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ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとグランドオペラと パリ社交界は
お互いに切っても切れない関係 があります。
夜毎、開かれるブルジョワたちのサロンで演奏 するヴィルトゥオーゾたちの
パトロン であり 弟子 であったのが、社交界の女性達 だったのです。
今日は舞踏会、明日はカジノへ、明後日は オペラ座へ、その次は伯爵夫人のサロンへ
というような暮らしを送っていた人々が、 ヴィルトゥオーゾたちの
聴衆でありパトロンで あったのです。
オペラ座で評判になったオペラが、サロンで話題 に上り
サロンの女主人が、そのオペラの主題 での演奏をリクエストする。
リスト の オペラ・パラフレーズ は、こうした サロンの即興演奏から生まれた ものだそうです。
ショパンとプレイエル
ピアノ製作史上 最も偉大なメーカーのひとつとして知られる エラール社 の基礎を築いた
セバスチャン・エラール は、16歳の時にパリに出て
ハープシコード製作者に弟子入りをしました。
彼の天才的な技とアイデアはパリで好評を博し王侯貴族から優遇されました。
やがて、ピアノの製造に興味を持つようになり、彼は兄弟との共同経営で
1780年 に ピアノ製造会社を設立 します。
ここで作られた 5オクターブのスクエアピアノで市場を開拓し、イギリスピアノの人気を
凌ぐようになりましたが、同業者の嫉妬やフランス革命の影響により 仕事が阻害されだし
イギリスへ渡る事になります
当時のロンドンでは、同じく戦争の難を逃れる為にやって来た
ジルバーマンの弟子達 が、ピアノ製作を始めていました。
セバスチャンは、いち早くロンドンに移り住み、ブロードウッドらによる新技術
を 直接に学び取る機会を得て、ピアノの改良に力を注ぎました。
その後パリへ戻り、1796年に 最初のイギリス式アクションのグランドピアノ を完成させました。
この型のピアノを愛用したのは、デュセック ・ シュタイベルト ・ ベートーヴェン などで
当時のピアノ製作技術の最高の水準を誇るものでした。
1808年に再びロンドンに渡ったセバスチャンは、楽器の改良に努め
1809年 に 弦を下向きに抑える装置を考案、1821年には ダブルエスケープメント打弦機構
を完成させ、打弦機構を効率よくハンマーに伝える この打弦機構が
ピアノ音楽の大きな福音となりました。
セバスチャン死後は、甥のピエールがエラール社の全権を受け
1824年には7オクターブに及ぶグランドピアノ を 製造しています。
その後も度々、打弦機構の改良・簡略化などを図り、そういったエラール社の技術革新には
デュセック ・フンメル ・ メンデルスゾーン ・ モシェレス ・ リスト ・ ヘルツ ・
タールベルグ
などの演奏家からの積極的な助言や協力が大きな役割を果たしています。
なかでもリストは、ピエールと知己を得て以来、好んでエラールのピアノを弾いていたようです。
エラールのピアノは「響時間が長く、現代のベーゼンドルファーの響きに似ている。」
と言われているそうです。