモ・サピエンスです)以後を「新人【注1】と呼ぶ 
主な出来事を赤いベルトで示しています。
参考:現在のチンパンジーの脳の大きさは「約400cc」です。
この表は河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史」の「人類系統図」、内村直之著「われら以外の人類」p.18~19及び「Wikipedia-Human evolution」に基づいて独自に編集していますので、必ずしも冒頭の表最初の人類からホモ・サピエンスまでの年代表記とは一致していません。これらの年代については、考古学・人類学などの学会の統一された見解が無く、学者によって様々な主張がなされているので、大まかに把握する他は有りません。
Wikipedia「List of human evolution fossils」を参考になさってください。これも100%正しくはありませんが。                                                                                         戻る
タイトルロゴ左写真は「サヘラントロプス・チャデンシス」の復元図(Dieneke's Anthropology Blog より)、右は「ダビデ像」からです。
                                           ページトップへ 
人類化石に用いる略語
略語 正 式 名 称・地名(参考図 国名
AL Afar Locality(アファール) エチオピア
ARA-VP Aramis Vertebrate Paleontology(アラミス) エチオピア
BOU-VP Bouri Vertebrate Paleontology(ブーリ) エチオピア
KGA Konso-Gardula(コンソ) エチオピア
ER East Rudolf(=Lake Turkana)(東ルドルフ湖) ケニア
WT West (Lake) Turkana(西トゥルカナ湖) ケニア
KNM Kenya National Museum(ケニア国立博物館) ケニア
KP Kanapoi(カナポイ) ケニア
OH Olduvai Hominid(オルドヴァイ) タンザニア
SK Swartkrans(スワルトクランス) 南アフリカ
Sts Sterkfontein South?(ステルクフォンテイン)調査中 南アフリカ
Stw Sterkfontein West?(ステルクフォンテイン)調査中 南アフリカ
TM Transvaal Museum(トランスバール) 南アフリカ
TM Toros-Menalla(トロス・メナラ) チャド

   注                                                                                                              戻る
【注1】 20世紀の後半から化石の発掘が増え、年代測定の精度も向上し、その結果同じ時代に複数の人類種が併存していたことも分ってきました。そこで猿人・原人・旧人・新人という単純な分類では対処出来なくなり現在は殆ど使われません。高校の「詳説世界史B」を参考に大体の目安を記しました。(参考図
【注2】 朝日新聞(2009年8月5日夕刊)の報道(広州・小林哲)によります。 
【注3】 1976年、メアリー・リーキーのメンバーであるアンドリュー・ヒルがラエトリで多数の動物の足跡を発見しました。1978年その中にヒトの足跡があることが分り、ティム・ホワイトと諏訪元はそれが「アウストラロピテクス・アファレンシス」のものであることを究明しました。(内村直之著「われら以外の人類」p.95) 
【注4】 この種に関して国立科学博物館の馬場悠男氏は「人間性の進化(別冊日経サイエンス)p.70」の中で次のように述べておられます。「ドマニシ化石は専門家によってはホモ・ハビルス、ホモ・エレクトス、ホモ・エルガステルあるいは新種のホモ・ゲオルギクスとさまざまに分類され、まさにホモ属の多様性を主張するモデルによく符合しているといえるだろう。あるいはドマニシ化石群に見られる解剖学的な違いは、1つの種の変異幅がいかに大きかったかを示す好例だともいえよう。このように考えれば、上のような系統樹(一例:ヒトの進化の足跡)はもう少し刈り込んでもいいかもしれない。」 
【注5】 このような系統図に関しては多くの専門家によって色々な説が唱えられています。筆者はその中で最も最大公約数的なものを選びました。系統図に関して前記馬場悠男氏は「人間性の進化(別冊日経サイエンス)p.30」の中で次のように述べておられます。「化石の記録によって、人類進化の後半期には多数の種が同時に存在していたことがわかっている。しかし前半期も同じように複数の種がいたかどうかについては、大論争が起こっている。700万~300万年前のすべての化石は問題なく同一の進化系列上にのると主張する研究者(ランパー・包括分類派―筆者注)もいれば、これらの化石は別々の系統に属するだけでなく、きわめて多様に分化した未発見の多くの種の代表にすぎないと見る研究者(スプリッター・細分類派―筆者注)もいる。」。今後の発見や研究によって未だ未だ変化する可能性が多い問題であることを理解しておきたいと思います。なお2010年3月に明らかにされた「デニソワ人【注13】」は、河合信和作成の表以外、このいずれの表にも未掲載です。                       
【注6】 1966年、C.K.ブレインは南アフリカ・スワルトクランス洞窟第三層(150~100万年前)から、焼けた動物骨約270点を発見しました。この層は約150~100万年前のものとされています。ただ初期の「火の管理者」は野火などから火を「入手」するだけで、未だ自分で「火を作る」ことは出来ず、それはホモ・サピエンス以降ではないかとされています。「人類進化99の謎」p.59より。Wikipedia「Control of fire by early humans」参照。 
【注7】 人類進化99の謎」p.123によります。 
【注8】 リチャード・リーキー著「ヒトはいつから人間になったか」p.197~226によります。
【注9】 沖縄県那覇市山下町第一洞穴(やましたちょう)で1968年に発見されました。約3万2000年前とされる6~7歳の子供の大腿骨と脛骨で、日本では最古級の現生人類の人骨とされています。現生人類の人骨は他に沖縄県の港川人(みなとがわじん・約1.8~1,6万年前)と静岡県の浜北人(はまきたじん・約1.4万年前)とが出土しています。なお2010年2月、沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で出土した人骨が、炭素年代測定によって約2万年前の旧石器人の骨であることが分かりました。(これまで最古とされる那覇市の山下町第一洞穴の骨(3万2000年前)も共伴した炭化物での測定のため、年代観を疑問視する意見があります。このサイトでは決定的な実証がなされるまでは山下町第一洞穴人を年表に表示します)
【注10】 河合信和氏ブログ」から。参照:「Science」誌・2009.9.11号
【注11】 モザンビークの洞窟から10万年前の石器に付着していたモロコシ属の残留物が発見され、収穫の簡単な果物木の実が主な食料であったと考えられていた時代、実は初期人類は穀類を扱っていたことが判明した。初期人類が食料として穀類の種を食べるようになった時期は不明であるが、一般的には更新世(180万~11,000年前)末期頃、現代的な行動の始まりにつれてではないかと推測されている。Julio Mercader(カナダ・カルガリー大)はモザンビーク北西部に位置するニアッサ州のNgalue洞窟遺跡で、奥まった部屋の中に約10万年前の石器に付着したデンプンの残留物を大量に発見した。これらの残留物は自生のモロコシ属だと思われ、この遺跡の住人(ホモ・サピエンス)らがモロコシ属を食べていたことを示唆しており、アフリカ南部の更新世の人々にとって種子収集は食料調達における必要性の高い活動ではないという従来の仮説には反しているとMercaderは記述している。「Science」誌・2009.12.18号ハイライト版から
【注12】 1949年に相沢忠洋が群馬県みどり市笠懸町岩宿遺跡(いわじゅく)で関東ローム層中から発見した石器は少なくとも約3万年前(岩宿I石器文化)と約2万年前(岩宿II石器文化)の2種類有ります。その後1983年に岩手県遠野市で発見された金取遺跡(かねどり)は2003年7月約9万年前のものと分かりました。また2003年12月に、長崎県平戸市入口遺跡(いりぐち)で発見された石器は約9万年前、さらに2009年9月島根県出雲市の砂原遺跡(すなばら)から発見された石器は約12万年前のものとされていますが、これらは果たして人類の定住を証明するものなのか(或いはマンモスを追った通りすがりの人類だったのか)検証が待たれています。(このサイトでは年表に金取遺跡の年代を記載しています。)
【注13】 南シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で2008年に発掘されたヒトの小指の骨の化石(48,000~30,000年前の地層)から、ドイツのマックスプランク研究所などが細胞内小器官のミトコンドリアDNAを抽出し、塩基配列を解読したところこれまで知られている人類とは全く別種のものであることが分かリました。ホモ・サピエンスの祖先はネアンデルタール人の祖先と約47万年前に枝分かれしています。ところがこの「デニソワ人」は約104万年前に「ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人」のグループから枝分かれしていることが分かったのです。これはホモ・サピエンスともネアンデルタール人とも違う新種の人類が存在していたことになる大きな発見です。参照:「河合信和の人類学のブログ」、「Nature News 2010.3.24」、「Nature 464 2010.4.8
【注14】 南アフリカ共和国のヨハネスブルグの北約40キロにあるマラパ洞窟で南ア共和国とアメリカの等で作る国際チームによって発掘されました。2010年4月9日付けの「サイエンス誌」に発表されました。                     戻る
【注15】 2010年8月の「Nature誌 466」でエチオピア北部・アワッシュ渓谷下流域のディキカ地域で、切り痕や叩き痕がついた大型有蹄類動物の骨の化石が発見されたと報じています。これはアウストラロピテクス・アファレンシスが、石器を用いてつけた傷跡だと推定されていますが、議論の分かれるところではあります。(2010年8月12日朝日新聞
【注16】 1992年、エチオピアの考古学者シレシ・セマウらがハダールのカダ・ゴナ川河畔のEG10、12地点で発掘調査を行い、約260~250万年前のオルドワン文化の石器を大量に発見しました(Nature1997年1月23日号)。その後もエレーヌ・ロシュが1997年にトゥルカナ湖西岸のロカラレイ2C遺跡で234万年前の石器群(計2067個に及びます)を発見しました。他に、クラーク・ハウエルがオモのシュングラ層F層でオルドワン石器群を発見するなど、260万年前頃の石器発見は東アフリカ全体に広がりました。(河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史」p.155、156から)
これが従来の定説でしたが、【注15】で記したとおり、約100万年遡る説が推定されています。考古学上の発見は約10年の検証期間を要すると一般に言われます。なのでここでは両論を併記しておきます。
【注17】 人類はアフリカから始まったとすることは定説になっています。最近までは①多地域進化説(約180万年前にホモ・エレクトゥスがアフリカを出て世界に散らばり、各地域でホモ・サピエンスまで進化した)と②アフリカ単一起源説(約180万年まえにアフリカを出て各地で進化した人類はネアンデルタールまでは進化したがその段階で絶滅した。その後約10万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスが世界に散らばったのが現在に至っている)の2説がありましたが、現在では遺伝子研究の結果後者が有力とされています。約180年前にホモ・エレクトゥスがアフリカを出たのを「出アフリカⅠ」とし、約10万年前にホモ・エレクトゥスがアフリカを出たのを「出アフリカⅡ」とする説もあります。(参考地図)(参考:ウィキペディア「アフリカ単一起源説」、河合信和著「人類進化99の謎 p.62、p.122」)
【注18】 1994年に発見された南フランスのローヌ川峡谷の洞窟です。サイ、ホラアナライオン、オーロックスなどが赤土や炭を使って、とても具体的に描かれており、合計約260点以上有ります。(参考:ウィキペディア
【注19】 南アフリカのブロンボス洞窟から2種類の重要な”文化財”が発掘されました。一つは貝製のビーズ参考図Ⅰ)でこれは約7万5000年前の物だと分かりました。その後イスラエルのスフール洞窟からは10万年以上前の貝製のビーズが発見されています(河合信和著「人類進化99の謎」p.91、p.114)。オーカー(Ochre)」というのは、二つの物を指します。一つは三角柱に線刻をつけた石片で、もう一つは顔料として用いられた赤鉄鉱です(参考図Ⅱ)。オーカーの石片は約7万5000年前とされますが、その後オーカー粉を水に溶いたらしい貯蔵用の2枚のアワビ貝殻が発見され(参考図Ⅲ)、これは約10万年前のものと分かりました(「Science」誌・2011年10月14日号、「河合信和の人類学のブログ」から。なお、貝製のビーズや粉末オーカーの副葬品は、最初の「埋葬」の証拠と目されています。今のところ最初の埋葬は、約10万年前ホモ・サピエンスであるとされているのです。
【注20】 2012年4月3日の読売新聞は「米ボストン大などの研究チームがまとめ、米科学アカデミー紀要に発表する」と報じています。さらに詳しくは「研究チームは南アフリカにある長さ140mの「ワンダーウェーク洞窟」の地層を顕微鏡で分析し、植物の灰や焼けた骨片を確認した。洞窟内に広く分布していることから、野火などではなく、ホモ・エレクトスが草や葉を燃やして料理していたと推定した。どうやって火をおこしたかは不明だが、同大のフランセスコ・ベルナ博士は「野火から取ってくることもできただろう」としている」。共伴した石器と地層の調査から、年代は100万年前頃、と推定した。参照:「河合信和の人類学のブログ
【注21】 リーキー家は古人類学界の名家と言われています。ルイス・リーキーとメアリ・リーキーが夫婦であり、その次男がリチャード・リーキー、その妻がミーヴ・リーキーです(参考:Wikipedia)。ルイス夫妻はオルドヴァイ峡谷を開拓・研究し、リチャード夫妻はトゥルカナ湖東岸クービ・フォラを発見・調査しました。(参考図
【注22】 ホモ・サピエンス・イダルツ」は「ホモ・サピエンス」の亜種という位置づけがされているので、上の内村直之氏の年表には有りますが、他の年表には記されていません。なお、厳密には「オモⅠ」、「オモⅡ」という亜種がその後発見され、これは19万5000年前という年代であることが分かったので、この年代が「ホモ・サピエンス」の最古の年代であると(現在のところ)されています。
【注23】 ドイツのシェーニンゲン遺跡で3本の木の槍(両端を尖らせたトウヒの木。長さ2~3m)と、切り傷の付いた獲物の馬の骨が出土しています。傍にあった40万年前のウマの骨には、ホモ・ハイデルベルゲンシスが付けたと推測される傷跡があります。河合信和著「人類進化99の謎 p.134」から)
【注24】 河合信和著「人類進化99の謎 p.72・73」から
【注25】 河合信和著「人類進化99の謎 p.96・97」から。なお、エチオピアのヘルトで発見された、約16万年前のホモ・サピエンス・イダルツの頭蓋にも切り傷が有るが、ティム・ホワイトは、これは食人ではなく、何かの儀礼の痕と見ています。であれば、これも儀礼の痕である「可能性」は免れません。
【注26】 アウストラロピテクス属の後期の「アウストラロピテクス・エチオピクス」、「アウストラロピテクス・ボイセイ」、「アウストラロピテクス・ロブストス」の三つの種はそれぞれ「パラントロプス属」とする説が多いので、当サイトではその説を取り入れています。「パラントロプス属」は「頑丈型猿人」を指します。河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史p.64から。
【注27】 エチオピアのミドル・アワッシュ、ブーリ村近郊でアウストラロピテクス・ガルヒの頭蓋「BOU-VP-12/130」が発掘されたのですが、その196m南で、ウシ科の一種「ハーテビースト」の右脛骨も発見されました。この骨には切り傷と打撃痕が遺されていて、これは骨髄を採るために加えられた傷痕だと推定されました。ゆえに、この地は、人類最古の肉食の名残(ブッチャリング・サイト―動物解体遺跡―)だとされています。
【注28】 南アフリカのクラシーズ・リヴァー洞窟群から13~12万年前の貝塚が発掘されました。また南アフリカのブロンボス洞窟からは、約10万年前の層から、サザエの仲間、イガイ、ツノハタガイなどの貝殻や、タイの仲間の30cm程の魚骨が発掘されました。(河合信和著「人類進化99の謎 p.136、137から)
                                                                                                                                                            戻る



人類の進化・系統図Ⅰ河合信和著ヒトの進化七〇〇万年史を基に作成)        戻る
                                                                                              戻る   ページトップへ
人類の進化・系統図(内村直之著「われら以外の人類(2005年・朝日新聞社)を基に作成)
この本は2005年刊のため、「アウストラロピテクス・セディバ」と「デニソワ人」は記載されていません。
  ②アウストラロピテクス・エチオピクス」、「アウストラロピテクス・ボイセイ」、「アウストラロピテクス・ロブストス」は、それぞれ「パラントロプス・エチオピクス」、
   「パラントロプス・ボイセイ」、「パラントロプス・ロブストス」とする説も有り、このサイトでは上の表「年代順の主な人類と出来事」を初め、その説を取り入れています。
【注26】
                                                                             
                           
人類の進化・系統図ⅢSCIENCE誌 Vol.326  2009.10.2から(下の図と比べると良く分かります。時間軸は左右逆です)                                     戻る
注:Miocene=中新世、Pliocene=鮮新世、Pleistocene=更新世、Holocene=完新世。化石名の下は出土地、茶色の字は愛称です。homininはヒト亜科がチンパンジー族とヒト族に分かれた後のヒト族のことです(参考図)。taxa=分類。
   この表も「エチオピクス」、「ボイセイ」、「ロブストス」を「アウストラロピテクス属」としています。
                                            
                 人類の進化・系統図Wikipediaから)                      戻る
   注:1、この図には「アウストラロピテクス・セディバ」まで記入してあります
     2、Genusはヒト属などの「属」の意味です。「Genus Homo」は「ヒト属」です。ここに「デニソワ人」が入るはずです
     3、上の図と照らし合わせてください。但し時間軸は左右逆になっています
     4、1e+06 years = 1 × 10の6乗年 = 1 million years ago =1 Ma=100万年前 です
     5、「molecular clock」はウィキペディア「分子時計」参照
 

                                                                                
参考:海外のサイト、他の文献から人類進化図を集めました

Human Family TreeHominid Species Time LineHominid SpeciesLiveScience⑤「Wikipedia」⑥「人類進化大全 Human Evolution Timeline Interactiveから【注5】
                                                                                 ページトップへ


参考:人類進化の一つの見方(猿人~新人)                                                   戻る
人類化石の発見が少なかった1970年代までは,1つの時代には1つの人類種がいて,猿人・原人・旧人・新人と段階的に進化してきたという考え方が支配的だった。やがて,数多くの人類化石が発見され,1つの時代に複数の種や属の人類がいたことがわかった。その結果,人類は段階的に進化したのではなく,何回も枝分かれして進化し,多くは絶滅し,現在ではホモ・サピエンスだけが生存していると認識されるようになった。ただし,猿人・原人・旧人・新人という呼称も,初歩的理解には便利であり,上記のような認識を踏まえた上で使うなら,差し支えないと考えられる。(別冊日経サイエンス馬場悠男 編「人間性の進化 700万年の軌跡をたどる」p.5から。下図も同じ) 
      

アフリカでの人類化石の主な発掘場所                                                    戻る
初期人類の主な化石発見地河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史から) 主な化石と出土地(「人間性の進化 700万年の軌跡をたどる」) :白文字は地名。青・黄文字は種の名。


初期人類の主な化石発見地   (C.ストリンガー、P.アンドリュース著「人類進化大全」から 後期中新世と鮮新世の人類化石発見地 ホモ・エレクトスの化石発見地             戻る


代表的な化石の出土地(「人間性の進化 700万年の軌跡をたどる」)から
                                                                                            ページトップへ


アフリカにおける人間行動のはじまり                                  戻る
これは下の原典の「漁撈」と「ビーズ」に変更が加えてあります。 (河合信和著「ヒトの進化七〇〇万年史」から一部改変)

これが原典の記述です。 (Sally McBrearty、Alison S. Brooks共著「The revolution that wasn’t」から一部改変)


ブロンボス洞窟から発掘されたビーズとオーカー                                                                              戻る
Ⅰ貝製のビーズ Ⅱオーカー(線刻のある石片) Ⅲオーカー(顔料)

Smithsonian.comから
棒の長さは5mmです。Archaeology.about.comから オーカー粉を水に溶いたらしい貯蔵用のアワビの貝殻Archaeology.about.comから
                                                                                                  ページトップへ    
Copyright © Libell 2014. All rights reserved.