石川虚舟
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逍遥遊
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デュシャン・コード
 
 石川虚舟 
 
ハイデガーと東洋思想
 
  
  
北冥有魚、其名為鯤、
鯤之大、不知其幾千里也、
化而為鳥、其名為鵬、
鵬之背、不知其幾千里也、
怒而飛、其翼若垂天之雲、
『荘子』 内篇・逍遥遊篇
 

 石川虚舟 《飛翔》2018〜
 
 
  
  
北冥に魚あり、其の名を鯤となす。
鯤の大いさ、其の幾千里なるかを知らず。
化して鳥と為るや、其の名を鵬と為す。
鵬の背、其の幾千里なるかを知らず。
怒して飛べば、其の翼は垂天の雲の如し。
 金谷治訳注『荘子』第一冊「内篇」(岩波文庫)
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逍遥遊とは人間の自由な生活という意味であり、
それを「遊」とよぶのは、
日常的な世界に身をおきながら、
それに束縛されない自己の主体性をもつという意味である。
そして、人間のこのような主体的な自由を
「遊」という言葉で表現しているところに
荘子の哲学の芸術的な、もしくは、詩的な性格が最も端的に示されている。
 福永光司 『荘子』 中公新書、p.21-22  
  
「デュシャン・ガーデンズ」を逍遥すると、 やがてロゴスとエロスは不二となる。
その変化は玄妙(アンフラマンス)である。
 
    ⇒  デュシャン・ガーデンズ