1884年3月26日ライプツィヒ生まれ。この年、ブルックナーは60歳。コルトーは7歳。12月にはニキシュが当地で第七交響曲を初演している。17年後には彼の指揮で、バックハウスはゲヴァントハウス管弦楽団と協演、ここライプツィッヒでデヴューに成功している。ブルックナーはベーゼンドルファーを使用していたが、バックハウスも同社のピアノを使用してベーゼンドルファー社から「二十世紀最大のピアニスト」としてダイアをちりばめた指輪を贈られている。ライプツィッヒで7歳から15歳までレッケンドルフに師事してピアノを学んでいる間にブルックナーは亡くなった。その後は、1891年からレッケンドルフに師事、1899秋からフランクフルトでダルベールに師事。彼はベートヴェン演奏家の第一人者、リストの弟子でブラームスとも親交があった。
1895年、11歳の時にブラームスの前で演奏して褒められたと言う。
1903年にロンドンでハンス・リヒター指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番を代役演奏で成功。1905年にパリでルービンシテイン賞を受賞。第二位はバルトークだった。
1910年にグリーグのピアノ協奏曲第一楽章を録音したが、これは史上初のピアノ協奏曲レコード録音。
1912〜1914年に渡米。
1946年、スイスに帰化。ルガーノに住んだ。
1953年に初めてザルツブルグの音楽祭に出演してベートーヴェンのソナタを4曲演奏した。翌年の1954年3月30日にカーネギーホールでベートーヴェン・プロの演奏会(CD:POCL-9939/40)。4月5日に来日、9日、10日、23日は日比谷公会堂で演奏会。4月16日、17日の宝塚大劇場でのプログラムは半音階的幻想曲とフーガ、フランス組曲第五番、イタリア協奏曲、ブラームスのト短調ラプソディ他小品4曲、ショパンのノクターンOp27-2,エチュードから五曲、バラード第一番、二日目はベートーヴェン、ソナタOp10-1、熱情、告別、Op111だったとの事。 1966年にオーストリア政府から名誉十字勲章受賞。弟子をとる事も無く、黙々と演奏し続けた。
1969年6月29日のクラッツェンフェルトのシュティット教会での演奏会で心臓麻痺、7月5日にフィラッハの病院で85年の生涯を閉じた。
【バックハウスが好んだ言葉】: 「まじめな仕事は、真の喜びを与える。」(セネカ)
「人間の尊厳は、君達の手に委ねられている、それを守りたまえ。」(シラー)
「芸術家よ、語るなかれ、創造したまえ。」(ゲーテ)
【逸話】 或る時、記者がバックハウスに尋ねた。「演奏旅行等から帰られた後、お暇な時は何をされているのですか?、ご趣味は?」 バックハウス、答えて曰く「趣味?、暇なときはピアノを弾いていますが・・・」
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