* ヴィルヘルム・ケンプ *

 

     
  1895年11月25日にブランデンブルグ辺境地方のユーテルボークで代々オルガニストの音楽一家に生まれた。ポッダムの宮廷楽長の父からピアノの手ほどきを受け、9歳でベルリン高等音楽院に入学、ロベルト・カーンに師事。  
 

1907年にポツダムのバルベリーニ宮殿で最初のピアノ独奏会を開く。

1918年はニキシュの指揮でベルリンフィルの演奏会にデビュー。

1920年、フィンランドではシベリウスが歓迎電報を打ち、招待する。

1928年、グレーザー編曲のフーガの技法を南ドイツ初演を指揮した。

1936年、日本で初めての演奏会。

1945年、戦火を避けトゥルナウへ移住。アメリカは彼の名をブラックリストに記載した。

1954年、広島の世界平和教会でバッハのオルガン曲を演奏、その録音はレコード化され、売上は被爆者の救済基金に当てられた。

1957年、シベリウスのためにベートーヴェンのソナタを演奏、その時にシベリウスがケンプに言った言葉は「貴方のピアノからはピアノの響きではなく、人間の響きが聴こえてくる。」

1964年、カーネギーホールにデビュー。

1971/2年、病気と手術により演奏活動を中断。

1991年5月23日にイタリアのポジタノにて亡くなった。

 
     
 

 バックハウスの録音を聴く限り、生涯を通して一貫した奏法の客観的な音楽だったのに比べると、ケンプは若いときの録音と後期の録音では、年齢相応に変わってきているようだ。ケンプが70歳近くになって弾いた「熱情」の終楽章なんかは、激情の奔流の音符の並びの中にありながら「つわものどもが夢の跡」と言った諦観の雰囲気を漂わせ、物理的な技巧の枯れと内面の枯淡の境地が年代ものの美酒の如く溶け合って醸成されている。また「悲愴」でも悲壮感とは裏腹に、あちらこちらで気分のうつろいのような即興的な表情の断片が聴かれる。バッハ、ハイドン、ベートーヴェンと来て、ブラームスへ行くかシューベルトへ行くか、の違いか。ケンプはシューベルトのソナタの中にブルックナーを感じていた。

 彼は記している。

シューベルトがソナタの中に、後の人たちへの道しるべをいかに多く残したかは不思議なほどである。例を少しあげてみよう。D537のイ短調ソナタはブラームスが弦のラプソディをかき鳴らしているようである。さらに驚くべきはD625未完のヘ短調ソナタではショパンの特徴が見られる。そのフィナーレの恐ろしいようなユニゾンのパッセージは、ショパンの変ロ短調ソナタの草稿のように聴こえる。D784のイ短調ソナタ、そしてD840の未完のハ長調ソナタではさらにそうだが、ブルックナーの声が聞こえる。

 

ケンプがシューベルトのソナタの中にブルックナーを聞いている事、そして彼が例示した二曲のソナタはそれぞれ1823年、1825年に作曲されており、ブルックナーが生まれたのはその間の1824年なのである。そしてブルックナーは若い頃に歌曲伴奏等を通してシューベルトの世界を吸収していったのだから.。

さらにケンプはベートーヴェンをベースに置きながらも、オルガンの名手でもあり、即興演奏も得意とする、正にブルックナーと同じ音楽世界に生きていたのだから。 

 
 

 ベートーヴェンのソナタが音楽として有無を言わせず染み入ってくる演奏は、演奏者が60歳あたりを過ぎてからのものであることが多い。ケンプの演奏は、きっちりした古典的ソナタ形式の枠の中を幸いに、自由に遊び戯れているようでいながら、断固とした世界は崩れることなく描ききっている不思議なベート-ヴェンである。人間としての自由な気持ちのゆれを大事にしたケンプが、バッハでもコラールプレリュードに共感を深くしているのはわかるような気がする。

 
     
 

【CD】

    20世紀の偉大なピアニスト    PHILIPS   456 865-2

    ベートーヴェン・ピアノソナタ集 D.Grammophon 453 221-1

    ベートーヴェン・ピアノトリオ集 D.Grammophon 415 879-2

    シューベルト・ピアノソナタ全集 D.Grammophon MG8618-26