居住都市 高槻の財政  (財政分析レポート)

★右下に示した 『しのびよる財政破綻 どう打開するか 大阪衛星都市に見るその実相』 が自治体研究社から2000.11.1発行されましたが、その中の一文として、このレポートが12ページにわたって収録されています。

 

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 第3章 衛星都市財政の諸相

居住型都市 高槻市の財政 (90年代「財政危機」と高槻的「解決」)

第1節 高槻市の特徴

 高槻市は、大阪・京都の中間、ともに20qの距離に位置し、東西10.4q南北22.7q、面積105.31q、淀川の右岸、市域の北半分を山林が占める府下4番目に広い市です。1943年に市制がひかれ、現在の人口は約36万人です。    
 高槻市は、市自らが市民の足を確保する市バスを経営していることや大阪京都の中間という地理的条件などから、のどかな田園都市から人口急増による過密都市へ、そしていま成熟都市へと変貌して来ています。
 1960年の人口は80,678人で、のどかな田園都市でした。この頃から高度経済成長に伴って、市南部に低層の公営住宅と電鉄会社等による住宅地の開発が進み、1963年に10万人を突破しました。1965年以降には小規模開発が相次ぎ、中層公営住宅の建設と相まって過密都市の様相を呈してきました。1960年度から1971年度まで12年間連続で10%以上増加する全国的にも顕著な人口急増都市となりました。人口急増に対処するため市の財

 政は小・中学校の建設に総動員されることとなり、うの花養護幼稚園の設置など福祉への配慮も厚く、教育・福祉の街といえる運営がなされていました。
 その後人口抑制施策の効果もあって伸びが鈍化し、1989年36万人に到達して以降は横ばい状態が続いています。1990年代は出生から死亡を差し引いた自然増は1,000人台にとどまり、転出が転入を上回る社会減に転じています。老齢化率(65才以上/市民人口)は10.8%(1995年国調)で府下市平均の10.9%とほぼ同じ水準です。    
 1995年の国勢調査の結果から市民生活の現状を見ていきます。先ず、持ち家比率は58.2%、公営借家が12.1%、民間借家が23.1%などとなり、約6割の世帯が持ち家に住んでいます。就業者数は177,015人で、一次産業0.7%、二次産業33.6%、三次産業64.2%となっており、ちょうど府下平均と同じ割合で、三次産業に従事する市民が多いことを物語っています。就業者のうち74,321人が市内に職場を持ち、102,694人が市外へ働きに出ています。通学を含めた昼夜間人口比率は79.1%(府下市の平均89.4%)で府下衛星都市中下から5番目と大変低く、ベッドタウン(居住型の都市)であることを裏付けています。
 農家戸数は1,780戸で年々減少しています。製造業は488事業所(1998年)、就業者数18,443人、出荷額5,500億円で、内陸型工業である金属製品・一般機械器具・電気機械器具の3業種で45.6%を占め次いで化学工業が24.2%となっています。市内の商店数は3,065店(1997年)、従業者19,328人、販売額6,580億円です。小売業で見ると2,723店で3,328億円の販売額となっています。大店舗率が70%を超え、府下ではトップクラスとなっています。

第2節  財政指標から見た高槻市

 高槻市の財政規模は、決算額が1998年度で931億円となっています。1970年度が114億円、1980年度が547億円、1990年度が842億円で、1970年代の10年間で約5倍に、1980年代で1.5倍、1990年代は1.1倍の微増となっています。
 財政規模を前年比で見ると(図2参照)、1993年度に歳入・歳出ともに1,000億円を超え最高となりました。1994年度から前年を下回るようになり、1997年に歳出で916億円まで下がったのを底として、1998年度・1999年度とプラスに転じています。1999年度は再度1,000億円台の財政規模となっています。
 高槻の決算額は1998年度総額で堺、東大阪、豊中、枚方、吹田に続いて上位にありますが、人口1人当たりの歳出規模を比較すると259,349円で、衛星都市全体の310,800円よりも5万円以上少なく、府下32市の中で最も小さい歳出規模となっています。
 決算額は、3年連続して赤字だったものが1983年度に初めて黒字となり、それ以降単年度黒字を維持し、1999年度で3.9億円の黒字となっています。実質収支比率は0.6%の黒字で、衛星都市合計の0.3%よりも収支はよい状況です。実質収支比率は1983年よりプラスに転じ90年に最高の1.5%となりましたが、それ以降1%を切ることが多く低減傾向といえます。
 財政力指数は1998年度0.915で、衛星都市全体平均の0.902よりは高く、府下12位と比較的高位にあります。
 1980年度(0.73)から伸びつづけ、1990・199年度と「1」を超えますが、1992年度より「1」以下となり低下してきています。
 経常収支比率は、90年度に79.6%と最低となり、それ以降増加し、90%台の前半を上下し、1998年度93.9%です。衛星都市では1998年度14市が100%を超えるなど、単純平均で99.3%と極めて高いため、府下平均よりも「ましな」状況となっており、高い順から27番目となっています。それでも、一般に解説される「75%前後が理想」と比較すると、高槻も含め衛星都市全体が危機的に高い数値であることは確かです。
 公債費比率は1998年度で13.4%で、衛星都市合計の13.2%とほぼ同一水準です。
 地方債の発行額は1998年度で41.02億円です。1988年度までは微増だったのが、1989年度に倍近くに増え、1990年度は半減しますが、1991年度(70.23億円)より1994年度(140.77億円)まで急激に増え、それ以後減少に転じ、1998年度は1988年当時の水準まで下がっています。
 地方債現在高は774.54億円となっています。一人あたり215,750円で府下平均の293,957円よりも低くなっています。発行額が5年連続して100億円以上となった1996年が最高の827.90億円でしたが、1997年度以降減少しています。
 積立金現在高は、1998年度で235.32億円となっています。1989年度から1991年度までの3年間で203.67億円が積み立てられ、殆どが公共施設建設の目的基金で事業費として利用され、それ以降は200億円台を保っています。

第3節 高槻市財政の推移(1980年度〜1988年度)

@ 市税収入の変化とその背景

 市の財政運営は市民・事業者などが納める税金、国や大阪府からの交付金・補助金、使用料・手数料、財産収入、市債などの収入を元にしてなされています(図4参照)。 その中でも地方税収が歳入全体の48.2%(1980年度)〜65.5%(1987年度)を占める最も重要な収入源となっています。
 その地方税収は一貫して増大してきました。1980年度を100として1985年度152%、1993年度217%、1998年度216%と、10年間で倍増しその水準を保っています。会計規模の拡大(1980年度100として1985年度111%、1993年度190%、1998年度178%)を上回って収入を支えてきたといえます。
 地方税の内訳(図5参照)は、市民税(個人・法人)が45%(1998年度)〜58%(1990年度)、固定資産税が29%(1984年度)〜40%(1998年度)、残りが都市計画税や市たばこ消費税などです。
 先ず個人市民税は、1980年度(104.55億円)から1993年度(253.67億円)まで一貫して増大し2.4倍になっています(人口の伸びは6%)。1990年代不況の影響で1994年度以降は231億円から4億円の幅でジグザグに上下しています。国の特別減税の影響を直接受けて減収となっていることも見逃せません。1998年度(221.27億円)はピーク時比較で12.8%の減少となっています。市民一人当たりで計算すると1998年度で61,637円、府下32市中の10位で、比較的上位に位置しています。
 一方の法人市民税は景気の影響を受けやすく、1989年度(75.50億円)を最高に減少に転じて、1998年度には31.03億円とピーク時比較で58.8%も減少しており、1980年度(28.93億円)水準まで落ち込んでいます。市民一人当たり額では1998年度8,645円と府下18位で平均以下となっています。
 次に固定資産税は、右上がりに順調に伸びてきました。特に1991年度以降は税収に占める比重を高め、1991年度29.80%から1998年度39.64%へと、ほぼ10ポイント上昇しています(金額比では1991年度から1998年度まで1.37倍)。そして1998年度には初めて個人市民税の所得割を上回りました。府下の比較では、1998年度で市民一人当たり土地が18位、家屋20位で少し低位となっています。景気の影響が少ない固定資産税と個人市民税とが歳入総額のほぼ半分を占める(1998年度46%)財政は計画が立てやすい構造だといえます。
 続いて自治体間の財政調整の役割を果たす地方交付税の動きですが、高槻市は財政力指数が1998年度で0.915と比較的高位ではありますが、バブル期も含めて過去一度も不交付団体となったことはありません(1998年度における不交付団体は府下で7団体)。1990年度の3.31億円が最も小さく、その後増大して1998年度で57.48億円まで大きくなっています。

 以上を概括すると、1990年代後半になって法人市民税が激減する一方で個人市民税の伸びが期待できず、固定資産税が順調に伸びるものの、税収全体としては横ばいに推移する「成熟型」の税収構造に転換したといえます。

A経常的な経費の推移

 次に支出に目を転じ、目的別歳出(推移は図6参照)は、全体として民生費・消防費と公債費が右上がりで、教育費が右下がりの傾向を示しています。土木費・総務費・衛生費が乱高下しているのは「ハコもの」といわれる施設等の建設に伴って一時的に金額が膨らんだものです。従って金額に含まれる経常経費(市民サービス)と資本形成経費(将来の市民サービス)を区別して考察することが必要といえます。 
 観点を変えて「性質別歳出」(推移は図7参照)から見ていきます。
 市財政の使われ方は性質別に三つに分類して考えることができます。一つは給与の支払い・財貨の購入など消費的な経費(人件費・物件費)、二つ目は、何らかの資産を形成して複数年度にわたって利用できる施設建物等への支出である投資的経費(建設事業費・災害復旧費)、三つ目は市から個人、企業への現金支出(購買力の移転)である移転的経費(扶助費・補助費等・公債費)です。
 先ず、財政運営の弾力性を測る観点から使用されている義務的経費(条例等で支出が義務づけられている)の内容である人件費・扶助費・公債費に、消費的経費の物件費、移転的経費の補助費等を含めた経常的な経費についてその動きを見ていきます。いずれも経常収支比率の中身を構成する項目です。
 人件費ですが、金額では1980年度の137.94億円から1998年度の263.83億円へと推移しています。そのうち、1980年度から1993年度(264.86億円)までは一貫して上昇してきましたが1994年度(259.86億円)に前年比で総額が減少しているのが特徴です。同様に1997年度(270.19億円)・1998年度(263.83億円)と2年連続して総額が減少しています。構成比でみると減少の傾向がよりはっきりしていて、1985年度の45.2%から1997年度39.8%、1998年度39.0%とほぼ5ポイント低下しています。
 内容を検証するために普通会計職員数(一般職員+教育公務員)の変化を示すと、1980年度2,712名の職員数は1981年度の2,763名を最高にして、その後1993年度で2,601名、1994年度2,554名、1997年度2,418名、1998年度2,401名と減少しています。1998年度はピーク時と比較して362名も減少しています。このことは、1986年度から開始された高槻市行財政改革が定数削減・退職者不補充等によって職員数を減らすことに重点の一つが置かれた結果、大幅な職員減少となったことを物語っています。その結果、市民一人あたりの人件費は1998年度で73,490円となっており、府下32市中の28位まで下がっています。
 扶助費は、マイナスとなったのは2年度(1983年度・1990年度)だけで、1980年度の50.34億円から1998年度の110.16億円へと一貫して増加してきました。但しその増加率は予算規模の拡大よりも緩やかであった結果、構成比では1985年度(4.2%)から1992年度(2.8%)と低下しました。1998年度で4.8%となっています。市民一人当たりでは1998年度30,687円で府下28位とこれも低位です。
 公債費は、1983年度(116.17億円)と1994年度(114.99億円)にピークを示し、1998年度で107.74億円と100億円を突破しています。市民一人当たりの額としては30,013円で16位であり府下平均の数値となっています。
 次に、消費的経費である物件費の推移を見ると、1980年度には50.26億円であったものが1992年度以降急激に増加し始め、1992年度(105.93億円)に100億円を突破、1998年度には140.68億円に達しています。その内容としては委託費の増加が目立ち、文化振興事業団、社会福祉事業団、公営施設管理公社、緑化森林公社などの公社・事業団が相次いで設立され行政事務を委託し、委託費を支払うという図式がこの数値の増加となって表れているものと思われます。
 繰出金は1980年度(19.93億円)から1984年度・1990年度の2年度を除いて増加してきています。1998年度で79.11億円です。主な繰り出し先は、国保会計へ 20.35億円、下水道会計へ44.69億円、老保会計へ13.20億円などとなっています。市管掌保険は赤字基調となっており、2000年4月より介護保険が加わって繰出金の増加が心配されるところです。
 積立金は、ため込みと批判があった1989年度(51億円)1990年度(65.39億円)1991年度(87.28億円)と3年間で203.67億円が新たに積み立てられました。そのほとんど文化ホール・総合センター・交流センターなどの目的基金で事業費の一部として使用されました。その結果、積立金現在高は1990年度(248.17億円)以降ほぼ200億円が確保され、1998年度で235.32億円になっています。そのうち、財政調整基金は1991年度が32.33億円で、1995年度(53.20億円)以降は50億円が確保されています(1998年度60.68億円)。
 以上、経常的経費の推移から見える高槻市の財政運営の特徴を概括すると、医療・福祉・保健などの分野における行政需要の増大に対応するために、扶助費と公債費の増加という基調の中で、行政サービスに係る人員の削減によって人件費を縮減し、その行政サービス分の行政需要を、物件費、補助費等、繰出金などによって対処・解決していくという運営形態が浮かんできます。これが「成熟」型の行政需要に応える財政支出構造の高槻的特徴ということができます。

B普通建設事業の推移

 今度は、投資的経費といわれる普通建設事業は推移を見ます。他市の例に漏れず、高槻市においてもバブル期とその後の景気刺激策期において大型公共事業がすすめられ、普通建設事業費が突出して大きな比重を占める時期があります。
 1984年度(84.10億円)から増加し始めた普通建設事業費は1992年度に316.59億円、1993年度に307.42億円と、4倍弱まで膨らみました。その後1997年度・1998年度は125.03億円・123.44億円のべ−スになっています。
 10年間(1989年度〜1998年度)に建設された主な施設(事業費内訳は表1参照)は、文化ホール42.72億円、総合センター120.22億円、市民交流センター107.69億円、グリーンピア前島27.87億円、芥川緑地プール36.57億円、萩谷総合公園120.86億円などで、庁舎・プール・市民施設などの建設が行われました。
 以上6施設の合計事業費は455.97億円の巨額となります。内訳は用地費に104.12億円、整備費に35l.85億円となっています。その資金調達をみると国府支出金は14.16億円(全体の3.1%)と極端に少なく、ほとんど市単独事業です。積立基金から106.35億円(23.3%)、一般財源から84.02億円(18.4%)支払われていて、残りの25l.44億円(55.1%)は市債によって賄われています。この起債による単独事業の増大がその後の返済費用である公債費の増大をもたらしていることは明らかです。

第4節 1998年度決算の到達点(財政危機の高槻的「解決」)

 さて、最新の決算である1998年度決算をどうみるか、という問題です。
ここまで19980年度から1998年度までの19年間の高槻市財政の推移を見てきましたが、その内容から大きく3つの画期にわけることができます。
 第一の画期は1985年です。江村市政2年目で、前の西島市政が懸命に努力してきた市財政危機の克服が基本的に達成されて、新たな行政課題に向かって財政基盤が立ち直った時期です。
 第二の画期は1993年です。バブルとその後遺症によって高槻市の財政規模が最も膨張する一方で財政危機の兆候が現れ、対処が必要となった時期です。
 そして第三の画期はこれから触れようとする1998年です。財政危機に対応するための緊縮財政の時期を一応終えて、財政硬直の不安を残しながらも、1999年には市長の交代があり、21世紀へ向けて新総合計画の策定など、新たな取り組みが始まった時期と評価しています。
 高槻市は、第二の画期である最も財政規模が膨らんだ93年11月5日、「財政非常事態宣言」を行っています。これは、翌年度の予算作成を前に行財政運営全般にわたって指針を述べたもので、@事務事業の見直しA歳入の確保・歳出の抑制B行財政改革の徹底、の3点を主な内容としています。宣言は、「長期化している景気の低迷により、平成6年度の交付税や補助金の減額が確実視され、市税についても極めて厳しい状況にあることなどから、歳入全体が前年を下回る見通しとなっており、本市を取り巻く財政環境は非常に厳しく、このままでは赤字再建団体にもなりかねない事態に至っている」との認識で、全体として新規事業ストップ、経費削減を呼びかけています。
 この「赤字再建団体」回避の取り組みの中核なしたのが「行財政改革」です。
 高槻市では、地方行革大綱が出された翌年1986年に第一次行革が開始され、以降4年〜5年を目標とする4回の行革が実施されました。現在、第五次行革が策定中です。特に、1995年の行財政懇話会の設置とその「答申」を受けて策定された「第四次行財政改革」(1996年度〜1999年度)は規模と内容において最大のものとなりました。
 高槻市の資料(「第4次行財政改革の達成状況」)では、この4年の間に合計72件の項目について見直し検討を行った結果、歳出削減効果は100.34億円、使用料・手数料等の見直しなどの歳入効果51.50億円、合計すると4年間で151.84億円の効果を上げたと「成果」を報告しています。
 歳出削減効果の内容を見ると、職員削減・給与見直し、非常勤職員削減、手当等廃止、職員の非常勤化など人件費に係る削減額は、交通部・水道部を入れて80.37億円、敬老金の廃止など施策の変更によって15.05億円、事業の公社・事業団等への委託化によって4.92億円となっています。歳入は使用料・手数料等の見直し48.77億円、財産処分2.70億円となっています。市民へのサービス削減・負担増で64億円、内部人件費で80億円、仕事のやり方で5億円、財産処分で3億円というのが行革4年間の「総括」です(前節Aの職員数の激減・人件費の減少はその一端を表しています)。なお、職員に対して1993年12月に勤務評定制度を実施し、1997年12月に全国に先駆けて勤務評定の結果により一時金額に差を付ける制度を強行していることを付け加えておきます。
 こうした財政危機への対応=高槻市的「解決」が奏効して、高槻市の場合は他市に見られるような財政危機の典型的な現れ(実質単年度収支の赤字・実質収支の赤字・公債費負担比率の悪化・経常収支比率の100以上という極端な悪化・借入金現在高の極端な膨張など)が目立って顕在化することなく、1996年度と1997年度の2年間にわたる緊縮財政の編成という中に吸収されて、大きな爆発を見ることなく、大阪府下の中では、まだ「ましな」財政状況にあると見ることができます。
 それでは再生への起点ともいうべき1998年度決算の特徴は何でしょうか。その把握のため、1985年度と1998年度の比較をします。1985年度と1998年度の目的別歳出の構成比(表2参照)を比較して目立つのは、民生費・衛生費・商工費が増加し、教育費・公債費・総務費が減少し、土木費が横ばいであるという内容です。教育費の減少は小・中学校生の減少による教育投資の減少を示し、民生費の増加は90年代不況と市民の高齢化による福祉・医療需要の増大を示しているということができます。
 一方、性質別歳出の構成比(表3参照)を見ると、1985年度と1998年度では、積立金、補助費等、繰出金、扶助費が大きく、人件費、公債費、物件費、投資的経費が小さくなっています。人件費が小さくなり、補助費等・繰出金が大きくなっているのが特徴で、人員削減と行政のアウトソーイングを示していると思われます。
以上の内容から1998年度決算は、不安定要素を残しながらも危機的財政状況を一応は脱したという基本認識のもとに、人件費の削減と物件費・補助費等・繰出金へのシフトを行いながら、教育費・公債費・農林費を抑え、民生費・総務費・商工費を増大させて、土木費は高位に確保するという財政運営がなされているといえます。
 比較の対象を変えて、財政規模が過去最高だった1993年度とその額を突破して最も大きな決算となった1999年度との比較からわかることを述べます。財政規模がほぼ同じであっても市民生活の変化を反映して財政支出は大きく変化してきていることがわかります。
 その内容を端的に示しているのが、投資的経費の率の-17.6ポイントであり、それがどの支出項目に配分されているかという見方です。「義務的経費(人件費・扶助費・公債費)を減らして投資的経費の確保を」というスローガンのもとに、結局のところ人件費への集中的な縮減措置が取られた結果、人件費は横ばい傾向(+0.4)となっており、増加していません。
 配分の大きい順から扶助費(+5.1)積立金(+3.3)繰出金(+2.5)物件費(+2.2)公債費(+2.0)です。つまり、バブル期頂点の収入があって人件費を横ばいに保ったとしても、義務的経費のうちの扶助費・公債費と、物件費・積立金・繰出金などの支出増に対応することが必要で、投資的経費は1993年の半分以下に抑える必要があるということを示しています。都市構造の変化が財政支出構造の変化を要請しているのです。
 補足ながら、ここまで行財政改革というときの「財政」に焦点を当てて考察してきましたが、もう一方の側面である「行政」面では、ニュー・パブリック・マネジメント(新公共管理論)の影響を色濃く反映した新しい行政手法が検討・導入されようとしていることを強調しておきます。
 「平成12年度施政方針大綱」では、@行政評価システムの導入ANPO活動の促進BPFI手法の検討C企業会計的手法の導入、などが語られています。特に行政評価システムは当世流行の感がありますが、一般市ではいち早く導入を表明して、民間シンクタンクの指導のもと「評価表」が試行されており、今後の行政運営に大きな影響を与えることは必死の状況です。行政評価システムの導入が高槻市に何をもたらすのか、批判的検討が是非とも必要となっています。

第5節  住み続けられる町へ

 地方自治法の改正により、2000年4月より高槻市は「中核市」としての要件を満たすこととなり、現在移行に向けての準備を進めています。
 今後の高槻市を考える上で、「中核市」としての高槻を考えなければなりません。これまで昼夜間入口比率で中核市の要件を満たしていなかった(100%以上)ものが、その要件が緩和(削除)されたもので、高槻市の昼間人口が少ないという条件が変わったわけではありません。
 本来「中核市」は、その地方において中心的な役割を果たしている都市を対象とするもので、現在の高槻市が北摂地域においてそうした役割を果たしているか、また将来の都市像としてそういった将来像を描き得るか、疑問です。
 中核市によって、結局は@権限のみ移譲され財政措置はないA業務量が増えるB責任が増えるC結果として市の負担が増える、ということにならないか。未だ結論を出すには多くの検討課題が残されています。
 現在の高槻市は、破綻するといったような財政が極めて厳しい状況にはありません。大阪府下の他市に比べるとまだ「ましな」財政状況です。この「ましな」状況は、全国的な財政危機の状況の中、苦労して解決策を模索した市がある中で、もっとも安易に行革による人件費の削減とサービス低下で、「財政の健全化」を図ったものです。国・府が次々と行政水準を削ってくる中で、それでも何とか少しでも悪影響をく止めようという姿勢をもたず、独自施策をバッサリと削るなど、市民に行政サービスの低下・負担増をもたらしています。
 したがって、全国的な地方財政危機の条件のもと、いままで説明したような高齢化(成熟社会)の市民要求の高まりから財政危機の条件は潜在しています。
 高槻市は今大きな分岐点に立っているといえます。府下ではまだ「ましな」財政状況のもとで、中核市に向けて国の指導基準に沿って行政水準を平準化していく『国並み都市』に変貌させるのか、それとも行財政運営の重点を市民の生活と福祉にシフトさせた行財政運営に転換するのか、の分岐点です。それは、成熱型都市に変化しつつある条件にあわせ、町のスタイルを「生活圏で暮らしていくことが可能なまちへ」変えていくことにあります。
 そのためには、中核市の問題と高槻市の行・財政について、住民と職員への徹底した情報公開を行い、住民と職員の知恵と工夫、熱意を結集することです。
 そうして、人口増・税収増、中核市移行を前提とした「成長型」財政運営から脱却し、必要な財政の民主的再生に向けて努力していくことです。
 その上で、下記の点を進めていくことが重要です。
    @ 「中核市」については、時間をかけて市民参加で検討する
      A 生活圏を単位としたハード・ソフトの充実を基本とする
       B 投資的経費を精査して公共サービス充実の財源を確保する
    C 職員の自覚的研修をすすめ民主的・効率的行政へ努力する
    D  公共事業についての市民参加型の評価システムを確立する
         E  総合的・計画的財政運営に努め、情報を公開する。
         F 中長期的財政収支計画を試算する。
         G 税財政制度の改革を国・府に向けて働きかける

 

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