学思塾  ー学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆しー (「論語」為政より)

 

教育論



<1>集中力の意味とは

 赤ちゃんは意識を集中する能力がまだ備わっていません。集中するときは眼が中央により近くに焦点があいますが、集中力のない幼い子どもは近くを見るのがまだ苦手です。
 学習には近くを見る能力が不可欠です。実際、世界的にみて高学力の国ほど近視の傾向があります。
 小学生にとって集中の訓練になる昔ながらの方法が、大量の単純計算練習です。近くに焦点をあわせながら単純作業をすることで集中力がつきます。授業もよく理解できるようになるので全教科の学力向上に役立ってきました。百マス計算や公文式も単純な計算によって集中力をつけ子どもの学力を上げてきました。

 しかし、単に近くを見る能力が高ければいいかというとそうではありません。遠くに焦点のあわない子どもは頭の中の視野も狭く、一つのことしか考えられません。遠くにも近くにも焦点をあわせられる能力こそが大切なのです。
http://tensaikosodate.com/?p=3446
http://www.lockey-group.com/zyuken-benkyou.html

 集中力の足りない子どもが多い途上国では、集中力を上げるモジュール学習やスモールステップは効果的です。
http://matsumoo.com/education/module/
https://up-to-you.me/article/593
 しかし、今の日本では昔ながらの集中力訓練が逆効果になってきています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=282786
http://blog.crooz.jp/jukucho29/ShowArticle/?no=534
 最近の子どもは外遊びが減り小さい頃から近くを見る経験が増えたため、小学生でも近視が急増しています。そんな子どもに過剰な単純作業をさせると、視野が狭まって言われたことしかできない指示待ち人間になってしまいます。昔ながらの単純計算練習を過剰にやってはいけない時代になったのです。
 昔の子ども達は同じことに興味をもち発達度合も似ていましたが、個人差が大きくなった今では一律の集中力訓練がうまくいきません。昔に近い環境が残る県が学力テストで好成績ですが、他の県がその教育をまねても効果は疑問です。
http://naorhythm.hatenablog.com/entry/2015/05/31/011814

 

 一つのことに意識を集中させすぎず、集中力を自由に上げ下げすることこそが“高度な思考”の正体です。頭がとてもいい人は普段少しぼんやりしていて、必要なときにさっと集中します。何もせず「ぼーっと」している時間にも意味があるのです。
https://kuroma-akuto.com/?p=1810
 スマホ・タブレットを長時間使ったり単純な問題演習を繰り返しすぎると、眼と同時に頭も固くなり広い視野で物事を見ることができなくなってしまいます。
https://iko-yo.net/articles/311
 小さい頃から室内と室外の両方で多様な体験を積めば、集中力をコントロールする能力を鍛えることができ、頭も良くなります。
https://asqmii.com/jijico/2018/02/27/articles29938.html

 

 「そろばん」を習うと、指を動かしながら考える力がつき計算速度も上がります。「習字」を習うと、字が綺麗になり、落ち着いて椅子に座れる力もつきます。ただし「そろばん」「習字」は単純作業なので、長期間習い続けると集中が上がりすぎて視野が狭くなります。子どもにもよりますが、短期間でやめるのが無難だと思われます。
 「ビジョントレーニング」で眼球運動を訓練すると学習能力・運動能力が上がります。
https://h-navi.jp/column/article/35026384

 


<2>抽象的思考


 抽象的思考力を鍛えることが大切ですが、そもそも抽象的思考とは何でしょうか。
 まず『言葉』は抽象的です。例えば、“石”にはいろんな形・大きさ・色があります。“石”という言葉を知る前は、これはなんだろうと触ったり投げたりしてみます。“石”という言葉を知った後は、細部を捨て共通点をとらえることで、石を認識します。その言葉を使うことでさらに抽象的なことを理解・思考できますが、石に対する観察は減ります。
 小さい子どもが「なぜ」と問うとき、論理的理由を問う大人の「なぜ」ではなく、“物事の共通点”を知りたいだけのこともよくあります。

 鳥を知らない幼児に、具体的な鳥の種名と「鳥」という言葉のどちらが教えやすいかというと、種名の方です。「鳥」よりも具体的な「すずめ」や「カラス」の方がわかりやすいのです。

http://www.treponte.jp/kodawari2013/02.html

 基本的に具体から抽象へと理解は進みます。抽象的概念をうまく理解できないときは具体に戻る必要があります。つまり、具体と抽象の往復によって認知は深まります。
https://news.infoseek.co.jp/article/insightnow_9138/
 「石」という言葉を知った後は石への観察が減るように、抽象を知った後は具体を見なくなることがあります。抽象を学ぶには順序やタイミングが大切であり、あわてると具体も抽象も理解できなくなります。抽象から具体に戻って考えることができる“好奇心”を持つのも重要です。

 『数』も抽象的です。「3個の石」と「3枚の紙」と「3人の人」では、石と紙と人は別のものなのに3は共通です。
 『足し算』も抽象的です。「3個の梨と4個の柿で合わせて7個」というとき、梨と柿の違いを無視しています。具体的な物を数える経験を十分つむ前に足し算の計算練習をやってしまうと、具体を無視するようになり、結局は足し算とは何なのかがわからなくなってしまいます。
 「計算はできるが文章題はできない」「漢字は書けるが文章読解は苦手」「日常レベルの英会話はできるが単語を書けない」などは、学ぶ順序を間違えた結果なのです。
http://juken-meister.com/toumon_k-academy/blog/archives/591

 抽象的思考の本質を考えると、容易な先取り学習は危険です。
 「フラッシュカードで言葉を覚える」「物を数える経験が足りないまま四則計算を練習する」「読解力のないまま漢字練習ばかりする」「日本語がまだ熟達していないのに英語を勉強する」「算数文章題を方程式で解く」「幼児期に本を多読する」「歴史の流れを知らないまま年号を覚える」「速読の訓練をする」「英語の多読をする」などで具体を十分知らないままに抽象に入ると具体とのつながりが切れてしまいます。そのとき子どもがやっているのは抽象的思考ではなく、無思考な作業なのです。
https://dual.nikkei.com/article/020/35/

 安易な先取り学習は危険ですが、早めに抽象に触れる先行体験には大きな意味があります。
 「文字を読めない子が日常生活の中で文字を目にする」「計算を習ってない子が大人が計算するのを見る」「まだ本を読めない子が、大人が本や新聞を読むのを見る」「英語を習っていない子が英語の会話や文字に日常の中で出会う」「時計はまだ読めないが身近にアナログ時計がたくさんある」「地理を習っていない子が地図や地球儀を見る」といった日常における先行体験は子どもの学習を支えます。

 個々の具体の上位概念が抽象であり、その上にはさらに上位の抽象があり、具体と抽象はピラミッドのようになっています。
http://proclass.jp/blog/wp-content/uploads/2016/04/d883862f1b97c147a8bc935c0b759b75.png
 上の抽象をどこまで身につけられるかは裾野にある具体の広さで決まってきます。これを数学者の遠山啓は「山は高ければ高いほど、その土台となる裾野は広く豊かである」と表現しました。
http://www.wako.ed.jp/e/principal-blog/20170928blog1/

 高いピラミッドほど広い土台部分が必要なように、小さい頃の幅広い豊かな具体的経験こそが将来の子どもの高度な抽象的思考力を支えます。
 「小さい頃の知育が大切だ」と読書やパズルばかりやらせる。「小さい頃の自然体験が大切だ」と外遊びばかりさせる。「右脳を育てる」と幼児教育教室に通わせる。「先取りが有利」と漢字暗記や計算プリントばかりやらせる。「感受性を育てる」と興味もないような美術館や博物館にたくさん連れて行く。「やりたいようにやらせる」とゲームばかりやったり、テレビばかり見たりするのを止めない。「やり抜く力を育てる」と習い事は必ず続けさせる。これでは経験を狭めることになってしまいます。もっと多様な体験をつめる環境こそが大切ではないでしょうか。

 


<3>わかりやすい?


 授業はわかりやすい方がいいのでしょうか。
 同じ授業を聞いてもわかる子とわからない子がいます。わかる子はわかる力が高いのです。わかる力が低い子に噛んで含めるように教えてわからせすぎると、わかる力は高まらず次からまたわからなくなるだけです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b242b3174bffb1566e8789e51022823d2547146?page=2
https://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/0a2f0fdfa30bc6a0f855a6c1f0770f6b
 わからないまま進む授業も、疑問なく簡単にわかる授業もよくないのです。「それって何だろう」と疑問に感じ、「あっ、そういうことか」とわかり、また別の疑問を感じたまま授業が終わる。そういう授業が生徒のわかる力を伸ばします。
http://gitanez.seesaa.net/article/111092049.html

 

 授業をわかりやすくするのに、わかりやすい内容だけを扱う方法もあります。でも、この方法では到達度は低くなります。授業がわかりやすい国の学力は低くなります。
https://www.rikagasuki.com/wp-content/uploads/2015/03/わかりやすさ指数と平均点.png
 生徒を理科好きにする方法の一つが、身近な内容を扱ったり、実験を多くすることです。ところが、この方法は高度な理論を学べなくなります。理科好きが多い国の方が成績は低くなります。
https://www.rikagasuki.com/wp-content/uploads/2015/03/好きだ指数と平均点.png
 数学も同様です。
https://pbs.twimg.com/media/EApNr0yUcAICvOl.png

 自宅・塾・予備校などで映像講義をうけられるようになってきました。映像講義の多くは有名な人気講師の授業なのでわかりやすいものが多くなっています。しかし、わかりやすさを売りにしている映像授業ではわかる力は上がりません。結局、わかる力が元からあって努力もする生徒だけが伸びます。
https://hitowomusubu.com/blogs/picture-class/
 学習の管理まですべて機械がやってくれるシステムも増えています。この方法では、目先の内容はわかるようになるかもしれませんが、わかる力自身は落ちてしまい学力は大きく低下します。
http://www.sekkachi.com/entry/tablet_learning_demerit

 
 「わかる」から「できる」へ、という言葉を時々目にします。授業を聞いて理解しても問題を解くと「できない」ということがよくあります。それを「できる」ようになるまで勉強するということです。
 しかし、「できているからわかっている」だろうと思っていたら、実は「わかっていないけどできる」になっている場合がよくあります。「できる」ことにこだわり過ぎることは、わかる力を落としかねません。
https://web.archive.org/web/20181222174808/http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/5080/gaku/1-8.html

 「完璧にわかる」を目指すために内容を分割するスモールステップという方法があります。各段階で「わかってできている」かチェックして進むので確実に上のレベルに到達する理屈です。
https://learn-tern.com/small-step/
 ところが本当の学びは複雑で、ある分野を完璧にわかるには先の分野も知る必要があります。つまり、各段階で「完璧にわかる」ことなど不可能なのです。学びを完結させることは、逆に高度な学びを阻害します。
 いい学びとは、わかる範囲でわかりながらも「もやもや」が残った状態で進み、学びを終わらせないことなのです。
https://accreteworks.com/publicseminar-latestinformation/moyamoya

 


<4>メタ認知


 自分の認知(知覚・情動・記憶・思考など)活動を、より高い視点から認知することを『メタ認知』といいます。メタ認知能力が高い子の方が学習がうまくいきます。
https://www.nara-edu.ac.jp/CERT/nara-edu/outline/
 メタ認知の重要性が強調されるようになり、メタ認知能力を高める方法の研究がさかんに行われています。メタ認知を高める方法と考えられているのが自己評価やイメージマップです。しかし、本当に効果があるのでしょうか?

 メタ認知とは自分の認知活動全体を上から眺めるものであり、脳全体を使ってこそ意味があります。人は意識を強めるほど脳の一部だけを使います。つまり、自分の状態や思考をはっきり意識するメタ認知訓練法は矛盾をかかえています。自己評価をさせるとメタ認知能力が向上したという報告が多数ありますが、本当でしょうか。メタ認知能力が高い子は脳全体を使ってうまく自己評価しますが、自己評価を訓練することは「自己評価する技術」を頭の一部に覚え込んだだけなのです。教育学者達が研究・推奨しているメタ認知訓練法は実は逆効果なのではないでしょうか。
 「歩き方を強く意識すると、おかしな歩き方になる」経験をしたことはないでしょうか。メタ認知を鍛えようとするとメタ認知能力は狂ってしまうのが『メタ認知のジレンマ』なのです。
https://blog.goo.ne.jp/hkaiho/e/4cd1057c695a11f291d9db94f478c0bd

 真のメタ認知能力とは「善し悪しは関係なく、自分をあるがままに見る力」であり、ほぼ無意識に働いてこそ意味があるのです。
 メタ認知能力は「自分の頭の中を思ったままに表現し、結果を自然に受け止めて工夫・調整する」ことで育ちます。
 赤ちゃんは積み木などで頭に浮かんだものを工夫して作ります。メタ認知の始まりです。粘土遊びや砂遊びも同じです。“自由”にお絵描きして自然に絵が上達します。Eテレ子ども番組を見ながら“自由”に踊ります。
 子どもは考えを人に話したがります。「恐竜ってねぇ…」「幼稚園で折り紙して…」などなど。うなずきながらのんびり聞いてあげるとメタ認知能力が育ちます。
 友達と遊んでるうちに喧嘩になり、しばらくするとまた一緒に遊んでいます。これもメタ認知です。

 「工作」は頭の中のものを作品にします。上手かどうかより、夢中になって作っているかどうかです。
https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/art/art029/
 「読書感想文」「作文」もメタ認知です。上手で大人びた文より、頭の中を表現することに意味があります。
 授業中に黒板の丸写しでなく自分の言葉でノートを取る。これもメタ認知です。
https://web.archive.org/web/20190423143931/https://www.goodbyebluethursday.com/entry/2015/10/27/184500
 調べてまとめるのも効果があります。
http://www.kaijo-academy.jp/_press/2013/02/3_13.html

 算数の問題を解くときに途中式を書く。書くことで思考過程が見え、これもメタ認知です。
https://www.sakusakura.jp/blog_tottori/archives/1374/
 ただし、計算能力が高くなってきたら適度に暗算する方がいいです。メタ認知は高度化すると頭の中で行うことができるようになります。適度な暗算はその能力を鍛えます。
https://oshiekata.com/study/182
 数学解答で思考過程を簡潔に言葉で書く。これもメタ認知です。ただし、能力が上がると徐々に頭の中で行えるようになります。
https://web.archive.org/web/20161219203056/https://kisenjuku.com/hs/444/
 このようにしてメタ認知能力は日常生活や学校教育の中でゆっくり育つものであり、その能力だけを取り出して訓練することができないものなのです。

 

 メタ認知が低い子は学習がうまくいかないので支援が必要です。ただし、メタ認知を他人や機械がすべて行えば能力は伸びません。
 多くの塾は「次はこのプリント」「これを解けるまで練習」「このミスに注意して」と細かく指示しますが、これはメタ認知を阻害します。タブレット学習では機械が効果的な復習の時期を教えてくれたりしますが、子どものメタ認知能力を壊します。家庭教師や個別指導では「この問題どういう意味」と聞くとわかるまで説明してくれますが、一番肝心な部分が人任せになります。こうやって一度メタ認知の伸びが妨げられると自分で勉強できなくなり、より人に頼るしかなくなるという悪循環にはまり、抜け出すことはより困難になります。

 


<5>意識と無意識


 心や頭は意識的にコントロールしようとすると疲れます。
 「正解しないと」「間違わないように」「嫌われないように」「思いやりをみせないと」「ちゃんと話さないと」「あの子には負けたくない」などの思いを適度に持つことは自分を成長させます。しかし、強く自分に言い聞かせすぎると、逆に成長しないままに“架空の自分”を演じるだけになってしまいます。
https://sorakumo.jp/report/archives/22
 意識(顕在意識)と無意識(潜在意識)はバランスが大切です。
http://www.ks-family.com/wp-content/uploads/2017/03/20170329_104223.jpg
 より良い自分になろうと努力するのは大切ですが、結果を意識しすぎないようにする方がうまくいきます。これを老子は『無為自然』と呼びました。
http://www.taoism.gr.jp/taoism/nagasarenai13.html
 何かを意識しないようにしようと考えるとよけい意識が強くなります。呼吸や身体の動きなどに意識を向けることで余計な思考をやめるのが『禅』の方法です。
http://www.zen-essay.com/entry/shinjin
 『禅』から宗教色を取り除いたのが『マインドフルネス』です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50060
 散歩だけでも同様の効果があります。
https://kore-goodnews.jp/lifestyle-173-4930
 幼い子どもは意識的に行動するのが苦手で、その状態で新しいことに挑戦すると根本的才能が伸びます。しかし、大人になると頭で考えて意識的に行動するので根本的才能を伸ばさずに表面だけをよくするようになります。早熟型で伸び悩むことがあるのは早く大人になりすぎるからです。意識は強すぎても弱すぎてもよくありません。
 根本的才能を高めるには2つの方法があります。
①秀才型:“数多く”のことに熱心に取り組むことで意識を分散させる。
②天才型:興味のあるいくつかのことを“のんびり”深く掘り下げるうちに関心が他にも自然と広がっていく。

 秀才型は真面目で記憶力がよく、ノートも綺麗なことが多いです。意識は全体としては強いのですが、数多くのことをきっちりやることで意識を適度に分散させます。
https://bookmeter.com/books/574813
 天才型は目に見えることにはあまりこだわらないので、ノートや部屋は汚いことが多いです。無意識の思考をすることで脳全体を使って考えます。
https://ddnavi.com/news/318047/a/
https://girlsmagazine.jp/life-style/2389/

 多くの私立校では学校で「勉強しろ」と強く言われます。さらに家でも「ちゃんとした生活をしろ」という雰囲気だと、意識が強くなりすぎて能力が伸びにくくなります。家では少し“だらしない”ぐらいで、勉強の話も少ない方がバランスがとれます。
http://president.jp/articles/-/16508
 公立校では「勉強しろ」とあまり言われないので、家で“きっちり”生活し、家族との勉強の話も多めの方がうまくいきます。ただし、きっちりし過ぎはやはり禁物です。
http://www.town.tobe.ehime.jp/soshiki/10/kateigakusyu-pamph-haifu.html
https://www.inter-edu.com/juku/contents/research/research-150305/

 


<6>指導とは


 問題文を理解できない生徒に「何度も読みなさい」と指導すると、そのときはそれで理解できるかもしれません。しかし、それを続けると何度も読むことが普通になり、一度で読み取れない習慣がつきます。
 解き方を思いつかない生徒に「もっとよく考えなさい」と指導すると、悩んだ後で解き方を思いつくこともあります。しかし、それを続けると手を止めて悩むのが普通になり、解き方がすぐに浮かばなくなります。
 計算ミスをする生徒に「ミスがないか見直しなさい」と指導すると、そのときは間違いが減るかもしれません。しかし、それを続けると一回で計算が合わないことが普通になります。

 授業を理解していない生徒に「もっとよく聞きなさい」と指導すると、頑張って授業を聞くかもしれません。しかし、授業をよく理解している生徒は先生の言葉を言葉通りに聞かず、自分なりの解釈で聞いています。理解できない生徒ほど先生の言葉を頑張ってそのまま聞いているのです。
 算数・数学・理科の問題を解けない生徒に「とにかく図を書いて考えなさい」と指導すると、手当たり次第に図を書いて考えて解けることがあります。しかし、得意な生徒は図に必要な情報だけを書き込みます。もっと得意な生徒はあまり図を書かず頭の中で考えます。図は書けばいいというより、図の解釈にこそ意味があります。

 「同じ間違いを繰り返さないように」と指導すると、次は間違わないかもしれません。しかし、確実に間違わない唯一の方法は、自分の頭を使って考えたりせず正解を丸暗記して使うことであり、考えない習慣をつけることになります。
 「忘れないように覚えなさい」と指導すると、頑張って忘れないかもしれません。しかし、そもそも忘れるのはよく分かっていないからです。忘れないように頑張って覚えることは、分からないまま丸暗記することにつながります。
 化学の計算ができない生徒に「単位を付けて計算しなさい」と指導すると、単位の意味をイメージせず解けてしまいます。結局は単位をイメージできなくなります。

 

 いい指導とは生徒に不自然な頑張りをさせないものです。
①自分の思った通りに素直に考えて、正しく考えられなければしっかり間違う。
②理解できることだけを理解して、わからないことは「わからない」と認める。
③覚えるべきことはすぐに覚えて、理解が甘ければしっかり忘れる。
 「あるがままの自分の心で考え、間違いを体験し、わかる範囲で理解する。」無理なく自然に『自分の心』を通して学ぶことを続ければ、見せかけでない本物の実力がついてきます。

 


7>理解とは

 理解とは言葉を頭の中で映像化することであり、理解には2種類あります。
 「正理解」:正しい映像化
 「誤理解」:誤った映像化
 映像化していないのが「無理解」です。「誤理解」はあくまでも理解の一種であり、理解するためには避けて通れません。
https://honz.jp/articles/-/41578
 生徒が「間違わずに正しく理解しよう」とすれば、自分で解釈することを避け正解を身につけようとします。そのとき生徒の頭の中には映像が浮かばなくなっています。「正理解」を目指すことは「無理解」という結果をまねくのです。
 理解するためには、間違いを恐れず大胆に自分なりの解釈をし、間違いながら理解を修正していくことが大切です。

 


<8>思考とは


 思考とは頭の中の映像(イメージ)を操作することであり、思考には2種類あります。
 「正思考」:正しい映像操作
 「誤思考」:誤った映像操作
 映像を操作していないのが「無思考」です。「誤思考」はあくまでも思考の一種であり、思考するためには避けて通れません。
https://www.yohjuku.com/間違えることは恥ずかしくない/
 生徒が「間違わずに正しく思考しよう」とすれば、自分で思考することを避け正解通りに考えようとします。そのとき生徒は頭の中で映像を操作していません。「正思考」を目指すことは「無思考」という結果をまねくのです。
 思考するためには、間違いを恐れず大胆に自分なりの思考をし、間違いをながら思考を修正していくことが大切です。

 


<9>判断とは


 判断とは頭の中の映像を自分の経験や知識に照らして合っているかを自分なりに考えることであり、判断には2種類あります。
 「正判断」:正しい判断
 「誤判断」:誤った判断
 映像が合っているかを自分で考えないのが「無判断」です。「誤判断」はあくまでも判断の一種であり、判断するためには避けて通れません。
 生徒が「間違わずに正しく判断しよう」とすれば、自分の経験や知識で判断することを避け正解通りにしようとします。「正判断」を目指すことは「無判断」という結果をまねくのです。
 判断するためには、間違いを恐れず大胆に自分なりの判断をし、間違いながら判断を修正していくことが大切です。



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