東山  八家  木場   宇佐崎 中村   松原 妻鹿 
ふるさと中村(播磨国飾東郡宇佐崎組中村)
神亀史 明治史 昭和史 平成史(2019) 令和史
八正寺 粟生小学校校歌 昭和39年屋台新調 昭和54年屋台新調 平成13年屋台新調
明治40年夜鬼会式  昭和29年夜鬼会式 平成18年昼鬼式 平成25年鬼会式
鬼会式 鬼の面 平成4年夜鬼式 地 図
『中村』の由来
松原八幡宮の創建(763年)、石清水八幡宮領荘が成立間もない頃
にはかなりまとまった集落が成立していた。
この集落が神宮の東隣りの荘園中枢部に位置していたので中村と呼ばれるようになった。
村名のいわれは1,000年前の荘園時代からである。
この集落に社領を守る寺家侍が多く住んでいました。
薬師堂(おやくっさん)
(金堂)
鬼会式 (旧2月7日)
例祭 3月第1日曜日
史跡明徳地蔵
(白浜の石棺仏)
明徳 3年(1392年)造立
金比羅宮
例祭 7月
南に船着場(市場)が
あり当時は
入り舟、出船で
賑わった。
釈迦堂
釈迦弁尼仏
・阿弥陀如来

地蔵菩薩
大歳神社
例祭 11月
霊鶴が五穀の種を
くわえ飛来。
穀物守護の神
辰巳地蔵尊
(中村地蔵)
 (1857年7月建立)
固寧倉(こねそう)
(市指定文化財)
(非常食貯蔵庫)
姫路藩主酒井家が
文化6年(1809年)
施行した義倉の一種
中村スポーツ広場
 平成 6年12月竣工
一時避難場所
中区自主防災会
(マッチの軸干し場跡)
中村公民館
昭和49年完成
祝夜鬼会大祭典執行
旧中村公会堂
(一向寺跡)
中村集会所
平成11年7月建立
白浜第二投票所
中村屋台蔵(やたいぐら)
郷倉((ごうぐら))
庄屋の土蔵を
明治26年9月吉日に
釈迦堂付近から移転
梁に彫刻屋根に龍の
漆喰がしてある
貴重な建造物
中村史料館
(中村事務局)
昭和57年完成
消防ポンプ車
収納庫跡
南に三層の
火の見櫓がありました
松の川 
鯉、鮒、鰻などが
泳いでいた。
中村川:八間堀
入船、出船で
にぎわった
中村公園
昭和50年3月
一時避難場所
中区自主防災会
美土呂公園
(みどろこうえん)

昭和51年3月
一時避難場所
中区自主防災会
道標
中村旧街道筋にあった
(現・美土呂公園内)

【志かま・むろ】

【ヤカぢぞう・そね・高砂】
石橋(美土呂の石)
(現・美土呂公園内)
中ノ道竣工記念碑
大正7年10月
(現・美土呂公園内)
南北の道
石棺
釈迦堂境内にあった
(現・美土呂公園内
白浜団地第1公園 白浜公民館 白浜北第一公園 白浜北公園

大歳神社(おおとしじんじゃ)(祭神・大年神(おおとしのかみ))、
素戔鳴尊(すさのおみこと)の御子【我は大歳の神なり、
我をいつきまつるところは必ず繁昌し、八千代に弥栄えるべし】中村は栄えました。
中世の戦乱と余災で焼失→第91代伏見天皇(1287年)再建→応仁の乱、
秀吉の中国討伐時全部灰燼→秀吉天下統一後、
再興寄附で再建→再建以来社殿は時代と共に改築と整備された。
現在の社殿は大正5年建立。玉垣・石灯籠は
昭和3年・井戸・手洗は昭和13年信者が寄附しました。
産業振興・生活安全の神であり長寿延命の霊験あらたかな神様=参詣して御神徳を授かる。
祭礼12月10日→11月23日(新甞祭・勤労感謝日)
固寧倉(こねそう)の固寧とは
(たみ)()(くに)(もと)本固(もとかた)ければ邦寧(くにやすし)
儒教の五教の一つである書経という中国の書物より引用。
郷倉(ごうぐら)とは非常時に(もみ)や玄米を貯蔵のために建てた倉庫。
又貯蔵以外にも祭りの備品など
村で共同で用いる道具も納めていた
★美土呂の由来・昭和の区画整理で美土呂の字名も廃名となり、
新しく寺家二丁目と改名しました。この美土呂の字名は古く、
今より去る1,300余年の昔、奈良時代にこの地域が条例により、
耕地開発が行われた当時つけられたもので、
平安文化遺産ともいえる由緒深い字名美土呂です。
この由緒ある美土呂の名を永久に残すべく
この地の公園を美土呂と命名、更に幾つかの文化財
(美土呂の石・石棺の蓋・道標・中の道竣工記念碑など)を此の所に移し、
その昔を偲ぶ豊財を後世に伝えるものです。
★石橋(美土呂の石)・この石橋も当時の物と推定、美土呂の野溝にかけられた物で、
中村と姫路を結ぶ最も近い姫路道として、中村の人たちには思い出深い橋です
★中ノ道竣工記念碑(南北の道)・村外れの野路より移す。
2年数ヶ月をかけた当時の大事業の完成。待望の車力道の開通、
この喜びの記念碑。
★大正12年(1923年8月19日 神姫電鉄(現山陽電鉄)明石〜姫路間開業
★国道250号線〔新道、県道 昭和3年ごろできる→昭和31年国道になる
)宮前埋め立てと同時期(中尾建設)
★江戸時代は松原社以外に西脇、中村、歩射三ヶ庄と称していた。寺家と称し
平時は農耕、漁業に従事し、有事の時は弓矢刀槍をとって郷土防衛の為働いた寺家侍が
住んでいたのが中村地区である。
明治3年神仏分離令が下がり、松原八幡神社と八正寺に分かれた。
このとき鬼面は八正寺が保管し寺家が司祭していた鬼会式は寺家侍が住む中村が引き継ぎました。
★八家川流域は白鳳、天平時代にひらけ白浜町も早くから開けていった。
然しこの頃は未だ干潟か沼地か白砂の海岸であった。
土地らしくなったのは10世紀から11世紀(平安時代)であると思われる。
★奥山道=昭和33年4月22日廃道〔東方に新奥山道出来る。
★中村川〔金比羅宮〜海=中村の排水路〕八間堀といっていた:昭和61年〜63年両岸の工事。
★宮前埋立=昭和4年:芦や茅の生えていた海を中尾組が工事。
現鳥居の前は海岸線で、前面には広々とした海が広がり、その海上に沖洲が発達し
小さな島が浮かんでいた。この島を前島と呼んでいた。現在の白浜海水浴場付近と思われる。
忠魂碑(昭和23年3月建立)
インノコ(木場)と氷かき機
インノコ (11月・最初の亥の日に子供の成長・五穀豊饒を願う
※五穀=稲(いね)・麦(むぎ)・豆(まめ)・粟(あわ)・稗(ひえ)の五つの穀物
インノコの掛け声
★いんのこは しんわらで きくのはな つぼみがのー ひらいてのー 
  アーさしたんよー さしたんよー
★なかわか うでにまいて どんなもんどいー どんなもんどいー
★エーモーラー、 カーモーラー