鬼会式(オニエシキ)の由来 【ふるさとの文化遺産】

鬼さん(鬼会式)は旧2月7日に松原八幡宮東側の八正寺薬師堂を中心に行事が執行されます。
【修正鬼会式執行】 例年(毎年)3月第1日曜日に鬼会式執行
(天下泰平五穀豊穣悪魔調伏を祈願する)。 
八正寺薬師堂前において護摩供養・金堂で家内安全・無病息災のお面かぶり(赤・青のお面)
・中村史料館で鬼餅・梅花配布などが行われます

【鬼会式の由来】
第68代後一条天皇の皇太后清浄覚尼が万寿2年に大仏師の藤原定朝に命じ当地、
松原山八正寺に金堂を建立し現在の本尊である清浄覚尼の自尊薬師如来を降賜されたとの由来があり、
今日この金堂を【お薬師さん】と呼び人々が信仰を厚くしています。
その後一条天皇の御代、万寿年間(1024〜1028年・平安)に播磨の国一帯に悪疫が流行し、
死者数限りない惨状となった折、清浄覚尼は、自尊祠薬師如来の霊夢で八正寺に命じ、
不動明王(赤鬼)、愛染明王(青鬼)に祈願をさせたところ、
修正宏大無辺の大威徳現れ、悪疫は退散し
諸民の歓喜は、その極に達し乱舞したそうです。この時が旧2月7日で毎年当日に修正鬼会式を執行し
天下泰平、五穀豊穣(米・麦・粟・ひえ・豆)、悪魔調伏を祈願しました。
鬼尊者面を拝受して以来、鬼会式は寺家(中村に居住)が祭司をしておりましたが、
明冶初め神仏別離により寺家の制度がなくなり
中村で行事を執行してきました(現在に至る)。
金堂前に舞台を組み赤鬼、青鬼が乱舞する悪魔を表現している若衆を退散さす荒荒しい行事です。
お面箱とり=観音堂より薬師堂までの仮説舞台を創り、三通りの床台に上段舞台にお面箱を上げるのを
マワシ姿の村衆が
天空浄土の世界観から左横、右横、後方から進行妨害しすぐには上段にこぎつけない。
この時、お面箱に触れることにより息災が得られ心の悪を退散し幸せを呼ぶ(幸せを授かる)。
『無病息災・武運長久祈祷』 
【鬼のおどりについて】
平安時代、播磨の国に悪疫が蔓延し斃れるものも多く悲惨を極めた。
当時の天皇の母が山内の僧侶に疫病退散の
祈祷会を厳修すると、たちまち悪疫は雲霧の消散する如く勿ち滅除しました。
諸民の喜は其の極みし達し修正会を盛大に催した。
この日に参詣した人は赤鬼(不(動明王の化身)、青鬼(愛染明王の化身)の面をつけて
「尊者面、鬼尊者面」と囃子しておどり始めた。

【まとめ】
1024年ごろ
播磨の国一帯に悪疫が流行→皇太后清浄覚尼・霊夢→八正寺→不動明王(赤鬼)、
愛染明王(青鬼)が祈祷→大威徳現われる(悪疫は退散)
→諸民の歓喜は、その極に達し乱舞した(赤、青鬼面をつけて「尊者面、鬼尊者面」
と囃した・喜びと感謝を表現)。
★赤鬼、青鬼の衣装は神輿の幕が使用されていた。

不動明王(ふどうみょうおう)=仏教の信仰対象、密教特有の尊格である明王の一尊。五大明王の中心となる明王でもある。
愛染明王(あいぜんみょうおう)=仏教の対象、密教特有の尊格である明王の一尊。
五大明王=五大尊・五大力・五忿恕とも称し、不動明王を中心として
四方に位置する降三世明王(ふどうみょうおう)・軍荼利明王(南)・大威徳明王(西)・金剛夜叉明王(北)の総称。

後一条天皇【第68代天皇】 (ごいちじょうてんのう)
(1016〜1036年)敦成親王→第124代天皇【昭和天皇・裕仁(ひろひと)】
    父(第66代一条天皇)・母(藤原道長女中宮彰子=皇太后清浄覚尼)
皇太后清浄覚尼=藤原彰子(ふじはらのしょうし・あきこ)
第66代一条天皇の中宮で第68代後一条天皇、第69代後朱雀天皇の生母。
長和元年(1012年2月14日・皇太后・
寛仁2年1018年正月7日太皇太后となる・万寿3年1026年正月19日落飾し法名を清浄覚とする)。
【大威徳明王】(だいいとくみょうおう)
真言密教でインドの神々で重要な五大明王の一つで戦勝祈願・怨敵調伏の修法の本尊
不動明王(ふどうみようおう)
眼病平癒、商売繁盛、厄除け、交通安全などあらゆる祈願に不思議のご利益。 
愛染明王(あいぜんみょうおう)
戦勝、息災、恋愛、縁結び、家庭円満、水商売守護の功徳などをつかさどる仏。
霊夢(れいむ)神仏が現われてお告げをする不思議な夢
護摩木祈願文例(祈願文・氏名・満年齢)
(家内安全・商売繁盛・海上安全・心願成就・安産守護・厄難消滅・子宝成就・合格祈願・交通安全・
学業成就・身体健全・所願成就・無病息災・報恩謝徳・就職成就・良縁成就・開運厄除・病気平癒
鬼餅(鬼と墨書された餅をいただき・梅花を家に置いておくと、
開運・家内安全・無病息災の祈願が叶う)
各家庭で鬼と墨書した鏡餅・お菓子・お酒などを御供え後、
親戚縁者などに分け合って家内安全・無病息災。
★護摩供養の煙を身に受けると共に、赤・青のお面かぶりで家内安全・無病息災のご利益を授かる。

夜鬼会式は43年目毎に、昼鬼会式は大正の初めより
3年内至5年目毎に行われるようになりました。
金堂前に舞台を組んで赤鬼、青鬼が乱舞する悪魔を表現している
若い衆を退散さす荒々しい行事です。
この由緒ある郷土の歴史の経過を大切に伝承する為、
今日的に平年は、
修験者数十名の参加を得大護摩を焚き、
家内安全、無病息災、商売繁盛を祈願する鬼会式を実施しています。
(昭和58年配布資料より)

夜鬼会大祭典の実績抜粋
★106代正親町天皇元正2年(1574年)
  八正寺霊山坊快祐が年中行事掟の中に八幡宮の拝殿より鬼会式は出ずと記されている)
★江戸時代末期121代孝明天皇元冶2年(1865年)
★明治40年(1907年) 
★昭和29年(1954年) 
★昭和49年(1974年)3月19日中村公民館新築落成記念行事として執行
☆【昼鬼会大祭典】昭和58年(1983年)3月21日
★平成4年(1992年)5月4日(やらい;舞台は楼門前)
☆【昼鬼会大祭典】平成18年3月5日(日)(西紀2,006年・皇暦2,666年・明治139年・昭和81年)