Recitativo 

 

 
 
    炭焼き用のコナラの大木が伐倒されるときに周りの低木類が巻き添えで折られたり倒されたりする。それらの中で山ツツジも犠牲になっていて有効活用を考えていた時に登山ステッキとスリングショットに思い当たった。後者の引きゴム類は競技用のものがネットでいくつも売られていて、購入してみると非常にしっかりしたパーツで玩具用途とは大違い。こちらも倒れた山ツツジからしっかりした二股枝を探してスリングショット制作にとりかかった。入手した競技用替えゴムは3本セットだったので、ゴムの留め方などを検討しつつ一気に三台の機器を完成させた。鋼球やらガラス玉やらクレイボールなどを弾丸として評価したところ、仰角45度で打ち上げる威嚇用途での到達距離は50メートルほど、標的直射攻撃用途では10メートルほどで一応の成果を見た。スリングショットでカモ猟などもできるようだが獲物のさばき方は難度が高そうなので、とりあえずはスズメバチの巣の破壊撤去とか高木の高枝などへのロープかけへの補助を考える。例によって陸自迷彩色仕上げのものは「キュウマル式護謨掛け射出銃」と名付けて実戦配備、秋には子供たちのドングリ飛ばし遊具としても活用を試みることにする。(2023/2/19)  
 
 
    今年最初の炭焼きが終了し、ほぼ思い通りの仕上がりとなってまずはめでたいスタート。鹿皮なめしのほうも脂肪層の除去は塩水に漬け込んだ後からでもよいことが分かった。屋内関係では出来心でPCのグラフィックやメモリのアプグレードを思い立ち、下調べもせずに実施したところWin10の32ビットの呪いを頭からかぶってしまった。おかげでBIOS操作やらパーツの年式チェックなどの基本を再学習したほかWin10が意外にタフにできていることに感心したりもした。ピアノ関係では、ベートーヴェンのピアノソナタが年配のピアニストが弾くと味わいが深くなることについて、モーツァルトやハイドンでは名人芸はできても重厚さは限りがあって、シューベルトでは逆に名人芸をひけらかしようはなく、ベートーヴェンのソナタだけが両方を備えていて、年配者だけが重厚さを表出できる音楽だからと言う見解になった。それ以降の作曲者のソナタは遅れた聴衆が要望したから作ったみたいな感じでフーガの時代が終わったようにソナタの時代も終わっていたのだろう。人間の歴史の中で科学技術はより良い方向に進歩するが人間自体は時代を経るにしたがってよりたちが悪くなっていく。その交点にガス室があり原子爆弾があって、とどのつまりは黙示録と言うことなのだろう。音楽芸術がそれらに先立って完了していたことは喜ばしいことなのだろう。(2023/1/26)  
 
 
    今年の初詣でのおみくじは良くなかったと言うか進み方見直し要請のご託宣。 精神面がレベルダウンしつつあったからそれの改善からトライしてみる。里山関係ではアケビのつるを使ったリース製作に少し比重をかけてみたことと皮なめしでのミョウバン処理条件の改善、脂肪皮膜の除去手順の再検討などで始まった。食べ物関係では年末に原因不明の下痢症状が続いたせいで甘酒とかチアシードなどを摂取してみたところなかなか良さそうな傾向がみられる。しかしこの年齢になっての最高の健康法は面倒くさいことを逃げずにやることと朝の道路掃除かもしれない。(2023/1/3)  
 
 
    なんと半年ぶりの更新。 夏と秋が丸々記載無しだったが梅雨をはじめ夏の暑さや台風が通常の季節感とはひどく異なっていたような印象が残る。自分の健康面でも視力の劣化が進み、サプリの「ルテイン」が 、そこそこ効果があったとか、正露丸も効かないノロウイルスっぽい腸の不具合に甘酒が有効であることを認識したり,竹ほうきで一時間ほど鋪道などの掃除をしてると下手なラジオ体操より良い運動になることを知って、レレレおじさんの意義を今頃わかったりしてこれもまた有意義なこと。 最近は京都橘高校のマーチングバンドに興味を持って動画鑑賞が増している。楽曲はアメリカ占領地っぽくて今一なのだがエンターテインメント技量は相当な水準。カンパニーフロントとかドラムメジャーとかの単語も覚えたり結構楽しめる。(2022/12/13)  
 
 
    草も木も主だった花は終わってしまい緑がいっぱいの季節になってきた。我が家のヤマボウシにアカシジミやウラナミアカシジミが飛来する奇跡じみた光景を今年は目にできて、里山でもクロセセリやコオニヤンマの羽化を目撃できたり今シーズンは昆虫の当たり年かもしれない。昔をしのびつつ炭窯跡の調査をしたり、様々な樹木の枝でウッドスプーンを作製したりと忙しくしつつ、ピアノのほうはシューマンのすばらしさが分かってきたりして、その昔購入して死蔵していた「森の情景」も練習してみると技術的にも彼の作品としては容易ながらとても深みがあって里山気分につながるひろがりにひたることができる。この曲の演奏ではベートーヴェンとは真逆でアファナシエフよりバックハウスのほうが落着きがあって良い香りを醸し出している。また今月は久しぶりに観光旅行にも繰り出して谷川や河口、海岸の思いっきり水の澄んだエメラルドブルーの景観を駆け足ではあ ったが存分に楽しむこともできた。(2022/6/24)  
 
 
   久しぶりにコロナ明けの自衛隊イベントに行ってみた。招待客も一般客も人数制限して、戦闘デモなども規模は縮小されていたものの迫力満点で十分に楽しむことができた。中でも女性隊員の格闘デモはかなりの驚きで模擬戦の形披露が実戦との差は分からない中でもその気迫にはかなり感じ入ってしまった。こういう場面ではやはりNikonの12倍双眼鏡が非常に威力を発揮する。来年あたりはドローンや携帯ミサイルが多用されることになるのではとも思う。ウッドワークのほうはサーバーサラダスプーンのセットも造り終えてホームパーティでお披露目して好評を得たし、新たに白樺や槐の枝を頂けて、またさらにいろいろと制作意欲が沸いてくる。ピアノのほうも平均律16番をやることになって調べてみるとこの曲のフーガはカンタータ106番の四声部合唱に関連していることが わかり、テーマは提示と応答から成り、その内容Es ist der alte Bund: Menschdu mußt sterbenと言う凄いものになっている。レミソファーソ、ラシド−シラシーが「古き定め、人は死するー。」となって、これが4声部での壮絶な音楽。このカンタータはバッハの叔父の葬儀のために作曲されたとかで、こう言うことを平均律で反映させるかどうかはまた別問題だけれど、この主題をスタッカート気味に早い速度出で弾くのはやはり「なんだかなあ」と言う気になる。演奏例を色々聴いていたらアファナシエフに行きあたった。予想通りと言うか素晴らしい演奏でバッハをピアノで弾くと言う意味をしっかり伝えてくれる。これもまた面白くなってきた。(2022/5/29)  
 
 
   「寒暖季節外れ」を繰り返すうちに早くも梅雨の走りの様相。 桜が全種類一斉に咲き散って、枯れた里山が一夜にして緑の山容となりジャケツイバラの黄色も目につくものの金蘭は芽も出ない状態でモチツツジなどは満開状態。山から帰れば、新たに興味を持ったウッドクラフトについてはさらに煽るように、切れ味のよう切り出しナイフと槐の枝をたくさん頂くことになりさらに注力することとなる。槐は堅木なのでマグカップは敬遠してアクセサリーやら箸置きを作っているうちにスプーンつくりにハマってしまった。手順を覚えてしまうと結構要領よく進めることができて、道具も彫刻刀の大型のものを使ってかなり作り込める。刃物の研ぎ方も上達し、扱う木の種類も槐以外にナラ、檜、サクラ、白樺など手当たり次第に切り込んで部屋は散らかる一方。ピアノのほうも春になって再開し調律もやってもらって楽譜に取り組み、平均律のすばらしさにあらためて気づかされることとなってこちらも忙しくなる。 (2022/5/13)  
 
 
   ひょんなことからククサをプレゼントされて、木工細工でウッドマグの製作に取りつかれた。ブームを過ぎたククサは木工旋盤とベルトサンダーで中国でパイン材を使用して大量生産されているみたいで、日本ではウッドクラフトの妙なシンボルとなっている感もある。塩味が抜けないの、木材の香りや乾性オイルの匂いが残っていてコーヒーには不向きなどとのコメントもあるが、木質容器は基本的にコーヒーを飲むものではなくせいぜいポタージュスープやウイスキーくらいではないかとも思う。ナラ材で3個ほど作ってみたが、割れや虫食い、木目の方向性などでけっこう妨げられてしまう。削ったり磨いたりする道具もカービングナイフから始まって、諸々ドリルビット類の使い分けと,それらの刃の研ぎ方が非常に重量な部分となっている。仕上げオイル類も蜜蠟ワックス、エゴマ油、クルミ油、ブッチャーブロックコンディショナーまで出てきてまさに百花繚乱。サンドペーパーの使い分けとの組み合わせもなかなか奥の深いものもある。仏像木彫りやクラフト彫刻のような芸術品ではなく飲食道具と言う実用レベルではオランダ木靴などと類似する世界なのかもしれない。(2022/3/6)  
 
 
   今週は120年前に八甲田山で第五連隊が遭難して199名が命を落とした週となる。庶民を人間と見なさない明治革命での成り上がり馬鹿どもの仕業とみるしかないが、軍隊や兵器の進歩の大きさに反して100年たっても変わらないことがたくさん里山に根付いている。木材は生木の時は鋸で切りやすく、斧で割りにくい。乾燥木材は鋸引きで切りにくく斧で割りやすい。 しかし節目があると途端に割れなくなる。割りにくい木材は燃やすと火持ちが良い。昔から当たり前に言われていることを実感する喜びが里山に無数にある。ただそれらの集大成の炭焼きとなるとパラメーターが無限に広がり炭窯の神様次第としか言えなくなる。ストーブの煙突と炭窯の煙突が全く違うことや80-90℃迄の白煙と、90℃以上の白煙の内容もまったく違うことなどはただ操作しているだけではわからないが、古来より確立された手順を遵守している限りチャンと木炭が出来上がってくる。この面白さはクラシック音楽の演奏に何か通ずるものがある。(2022/1/23)  
 
 
   新しい年を迎えた。親に対しても子に対してもやるべきことはほぼすべて完了してとりあえず荷物を降ろしてフリータイムと言う感じ。最近の最大の収穫はピアノ芸術への理解が深まったこともあるが、それ以上の喜びとしてはチェーンソーの修理が分かってきたというところ。三台のハスクバーナのうち二台がエンジン焼き付き故障を起こして一台はピストンとシリンダの固着、もう一台は摺動面の傷つきからの圧縮不能でいずれもシリンダ、ピストンの交換作業と言う結構手数のかかる作業となった。とは言えそこに至るまでにキャブレターの交換、点火コイルの交換、はてはマフラーの交換とメインパーツすべての交換作業でプラグだのフィルターだのも合わせればほぼ内部一新の大手術。その挙句始動しないという絶望感ののちにキャブのTLH調整が分かってきて無事始動の運びとなった。 エンジンがかからない理由は数多くあるが部品を全部交換してみれば、理由はただアイドリング設定が低すぎるだけと言うことで、ガソリンが入ってないというレベルで、パソコンが動かない理由がコンセントの入れ忘れみたいな人間的な話となる。これは今後の 進め方の大きな原動力となりうる。(2022/1/1)  
 
 
   今日はショパンの命日、ここ数年来の定番「暑さ寒さも彼岸過ぎまで」に従って10月中旬近くになってようやく暑さが終焉を迎えた。 今年の里山ではヘビトンボ、チョウトンボ、オオルリボシヤンマなど昆虫類も楽しめたが樹木類にも興味が増してシキミ、カヤ、ハリギリ、ウワミズザクラなどの分布を探して見たりできたことも成果の一つ。 ショパンコンクールでは小林愛実さんのプレリュード全編の演奏に感じ入ったのがすべてかな。ストリートピアノなどで祭り上げられている人も予選通過していて、この人は達者な指だし音色もきれいだけれど心が全く伝わってこなかった。音楽に商業音楽と芸術音楽があるとすると、演奏にも商業演奏と芸術演奏があると言えそう。自分の技を駆使して作曲家にアプローチする演奏と、作曲家の作品を使って自分の技をひけらかす演奏・・。前者には感銘があるが後者には感心しかない。(2021/10/17)  
 
 
   梅雨明けもどきで酷暑が到来したのもつかの間、秋雨走りに代わって また蒸し暑い日々となった。九月に入ってようやく秋の気配で今日はブルックナー先生の誕生日。「銀河英雄伝説」などを見直してBGMに彼の第一シンフォニーなどが使われているのを聴くとやはり無性に嬉しくなったりする。このHPも築20年を超えて限界集落最後の一軒みたいな感じになりつつあって「ポツンと一軒家」の取材が来るかもしれない。この夏のメモリーとしては初盆とともにミヤマクワガタを採取できたこととチョウトンボを鑑賞できたこと、それ以外は医者通いで体のメンテにいろいろ目覚めさせられたことか。音楽関係ではCDや楽譜類の断捨離でベートーヴェン先生のデスマスクをピアノの先生宅で教材として活用してもらえることになった件などだが完成できないまま劣化が始まったピアノ演奏についても新たに興味深いものを学べつつあるのは前向きな項目の一つ。(2021/9/4)  
 
 
   お盆が終わったこの期に及んで梅雨入りのような状態。この三か月は健康診断精密検査やら初盆法事やらで初体験尽くしの上に里山ではカブトムシの羽化やらコムラサキやらミヤマクワガタやら子供に還ったようなこともたくさん経験できた。そこにオリンピックの熱狂とコロナ菌の更なる蔓延が重なり、挙句の果てがこの異常気象で昨年に続き慌ただしい夏となっている。 長年の気がかりと言うものが消え去ってしまい、救急車のサイレンや電話の音にまったく注意がなくなったこと。残ったものは自分自身の医者やお寺に関する様々な項目。さらには 無人化した実家の取り扱いで季節の移り変りや人為的なモノの経時変化に対する思い。(2021/8/16)  
 
 
   やっと天気も落ち着いて初夏らしくなるかと思ったら梅雨入りとかでひと月以上季節が跳んだ格好になった。これは間違いなく天変地異の流れになってのかもしれず南海トラフ襲来なども前倒しになってくることも考えなければいけない。とは言え里山のいつもの場所には金蘭が咲き始め、今年は別のところにも一株、そして例年の株には新芽が新たに出てきた。昨年の株は囲いで保護してしっかり光合成を行わせて栄養蓄積をさせたせいなのか、やはりこれも自然が何かを告げているのか。 今年はイノシシが少なく鹿はやや多く、鹿については毛皮をとったり、角付き骸骨を処理したりで、汚れは重曹で結構きれいになることも分かった。(2021/5/16)  
 
 
   ブロンズ仏像に金箔押しを施してまばゆい黄金色のご三体が 鎮座されてみると部屋全体が活気と落着きと言う相反するものながらとても前向きな空気が漂う形になった。これが黄金色のシャチホコとか甲冑などではただ ケバケバしい成金趣味となるのだろうが仏像でしかも菩薩様や羅漢様となると派手とは違って華やかな重みの荘厳な風情となるから不思議。 ブロンズ地金で膠塗膜などの残った経年変化した状態でも仏像としての形状は同じだけれど黄金色に輝くことで衣装や装身具のみならずご尊顔の表情まで生き生きと輝かしくなる。これはやってみないとわからないことではあった。手法的には銀成分の多い淡金色の金箔を張ったあとで本金色粉末を振って若干グラデーションぽくしたのが良かったのかもしれない。一度は本金箔、本金粉でやってみたいがコストが桁違いとなるし、そうなると接着剤も本漆などとなって際限がなくなる。 高純度本金は箔強度も弱く破れやすいし漆原液使用では肌露出厳禁で、下手をすると文字通り破れカブレとなる危険が大きい。

 話は変わって今回、ほぼ三十年ぶりくらいか、故有ってMRE(米軍戦闘糧食)を試食 する機会ができた。No.18ビーフラヴィオリ・ミートソース付きと言うもので、副食にビーフジャーキー、スナッククラッカーパンにソフトチーズ添え、チョコレートマフィン、トロピカル何とかという粉末ジュース、インスタントコーヒーセットそして歯磨き代替ガムの詰め合わせであった。 ケミカルヒーターは加熱温度が乏しいのでコンロで湯煎。賞味期限は一応期限内の三年物。前回と異なって今回のものはすべて結構おいしく食することができて後にもマイナスな影響は全くなかった 。 ラヴィオリの塩加減油下限も問題なく、薬味のタバスコみたいなのが良く辛みが効いている。マフィンもサッパリした甘味でアメリカらしくなくソフトチーズも申し分なし。ただ購入するとなると送料込みで\2000以上するものなのでちょっと 手は出ないがリピート意識は十分。改めてMREを見直した経験となった。(2021/5/10)

 
 
 
   アケビの花やタネツケバナ、クサイチゴなどを愛でているうちにようやく春も落ち着いてきた感じ。小型ブロンズ仏像について調べてみるとこれも結構面白い。 今回入手した3体は文殊菩薩、地蔵菩薩、羅漢のようで製造は500-600年ほど前の中国と思われる。 バランスが六頭身程度でアニメチックなのだがご尊顔の表情に重きを置いたのかもしれない。表情や台座の様式が年代や地域で結構特徴的なものがあり、身にまとった装束や装飾についても調べ甲斐がある。手足の形や向き、印の組み方もこれまた多彩であるけれど、これは歴史経緯より地域性や宗教観など複雑な気がする。文殊菩薩が乗っている獅子の形や向きもさることながらこの菩薩は左足半跏の形で一般の右足半跏とは逆になっている。 左手が施無畏印で右手が与願印だけどもこれらをもって釈迦三尊の両脇侍の右にあったとも言い切れまい。 面白いのは文殊菩薩は右手に剣、左手に経典とあるがこの像はそれぞれ右肩に剣のつばと左肩に経典の巻物を載せておられる。三尊の形式は日本独自のものらしいのでこれは坊主頭の像を二体ムリに合わせて三尊風にしたのかもしれない。二体のお坊様の像も一体は朝鮮靴みたいなものを履いており、他体は素足なので前者が羅漢、後者が地蔵菩薩と思われる。三尊に羅漢を配するのは禅宗の系統とされているらしいがこの辺になるとオリジナルの組み合わせを確認しなければいけない。こうした小型ブロンズ仏像の古美術価値を調べてみると個人的な趣味がほぼすべてで箱書きや銘などのブランド性が無いものはまずお金にはならない。三体とも制作時は全身金箔張りで鮮やかな黄金色に輝いていたのだろうけれど現状はすべてはげ落ちて埃汚れの下に膠の跡や金箔がかすかに残るばかり。日本人は古仏や古仏閣などで朽ち果てたり苔むした現状をもって良しとする向きが多いが、そんなところに歴史を感じるのは浅学無知の極みで、各々の様式形態や材質加工レベル、装飾種類などを調べれば古さや歴史も分かりそこにこそ歴史的感動をみるべきであろう。と言う訳で、この三体について金箔張りを実施して往時の輝きを再現することにした。金箔の種類は日本製、中国製、タイ製その他があり、値段はもとより金色の色合いも結構異なる。今回はタイ製の金箔を用いて、貼り合わせも本来の漆やニカワではなくアメリカ製の胡散臭い接着剤を使うことにする。普通の物品は金ピカ成金趣味は下品でしかないが仏様の像は黄金色に輝てこそ本来の価値なので、ここであったが500年目の歴史的大修復である。(2021/4/29)  
 
 
   色々と慌ただしくて二か月が 過ぎてしまった。ようやく朝晩共しのぎやすい気温となり冬物衣類の整理となる。鹿の毛皮なめしでは結局、ミョウバンなめしのレシピはミョウバン100g、塩160gを4リットルの水に溶いたモノを使用。温度は30℃程度で4-7日間浸すというもの。寒い季節にこの温度維持は 常態では困難で猟期も終わりまた秋になってからの話。この天候不順の間で低温低湿度でびりびり出ていたピアノのノイズの原因も結局わからず仕舞。またPCのほうはAquosTVをディスプレイとして使用できることが分かりyoutubeがより大画面で楽しめるようになった。また昭和初期の支那土産の銅製仏像が身近に来て文殊菩薩、地蔵菩薩を中心に天部などに関して色々と勉強したい気になってきた。(2021/3/31)  
 
 
   こ こ数年、カレンダーはミサワホームの芸術家自筆数字で作られたものをかけていたが今年は陸上自衛隊のものにしてみた。一月から気迫こもった雪上訓練の絵でとても気持ちが乗ってくる。しかしながら 年が明けてから目覚し置時計が止まったり動いたりで電池を入れ替えても症状は変わらず。この手の時計はゼンマイ式でも電池式でもバラした時点でとどめを刺す結果となるのが必定 なので今回は外面から穴と言う穴、隙間と言う隙間を通して接点復活スプレー(クレの1424)を噴射注入してみた。すると、あら不思議、中国製だからなのか見事に復活して順調に作動し始めた。 屋外の里山では猟期に入ってワナやら檻やらで日本鹿がかかりだした。これまで鹿肉をとった他はすべて廃棄していたものから鹿皮を頂いて毛皮ナメシをトライしてみた。まず毛皮内側に付着した肉片や脂肪の削り取り。これには皮剥ぎ包丁なるものが世には存在することを知り、入手して使用してみるとすこぶる良好。それが終わったら外側の泥や血液汚れ等と共に水洗し、しかる後にペット用シャンプとか人間用のヘアシャンプにて漬け洗いでリンスは無し。すすぎ洗いの後にミョウバン・荒塩溶液に付け込んでミョウバンなめし。使用量や時間や温度は適当な加減で放置。すすいだ後に木板に展開し釘止め乾燥。とりあえず内側面を外向けにして張り付けてみた。数日後に裏返し。 放置しておくとカラスがつついたりする。セーム皮は毛を除去するのだが今回は毛皮として仕上げてみた。ミョウバンが足りないのか割とパリッとした薄手の感じに仕上がって毛皮自体はソフトで温かい。敷物にするには今ひとつ質感が貧弱で、裏を張って 山ガールに人気のファッション尻皮とか冬用座布団的な用途くらいかもしれない。(2021/1/20)  
 
 
   コロナ菌に加えて冬将軍が到来し始めて当初の予想通り患者数が増大してきている。GoTo扇動施策まで加担している格好で実にお寒い現実。 夏物整理の中で放置されたハリケーンランプのリフォームを試みてみた。ほのかな明かりのぬくもりを求めて、と言う訳でもないけれど錆だらけになって蜘蛛の巣と埃にまみれたデイツNo80ブルーを見るに見かねて手を出した次第。八尾で手作りを続けている女社長のランプの話をTVで見た印象が強かったせいもあるかもしれない。これまで見向きもしなかった世界だけれど現在は欧州のヒュアハンドと米国流デイツの二系統に絞らている様子。このデイツNo80はもっとも大型で日本の銅鐸に形が似ていてちょっと親近感を覚える。構造は単純でホヤとバーナーセットと本体から成り、ホヤは蜘蛛の巣、バーナーは赤錆まみれ、前者は普通に洗い落とせば奇麗な型流しガラスで社名ロゴも造り込まれている。現在のものはガラス表面にラベル張りみたいでレトロ感はない。錆付いたバーナーセットは平芯を外して定法通りシュウ酸やクエン酸水溶液漬け込み洗浄で錆を落としてから磨き上げ。本体の浮き錆はざっとこすってからシュウ酸液塗布。塗装は同じブルー系ということでライトブルーになるけれどアサヒペンのメタリックスプレーを吹いて仕上げ。使用する燃料は平芯では灯油系、丸芯ではアルコール系とのことで現在はバーナーユニット部をLED/ボタン電池ユニットに置き換えが進んでいるらしい。タンクの燃料漏れ の無いことを確認して実戦配備してみたが、これがなかなか存在感があり黄色いともしびがこの季節に実に良くマッチする。山では禁猟期が終わり鹿やイノシシが獲れ出して今回は皮なめしにトライを始めているがこれはまた次回の話。(2020/12/3)  
 
 
   秋雨が冷気を運んできてようやく冷涼な季節となり暖房機器などの準備を始めた。長年アラジンストーブを愛用してきているが今回一台購入の運びとなり検討してみた。 定価はかなり値が張るので中古品を探索しグリーンの現行39タイプに狙いをつけたがシーズン到来の時期なのでパフォマンスは春の時期にくらべあまり良くない。しかしながら底板に錆が進んでいるが天板は奇麗なものを入手できたのでミニリフォームワークを開始。補修ペイントはニッペのマットフィニッシュのミスティグリーンがほぼぴったりの色味で錆取りした後にスポット塗色して行くと見違えるような仕上がりとなり底板固定のフランジナットやトラス小ネジも新品に交換して全体をピカール磨きなどしてみると、ほぼ満足できる出来となった。 燃焼芯は交換してくれているので手間は省け、点火してみるときれいなブルーフレームの輪が整う。こうした道具というか機器類は新品設置よりリペア・クリーニングと言うかカスタマイズ的な手間をかけると俄然愛着が増してくるのは不思議。アラジンなのだからかもしれない。もっとも人によってはアラジンは古色蒼然たるものが評価が高かったりするので微妙なところでもある。金継ぎ茶碗の味わいを良しとするかの世界に近い。(2020/11/2)  
 
 
   久しくホームページ更新を後回しにしていたがようやくインプットの気分になった。 季節外れの酷暑と夕立とスコールの入り混じったような豪雨の夏が終わって今度は急に初冬と晩夏のランダム混和の秋となった。ドングリが不作で椿が豊作で鹿だけがやけにのさばっている里山風景。コロナ騒動も結局は淘汰されるべきものが淘汰されて本来あるべき姿になってきているような感じ。無意味な会議やイベントが浮き彫りになってスポーツなんかも見るものではなく自ら体を動かしてやるものであることやショッピングや美術館巡りや観光地もゆったりと人気まばらな中で楽しむものであることが取り戻されて実にうれしい。そんな中でPC弄り、古銭弄りと屋内オタク型が一段落して、今は迷彩柄に集中気味。デザインマスクから屋外作業着やグッズ関係を片端から陸自迷彩に変更してこれから始まる炭焼きワークへと準備を進める。ピアノのほうもようやくペダリングについてわかるようになってきてこちらも音色の迷彩ワークとなってきた感もある。(2020/10/18)  
 
 
   天気予報が毎週毎週、「暑さも和らぐでしょう」と言いながら連日の容赦ない酷暑続き。オオカミ少年と化した気象予報も聞く気にもならない。いろいろ雑事に追われて里山行きは叶わない中で穴あき古銭の洗浄磨きに興味をもってピカールやらバイクのマフラー磨きなどを駆使して50枚ほどを磨いてみた。 宋銭は古すぎて美しさは感じないし波銭はちょっとバラエティに乏しいなかで清銭はお守り用になっていたりして結構ノスタルジーを感じさせる。十帝セットが基本なのだが半分の5種類で良しとして装飾風に仕上げてみた。とにかく暑いので何もやる気になれず、かろうじてコールマン508のプランジャーをゴムタイプから革タイプに交換したが プッシュオンナットを外す際にプラスチック製のサポートキャップを割ってしまい旧型機から金属製のもので代用してとりあえず組み立て。このプッシュオンナットをはめ込むときも苦労したが10φポンチを使って上から軽くハンマーで叩くと一発でしっかり嵌まった。また久しぶりにペンとインクを使う必要が出てきてヤンセンインクでチャイコフスキーの出番が回ってきた。お気に入りのオキナの便箋が製造中止になっていて残り物にえらい高値がついているので別のものを検討予定。(2020/8/27)  
 
 
   ようやく梅雨明けの声 が聞けたものの毎日にわか雨で蒸し暑い状態が続いている。古参マザボードがことごとくダウンしたのもこの気候のせいかもしれない。結局ASUSのP5B二枚、GigabyteのAMD一枚の合計3枚が廃棄処分となった。 プロはコンデンサの交換など修理技を見せたりしているが当方はそこまでの根性も技術も機器類も持ち合わせていない。無能なメンテサービスそのままに「はい基板交換でーす。」と言うばかり。しかし 今回はWin10の再生復活能力の凄さを初めて確認できたのは収穫だった。内部崩壊したマザボードの上で必死に自動修復を繰り返すWin10の努力には頭が下がり 、,結果として無事だったIntelボード上では非対応グラボを物ともせずしっかり古HDDから設定環境立ち上げ復活を成し遂げてくれた。 梅雨の晴れ間を縫って里山をめぐるとオオキツネノカミソリの群生とかホンカンゾウの開花に出会えたりとかキイトトンボの鮮やかな黄色の細棒が水面を飛翔しているのも木登りするモリアオガエルと共にこの季節ならではの点景 で、中には猛毒のはカエンタケのいかにも毒々しい深紅や得体のしれない不気味なキノコにも出くわす。(2020/8/1)  
 
 
   梅雨のせいもあるが屋内作業が続き、いろいろいじってみていると面白い発見が結構出てくる。「茶漉し」が出てきたので珈琲豆を挽いたのちに茶漉しで篩ってから淹れてみた。微粉がそこそこ無駄にはなるけれどとてもマイルドでコクが深まった感じ。珈琲がらみでは豆を炒るのにコールマンのガソリンコンロを使用してるのだけど燃料注入にガソリンフィーダーの旧型を使うようになった。これの評判は「ガソリンが漏れる」というのが結構あって新型になっているのかもしれない。最初はロック部分に指が触れるとそこから伝って漏れることがあり、Oリングをはめ込んだうえで一切可動部には指を触れずフィーダーを押し込んで注入し、終わったら少し間をおいて注入口を抜くようにするとまったく液だれ漏洩することはない。おいしいコーヒーを飲みながらPC環境に戻ると、買い替えたプリンターがBluetooth対応なのが分かったので,wifi設定と並行してこちらも設定を試みた。いまやハードはUSBタイプで何でも揃ってしまうしソフトもWin10でドライバも設定もできてしまう。高価なPCI導入にこだわるのは自作ファンの美学の領域になってしまっている。ただUSBメモリなんかは中国品の安物でいきなり書き込み不能になったりするものがあった。BIOS更新のためにEZFlash2を起動させるとローディングで止まってしまい難儀していたところUSBを取り換えるとあっさりROMを認識して作動更新できてしまった。10年前のBIOSが「最新」という中古ボードなので先行きに不安がないわけではない。 まあここまでくれば寿命比べではあるけれど。(2020/7/20)  
 
 
   と言う訳で「令和のPC再構築」を始めたのだけれど、ハードもソフトも10年以上昔のもので「こなれ 過ぎている」レベルなのですべてググれば解決するありがたい状況ではある。フォトショップCS2が立ち上がらないときはShiftキーを押しながらクリックとか、Liveメール2012は古PCでダウンロードして送信エラーは送信サーバーに認証チェックを入れ25ではなく587でつなげとか、SE200オーディオはMS対応ドライバが入っているのでオープン画面でスピーカ選択するとか、グラボもWin10がサポートしてないものだったりOffice2019の上でフロントページ2003を使ったりでこれはこれで不穏で不気味なPCワールドが形成されている。(2020/7/13)  
 
 
   パソコンはC2D世代で もう良いと思っていたがマザーボードが次々と昇天していく中で最早、中古市場にも該当代替品は見当たらず中国製の得体の知れないものがネットに散見される 程度と言う現実を前にやむなくコアi世代対応の検討に入った。今更すべてのパーツを個別に 吟味するのも煩わしく、資本投入も懐が寒く断捨離対象でもあるこの分野で、何か良い手立てはないものかとネットを探っていたらメルカリに 第一世代ではあるがCi7CPU、マザボード、メモリ、グラボがセットで処分売りされているのが目に入った。メルカリでは過去にグラボで不良品をつかまされた嫌な思い出があったが良心的な出品者のようだったので取敢えず購入してみた。マザボがパンクしたPCの電源、HDD、DVDDなどを筐体に残して掃除もそこそこに、メモリ、CPUが乗ったままのマザボをそっくり移し替えてグラボを刺してみた。はじめはマニュアルをダウンロードせねばと思ったけど今やFDDも無いし1394なんかも無く単純素朴なので基本定法通り装着結線してSWオンしてみるとBIOS段階でチップセットなんやらとメッセージが出て止まってしまう。やはり ハズレマザボだったかと思いつつF1キー押し、再起動を繰り返すと何回目かでやにわにWin10セッティングモードに進んでしまった。まさかの神出鬼没でのPC神の ご降臨に狂喜乱舞、欣喜雀躍。結果として各パーツ、結線、手順のすべてが問題なしということが証明された訳で、 久しく遠ざかっていた自作作業の自信復活もあってただただOS再導入をもみ手をしながら見守った。Win10がBIOS設定までやってくれるとは思えないが、PC起動は何の問題もなく正常に設定され 、ただOS認証は必要と言ってくるので昔買った製品のプロダクトキーを入力するとしっかり認証されて一件落着。昔はマザボが変わったらOSから買い直しなどと言われていたものだが、要はWin10入りHDDさえ無事ならば他は何が変わっても再現できるということなんだろうか 。次のマザボ更新が楽しみというか、悪い病が再発する恐れが出てきて今度はコアi世代型落ち中古品漁りに取り込まれることだけは避けなければならない。(2020/7/7)  
 
 
   いよいよ梅雨本番となって屋外活動が激減し、引きこもり状態になった折も折、十年以上を経た自作パソコン群が次から次へとダウンし始めた。これまではHDDやグラフィックボードの熱ダウンが季節行事だったが今回はマザーボードの昇天の連続で、考えてみればマザーボード以外の機器はそれぞれ適宜更新されていたがWin7も終了する中でVISTA仕様の 中古マザーボードを10年以上も継続使用してきているわけだからさすがにWin10時代には寿命が来ているのだろう。予備機と言ってもマザーボードは同時期の中古品なわけで、それらが片端からBIOS異常で救済措置もかなわ ない状況で、まあHDDが回収できるのでデータ類は助かるのが不幸中の幸とは言うものの予備機が役立たずで、PCの一番基礎の母体が交換となると付属機器 もすべて取り外さねばならず、また各機器の仕様、規格が新世代マザーボードに流用できなくなってくるものも出てくるしOSの設定も一から出直しとな りコロナどころの騒ぎではない。なぜ日本人はコロナに強いのかという疑問が出ているが、もともと中国人に安全な生物兵器として開発したのが、たまたま日本人に最も安全なものができてしまったという、いかにも中国製の感はある。武漢騒動は陽動作戦で中国が「我々も被害者です」と見せかけただけの話。超高倍率の電子顕微鏡でコロナウイルスを観察するとmade in Chinaと書いてあったという話は、ないか。(2020/7/4)  
 
 
   昨年に引き続き里山の御神木の下に金蘭が咲いた。昨年は数日後に無くなっていて、ハイカーが 採ったのかシカが食ったのかは不明だった。今年は青竹を4本切って杭にして四方を棕櫚縄で防御した上で「野生のキンラン、大切に!」と看板表示してみたら今だ無事でいる。 生態科学としてはこのランは独立栄養で生育できず、宿主樹木の根っこにラン菌が菌根を作りそこから栄養をもらって生育するとか。ラン菌が根気よく菌根を作り 日当たり水脈などの諸条件が整えば金蘭が咲く。 水が不足すると根が乾き菌根乾根とチャイムが鳴って終了するかも。大昔からご神木の周辺を敬意をもって手入れし続けてきた結果、ご神木が遣わした春の使者 が里山の神秘としてその姿を現すと言うことになるのかもしれない。 ハイキング道の途上にはニシキゴロモの小群落もあって特徴的な赤紫も鮮やかな葉脈とブルーの花が土手に散在してコナラの笹ヤブにはアカシジミ、ミズイロオナガシジミ、ルリシジミがさりげなく羽を休めている。炭の原木置き場にはベニカミキリ、ヨコヅナサシガメ、道筋にはハンミョウ、ニワハンミョウそして松林からはハルゼミの声、もちろんウグイス、コジュケイ、ホトトギス、シジュウカラなども鳴き競う。野ウサギがタンポポの花をもぐもぐ食べているところに遭遇することもある。こうした中で今シーズン最後の炭焼きを実施。スタートした一月に比べ気温も上がり炭材のみならず上げ木、留め木も乾燥しつつ温度も上がって いて炭焼きプロセスも楽になってくる。(2020/6/12)  
 
 
   新緑の中でタネツケバナとモチツツジが其処ここに咲いてジャケツイバラの黄金色も見かける季節となった。 せっかくシーズンになったのに魔がさして5/13に我がバイクを手放してしまった。これまではバイクに乗る準備にワクワクしていたのだが最近は何となく億劫にになってきたことと、やはり 反射神経などの運動能力と筋力の低下を自覚したことだろうか。コロナ世相でトラックや軽自動車などの運転が荒っぽくなってきていることもあるかもしれない。逆にピアノの方は何となく以前より指が廻るようになってきた感がある。これはロシア派の今の先生がとにかく「しっかり音を出せ」と進めてきたことで指使いや出した音のつなぎなどに注力して練習出来てきた ためと思われる。運指が楽になって音がしっかり出て、そののちに表現の世界に入ることになる。並行して音色をしっかり聴くようになって違いが分かるようになってきたのも実感する。そうして「悲愴」などを練習していると、「ベートーヴェンのピアノソナタはサラサラ弾き飛ばすものじゃない。それはド素人を驚かせて金をとる曲芸人のやることでしか無かろう、客も弾き手もそんな 雑技団ピアノ演奏をいくら積み重ねてもそこにはベートーヴェンはいない。そこで動くのは金であって心ではない。」と言うような心境になってきて、またぞろCD断捨離の優先順位が上がってくる。(2020/05/19)  
 
 
   三月にな り 桜の季節、エドヒガンが見事に満開となって今年は特に美しいように思える。世界では空気呼吸動物の人間に対して文字通り息の根を止めるウイルスが蔓延しつつある。ペストのように老若男女 無差別と言うわけでは無くやはり呼吸器疾患、呼吸器劣化の人間に対してで、ジジババ狙いのような傾向で神が老害対策に一石を投じたのではないかとも思えないことも無い。本来自ら体を動かすべきスポーツを見世物として金稼ぎの具としたり、イベントなどと大衆から刹那的に金を巻き上げる エネルギー浪費行為をすべて無に帰させて、必要悪とされている夜の盛り場等を消滅させるなど は何となくソドムとゴモラの話を彷彿とさせる。それはさておき里山の方では桜の皮細工に続いて杉の皮細工、屋根に使う檜皮葺とは違って塀などに施される。一昨年の台風で樹齢50年以上の杉の大木がかなり倒れてハイキングコースの障害となっていたものが予算がついたのかようやく伐採、玉切りされて道筋に積み上げられた。 それを薪の材料として譲り受けたのだが一部の樹皮が剥離して杉皮として発生した。若木の幹の繊細さとは異なり文字通り年季が入って野生的で堅牢な厚物なのでそのまま塀の素材となるかもとトライしてみた次第。桜ではソメイヨシノと山桜を比べてみたので今度はこちらも杉とヒノキを比べてみたくなってきた。(2020/04/03)  
 
 
   桜並木の整備とのことで切られたソメイヨシノの古木が結構な本数運び込まれた。炭焼きの 薪作りの片手間にカバ細工をトライしてみることにした。桜の樹皮をはがして表面カバーシートとして装飾補強する昔ながら技法 らしいが使うのはヤマザクラとある。 同じ桜だ、散るのは覚悟とソメイヨシノの皮剥ぎをやってみた。山桜より樹皮模様が繊細で良いじゃないかとナタ鞘の装飾に張り付けてみたがいかにも野蛮な仕上がり。 調べてみると本場のカバ細工は真夏に状態の良い山桜の樹皮を採取して、乾燥処理したのち表面をそいで紅模様を整え、それをニカワと熱ごてで仕上げて最後にニス塗りとある。試しにと昨年切り倒した山桜の樹皮の様子を見に分け入ったところ、昨年見つけた猪下あごの上部分骸骨を見つけたのでこれを持ち帰る。かなり前歯などは散逸しているが臼歯同士はしっかりと勘合し勇壮な骨頭品に落ち着いた。清掃脱色はマジックリン以外にシュウ酸や過酸化水素水にて漂白し一部は下あご同様白色スプレイで化粧直し。樺細工に戻って、近くの山桜で試したところ樹皮がしっかりしていて剥きやすくスチームアイロンで馴染ませるのもたやすい。接着もスーパーXで特に問題もなさそう。表面そぎは屋外用途なので省略し、ニス仕上げは人工的で嫌なので桐油の類の硬化油で仕上げてみた。あとは実戦耐久性評価となる。伐採では寒さのせいかチェンソーのエンストが出だしたので昨年下げたアイドリングレベルを少し上げてやり、ソーチェーンの刃研ぎ もヤスリ手作業からダイアモンドドリルビットを入手、機械化して工程改善。(2020/02/29)  
 
 
   今月でWin7が終了とのことでWin10更新ツールというのをDLして所有するPCに片っ端から走らせてみた。Win10マシンながらdllファイルが破損していて更新不能だったノートパソコンはなぜかうまく更新されて無事に正常win10マシンに復活した。デスクトップの一台は綺麗にWin7マシンからWin10マシンに更新されたがもう一台はSSDにOSを切り分けて乗せていたせいかプロダクトキーが確認できないとのことで更新できず。そんなこんなで断捨離したはずのPCいじりの悪癖がまた首をもたげてきてWin10サポート無しのRadeonグラフィックに差し替えて黒枠病になった画面をレジストリ操作にて正常化するとかのお遊びもやってみたり、廉価なMSオフィスのDL版をインストールしてみたりと初級ながらそこそこ楽しい作業ではあった。また1/12には自衛隊音楽祭に出かけてピシッと糊の効いた佇まいながら質の良いエンタテインメント楽曲を堪能して、念願の鶫ちゃんの美女囀りも十分に鑑賞できた のも良き年のスタートとして申し分なし。(2020/01/24))  
 
 
   初詣では日の出は拝めなかったものの2020年も穏やかに 明けて子年がスタートし、夜明けの極寒の中で開始した初ゴルフは惨憺たる内容となりシブコもどきのワンパットだけが成果で終わった。悪スコアはダウンウェアを着込んで回らない腰のせいにして次回に再起を期す。今年の正月で気がついたことは玄関のしめ飾りをする家がとても少なくなっていることで 、統計を見てみると七割近くがやらないらしい。同格の鏡餅飾りはうちもやっていないので片手落ちが四の五の言うことではないのだけれど正月の玄関に何もないのはやはり間が抜けた感はある。神仏を通した人同士のつながりではなく電子 回路を通したスマホが神のごとく拝金主義新興宗教として巷を席巻している訳だから仕方ないのかも知れない。コーンフレークではないがスマホも生産者様の顔が見えない。当方の天然素材回帰は昨年は竹だったが今年は皮革を少し攻めてみようと思う。いわゆるレザークラフトは竹細工での燻し竹茶道具のように非実用芸術品が頂点になっているが日常実用品レベルで肌合いの良い小物道具作りに使えればと思う程度。(2020/1/3)  
 
 
   年の瀬も押し迫り、五年以上放置していて起動不能となったWin7-PCを解体してデータ回収を試みた。HDDをUSBケースに入れて何度アクセスしても認識できずだったが一回だけファイルが開いて無事データ回収ができたのは正に奇跡。プリンターも買い替えてドライバ設定、描画レベルなどソフト面の性能向上に驚いたもののPCより先にSWオンしなければ認識しないと言う電気面の化石仕様はそのままなのは当然とは言え意外だった。来年はベートーヴェン生誕250年とのことでミサワホームのカレンダも今年はショパンだったが来年のものはベートーヴェンなので東急ハンズまで出かけて一部j購入してきた。合わせてピアノソナタの楽譜も先生お気に入りのヘンレ版をメルカリで中古購入して、先生に記入してもらっていたコメント、注意事項をこれまで使っていたウィーン原典版から書き写して更新完了。 ついでにモーツァルトやショパンもヘンレ版を同様ルートで入手し、春秋社版やウィーン版と取り替えてみた。また自衛隊 駐屯地のグッズ売り場にもアクセスルートを開拓して、下着など冬物日用品の購入を果たした。迷彩バンダナがお気に入りなのだけれど隊員達はバラクラバを使うとのことでそれも購入。聞いたことの無い名称だが要は目出し帽のこと。外から見えない下着に迷彩色を選ぶなどミリオタ病の進行が我ながらちょっと心配。しかし品質が確かな上にお気に入りの迷彩色だし隊員さんも着用していると思うとこれは他に 替えることができず実戦気分だけ共有。(2019/12/19)  
 
 
   伝あって自衛隊 駐屯地での研修会に参加する機会を得た。戦車や戦闘機などはこれまでのイベントでも間近で見ていたし戦闘服の自衛官にも接近できていたので以前ほどの欣喜雀躍は無いもののやはりピシッとした雰囲気と欲得や妥協の無い存在には里山活動にもかすかに通じるものがあって大いに共感を覚える。駐屯地内のコンビニでは様々な迷彩モノが並んでいるがそれらを手に取って見たりしているのはすべて自衛隊制服の方々。隊員らが通常生活で身につける物品なので巷で販売されている儲け主義まがい物迷彩とは明らかに一線を隔している。イベント時は一般人で混雑の極みなのだが今日は全く一般客はいない中で里山作業で必要な靴下やバンダナ、タオルなどを落ち着いて買い求めたついでに迷彩ナップザックも買ってしまった。靴下は行軍用とラベルされていて正に欲していた一品。双眼鏡なども販売されているのだがこれらは隊員が個別に購入する戦闘用グッズなのだろうか。ヘッドライトなどはある程度消耗品としてわからなくはないが双眼鏡などは貸与されてるのではないかとも思われる。それはさておき購入したものを身に着けて後日、山に分け入って、昨年に肉を取ったシカやイノシシの残骸を捨てた場所に赴き白骨化したイノシシの下あごをゲットできた。立派な牙も両方に生えていて実に 見事な面構えならぬあご構え。マジックリンやハイターで洗って磨いてみたが臼歯の間などは汚れが取れないので白色ペインティングを施して室内装飾品のレベルに整える。通いの歯医者さんのドクターがぜひ見たいとのことでいずれ持参予定。メルカリなどでも上下揃いの頭蓋骨として¥5K-6Kで上がっている様子。(2019/11/28)  
 
 
   台風が去ったらいきなり冬のような陽気でゆっくり秋を楽しむこともままならず。少しは秋の催しに浸ろうとピアノリサイタルに出かけてみた。折しもロンティボーコンクールで日本男子二人がワンツー受賞したとの快挙のニュースも入り、新しいピアノの先生の教えも身につ いてきていて自分の感受性も豊かになったろうと思いながら白羽の矢を立てたのがモナ・飛鳥。姉もピアニストでミュンヘン在住のバリバリゲルマンタイプ。プログラムはモーツァルトのソナタやベートーヴェンのハ短調バリエーション、ショパンのバラード一番もあるなど親しみ易いもので自分が目下練習中のジャンルとピッタリ。K545、K332の入門者必修のソナタではさすがに表現豊かでこれらの曲をここまで高い完成度ではなかなか聴けない。続くベートヴェン変奏曲では主題提示で正にベートーヴェンご本尊が降臨したかと思われる弾きっぷり。32変奏の展開は実に素晴らしく本場ドイツの真骨頂。ショパンのバラード1番はやはりショパン特有のヒステリックな雰囲気は皆無で、続くノクターンではかなりベートーヴェンぽくて楽しい音楽だったし、最後のリストのリゴレットパラフレーズは指も達者だし音色の色彩も自在に弾き分けていてリストの名人芸そのまま。モーツァルトでは繰り返しが省かれていたり、和声もちょっと変わったりしたけど非常に満足度の高いリサイタル となった。当人は昨日は会津若松の方でリサイタルだったようで若干お疲れ気味か、姉と違って次女の大らかな気質なのかが垣間見れて親近感も覚えたりしたのも良かった。(2019/11/18)  
 
 
   一昨年は関西に暴風雨をもたらしていた台風が今年は関東東北に猛威を振るい里山人としても心配の思いが強い。山道の補修や里山事務所の建て替えがようやくめどがついて 、このところはビオトープの修理に注力しながら秋の小学生野外体験学習の対応に追われる毎日。山道のそこここからクロコノマチョウがバサバサと舞立ち、注水系、 排水系を調節したビオトープにはキセキレイが飛来するのが楽しい。昨今の災害避難時の非常食の状況と、そろそろ温かさが恋しくなる気配に乗じてパックご飯、メスティン、固形燃料の組み合わせでの山の昼食を色々模索してみた。 これまで丸型コッヘルを使用してきたのだがパッキング効率に不満があり今回パックご飯の形状に合わせメスティンに注目した次第で簡易熱源のエスビットを数十年振りに実戦配備に導入して あらためてそれらの有効性が確認できた。ホワイトガソリンやガスを使うものはとにかく強火なのだが携帯燃料はとろ火で穏やかなので焦げ付きや過熱に それほど神経を使わなくてよい。パックご飯は電子レンジ2分か湯煎15分が標準なのだがとろ火湯煎で全く問題なく、少量の水分に直接投入し簡易追い炊き処方で加熱すると短時間で可食状態にできる。 アルコール固形燃料もエスビット品は値も張るので懐石料理などで常用化している廉価品を投入、15分燃焼品を常備することとした。メスティンは直方体なので上部に重ね置きなども安定して 共加熱できるのでなかなか使用勝手も良い感じ。 小学生の野外学習は3年生対象なのだがこうした活動では小学中学年が一番楽しい。低学年生は、ひ弱過ぎるし高学年生は妙に大人ぶってきて素直でなくなってくる。里山自然と一番シームレスに一体化できるのは小学中学年生と確信するし、我々も還暦過ぎて何年か経つと小学3年生レベルになってくるのかもしれない。(2019/11/1)  
 
 
   秋空に自衛隊ヘリが飛び交う季節になった。今年は59周年とのことで春に引き続きまた見学しに出かけた。春に比べて模擬戦は若干地味になっていたがトータルの内容はさすがに力の入ったものだった。オリンピックやスポーツ大会だけで世界平和が築ければ言うことは無いのかもしれないが中国、ロシアに対峙する現状では通常兵器でも抑止力は必要だろう。(2019/10/8)  
 
 
   地球高温化による気象異常で「暑さ寒さも彼岸過ぎまで」が定着してきているが10月になって梅雨末期のような高温多湿で好い加減にしてほしい感じ。猫に荒らされている花壇はセダムのバラ植えだったのだが近所の国道わきの吹き溜まりの至る所にセダムが塊状に群生しているのを見つけ、セダム街道の善意の清掃と偽って片端から採取してきて花壇に隙間なく埋めてみた。予想通りと言うか侵入してきた敵猫は全く近寄らなくなって彼のトイレとしては不適認識されたみたいで本件は取敢えず問題解決。かかった費用はゼロだが採取量を市販価格に換算すると\15000程なので猫除けUSSRなどを購入設置するより良かったことになる。 毎日あまりにも暑いので屋外作業はこれくらいにして室内作業に注力、大昔の革鞄やら廃棄ハンドバッグをばらして得た廃物皮革を再利用してのレザークラフト三昧、と言っても単にハトメ、カシメ、ジャンパーホック、マグネットホック使用の手回り実用品で里山道具の刃物類ケースとかキーホルダーとかゴルフ用小物を製作したまで。 レザークラフトの言葉から連想されるしゃれた美的装飾品とはまったく別の世界で配色センス、デザイン性とか加工精度に無縁なのはいつもの竹細工と同じ。 しかし山へ行かず一日中、家にいると電話が結構かかってきて、詐欺電話に引っ掛かりかけてしまった。「〇〇警察署捜査二課の木村ですが、近くで挙動不審の若者を調べたところ所持品からそちらの情報が記載された住所録とキャッシュカードが見つかりました。お手持ちを確認願います。」と来た。捜査課は県警本部組織で地方警察署には無いなど突込み満載なのにあっさり乗せられてしまったが、キャッシュカードは家内が持っており不在の旨を伝えたら「容疑者の尋問を続け、後程かけ直します。」で切れ、その後連絡なしなので○○警察署へ問い合わせると「何をイタズラ電話で警察をからかうのか」みたいな対応をされてやっと我に返り、これが警察官を装ったキャッシュカード詐欺電話かと気づいた次第。その後は局番無しの110へかけ直させられて事件未遂として本物の警察官が来て事情聴取と詐欺実例をこんこんと説明されてひと騒動となってしまった。(2019/10/2)  
 
 
   秋里を歩くとそこら中でヌスビトハギが満開で上空には オオスカシバやスズメバチなども動きが活発化してきている。久しぶりにブルックナー5番のオルガン編曲版CDが出たとのことで鑑賞してみた。嬉しいことにフロ ーリアンのブルックナーオルガンを用いており編曲・演奏者のギーゼン氏はそこの専属みたいで録音ももちろんオーストリア。パイプオルガンは録音では実演の一割程度しか価値を表現出来ないのだが これはとても上品にまとまっていて80分以上の大曲をゆったりと楽しむことができた。第五交響曲自体がオルガン大聖堂みたいな音楽なので楽器の違いによる違和感はとても少ない。 鑑賞のみならず自分のピアノの方もモーツアルトのニ短調ソナタに鞍替えして練習を始めたし、里山ワークではハイキングコースわきのスズメバチの巣を落城させ よという大役を仰せつかり、瞬殺スプレーなるものを手渡されて城攻めに向かった。スズメバチは中途半端なことをすると全機離陸されて空戦にな り上空一杯に展開して多層波状攻撃でステバチとなって襲ってくる。現場は山の斜面で足場も悪く、援護も退役シルバーで弾幕要員にも期待薄で「戦艦大和の最後 」の再現となるのも望むところではないので、敵に悟られぬよう匍匐前進にて木の根元にある巣穴にアプローチ、巣穴に先制噴射でスプレー缶を40秒全量連続放射を行い 主力部隊に離陸の暇を与えず初戦奇襲撃破、早期講和ならぬ早期土砂かぶせにて敵巣窟を密閉、地上戦のみで圧勝して 完了。残党が帰投して巣穴の付近を掘り返し始め、「第二次攻撃の要あり」と認められたものの、当方の弾薬も尽き果てひとまず撤収。しかし帰宅 してみると我が庭の花壇が敵猫によるゲリラ襲撃を受けておりまたもやマジノ線が破綻、こちらは再度作戦練り直し。(2019/9/16)  
 
 
   今日はブルックナー先生の195回目のお誕生日。クラシック音楽の日でもあり関空開港記念日でもありそのほか櫛の日、供養の日など語呂合わせも多い。先日のピアノレッスンで は 先生からニコライエワのバッハ演奏のすばらしさを聞くことができた。ショスタコーヴィッチが彼女のバッハに心酔して前奏曲とフーガを作曲し献呈して、彼女は演奏会でそれを弾き終えて生涯を閉じた そうで、素晴らしい人生でため息が出てしまう。当方はと言えば悲愴の終楽章が結局自分には無理なのだと言うことも分かったし、ベートーヴェンを練習するのとショパンを練習するのではゴルフで言えばドライバーとアプローチウエッジくらい違うことも今頃になってわかってきた。ゴルフでもピアノでも凡人 には まったく別世界での作業であって、やることなすこと稚拙極まりない。 勝手にできてしまう人に「どうやったらできるのですか」などと聞いてみても答えられるはずがないことはわかる。ピアニストの先生は本当にすごいもので、ソナタの一節をベートヴェンはこう弾く、ショパンならこう、リストならこう、ドビュッシーならと、自在に弾き比べてくれた。 ベートーヴェンの演奏は実際はかなりガサツで感情に任せたものでミスタッチなどもかなりあったとのこと。それだったら今の私のものが最もベートーヴェンの実演に近い と言えるのではないか。今では情報の権威主義的画一化と商業主義的価値基準で出来上がってしまっており、あまりにも格調高く畏まり 過ぎていて、これは地球温暖化と同じでもう誰にもどうしようもないものになっているよう。いつだったかブラームス晩年のハンガリア舞曲の実演再現演奏で聴いたものもかなり気分的で適当な感じであったが雰囲気は深いものが こもっていた。久しぶりに里山へ出かけたら山腹にはタラノキの花盛りで道端のススキの株の元には薄紫色のナンバンギセル(思い草)がいっぱい咲いていて色彩の乏しい残暑の山ではけっこうな彩となっていた。途中では金属光沢も鮮やかなタマムシの飛翔とハンミョウの道案内で上空にはトリコロールの防災ヘリも飛んで、極彩色豪華絢爛の山歩きとなってブルックナー交響曲の華やかさを彷彿とさせる一日となった。悲愴はブルックナーが第一楽章をオーケストラ化したと昔読んだ自伝にあったが、ひょんなことから今日ユーチューブで視聴できたのも何かの縁かもしれない。(2019/9/4)  
 
 
   秋雨前線が下がってきて太平洋へ抜けて秋になるかと思いきや日本海へあがって梅雨明けみたいな様相。蒸し暑い陽気になってはいるものの草木の陰には太い芋虫が目につき出した。コスズメとかフクラスズメの終齢幼虫で秋を呼ぶ大芋虫の登場。スズメガは成虫はすばしこく飛ぶのでよくわからないが幼虫はでかくておとなしいのでよく見られる。里山に入るとヒイロタケやカエンタケなどの赤いキノコが結構生えているし野道にはダンドボロギクが目につき出したし飛び回っているクロアゲハやカラスアゲハも夏の陣を戦い抜いて尾羽打ち枯らしているのも多い。生き物はしっかり秋を指し示している。炭焼き窯の修理や、材木の切り出しもそろそろ始まり、下手の横好きのピアノやゴルフもスタートさせねばならず色々と忙しくなって来る。(2019/9/1)  
 
 
   里山大学会場の待合スペースにカツァリスのリサイタル案内を目にして、これはとばかりに出かけてみた。真夏の夕暮れ時なのに開場前にはすでに300人くらいが行列を作る大盛況。プログラムは「ショパンとその弟子」と言うことでショパン一曲につき数曲の弟子たちのピアノ曲を織り交ぜる趣向のとても楽しい内容。ショパンでは最初のプレリュード20番と最後の英雄ポロネーズが最強でスケルツォ2番がそれに次いだ。ワルツ7番は「セピア色の憂鬱」ではなく極彩色のカツァリス節でCDでおなじみだったものがようやく目の前で聴けて感激。弟子のフォンタナやミクリ、テレフセン、グートマン等すべて初めて耳にする佳曲の数々。 ポーランド舞曲や東欧のメロディーの中にショパンの名曲が浮かび上がる情景と思いきや、彼は弟子たちの曲を丁寧入念に弾きこんで聴かせ、ショパンの方は毎度おなじみと言った風情の手慣れた演奏。まあ弟子たちの曲は聴衆に馴染みも無いし名人芸を見せつける内容でもなかったからそのしわ寄せを背負わされてしまったのがバラード1番だったかもしれない。アンコールの最後がバッハ、オーボエ協奏曲ニ短調の叙情楽章、さすがにベートーヴェン7番はかなわなかったが質の高い聴衆の中で最高級のピアノの世界に浸れて大満足ではあった。(2019/8/5)  
 
 
   雨季が終わり今 や完全に欧米の熱波が日本を覆いつくし酷暑日が続いて対野良猫花壇防衛戦も双方共に作戦行動が困難な状態になりつつある。我が布陣のマジノ線の補強も終わり、ジークフリート線にもUSSR(Ultra Sonic Stray cat Repeller)を増強配備、花壇は全面にワイヤメッシュを張り巡らして備えを固め、 実弾水武装した防空識別圏周回偵察も定常化した。先日、当カーポート屋根上に展開した敵猫を捕捉、直ちに地対空ウォーターガンの威嚇射撃を連射して敷地圏外に放逐し、また 他日は植込みの茂みに潜伏した敵猫に対しても地上部隊が出動し奇襲接近戦にてスナイパーガン威嚇放水射撃を敢行するとともにUSSRを鳴動させてスクランブルモード、領域侵犯のリスクを 認知せしめることに成功した。その後は連日酷暑のためもあるのか防空識別圏内に全くその姿を目撃されていない。この二度におよぶ空陸両軍による防衛戦ではウォーターガン実弾水に水道水を 充填使用したが次回からは威嚇ではなく実戦射撃として芳香剤入り洗剤など目を傷めず毛皮洗いに良いとされるキャッ トシャンプなどの配合剤を検討中。また外交交渉においても努力の甲斐あって地区一帯に愛護センター発行の野良猫餌やり注意のビラが回覧配布されるとのことで問題の根本解決の兆しも見える。この 注意ビラ配布後も隣家の餌やりが継続された場合はその筋からの個別忠告を経て先方の行政指導順守義務違反が確定する形となり、当方の部外経費や損害額についての損害賠償請求訴訟 の際には有利に働く事となる。法廷戦は好まないものの今後の成行きが注目されるが法廷では猫被害に理解のある弁護士は散見されるが一般に、裁判長は花壇いじりなどはやらないため猫被害などに理解 度が劣り逆に猫好きが多いなどして判決には非常に不利との話も聞く。(2019/8/02)  
 
 
   これまで台湾付近で発生していた台風が地球温度上昇の過渡現象化によって日本近海で発生し始めた。小笠原高気圧も偏西風もグチャグチャになって天気予報も態をなさず梅雨明けと言うものも定義から崩壊している。そんな中で領界侵犯野良猫掃討作戦は二週間ほど経過してマジノ線、ジークフリート線とも脆くも突破され花壇の苗に損傷を受けてしまった。超音波発生器USSRも長雨で太陽電池充電が枯渇し作動不能に陥っていたようでこれはUSB充電を実施。並行して外交面では動物愛護センターやら市役所の所管部署やらTNR組織やら地域自治会に連絡を取り善後策を模索したが今のところ実効のあがる 停戦措置は取られずじまい。前線では両防衛ラインの補強及び防御策の強化を図りながら次ステップへ向けて決定打を見出すべく防衛戦術と言いつつ攻撃兵器の選択へと移行した。 非武装中立はひとまず棚上げし事態の重大性に鑑み高性能ウォーターガンの使用承諾をとり調査する中で、高圧水洗浄機 、動体反応スプリンクラーなどは価格および機動性の点で本戦況では不適当、個別マニュアル型放水銃の使用で進めることになり、実弾である放出水質の組成検討に入った。オレンジオイル乳化液、ウール用洗剤液、園芸用殺虫剤液、液体肥料、などを濃度最適化を経て順次投入し効果を確認する 方向でウォーターガンの種類についてはスナイパー仕様で加圧式連続放出タイプの長距離グレード機の配備を採用した。各種弾薬液の種類に合わせてウォーターガンの 複数並行配備も提起されたが投入兵力の制限もあり取敢えずは単機決戦で臨むこととなった。 敵猫は我がカーポートの透明ポリカ屋根上でくつろぐなど制空権も奪取しており頭上の脅威ともども苦戦を強いられることが予想される。(2019/7/28)  
 
 
   数か月前から敷地に野良猫が出没するように なって芝生の上に糞をするわ、花壇を荒らすわ、ケンカを して毛をまき散らすわで、遂に堪忍袋の緒が切れて「領地侵犯野良猫掃討作戦本部」立ち上げた。最初は出入り口を確認して封鎖すればよいだろう位に軽く考えていたのだが、目撃個所を封鎖してもまたどこからともなく出入りしている状態で、聞けばイヌは二次元でルートを作るが猫は150cm程度もジャンプして空路も設定する三次元でルートを決め、サラリーマン宜しく学習した立ち寄り場所、 巡回コースは嵐になろうと地震になろうと死守するらしい。うちの垣根は猫にバリアフリーなどと言っている場合ではなくなり確実な 侵入阻止体制の構築のみならず、攻撃兵器、迎撃兵器両面からABCDE複合戦術兵器の実戦配備を企画立案となった。 麻酔銃・麻酔弾からトリカブト毒を塗った吹き矢、ウール用洗剤入り水鉄砲など調査検討しつつ宣戦布告に先立ち関連法規を確認すると鳥獣保護法ではなく動物愛護管理法が施行されており「みだりに殺傷、虐待してはならぬ」とある。「みだりに」とあるから一匹ぐらいは良いのかと思いきや、法律用語で「みだりに」と言うのは「法定の除外事由が無く」と言うことで、花壇を荒らす野良猫を花壇の持ち主が退治すると言うのは、法では認められてないとのこと。実際的には野良猫一匹を殺処分してしまっても立件されることはないようだが考えてみると猫は化ける 恐れがあり化け猫になれば実戦想定レベルをはるかに超えた状況となって収拾がつかなくなる。動物愛護法も 実は猫は化け猫になるから殺傷するなと言うのが本当のところなのかもしれない。と言うことで専守防衛、非接触、間接的防御作戦に絞り実施する事とした。隣家との境界柵にはワイヤメッシュを使ったり簀子状の飾り柵を用いてマジノ線を建設、反対側の境界には細い針金を張ってジークフリート線を建設済みなので、まずは物理的力学的戦法として猫向け 撒キビシとでも言うべきトゲトゲマットを敷設、周りにはケミカル兵器と言えるシトラス系香料、木酢、硫黄乳剤、コーヒーかす、ハーブなどを配置してみたが全く効果なし。トゲトゲマットもろとも土を掘り返し用便していく有様。この 初戦歴史的大敗に大本営も激怒、怒髪天を衝き、生物兵器としてドーベルマンを敷地に放つ案も出たが、 最新電子兵器として超音波発信スピーカ装置(Ultra Sonic Stray cat Repeller、コードネームUSSR)の導入敷設を急遽実施する案が採用された。価格は¥1000-8000ほどで性能も優劣あるが防衛力整備計画も無 かったため 臨時予算で廉価版を導入、花壇近辺に実戦配備し即応体制確立、敵の出方を待つことになった。(2019/7/14)  
 
 
   7月を迎えてヨーロッパや南米は異常気象だけれど日本は例年通りの梅雨の毎日で外作業が極端に制限されて仕方が無いので屋内作業が主体の毎日。手作業は竹細工に飽きたので皮革細工でキーホルダーの製作、ワッペンの装飾などやピアノの練習。あと野良猫が花壇をトイレ指定して荒らし始めたので対策試行実施の数々。まずキーホルダーについてはその昔デスクマット作製で余っていた端切れ皮革を用いて帯革とナスカンの組み合わせの一番単純なものをハトメで飾りホックでまとめるタイプで量産試作。ハンドバッグのショルダーベルトから簡単に二つ出来てしまうものながら屋外作業で腰ベルトに吊り下げるタイプなのでカラビナ代替として稼働開始。ワッペン については、バイクに乗った際に変な欲求不満の白クーペなどに煽られるのが嫌で後方向け注意喚起として「ドラレコ撮影中」表示とか、旭日旗とか、菊の御紋とかを検討して、菊の紋章については天皇家は十六八重表で畏れ多いのでパスポートに使われている十六一重を選定してみた。しかしながらはたから見て区別できる人がどれくらいいるのか、みんな「やー様印」ととらえるだろうから有効だろうと試行を検討したが入手したものが四輪車用でバイクにはちょっと大きすぎるので没、それではと言うので旭日旗でやろうとするもこれはこれで一部の向きには逆効果かもしれず、これはまずテストランにて効果確認予定。 ピアノの方はショパン音楽院帰りの先生のおかげでタッチと指使いをゼロから見直すことができて鍵盤にも力が入り、そのせいか五月の異常気象のためか完全に調律が狂ってしまった。いつもの調律師さんは純正調など学術方面が多忙となっている様なのでニューフェイスを依頼して音の狂いはどうにか修復できた。結局、野良猫対策が最もハードなものとして残ってしまったがこれは今後のお愉しみ。(2019/7/2)  
 
 
   ようやく六月らしい陽気になったので久しぶりにバイクで里山エリアを周遊。曲りくねった登り坂道でホンダCBっぽいのがこけていてミニパトが出ていたのが一件、両サイド田んぼで見通しの良い直線道でカワサキっぽい大型バイクがパトカーに止められて切符切りの真っ最中が一件。いずれも他山の石としながら罰金防止を含め安全運転に努める。あおってきた白いクーペにはすぐに道を譲り、若い二人のツーリングの後に続いていたが右折流入信号待ちのスタートで初心者っぽい姫バイクの方がピッとクラクションを誤報してちょっと立ち往生。ウインカー誤操作のその焦り、よくわかります。車間は十分とって後ろに控えていたけど「プレッシャーかけていたらごめん」と思いながら先に行く。5年前に我が愛機を購入したのもこの頃でド緊張走行の中、早苗が田んぼに育ち始め栗林の花の香りが至る所で漂っていたことを思い出す。バイクとピアノで「晴耕雨読」ならぬ「晴走 雨奏」を実践したいと思っているけれどもピアノの方はどんどん劣化していくのが悲しい。以前はリスト音楽院帰り、今はショパン音楽院帰りと言う二人の大先生についてレッスンを受けてきている訳だけど能力欠如は如何ともなし難い。バイクのように失敗したら罰金か命に係わると言うものだったら少しは上達するのかもしれない。(2019/6/25)  
 
 
   今年 は春の異常気象のせいかユキノシタが少なく不作のようだし昨年は乱舞していたキアシドクガもかなり少ない。先日は湿地帯の生態 観察として皿池湿原を訪問し、ハッチョウトンボをはじめヒメタイコウチやトキソウ、ノハナショウブ、モウセンゴケ、カキランなどを 目の当たりにすることができて非常な収穫だった。 しかし近くの里山沿道に一株のキンランが咲いていたのが数日後には盗み取られていた。シカの食害とハイカーの乱獲などと常緑樹を中心に大木化していくことで草本類は貧弱化している。(2019/6/16)  
 
 
   里山ではウツギ、エゴノキやスイカズラの白い花が目立つようになりシロチョウ類は姿を消し、キマダラヒカゲが主流となっている中で鮮やかなキンモンガにお目にかか れたり家のクロモジの葉陰にアカシジミを見つけることができたりしている。炭焼きの方は終盤に入りチェンソーの出番も無くなりつつある中で昨年の今頃は竹細工でひしゃく作りなどに没頭したりしていた のが今年は煤竹が数本手に入ったこともあって茶道具風の花入れや筆入れなどの製作に興味が再燃しだした。また古本屋関係では昨年は図鑑の買い替え購入に明け暮れていたが、今年はピアノ楽譜になりそうな気配。昔々のシャーマーズ版やペータース版なのだが最近のヘンレ版や春秋社版等よりも何か懐かしい香りがあってピアノの練習にも新たな気分の盛り上がりが感じられる。もっとも最大の理由は今度のピアノの先生が指使いを熱心に検討してくれて、とても弾きやすくなったりして楽譜読みに力が入ってきたせいなのだけれど。現在の商業音楽と過去の芸術音楽との線引きを明確にするようになるにつれて演奏の好みや価値基準が変わってきている。ベートーヴェンのピアノソナタと言えばバックハウスやシュナーベルだったのが、あれはバックハウスやシュナーベルであってベートヴェンでは無いと断ずるようになり、バレンボイムなんかに感動するようになってきた。 情報過剰な昨今でも作曲家に忠実な演奏はほとんどなく、競争的自己顕示や権威迎合の金儲けツール演奏ばかりになってきていて、一般の小規模なピアノ発表会の中で、純粋に作曲家と向かい合っているような演奏を耳にすると本当にうれしくなる。(2019/5/25)  
 
 
   断捨離項目になっていたゴルフをGWに入って数年ぶりに再会するはめになった。当然スコアはゴルフを始めたときよりはるかに悪化していたが身内メンバーと言うこともあって非常に楽しいひと時となった。ボールドロップ高さやピンフラッグの処置などルール改正も知らずで、久しぶりに 取り出したゴルフシューズが二足とも劣化で口パク状態になったりとか衣類箱から出した服装にしても今では古色蒼然のニッカポッカで登山口に来たような感じもあってショット、パットとも旧悪悪夢再現となった。先にその昔に購入したバイクブーツも口パクになり、バブル時代なら即廃棄、新規購入なのだがすべてゴム接着剤にて修理敢行。 「平成の消費景気に疲れ果て、令和であくびのレジャー靴」と一句。音楽の方もヨッフムのブルックナーを鑑賞しなおしたが、ベートーヴェンのピアノソナタではバレンボイムのすばらしさを確認できたりとかなかなか有意義な時間を過ごせた。ベートヴェンとかショパンとかは演奏家としてアピールせんがために難曲を名人芸で弾きこなす必要があったし、今の演奏家も食っていくために同様にやっている訳で、名曲は楽譜自体が名曲なのであって鑑賞する方は彼らの超絶競争に巻き込まれる必要も無い。 コンクール優勝演奏は名演奏だけどそれらは名曲ではない、と言うことで悠々自適のピアノソナタを追求することを意図してOp28「パストラーレ」に取り組むこととした。これまでに見聞きした録音も大部分が商業的消費物であるけれども保存芸術として製作された感が強いものを選択することで断捨離を再開してみる。オケものではフルトヴェングラー、カール・リヒター、オイゲン・ヨッフム 、朝比奈隆だけが残る予感もある。(2019/5/3)  
 
 
   ハスクバーナ435はキャブ、エンジンなどまでチェックしたがスターターが引っかかる 「上死点動摩擦抵抗」が解決できず起動できず沈黙のまま。そうこうするうちに季節は春一色となり里山はミヤマセセリ、スジグロシロチョウが飛び交いだし足元はヒメオドリコソウ、キジムシロ、タネツケバナ、クサイチゴ、キランソウといろいろ咲き出して山腹はミツバツツジ、アケビと満開になってきた。今年はショパン没後170年とかでミサワホームからショパン 筆跡カレンダーが出ていたのを知った。当然新品はすべて売り切れだったがメルカリにいくつか出品されていて無事にその一つを入手出来て早速飾り、部屋の壁がショパンの香り漂う良い雰囲気となった。新しいピアノの先生にベートーヴェンも練習しなさいとアドヴァイスがありヘンレ版でパストラーレ ・ソナタの楽譜を入手。また四月四日の調律の日がらみのピアノイベントでは若手ピアニストの端正で気品あふれるバッハを鑑賞したり故合って、文楽公演にも初めて鑑賞の機会を得 たこともあってとても有意義なひと時も過ごすことができた。「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」の原典をようやく実物で知ることができたし義太夫、浄瑠璃など馴染みの無かった事柄に近しくなったのも大きな成果。里山でも雛飾り用の竹の伐採などやっているうちに煤竹と言うか燻し竹の古束が見つかり 、沙汰やみになっていた竹細工への興味も再燃して早速、茶道具もどきの花入れを試作に入るなどバイクシーズン到来とともにいろいろ雑多な道具類が散乱することとなってきた。(2019/4/28)  
 
 
   ハスクバーナのチェンソーいじりが病膏肓に入りようやく峠を越えた感じ。346XP旧タイプがすんなり始動したので42も435Eも同様と甘く見て取り組んだのが誤算の始まり。435Eは一回動いてそれっきり、42は全く動く気配は無く、燃料供給系のトラブルモード。調べてみると燃料ホースがキャブ手前で異常硬化して亀裂を生じ内部がガソリン臭い。そこを直して始動させたら何回か動いたのちに停止。キャブを交換しようとしたら異常な高価品で手も足も出ずダイヤフラムの交換と内部清掃に留める。その甲斐あってかようやく安定稼働となる。435Eもそれに準じてと思ったらこの機種は恐ろしく顧客不満足製品でマフラーも取り外せないしキャブのLH調整も専用工具が必要、エンジン回りも得体のしれないビスナット類で防御されている。プライマリポンプの破損は部品交換したものの始動は不安定なのでキャブ洗浄に踏み切る。しかしながら洗浄失敗なのかスターターを操るごとにエンジン内にガソリンが滞留してしまいスタート不能となてしまった。仕方なくキャブやプラグを外してガソリン抜きを行なうもなかなか抜けてくれない。ほどほどロープが引けるようになったところでキャブレターを同等品と交換。特殊工具とやらも取り寄せてLH調整の末にようやく始動と相成った。ハスクバーナのキャブ調整は最初始動しにくいが動き出すと高トルクになるような設定にしているようなので逆にLを緩めてかかりやすい設定にしてみる。(2019/3/20)  
 
 
   冬 季寒気団の南下ラッシュもどうやら終焉のようでそろそろ春の到来かも。今年の二月は長年の夢だった日本海の蟹三昧ツアーから始まって、炭焼き窯活動の開始についてはキャタピラー仕立てのクローラ運搬車の操作を経ていよいよチェンソーの作業習得へと駒を進める体制となった。エンジン発電機と合わせて里山作業のエンジン三本柱の習得は自然の中での人力活動に対する機械力の導入と言う事で若干心理抵抗はあるものの、運動能力の低下を補う上では仕方のない妥協ではある。チェーンソーについては故障放置されていたハスクバーナ社品を三台預かって蘇生活動を始めてみた。音と動作に対する恐怖感から近づけなかったチェンソーも小形2サイクルエンジンの素朴さ、機構の簡素さに興味が出てきて、動作手順とその理由の理解からエアフィルター、プラグ、エンジンフィン、燃料フィルターと順次清掃作業から開始してみた。最初はウンともスンとも言わなかったものが清掃の過程でいきなりエンジン始動できたりして俄然面白くなってしまった。2台が何とか動くようになり最後の一台はキャブの分解清掃まで行きそうな感じ。そうこうするうちに里山大学もめでたく終了出来て次のステップとなりそうだし大型バイクの方もエンジン始動してみて春と共に屋外活動開始準備。(2019/2/18)  
 
 
   冬やら秋やらわからないままに、リース作りやら猪鍋やら餅つきやらでドタバタしているうちに新しい年が明けた。しっかりした冬型の気圧配置で、元旦の初日の出もしっかり拝むことができて穏やかなお正月となった。里山では赤い木の実が目につく程度だが樹木の種類特定は結構難儀する。図鑑を買いそろえて学習してもやはり記憶力の減退は争えない。今年は昨年を糧にさらに展開しようかと思ったけれども初詣のおみくじがしっかりブレーキとなりそう。新春のウインナワルツを楽しんで竹細工の続きを開始しながら梅の開花を待つ、好々爺みたいなスタートになるかもしれない。(2019/1/3)  
 
 
   秋祭りが済んでいよいよ芸術の秋が本番。 ピアノの方はシンフォニアの11番に取りつかれて練習に時間を取り、聴く方はブロムシュテット/N響でブルックナー9番の録画を鑑賞。先月だったかジョナサン・ノット/東フィルで聴いて感激したのだけど、このブロムシュテットは久方ぶりの圧巻だった。金管も木管も見事な演奏でドイツ、オランダの重たい9番とは対照的な シャキッと活発で明るいウィーンの香りがする演奏でシューリヒトの流れが感じられたりして素晴らしい世界を堪能できて大いに満足。フィギュアスケートも「下町ロケット」も犠牲になってしまって、それがちょっと残念だがこれらは見逃し対応で何とでもなるし。里山の方は竹細工とリース作りに焦点が合ってきて材料収集に力が入る。竹の方は太物をベースに中に廉価版庭園灯を バラして太陽電池とLED点滅ユニットだけを、側面に丸穴を開けた竹筒の内部に仕込んで和風庭園灯の完成。日照時間が短くなっていて点灯時間も夜中には消灯してしまうレベルだがなかなか乙な明かり が和庭の点景となっている。リースの方は松ぼっくりやらドングリやらを拾い集めてスプレー彩色。ドングリはこの時期はすでに皆ヘタからとれて散らばっているので形の良いヘタを見つけてドングリを一つ一つ 瞬間接着剤止め。クスサンの繭の抜け殻は見事なネット状なので金色に染めるととても綺麗な造形品として映える。リースもこうした素材を枯れた茶色のまま使う自然派といろいろ鮮やかに彩色して飾る都会派に分かれる。 彩色スプレーも去年は鮮やかなブロンズカラーがあったが今年は見当たらない。里山はノコンギクが満開でイヌタデもあちこちで彩を添えている。炭焼き準備ももうすぐ。(2018/11/5)  
 
 
   今日で九月も終わりでお彼岸も過ぎてあぜ道にはいたるところに曼珠沙華が真っ赤に咲いている。里山ではアケビがあちこちで白く開いて栗のイガが落ちている木陰に岩擬宝珠が綺麗な青紫の花を房状につけている。蝶々はウラギンシジミとツマグロヒョウモンの独擅場。台風や前線の影響でやたら大雨が降り道が削られ土砂がたまり、またこれまでになかった方向からの強風で樹齢五十年以上の大木が結構な本数で倒れている。 山道の補修も土方作業と木こり作業のダブルワークでなかなかはかどらない。わずかな秋晴れにバイク日和と乗り出そうとしたらバッテリーが昇天していて、バイク屋さんで交換してもらい気を取り直して走ろうとしたら右折交差点でエンスト立ちごけ。方向指示器とブレーキレバーの先が折れてカウルもアルミボルトが二本破損と散々の幕開け。(2018/9/30)  
 
 
   あっという間に二か月たってしまった。タチイヌノフグリが咲き出しふもとの方ではウツボグサ を見かけたのが夏前。記録的豪雨と、昨年とは風向きの異なる台風とそれ以外は酷暑の連続する毎日だったが里山ではイシガケチョウ、スミナガシとメスアカミドリシジミなどこれまで馴染みの無かった蝶達と巡り合い。バイクの方は車検を忘れていささか慌てたことや植物図鑑類を整備しなおしたことが記憶に残っている。先日の里山歩きではマンネンタケに巡り合った事とコマツナギが鮮やかな花を咲かせていたこと。これからしばらくは雨風に痛めつけられた炭窯と、そこへの山道の整備作業が課題。(2018/8/30)  
 
 
   今年度の炭焼きもそろそろ終盤。里山の樹木も今はクリとクマノミズキの花盛り。オニグルミは房状の実をつけムラサキシキブのピンクの小さい花も所々に目を惹く。道端ではオカトラノオと クララの花が綺麗に穂状をなしている。飛び回ているのはルリシジミと思われるのでいずれ確認予定。少し行くとクヌギの木の下でムラサキシジミが金属光沢の羽を休めてい た。梅雨入り特有の薄寒い不安定な空模様の下で炭切りをすべて済ませたあとは夜毎に鹿にかじられ続けているコゴミの生育エリアをチェック。(2018/6/14)  
 
 
   このところ虫や花に色々と巡り合えて興味深い初夏の日々となっている。先日はキンヘリタマムシやアゲハモドキに出会ったと思ったら今日は、図鑑で見て会えたらいいなと思っていたアケビコノハの幼虫が葉っぱにしがみついていたし北側の斜面にはハルユキノシタが小群落を作って咲き誇っていた。ヒカゲ蝶やコクワガタにも今年初でお目にかかったしフタリシズカかと思っていたらミズタビラコと思しき野草が谷川の際に咲いてるのも初体験ではあった。ウラギンシジミが急に飛び回り始めたし、今年もキアシドクガが大発生の兆し。(2018/5/29)  
 
 
   ゴールデンウイークの喧噪もメイストームと共に瞬く間に過ぎ去って緑一色の本番の季節。花はモチツツジ、タニウツギのピンクが新鮮な美しさ。金蘭にあわせてシライトソウがヤブ斜面の一隅に小さな試験管ブラシか洗い矢のような純白な立ち姿で付近を圧倒している。 水辺にはカワトンボ、オオアメンボが春を謳歌しているようで蝶も負けずに小径の草むらにはトラフシジミ、道を軽快によぎるのはヤマキマダラヒカゲ。それらを見てこちらも40年ぶりに図鑑類の買い替え。今はネットでググったほうが種の同定検索なども容易で早いのだけれど、やはり図鑑を見ながら関連情報を楽しむのが気持ちが和む。ネット検索などのおかげか図鑑類は中古本で非常に廉価で入手できてこれはこれでありがたい。小鳥の鳴き声なども追いかけてみたいのだが今は昆虫と植物で手一杯。(2018/5/8)  
 
 
   春たけなわから初夏の兆しへと 瞬く間に景色が移り変わっていく。エドヒガン桜からイヌザクラ、ウワミズザクラへ、コバノミツバツツジからモチツツジ、ショウジョウバカマからマムシグサと上も下も次々に装いが 移り変わって、キランソウ、タネツケバナの周りに飛んでいたのはツマキチョウ。今年は♂♀両方に巡り合えた。春の食材もワラビ、ゼンマイからウド、タケノコが真っ盛り。 タラの芽は乱獲する輩が跋扈しているようで無残な姿があちこちに見られる。 2月に切出した真竹の余りを活用して竹垣の痛んだ部分の補修を一通り行い一部グレードアップも実施する中で棕櫚縄の男結びもようやく使える締まりが得られるようになった。 余り竹や交換した小物の竹棒を利用してひしゃくやバンブーチャイムの試作も やってみた。ひしゃくは本体にあける持ち手の穴くらいが要だけれどもバンブーチャイムはいろいろと感どころ満載。鐘と舌と短冊を適当に組めばよいだけの風鈴と違ってバンブーチャイムは舌に相当する部分が時計の振り子のような構造にしてやる必要があり位置や釣り糸の長さが微妙に制限されてくる。音色や部品の絡み防止などといろいろな要素の集積物。インドネシアの一般的な土産物らしいけどあれはかなり生産性にも配慮された優れモノと見受けられる。いずれにしても色々試行錯誤の結果の試作品を軒に下げてみるとなかなか良い音楽を奏でてくれる。(2018/4/23)  
 
 
   ようやく本格的な春になった様子。その後里山活動では、茅刈り、炭窯の火入れ、炭出し、炭切り、さらには雛飾りでの雛壇組み立て用の真竹切り出し等と続き、その間にも狩猟期で獲れてきたシカやイノシシの解体のお手伝い。里山のハイキングコースの山道補修などもあってかなりの多忙な毎日となった。                      自宅の方では懸案だったシャンデリアの導入が実現した。一番コンパクトな三灯もので地味系のイタリアンビンテージ タイプを選択。イタリアと言えばヴェネチアガラスのムラノシャンデリアだが、そのような恐ろしい別世界とは異なり、一般の派手でキラキラ物のカットグラスの集合体との先入観 とも真逆と言えるすべてモールドガラスの50mmティアドロップと14mmオクタゴンの組み合わせを主体とした、かなりシックでシンプルなもの。しかしフレームは真鍮でデザインはアールヌーボーアラベスク スタイルのなかなか華やかで優美な形でカールした葉っぱの先にすべてガラスパーツが下げられている。モールドガラスのしっとり感とカットクリスタルのきらめき華やかなシャンデリアの融合をもくろんでスワロフスキパーツをいくつか導入検討。オクタゴン部分をすべてカットガラスにする手もあったが、内側のガラスパーツをスワロフスキにして外側にモールドガラスを残して組みなおしてみた。Tピンのつなぎ方も初めてだし丸ヤットコの使いかたも良くわからないまま 試行錯誤してとにかくも部屋にマッチする装飾照明にはなった感じ。(2018/4/2)  
 
 
   年明け早々から風邪をひいてしまいようやくひと段落。非常識ともいえる強烈寒波のせいで治癒は遅れるし外仕事が全くできず。とは言え炭焼き窯には木材類を仕込み、本年第一回の炭焼き実施。 また小学生の耐寒登山に向けて登山道の整備は協力できたが、登山立ち合いは体調不良にて断念。次の予定は野原の茅の刈取りとのことで鎌を研ぐなどの準備を進める。砥石の類も見直して一通り調達済み。(2018/2/1)  
 
 
   年末の予定を次々にこなしているうちにありがたくも穏やかな新年を迎えることができた。初詣のついでに初日の出を拝んで帰って飲む清酒も久しぶりに専売店で買った羽田酒造の「初日の出」、お雑煮のおもちも年末にみんなでついた物だし締め飾りも稲わらを叩いて撚った自作とくればもう言う事なし。おまけに年賀リースまで今回は自作品を飾りとても充実したお正月と相成った。 年末に里山で拾った松ぼっくりをスプレー塗装したりとか、例年ではありえなかった展開にまずはびっくり。そのほか山の斜面で柱用のヒノキを切り倒して枝打ち、皮むき、薪と釜戸でご飯炊きなど完全に半世紀ほどタイムマシンでさかのぼった時間の使いかたとなったが今年はそれに加えて炭焼き実践と進む手はずでこれまた面白くなりそう。(2018/1/3)  
 
 
   結局、今年の冬は早くて寒いと言うことで進行している様子。この第三4半期は非常に運命的とも言える展開で物事が過ぎてきている。長年折に触れて遊んできたピアノもはっきりと「センス無し」との引導を渡されて下手ゴルフと同様にスッキリと出来た。 努力練習を積めば熟達するなどと、天性の資質と言う因子をを無視した幻想から逃れられずに来たわけであるけれど、これをきっかけに柄にもない事に執着 することなく下手の横好きには見切りをつけられた。興味の赴くままにボランティアをメインとするアウトドアライフを通して人間交流拡大、運動不足解消、採食主体健康改善の三要素がすべて満たされるようになってきたし、地域の風土としての価値の再認識なども興味の対象に変わってきた。幸か不幸か里山と呼ばれる地域に隣接した場所に居を構えた結果、周りを見渡せば当然そうしたアイテムに目が行くことになる。今や完全に生活サイクルから切り捨てられた炭焼きと言う事柄を通してすべてを原点に返って見直すきっかけがこの第三四半期の最大の収穫となろうか。(2017/12/19)  
 
 
   十月と言うのにいきなり夏がぶり返したようなここ数日。フェイジョアの実がかなり大きくなってきたなと見ていた ら軽快な飛翔で天狗蝶が降臨。今年は場所によってカメムシが大発生しているしこの蝶々もこの近辺で大発生しているのかもしれないと思いながらも珍客ではあるので色々ショットをトライする。最近になってピアノの方もようやくゴルフと同じで下手の横好きから上がることはないとの確信ができてきてカメラやバイクも含めて見直し時になったようだ。ゴルフやピアノは努力の結果が全く裏切られるばかりだしバイクは始めから峠攻めなどは挑戦する度胸もない。 カメラの方は数撃てば当たる感じがあるし、デジタルになって道具の差や限界が薄まってきて結果が楽しめる機会が増えてきた。もともとシャッターチャンスは 機会遭遇、偶然の 産物なので競い合うレベルでもなく能力よりも運と努力の差で決まってくる。何であっても結局は強運を背負っている人の幸福にはかなわない。(2017/10/11)  
 
 
   残暑も去って秋風が立って蝉の声は完全に途絶える中、弓削牧場などに行って乳牛浴しているうちにコードブルー3と共に夏は終了。炎天下から作り始めた最後の建造物、半アーチが完成した。庭弄りもどうやら基本インフラの山場を越えて、これから本題の植物に入れる見込みとなった。バイクも久しぶりに洗車して購入したころの輝きがよみがえり、バイクジャケットもそろそろ夏衣装から衣替えに移行しなければならない。TVドラマのコードブルー3を楽しんでいるうちに戸田恵梨香さんつながりで映画「阪急電車」を見比べたりしていたら共通項のヘリコプターに焦点が合ってしまった。 気が付けば秋空を自衛隊のOH-1、AH-64Dなどの編隊が定期的に飛行をはじめ、昔バードウオッチング用に購入していた双眼鏡を取り出して機体観察を始める仕儀となり妙な趣味に取りつかれつつある。どうも我が家の上空近くが周回コース転回点のようで実によい角度で間近かを9機編隊が次々に通り過ぎる。しばらく取り付かれそう。(2017/10/6)  
 
 
   今日はブルックナー先生の誕生日。彼のシンフォニー鑑賞からはかなり遠ざかっているが、暑さもようやく沈静化してきたようだし又一度聴き直すのも一興。 アウトドア主体で春から開始した庭弄りが物置造り終了にてようやく一段落付いた。昨年の竹垣つくりとは一味違って、レンガ張り、タイル張りなどの地上戦と物置などの木工工作で真夏の炎天下ではなかなかハードではあった。ただ物置についてはこれまでの市販鋼板組立品と比較すると、使い勝手などより設置することで庭自体の格調がまったく異なり意外な驚きだった。単純には屋根の見栄えで、鋼板プレス屋根と軒付きスレート葺き、金属引き戸と木製開き戸の違いだけれど、庭の雰囲気つくりではまったく逆に作用する。前者が合理性重視のサラリーマン一戸建てを演出するのに対し、後者は生活空間と言うか自然との一体感が漂う。これはおもしろい経験だった。(2017/9/4)  
 
 
   先日、ツクツクホウシの初鳴き。目には 、さやかに見えねども蝉の音にぞ驚かれぬる。小笠原高気圧がなくなって久しいが、いよいよ日本も亜熱帯地域に入ってきたわけなのか各地でスコールもどきの大雨が増えてきた。今年の夏は数十年ぶりに北アルプストレッキングとして夏登山を敢行したのだが全行程すべて雨と言う 、かって経験したことの無い馬鹿げた山行となってしまった。 日本全国、それどころではない状況が多いから何も言えないけれど尾根道で真っ白に降り込められて展望も糸瓜も無く、高山植物園でのコマクサ他の野草類、シジミ蝶などに癒された以外はトレッキングシューズも安物買い で足を痛めるしザックもまったく防水が切れていて財布内のお札までびしょぬれの体たらく。かろうじて白馬山麓の 隠れた古刹、曹洞宗示現山長谷寺との出会いが想定外の収穫となった。 ここは冬にスキーに来て雪が無く立ち寄ったりとかの人もいるようだけど、時間つぶしで行くようなレベルではないすばらしいお寺。(2017/8/20)  
 
 
   一月ぶりで六月も後半。 オープンガーデン巡りをしたおかげで庭仕事が増加。アンティークレンガを敷いてみたりバラの世話をしたりの毎日の中で、思いがけず麝香アゲハの来訪を得た。春型の♀なので非常に小さく、どうみてもダイナミック な揚羽の仲間とは思えない。しかし嬉しくなって久しぶりに「胡蝶散策頁」を更新した。麝香アゲハが姫路市の市蝶でありお菊さんもにつながっているのも知らず、またぞろ蝶々のほうも勉強しなおしが必要かもしれない。季節はゼフィルスのシーズンでもあるしバイクで山里の栗林道を走っているとそれらしき蝶たちが飛び回っているのに出くわすこともあるのでマクロレンズも磨きなおさねばなるまい。(2017/6/25)  
 
 
   さていよいよ五月も後半。2月から一ヶ月半程度のインフラ設備不如意に対応してキャンプ用品の見直しを実施したことが未だに尾を引いている。コールマンバーナーのポンプ部分の補修やガスバーナーの動作チェックなど十年以上押入れに放置していた 炊飯道具類を一通り再整備。OD缶、CB缶の共用ツールなども入手してバーナー作動を確認。 電子レンジなどの電気インフラなしに直火で最近の加工食品の調理を見直す機会となってまた自衛隊の携帯食などを調査してみたり。それと室内の音響環境が大きくライブ状態に変わったことでオーディオ関係についても 再見直しを行い、一時期コンポレベルにダウンしていたものをピュアオーディオ廉価版に更新しFostexGR160スピーカーやヤマハアンプを配備してみた。 これまで使用してきたダイヤトーンのすばらしさを再認識して逆にバブル期のCDがいかに非音楽的な代物だったもわかってきた。意図的に曲中の音量を変えたり、高音域を異常に強調したハイ上がりの録音だったり、当時名盤とされていたかなりのものが非音楽的集積物であることも思い知らされた。すべて断捨離対象CDとなった。(2017/5/25)  
 
 
   今 年は暖冬かと思いきや気温は急降下、当分は二月の寒気が続くとのこと。そんな訳で屋内ワークが主体となってPCのディスク再生系をすべてBRD化すべく一連のレベルアップを実施スタート。そんな中で、「逃げ恥ロス」というか「みくりロス」から新垣結衣さんの映像探索をやっていて立木義浩氏との撮影散歩の録画に遭遇。新垣結衣さんの佇まいには何か昭和の「なんでもありのコメディエンヌを 要求されても自分の品格気品は失わない」と言ったちょっと古風で凛とした主体性が感じられ、キャンディーズに相通ずるものを 見出して懐かしさをまじえた共感を持つようになった昨今。その昔キャンディーズが解散騒動の渦中にあった際に立木義浩氏とラジオで語り合っていた番組を思い出した。 メディアを中心にすべてが解散大非難の嵐の中で立木氏は「自己責任でいいじゃないの」と突き放しのようでいて温かい賛成派意見で、三人にそれぞれ的確なコミュニケートを取っていたように思う。今回見つけたこの新垣さん とのフォト番組も彼女がちょうど解散時期のキャンディーズの面々と同じ年齢くらいの時のことで、素敵な頂点の若い女性たちに幾つになっても接触できる立木義浩 を妬ましく思う一方で、年齢差があってもそうした若い女性たちと実に自然に会話を紡いで行ける彼のコミュニケーション力には心底感心してしまう。被写体となる人々をそれぞれの輝くような表情にさせる彼の声掛け、会話術が本当に見事で「女優撮り」の第一人者のベースの一端に触れたような気がする。被写体が女優さんなんかの場合は、必要な表情を要求すれば瞬時に作ってもらえるわけだけど、警戒心や虚勢その他の別心をすべて取り払った自然な表情が出てくる場をこしらえて、その瞬間をシャッターで撮り切る技の巧みさはやはり只者ではない。作り笑いより本当の笑みが優れているのは言うまでもないことなのだが・・・・。「猩々緋効果」を身につけるのも実力のうち。(2017/3/8)  
 
 
   今日は桃の節句、冬もそろそろ終了と感じさせる陽気になってきた感じ。バイクは結局、出動機会が無いままに冬を過ごして防寒ハンドルカバーなどはバイクの肥やしになり果てた。だからと言ってグリップウォーマー配備装着までの根性も無く日和見主義にてひたすら待ちの姿勢。昨年の秋に製作した庭の竹垣も何度か雪をかぶったものの特に変化も無く、春一番にも物理強度も大丈夫だったのでこちらは一件落着。棕櫚縄の男結びも一応マスターできた。屋内では「逃げ恥ロス」対策に「リーガルハイ」のディスク版を購入して見たりしているうちにやはりDVDよりBRDが綺麗なのでPCのデバイスを更新し、アプリも格上げした、と言っても最新版よりは二世代前のものだが標準クラスディスプレイでは十分な画質。リーガルハイは4系統あるがやはりステージ2連ドラ編が、新垣劇場になっていて一番楽しめる。もっとも症状が「逃げ恥ロス」と言うよりも「みくりロス」だったからかもしれない。しかしながら面白いもので、リーガルハイ中のセリフに逃げ恥につながるものがいくつもあってこれらも意図したものなのかと楽しくなってしまう。古美門が黛に「お前はチェリーボーイの相手でもしていろ」とか、富樫代議士が「君は政治家に向いている、政界に出たまえ」とか、黛の父親がすべて魚の種類の家族キャラ集を提起したり、別に意図はない偶然だろうけどもなかなかこれも楽しめる。月末までに「掟上京子」まで手を広げるべきかを思案中。しかし爽やか美人でコメディアンヌとして新垣結衣さん、最高。他の室内作業では小型LEDライトユニットでちょっと遊んでみて電源電圧の3Vクラスト6Vクラスを比較したり電池ボックスを調べたりの時間つぶし。ピアノの方は以前より格段に進歩したけれど客観的にはド下手が下手に格上げしたレベルでピアノ演奏と言う処にはほど遠い段階。(2017/3/3)  
 
 
   あっという間に2017年が明けてしまった。初日の出は雲に遮られ て不首尾だったものの穏やかな年末年始で過ごしやすい日々となっていた中で、残念ながら初バイク走行の機会は得られなかった。昨年後半は竹垣と新垣に終始した感があり、改めて和の美意識の中での竹の威力と言うか竹独特の引き立て効果を認識できたのは嬉しかった。そして もうひとつは新垣結衣、彼女の持ち味が最大限に生かされたTVドラマの社会派ラブコメディに何年振りかで嵌まってしまった。上野樹里の「のだめ」以来だろうか、 女の子コメディの真骨頂の楽しさを満喫できるドラマだった。「良質のコメディは最高級の政治批判、社会批判」ではあるものの、これだけソフトに作り上げ られたものは久しく類を見なかったと言える。現代の奴隷階級であるサラリーマン世界を無趣味中流若者の日常に フォーカスしつつ、うまくステレオタイプをそらして話がつながれていて小技の組み合わせも行き届いていたと思う。 ただその後のDVD化だの続編だの映画化などの大騒ぎはご多聞に漏れず常法通りの運び。今年の作業は庭のテラスのレンガ張りからスタート。 レンガ積みではないので鉛直方向に気は使うことなく平面のデザイン、モンドリアンの世界をアンティークレンガを用いて茶系統にて創作する楽しみ。不慣れな平面の波うちも素朴さに演出されてなかなかの仕上がりとなった。(2017/1/10)  
 
 
   寒暖定まらずと言うか、涼暑定まらずと言っているうちに秋雨前線が列島を支配する昨今、 あっさり11月となってしまった。またもや「通俗一流企業」で若手会社員の痛ましい過労自殺事件が起きてメディアでは残業時間が云々と言うまったく的外れな論議が 相変わらず繰り返されている。主原因は拝金主義に洗脳され人間性を喪失させられた上司 の存在がすべてであって、そうした者を管理職に配する経営者、人事担当役員にその責を負わせるべきであるものを・・・。もともとサラリーマンは本質的に奴隷階級 であるし、敗戦後の日本では米国による植民地化 が70数年にわたって誘導されてきた結果の一部でしかないわけだし・・・。植民地では基本労働力として五体満足で主体性なくひたすら目先の労働に明け暮れる貧困大衆を 創出・制御していく必要があるわけで、それを満たさない人間は弱者として葬り去る事が基本である。そうした、おおよそ独立国家ではありえないような現状 が今の日本と言うことになろう。などと、愚痴るのはさておき、当面の興味は竹垣作りがにわかに焦点 となってきて、寺社仏閣の様々な竹垣をネット観光したり、資材メーカーの商品などを調べ始めた。有形物でも無形物でも創造作品は材料、道具、情報、時間が前提で、そこにひらめき、センスが乗っかってくる。材料、道具は値段でほぼ決まり、情報は先人の知恵、ノウハウの類をどうやって収集するかが重要で、時間はプロセスの満足度と結果の満足度の妥協点と言うことになろうか。最後のひらめき、センスは神のみぞ知る領域。竹垣などと言う日本ではとうの昔に確立されたジャンルでは守破離が基本手順なのだが、まずは成り行き次第からスタートすることでターゲットを絞ることにした。(2016/10/31)  
 
 
   ポスト五輪で 俄か松友ファンになり橿原神宮のタカマツ凱旋パレードを見に行ったりヨネックスオープンに一喜一憂して、ひとしきりバドミントンのムードを楽しんでいる間に、お彼岸も済んでしまって早や十月。後戻りのできない異常気象で梅雨末期を思わせる集中豪雨や蒸し暑い日の繰り返しが続きバイク走行もままならずの状況が続いている。ピアノの方もセンスの無さをゴルフ同様思い知ったうえで、いろいろトライしている中で鍵盤との付き合い方がやや理解できるようなり、音楽っぽい音色の弾き方が少し見えるようになってきた。 インドアライフ主体の中で、またぞろ万年筆病が再発しつつある。老齢断捨離の過程でヴィンテージアイテムに属する古万年筆のリフォームを要請されて、それに合わせて ボトルインクについてもペリカンのターコイズブルーの美しさを再発見して、色彩雫ものやらヤンセンやらを再度見直し。 色彩雫シリーズでは「天色」、「稲穂」、「深海」などを評価、またこれまで避けていた赤もので「冬柿」、「紅葉」、「躑躅」などを検討。ヤンセンでは「マルクス」、「ダンテ」、ピョートル大帝」、「モーツァルト」などを検討したりしてインクの泥沼にはまり込んでしまった。面白かったのは「冬柿」 の色変化で数十年の放置で古い青インクが染み付いていたモンブラン32を一応洗浄してからこのインクを吸わせてみたのだが、見る見る柿色が茶色に変色してしまい、「山栗」みたいな色になってしまった。結局、 ペン軸までバラバラに分解して再洗浄したうえで吸引水洗三回、共洗い三回のフルコースにて何とか色彩変化を抑止できるところまで来た。(2016/10/3)  
 
 
   今日はブルックナー先生の生誕記念日。以前は暑気払いと言えばブルックナーの交響曲だったのだが最近はトンとご無沙汰。時折、頭の中で八番が鳴り響いていたりする程度で演奏者などはどうでも良い気分。そのせいかどうか今年の夏の暑さは何か不愉快な蒸し暑さが多いことが印象に残る。台風の発生状況も挙動もいよいよ地球温度上昇が致命的なレベルになってきていることを暗示しているし実際、今年の日本の天気図で梅雨前線が南北に縦になっていたり、小笠原高気圧が消滅して大陸高気圧が夏を演じていたりしているのも変で、近所の里山で樹齢数十年クラスの樹木が少なからず枯死しているのが目立つのも何か不気味。 バイクの方は暑さの中で休業状態でタイヤの交換検討などもしばらく様子見。逆にインドアではオリンピック動画観戦の毎日で、昔夢中になっていたバドミントンと卓球の快挙が素晴らしかった。にわか松友ファンになったりして最後の開き直り3ポイント連取は何度見てもすごさに震えてしまう。左右に散らして相手二人の間に守備範囲の隙を作り高橋がそのピンポイントのエリアに2本スマッシュを叩き込むフィナーレは出来過ぎのドラマ。(2016/9/4)  
 
 
   夏、たけなわ。バイクシート張替えの経験を生かしてリビングや書斎の椅子のシート張替えを敢行。バイクシートのように不定形でもないしシート地も布なので作業はかなり楽ではある。中のクッション材は市販のウレタンフォームは若干高価なので、使っていた座布団をそのままシート内に封入してみたが、なかなか座り心地の良いものに仕上がった。ただ生地選定では選択肢が無限に近く、家庭用品店のはぎれ大放出からなんとかお気に入りを取捨選択し、 生地が余ったものだからランプシェードも張り替えてさらに置いてあった発泡スチロール板をベースにファブリックボードも製作してみた。ファブリックボードの製法は大別して2種類だが、手軽なスチロール材法をトライ。出来上がったものを配置してみると部屋のアクセントが統一されてなかなかおしゃれな仕上がり。シルクの古スカーフも出てきたのでこちらも有効活用すべく、手洗い、アイロン仕上げ手法などを調査試行。 ネット上にはいろいろ活用作例があるけれどなかなか決め手に欠ける。(2016/8/4)  
 
 
   更新が2ヶ月も滞ってしまった。今年は梅雨明けではなく「梅雨消え」と言う事で大陸高気圧に支配されて朝夕はさわやかな日が続いている。庭先で久しぶりにクマゼミの羽化を観察でき、アブラゼミの羽化もいくつか目にすることもあり夏の風物詩も順調にスタートしている。バイクについてはあせって立ちゴケしてクラッチレバーの破損交換するはめになり、PCのほうはCPUのアプグレードを目論んで取敢えず中古品を入手。音楽関係はどうあがいてもセンスの無さは乗り越えることができず楽譜類、関係図書、CDの全面断捨離を実施中。音楽鑑賞も演奏家の主張と作曲者の思いの再現の相違がわかるようになって後者に重きを置く方向で取捨選択し、やたら速弾きの演奏CD類はすべて破棄。(2016/7/22)  
 
 
   早いもので、もう今年の五月連休も終了し次の連休は7月まで無いとのこと。今や日本もサラリーマンと言えるのは公務員のみで、民間企業従事者は終身雇用も年功序列も退職金もはく奪されて、常に倒産かリストラにさらされた使い捨て下級奴隷レベルに戻ってしまった感がある。アベノミクスも結局、企業の金庫が潤っただけで日本社会全体の活性化には程遠い状態のようで勝ち組シルバー族だけが跋扈している様子。それはさておき、勝ちそこない組としてはまずは断捨離ということで興味もフリーズ状態のPC関係から見直しを検討開始。HPも手付かずのまま今に至っているし終了デリートを考えたがとりあえずWin10の有料化までは見届けることにする。ピアノの方も時間と費用の投入効果はパフォーマンスが感じられず、芸術創造でも技術創造でも才能は金でも買えないし努力時間でも解決できない し、優れた指導を受けても所詮下手は下手でしかないことを改めて悟った次第で、結果が出せずに一生懸命やりましたと言う年月だけが空しく蓄積されて誰の役にも立たない事とは決別して、せめて関わっている事で十分充実感を得るか、それでなければ誰かの役に立つことのみに費やす方向とする。 前者はバイク、後者はDIY、特にDIYでは諸々の修理修繕から始まり日常の不便を解決する小物創りを100均グッズと競合状態で取捨検討を開始。 取敢えず古物文具をいじってみる。(2016/5/10)  
 
 
   今年も最終日にあと一日にこぎつけ、この一年ではカメラ、PCが停滞した分だけピアノとバイクが自分なりに進展を見せたと言える。キャンディーズのファイナルコンサートもDVDで通して楽しめたし、この期に及んでMSエクセルでVBAマクロなども扱えるようになった。来年はMSアクセスを再履修し業務ホームページの技量を拡充することとバイクの行動範囲をさらに拡大することな どが可能性として見えるがピアノに関しては今ひとつレベルアップの姿が描けない。PCはいよいよ時代の流れから取り残されそうな感じだしカメラの方もいよいよ蝶々から遠ざかっていきそう。本格的に取捨選択の年と なりそうな気配。(2015/12/30)  
 
 
   Windows10に更新して諸々のアプリを整備して、さて使おうと思ったらマザーボードが昇天。BIOSのデフォルトを見ると2002年モノ。HDDは2006年モノだし十年一日の劣化品でWindows10は荷が重すぎたのかもしれない。これまでマザーボードの不良はコンデンサーなどの電力系だったが今回はBIOSの信号系だとすると修復はちょっと無理の感がある。PCはさておいてバイクの方は一年を超えて4000kmを走破して、今日はオイル交換。自分でやるのもありだったが全体の調子をプロに見てもらうのがよかろうと40分ほど走ってYSPに持ち込んでみた。特に指摘点も無くプレミアム純正オイルの滑らかさと共に帰還。今月はミラーの再交換やキャンディーズファイナルDVDにWindows10の購入などでかなり予算オーバーとなってしまい来月は引き締めが必要。バイクもピアノも背骨を軸にして肩甲骨から指先につながった繊細な操作というところが共通して身についてきて何とも言えない充実した動作の盛り上がりが感じられる。(2015/11/29)  
 
 
   Windows10TP版 は片っ端から期限切れにて立ち上がらないPCが累々と・・・自業自得ではあるが。仕方がないので正規版を購入して置き換え、 無償アップデートに乗せる手法はいくつかあるものの試行する根気も無し。やはり慣れてしまうとWIN7へ戻すのも面白くなくて、アプリもすべて引き継がれクリーンインストールのわずらわしさから解放されるナイスなMSのはからいに屈服してしまう。カメラの方も運動会撮影をきっかけにLUMIXに望遠ズームを増強しデジタルでボケ味描写に挑戦してみたり、バイクの方はお手軽カスタムの最後であるミラーを戦闘モードのものに交換し、サイドバッグを装着して反射テープデコに凝ってみたりして、曼珠沙華やコスモスの点在する景色の中を快走して少し腕も上がった様子。ピアノもようやく弾き方の基本がわかってきたりするがこちらは若干遅すぎ。(2015/10/18)  
 
 
   Windows10TP版 の期限切れ予告が盛んに表示されるようになった。季節も早、残暑末期の状況。ピアノの狂いが限界を超えて今度こそグランドピアノへの買い替えとはやり立ってみたが、調律の匠の手にかかってシュベスターが見事な楽器にレベルアップ。ただ練習を重ねても指の記憶は確実に老化劣化して行ってるのが分かるようになってちょっと残念。練習場のくたびれたグランドピアノでも綺麗に弾ける能力というものはどのあたりで身につけるのだろうか、ピアニストと呼ばれる方々の技術には素人には計り知れない。先日はマグリットの絵画展を見てきたり、話題の西水さんのショパンCDを聴いたり、ふもとから高峰の頂を遠望するようなひと時と、「瞬」、や「阪急電車」などの日常性の虚構映画を見て役者さんの演技を楽しんだりしてみた。「瞬」は菅井きんさんのワンカットでこの映画ができているのではと思うほどのショックだったし、後者では若いカップルのコミックショットが楽しかったし、ただ前者はバイク が中心となった重さがちょっと残ってしまった。(2015/9/23)  
 
 
   このところWindows10TP版でのお遊びに嵌まっていて数台のPCを弄り回しているのだが、Windows7よりも軽くて使いやすいとの感を強くしている。 それどころかグラフィックやLAN通信関係はドライバとの相性が最適化されているのか、より綺麗で速い印象さえ感じられる。ひっきりなしにアップデートされたりPCによってはWindowsごと更新されたりして面白いこと限りなし。このバージョンは10月25日で失効するらしいがProduct keyの購入とかで継続できるのだろうか。ノートPCの1台を除いて他は実に快適で一般向けの大部分のソフトは問題なく動作している。 ピアノもまた一つ開眼できて、離れた位置の鍵盤についてもひとつひとつ音を膨らます打鍵がちょっと見えてきて練習がまた面白くなってきた。そのおかげで屋外の方は後回しとなってバイク がしわ寄せを受けている格好。(2015/6/21)  
 
 
   今年は梅雨らしい陽気かと思えば、中休みの晴れ日が真夏モードになっていて確実に気象高温化が進行していることをうかがわせる。バイクウェアも上下フルメッシュに衣替えしたがスタートでは薄寒く、帰るころには汗がにじむと言った厄介な状態で雨具ともども準備コードが悩ましい。 ピアノのほうも相変わらずと言うか、むしろだんだん下手になっているような感さえある。打鍵一つ一つは向上しているけれども一曲としてまとまることが無く、妙なミスタッチが増えてきて、これが加齢老化なのかなと思ったりする。FMを聴いていたらアパショナタを非常にゆっくり弾いている演奏を耳にして納得してみたり、久しぶりに昔買ったCDを聴きなおそうとするとハイ上がりで速度も速すぎて情緒も何も感じられず聴くに堪えないのですべて処分することにしたり。ベートヴェンつながりと言えば、「月光の夏」 の映画を見直して史実との関連を調べてみると、「慰安婦騒動」ともつながる敗戦後のアメリカ占領政策が浮き彫りになってきて、戦後の日本映画は 素直には鑑賞できない代物との感を新たにした次第。特に戦争物では、大本営は愚悪の権化でアメリカが救世主で、一般日本市民は軍事政権に操られた被害者みたいな 幼稚な価値基準が見事に浸透している情けなさではある。ようやくあちこちのネット記述で、たとえば朝日新聞やNHKは知的階級への洗脳ツールで、読売、産経 および民放TVは大衆の愚民化、拝金主義化ツールとしてマッカーサーによって存在を許された 経緯が知られるようになっては来ているのだけれど、日本民族としての志はもう蘇ることなないのかもしれない。(2015/6/14)  
 
 
   ずっと磁器製の煎り器を使っていたコーヒーの焙煎を網籠型回転タイプに替えてみた。前者の手振りタイプは手首が疲れるのと熱いのと、少量しか一度に煎る事が出来ない、さらには煎りムラができやすなど不満が積もって切り替えたわけだが今回のこれは大正解だった。 すべての点で満足できたし、豆の風味も安定してレベルアップが感じられた。台座がカセットコンロ用とのことでコールマンのガソリンコンロに装着できるか少し不安だったが何とか納まり回転の振動にも耐えている。TVを見ずにyoutube頼りでいると大体半年ほど話題に遅れる。と言う訳でこのところ吉田羊さんに一頻り嵌まってしまった。映画と言うものは「誇張と曲解の一面的ヴィジュアルな押し付け」で、だからと言って娯楽で片付けるには重すぎるものがあって油断できない魅力ではある。羊さんも出来ればTVには見切りをつけてほしい気がする。(2015/4/18)  
 
 
   今年のお彼岸は春らしい陽気となってバイク装備もようやくノーマルに近い姿で済むようになった。ところが交差点で油断の立ちゴケをやってしまいXJ6Nに擦り傷少々。 せっかくチェーンの錆落しやらボディ磨きやらやったものがちょっと残念な結果で、これも事故の厄落としと強がってみる。エンジンの調子も快調で巡航速度も流れに乗れるようになり、早春の里山の風情を薫風の中でひと時堪能できた。「道の駅」ではCB400とNinja400などがその数を増し、600クラスも多く見かけるようになってきたのはうれしい限り。(2015/3/22)  
 
 
   三月の声を聞いてバイクもピアノも一皮剥けたレベルを実感できて上向きかと思いきや鼻風邪をひいてしまった。春っぽい日のバイクで中国からの粉塵を吸い込んでしまったのか、それはともかくバイクとの一体感が増すと微速でのハンドルさばきも力が抜けて落ち着いて曲がれることが解ってきた。 またピアノのほうも手の甲の形と位置が打鍵の自由度開放に密接に関連していることが解った。前者は独学だけれど後者は先生のアドヴァイス。指摘されたときは「こんな些細なことで」と思うのだがそこを変えることで「蟻の穴から堤が切れる」みたいな別世界に塗り替えられてしまうツボ療法。(2015/3/1)  
 
 
   寒さ厳しい成人の日も過ぎてもう一月半ば。 台風一号も発生して、そろそろ冬型気圧配置も変動しやすくなってきた様子。最近ピアノとバイクの融合的感覚が出てきて面白く感じたのだが、いずれも両手両足で違う動作を行う中でバイクは体幹の重心安定が重要となっている。しかしピアノにもこの体幹重心感覚でやってみると何か音楽を体全体で抱え作るような新鮮な感覚を覚えた。今はバイクは冬季用厚手のグローブなので両手感覚に神経が集中する形が、さらに共通点意識を増しているよう。だからと言って演奏が良くなる訳でも ないのだけれど、何か一体感に包まれるような楽しい動きになる。 今年は神社の初詣は三ヶ日には行くことが出来なかったが注連縄焼きは穏やかできれいに焼けたし滑り出しは中々良さそう。(2015/1/18)  
 
 
   お休み最後の一日、昨晩は映画「リトル・マエストラ」を観て、いくつかの鍵を頂いた。クラシック音楽を軸にさっぱりしたローカルの物語なのだが「音楽の意義」を明示してくれたし、自分のピアノは捨てられないなと再認識できて何のためにピアノを弾くかについても明確な解答を教えてくれた。多謝、有村架純さん。 それと「真実なんかどうでも良い」と言うのは現在の日本に対する痛烈なコメントとなっている。TVだネットだ新聞だと、降り注ぐ情報のほぼすべてが そらごと、誘導情報である唾棄すべき現実。自分にとっては自分で弾くピアノ、自分で操縦するバイクが実体を持った現実。今日は気温と空模様をうかがいながらお昼からバイク定期コースの「道の駅」巡り。やはり冷えきっているせいでなかなかエンジンが始動せず、最初のアイドリング合わせの吹しが肝心と悟る。動かしてみるが数週間空くとまったく素人に逆戻りで、近くの駐車場でS字練習し、それから付近の周回コースを経て出発。何台か同類と出会ったが特にコミュニケートは無し。冬用のグローブは防寒性は良好だがスロットル操作が大雑把になって怖い。路面凍結は無かったものの路上残雪は少しあっておっかなびっくり。 一回信号待ちでニュートラル空吹かしをやらかしたが、新年初乗りを無事終了。今年もいい年になってほしい。(2015/1/4)  
 
 
   2015年が穏やかに明けたと思ったら午後から一転、吹雪交じりの荒天となって積雪5cm。昼からバイクでもと考えていたのが見事に裏切られた格好。今年は待ちではだめで攻めで行けとの暗示なのかもしれない。マスコミでは相変わらず「政府がウンヌン」、「企業がウンヌン」と実体の無い主語がまかりとおっていて「大本営が・・・」とまったく変わっていない構図を誰もおかしいとも思っていない様子。必ず固有名詞を持った個人が権限を持って動かしているはずなのに、まったく責任を負わないこの国の形態の馬鹿馬鹿しさ。憂さ晴らしのためにマタイ受難曲の終曲合唱とヴェルディのレクイエムを聴いて気分を落ち着かせる。昨年はゴルフに終止符を打ったわけだけれど今年はピアノに終止符を打たざるを得ない予感もあってこれを早い時期に見極めてみようと思ったりする。(2015/1/1)  
 
 
   12月となり気温4℃とかで、この辺りでは冬たけなわの昼下がりにバイクひと乗りを試行。やはりメッシュグローブは冷た過ぎるがエンジンは回転数を上げてやると結構暖かくなって快調となる。以前に再使用していたステップ留めの2.5コッターピンを交換し、カウルボルトをすべてアルミ品に交換してようやくカスタマイズは終了。替えたら替えただけ雰囲気は良くなってアルミボルトはまだしも、チタンボルトになるとお値段も張るし噛み込みなどで取扱いに条件があるものなので調査がまだ必要。いずれにしても時たま出会うフルカウル車を若干羨んだりしながら、とにかく様々な路面、交通局面を体験習得すべく走り回ることにする。 そこそこ里山に近いこともあってアップダウンには事欠かないし車の数も多くないのでマイペースで練習できるルートも選択しやすいのがありがたい。地味バイクだからちょっかいをかけられることも少ないのかもしれない。(2014/12/6)  
 
 
    冬の到来が実感されてアラジンストーブを出したり衣類を「第二種冬季正装」に入れ替えたりしていたが、またぞろ無意味な選挙の話が俄かに持ち上がっている。自民党がバカなの民主党がバカなのとくだらない 議論もあるがバカなのは自民党に投票したり民主党に投票した投票者がバカなのであって政党はただの形式でしかない。日本の大衆の 愚かさの理由を考えてみた。格言に「勤勉はバカの埋め合わせにはならない。勤勉なバカほどハタ迷惑なものは無い。」と言うのがあって、同類のものとして「優秀で勤勉な者は参謀にしろ、優秀で怠惰な者は司令官にしろ、愚かで怠惰な者は兵隊にしろ、愚かで勤勉な者は即刻銃殺しろ。」と 言うのがある。大陸では歴史過程の中で争いに勝ち抜いてきた各国の国民は自国の優秀な者をリーダーとして仰ぎ、それに従って組織化し、その過程で「愚かで勤勉な者」を淘汰してきて 勝ち残ってきている。それに対して「水と安全はただ」と言う閉鎖環境の中で戦いによる勝ち上がりを経ずに劣性遺伝を増殖させてきた日本では 自分達で戦って給与原資を稼ぎ出す民間企業は別として、税金にたかっている組織体では「愚かで勤勉な者」が多数を占め、優秀な者が出てくると寄って集って足を引張り「最も愚かで勤勉な者」 を組織の長に祭り上げたりして来ている。占領支配する側からはこれほど扱いやすい愚昧な大衆国は無かろうが、なんとも因果な国民性と言うほかは無い。(2014/11/15)  
 
 
    秋もたけなわ、バイクで田舎道を流していると紅葉の里山が懐かしい景色となって両脇に広がる。上り坂ヘアピンカーブでのシフトダウンが掴め ずにあわてたりのんきな時間を過ごしていたら、羽生選手の鬼気迫る選択を見て震えを感じてしまった。スポーツは基本的に戦争の代償行為なのだけれど日本では3S政策の中で「金儲けのショー」としての位置づけが定着している 。それを彼は見事にひっくり返したように思う。 競技に出ようが止めようが本人の意思で良い訳で、他人が「出場しろ」だの「棄権しろ」だの言う筋合いのものではない。 羽生選手を利用して金稼ぎを続けたい連中は「棄権すべき。」と主張し、スポーツ選手を食いものにしてのさばっている協会役員、スポンサーなどは彼に箔がついたと喜んでいるさまがありありと見える。人間の歴史では物を創り出す人間よりも、他人が創り出したものを奪い取ったり、騙し取ったり、盗み取った者が、よりリッチな生活を謳歌していると言うのがいつの時代でもどこの国でも共通した事実で、羽生選手もその人間離れした能力と精神力で創造する命懸けの至芸が、ゲスな連中に金儲けのネタにされて実に痛々しい。双方50%過失により衝突したわけだから中国の エンカン選手も羽生選手も同じ立場のはずだろう が結局、こうした騒ぎは、小金と暇をもてあました興味本位の無能な大衆の存在が諸悪の根源ではあるのだけど。(2014/11/9)  
 
 
    朝晩が結構冷え込むようになって今年は紅葉がきれいになりそうな気配。さわやかな季節でこれまでキッチンのガスレンジでやっていたコーヒー豆の煎り作業を庭でコールマンを使って行うことにした結果、換気扇フィルターのチャフ掃除がなくなったのが 大きな改善点。コーヒーの煎りたて、淹れたて、挽きたてで美味しいのはどれで、不味いのはどれ?と言った質問に的確に答えることができるようになったのもひとつの成果かもしれない。それはさておき、空気が乾いてきてピアノの音色も良くなってきたし、弾き方のほうもすべての音に指を通して気持ちを吹き込む感じが少し見えて来て昔に練習した曲をいろいろ引っ張り出したりしている。 ピアノにしてもゴルフにしても、なぜ下手なのか、なぜ上達しないのかを考えてみるに、どうやら自分には動作の確認再現能力が欠落していることがわかってきた。詳細な違いを区別認識する能力も低いのだろう。バイクのほうも近くの駐車場でS字やらUターンやらを練習するのだけれどこちら も肩に力が入りすぎて教習所時代より下手になってきるような気がする。 バイクのほうは危険と隣りあわせなのでひたすら慎重に繰り返すしかないが多面的な認識手法をトライする事を心掛ける。目下の課題は「上り坂渋滞」への対処で、坂道発進の斜度への挑戦と言うことになろうか。(2014/10/31)  
 
 
    集中豪雨はあっても台風の襲来は無くなってしまった異常気象の夏の終わり、本日はブルックナーの誕生日。このところオーケストラの音色からもずっと遠ざかってピアノ音楽 でさえも打ち震える出会いもめっきり減ってしまった。ケンプのバッハの素晴らしさを再発見することで精一杯。 人に何かを教授するか、人を魅了する何かを示すべき年代になって何の取り柄も無いことを悟るのはなかなか空しい事ではある。かろうじてそれが叶うのが仕事場だから仕事が一番楽しいのかもしれない。ゆえに順位がつかず優劣はどうでも良い、金メダリストの存在しない分野に惹かれていくのだろうか。バイクの 世界では超初心者にもかかわらず、他人の手を借りずとも色々と面白い事象に遭遇できてすっかり嵌まった感じ。 人馬一体の充実感を機械に対して感じてしまうのは少数派なのかもしれないがNinja250やトリシティが販売好調らしいしリターンライダーも結構増えているとか 聞く中で、競争ではない無為な疾走疾駆の価値が見直されているとすればそれもまた面白い。(2014/9/4 )  
 
 
    梅雨明け10日の猛暑続き。 ピアノの部屋では毎晩、除湿機に3リットルほど水がたまっている。しかし音色が落ちてきたので調律をお願い。いつもながらの完璧な調整で、「最近は練習量が増えているのではないですか。ハンマーの状態がこれまでと違いますね。」などとコメントされつつ一本一本を修正される。今回は終了後のデータ収録と称してビデオを 記録・アプロードの運びとなってしまった。ピアノの先生には「自分の演奏を録音して聴きなさい」と指示されていながらできていなかったので渡りに船。いい加減なところが浮き彫りになって、せわしなさや自信の無さがよく出ていて本当に勉強になる。ゴルフもピアノも最近になってコツと言うか本筋がみえてきたのだけれど、時すでに遅しの感じで、しかもそれによって自分の下手さと上達の困難さがよくわかるようになり、普通のレベルからうまいレベルへ向上するならともかく、ド下手のレベルがちょっとましな下手レベルへの向上でしかないものだから本当に時間とエネルギーの無駄としか思えない。若い間であればそれでも良いが人生蓄積も豊富であるべき年代では、「それまで長年何してたのですか?」と言うことになって心穏やかにはなれない。それならば人に見せたり、人と競ったりしないで済む「さすらいのバイク・ライディングに新たなる挑戦」のほうが楽しみ甲斐があるかなと考えたりしている今日この頃。(2014/7/26 )  
 
 
    いよいよ梅雨明け。地球はどんどんキナ臭くなっているし、日本も自然災害リスク、経済リスク、戦争リスクがどんどん高まっているし。そんな中でバッハコンクールで日本人が第一位を獲得との一報に接して、そのマイルドな演奏に目が覚めた想い。(2014/7/21 )  
 
 
    二ヶ月以上もあいてしまって気がつけば梅雨の真っ最中に大型台風が発生したりして不穏な予感。当方もいろいろ大きな変化があって、まずはプロバイダを替えて電話・ネットも替えて増税対策コストダウン 施策を開始し、あらゆるコストの見直し削減モードに突入。とは言いながら大型バイクを購入散財して、 有効投資の集中などと嘯きながら新たなアウトドア・ライフの試みをはじめてみた。 現在の日本はアメリカによる民主主義風植民地の拝金主義統治がいよいよ進み3S政策による愚民化も見事に功を奏して メディアにはスポーツ、ソング、映画ドラマの虚構と金稼ぎの記事、番組ばかりの思考停止の情けない姿。国の未来である女性子供を守り育むべき大の男共が、女子供を喰い物にしてい て、 生きる志のかけらも無い有様で自国の子供たちの個人情報を金儲けのネタにしか見ない営利企業がのさばるなど、民主独立国家 などとはほど遠いこの国の現実。毎日のように食い詰めた人が身を投げてダイヤどおり走ることのない通勤電車なんかを抱えた首都が東京以外、どこにあるのだろう。 その通勤電車の中では大部分が馬鹿みたいにスマホに夢中になっていてオウム真理教のヘッドギアをかぶって目は虚ろなサティアン信者達の群れを髣髴とさせる。以前までの夜の通勤電車内は酒臭く紅い顔の乗客が大勢で楽しそうだったが、今は汗臭く青い顔で疲れきった乗客ばかり。こうした馬鹿馬鹿しさを晴らすことがバイクの世界でしかできないのもこれ はこれで空しいことでもあるのだが・・・。逃げではなく精神のリフレッシュとしての効能をこれからしばらく探索してみようと思う。(2014/7/12 )  
 
 
    春らしくなると共に色々な局面で新展開が感じられるようになって来た。PCでは一連のOS更新に対応したハードいじりの過程で、以前に故障したはずのSSDがなぜか蘇ってしまったりピアノでは何年ぶりかでメトロノームを再使用し始めて 自分の演奏のリズムのめちゃくちゃさに改めて驚いてみたり、大型バイク教習では最後の難関の波状路にチャレンジできるようになったりと、仕事その他も含めて数多くの刺激が流れ込んで 来ているよう。SSDは誤って逆接続して飛んでしまったものが基板のチップコンデンサや端子などをさすっているうちに放電が接触開放されたのかデバイス認識されるようになり、 さらには記憶領域区分やファイルアクセスが徐々にできるようになって今はデュアルストレージマシンの中核に収まってしまった。効果としてはソフトのインストールなど が断然早くなってこれは感動もの。 またピアノではリズムの揺れ過ぎを指摘されて急遽、メトロノームを買い求めて使ってみるとバッハからしてまったくリズムが定まっておらず、音感もリズム感もない者が楽器演奏などするものではないのだなあと今更ながらあきれ返ってしまった。更には運動神経もないのに大型バイクに乗るなどは危険の極みではあるものながらこれも面白くてやめらず、何の取り柄も無いのに好奇心だけあるという困った性分のなせる業ではある。(2014/4/26 )  
 
 
    お彼岸を目前にして異様な冷え込み。バイクの 普通免許を取得して一週間後に大型取得を目指して再度教習所通いを始めてみた。750ccのスペックに怖れをなしていたのだけど乗ってみて車格の違いと言うかユトリ感があるのにびっくり。ようやくフルフェイスヘルメットも処を得た風情でこれまた嬉しさでいっぱい。 何と言っても400ccまでならば自由に運転できると言うお墨付きを得た自信は大きい。PCのほうもWXPのターミネートでW7への乗り換え作業を始めたところまた色々と触りたくなって世代落ちパーツなどに目が行き始め、Linuxにも本腰を入れようなどとも考える昨今。ピアノのほうも更なるウロコ落ちと言うか、「鍵盤を経由して音色を導き出す」と表現できる業が見えてきてこれも非常に楽しいレベルに入っている。平均律第一プレリュードのレッスンの世界がグールドの世界に共通していて懐かしい様で且つ新鮮な驚きで、その昔グールドを聴きまくったことを思い出したりして、また悲愴第三楽章ではその奥深さとともにこのバッハの世界と共通する世界構造にも気付かされて挑戦の意欲がわいてきた次第。(2014/3/16 )  
 
 
    常人を超えた芸術家達がたどる苦難の道と言う範疇で、例の「偽ベートーベン騒動」にかなり興味を持ったので 少しばかり調べてみた。思い出してみると以前に宣伝広告で「現代のベートーベン」との文字とオウム真理教教祖みたいな映像がかすかに記憶にあった。人類最高の音楽芸術家の名前を出すことについて、ひとつでもベートーヴェンの作品を演奏してみたり作品をしっかり聴いていたら 、とてもそんな風に引き合いには出せないはずだし、それだけでミーハー宣伝のにおいが感じられたのか、はたまたあの似非宗教教祖風のいでたちで出て来る無神経ぶりに 違和感をもったのか、とにかくあのイベントの曲には結果的に一切近づかずに済んでいたようだ。ただそれ以前にピアニストのニレジハジとかフジコ・ヘミングなどの 同様な「数奇な人生キャンペーン」につられてCDを聴いていて、そうした脚色苦労話に流されることへの反省などもあったのかもしれない。きっかけは雑誌「新潮45」に掲載されていた野口剛夫氏の記事とのことだけど、この雑誌にはその昔平成3年8月号で加茂川洗 耳と言うペンネーム氏が当時のクラシック音楽評論家大御所達をこき下ろしていた記事があって大いに同感した記憶が甦る。 確か中村紘子さんがコンサートで当日に演奏曲目を変更したにもかかわらずプログラムの曲名どおりに各演奏をけなしていた似非批評家も槍玉にあがっていた。平均的日本人はクラシックなんかまともに聴かない中で「演奏そのものは聴かず嫌いな演奏家はけなし、有名人で美談があれば褒めて、出身国ごとの日本人的ステレオタイプの常套句を並べて批評とする」 類の音楽批評を批判していたのだが、それと大して変わらない構図が今回のケースにも嵌っている感がある。耳が聞こえずシンフォニーを作曲したから「ベートーベン」だとか、ヒロシマだとか東日本 災害だとか悲劇のヒロイン物語をNHKが脚色放映して衆愚の興味をあおって「有名」にしてクラシック商業ベースに乗せたと言う訳なのだろう。 この事件でまた、まともに音楽を聴くこともせずに風評におもねっただけの美辞麗句を連ねたりした評論家達が浮かび上がったり、逆に胡散臭さをはっきり指摘していた本物の音楽家も明らかになったりしている様子。そんなことよりも今日はようやく一本橋を克服してバイクの卒業検定がパスしたのでその嬉しさでいっぱい。(2014/2/16 )  
 
 
    JR北海道の脱線事故、H2Oの車海老メニュー騒動、MNHの農薬コロッケ、NHKの詐欺師作曲家番組など福島以来、日本の官公庁、企業組織の頂点には例外なく三流の人間が 居座っている事実が次々に証明されてきて暗澹たる気分になる。周りを海に囲まれて戦いに揉まれることなく「安全はただ」の環境で出来上がったガラパゴス列島だから仕方が無いと言えば仕方が無いのだけれど、グローバリゼーションを目指すのであれば、そろそろ組織とかリーダーとか情報と言うものに価値を置くようにするべきだと思うし、少なくとも組織の長に立つ者は高い志を有していることが最低条件なのだが ・・・。亡くなられた小野田寛郎氏は日本の状態を傀儡政権自民党によるアメリカの占領地支配の成果などと実に正しく認識されていたことにも改めて感心してしまう。日本の旧中間層大衆は愚民化策の結果、料理の味もわからないしクラシック音楽の良否もわからないなど、自己判断で行動が出来ない 付和雷同集団になっていて北朝鮮国民と大差ないことも証明されてしまった。ただ養護施設低俗TVドラマの件ではメディアに洗脳されない良心は残っていることも見えて少し安心材料ではあった し、ゴーストライター交響曲の件でも真実を見抜いていた評論家や作曲家の方々が少数ながら存在してることも明らかになって流石にプロの音楽感性は凄いと改めて感心した次第。あの似非作曲家は耳が聞こえないのではなく聞く耳を持っていなかっただけのことだろうし、音楽のゴーストライターではモーツアルトだってそうだったわけだし音楽自体が価値判断の対象 であって、それ以外はどうでも良かろうにと思う。メディアに洗脳された愚昧な大衆の流れで物事が進む日本の民主風情動全体主義社会は予防措置がほとんど働かないので本当に わずらわしい。2014/2/9 )  
 
 
    年が明けて寒い日が続いている。柄にも無く霜焼けが出来てしまい治療薬を検索してみたら「ヒビケア軟膏」とビタミンEとのことで早速試してみた。子供のころはなかなか治らなかった記憶があってあまり期待はしていなかったところが一日で7割がた治ってしまい、改めて医薬品の進歩に驚いた次第。虫さされの決定版「ムヒ」と同じ池田模範堂の製品で、ムヒも語源は「無比」と知ってこれもまた納得してしまった。コンビニで買った黒の薄手のインナー手袋も非常に優れもので、我が「第二種標準厳冬期装備」に指定した。ちなみに今年の会社の初詣は久しぶりに「第一種乙類厳冬期正装」にて参加し気持ちも引き締まってなかなか良かった。もっとも次の日からの勤務は「第二種全天候型略装」にて出勤していて寒波の波状攻撃の当節、黒ニットキャップは当分朝夕の必須アイテムとなってしまった。(2014/1/18 )  
 
 
    いきなり真冬がやって来たような冷え込みの毎日。バイクはようやく第一段階終了 そして最終見極め段階。  一般の二倍以上の時間を要してもまだバランス操作を体得できないままジャケットも遂に冬用インナーを装着する季節になってしまった。 バイク、ゴルフにしてもピアノにしてもセンスの無いことを学ぶ場合、指導者はその分野に才のある方々なので「出来ない」と言う状態が理解できない ところのギャップがとても気になってしまう。 出来た状態は頂点だけれど、そこに至る途中の「出来ない理由」はセンスの乏しい生徒には百人百色で無数にある訳で、そこをそれぞれ克服する術もまた百人百色。そこに加齢による因子 が入ってきて、上り坂の若い人たちとまったく逆の笊で水をすくう様な状況が加わる。歳を経てから新たな物事を始める大変さはやはりなってみなければわからない。何とか基本段階になると ようやく共通の土台に乗るが、そこを過ぎるとまた[理解不能、意味不明」の状態になる。それぞれの分野での素人、アマチュア、セミプロ、プロと連なるスペクトルの中で 、様々にもがいていても若い間は夢を膨らませる余裕がある事は物理的にも精神的にも大きいようだ。 とは言えバイクもピアノも自問自答を繰り返しながらやっているとアドバイサーの一言で瞬時に疑問氷解してステップアップする段階がある のは年齢にかかわらず魅力的な瞬間。そんなこんなしながらこの間、何気なくTVでフランスのオケを聴いていたら「カルメン組曲」で女性歌手が登場した。一見してソプラノではない 地味な感じで、何かワグナーもののような雰囲気の方なのに驚いて聞き耳を立てたのだが歌唱がまたなんとも言えない鋭さのような深さのような存在感があって久しぶりに聴き惚れてしまった。藤村 実穂子さんと言う方で世界最高のメゾソプラノとか。藤村美樹さんとは違う立ち位置だけどこの方の人生もなかなか素晴らしいのでマイお気に入りの歌手に登録。(2013/12/07 )  
 
 
    また妙な台風が接近してきて、世界中でのハリケーンの大型化やら降雨のスケールやらが尋常でなくなって来ている不気味さのなかで「人生、一瞬先は闇」 をいろいろ実感する今日この頃。自然災害との遭遇確率も増えて来ると、生きると言うことに対して性急に価値を確かめたくなってくる。そこそこの歳になってみて、結局サラリーマンと言うものがお金を使うことでしか社会に役立てない ブザマな存在である事実認識が強まってきて、やはり自分の持っている技術や能力 を自由意志で用いて役に立ちたいとは思うのだけれど、自分の能力を振り返ってこれと言った取り柄の無いことに唖然としてしまう。 趣味道楽の「ン十歳の手習い」などと言うのも結局、幼少期から続けて蓄積努力してきている人にはかなうはずも無く、競争比較因子の無いもので自己充足できるものは何かと考えてみても物見遊山みたいなものにしか行き着かない。 昔は「高等遊民」にも憧れたけれど「悠々自適」に収まるにはまだエネルギーが余っている と言うわけでバイクに興味を持ったのだけれど、8の字がまだ右回り出来ない状態で要はバランスをとった乗り方がまだわからないと言うこと。 どうやらバイクという乗り物は後輪の一輪車で前輪が補助で付いているような感じ。しかし何であれ、やってみるもので色々と面白いことが見えてくる。超初心者がパニックになるとスロットルを開いてしまう状況は、前面の危機に対して反射的に両手を体の前に開く防御動作に起因する 手首の動きのようだし、何よりも何十年も車の運転ばかりやっているのでハンドルは両手の力で回すものと染み付いていて、車体を傾けて操縦するバイクのハンドル 支持感覚がまったく見えなかった。ピアノの奏法もこれまで何十年も続けてきた我流とはまったく違う、正しい方法を教わってみて音色や表現が大きく変わって驚いたけれど、こちらのほうは芸術表現と言う 他者に向かう比較競争行為なので自己充足には程遠い。(2013/10/26 )  
 
 
    今 年は「暑さ寒さも彼岸まで」が通用しそうな雲行き。最近はアメリカの洗脳広報が定着してきたのか「地球温暖化」を耳にすることも少なくなっている。地球が恒温平衡状態から 顕著な継続加熱状態になったことで、四季折々の通常的繰り返しもおかしくなり8月台風、9月台風などの特徴もまったく無くなってしまった。微小な温度上昇でも0℃を超えるか否かで固体と液体の相変化する氷相水圏では致命的な変動とな っている訳で、何をしても止められないのだから今のうち稼ぐだけ稼ごうと言うサラリーマン経営者に支配されたアメリカの病巣は深い、などと解説している場合ではないのだけれど。 さてバイク教習のほうは一本橋がまったく渡れなくなってしまった。スラロームは少し向上して3ギアで通れるまでになったものの、腰で傾けて回りスロットルで起こす基本レベルなんかには程遠い し、行楽の季節になったと言うのに教習所内の「外周レーン・ツアー」ばかりなのも情けない話。世界では蛯名 健一さんも米国で優勝したし安藤美姫選手も選手活動を再開されて見事な人生を生きている。 しかし日本人の愚劣なガラパゴス特性で、一流人の足を引っ張る愚昧な大衆とそれに迎合する三流メディアによる低劣なやっかみ中傷記事なども散見されてこちらもまた情けなくなってしまう。イチロー庄司紗矢香なんかのように自分の能力が自由に追求できる国に移り住むほうが安藤美姫選手には良いかもしれない。 わが身については、若いときのように技術、知識が身についていく年代から、失われていく年代に入って蓄積の無さが身にしみてきて、ゴルフもピアノも「下手が固まっている」状態が改めて認識できて、ほとんど修復は不可能であることも確認できてきたので、この際すっきりとやめてしまったほうが良いかなと思い始めている今日この頃。(2013/9/27 )  
 
 
    今日は40回目のキャンディーズの誕生日。 宝塚歌劇団レビュー記念日やら「杭の日」やら関東大震災の日でもあってなかなか忙しい日のようでもある。 台風一過どころか列島に沿って秋雨前線を張られてしまい鬱陶しい天気が続きそうでバイクの教習はまた延期。広告と言うものが自分の感性を損なうと悟って以来、民放TVを一切見なくなってかれこれ数年になる。あわせて映画や雑誌の類もまったくかかわりを持たなくなり、その分YouTube検索の頻度は増したのだけれどここにも広告が入るようになってちょっと不愉快。キャンディーズの記念写真集なども結局、予約せずじまいで消費にお金は使わない方針もどうやら定着してきた様子。その分だけピアノの練習は頻度が上がってきて、ピアノの先生の教えの的確さに助けられて「幻想即興曲」がかなりサマになってきた。この曲の小学生などの達者な演奏を聴いてただ驚嘆するばかりだったのが、それぞれ腕や肩の動きを観察して参考にする余裕も出てきた。指のタッチはやはり天性の部分が多いようでオクターブも届かないだろう小学生がどうしてあのように鮮やかに音が出せるのかはあいかわらず謎のまま。キャンディーズのデビュー当時の歌と解散目前の歌い方では雲泥の差があることも、本人たちの才能以外に若さと集中度と適切な指導が持続的努力の上に花開いたのだろうと推察される。ただこの分野は流行と言う魔物の采配によるところが大きいから強運を背負っている事が前提となるのだけれど。(2013/9/1 )  
 
 
    今年の夏は小笠原高気圧ではなくチベット高気圧のためとかで、湿度ではなく圧力のある蒸し暑さの毎日で、夜通しサーキュレーター全開状態。ベーゼンドルファー・インペリアル は9月一杯まで予約済みとのことで、それではと言うことでベヒシュタインFCGを弾きに 行こうと計画中なのだがレンタルにちょっとお値段が張る点でためらってしまう。 うちのアプライトで鍵盤を押して、グランドピアノだったらもっと深い音色だろうなあ等と仮想しながら練習するのもまた一興ではあるのだが 、いずれにしてもこの高温多湿ではどうにもパワーが出てこない。バイクの 方は昨日の教習でようやく4速にシフトアップすることができたが速度はまだ40Kmに達せず、また坂道発進のトライも まだ平地での発進停車もままならない状態なのでお預け。最初の7針縫合の怪我での恐怖心から、なかなか次ステップへ移れないの も情けない次第。自分がこれほどまでに反射神経やら対応動作適応能力が劣悪なのもピアノと両方で思い知らされ今更ながらに呆れ果てる。取りあえずバイク のほうは失敗が怪我につながるのでメンタル面補強もかねて夏用プロテクト・ウェアを 増強 してみた。ショルダーパッド、エルボーパッド、チェストパッド、バックパッドと7点補強の大仰なもの。 何れもハードタイプでごわごわしているのでエルボーはソフトパッドと入れ替え、バックパッドもエアホールを12φポンチにてかなり増やしてみた。ショルダーパッドもソフトタイプに換えて みたが重そうなのでこちらはオリジナルのものをハサミで形を整えなおして装着するも、この暑さではとても着る気にはなれない。などと入力していると窓の網戸にツクツクボウシが飛んで来て一鳴き。遠くの林で鳴いてるのはすべてクマゼミなのにわが窓辺だけは秋の気配でつかの間のオアシス。珈琲豆のほうはすべて水洗するのが良さそうなのでニカラグアとエルサルバドルから開始してみたが、ニカラグアのほうはナチュラルなので豆質が非常にばらついている。煎ってみるとモカ臭もするので店に問い合わせると、 「それがナチュラルと言うもの。モカ臭が苦手でしたらブラジルwashedにしなさい。」とのことで此方もなかなか奥が深い。(2013/8/10 )  
 
 
    たちの良くない風邪がようやく抜けてきたのでB-tech Japanへベーゼンドルファー・インペリアルを弾きに出かけた。昨年にスタインウェイ・ヴィンテージで遊んで以来の本物グランドピアノ。ヤマハでもそうだったけれどこうした大型グランドピアノの鍵盤の繊細さは本当に半端ではない。価格から言っても 、うちのアプライトとこれらでは軽自動車とフェラーリくらいの差があるわけだからマシン性能の面から見ても当然なのだろう。音色の豊饒さ、芳醇さもまさに超一級品でフォルテで語るにもピアノで語るにも 本物の技量を必要とする別世界。いろいろ弾き散らかしてみた中でしっかりレッスンをつけてもらったバッハのプレリュード1番のみが音楽らしく響かすことが出来たくらい。低音の黒鍵盤は触らずじまいだったのに店を出てから気が付いたりして 、それ以前にペダルの使い分けすらもまったく気が行かなかった程、圧倒され切ってしまった初体験ではあった。 同じフロアにおいてあるレーニッシュのアプライトは前回鳴らしたときは極上の音色と思ったけどインペリアルに浸ってしまうとやはりペダル開放時などでは豊かさの幅が違う。いずれにしてもアプライトでそこそこ弾けると思っていた曲もインペリアルではまったく曲にならない。(2013/7/6 )  
 
 
    一昔もふた昔も前にサラダ記念日とかなんでも自分の記念日としてしまうことが、はやった時期があったけれど6月21日はわが人生最高の一日となったかもしれない。わがピアノ記念日。バイクの教習で足に7針も縫う怪我をしてしまって、いろいろ自分の能力劣化に情けない思いをしていた一ヶ月、のどごし生CFのカンフーシリーズに感激して遊木さんにファンレターを出したりロックバンドシリーズの延真知子さんとアルフィーに感動するなどして他人の夢に力をもらっていたりしたのだけど・・・。今日は仕事と趣味のカオス?の中から縁あって、本家本元の最良に調律されたベーゼンドルファーを弾かせて貰う機会に巡り合えたのみならず、同日のピアノレッスンでこれまでどうにも超えられないタッチの不器用さが、何か嘘のように乗り越えることが出来る術を教わったり、そして仕事のほうも大きく広がる可能性が見えてきたり、これまでのウジウジしていたものがすべて払拭されてしまった様で自分だけのミラクル記念日。ビールのCFで「夢はかなう」などと言われていても、「所詮、 運よくかなった者の自画自賛」と冷ややかに見ていたのだけれど、本物のベーゼンドルファーを弾きたいとか、ピアノが上手くなりたいとか、仕事を展開させたいとか願っては 居ながら、そこに全力注入しているわけでもなく能力劣化を加齢のせいにしてあきらめ気味に過ごすほうが多かった中でなんとも言い表すのももどかしいエポック・メイキング。(2013/6/21)  
 
 
    結局、コーヒーは古豆のブルマンブレンドなんかより新豆のブラジル等のほうがずっとおいしいことがわかったし、種類の特徴も味わえるようになって、今はパナマ、ニカラグアのシティローストレベルがお気に入りと言ったところ。バイクのほうは教習予約がなかなか取れず遅々として進まないし、どうも車の癖が残って加速したいときに右足に力が入ってしまう。バイクではアクセルは右手であって、右足は後輪ブレーキと言うことはテキストで頭には入っているのだが ・・・。PC関係ではひょんなことからコンデンサーが軒並みパンクしたグラフィックボードが手に入り、この際と言うことで8個すべてのコンデンサーの交換を試みた。こんな小物類もすべてネットで購入できるのはすばらしいし、実作業についてもほとんどネットで写真つき解説を閲覧できる。久しぶりにマイクロドリルやら半田 ゴテやらで一遊びしてオーディオアンプ用のコンデンサーがずらりと並んで高級感あふれる威容に変身したグラフィックボードをPCに装着して無事に画面が描画されたときの感激はこれまた病み付きとなってしまう。(2013/5/19)  
 
 
    しばらく更新を控えている間に早くも4月も終わり、ゴールデンウイーク入り。コーヒー遊びは どうにか峠を越えて結局、磁器製の煎り道具とアルミバットを揃えて、豆はすべて生豆をネット購入して煎る前と煎った後にハンドピックをやることが基本手順となってしまった。抽出を80-90%までで終えることでエグ味や悪渋味の混入を防げることも知ったし、煎り立てよりも数日おいてから挽いたほうが良いことも実感できた。そうこうする内に、荒川静香選手が大型バイクの趣味を公にしたことにショックを受けて、バイク免許を取得することにした。いきなり大型はちょっと自信が無いのでまずは普通免許からと相成り、早速受講手続きと、ヘルメット、グローブ、ブーツの三点セットを購入へと走ってみた。ヘルメットはショウエイのX-twelve、ブーツはエルフterre01が気に入って、狙いの本体はドラッグスター・クラシック400のブルーと夢が膨らむ。一方で交通死亡率が最も高いと言うことで膝やら肘やらのプロテクターも合わせて入手。ゴルフもピアノも人並み以下で空しくなってきた事も手伝って、ちょっと刺激的な世界をのぞくことにする。とは言いながら今日はピアノの調律。Bachシール調律で、今回は鍵盤の支点部分の補正やら、ハンマー張力の補強やらで、高音域の粒立ちが鮮やかになってくると共に打鍵のレスポンスがとても良くなった。逆に言えば指の動きの鈍さが際立つようになったとも言えるが。数ヶ月前からバッハのロ短調ミサの魅力に取り付かれて、改めて宗教曲の底力を認識しているわけでキャンディーズの魅力と並んで、音楽のある良い時間が膨らんできているのもなかなか有意義。(2013/4/28)  
 
 
    日はだいぶ高くなったもののまだ毎日が非常に寒い季節。コーヒー遊びは遂に自家焙煎の道に突入、と言っても安物のゴマ煎り器を使っただけの話なのだが、これまでにいろいろなコーヒー豆を買い比べていて発泡の悪いものや酸味が勝ちすぎた豆に当たったときはどうしようもなく他の豆とブレンドしていたものが、煎ってやることですべてが解決してしまった。近所で見つけたゴマ煎り器にコーヒー豆を入れてガス火の上7cm位のところで5分ほど煎って準深煎りレベルにしてやることで酸味は苦味と甘みに変わって泡立ちもずっと良くなる。香りのほうは今一つなので、そこは深煎りの香りの良い豆を少し混ぜて挽いてやることで1ランク上のコーヒーに仕上がる。これまでマンデリンはばらつきが大きくてためらっていたものだがこれでかなり安定化できるめどがついた。しかしながらオリジナルブレンド作りは、豆の種類の組み合わせだけで済ませていたものが、煎り加減の違いも組み合わせることになって非常に複雑なレシピになりそうな予感もある。いずれにしても寒い季節はホットコーヒーは何よりだし、豆煎り作業も暖を取るのにも都合がいい。そしてさらに音楽のほうでも暖かいものをと言う訳でもないけれど先日、生ピアノで感激したE・レクオーナの作品CDを入手してアンダルシアの世界に浸りながら、ひたすら春を待つと言うスタイルになっている今日この頃。(2013/1/26)  
 
 
    慌しく2013年が明けてしまった。昨年後半にデジタルカメラへの見直しやピアノ練習技法の飛躍と共に自分で挽くコーヒーにも魅了されてCOEを飲み漁ったり、万年筆インク病が再発し、ゴルフではシャンク病を発症すると言う波乱万丈の巳年となりそうな予感。日本酒も蔵出し原酒に嵌ってしまい廉価版フルボディ赤ワインから乗り換えてノンビリ路線に切り変わってきた。万年筆インクではDe Atramentisと言うドクターヤンセンの系列のインクがネットで入手できることがわかって早速2ビンほど注文してしまった。後で調べたらこちらのほうが良いことがわかったけど国内のお店はいずれも「お取り扱いありません」と、にべも無い返事だったからすべてこれらのネット購入で楽しむこととする。万年筆も凝り始めると底無し沼なのだけど車やオーディオなんかと比べるとまだささやかで、もっともコーヒーが一番ささやかと言えばささやか。現在のところコーヒーは浅煎りの酸味系よりも深煎り苦味系のほうに落ち着きつつあり、国産万年筆ではパイロット、セーラーよりプラチナの頻度が増え、インクはブルー系、ブラック系よりグリーン系に収まってきた。(2013/1/12)  
 
 
    猛暑と集中豪雨の合間に日曜大工で庭飾り用の木椅子を作ってみた。電気機器は廉価版ドリルドライバのみで鋸も古典的な代物のためもあって、既成の角材と金具で組み立てる手抜き素人工法でのやっつけ仕事。素人DIYは下手をすると道具馬鹿になってプロ用電動機器なんぞに凝り始めると、それだけで完成品の椅子が何脚も買えるような出費の本末転倒に至る。 それはそれで楽しく、自分でもカメラの分野ではそのあたりも経験済みなのだが、ドリルなんかも、回転数、トルク、軸ぶれ精度、作業持続時間、持ち易さなど、価格が一桁変わると別物になるのは乗用車などと同じ。 ただドリルについては本体よりもドリル先端を良質なものに交換することでDIY範囲では半分以上を補えることも体感できてインパクトドライバとの使い分けで十分であることもわかった。 久しぶりの木工遊びで手先を使って一汗かいたりしたせいか、カメラについてもデジタル一眼レフでズーム撮影をやってみる気になった。近距離望遠でなかなかのボケ味が出せたことに驚いてみたり、それらの画像ファイル扱い関係でマイクロSDカード周りのUSB環境を整える羽目になったりして遅ればせながら思わぬインフラ整備に手間がかかってしまった。また今年の暑さは例年より高温なのか、夕立時の雷サージが強力になったのか電話機の子機が故障してしまった。これまで家電類では、故障したメーカーのものはそのあとは一切買わず他メーカー品を購入してきていて、今は家にある主要なものは三菱製と日立製とパイオニア製位しか残っていない。いまどき固定電話でもないのだが電話機は某汎用家電メーカー製でトライすることにした。(2012/9/1)  
 
 
   まさに夏本番で俄かにクマゼミの大合唱が早朝から響き渡る季節になった。暑くなったらなったで自作PCの熱中症ダウンが心配なのだけれどエアコンの無い中で も今のところ無事に動作している。 今年の夏は小笠原高気圧ではなくオホーツク高気圧支配の為か、カラッとしていて朝晩は比較的しのぎやすい。ただその分だけ昼間の暑さが厳しいのと夕立が期待できないのがいささかつらい。久しぶりにマタイ受難曲や庄司紗矢香のヴァイオリンを聴き、人間技とは思えない極上の音楽を味わえる事に有り難い思いと 共に、 聴くしか能の無い自分に情けない思いを積み上げてみたりする。オリンピックでもそうだけれど、稀有な才能が常人を超えた努力を積み重ね頂点を極める見事さは、本当に同じ人間とは思え無い別世界が感じられる。それに対し無神経な批判や無責任な評論を行っている連中を見ると何とも情けない気持ちになるし、無能な大衆もやっかみ嫉妬半分でそうしたコメンテーターの尻馬に乗って騒いでいる姿もまたこれ人間活動なのだし。ピアノの練習も最近は、音の出し方がわかってくるにつけ自分の才能の無さもはっきりしてきて逆に楽曲が怖くて弾けなくなっていく。何であれ 努力の甲斐を保証される天賦の才を持って生まれてきた人が本当に羨ましい。(2012/8/7)  
 
 
   庭のソヨゴの若葉にアカシジミがとまっていた。何年ぶりかでの赤い可憐なゼフィルスとの出会いで、いささか興奮してしまった。ゼフィルスの季節には不似合いな台風が来たりした中で、何年ぶりと言えばピアノのレッスンの機会にも恵まれてこちらも本当に久しぶりで多くの刺激を頂戴できたのも予想外の出来事。 以前に教わったことが全く忘れられて悪い癖が固まっているのはゴルフと同じ症状なのも情けない。しかし今回はICレコーダーを駆使して先生のアドバイスをすべて記録出来て逐一確認できるようになったのは大きな進歩。また音声ファイルの加工ソフトもいろいろ使えるようになってきてライブラリーも充実してきた。TVを全く見なくなって FMが聞きたくなり、予てより目論んでいた5素子アンテナの天井裏への設置を 敢行してみた。本格的な屋外アンテナ取り扱いはこれこそ何十年ぶりだったけど非常に軽量化されていることにあらためてビックリし、同時にFMチューナーの衰退ぶりにもまたビックリ。アンテナを屋根の上ではなく天井裏に設置することは一度やってみたかったことでもあり 、同軸ケーブルの引き回しも壁面のパネル端子 を活用できればよしと思っていたが、二階の天井裏は思いのほか空間が無く壁面近くの作業は全く不可能でこれは断念した。建売分譲住宅の床下や屋根裏など見えないところの切り詰めは浅はか でいかにも残念ではあるが、 それはさておきアンテナ自体は、取り付けてFMを合わせてみると室内用ブーストアンテナではかろうじてNHKのみ受信できていたものが8局も聴取できるようになって、こちらは大きく世界が拡がった感じ。 ステレオで問題なく受信できるところは少ないが放送内容レベルの方が問題みたいで技術よりポリシーが重要なのはTVと同じ。ついでにあちこちケーブル類にフェライトコアを装着してみたがこちらは効果不詳でAMが少し改善されたのかプラセボ程度の結果となった。(2012/7/1)  
 
 
    溶接マスク用遮光ガラス板などに気がi行かぬまま黒色のポリ袋をかぶって金環日食を観たり して騒いでるうちに、早くも梅雨入り一週間を過ぎてしまった。このところ聴くものはキャンディーズの全集CDに集中していて、そのつながりでBCRやMac & Katie なんかまで聴き直したりしていささか拡散しすぎの傾向。ベートーヴェンのソナタやショパンの夜想曲でもそうだったけど、日常のFM放送やらコンサートなどでは一部の「有名曲」ばかり繰り返されていて、受動的な聴き方では数多くある素晴らしい曲に触れることなく妙に偏った像が定着してしまう。キャンディーズは元々歌手志望では無く「聴かせ芸より見せ芸」の舞台志向の三人だったわけで大衆歌謡TV化の流れの中で醸成されたアイドル路線をグループで乗り切って成功させた稀有なケース。この世界では大衆娯楽の常として時流に乗ると言う賭場劇場に翻弄されて、愚劣なものが大喝采を浴びたり優れたものが見向きもされないことが日常茶飯事となっている。もっともクラシックの分野もその時代ではそれらが最新娯楽だったわけで、モーツアルトが亡くなった際には墓も立ててもらえず、バッハのフーガの技法 印刷銅版も銅地金の価格で売り払われたりしていたなどで結局「歌は世につれ、世は歌に連れ」に帰着してしまうのかもしれない。キャンディーズの頃はチェリッシュがお気に入りだったのだが、彼ら自身が最も愚劣な曲とした「てんとう虫のサンバ」が彼らの地位を築くきっかけとなったりした中で、当時は注目もされなかった「比叡おろし」は悦ちゃんを超えるものは未だにあらわれておらず、キャンディーズのライブの価値なんかも最近になって衆知される傾向が見られたりしている。由紀さおりさんのケースなどを見ていると来年はなんとなく「世界のキャンディーズ」が現実のものになるような気がする。(2012/6/16)  
 
 
    デジタル嫌いを通してきたもののスナップ写真でのデジカメの圧倒的なメリットに負けて、音像記録にもデジタルを評価してみる気になった。語学目的でもなく、口述筆記でもなく漠然とICレコーダーを見ていると楽器練習用とあったのでPS401RMと言う機種の中古品を入手。外部マイクは製造中止とのことで対応可能機種の中からRolandのCS-10EMを調達して試用してみた。頼りないほど小ぶりな外形ながら記録される音はなかなかの品質で、嬉しくなってAudacityをはじめEcoDecoなどいくつかのサウンドエディターやらコンバーターもDLして、ひとしきり音遊びに明け暮れることになってしまった。自分の演奏はいくつかは予想通りだったが左手の雑な動きや唄になっていないメロディやらを客観的に思い知らされて意識して思いどおり弾く事のむ ずかしさもわかってきた。会議録やボイスメッセージなどに終始している方がはるかに建設的な世界。またホームページにアップしようとすると全く容量が足りないシステムであることにも気がつき、確かにホームページは衰退する運命になるなと 、ひとりごちてしまった。ホームページの更新でも久しぶりにCode操作を伴う作業になってカット&ペーストしながらよい復習になった。録音は上達したら更新していくつもり だけど、もぐら叩きみたいな状態なのでどうなることやら。(2012/5/13)  
 
 
   ようやく初夏らしい陽気となって新緑が爆発したように山々を染めてきた。ピアノの音色も弛みが出てきたようでそろそろ調律の季節、と言うことで今回は「バッハ印章に基づくVeryWell2調律」と言うのを施してもらった。平均律ではなく古典調律の一つとのことで、バッハのハ長調プレリュードがきれいに響くようになったのみならず全体の音量が増えた様な感じ。ワルトシュタインでもクリアな力強さが増すのだろうか。ところで練習事でも仕事でも、言われなくとも出来てしまう人や言われて出来る人はさておいて、問題は言われても出来ない人。これも言われている意味がわからない人と、言われていることはわかるけど実行できない人との二通りあって結局、後者は向いてないタイプと言うのが結論。調律でも演奏でも耳と手の協同作業の中に頭をどれだけ活用できるかと言うもの、そんなことを考えながら文房具屋を物色していたら「お手持ちのハンコを入れるだけで、そのまま連続捺印できる、ワンタッチ式印鑑に早変わり」と言うアダプターを見つけて早速認め印に装着試行。なかなか快適でこちらは優れもの発見というところ。PCの方はOffice2003にかえてIME2010にして見たのだが今一つの性能の上にFrontPge2003の動きが非常に遅くてかえって改悪になってしまった(2012/4/30)  
 
 
 「暑さ寒さも彼岸過ぎまで!」がすっかり定着したようなこのところの寒気団の波状攻撃のなかで、予定通り入院手術と相成った。腰椎麻酔やら切開やらでいろいろと新鮮な体験をさせて頂いたが作業としては中を開いて配管の合間を縫って不良箇所を修繕するPCのパーツ交換などと原則的にあまり変わりは無い感じ。ただPCであれば最初にネジを外して側板を外せば済むことだけれど、人間となると前日から絶食して、アレルギーその他もろもろの検査をした上で適量適所へ麻酔を施し的確な箇所をメスで切開するまでがすでに大仕事。もちろん開けっ放しにしておくこともできないわけだし時間との勝負で、ただ今回のはメモリー増設みたいなレベルなのかドクターが偉大なのか結果的にすんなり終えてもらえてとても良かった。ああした麻酔の場合は特に美しい看護士さんが抱え役を担当するのがお約束なのか、覚悟していた痛みがほとんど無かった事と合わせて嬉しい予想外ではあった。このところ修繕マイブームでシェーバーの外刃やら蓄電池交換で数百円の投資によって、その二十倍価格の道具が立派に再生できたりするのが楽しくて、あまり使用頻度の高くないものまで手を出してしまう。携帯型シェーバなんかは普段はまず使わないのだけれど久しぶりの外泊でその性能を再発見して、また古い製品なのにパーツが完備されているところもなかなかすばらしい。今回の連泊ではPC、DVD、TVなど虚構コピー媒体が皆無の環境の中でスメジャンカ女史著のショパン演奏関係の本だけを読んでいたのだけれどやはり暗譜量が無いと無益であることもまた悟った次第。(2012/3/30)
 
 
 お彼岸目前というのに真冬の冷たさながら、紅梅がようやく花をつけ始めた。ピアノも前回の調律でキーを浅くして、ハンマー圧や弦間距離を減らしたりして、ソフト仕上げになってからは冬の間も音質や音程変動が非常に少なくなってとても良い調子になった。弾き方も指を立てて弾くなどという教条的なものを脱して音色本位のホロビッツばりのピタピタ指にしてからは動きが良くなり幻想即興曲もそれらしくなって、革命エチュードも視界に入ってきてこれもまた楽しみ。またPCのほうでもDVDのファームウェア更新で面白い経験ができた。GCC4482と言う製品の更新で、同じ機種のものが無かったので無謀にも4481Bのデータを入れたところ、ものの見事に動かなくなってしまった。仕方なくいろいろトライした挙句、今度は4482B機種用のファームウェア・バイナリデータを先の4481Bのインストーラーを使って書き込みしてみたところ、松本清張バリのドンデン返しとでも言うかこれまた見事にアップデートされて奇跡的に蘇ってしまった。異機種用のインストーラで別機種用データを書き込んでアップデートできる等とは誰が予想できようか。サウンドカードをSE200PCI LTDにかえてからYouTubeの再生音質も向上して豊かで広がりのあるものになって菅井円加さんの演技なども鑑賞しつつこれまたご同慶の至り。(2012/3/17)
 
 
 久し振りに気温が上がってしのぎ易い日曜日。しばらく前、万年筆に凝ったときにデスクマットが欲しくなって色々と調べて見たことがあった。イタリア製だとか、とてもゴージャスなものが定番としてあったり日本でもこだわりの皮革屋さんが手作り品を販売していたりして、それはそれで魅力的で触手が動いたりもした。しかし何か自分の道具となるときに、ブランドのステータスよりも自作のオンリーワンにこだわってみたくなってヌメ皮原反などを物色している内に気分が乗ってきてトライしててみることにした。本格的に染め上げたり縫い合わせたりするのは今回はあきらめて、手っ取り早く張り合わせ主体に小型のものを一枚仕上げてみた。ついでにマウスパッドもハギレ皮で作ってみたがこれもなかなか良い感じに仕上がってポインターの動きも問題なく、なにより本皮の手触り感と断熱性は冬の低温に対してぬくもりが備わって非常によろしい。最高級品を所有することより、不出来でも自分の創作品を用に供するのは丁度、名演奏のCDを鑑賞するか自分で曲を演奏するかの違いに似て、手をかけた充実感が地についている方が品質そのものよりしっくりする感じ。たまたま蛯名健一さんのパフォマンスをYoutubeで見たのだが、有形でも無形でも何かを作り出す才能は人それぞれで極めたものは本当にすごい。最近はキャンディーズの作品を折にふれて鑑賞しているわけだけど彼女達は本当に空前絶後のエンタテイナーだったことに改めて驚かされる。デビュー当時の器用な素人娘の印象がマイナスしているが、時とともにレベルが上がっていって後半では本当にほかの歌唱グループが真似のできない天才集団になっているのが今頃になってデジタル技術の進展でわからされると言うのも実に凄いこと。(2012/1/22)
 
 
 今年の初詣は東山歩きで雪時雨の合間に、金地院、知恩院、南禅寺、青蓮院、法然院、慈照寺、永観堂と巡り歩いて静かな古都のひと時を堪能することが出来た。哲学の道は地衣類の保護とかで養生中のところもあったけど、こちらも落ち着いた佇まいの中で充実したそぞろ歩きで初春としては良い出だし。ピアノのほうも年末にヴィンテージスタインウェイを触りまくって本物の一級品の繊細さと扱いの難しさを思い知ったり、もっともこれは自分の指が鈍感で技量が無いだけの話なのだが・・・。ただこれによってピアノで音色を奏でる基本と言うものがわかった様な気がしたのは収穫。歳末の第九も年始のウィンナワルツもTVで間に合わせて、あとはSONGS録画のキャンディーズを楽しんだりしている内に松が取れてしまった。さらに室内の一部の照明をLED電球に交換してみたり、数年来の懸案であったデスクマットの自作計画を実行開始したりで、ユーロが安くなったからと言うわけではないけれど英Amazonで買い物したり、またあまりパフォマンスの良くない出費が重なりつつある今日この頃。(2012/1/14)
 
 
 クリスマス寒波到来で厳冬期突入したものの、その後はかなり寒さが緩んでいる様子。お気に入りのアラジンストーブの燃焼芯がメンテ忘れで遅まきながらカッターナイフで炭化部分をカット手入れしてなんとか現役復活。備え付けのエッジカッターで芯先を整えて点火、いつものブルーフレームリングが戻って穏やかな暖かさに癒されつつ、ネットサーチしているとショパンの映画が封切られるとのことで少し興奮。さらにいろいろ見ていてDVDも出ているのを知ったのだがこれは買わずに待つこととする。来年は磁気嵐で大変な年になるとの観測もあったりして原発クライシスに輪をかけて人間の科学技術レベルの底の浅さが再認識されそうな予感。久しぶりにクライスラーの前奏曲とアレグロを耳にして懐かしくその昔を思い出した。(2011/11/20)
 
 
 また今年も公園のメープルが真赤に染まって、そろそろ秋本番。この期に及んでブルックナーとキャンディーズを結びつける、知る人ぞ知る鮮やかな糸があったと言う事実にたどり着いてしまった。それもよりによって大好きなあの「悠々無骨」な朝比奈/大阪フィルの演奏録音と、キャンディーズを一躍スターに押し上げた「年下の男の子」レコード等でとは思いもよらなかった。  この曲はトム・ジョーンズ「Somethin' Bout You Baby I Like」のもじりとかで騒々しいR&R系の一曲で、もっとも朝比奈ブルックナーも聴く人によっては騒々しい系ではあるのだが、美樹さんが活躍するわけでもないのであまり聴くことは無かった。ポップスもクラシックも録音技術の側面では同じところも多く、30数年も前のことに思いをはせながら久しぶりに朝比奈さんの第七番や第三番を聴いて、その味わい深さに感激を新たにできたのもうれしい副産物。この吉野金治と言う天才録音エンジニアに敬意を表して矢野顕子の「音楽堂」を聴いてみたり・・・。このところ音楽に対する好みがはっきりしてきて、技術的に隙の無い流麗瀟洒なものより剛健無骨っぽいほうに趣味が移っている。完璧無比な技術より、ある意味素人っぽさで直向な心がストレートに感じられる音楽に共感するようになっている感じ。背伸びや虚勢につながるものすべてがわずらわしくなったせいかもしれず、キャンディーズの洋物カヴァー曲なんかも技量には不足するところもあるけれど、他のアイドル歌手たちとは違うセンスの良さや、自分たちの持ち歌の少ない分を補おうとするような一生懸命さが伝わってくるところに共感するところも多い。昔よく見かけた音楽評論家の言で、技能試験官的風情の、上から目線で音楽を語っているのを見たりすると「まだまだ青いのぉ!」と言ってみたくなるし、そうした部分を売り物にしたCD商品にも嫌悪を覚えるのみ。今日はヴィンテージ・スタインウェイの第一人者である磻田耕治さんの講演会に出かけて素晴らしい年代物のスタインウェイを触りまくってきた。彼が「これらのスタインウェイは荒馬のようなもので普通の人の指でははじかれてしまいます。」と述べていたとおり、完璧にピアノの格に負けて、とても弾く等と言う状態にはならなかったのが残念至極ではあった。(2011/11/3)
 
 
 台風崩れで吹き抜けた風雨が残っていてすっきりしない日曜日。今日はブルックナーの187回目の誕生日と言う事で、ブルックナー音楽祭でも顔を出していたプログレッシブ・ロック、ピンクフロイドの「原子心母」を聴き直してみた。勿論ヨッフムで第三交響曲なども聴いたのだけれど、時の流れを意識させないクラシック曲とは違って、このところ嵌っているキャンディーズへの想いと共通するものの正体が見えたような気がした。潜在懐メロと言ってしまえばそれまでなのだがこれらのサウンドの魅力は数十年の短い期間であって生き残っているだけの完成度は有しているもののフォロワーが定まるところまではいかないステージにあるものであり、時代臭を保持して、要は青春へのレクイエムなのだろう。実験音楽で完成することの無かったプログレロックであれ、お嬢様芸風プロのキャンディーズであれ、たまたま多感な時期に斜に遭遇した宝物には違いなく、創り手と共に呼吸した時を共有した幸運への想い。原子心母のブラス、MMPの仁王立ちのトランペット、ベルリンフィルの金管群、いずれも心を躍らせてくれる。彼女らのアピールではファンタジー」、「グッドバイ・タイムスに共感するところ多々で、あとは藤村美樹の「アフリカン・ファンタジー」になろうか。そしてロックではRareEarthのI know I'm losing you.が古びれず良い味を残している。今月末にはピンクフロイドのCDリマスター盤が出るとか。(2011/9/4)
 
 
 猛暑も一段落して秋雨のはしりの様な薄明るいくもり空。お盆休みに十数年ぶりに山靴やザックを取り出して伯耆大山の途中まで往復して来たが足に衰えはあるものの結構いけそうな感じで嬉しくなってしまった。一緒に持っていったカメラもデジカメは簡便だけれど撮像の豊かさではやはりNikonF3に軍配が上がった。撮影や現像に手間がかかったり枚数制限があったり、何より巨大で重量が嵩むのは登山には致命的なのだが・・・。帰ってからも何やかやでBSアンテナを買いそびれてキャンディーズ特集番組は見れず、腹いせにYouTubeでいろいろ聴いていたら突然シュパッと異音を発してPCが切れてしまった。連日の暑さの中、時々電気コードの焦げるような異臭がしていたのはなんとなく気になっていたのだが、「自作パソコンは夏に逝く」と言う我が家の法則に従って遂に来たかと、かねてよりマニュアル化された想定内事象として粛々と修復モードに入ることにした。とは言っても「過熱異臭」であれば十中八九「電源ユニット」と目星をつけてネットにて定評廉価品を選定発注、数日後配達されてきたものを手順どおりに各パーツの配線ピンを手探りで交換して無事解決となった。(2011/8/27)
 
 

 7月になったばかりだというのに真夏のような陽気に辟易しつつも、オリジナルマグカップ造りに凝ってみた。とは言っても画像を配置するだけなのだが結構面白くて、わがブルックナー様のものを愛用品に決め込み。その他にもホームページ表紙をAtroposでコピーしてJtrimで整えて、同じく作成サイトに画像をアップロードしてプレゼント用に作製しながら遊んでみたがとても質の良いものが送られてきて満足。ネットを閲覧していると先だってのスーちゃんショックからかYouTubeにキャンディーズの動画のアプロード数が増えていて、いろいろと聴き直しているうちにすっかり嵌ってしまった。当時はチェリッシュの悦チャンのハイトーンが好きで、キャンディーズは曲自体には騒々しさが先にたって浸りきれないことが多く「春一番」以外では「哀愁のシンフォニー」、「わな」あたりが印象に残っているくらいだった。とは言えミキちゃんがお気に入りで、スレンダーで凛とした清純さがとても印象的だった。7.17事件や4.4ファイナルカーニバルのことはあまり知らなかったけれど、彼女達の成し遂げた経緯を知るに及んですっかり惚れ直してしまった。歌手として人生をやっていくつもりは無いながら、与えられたお仕着せトリオを三人が全身全霊をかけて期間限定ですべてを捨てて取り組んでいたこととあの数々の名曲とがなかなか符合しない。彼女達はアーティストとしての自己追求ではなく、顧客満足を最重点に置いたカーニバルビジネスとして歌えて踊れて芝居ができるエンターテインメント・プロの仕事を追及したすごさが改めて感動を誘う。三人組というのもなかなか奥が深そうで、唄えば三声部までを重ねることができるし、踊れば3人でのシンクロは必要最小限で群舞をアピールできるしパ・ド・トロアとしての多様性も表現できる。トリオの万能性を実ににくいキャラクターで創りあげていたものといまさらながらに感心してしまう。黒の衣装で踏む「わな」のステップの魅力には震えを感じてしまうし、「哀愁のシンフォニー」のような曲想の中でテープ投げの場面なんぞを築けるのもなかなかできるものでもない。声量も乏しいし魂に切り込むような深刻さも無いけれど掛け値なしの明るさとひたむきで一途な姿に共感する無数の騎士たちの忠誠を得て、お祭りのリード役として空前絶後の実にチャーミングな3人組だった。(2011/7/2)

 
 
 
 ようやく新緑が鮮やかになってきた中で、安藤美姫選手の優勝快挙に快哉を叫んだ翌日のエキシビションのレクイエムには久しぶりに心底感服してしまった。いつの間にこんな高みまで成長していたのだろうか。競技ではキムヨナの採点が甘すぎるなどの声もあるけれど「芸術点」などと言う比較できないものを点数化する矛盾したシステムであるし、プロスポーツと言うものの本質が大衆操作の集金システムなのだから「長嶋ボール」や「九連覇」に類するものもツールとして常用されるわけだし、特定の国の国家予算の運用がジャッジ判定に入ってきても特に不思議でもない。それに比較してエキシビションは純粋に芸術性やエンターテインメント性を楽しめる機会で、演技者も点数計算などとは無縁な自己表現に集中できる場として貴重なのではないだろうか。それはともかく、モーツァルトのレクイエムをここまで視覚化表現できるスケーターは安藤選手の他に誰かいるだろうか。並み居る強豪達を制して偏向判定をも、ものともせず金メダルを取れる高度な技術、表現能力に自己調整力、志の高い目的意識などをベースに、レクイエムの音楽に見事に全身の動きを同化させる宗教性と柔軟性を発揮した神の舞には正に脱帽。一昔前は、創作ダンスにも興味を持っていて、よく観に行っていたのだけれど宗教性の表現は非常に怖いものがあって、内面が伴っていないみかけだけの宗教的動作演技はすぐわかってしまう。このレクイエムは音楽として頂点にあるものだから演技が主なのか従なのかも判別しがたくなってくる程であるのも素晴らしい。(2011/5/3)
 
 
暗澹たる気分で音楽を楽しむ気にもなれないながら、3.11の忌明けを経て更新再開をしてみる。以前から津波に対しては漠とした恐怖心があって吉村昭の「三陸海岸大津波」を幾度も読んだりしていて、三陸沿岸での漁港水揚げで異常な豊漁などをウォッチしていたつもりだったのだけれど、昨年のマイワシ大豊漁、今年になっての茨城海岸でのクジラの大量打ち上げ、別の観点で九州新燃岳の噴火と、いくつか兆候だったのかもしれないものを気に留めずじまいだった。1100年前の貞観津波と明治大津波の同時再来と言うことだとすると10数年後は東京大地震だし、20-30年後は南海地震が来るという事になる。原子力発電所に起因する厄災は恐怖SF映画が現実となって、原発も所詮「冷やし原爆」でしか無いことをこれだけの犠牲を出さないと明らかにされなかったことも情けない限り。それにつけても最近の世情に見る拝金主義での精神的荒廃は何とかならないのだろうか。衛生面の確保に必要な金を惜しんで病原菌を蔓延させて無数の飼育家畜の命を奪ったり、防災確保の金を惜しんで、いざと言うとき冷却不能の原発を運転し続けたり、先に相手を撃ち落すから防護板は要らないと言う貧しさゆえの「零戦思考」からまったく脱却できない国民性。さらに本来自らが自らの意思で行うべきものを、一昔前は「自決」として他人に強要し、今は「自粛」を他人に強要することがまかり通るこの野蛮で低劣な全体主義社会。この国で間違いなく言えることは、絶対に被害者になってはいけない。自粛を押し付ける側、原発は安全だと他に押し付ける側などの加害者側に回らないと、受身では不幸になるばかりと言う事。もっとも弱者を際限なく追い込んで来ているのが人間の歴史過程ではあるのだけれど。ビン・ラディン作戦のコードネームがジェロニモだったとか、イソロクとつけられてもその意味がわかる人はどれくらいいるだろうか。(2011/4/29)
 
 
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