亀岡の街道【愛宕道】      

「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕さんへは月まいり」とうたわれ、江戸末期頃には各村で愛宕講が組織され、積立てをして当番が火伏せのお参りに毎月登ったようです。昭和4年から19年までは清滝から山頂間を「愛宕ケーブル」が運行していたくらいですから、相当な信仰だったようです。

 その愛宕さんへは亀岡からいくつかのルートがあります。保津橋を渡り保津町から愛宕谷を通るルートが一般的ですが、篠山方面から来ると、東本梅町赤熊から宮前町神前、千代川町今津にでて、ここで大堰川を渡り馬路町三ツ辻、長宮から千歳町出雲大神宮の横から山道を登るコースがあります。これを「愛宕道」といい、このルートには江戸時代中期に建てられた『愛宕灯籠」や「あたご道」の道標が多くあり、愛宕詣に行き来する人の多さが想像できます。
 道標は街道沿いで行き交う人々の道しるべとして長い歳月を送ってきましたが、道路工事で動いたり、街道自体が変わったりして、今ではほとんど見る人もありません。道標には当時の往来の多さや、信仰の深さがうかがうことができます。この道しるべを探しながら「愛宕道」を歩いてみました。

 東本梅町赤熊の京阪京都交通バス停「赤熊」から出発します。国道372号の旧道、旧山陰道とか丹波道、篠山街道とも呼ばれている道に、亀岡の最高峰半国山の登山道の入口があり、ここを東に神前方面へ進みます。新しい国道の交差点にはパーキングがあり大型トラックが休憩しています。本梅川を渡り山にあたるとそこに「右あたごみち」の道標があります。山沿いを東に進むと青野小学校があります。この辺りは宮前町で、ほ場整備と道路整備ができ、広い道路に広い田んぼ、新しい田舎の風景になっています。

 赤熊から4km程歩くと宮前町神前の集落につきます。昔は道が狭く集落内でなかなか車が離合できなかったのですが、バイパスができ集落内は安全になりました。その旧道に「左あたご道」の道標と愛宕灯籠がありました。『神前』という地名は実に神秘的ですが、何か意味があるのでしょうか。神前には宝林寺という臨済宗のお寺があります。ここには平安時代の釈迦・薬師・阿弥陀の三如来像と鎌倉時代の九重の石塔があり、いずれも国指定重要文化財です。


 神前を過ぎ、国際交流センターの先にとこなげ山ハイキングコースの入口があり、そこにも「左とこなげ、右ささやま」の道標がありました。さらに進むと千代川町北ノ庄。この集落は古く大きな家が多く残っています、昔の街道の雰囲気を感じます。集落内の道標は右も左も「あたご道」ですが右・左を指でさしている手の形が彫られています。
北ノ庄の山裾に嶺松寺があり、その横に八ツ岩権現といわれる二十一尊磨崖仏があります。源平合戦のころ相模国俣野城から来た俣野六郎重道が平家の武運を祈るため彫ったといわれてます。
 集落を抜け縦貫道をくぐると丹波国府推定地の一つといわれている千代川遺跡や桑寺廃寺があったところです。ここは後日ゆっくり歩きたいものです。

 さて、千代川町千原の集落が見えますが、その手前に妙なものがありました。近所の方にお聴きすると、『サイの神』を祀ったものだそうで、この辺りの地名を西斉ノ本といい、昔は東斉ノ本にも同様なものあったそうです。
 千原の集落の愛宕灯籠の左には小松寺があります。丹波には珍しい平家ゆかりの寺です。久しぶりにちょっと寄ってみると、小松寺の本堂は建替中でしたが、『高卒塔婆』はちゃんと立っていました。

 いよいよ旧山陰道(丹後道)にでてきました。街道と街道が交差するところは宿場や問屋などがよくありますが、隣の川関や並河には問屋があったと伝えられてますが、この辺りには見あたりません。あたご道もここから先はわからなくなっています。『右あたごみち』『是より北山へ三り』の道しるべだけが当時を語っていました。
 

 国道9号を横断し月読橋へ出ると、橋の西詰め上流たもとに灯籠と石標があります。江戸時代にはもう少し上流に丸太の橋が架かっていたのでしょうか。昭和30年頃には京都府直営の渡し船があったそうです。この灯籠もその辺りにあったものを河川改修の際にここに移されたのでしょう。
 月読橋を渡り、堤防沿いを上流に進むと三ツ辻集落に入る三叉路があります。そこに「右あたご道」とかかれた道標があります。文政8年(1825)と記されています。
 三ツ辻集落を抜け長宮集落に入ると村の真ん中にある祠の脇に愛宕灯籠と折れた道標が置いてありました。そこには大きな楠があり、木陰をつくって一時の休憩の場になったのでしょう。愛宕道をさらに東へ進むと千歳車塚古墳の横にでます。この古墳は古代の山陰道やこの愛宕道の沿道にあり、通る人に前方後円の雄姿を誇示してきました。

 さて、さらに東に進むと石積みの棚田がみごとです、日本の原風景そのものですね。ここにも道標があります、「右あたごみち、左丹波一宮」とあり1790年のものです。山裾に出雲大神宮が見えてきますが、その南の山道に入ると延享4年(1747年)の愛宕灯籠と道標があります。260年も前からここに立って道案内をしています。愛宕道はここから山道になり、やがて樒原集落へ出て愛宕山を登りますが、今回はここまでにしておきます。とてもここからさらに愛宕山まで登ろうという気にはなれません。昔の人の強靱な体力や信仰心の強さを我々現代人は見直さなければならないと感じました。

この愛宕道13km程の間に14もの道標がありました。こんなに道標の多い街道は珍しいのではないでしょうか、当時の愛宕詣の賑わいがうかがわれます。道標めぐりのハイキングをお楽しみ下さい。



東本梅町松熊にある道標
  (右あたごみち)

 神前にある道標と愛宕灯籠
  (ひだりあたご道)

  北の庄の道標

  八つ権現二十一尊磨崖仏

『サイの神』

旧山陰道に立つ道標

月読橋西詰の愛宕灯籠

 大堰川左岸三ツ辻入口の道標

 馬路町長宮の愛宕灯籠

千歳町出雲の道標

 千歳町後田の260年前の灯籠
はじめに 愛宕道 巡礼道 山陰街道1 山陰街道2 山陰街道3 篠山街道