* 悲愴、Pathetique  Op.13    *

 

     
 

 ピアノソナタ第8番ハ短調。27-8歳の作品。1798年は一歳年上のナポレオンが英印分断を狙ってエジプトに遠征し、日本では徳川家斉の大御所時代、エトロフ島に標識が立ち、本居宣長が「古事記伝」を完成した年。ウィーン生活6年目のベートーヴェンは耳の異常を意識し始めつつピアニストとして売り出し中の頃。当時の音楽鑑賞貴族達に、第一楽章で実験的個性的なものをぶつけて、二楽章でうっとりさせて、終楽章ではモーツアルト的な優雅で洒脱な余韻を残して印象付けるねらいだったのだろうか。

 この曲についての第一印象はと思い出してみると、深刻そうなのは最初だけで始めと終わりが似通っていて、ちょっと感傷的な旋律が繰り返される、しかも自分でも弾けそうな名曲と・・・。しかし実際に楽譜を開いてみて、またホロヴィッツの超弩級の演奏を聴いたりすると、やはり、そう甘いものではなく・・・。よその家から、練習しているのが聞こえて来たりすると無性に嬉しくなってしまう曲の一つ。なにはともあれ、一生おつき合いしようと思っている曲集にしっかり入っている。

 これ以外にベートーヴェンのハ短調で強く惹かれるのは「32の変奏曲」WoO80、ハイドンが出版しないほうが良いと忠告したピアノ三重奏曲第3番Op1-3、最高峰のピアノソナタの一つである第32番、「セリオーソ」と並んで大好きな弦楽四重奏曲第4番Op18-4、等々。他にも運命交響曲やらピアノ協奏曲第3番やらコリオラン序曲、ヴァイオリンソナタの7番やら、錚々たる名曲がひしめいている・・。ピアノソナタでは第5番「小悲愴」を含めて3曲がハ短調で書かれている。

 この「悲愴」の第一楽章をブルックナーは勉強のためにオーケストラに編曲していたと言う。そして彼は交響曲第1番、第2番でハ短調を使い、究極の第8番に至る。私はブルックナーの第9番に、たまに、この「悲愴」の雰囲気が感じられる瞬間がある。

 悲愴・・・、愴ましく悲しいこと。そんな風情の部分は冒頭の和音群がその役を担う。まったく同じ和音を曲の始めと最後に用いているのに、各々表情が違う。このピアノソナタは譜面を見ると音楽の高密度に比べて、ずっと簡素な印象を受ける。各メロディの充実度だけでなく、名人達の音の創り方に依存する部分が大きいのだろうか、はたまた大天才の「適音適所」のなせる技か。同時期の作品で、十分に音符を使ったピアノソナタの面白さと言う点では、一つ前のOp10-3のほうだろうけど。

 

 
 

 自分の練習曲の中でも最高難度の曲のひとつゆえ、あまり達人達の名演を聴いては毒なのだが、親近感はとても大きい。これらの超名演を聴いていると、弾けない部分がゆっくりではあるが少しづつ、弾けるようになってくるのがなんとも不思議。と同時に、同じ楽譜をもとにしていても、まったく次元の違う行為であることも実感されてくる。まあ、このあたりはアマチュア・ゴルフと同じで、プロがラウンドした同じ芝生の上で、同じボールを打っているというだけが共通点みたいな、しかし一応ゴルフをやっているのではある・・・。

 

 
 

ギレリス:彼特有の浪花節的というかセンティメンタルな表現がこの曲には最もふさわしく結実している。特に第三楽章では、軽く風のように弾かれる解釈が多い中、ロンドとして丹念な世界を作り上げ、第一楽章への回帰の度合いを高めているところは何ものにも代え難い。

 

 
 

ソロモン:実に美しい高音域と絶妙なタッチが第二楽章をえもいわれぬ天上の音楽にしてくれる。前後の楽章はソロモンらしい細やかですばらしく鮮やかな流れ。

 

 
 

ホロヴィッツ:露西亜ピアニズムの繊細なピアニッシモと強靭なフォルティシモが、広大無辺で素直で伸びやかなアメリカンピアニズムと融合したような究極の世界。それにしてもこのピアニシモの美しさと、千変万化の多彩な表現は例え様も無い。フォルティッシモを聴くと、この演奏にこそハンマークラヴィアの名称を付与すべき、となる。絢爛豪華な悲愴。

 

 
 

ケンプ:まったりした悲愴。アクロバティックな表現は極力抑えて、楽譜を素直に音楽にしながらも、個性的な表情が付与されている。悲愴でありながら、暖かく包容力たっぷりの1楽章。

 

 
 

バックハウス:ベーゼンドルファーの少しくぐもった音から創り出す魔術、鮮やかな夢想の世界の第三楽章。めりはりの利いた解釈とテンポの落とし込み方に実に説得力がある。極彩色のきらめきがモノトーンのヴェールをかけられたようなモノラル録音と、動きと立体感が増したステレオ録音、私は後者に軍配を上げる。

 

 
 

ブレンデル:染み入るような綺麗な音色でシンフォニックな表現と丹念に弾きこむ芳醇なロマンの世界。豊かな響きに支えられた歌謡性が第三楽章で見事に開花する。

 

 
 

コヴァセヴィチ:ふくよかに広がる充実したロマンの世界。一楽章なんかは舞曲を意図したようなアクセント表現が音色の芳醇さとあいまって、傷ましい「悲愴」ではなく、勇ましい「悲壮」を演出しているよう。躍動感あふれる第三楽章がまた魅力。

 

 
 

ゼルキン:とても楽譜に忠実に弾いていて安定度の高い好感度抜群の精緻な悲愴。音色がまた実に美しく、よどみの無さに華を添える。仕事きっちりの極上品。

 

 
 

イーヴ・ナット:フォルテのやや渋めで厚ぼったい和音や、ノンレガートのピアノでさりげなく描く一節等、多彩な表現と「ふっと抜いたような」表情を随所にちりばめた演奏はとても身近で温かみを持ったエスプリを感じる。それがとても立体感があり親しみを感じる「悲愴」を形作っている。名演となるに従って近寄りがたい雰囲気をかもし出しがちなゲルマン音楽には貴重な存在。
 

 
  シュナーベル:緩急自在、滑らかに疾駆するアレグロ、こともなげに歌い抜けるロンド、そして夢見るような第二楽章。大仕掛けなものは無いけれど、繊細緻密に磨き上げられた誰にも真似のできない世界。  
     
  アラウ:ドイツの放送局でベートーヴェンのソナタを聴き比べて、番組の最後に締め括りとして持ってきたのがアラウの演奏だったとか。変な言い方になるが、「究極のオーソドックス」を具現化しているような自然さは、BGMとして聴いていると何も引っかからずに過ぎてしまう。しかし中身は、和音の重厚な美しさや、休符を休符として演奏するのではなく、必然的な息継ぎ、溜息、逡巡・・・、欲する処に従って則を越えず、奏者と一体になった音楽。第三楽章のえもいわれぬ豊かな美しさ。この曲をここまで慈しみながら弾いている超越感も素晴らしい。普通は「悲愴」の表題を意識して、曲に立ち向かってしまう。  
     
 

 

演奏者 録音時期 年齢 T U V CD番号
バックハウス 1958/10 74 6:10 4:45 4:22 15:17 POCL-9237
バックハウス 1954/3 68 6:19 4:50 4:20 15:29 POCL-3472
ソロモン 1951/6/22 48 9:02 6:07 4:09 19:18 SBT-1189
ケンプ 1965/1 70 7:14 4:53 4:31 16:38 POCG-3595
ブレンデル 1994/6 63 9:18 5:13 4:49 19:20 464 680-2
ギレリス 1980/9 64 9:11 5:46 5:03 20:00 453 221-2
ホロヴィッツ 1963/11/4 59 8:36 5:27 4:26 18:29 SRCR-2664
ゼルキン 1962/12/8-15 59 9:23 5:51 4:14 19:28 SBK-47 666
イーヴ・ナット 1955/6/24 65 6:07 4:38 4:11 14:56 CZS-7 629012
シュナーベル 1934/4/23 52 8:34 6:04 4:05 18:43 HPC-109
コヴァセヴィッチ 1971/12 31 8:51 6:19 4:02 19:12 456-877 2
アラウ 1963/9/19-26 60 9:01 6:18 4:28 19:47 UCCP-9328