伝 説 の 亀 岡

第5話 頼政塚と矢の根地蔵

 800年ほど昔のこと、この時代は平家全盛の時代で、「平家にあらざるものは人にあらず」と言われていた。 源頼政は弓の名手でしたが、源氏であるがため従三位になるのがやっとでした。(それで源三位頼政「ゲンザンミ−ヨリマサ」と言う。)
 このころ御所では毎晩鵺(ぬえ)という怪獣が出没し、世にも奇怪な鳴き声を出します。天皇は病気中だったので特に悩まれ、病気は次第に悪くなっていきました。天皇の周囲のものが集まり何とかしないとと考えた結果「頼政は日本一の弓の使い手だから彼に退治を命じよう」と決まりました。
 鵺は顔はサル、胴体はトラ、尻尾はヘビ、しかも背中には翼があって飛び回ると言われる怪獣で、頼政も退治できるかと心配で、守りの本尊である地蔵さんにお祈りをしました。ある晩、菩薩が夢枕に立ち「矢田の奥の鶏山の白鳥を捕り、その羽で矢を作り、それで退治しなさい。」と言われた。
 頼政はその矢をもち、御所で夜の更けるのを待ちます。夜中の一時頃、急に黒雲が現れたと思うと、ものすごく奇妙な鳴き声が聞こえ始めます。身の毛もよだつような鳴き声だが怪物の姿は少しもわからない。頼政は目を閉じお地蔵様に祈りを捧げた。そして弓矢を満月のように引き、黒雲の真ん中をめがけて一矢を放ちました。見事鵺を退治した頼政は、矢代(やだい)として土地を賜りました。これは弓矢の代金ですが矢田と言う地名になりました。
 その後頼政は平清盛に反旗を翻したのですが、あえなく宇治で自害することとなりました。その首は石にくくられ宇治川に投げ入れられたとも、家来が矢田に持ち帰り墓を建てたとも言われています。

 


      矢の根地蔵堂
 (横町、マツモト中央店近く)
 
   「源三位守本尊頼政」


「矢の根地蔵」は横町西堅町集会所に併設されたお堂に安置され地域の人に大事にされています。
 この地蔵菩薩は錫杖の代わりに矢を持っています。毎年地蔵盆の日だ公開されます。

    源頼政の墓
(西つつじヶ丘町、つつじヶ丘小学校裏)

『源頼光の玄孫源三位頼政は弓術に優れ夜毎殿上の怪鳴を発して時の近衛天皇を悩ました鵺(ぬえ)を退治した功によりこの近くの矢田の地を賜ったという。
 のち剃髪して真蓮と号し平家追悼のため高倉王(以仁王)を説き、三井寺の僧兵を率いて清盛と戦ったが利あらず治承4年(1180)宇治平等院釣殿で自刀し、家来がその首をこの山に葬ったと伝えられる。
 元来頼政山は上古の古墳で付近の古墳群の調査から高貴な人の古墳と思われ崇神天皇の時の四道将軍の一人のものではないかと言われている。
 ※「ぬえ」・・・ツグミの一種(一種の怪獣)』
(頼政塚案内板より)
   
 

この物語は、吉田証「口丹波風土記」(丹波史研究社)、永光尚「亀岡百景」(南郷書房)、福田晃・小林幸夫「京都の伝説、丹波を歩く」(淡交社)、竹岡林「丹波路」(学生社)、津登武「丹波&足立一族異聞」(雑草社)、「京都の伝説」(京都新聞社)などを参考にしています。