一汁一菜のマラソン歳時記(その5)
2003年後半(10月
ころ)から2004年前半(5月ころ)まで |
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ジョギング日誌
●(1/25)2004年を迎えてからは、走り方を変更しています。心拍数が100のスピードで出来るだけ距離を延ばすLSDの
走り方を取り入れました。そうすると、タイムは余り気にならなくなって、距離が伸びるようになりました。
今の季節は、週末しか走る機会がありませんので、週に一回、土曜日あるいは日曜日に12キロメートルを走ることにしました。
1月2日(金)12`、1月10日(土)12`、1月18日(日)21`、1月25日(日)12`、と週に1回は順調に走れています。
今日の走りはちょっと欲が出て、タイムレースとなってしまいました。12`を丁度1時間00でした。
朝は雪が舞う非常に寒い天候で、大阪国際女子マラソンを見終わってから走りましたが、多分気温は3度くらいだったと
思います。高槻でのマラソンのあと、次のレースの予定がありません。3月くらいにどこかで走るように、会場を探そうと思って
います。
●(2/1)今日も12`のジョギングをしました。タイムは1時間2分です。10`くらいまでは余り足が張ることなく走れるように
なりました。長い距離を走っている効果でしょうか。
今日は、大津市民駅伝競走大会が開かれました。今年は選手として出るのは断って、沿道で写真を撮りながら応援しました。
上田上体協は2チーム出しています。1周が11.2`のコースを2周するもので、6人のタスキレースです。
●(2/8)夕方、4時半出発で、いつものコースを12kmをジョギングしました。風が強くて、風に向かうときはどうしてもタイムが
落ちてしまします。今日は、1時間2分のタイム。一`5分10秒のペースで走れたことになります。特別息苦しいことも明日
が痛くなることもなくて走りきることが出来ました。だいぶ12`という距離に慣れてきた気がしています。
●(2/15)午後3時出発で、いつもの12kmのコースをジョギングしました。タイムは1時間1分37秒。だいぶ、この距離に慣れて
きて、スピードの感覚が分かるようになってきました。職場では、12日(木)と13日(金)にいずれも夕方6kmをジョギングし
ましたので、今週はちょっとだけたくさん走れたことになります。週に1回12`を走る、というのが当面の目標です。
●(2/21)土曜日に自治労連の駅伝大会があって、ウォーニングアップと本番と合計7kmを走ったのですが、日曜日にはやっ
ぱり12.2kmに挑戦しました。タイムは1時間3分35秒で、1kmを5分12秒で完走しました。だいぶ距離に慣れてきて、特別
足が痛くなたりすることはなくなりました。快調です。
●(2/25)職場で仕事が終わってから6kmをジョギングしました。今日は暖かくて日も長くなってきたため、職場でのジョギング
を再開したものです。
●(2/28)明日の日曜日は雨が降るという天気予想でしたので、今日ジョギングしました。今日は非常に良い天気でいたので、
いつものコースとは変更して、琵琶湖まで出かけました。瀬田の唐橋から走り始めて、国道1号線、近江大橋を越えて、
大津プリンスホテルから浜大津港までを行って、Uターンして唐橋まで帰ってくるコース。片道、7.5kmの往復15kmコー
スです。今までより長いコースに耐えられるか、を試すこともあって、走りました。
結果は、1時間18分のタイム。なかなか上出来のタイムです。15kmをノンストップで走れたことがうれしい。明日は京都
シティマラソン大会の日ですが、結局エントリーしませんでした。
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第2回びわこ駅伝大会(2003.10.8
第3回びわ湖男女駅伝大会が開催されましたが、今年は補欠でしたので、ソフトボールの公式戦の方を優先して、大会は欠席しました。
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第17回あいの土山マラソン大会(2003.11.2)
昨年に引き続いて、『あいの土山マラソン大会』のハーフマラソンの部にエントリーして、参加しましました。
参加者(種目はフルとハーフのみ)
今年は全体で3000名のさんかでした。フルマラソンよりもハーフが増えている感じがしました。
大会の様子
今年の大会は、昨年と打って変わって、気候が随分と暖かくて、昨年走った者としては、準備が全く逆で、惑いました。長いタイトと長袖シャツを準備していましたが、日中が23度にはなる、と天気予報があって、急遽半袖にしましたが、長タイトのままで走りました。となりました。 ラップは以下のとおりです。とに角、最悪のレースでした。
暑いために、いつもよりも遅いペースで走りました。10キロメートルまでは、5分10秒くらいでは走れていましたから、ここまでは〇。折り返したあと、青土ダムの堰堤が15キロ付近になりますが、そこまでは何とか、たどり着きましたが、そこにあると思っていた(勝手に)給水ポイントがなくて、急にがっくり来てしまい、途中で初めて歩きました。一度歩くと、あと走るのが大変で、タイムどころではなくなってしまいました。そのあとのラップは全く覚えていません。全体としては、10分くらいは歩いたように思います。
やっとたどり着いた18キロメートルの給水ポイントで水を頭から被ったのがまた良くなくて、身体がドンドン冷えてしまって、走る体力を奪っていきました。
そんなこんなで到着した時は2時間を回っていました。ゴールの直後に足がケイレンして、車椅子で医務室に運ばれて、30分ほど休ませてもらいました。なんとか、収まったのですが、ケイレンはいつでも起きます。帰りの車のアクセルやブレーキを踏んで大丈夫が真面目に心配したほどでした。
今年は大失敗のレースになりました。これを教訓にして、気温対策に万全を期したいものと思います。
1k |
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3k |
4k |
5k |
6k |
7k |
8k |
9k |
10k |
5:20 |
10:15 |
15:10 |
20:11 |
25:30 |
30:40 |
35:50 |
41:20 |
47:00 |
52:15 |
11k |
12k |
13k |
14k |
15k |
16k |
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18k |
19k |
20k |
57:30 |
1:03:05 |
1:08:35 |
1:13:50 |
1:19:05 |
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ゴールのタイムは、あとで正式に送付されてきますが、予想は 2時間間3分47秒 と 過去最低のはずです。
ハーフマラソン全完走者数 |
1655人 |
順位 |
891位 |
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第11回 新春・田園ミニマラソン大会(2004.1.11)
今年は数えて11回目の大会ということで、地元にすっかり定着した感があります。(主催は上田上体育協会です。私は役員として参加しながら、競技にも出させてもらっています。)
種目
〇6km 男子・女子 〇3km 男子・女子
〇2km 小学生・中学生以上 〇2km ウオーキング
大会の様子
時折雪が舞う寒い天候でしたが、会場の青山小学校には、青山小学校の生徒や青山中学校の生徒を中心に、たくさんの参加がありました。今年の大会参加者は全部で200名くらいだったと思います。
毎年、2kmが先にスタートして20分後に3kmと6kmが同時にスタートします。私は、会場のコース誘導係でしたので、グラウンドを一周した後、外へ出るように、誘導しました。
走る方は、今年も3kmの部に参加。今年は、流した感じで走りました。タイムは15分46秒。大体1`5分位で走った感じです。これで14位でした。
閉会式の前にはお楽しみ抽選会があって、92番の番号がこれがまた当たりました。カバンいれのようなものをもらいました。
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第12回 高槻シティ国際ハーフマラソン大会(2004.1.18)
昨日は一日中雪が降り続く大変な天候でしたが、今日は快晴に恵まれました。一日の違いが天国と地獄の差です。気温は低めで風はほとんどなく、ランニングにはうってつけの日となりました。
高槻は地元ということもあって、出来る限り出場しています。今日は、会場でゼッケンをもらっていると、ちょうど高槻市長が会場に向かう途中でばったりと会いました。「走るのか、頑張ってください。」と声がかかりました。開会式では、市の職員が裏方さんで大会を運営しているようで、たくさんの知り合いの顔が見えました。
今日は、タイツに短パン、長袖シャツ、手袋、帽子と寒さに対して完全防備で望みました。何より足の筋が痛くなることが一番心配でした。前回の土山マラソンの轍を踏んではいけないことだけを考えました。
スタートは午前10時半きっちり。市長の号砲でした。一団の中で走ると自分のペースでない走りになりますが、気が紛れていて負担を感じない、というメリットもあります。今日のグループは余り飛ばさないところに着いたようで、しんどいと思うこともなく、快調 に距離を稼いでいきました。上牧小学校で10kmです。そこでのラップが54分21秒。一`を5分30秒のペースで55分ですから、まあ、予定のペースです。昨年よりも4分くらいは遅いかも知れませんが、コンスタントなラップがどこまで続くか、が大切ですkら、これでよし、です。五領消防署から淀川堤防に上がって帰り道となります。ここから、大塚町の堤防からの降り口まで5kmをずっと堤防を走ります。ここが一番気持ちのよいところです。15kmのラップが1時間19分11秒。この5`を25分で走ったことになります。ここからの6kmが勝負です。今年はそれを半分に割って、最初の3`と終わりの3`としました。芥川の十三高槻線の橋の下までが前半、いつもはちょっとの坂でも参っていましたが、今日は何とか走ったままで上がりました。1時間35分でした。ここから残り3キロを17分で走れれば、1時間52分でゴールできます。いつもはここからペースダウンするのですが、今日は何とか同じペースを維持することが出来たように思います。そしてゴール。1時間52分16秒がタイムでした。
最初の10km 54分21秒(一km5分26秒のペース)
後半の11.195km 57分55秒(一km5分10秒のペース)
このように、後半の方が前半よりも速いペースで走ったのは初めての経験でした。非常に快適な走りでした。何よりの収穫でした。
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第15回 大阪自治労連駅伝大会(2004.2.20)
今日の天候はまさに快晴。温度も18度くらいまで上がって、4月の陽気でした。今年も会場は大阪城公園。今が見ごろの梅林と重なって、大阪城は大変な人でした。
高槻からは1チームの参加。茨木から女性1名の応援を得て、5名のチームを編成しました。
トップランナーは元気な木天さん。練習していない、とは言いなが らの快走で、5位で帰ってきました。3.5kmを13分台で走った計算です。2番手が編集長。オーバーペースにならないように何とかマイペースで走ろうと心がけましたが、梅林の坂道でえずいたりして、陽気が暑すぎたのかも知れません。速いランナーに一人抜かれて、ゆっくりのランナーを一人抜いて結局5位のまま、タスキをつなぐことができました。タイムは丁度15分。3.5kmですから、1キロ4分20秒弱の計算になります。十分なタイムでした。
あと3人にタスキをつないで(茨木の女性ー中庭さんー高田さん)、ゴールは15位の1時間28分でした。それぞれのペースで完走できたということで満足、満足。最後のお楽しみ抽選会は、また、誰も当たりませんでした。こちらは難しい。
次は、会場をアサヒ・ビアホールに移して、昼食兼の反省会。暑かったこともあって、よくビールが進みました。
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第26回 京都ロードレース大会(2004.3.21)
今年は、京都シティハーフマラソンの代わりに、この京都ロードレース大会に初めてエントリーしました。
会場は、京都・嵐山に程近い、松尾神社のある松尾付近の桂川の堤防。主催は、新日本スポーツ連盟京都府連盟で、京都ランナーズが主管した催しです。いわば、市民の手作りレース大会といったところ。それでも26回ですから、伝統があるようです。5kmと3kmとハーフマラソンの3種目があって、付近の小学校と中学校の生徒が沢山参加していました。
京都駅から28番系統の市バスに乗ること、40分。松尾橋バス停で下車。210円は時間の割りに安い。松尾橋を西へ渡ると河川敷公園が開けていて、そこが会場です。コースは、桂川の堤防に沿って「桂川堤防サイクリングコース」があって、往復8キロメートルを2回半するいわば周回コースです。
ハーフマラソンは正午にスタート。エントリーは合計285人でした。私は男子50歳以上の部で、76名の参加。一斉にスタートですから、部は余り関係ありませんでした。正午は今までで一番遅いスタートでした。最初は順調に走って、10キロメートルまでは予想の52分を上回る48分で通過しました。次の15kmまでの4キロは5分過ぎのペースで1時間15分の通過でした。ここからが正念場ですが、次の18キロまでが大分とペースダウンして、1時間28分まで行きました。このあとの残り3キロが非常に厳しいレースとなりました。1キロ6分のヨタヨタペースで何とか走りきって1時間50分50秒のタイムでした。
前回のレースよりも3分ほど早く走れたことになりますが、つらかった、という思いが大きい大会でした。それにしても完走できたことはよかったと思います。
今から冷静に考えると、正午スタートということで途中でバナナなり何か食料を補充すべきでした。エネルギー不足となって失速した感じがあります。ハーフでは121番目のゴールでした。
正式な記録は追って送ってもらうことにしました。
正式な試合記録が送られてきました(2004.4.11)
申込合計は577名、完走者は491名。
@ハーフマラソン男子39歳以下 79名、 Aハーフマラソン男子40歳以上 53名 Bハーフマラソン男子50歳以上 62名、
Dハーフマラソン女子39歳以下 14名、 Eハーフマラソン女子40歳以上 20名 が完走しています。
私はBのところに属していて、タイムは1時間50分54秒 34位(/62名中) の記録でした。
記録としては、高槻よりも3分早く走れたことになります。満足できるタイムです。後半のへばりがちょっと改善されないと、苦しい記憶が残ります。スタミナをつけることが、とにかく大事です。
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