中村屋台新調 1979年・昭和54年9月30日(日)大安吉日入魂式
繁盛・繁盛 屋台に魂を入れる(入魂)

屋台新調の歴史
清麓勇壮な形を誇る中村屋台は
文明5年(1473年)ごろ・江戸末期・明治24年・大正14年
・昭和39年(東京オリンピック開催の年)昭和54年・平成13年新調


昭和54年【時代に相応した豪壮華麗な屋台】新調な屋台】新調
※出たち→宮入は台車使用・同日後半は宇佐崎屋台入魂(天候:曇りのち雨)

 明治24年作の屋台を相坂村より買いも戻し、各種資料を研究・検討し、
これらを参考にしました。
嘉永年間作(嘉永元年=1848年)の『中村のよくなる太鼓』といわれていた
大太鼓も同時に引き取り現代風に大修理しました。


昔は、『寺家』として松原八幡神社を護持してきた中村であり中村の良き
伝統を尊重し、これらを受け継ぎ現代にマッチするとともに将来の姿を頭に描いて、
時代を先取りした手法で、後世に伝えて誇り得る立派な屋台が出来上がりました。
同時に中村の大庄屋の財宝庫を明治26年9月吉日に
移築した現屋台倉は古式通り(屋根に龍の漆喰・梁に彫刻)改装して補強を行い
面目を一新しました。

本棒は天下の名城『姫路城』が昭和の大修理の際の心柱と同じ
南木曽付知の谷から探し出しました。
付近には伊勢神宮御還宮用材の御料林が
あります。
末口47糎、目通り1米20糎、長さ18,7米の用材は約数百年は
使用される財物であります。
この縁起の良いことを中区(現中村)住民と分かち合うために残材で
屋台新調記念表札』を作成し、住民各位の永遠の繁栄と無病息災を
祈念した吉相寸法で併せて
中区共同体の健全な発展を約束した表札です
(850配布)。