ピアノの歴史を楽器と音楽の様式から見ると、大きく4つに分けられます。
1700年〜1750年 バロックのピアノ イタリア式( 原型イギリス式 )アクション
1750年〜1800年 古典派のピアノ ウィーン式アクション
1800年〜1850年 ロマン派のピアノ イギリス式アクション
1850年以降 現代ピアノ アメリカ式( 改良イギリス式 )アクション
特に、18世紀末から19世紀初めにかけては、産業革命・市民革命に伴なって起きた
社会変動の影響で、ウィーン・ロンドン・パリで作られた楽器が、相互に流通し始め
新しい機構や装置の開発・改良がなされ、多様なメーカーの機構も性能も異なる楽器が
混在し、ピアノという楽器は、急速な変化を遂げていきます。
18世紀末から19世紀初頭は、音楽文化のあり方が非常に大きな変動を遂げた時期
でもあり、それに伴いピアノも確実に変わってきました。
タッチが軽く、早いパッセージに素早く対応するウィーンで主流だった
跳ね上げ式アクションに対し、ダイナミックレンジが広く、低音が豊かで
力強い響きを出せる、ロンドンやパリで使われていた突き上げ式アクションが主流
になりさらに改良が加えられ、ピアノは「重厚長大」への道を歩むことになります。
パリ・ロンドンのピアノには、アクション機構以外にも、ウィーンとは違う部分が色々とあり
斬新な機構を具えているという面が強かったのですが、ウィーンのメーカーもそういうものを
取り入れ、時代を追うごとに高性能なものへと変貌を成し遂げます。
ピアノの高性能化を最も表しているのは、音域の広がりです。
当初のものは5オクターブ(61鍵)でしたが、6オクターブ半( 78鍵 )にまで増えます。
この時代の作曲家ベートーヴェンのピアノ曲に使用されている音域を見ると
これらの変化がよくわかります
ピアノの高性能化は、ペダルにも表れてきます。
ピアノのペダルの由来は、手で操作するハンドストップで
やがて鍵盤の裏側に膝で押し上げて操作する膝レバーが考案され
さらに新発明の足ペダルに置き換わる事により、今日のピアノが出来上がりました。
19世紀の初頭までは、膝レバーが主流でハンドストップも、まだまだ使われていました。
足ペダルに慣れている私たちにとっては小回りがきかず、不便さを感じるようなイメージの
強いペダルですが、当時は音色を変える装置だと考えられており、
これらを上手く使う用法が開発され、それを踏まえた音楽表現が発達しました。
チェンバロに付けられているハンドストップは、オルガンのストップと同じく
弦の組み合わせを変える事によって音色を変える為のものでした。
初期のピアノにつけられたハンドストップも基本的にはその延長上のものと考えられ
それが膝レバー、足ペダルと進化を重ねていっても、そのような性格を色濃く残しており
今日のピアノよりもはるかに多くの種類のペダル ( ファゴットペダル・リュートペダル )
などが、付けられているのが一般的です。
ベートーヴェンと当時のピアノ
ベートーヴェンが活動した時代のピアノは、音域によってかなり音色が違っていたので
それを上手く利用すれば、現代のピアノよりもはるかに簡単にアンサンブル効果を
出す事が出来たそうです。
初期のピアノ曲のスラー記号やスタッカート記号の用法は、ヴァイオリン運弓法をモデル
とした発想でアーテュキレーションが考えられています。
そこにはピアノが楽器として自立し独自の奏法が開拓された時代には失われてしまった
「もう一つの世界」が広がっているようです。
彼は使用するピアノをその生涯中で何度か取り変えていますが
その為に「ハンマークラヴィア」では、第1楽章と終楽章で使われている音域が違う為に
どちらの楽器を使っても一方だけでは弾けない音が出てくるような事態にもなっています。
ペダルにおいても、初期の作品に彼自身が書き込んでいるペダル記号はわずかしかありませんし、
1800年から翌年にかけて作曲された「Op26 葬送」が初めてという事です。
今日のようなペダル記号が本格的に使用されるのは「Op53 ワルトシュタイン」からですが
この曲では第3楽章だけに突然数多くのペダル記号が出現するそうです。
この時期は、足で踏むペダルを具えたパリのエラールのピアノを入手した直後だったようです。