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ヨハン・アンドレアス・シュタイン 1750年〜1792年

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〒651-2117 神戸市西区北別府2-6-1


1700年頃、イタリアで誕生したピアノは
チェンバロが不得意とした強弱演奏が可能になったにもかかわらず
チェンバロにとって変わるには、半世紀以上の年月を要しました。
クリストフォリの後、ドイツの鍵盤楽器製作者 ゴットフリート・ジルバーマンが
クリストフォリのピアノの発明に関する論文を参考にして
2台のピアノを完成させ、1747年にバッハの賞賛を得ました。
この成功は、彼がクリストフォリピアノの実物を見ることが出来たことによる と言われています。

1750年から1800年当時は
チェンバロクラヴィコード・フォルテピアノが共存している時代で
このうちどの楽器が用いられるかは
演奏される都市が、ウィーンかロンドンか? その他の都市か?
演奏場所は、ホールか? サロンか?
作品の性質は、厳粛な曲か舞曲か? 保守的な音楽か進歩的な作風か?
などの要因によって決まりました。
この3種のうちどれかが決定的に優れているというわけではなく、一長一短だったといえます。

イギリスに渡った12人のジルバーマンの 弟子たちは、複雑な構造やタッチの違いが大きい
クリストフォリ・ジルバーマン式 ハンマーアクションの構造を継承せず、
初期イギリス式アクションと呼ばれる 単純なハンマーアクションを作りました。 
それは、四角い机型のピアノとして 登場し、スクエアピアノと呼ばれました。
外観はクラヴィコードのように華奢に作られ、 すべての部品は小さく
弦には細い 真鍮線と鉄線が張られ、小指の先ほどの 小さなハンマーが付けられていました。
このピアノは、ごく繊細な演奏にしか 適さなかったのですが、小さくて安価だった ため
急速な普及につながったようです 


ドイツでも、ジルバーマンの弟子、J.A.シュタイン
やはり複雑なクリストフォリ・ジルバーマン式ハンマーメカニックを採用せず
独自のドイツ式、後のウィーン式と呼ばれるアクションを発明し
初期ドイツピアノの標準的な存在となった。
このようにして、クリストフォリ以後ハンマーメカニックは
イギリス式 〔突き上げ式〕
ウィーン式 〔跳ね返り式〕 
と呼ばれる2種類の打弦機構が生まれました。

イギリス式アクションは、弾き具合がしっかりしていてメカニズムの機構も丈夫で
重々しい音を出すにも力をこめた表情豊かな演奏にもより適している。
ウィーン式アクションは、タッチが軽く浅く、抜けるような明るい音色が特徴です。



J.A.シュタインのピアノ


1777年にアウグスブルグの楽器製作者、ヨハン・アンドレアスシュタインが
ウィーンを訪れて、フォルテピアノとチェンバロが両方組み込まれた
対面式のフリュ−ゲル
を宮廷にプレゼントしました。
モーツァルトは、同じ1777年に、シュタインのフォルテピアノ
アウグスブルグで見て、完全に魅了されたました。

「シュタインの仕事を見ていないうちは、ぼくはシュペートのピアノが一番好きでした。
でも今では、シュタインの方が優っていると言わざるをえません。」 
という手紙を父親宛に送っています。


ハイドンの愛用したピアノ


1755〜1796年の40年間に、鍵盤楽器のための作品を書いたハイドンは
チェンバロからピアノへの過渡期に活躍し、すべての鍵盤楽器を愛用したと思われています。
チェンバロ・クラヴィコードを愛用していたハイドンは
ピアノが普及し始めた頃、ウィーン式のピアノを所有しました。

1791年にロンドンを訪れた時、スクエアピアノや
イギリス式のグランドピアノと出会い、愛用していたようです。


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