石川虚舟
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 不繋之舟 
石川虚舟 2007~
 
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石川虚舟の造形作品
 
 

石川虚舟 《不繋之舟 No.2》 2021
 
随風東西、猶木葉幹殻、
竟不知風乗我邪、我乗風乎。
風に随って東西すること、
猶ほ木葉幹殻のごとく、
ついに風われに乗るか、
われ風に乗るかを知らず。
『列子』 黄帝第二(第三章)
小林信明著 『列子』(新釈漢文大系22)明治書院、p.69  
 
巧者労而知者憂、无能者无所求、食而遨遊、
汎若不繋之舟、虚而遨遊者也、
巧者は労して知者は憂うるも、
無能者は求むる所なく、食らいて遨遊す。
不繋の舟のごとく漂い、虚にして遨遊する者なりと。
『荘子』 列御寇篇(第三十二)   ⇒ 『荘子』
 
名利に使われて、閑かなる暇なく、
一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
『徒然草』 第三十八段   ⇒ 「不知利害」 
 

永醒夢中夢、独遊世外世、
寧受田方贈、敢愛臥輪偈、
生涯任放慵、如虚舟不繋
永く夢中の夢を醒まし、独り世外の世に遊ぶ。
寧ぞ田方が贈りものを受けんや、敢えて臥輪が偈を愛す。
生涯、放慵に任せて、虚舟の繋がざるが如し。
 石川丈山 《閑遊》(五言古詩)   ⇒ 石川丈山
上野洋三注『石川丈山/元政』(江戸詩人選集)岩波書店、p.106 
 
 
世俗と絶ち因習を脱し名利を離れて虚空を吹きまくるといふ気魄が 風流の根底になくてはならぬ。 社会的日常性の形を取ってゐる世俗的価値の破壊または逆転 といふことが風流の第一歩である。 「夏炉冬扇のごとし、衆にさかひて用る所なし」(『柴門辞』) という高邁不羈(こうまいふき)な性格が風流人には不可欠である。…         ⇒ 「夏炉冬扇」
しかし風流はそういふ消極的方面だけでは成立しない。 積極的方面が直ちにつらなって来なければならなぬ。 日常性を解消した個性によって直ちに何等か新しい内容の 充実が営まれなければならぬ。 さうして充実さるべき内容としては 主として美的生活が理解されてゐる。
九鬼周造全集・第四巻、 p.61 (「風流に関する一考察」)
 
我が国の風狂、風流も、 俗世間、俗物と対立するものであることはいふまでもない。 然し、それは単にブルジョワに対立するばかりでなく、 ひろく人間のうちにひそむエゴイズム、或ひは私意、執着と対立し、 それを斥け笑ひ、みずから自然のうちにとけこみ、 自然とともに去来することをもって本分とした。
唐木順三全集・第四巻、 p.196 (『詩とデカダンス』 1952版あとがき)
 

 《逍遥する風流人》
  photo 2019.11
 
⇒ 『荘子』「逍遥遊」