|
|
|
|
ピアノソナタ第29番変ロ長調。1817-8年、48歳頃の作品。日本では英人ゴルドンが浦賀に来航し幕府に貿易を要求。小林一茶が「おらが春」を発表。
ベートーヴェンは、いくつかのジャンルで変ロ長調と言う調性を用いて大規模な作品を作曲している。ピアノソナタ第11番Op22「大独奏ソナタ」、ピアノトリオ「大公」、弦楽四重奏Op133「大フーガ」。交響曲は第4番、ピアノ協奏曲は2番が変ロ長調で、これらは特に大きなものではないが・・・。この曲はピアノソナタの中でなんとなく特異的で、ブルックナーの交響曲と似通った風情がある。いきなり第一主題が強奏されて繰り広げられる世界はブルックナー第一交響曲終楽章を思い起こさせる。題名は単に「ピアノのために」と言うだけのことなのに日本語では語感の大仰さがこの曲だけに張り付いてしまった様。結果的に「ピアノのための」最高の作品との意味合いが付随してしまったようだ。このソナタのアダージョの深さは、ブルックナーの後期交響曲を聴いているときと似た充実感に浸らせてくれる。終楽章のフーガの構造体は第五交響曲の終楽章の世界か・・。そう言えばブルックナーの第五交響曲も変ロ長調だった。
構成もフル装備の四楽章から成っていて、CD録音も名演奏がいくらでもあって、色々さまざまな演奏を止め処も無く聴き比べたいところも似ている。
不条理に操られ、存在の必然性の無い事を悟った男が感じる現世の虚しさを音によって思い知らさせる作品。音楽への奉仕が存在意義との神からの啓示を受け入れざるを得ず、作曲に再注力していったもののひとつ。そのためか、若い頃に聴いてもしっくりこなかったのかもしれない。演奏するにも鑑賞するにも、ある年齢に達する、或いは精神的に不惑を超えないと、この曲の共鳴弦が体内に形成されないのかもしれない。
|
|
|
ギレリス:最もシンフォニックで壮麗かつ繊細。豊穣な響きに深く魂が宿ったピアノ浴。二楽章なんかは首までとっぷりと浸ったら、体中しびれて立てなくなってしまう。
|
|
|
グールド:音一つ一つの存在意義をすべて問い直すかのような演奏。透徹したモノトーンで形創られた壮大な構造体。70歳まで長生きされていたら、同じ表現でまた録音されただろうか?。
|
|
|
ソロモン:繊細かつ抑制の効いた小気味良いロマンティシズムの世界。Op10-3のラルゴやOp90の溜息が出る名演の方に気を奪われたが、こちらのノクターンの香り漂うようなアダージョも大いに魅せられるものがある。
|
|
|
アシュケナージ:ギレリスの雰囲気を小ぶりにした様だけれど、一幅の絵巻物として全体を見渡すことが出来る。不穏な影の無い音楽。
|
|
|
ケンプ:謹厳華麗な世界。ベートーヴェンの言葉を漏れなく雄弁にかつ端正に語った表現。いつでも、誰にでも、どこででも納得させ得る素晴らしい演奏。家元だから当然。
|
|
|
バックハウス:豪放闊達かつ峻厳な世界。ベートーヴェンの世界を明快な意思で率直に語った名演奏。まるで即興的に創り出している様。一生に何度も弾く曲ではないことを結果的に実証してしまった。
|
|
|
リヒテル:熱血奔放な世界。しかしこの粒立ちの美しさは例え様も無い。これがフーガへ奔流となって流れ出すのだからたまらない魅力。
|
|
|
ブレンデル:とても豊かな響きだけれど何か縮こまったような感じが残る。緩徐楽章でも、先をせかされているようで・・・。客観的で良いとも言えるが。終楽章がチャーミング。
|
|
|
ゼルキン:やや重い硬質な音で丹念に築き上げた世界。やや杓子定規的な感じのところもあるが情に流されず、ピアノソナタの形式美をゆるがせない。
|
|
|
イーヴ・ナット:パリで録音されたせいかピアノの音像バランスからしてフランス風というべきか、低音がややくぐもって丸く、ウィーン風とも言える。高音部の、正に珠を転がすような美しさと誠実な安定感の中に、素朴な語りが聴かれる。
|
|
|
シュナーベル:即物的と言うか、大上段に振りかぶっていないだけに、妙な思い入れに煩わされること無く聴くことができる快演奏。 |
|
|
|
|