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昭和のこども 遊びとくらし(体験的 育ち)  トップへ戻る

はじめに

 最近読んだ本の中に『昭和の子ども 田舎のくらし』(平凡社新書 新田鉦三著 700円 2001年4月18日発行)という本があります。岐阜県の恵那地方で41年間教職にあった著者(1920年生)が、昭和の初めのころ、恵那地方での子どもとしての体験を「ありのままに、詳しく」綴っています。その30年間あとが私の生活だったわけですが、生まれた地方が同じであることも影響してか、生活体験に共通する部分が非常に多くて、大変感銘を受けました。特に、生活に根ざした日々の営みが子どもたちを生活体験的に成長させてきたという思いを強くしました。
そして、私の子どもの頃の体験を「ありのままに、詳しく」記録しておくことは、学びのバックグラウンド、成長の足跡として、意義あることだと考えるようになりました。

 そこで、今後、いろいろとテーマを設定しながら、私が過ごした子ども時代、年代で言えば昭和30年頃から昭和36年の小学校卒業までくらいの範囲で、思いつくままに、記憶をたどって見たいと思います。全体として整理されたものにするには、出来上がったものを編集することによってのみ可能だと思いますが、このページでは、先ず綴ることから始めたいと思います。その分、散文的になりますが、よろしくおつき合いをお願いします。

 

目次  

1.遊び   堤の水泳 パンパン 石蹴り 縄跳び 陣取り 団栗ころがし 雪そり 竹スキー 木登り 刀つくり 紙鉄砲 水鉄砲 杉の実鉄砲 フナ釣り    

2.食べ物  桑の実 さくらんぼ ス梅 ぐみ キノコ採り ナツメ 柿 栗 無花果 トマト スイカ キュウリ タケノコ堀リ   ヨモギ摘み 田ツボ取り ドジョウ取り スノキの若葉 アシナガバチの幼虫 土蜂の巣取り きのこ採り センブリ(百草)採り 山芋(自然薯)掘り          

3.手伝い  田鍬 代掻き 田植え 草取り 稲刈り はざかけ 脱穀 籾乾し 籾摺り 桑摘み 桑の木の皮むき 繭むしり 麦踏み 雨戸閉め ヒエ取り    

4.家庭生活  米つくり 麦つくり 養蚕 野菜つくり 薪取り 囲炉裏 風呂 鶏飼い ウサギ飼い    

5.季節と行事 餅つき 年越料理 初参り 芋汁 7日市 トント 豆まき 月遅れの雛節句 端午の節句         秋祭り             

 

 

  

  食べ物 その1 キノコ採り

 酸性雨の影響か、今はほとんどキノコが採れなくなっていると聞きますが、私の子供時代は、夏から秋にかけて、里山に分け入ってキノコを探すことは、子どもにもできた大切な「家の手伝い」でした。

 キノコは、ほぼ毎年同じところで同じ種類のキノコが生えます。里山ですから、もちろん持ち主はいるわけでしょうが、子どもに誰の山か分からないし、大人であっても樹木を伐採すること以外は立ち入り自由で、お互い大目に見ていたように思います。従って、「キノコのはえ場は親にも言うな」と教えられてきました。どこに生えるかは、本人以外に知らないし、教えもしない。自分の足だけが頼りの世界です。

 それでも、小学校の3年くらいの時に、近所の遊び仲間のボスで、6年生だった「あっちゃん」が仲間5人ほどを連れて、自分の「はえ場」へ連れていってくれたことがあります。家から山道を1キロメートルくらい分け入った200bほどの山の中腹で、そこは、シメジのはえ場でした。沢山のシメジが採れました。私が採った分を家にもって帰ると、大変に喜ばれて鼻が高かったことをよく覚えています。、一度行けば、道順は覚えますから、その日からは皆の共有の持ち場になります。「あっちゃん」の度量の大きさを示したということでしょうか。その「あっちゃん」はおとうさんから教えてもらったということですから、ある程度、大人の世界では共通に知られている「はえ場」だったかも知れません。(2001.6.22記)

 昔は山の上であっても、少しでも平地のあるところは開墾して田圃をつくっていました。我が家にも「新田」といって、家からいうと200bほど高い山(家の海抜が確か400bくらいだったと記憶しています)の山頂付近の平坦なところに田圃がありました。集団で開墾したことは集落のほとんどの家がその一帯のどこかには田圃を所有していたことからして、想像できました。秋になると新田の稲刈りの日が決まりますが、その日は一家総出で出かけます。小学校の時も一緒です。稲刈りの仕事以外に稲を天日干しするための稲穂架け用の「ハザ」つくりがありました。家から今年採って置いた孟宗竹の太いのを、一人1本ずつ田圃まで引っ張っていって、山から支えとなる棒を切ってきて「ハザ」を作ります。親父さんの仕事でしたが、その棒を取るために山に入っていくとき、一緒に行ってキノコを探すのが、私の楽しみでした。家の田圃近くの山には、「皮茸」と呼んでいた、黒いキノコがよく生えていました。乾燥させてみそ汁に入れて食べると美味しいキノコです。集団で生えているので、見つけると何十ものキノコが一遍に採れました。それが楽しくて、一生懸命になって探したコトを覚えています。

 そういえば、高校3年生の時の秋、生え場を知っている山に一人でキノコ採りに入って、「シバモチ」と呼んでいる集団で生えている炊き込みご飯にすると美味しいキノコを収穫してきて、翌日に、箱に詰めて学校に持っていったことがありました。教室の隅に置いておいたのですが、教室の中にやっぱり匂います。嫌なにおいではありませんが、生徒の興味を引いて、「何だ、何だ」と言うことになりました。箱の周りを生徒が囲んだのですが、キノコと分かって、キノコ自体を知っている生徒も多かったからそれで収まりました。そのキノコは昼休みに職員室に持って行って、当時担任だった現代国語の先生に「進呈」しました。町の先生だったので非常に珍しがっていました。食べたのかどうかは、その後聞いていません。毒とは思っていなかってでしょうが、食べる勇気があったかどうかは不明のままです。(20017.27記)

 以下続く。

 

 

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