亀岡の街道 山陰街道 2(亀山城下町界隈)

 京都から山陰街道を通り亀山城下町にはいるところに年谷川を渡る橋があります。江戸時代には寺川と言いましたが、敵の攻撃に備えるため橋を50mほど上流に架け、道をクランクにしていました。橋を渡ると三宅町です。ここを京口といい、番屋が置かれていました。旧の橋のたもとあたりに昌寿院というお寺があります。楠正成の子孫がここに住み楠屋敷と呼ばれいましたが、明智光秀の兵火により焼失し、後に先祖を祀るために建てたといういわれのある寺です。 さらに路地を進むと三宅神社があります。奈良時代に朝廷の直轄領から収穫した穀物を貯蔵するために設けた倉を屯倉(みやけ)といいました。ここがそのミヤケと関係があるかわかりませんが、「三宅神社」は延喜式帳にある歴史ある神社です。

 街道筋に戻り東堅町、西堅町を進むと横町に地蔵さんがあります。源の頼政ゆかりの矢の根地蔵です。その地蔵堂の横に道標があります。「左 京ふしみ」「右 穴太寺そのべ能勢妙見愛宕山」とあります。この辺りから商店街になります。地蔵堂の横に「三吉堂」という和菓子屋があり亀岡名物「でっち羊羹」で有名です。次に「丹山酒造」は江戸末期からここにあるという造り酒屋で、亀岡のおいしい井戸水で仕込んだお酒は格別です。酒蔵見学(要予約)や試飲もできます。

 呉服町に玄関を綺麗な花で飾った町屋を見つけました。旅籠町は参勤交代で大名が泊まった本陣をはじめ宿場が並んでいたようですが、本陣跡には亀岡病院があり、宿場の面影はありません。このあたりは亀岡祭りでは鉾が巡行するメインの通りです。
 
 亀山藩は都の北西に隣接し、山陰、篠山方面の守りを固めるのに重要なところでした。城下町のつくりはそういう軍事的要素が強くなっており、内堀、外堀、惣堀の三重の堀をかまえ、街道の入口は川や惣堀りのところで屈曲させ見通しを悪くし敵の侵入を妨ぎ、そこに昌寿院や宗賢寺、大円寺などの寺を配置し軍事に備えた造りになっています。
 また、城下町は商店が並び旅籠町とか呉服町とか名前があり栄えていましたが、その名の職種の店が集中していた訳ではなかったようです。

 新町通の形原神社の鳥居あたりが大手門のあったところ。その手前の「さかい食堂」のあるところが高札場で、街道は西に折れ本町に入ります。本町には古い立派な屋敷が沢山残っています、昔は油屋だったというお宅は築200年以上という古い屋敷で、裏の庭は小川治兵衛の作だとか。
 本町を曲がり紺屋町(こやまち)にはいると造り酒屋の関酒造さんがあります。その前を西に行けば円通寺や秋葉神社があり穴太寺に通じる穴太口です。
 山陰街道は紺屋町をまっすぐ進み大円寺の前を通り西町、北町を通り安町に抜けます。

昌寿院の山門

三吉堂

丹山酒造

呉服町の町家

新町・高札場あたり

本町の町家

紺屋町の関酒造
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