![]() ▲ TOP PAGE 夏炉冬扇 松尾芭蕉と老荘思想 ▼ 飛花落葉 不易流行 不知利害 大弁若訥 色即是空 空即是色 阮宣杖頭 石川虚舟/俳句集 |
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![]() 《随風庵の瓢》 photo 2009.2.8 …我にひとつのひさごあり。 是をたくみにつけて、 花入るヽ器にせむとすれば、 大にしてのりにあたらず。 ささえに作りてさけをもらむとすれば、 かたちみる所なし。 あるひといはく、 「草庵にいみじき糧入るべきものなり」と。 まことに よもぎのこヽろあるかな。 … ものひとつ瓢はかろき我よかな 芭蕉 松尾芭蕉 『 四山の瓢 』 『芭蕉俳文集』下、岩波文庫、p.35 予が風雅は、夏炉冬扇のごとし。 衆にさかひて用(もちゐ)る所なし。 松尾芭蕉 『 許六離別詞 』 『芭蕉俳文集』下、岩波文庫、p.128 |
以夏進炉、以冬奏扇、 為所不欲得之事、獻所不欲聞之語。 其不遇禍、幸矣、何福祐之有乎。 …夏時炉以灸湿、冬時扇以翣火、 …不求自至、不作自成、是名為遇。 夏を以て炉を進め、冬を以て扇を奏(すす)め、 得んことを欲せざる所の事を為し、 聞かんことを欲せざる所の語を獻ず。 其の禍に遇わざるは幸いなり、何の福祐か之れ有らん、と。 …夏時の炉を以て湿を灸(あぶ)り、冬時の扇は以て火を翣(あふ)ぐ。 …求めずして自から至り、作(な)さずして自から成る、 是れ名づけて遇と為す。 王充『論衡』上 「逢遇 第一」 (明治書院)、pp.28-32 今、子有五石之瓠、何不慮以為大樽而浮乎江湖、 而憂其瓠落無所容、則夫子猶有逢之心也夫、 今、子に五石の瓠(ひさご)あり、何ぞ慮(くりぬ)きて、 大樽と為して江湖に浮かべずして、 其の瓠落(かくらく)として容るる所なきを憂うるや。 則ち夫子には、猶ほ 蓬の心あるかな と。 註:「蓬の心」=塞がった心 金谷治訳注 『荘子』 第一冊内篇(逍遥遊篇 第一)、岩波文庫、p.35 風狂も風流も世俗に対立する概念である。世俗から逸脱してゐる。 世俗の常識をもって健康とするからこそ狂でもあり、 変でもあることになり、 風流は世俗を無視するからこそ夏炉冬扇ともなるのである。 『唐木順三全集』第四巻 「詩とデカダンス」 (筑摩書房版)、p.43 ⇒ 石川虚舟 《不繋之舟》 2007 |
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