吟道清峰流 

K3

漢詩抄1                                                                 漢詩抄2へ


第1章
 
《 色彩感覚!「江南の春」より、》

「緑の黒髪」と云えば、色的には「みどり色」は現代の色感覚では「黒髪」にはそぐわない。

 これは「緑」が「艶やかで濃い色」を指している為である。それから連想して「江南

の春」の起句にある「緑紅に映ず」が気に掛ってくる。

 この詩の起句にある「緑紅に映ず」は、この節の背後に「柳緑花紅」が隠れているとも云われている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー( りゅうりょく かこう)  


 中国宋代の詩人の蘇東坡が残した章句に柳は花は真面目(しんめんもく)」と云う章句がある。


 これは 草木が芽吹く季節になれば 草木は、天候や自らの置かれた環境に不満を抱くことなく、精一杯生命を輝かせている と解す。


 柳は緑色花は紅色、と当たり前に思える風景こそが 仏国土(極楽浄土)の風景なのだという。

柳は瑞々しい緑の枝を垂らし、風に揺られ、花は蕾を開き 紅い花を咲かせ香らせる。

 そのものそのままの姿が美しく、その奥には本質的な尊さがあり、これは 生命そのものと云える。

 柳は紅くなる必要はなく花は緑になる必要も無い。(※「花は紅いとは総称であって、赤も 紫も黄も 桃色も さらには白い花すら含んでいる

 人は禅によってこれに気付く様になる。 

 人は他人と比較し、常識に縛られてそれぞれに色々なことについて悩み苦しみ、

不安を抱き 後悔を重ねて 生きており、草木の「柳緑花紅」の世界から離れている。

 しかし このことを理解し、その苦しみを背負って生きて行けることは幸せである、

禅の世界では諭している。

  
千里鶯啼いて緑紅に映ず」のの色を示唆しない解釈。

 千里先まで見渡す限りの景色は、春が来て鳥達が鳴き山野の樹々が萌たち命を輝かせている。 美しい春の風景を「 この七言で現わしている」 と解釈されます。

    

  杜甫 作 江南の春
    千里鶯啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 
    南朝四百八十寺     多少の楼台煙雨の中


   「水村 山郭 酒旗の風」の俗解

 水村埃っぽい荒野から辿り着いた美しい街荒野と比較した瑞々しい街並の村)。

 山郭山の端(夕方に見える空と山並みの境界)で時が推測される。

 酒旗の風 : 酒房から漏れる明かりと、風に運ばれてくる良い匂い

此の七文字で現わされた世界に、南朝時代の穏やかな 人々の営みが 見えてきます。

此の営みを解釈すれば、

 鳥達が鳴き(さえずり)、花が咲き乱れる良い季節になってきた。

旅人は山の端が見える夕頃、野趣溢れる村々の中にある美しい街に辿り着いた。

 川端に沿って柳は瑞々しく酒場の良い臭いと、幟明かりに浮ぶ門前の美女に誘われ

て 酒房(宿屋の酒場)に寄れば 旅の疲れを癒してくれる。

 夜半には小雨の煙る中、寺々の鐘の音を聞きながら 美人に酌をされて飲む酒は

最高で、酒の後は添い寝をしてくれるから嬉しい。

  「郎を待つ待合茶屋の柳かな」、此の句を 併せ読むと 理解しやすい。

 「郎」(男たち)が、この「柳」の、この場所に来るのを 楽しみにして いそいそと

待合茶屋に来ていたことが わかる。

 そして柳は待合茶屋の入り口に植えられていた柳でもある。

 美しい情景詩であるが「酒旗の風」で俗世が垣間見える 楽しい「詩」となっている。


ツァイツェン              

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