45 2005.11.25〜27 配偶者と北海道旅行に行きました。
温泉の湯治も兼ねて、2泊3日の北海道旅行に行ってきました。
日程
伊丹空港ー新千歳空港ー小樽ー登別温泉(泊)ー函館ー
湯の川温泉(泊)−函館ー新千歳空港ー関西空港
小樽の運河・北一ガラス館・登別温泉・湯の川温泉・函館の元町
と金守倉庫などを見学しました。今回は、できるだけ歩くことを心が
けて、歩数を増やすようにしました。
登別温泉の温泉はやっぱり濃くて、いいと思いました。
のんびりした旅行でした。
44 2005.11.23 甥(配偶者の兄の次男)が第2作目となる『向日葵の咲かない夏』を刊行しました。
待望の受賞第一作となる本が刊行されました。『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞したのが、昨年。そのあとに発表される初めてのミステリーです。
さっそく購入してきました。内容は読んでからのお楽しみです。
作品紹介
『向日葵の咲かない夏』(道尾秀介作 新潮社判 平成17年11月20日発行 268頁 1600円+税)
43 2005.11.18 長女が転勤となり、春日井市へ引越ししました。
娘が勤めている会社の方針で、親会社の方に転籍となる異動があって、転勤となりました。今まで一人暮らししていた南草津から春日井市へ転勤です。
住む所は、会社の寮扱いで、会社が探してくれたとのこと。春日井駅から徒歩でいけるところでした。引越し自体は会社から「アート引越しセンター」の紹介があって、済ますことができましたが、こまごまとしたものを自分の車で運んで、引越し先で整理が待っています。
娘の車で春日井へ向かって、午後1時に新住居に入って荷物を入れました。ワンルームマンションで、いかにも狭い感じがしますが、住めば都となるように、整理整頓が大事です。これは娘のペースで自分が描いているプラン通りにセッティングする必要がありますので、娘に任せました。会社から送られてきたベットを組み立てる作業やテレビ台の組み立て作業などを手伝いました。
そのあと、配偶者が湯治から帰ってきて春日井に到着しましたので、娘の頼まれ物の買物に行きました。
近くで、夕食を食べて、配偶者が乗ってきた車に乗って帰途に着きました。
春日井での新生活、新しい会社の部署に早く慣れて、気持ち新たに仕事できるようになることが第一です。
42 2005.11.12 姪(姉の長女)の結婚式が名古屋であり、夫婦で出席しました
名古屋の港区に住む姉の長女の結婚式があり、夫婦で出席しました。
場所は「アルカンシェル名古屋」という名の結婚式場でした。
先に名古屋・港区の自宅に寄って昼ごはんをご馳走になりました。そのあと、車で会場へ移動。
一時半に到着すると、先ず、親族の控え室に通されて、一服。記帳が始まって受付にいくと、ビデオ撮影があったり写真があって一言書いたり、写真が展示されていたり、なかなか凝った嗜好でした。
先ず、チャペルで結婚式。賛美歌が合唱される中で神父さんの声が響いていました。
花吹雪はちょっと風が強い中でしたが、快晴の空に映えて非常に華やかでした。
そこから集合写真会場へ進んで全員の記念撮影をしました。
「ウエルカムパーティ」が場が設けられていて、飲み物と食べ物を自由に取って記念撮影するガーディンパーティの様相でした。
そして、披露宴会場へ。大きな会場に80名ほどの招待客となって豪華な雰囲気でした。料理をご馳走になりながら、挨拶や紹介や余興などが繰り広げられて、新郎新婦の人となりが大分わかってきました。
途中でガーディンへの移動もあったりして、たっぷり時間をかけた披露宴でした。
最後には、本日の出席者の名前をテロップで流しながら、全体を紹介するビデオ上映がなされて、お開きとなりました。4時間かけた結婚式・披露宴でした。
この「アルカンシェル」は人気があって、およそ一年先まで予約で一杯だとのことです。広い会場とガーディンを持っていて、ゆったりとしていて豪華でした。
41 2005.11.6 奥びわこ観音めぐりと須賀谷温泉へ行きました
紅葉にはちょっと早いのですが、思い立って奥びわこ観音めぐりに行きました。配偶者とその母親の3人旅です。今日は朝から雨の天気予報どおりの天気でしたが、決行しました。
朝7時半に出発。名神で米原ー木之本と1時間半で走りました。先ずは木之本地蔵さんへお参り。目の仏さんだとありました。身代わり地蔵ということで身代わり蛙が沢山供えてありました。お地蔵さんは外にあります。良い顔をしています。
次に、国道365号線を南下すること4qで、渡岸寺(どうがんじ)へ。国宝の十一面観音があるお寺です。未だ、時間が早かったのか、お客さんは少しでした。全国に7体の十一面観音が国宝に指定されているが、滋賀県ではここのみです。優しい顔をしている観音さんです。地元の世話役の人がわざわざ本堂で解説してくださいました。
雨が強くなってきたので、歩いていける浄光寺の観音堂と大円寺の観音堂とをお参りしました。観音めぐりは本当はここから徒歩でいろいろ回るつもりでしたが、雨なので省略となりました。
そして、南下すること7キロくらいで、小谷城跡と須賀谷温泉に着きました。今日は、温泉に浸かって美味しいものを食べる旅に少し変更しました。
ここ、須賀谷温泉は、宿は一軒宿ですが、隣に日帰り用の大きな温泉館ができて、800円で日帰り温泉を味わうことができます。
泉源は温度が低いため沸かしていますが、そのあと循環はしていないとのこと。その意味ではかけ流しです。
少し赤く色のついたお湯で、露天風呂でゆっくりすると、非常にのんびりして、旅であることを忘れます。
レストランもあって、そこでゆっくり食事することができました。
ここから、琵琶湖岸を長浜ー彦根ー近江八幡ー守山ー大津と湖周道路を帰っていました。雨の一日でしたが、のんびりできた一日でした。
40 2005.10.23 長男の誕生会で外食しました
10月15日が長男の23歳の誕生日でした。1週間あとになりましたが、誕生会ということで、外食に出かけました。今日の行き先は瀬田・一里山の「南フランス田舎料理&ベーカリー
「GASTRONOME(ガストロノーム)」というお店。7時前の到着でしたから、未だ、お店は空いていました。帰りに買うはずのベーカリーは残念ながら、売り切れでした。
頼んだ料理は、長男とおばあちゃんの二人がパスタで、私がお肉で配偶者が魚(長女は仕事で出勤のため欠席でした。残念)。
前菜が出て、主菜があって、飲み物があってデザートのコース。パンは自由に食べられます。お酒類は、各人が自由に頼みました。生ビールとグラスワインとカクテルと。
フランス料理なので、ペースはゆっくり。いろいろ話しながらの食事となります。
それでも、デザートを食べる頃には、さすがにお腹が一杯になりました。
誕生日プレゼントは、アイポッドナノがいい、という話が出て、いつか購入に行かねばなりません。高くつきそうですが、仕方がないか。
ちょっとだけ、贅沢な食事でした。
39 2005.10.10 配偶者と一緒に哲学の道を散策しました。
せっかくの「体育の日」。身体にいいことしようと、配偶者とともにウオーキングに出かけました。
場所は、京都・南禅寺から銀閣寺までを疎水べりに「哲学の道」を往復するコース。
家を9時10分に出て、名神高速を京都東で降りて3条通りを蹴上経由で岡崎公園へ。道が空いていて、9時50分には岡崎公園駐車場に車を止めることができました。
そこから、先ず南禅寺へ。これからは紅葉の季節になって満員でしょうが、今日はそうでもありませんでした。
北へ折れて、疎水に出ると、そこからが「哲学の道」。西田幾多郎などの哲学者が思索しながら歩いた所からの命名とか。疎水の堤防に沿って、石畳が敷いてあります。凸凹して歩きにくいのですが、それが良い。途中に法然院があります。そして、銀閣寺へ。観光バスが来ていて人が一杯でした。500円の拝観料を支払って中へ。苔が一杯に生えた高台への道をゆっくり散策しました。
ここから折り返して、元の道を帰りました。駐車場まで行くと入るために待機の車で一杯。1時間のズレで大きな違いです。丁度、お昼に岡崎を出発。これまでの計測で、万歩計は1万2千を指していました。よく歩いた方か。
昼食は、大津まで帰って、逢坂山の峠にある大谷の「かねよ」に寄って、1860円の鰻丼(上)を奮発しました。ここは新鮮な鰻で有名なおお店。あったかいご飯でお腹一杯になりました。
以上が、体育の日のすごし方でした。
38 2005.9.24 配偶者の
お父さんの百日法要とお骨納めが行われました。
親父さんが亡くなって、百日の法要がありました。
この辺では、お世話になっているお寺(2つ)の両方で先ずお経を上げてもらい、その後、坊さんに家にきてもらってもう一度皆で拝みました。 そのあと、皆で、お墓に移動して、納骨を行うという段取りでした。
家に関する相続関係も殆ど手続きが終わったということで、一区切りということです。

37 2005.9.16〜17 配偶者の湯治目的で十津川温泉へ出かけました
(写真は、谷瀬のつり橋、高野山奥の院、世界遺産熊野古道・小辺路の果無峠への道)

十津川温泉がいい、ということで湯治目的で、車で出かけました。幸い、長女が遅い夏休み期間中でしたので、一緒に出かけました。
朝9時前に出発、京滋バイバスから城陽・奈良・五條を通って、国道168号線に乗るルートにしました。家を出て4時間で、谷瀬のつり橋に到着。ここで、つり橋を眺めながら昼食。高さが高くて長いので日本一とのこと。早速渡りました。配偶者が最初は怖がっていましたが、何とか往復できました。
そこから車で一時間で十津川温泉に到着。ここは、どの旅館も源泉かけ流しを宣言しています。湯量が豊富で、温度も高いために可能であるとのこと。今日の宿泊は「ホテル昴」。村営でプールや野外広場や野猿があります。十津川温泉自体は道と川に挟まれて狭い所に並んでいますが、ここは、広い敷地にゆったりと出来ている感じがしました。
時間があったので、高野山から本宮まで続く熊野古道小辺路(こへじ)のうち、十津川温泉から五色までの果無山(はてなしやま)ルートの一部を歩きました。山肌に急峻な石畳が続いています。勾配がきつくて息が切れます。途中に小集落がありました。そこまでで引き返しましたが、汗びっしょりになりました。
十津川温泉ホテル昴は、部屋は大きくありませんが、温泉が源泉かけ流しであることと、食事が作りたてて、美味しいことで十分に及第点でした。歩いた疲れからか、ビールを飲んだら、よく回って、部屋に帰ると、そのまま寝てしまいました。
翌日は、ホテルをゆっくり目の午前9時40分頃に出発。今日の予定は、竜神温泉から高野山に回ること。 その際、国道の400番台の道を奈良から和歌山へ抜けるコースを選びました。距離はおよそ50km。しかし対抗できる場所は限られ、時速20kmが精一杯の山道でした。ホトホト疲れた運転(ここは長女に任せましたが)でした。
竜神温泉からは竜神スカイラインが無料化されていて2車線あってホッとしました。
結局、高野山に到着したのは1時過ぎでした。これから、昼食を取って、先ず、奥の院を歩くコース選びました。片道2kmはあって、往復1時間コースでした。
土曜日ということもあって、沢山の人出でした。
そこから、橋本市へ降りて、24号線を帰るつもりがカーナビの案内で、国道317号線を選択。河内長野市へ入ってしまいましたので、そこから、阪和道の美原ICへ抜けて高速に乗るルートにしましたが、夕方で道路が非常に混雑していて、イライラしました。
高野山を3時に出て、家に帰ったのは午後7時。4時間ん、長女が運転しっぱなしでしたので、お尻が痛いといっていました。
山の中を車で走るドライブ旅行でした。
36 2005.9.10 姪が新しい家に引越しして、新築お祝い会がありました。
大津市松が丘5丁目に引越しした石塚夫婦。新築の家を購入して引越ししたのですが、今日は、そのお披露目兼祝う会がありました。我が家からは、配偶者と私と二人が参加しました。
お祝いとして、パッチワークのクッション一組と金一封と缶ビール一ケースを持参しました。
3時からの予定がいろいろあって4時からスタート。写真のとおり、家の西側は木調の大きなテラスがあって、11名がゆっくり座れるスペースがあります。
その場所に、テーブルを伸ばして、料理を並べて、皆で乾杯。途中、雷が鳴って、家の中に避難するまで、テラスは風が通って、快適な場所でした(写真右側の奥二人が主役の石塚夫婦です)。
付近の開発は60坪の区画が続いているのですが、次々と販売されているわけではないようで、回りはまだまだ空き地が続いています。
姪は30歳にならずして新しい家を購入するという勇気ある行動で、今日の日を迎えました。これから、ローンの返済など、大変なことも多いでしょうが、いい家を守るためにも、頑張ってほしいものです。
35 2005.9.4 編集長の誕生日を「寺田屋」で祝いました。
今日、9月4日は編集長の誕生日ということで、外食の夕食となりました。
場所は「寺田屋」。地鶏料理の店です。
今日は、長女が都合が悪いということで、義母に声をかけて4人で行きました。
串や銀杏やもちや鍋などを適当に頼んで突いて食べる方式。ソフトボールの試合のあとということもあり、ビールがよく進みました。
恒例の誕生日プレゼントは、長男から「スポーツバンドとアンダーシャツ」妻からは「ゴルフ用レインウエア」長女からは「長袖シャツ」のプレゼントがありました。

34 2005.8.27 姪(配偶者の妹の次女)の新居への引越しを手伝いました。
配偶者の妹の次女・千香ちゃんが新居を購入しました。今日は新居への引越しの日で、皆で手伝いに行きました。
場所は、大津市松が丘5丁目地区。飛島開発のグリーンヒルの一角で、最近、売り出した地区です。新居は写真のとおり、随分と立派なもの。土地は丁度60坪の広さ。ゆっくり家が建っています。
総二階で、3.5間×4.5間×2=37.5坪に、一・ニ階ともにウッドデッキが付いています。中は、純和風の木目が目立つ造りで、吹き抜けの階段があります。外構とカーテンは販売価格に入っているということです。
朝、8時に、神主さんに来てもらって御払い。モデルルームだったため、地鎮祭や棟上式に同席し ていないので、自分たちのために行ったものです。
その後は、アパートの仮住まいからの荷物の引越し。軽トラック3台で、一度に運搬できました。
引越しが一応終わると、家の中で昼ごはん。応援に来た4家族と本人たち総勢10人で、賑やかな食事でした。
33 2005.7.22 義理の叔父さん(配偶者の妹の夫の父親)の葬儀があり、出席しました。
擁護老人ホームで静養されていた義理の叔父さん(配偶者の妹の夫の父親)が亡くなられて葬式に出席しました。
場所は、徳島県阿南市の晴峰会館。配偶者の母親と夫婦の合計3人で午前5時半に家を出発しました。
名神から中国道経由で神戸ー垂井と抜けて瀬戸大橋を渡り、淡路島内を高速で徳島まで走って、後は国道11号線と55号線を走るコースです。最近はカーナビがあって、電話番号をセットすると、コース案内をしてくれるという便利な機能があって、運転は非常に楽になっています。
徳島・阿南市には10時半ころに到着。途中で、同じく大津から参加した石塚夫婦と合流しました。一度会場を確認して、早い昼食に行きました。
午後0時半からの会葬に参加して、故人の冥福を祈りました。親族を代表して森田晴美さん(配偶者の妹の夫)がお礼のあいさつをしました。
昨年の丁度今頃に、蒲生田岬へ遊びに来ていたことを思うと、一年で事情が変ってしまう。早いものです。
32 2005.6.25 配偶者のお父さんが亡くなり、葬式がありました。
今年の1月30日の朝「気分が悪い」と言って診療所にたどり着いて意識を失った義父は「心肺停止状態」が続いて意識が戻らず、そのまま滋賀医科大学付属病院に入院していましたが(少し前に転院)、6月20日(月)の朝11時に亡くなりました。大正12年生まれの満82歳の生涯でした。
連絡を受けてすぐに帰宅。通夜と葬儀は自宅で行うことが決まって、先ずは自宅の後片付けから手をつけることになりました。玄関や座敷・居間などは祭壇と弔問客のためのスペースとなって物を置くことはできません。別の棟に運び込みました。家の周りの掃除も行いました。
通夜が21日(火)、葬儀が22日(水)午後1時半からと決まりました。
通夜は大津市関係者とつくし保育園の関係者等の参加者が多く、雨が降らなくて幸いでした。お礼の挨拶は長女のほうから、ということで、私がしました。斎場などでの葬式が多い中、自宅で行ったのは本人の意思であったことを述べました。
葬式当日は、地元の自治会が管理する土地とお寺が所有する土地を一時使用させてもらい駐車場としました。私は、お坊さんを案内する役で、お寺まで迎えに行きました。鐘を突いて出発。7人のお坊さんが葬式に参列していただきました。
代表あいさつは長男が行いました。
市営の斎場は富士見にあって、車で移動。1時間半ほどでお骨を拾いました。
多田家からとして、夕食に招待されました。石山にある「近江別館」で会席料理を相伴になりました。葬式を手伝ってもらった近所の人やお坊さん、それに親族が集まって話に花が咲きました。
翌日は後片付け。家具を元に直して、サッシをはめて。
25日(土)は初七日の法要がありました。坊さんにきていただき、坊さんについて皆でお経を上げました。団子が出ました。
31 2005.5.4 配偶者と田上山ハイキングに出かけました。
快晴となった4日。かねてからの計画通り、配偶者とふたりで田上山へハイキングに出かけました。
家を8時過ぎに出発。食事はしないつもりで飲み物とチマキをリュックに入れました。
歩いていくのが今回の計画のみそ。家から歩いて出発して歩いて帰ってくるハイキングです。
湖南アルプス登山口である枝の教育キャンプ場まで、家から歩いて50分ほどかかりました。田んぼの中の道を歩きましたが、早いもので、すでに田植えが始まっていました。
ここからは登り道。堰堤のところから直接堂山へ上る道を探しましたが、見つからずに退却。迎え不動まで天神川に沿って上っていきました。途中、京都ナンバーの車が沢山上ってきました。沢で楽しもうという家族連ればかりです。
迎え不動は思い思いのグループで一杯でした。そこから鎧ダムへ上っていきました。この坂がきつい。ゆっくり上りました。新しい堰堤が出来ていて、新オランダ堰堤と名乗っていました。これはちょっと出過ぎた名称。桐生にあるオランダ堰堤は砂防の地として有名ですよ。
鎧ダムから堂山へ抜ける道を選択して進みました。つつじはほぼ咲き終わっていました。残念。堂山の頂上付近は殆ど木のない禿山で、遠く琵琶湖が良く見えます。大津プリンスホテルや矢橋の人工島などがカスミにかすんで見えました。
ここから、迎え不動まで戻るのではなく、新免へ降りていく道を選択しました。急な道を降りていくのは大変です。表面が風化していて良く滑る。配偶者は途中で転んでズボンを破りかすり傷を負うハプニングもありました。
新免町まで降りていって丁度12時でした。森田さん宅によって傷薬を調達。生ビール一杯のおまけもついて、お礼を言って、大戸川沿いに我が家に向かいました。
これだけのコースで万歩計がおよそ2万歩。時間が4時間半くらい。いい運動になりました。
30 2005.4.17 長女が誕生日を迎えたので、今年は外食でお祝いしました
毎年している誕生会。今年は長女の希望で外食に出かけました。その前に、誕生日プレゼントを買いに、「ニトリ」へ一緒に出かけました。購入したのは夏用のマット、2畳敷きで、涼しい感じがするもの私からのプレゼントになりました。ちょっと廉価だったので、コタツも兼ねたテーブルが10月頃に出たら、それも一緒に購入する約束になりました。長男からはCDのプレゼント。母からはこの夕食会がプレゼントです。
6時半予約で大津プリンスホテル内の中華料理店「李芳」へ移動。外食は久しぶりです。ゆったりとした場所で、4品選択とスープ・チャーハン・デザートもあって、お腹一杯になるコースでした。1時間半かけてゆっくり食べました。
一人暮らしを始めて2年強になります。マイペースとはいえ、仕事は相変わらず忙しそう。仮に結婚して子どものために一年間職場を抜けると復帰しても元の仕事が出来るか不安になる、というくらいに変っていくSEの仕事というのは確かに大変です。
元気でやっていてくれることが一番です。
29 2005.4.16 余り桜がきれいなので、彦根城へ桜見物に出かけました。
今年の桜は全国一斉に咲く始めたようで、この週末も天候に恵まれて快晴の下、大変きれいに咲きそろっていました。そこで、桜前線では、今は彦根付近が満開という情報を得て、用事を済ませた11時半から、彦根をめざして出発しました。
家から瀬田の唐橋まで出て、そこから湖周道路を走りました。途中にある無料駐車場には沢山の車が止まっていて琵琶湖を背景に思い思いの遊びをしていました。近江八幡近くの所に桜並木があって、そこも満開でした。
彦根には1時間ちょっとで到着。多分一杯だろうということで大学のキャンバス方面から金亀町へ回ると臨時駐車場があってラッキーでした。先ずは、街にでて食堂で腹ごしらえ。彦根市民病院前でユニークな食堂でした。
お城の周りの桜はこれが満開という咲き方で咲いていました。すごいのは、桜の木が太くてこぼれるようにたわわに花が付いていること。それは立派で、みごたえがありました。
内堀の周りをほぼ一周回って、彦根博物館に入場して「彦根屏風」を見学しました。なかなかのものでした。そのあと、お城に登りました。お城では、天守閣に入るのに列が出来ていました。それはパスして見晴台から彦根市内を眺めましたが、対角に佐和山があって頂上に桜があります(石田光成の居城は佐和山城でした)。琵琶湖はどこまでも広がっていて、竹生島もはるかには見えます。
同じように湖周道路を使って帰途に着きました。帰りは良く混んでいて1時間半くらいかかりました。楽しい桜見物でした。
28 2005.1.2 新年恒例の多田一家の新年会が開かれました。
毎年
多田一家が総集合する「新年会」が今年は1月2日に開かれました。
今年は、多田夫婦、長男、長女一家(松村4名)、次女一家(森田3名)、三女一家(西田4名)、孫夫婦(林田2名・石塚2名)で、合計18名が参加しました。
お店の2階に20畳の部屋があってそこが会場です。毎年美味しい料理が並びます。
今年は、しゃぶしゃぶ鍋、マツタケ鍋、刺身、鮒寿司、サラダ、握り寿司、さば寿司、ゆでガニ、角煮、等々。今年は、ビール以外に地酒と焼酎の美味しい銘柄が並びました。
午後5時に乾杯してスタート。最初に記念撮影して、あとは思い思いに料理に舌鼓を打ちました。
長男の次男の多田秀介さん(埼玉県上尾市在住)が「ホラーサスペンス大賞・特別賞」を受賞して、この1月20日頃に単行本が発行されるので、みんなで購入してサインをもらおう、という話題で持ちきりでした。本のタイトル『背の眼』(幻冬舎)です。
それから、今年は多田照子さんが喜寿を迎えるので、みんなでお祝いしようということが決まりました。
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