万葉の昔では、貴重な薬として、また平安時代では特権階級の食物とされておりました。昆布が広く庶民の食べ物として普及していくのは、18世紀西回り航路が開かれ、蝦夷地、東北から大阪まで大
量に、安く、早く、安全に物資を輸送することが可能となり、北海道と上方との間で物資の売買が盛んに行われるようになってからです。 (北前船)北前船は当初、北海道と機内を結ぶルートは、海路で小浜・敦賀に至り、そこから琵琶湖を渡ると言うものでした。それゆえ中継地点の敦賀では昆布の加工業が早くから盛んになりました。その後、北海道から下関を経由して、海路のみで大阪に至る西廻り航路が開通し、より多くの昆布が直接、大阪に荷揚げされるようになりました。 |
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