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更新: December 26, 2004
ようやく八十歳になる。何だか待ちこがれていたようだが、そんな気分でもある。少々のへまをしても、歳のせいと許される。もはや人格が傷つけられるような恥辱などと思わずにすむ。そして、歌などは、まさにこうした心境で詠みたいものだ。 ここ数年間に作りためた己が歌を読み直してみる。勿体ぶった歌、現役時代のあれこれを懐かしむ歌も多いが、安らかな老境に甘んじる歌も詠むようになった。 それに、今更ながら、万葉集から始る古い名歌なども好んで鑑賞するようになった。そのほか、人口に膾炙している先人や現代歌人の作品もよく読む。それらを読むことで、何となく自分の心が満たされることに気づいた。 そこで、この歳になってだが、これらの歌のうち、特に気に入ったものの暗唱を始めた。これが中々よい。日々、何百首の古歌、名歌を暗唱しながらの散歩となった。暗唱を続けるかぎり、忘れることはない。間もなく、歌の数も千首に達する。 こうした日々の暗唱で、幾百もの歌語、歌枕、言い回しなどが身に染み付いてくるような気がする。自らの歌づくりにも、いささかの影響が出ているようにも思える。 (2015年8月2日) |
人をみれば泥棒と思ふ身のさびし閂かたく門を閉ざして (ひとをみればどろぼうとおもう みのさびし かんぬきかたく かどをとざして) おれおれ詐欺などに、とかく老人がひっかかる。剣呑な世間にはかかわりたくない。かかってくる電話には、まず無愛想に応答する。ピンポーンを鳴らす訪問者にも、妻は留守と答える。大方がこれで諦める。だが、何だか侘しい。気持ちの通う言葉を使いたくもなる。 While feeling regret for the idea "Never trust a stranger," lock firmly the gate of my house tonight again |
無愛想な生きざまにしてけふを歩むわれにつきくるはぐれ犬あり (ぶあいそな いきざまにして きょうをあゆむ われにつきくる はぐれいぬあり) 無愛想が許される老年に達したようだ。当を得た挨拶、社交辞令などに気を使うこともない。今は唯我独尊が通用する。だが、暮らしに人の世話を受けることになれば、こうはいくまい。愛想笑いも、気に染まぬ従順さも見せねば。人の心を読まねばならぬ煩わしさを思う。 Keeping my unneighborly lifestyle, have a walk every day, and today, a stray dog appears to follow me |
独り居の日々にしてけふは久々にものを言ひをり理髪店にて (ひとりいの ひびにしてきょうは ひさびさに ものをいいおり りはつてんにて) ひょっとすると一週間ほど口をきかぬことがある。久々にものを言えば、急に自分の年寄り声に気づく。使わぬと、声帯もあっという間に老いる。足腰の筋肉と同様だ。だが、まとまったもの言いをするには、話し相手が、話題が必要だ。用件の身の「あれ」「それ」では。 Spending days on end in living solo, today, for the first time in many days, open my mouth in the barber's chair |
外つ国に夢見るごとしカフェにいま異国語つかふ身のたかぶりは (とつくにに ゆめみるごとし カフェにいま いこくごつかう みのたかぶりは) 妙な感じだ。地球の反対側の異国に独りぼっち。それが、二週間も経たぬうちに、何とか日々の生活のリズムが身につく。場面、場面で使う異国語も板についてくる。非日常が日常になったのだ。心も落ち着き、肝も据わってくる。異国人の振る舞いを観察する余裕も・・。 Isn't it a dreamlike scene, and exciting to see myself speaking the local language at a cafe beyond the seas |
大聖堂遠く見とほすカフェテラスこの国の老いら朝をやすらぐ (だいせいどう とおくみとおす カフェテラス このくにのおいら あさをやすらぐ) 朝々喫茶店にたむろする高齢者。退職後に確立した日々のリズムだ。馬が合うもの同士の集いだ。現役時代のように嫌な奴と顔を合わすこともない。この風景。半世紀ほども以前にヨーロッパで見た。朝の駅のカフェに新聞を読む老人たち。それが今、その中に時分が・・。 At a cafetorium, where the cathedral is viewed way down the street, those pensioners in the land spend the morning safe and sound |
夕食に招きし宿のフロント嬢かく音たかく鼻をかむとは (ゆうしょくに まねきしやどの フロントじょう かくおとたかく はなをかむとは) 西洋人には気になるらしい。我々がスープをずるずる啜る音が。それと、日本人がやたらに鼻水を啜る音もだ。幼い頃から、忌むべき音として躾けられてきたようだ。同様に、妙齢の女性が、部屋中を震わすような大音響をたてて、鼻をかむ景に驚嘆するのが我々なのだ。 While taking a lady receptionist of the hotel out for dinner, hear her blow her nose with such a loud noise |
かつかつと歩幅大きく追ひ越しぬブロンドの娘の香り残して (かつかつと ほはばおおきく おいこしぬ ブロンドのこの かおりのこして) スイスのバーゼルに長逗留したことがある。この国の人々は朝が早い。下宿の窓下の道に人の往来が始る。ベッドに潜り込んだまま聞くそれらの靴音。聞きなれぬ躍動的なリズムだ。西洋人の歩き方はどうも違うようだ。見れば、膝を真っ直ぐに伸ばしたまま歩いているのだ。 A young blond woman outpaced with big and noisy footsteps, tap-tap, leaving the scent of perfume behind |
はつ夏のライン河畔のカフェにかく安らぎゐると絵葉書に書く (はつなつの ラインかはんの カフェにかく やすらぎいると えはがきにかく) いささかのホームシックなのか。故郷に便りなどするのは。それとも、お前さんらに囲まれなくても、こんなに威勢よく日々を過ごせると誇っているのか。いずれにしろ、やがては帰るのである。そこに戻る場所がある。片道切符で飛び出した身の上だったらこうはいくまい。 Write a postcard at a cafe beside the Rhein in early summer, telling about my easy life in this way |
癌を病む妻いつときのちから得て自転車漕げりさくら咲く道 (がんをやむ つまいっときの ちからえて じてんしゃこげり さくらさくみち) 希望は一直線には消え去らぬ。沈むものと半ば覚悟していた夕日。急に鮮やかに輝き出す。胸のうちの希望に火がつく。矢印の向きが変わった。でも、この安堵と希望は束の間のこと。何ゆえこの踏みとどまる瞬間が訪れるのか。そんな時間の持てたことに感謝すべきなのかも。 For a time, repairing her spirits while battling against cancer, my wife pedals a bicycle along the avenue lined with cherry trees in full blossom |
結ばれしえにしの果ての独り居ぞつばき落ちしをけふは掃きゐる (むすばれし えにしのはての ひとりいぞ つばきおちしを きょうははきいる) 心に残る多くの面影。長く生きれば、その数は増す。生涯に関わった人たちの記憶。すべて脳味噌の中にある。中には、もし遭遇していなければと、考えさせられる人もいる。行きずりの人の中にも、くっきりとした面影を残したものがいる。人の間で生きてきた己を思う。 This's the widower's life as a result of the match made in the past; today, he cleans the fallen clusters of Camelia |
恵方巻もの言はず食ふが習ひとて戒めくるる妻のはやなし (えほうまき ものいわずくうが ならいとて いましめくるる つまのはやなし) 気づかぬまま、人に不快感を与えていることがある。余程のことでなければ、誰もそれを指摘しない。幼少の頃、箸の上げ下ろしに文句を言ってくれていた親もいない。いたとしても老いては子に従えだ。だから、そこに踏み込んでくれる女房には、大いに感謝せねばならぬ。 There's no wife any longer who would force me keeping on the folkways to eat the year's auspicious rolled sushi without a word |
床の間の益子の花器に花を挿すをみな無きまま過ぎし三年 (とこのまの ましこのかきに はなをさす おみななきまま すぎしさんねん) 女性は花好きだ。通り過ぎる花屋の店頭には必ず目をやる。道端に心を惹く花があれば立ち止まる。男は概して花には興味がない。だが、女性の花好きを知っているから花を贈る。そして女性が花好きであることに安堵する。世に女性がいなくなれば花も姿を消すのだろうか。 Three years have passed in this house without a woman who could arrange flowers in the Mashiko vase for the alcove |
妻逝きて余る部屋べや念入りに掃除機かくるけふのわが業 (つまゆきて あまるへやべや ねんいりに そうじきかくる きょうのわがわざ) ダウンサイジングが言われる。老後の暮らしのことだ。何れ一人になるのに、過去のがらくたを後生大事に引きずっている。手入れや掃除も欠かせない。油断するとゴミ屋敷になりかねぬ。今や、昔から言われる隠居がしたい。だが、そこに踏み出すにもエネルギーが要る。 After losing my wife, those rooms are left unused and my today's job is to clean them diligently |
百年に一度の経済危機などと首相いひつぎ世を冷やしゆく (ひゃくねんに いちどのけいざい ききなどと しゅしょういいつぎ よをひやしゆく) 情報が世に溢れる。どれほどのものが日々の暮らしに必用なのか。不景気を新聞が騒いでも、三度の飯に困るほどでもない。殆どの情報は人々に空虚な共感を与えるのみのもの。ことに年寄り連中は役にも立たぬ情報を欲しがる。中途半端に仕込んだ情報で、オピニオンリーダーの物言いをする。昔々の町内のご隠居さんの図である。 Each time the prime minister calls today's economic downturn an event of the century, the society becomes cooler |
赤貧のわが生ひ立ちを知らずして孫子らのみな健やかにあり (せきひんの わがおいたちを しらずして まごこらのみな すこやかにあり) 貧しい生い立ち。かつては人に知られたくない傷と考えていた。それが、どうにかこうにか人生の大方を経た今、何かにつけ、そのことを吹聴するようになる。何とかここまで来たの達成感。だが、幼い頃にもっと恵まれて育っていたらなどとも想像する。 My children and grandchildren are living a life safe and sound without knowing the dirt-poor background in my childhood |
あまた世の鉄道好きに真夜まじり特急「富士」のラストラン待つ (あまたよの てつどうずきに まよまじり とっきゅうふじの ラストランまつ) 何でもそうだ。これでおしまいとなると俄かに意識が向く。無造作に口に運んでいたピーナッツも、最後の一粒にはいささかの感情が動く。これまでに毛嫌いしていた老朽車両。それが、今日でお別れとなると、急に「ありがとう」などと叫びたて、さも親しげに取り巻くのだ。 Joining at midnight such a number of the railway buff in this land, wait for the last travel of the express train "Fuji" |
遠ざかる特急「富士」のラストランはるか昭和の尾灯見つむる (とおざかる とっきゅうふじの ラストラン はるかしょうわの びとうみつむる) 四歳だった。初めて電車の灯を見た。それも眩しくきらめく花電車の明り。ときは昭和十五年。紀元二千六百年の祝賀電車だ。母の背に負われ、家から一里ほどの市電終点まで出かけた。その市電が都電に。わが家を過ぎて志村橋まで延びた。そして、わが青春と共に消滅した。 The figure of the last express train "Fuji" is retreating, leaving the taillight having long illuminated the Showa Period |
列車いま越前越後の夜を抜けて出羽のあしたの日差し浴びをり (れっしゃいま えちぜんえちごの よをぬけて でわのあしたの ひざしあびおり) ようやく寝付いた夜汽車。夜の明けきらぬうちから、旅なれた連中が動き出す。洗面所の混み合う前に、身仕舞を整えてしまうのだ。この地方の今日を始める朝日が車窓に差し込む。寝起きの悪い輩がようやく寝台から降りてくる。終着駅は近い。今は昔の夜汽車の朝の話だが。 |
デゴイチも一〇三系もゼロ系もわが馴染みきし昭和の車両 (デゴイチも ひゃくさんけいも ゼロけいもわがなじみきし しょうわのしゃりょう) 独身寮は関西本線のすぐ脇にあった。しかもその線路際の部屋に新入社員らは入れられた。寝に戻るのみの寮。それに深夜は列車の往来も少ない。苦情を言う者は少なかった。百トン余の蒸気機関車が通過する時には、建物がぐらぐら揺れる。仕事の疲れで大方は熟睡している。 Type D-51, Type 103 and Type Zero, all were those railroad vehicles friendly to me in the Showa Era |
通勤客あまた運びし一〇三系いまだ走れりジャカルタの地に (つうきんきゃく あまたはこびし ひゃくさんけい いまだはしれり ジャカルタのちに) 昔なじみの車両を意外な場所で見ることがある。定年で去った知己と妙な所で遭遇した気分だ。第二の人生にモ色々あろうが、のんびりと田園を走るかつての車両には誰しもが微笑む。二分間隔で都心を走らされていた頃。人生のピークだった頃の記憶を時には噛みしめながら。 Having carried billions of commuters for decades in Japan, the train, Type 103, still works in the land of Djakarta |
さくらばな下照る道に踏み入るに独り歩むはひとり吾のみ (さくらばな したでるみちに ふみいるに ひとりあゆむは ひとりわれのみ) 西行の詠んだ「さびしさにたへたる人」を、何かにつけ味わわされる。だが思う。絶海の孤島に一人いるのではない。遥か彼方の冥王星に追いやられた一人でもない。どこへ出ても人がいる。うじゃうじゃいる。人がいれば安心である。人々が周囲にいてこその孤独なのである。 It's only me who takes a promenade alone among those enjoying walking under the canopy of the cherry blossoms |
花びらをついばみ散らすヒヨの声聞きゐてすがしさくら通りは (はなびらを ついばみちらす ひよのこえ ききいてすがし さくらどおりは) そんな時がある。行きずりの並木道。小鳥の囀りが何故か心に響く時だ。親しげに語りかけてくれている。すぐさま思う。あれは彼女に違いないと。嬉しくなる。豊かな気分になる。天上した自分に関わりのある人々。それらが折にふれ時分と接触をしてくれていると思うと…。 It's nice to walk along the cherry lane where a flock of the bulbul sings while pecking and scattering the flowers |
咲き満つるさくらの花の天蓋に垣間見る空まさをなるヘブン (さきみつる さくらのはなの てんがいに かいまみるそら まさおなるヘブン) 本能なのだろうか。死者の魂がそこに在ると思うのは。それらを思う時に、人は空を見上げる。星を見つめる。親しかったものの魂、懐かしい人々の魂。それらが我々を天上から見守ってくれている。そう感じる時の安堵感。いつかは時分も天空から世間を見下ろしてみたい。 Through the canopy of the blooming cherry blossoms, could get a glimpse of the sky, the really blue heaven |
独り居の迂闊さとしも気づかざるままに隣家の花も過ぎたり (ひとりいの うかつさとしも きずかざる ままにりんかの はなもすぎたり) 親子二世代の世帯に、赤子の泣き声が混じる三世代に。子供たちも学齢になり、年々の庭の花見の宴の賑わう一時期が。やがて、子らは巣立ち、祖父母も逝く。物音の消えた隣家に今年も満開の桜が。 It's a thoughtless oversight for a widower to have spent days without noticing the cherry tree next door in full bloom |
馴染みこし桜の老い木いつよりか散り敷く花の嵩の細れる (なじみこし さくらのおいき いつよりか ちりしくはなの かさのほそれる) いつしか二ヶ月に一度となる。散髪がである。会社員時代には半月ほどで通ったこともある理髪店。店主との会話も、当然、昔話が多くなる。歳を取れば代謝は落ちる。爪もあまり伸びない。体の垢もあまり出ない。加齢臭さえピークを越す。 Our familiar cherry tree is known to be old, but since when its volume of fallen petals has become smaller? |
いつよりか首相をはじめ世を仕切る人々のみなわれより若し (いつよりか しゅしょうをはじめ よをしきる ひとびとのみな われよりわかし) 世に出れば、先輩から指図を受ける。小言を貰う。暫くすると、後輩が出来る。当然、彼らに指示を与える。小言も言う。先輩が後輩より何かにつけ秀でていれば、この順送りはしごく穏当である。居心地もよい。引退した輩がいまだに後輩の「よいしょ」を期待する図である。 At some time or other, starting from the prime minister, all those guys making the world go round have become younger than me |
愛国とは戦意うながしし言葉とてかたくなに老いはそれを用ゐず (あいこくとは せんいうながしし ことばとて かたくなにおいは それをもちいず) 「大きくなったら兵隊さんになる」と胸を張っていた幼少期。親たちもニコニコと聞いていた。敗戦後、もうそんな言葉を子は口にしない。そしていつか、「兵」とか「軍」が忌み言葉のように避けられる。長嶋が「巨人軍」と呼ぶことにさえ何だか違和感が…。 The old man hates to use the word, patriotism, as it reminds him of those days it was used to whip up war sentiment |
自衛官なれば是非もなし愛国をさまで力みて君の語るも (じえいかん なればぜひもなし あいこくを さまでりきみて きみのかたるも) 人は群れる。群れることで安堵する。安堵すれば帰属意識も生まれる。群れを守ろうとする。団結が促される。「えいえいおう」と叫ぶ。団結を持続するにはエネルギーが要る。エネルギーを生むには敵が要る。敵などと思っていなかった連中を鬼畜米英と呼ばされることにも。 Being a Self-Defence official, you'll have no choice but to insist on "patriotism" with such a hard-line attitude |
抑止力の名もて軍拡となへゐる君ら戦地に死を厭はずや (よくしりょくの なもてぐんかく となえいる きみらせんちに しをいとわずや) 弁が立つ奴は概ね当事者ではない。貧困の苦しさを説く評論家自身は貧乏人ではない。だが、その説得力は大したものだ。日々の暮らしに追われている当事者たち。文句を言ってる暇はない。理屈をこねる訓練も受けていない。でも、妙な旗を振る者にだけは従わぬことである。 You should be prepared for death in action, as you're insisting on military expansion under the veil of "deterrence" |
野放図に夏をはびこるどくだみにシャベルを入るる敵意あらはに (のほうずに なつをはびこる どくだみに しゃべるをいるる てきいあらわに) 滅多に腹を立てぬ人がいる。そんな人を見ると羨ましく思う。自分もああなりたいと思う。歳を取れば、自ずと相応の好々爺になると思っていた。だが、一向にそんな気配がない。いまだに時々癇癪を起こす。それも今では自分自身のどじに向かって腹を立てることが多くなる。 Shovel the ground in the garden with open hostility towards the unruly summerly overgrowth of Doku-dami |
ながらへてなほ遠からずひもじさに日々を耐へゐし疎開児の身の (ながらえて なおとおからず ひもじさに ひびをたえいし そかいじのみの) 終戦を挟んで一年ほど。学童集団疎開で水上温泉にいた。小学三年から四年生にかけてだ。八十歳を過ぎても、この頃の記憶は鮮明である。何かにつけ思い出すからだろう。この時の経験。自らのその後の生き方にも影響があった筈だ。その「艱難辛苦」がいまは自慢話に。 While leading a long life, the memory is still fresh of those days having survived as one of the starving child evacuees |
精彩なきチームをひとり贔屓して身は世に疎くなほながらへり (せいさいなき チームをひとり ひいきして みはよにうとく なおながらえり) 小学一年の授業参観。父の日なので、子供たちが「うちのお父さんは」を発表する。当然、殆どの子が「お父さんは阪神ファンで」と始る。父は○○チームのファンだと私の子。途端に、「○○だって」と教室中に失笑が。親の贔屓が世間並みでなく、子に申し訳ないと思った。 Still rooting alone for the team always with lackluster performances, live a narrow-minded life as a retiree |
仏壇に花絶やさざりし妻にならひけさ切り来しは四葩ふた枝 (ぶつだんに はなたやさざりし つまにならい けさきりこしは よひらふたえだ) 代々のしきたり。守るのは容易だ。やめるにはいささかの勇気が要る。周囲の人に言えば必ずブレーキがかかる。しきたりを壊すには傍若無人さが要る。独断と偏見を押し通すことだ。では、しきたりは守られ続けるのか。時とともに、それもぐずぐず崩れてゆくのが常だ。 Learning the fact my wife had never failed to place flowers at the family altar, pick two twigs of the hydrangea for this morning |
妻逝きて三とせの庭に紫陽花の咲き満ちてなほ雨を恋ひをり (つまゆきて みとせのにわに あじさいの さきみちてなお あめをこいをり) 真夏の暑さに閉口すれば、冬の寒さはまだ増しと言う。着膨れて凍てつく日々に耐える時には、夏に流す汗を懐かしく思う。雨が十日も降らねば、雨を恋しがる。人は変わらぬ日常が続くと、どこか非日常を求める気分になる。それでも「つつがなき日々」を神様に願うことも。 Flowers of hydrangea bloom in the garden that has lost my wife for three years still look praying for rain |
九分通り世にながらへてなほ今朝は後架に検便器具を持ち込む (くぶどおり よにながらえて なおけさは こうかにけんべん きぐをもちこむ) 九十歳の知己が大腸癌で逝った。見つかった時は手遅れだったらしい。告げられる短い余命。その間の苦痛を思う。やはり癌は嫌だ。もう充分に生きたとは言え、死ぬならぽっくりと済ましたい。老衰で枯れるようにだ。そううまく行くまいが。億劫だが、定期健診は受けねば。 Although finishing almost ninety percent my expected life in the society, still go to the rest room this morning for a stool test |
若き日の石灰沈着なほ残す肺の写真を今年も撮らる (わかきひの せっかいちんちゃく なおのこす はいのしゃしんを ことしもとらる) 年寄りは誰しも五体のどこかに古傷を持つ。幼少の頃の火傷、自転車と衝突した時の裂傷の跡など。医療技術の進歩した今である。それらの多くは傷跡を残すほどの事故ではなかっただろう。大方は新品同様に修復されていた筈。やがては心にも傷跡を残さぬような医療技術も。 This year again, take a chest X-ray that still shows the old calcification in my younger days |
プラトンを語り倦みたる茶房より若きら見入る夜の渋谷駅 (プラトンを かたりうみたる さぼうより わかきらみいる よのしぶやえき) 小理屈をこねまわすことに快感を覚え出す年頃。夜更けまで語り合った仲間たちが懐かしい。実社会に入ると、そんな小面倒臭い議論の相手になるものはない。何だか、日ごとに自分が薄っぺらになっていく気分だ。そしていつの間にか、書生っぽい物言いを馬鹿にする身に。 Getting tired of talking about Plato at a cafe, the young lads are looking at the nocturnal Shibuya Station |
幾本も北を目指して列車過ぐ鶯谷にきみ待ちをれば (いくほんも きたをめざして れっしゃすぐ うぐいすだにに きみまちおれば) 通過する列車を飽かずに見ていた幼い日々。いまだに、その性癖が身についてる。遠い町々を目指すもの、それらから戻ってくる少々疲れたように見える車両。都会はもう春というのに、雪を被った貨物車や夜汽車のご帰還に遭遇すれば、その日一日、何だか得をした気分に…。 While waiting for you on the platform of Uguisudani, have sent off already several trains traveling to the north |
ゆふぐれの一関駅きみ生れし町へと支線の延びて霞めり (ゆうぐれの いちのせきえき きみあれし まちへとしせん のびてかすめり) 津々浦々に張り巡らされた鉄道網。それを通じて、戦時中には兵士が、戦後には、金の卵と囃された多くの少年少女が集められた。時代が移り、今は立派な道路が津々浦々に届いている。なおひっそりと、運転を続けるローカル線。過疎の村々へ、山野を巡って走り続けている。 The Ichinoseki Station is now at dusk, where a branch line extends into a fog heading for the town you were born |
国際列車ひとつまた着きわが知らぬ言葉を聞けりバーゼル駅に (こくさいれっしゃ ひとつまたつき わがしらぬ ことばをきけり バーゼルえきに) 「停車場の人ごみの中にそを聞きにゆく」と啄木が。日本の上野駅などと違って、欧州の大都市の中央駅には、周囲の国々からの列車が着く。列車から降りてくるもの、ホームで出迎えるもの。映画に見るようなシーンがそこここに展開する。駅は人生のドラマの舞台装置だ。 As the next Trans-Europe Express has arrived, another language unknown to me is talked at the Basel Station |
ヒッピーとなりし心地に真夜ねむる朝の汽車待つベルンの駅に (ヒッピーと なりしここちに まよねむる あさのきしゃまつ ベルンのえきに) 着の身着のままで夜を明かす。生涯の内に、そうしばしばは起きない。駅のベンチや空港のロビーでの夜明かし。滅多にないことだけに、記憶は鮮明である。パジャマに着替え、夜具にくるまれて休む幾万の夜とは違う。だが、そんな野営を余儀なくされる日が来るとしたら。 WWith a feeling that a hippie occupied my body, sleep on a bench at the Bern Station waiting for the early bird next morning |
熔接の火花の散ればよみがへるアンナカレーニナの最後の場面 (ようせつの ひばなのちれば よみがえる アンナカレーニナの さいごのばめん) ふとしたことから連想が始る。いつも決まった順番で進む。大学受験と聞けば、不合格通知の電報を。家族と顔を合わせるのが嫌で、銭湯に出かけたこと。町へ出て映画を見たこと。その印象的なラストシーン。いつでも、この一連だ。横道にそれないラジオ体操をするようだ。 The flying sparks from a welding operation remind me of the drop scene of the old film "Anna Karenina" |
なに意図のありてや庭のくまぐまにゆり咲き出づるけふ原爆忌 (なにいとの ありてやにわの くまぐまに ゆりさきいづる きょうげんばくき) 庭の白椿。今年は何故か殆ど咲かない。例年の今頃は、辺りを賑々しく明るくするのに。何か格別な年なのか。何か起こる兆しなのか。掃き寄せて、重量感のある大量の落ち椿をごみ袋に詰める愉悦も味わえぬ。まあいい。咲かぬには理由があろう。今日は大安、しかも満月だ。 What does it imply? There are lilies blooming all over in the garden, while it's Hiroshima Memorial Day today |
疎開児の列なし歩む道の辺に黒ゆり群れて遠きちちはは (そかいじの れつなしあゆむ みちのべに くろゆりむれて とおきちちはは) 小学三年生の八歳だ。集団疎開で群馬県の温泉旅館に送られた。着いて暫くは、親から離された心細さに、ピーピー泣いている子が大勢いた。宿での勉強。利根川の川原での体操。食事のひもじさ。戦争が終わり、九歳の秋に帰京するまで。切れ切れの記憶が、折にふれ、蘇る。 At a great distance from their mothers and fathers, the child evacuees walk in a row along the mountain path with blooming black lilies |
疎開児らもはや軍歌は唄はずに山百合の咲く道を抜け来る (そかいじら もはやぐんかは うたわずに やまゆりのさく みちをぬけくる) 教員たちは、いち早く、そんな指示を受けたのだろうか。終戦の翌日から、軍歌は歌わされなかった。突然の変化だ。小学四年ながら、敗戦のもたらすものの始まりを感じた。だが、先生らの変わり身の早さに呆れはしなかった。それに、軍歌がどうのなどより、空腹の方が… Without singing an army song anymore, the child evacuees are coming through the mountain trail with blooming bush lilies |
無人駅けふ着く列車はもはや無しともしび暗き笹百合の影 (むじんえき きょうつくれっしゃは もはやなし ともしびくらき ささゆりのかげ) まだ宵の口である。本日の最終列車が無人駅を出てゆく。不意に世間が遠ざかってゆく感じがする。訪れる人もなくなった独居老人の家が思われる。どの部屋の明りも灯っていない。この家にも、あの駅にも隆盛の一時期があったのだ。しかも、そんなに昔々のことではない。 Having no more arriving train today, the lighting of the ghost station poorly illuminates those nearby bamboo lilies |
電化区間ここまで延びて文明の及ぶ辺りに咲けり笹百合 (でんかくかん ここまでのびて ぶんめいの およぶあたりに さけりささゆり) ローカル線の小さな駅。そこから峠をいくつも越した先に妻の実家がある。初めて訪ねた数十年前。駅前を少し外れると、もう砂利道。田舎のバスはがたがた揺れた。それが、暫くすると、実家の辺りは勿論、更に深く山野に入っても続く舗装道路。確かに文明は及んでいるが。 As the electrified section has extended to this station, those bamboo lilies now bloom within reach of civilization |
一万歩あゆむ日課の道すがら鶴亀算をけふはこころむ (いちまんぽ あゆむにっかの みちすがら つるかめざんを きょうはこころむ) 一人歩きをする時、人は考える。歩きなれた道では、周囲の景も思考の邪魔はしない。日に二時間の散歩は脚も鍛えるが脳も活性化する。この二時間で五百首ほどの名歌が、芭蕉の「奥の細道」が、歴史上の有名な演説が暗唱できる。日替わりで脳味噌の虫干しをしている散歩。 During those ten thousand steps in my daily walking, try to solve a math problem in my head today |
意中の人みなあるらしくさらさらと投票ブースに絶えぬ筆音 (いちゅうのひと みなあるらしく さらさらと とうひょうブースに たえぬふでおと) 「始めっ!」の声。周囲から一斉に鉛筆を走らす音が。いくたびも経験した試験会場の雰囲気だ。鉛筆を握ったまま、白い答案用紙を眺めていれば、世の中が自分を残して、走り去ってゆく気がする。何とかせねばと焦る。だが、今にして思えば、それほどの大事ではなかった。 It looks every voter has already someone in mind, the constant sound of their driving a pen comes from the polling booths |
いつになく人ら混み合ふ投票所いづるに秋の風のあたらし (いつになく ひとらこみあう とうひょうじょ いずるにあきの かぜのあたらし) いつもと違う。こんなに投票所が混雑するのは。そして思う。これは良い兆しだと。いつもは選挙に無関心な人々が動いた。今晩の開票速報が楽しみになる。帰路の歩みは軽く、吹く風も心地よい。望み通りの結果を予想させる兆し。そんなものに出っ会すことは滅多にない。 Leaving behind the polling station unusually bristled with voters, feel a breath of fresh autumn air |
わが答すでに知るがに調査員は明かき出口に待ち構へをり (わがこたえ すでにしるがに ちょうさいんは あかきでぐちに まちかまえをり) 選挙の出口調査の場合はどうか。マスコミが人にマイクを向ける時、期待する返答がある。意外な反応やシナリオに沿わぬ答には冷たい。すぐに別の人にマイクを移す。街頭インタビューに限ったことではない。問いかける時に、人はある答を期待する。頭には求める正解が。 A polltaker ambushes at the exit for me as if he knew already my answer, whose name had been on my ballot |
投票を終へしたかぶりはや消えてわが日曜の日課追ひゐる (とうひょうを おえしたかぶり はやきえて わがにちようの にっかおいいる) 非日常のイベント。終えて日常のリズムに戻る。その折に感じる安堵感。温泉や名所旧跡を巡る旅から戻って、「やはり我家が一番」と発するあの第一声だ。凡人には根っことなる日々のリズムだ。敢えて、「根無し草」の境遇を求め続けた西行、芭蕉、牧水らの心が思われる。 Excitement of going to the polls has settled down and the daily routines on Sunday come back to me |
わが一票かく働きてこころ足る鉦叩あまた夜を鳴きつぐ (わがいっぴょう かくはたらきて こころたる かねたたきあまた よるをなきつぐ) わが意を得たり。こんな感慨に浸ることは稀である。多数派の意見とは異なることが常だ。根っからの天の邪鬼などではない。確固たる信念によるものでもない。群れることが何となく恥ずかしいのである。少数派に混じることの安堵感。体制批判。否、身についた僻み根性だ。 Getting satisfaction from my ballot that worked well, hear many autumn insects sing around my house all the night through |
野党けふは完膚なきまでに勝てよとて夜をこめて聞く開票速報 (やとうきょうは かんぷなきまでに かてよとて よをこめてきく かいひょうそくほう) 万年野党と言われていた。それが何かの弾みで大勝。政権につく。そしてまさに「邯鄲の夢」を人々に味わわせた。万年与党が返り咲いて数年。もはや「何かの弾み」の起こりそうな気配もない。滅多に優勝しない野球の贔屓チームとの腐れ縁の如く、また一票を献上するのだ。 Beat those ruling party candidates at all points! Listen to the running returns on the radio till all hours of the night |
惨敗の与党幹部らがもの言へりなほ賢しげに身をつくろひて (ざんぱいの よとうかんぶらが ものいえり なおさかしげに みをつくろいて) 勝って兜の緒を締めよ。敗軍の将は兵を語らず。中々出来ないことである。ことに政治家たちには。仲間や支持者らの思いも汲まねばならぬ。そんなしがらみのない我々。格好よく、潔く振舞える筈が、凡夫の極み、ついつい御託を言う。見苦しいことをといつも後悔するが。 Suffering a crucial setback, the leaders of the ruling parties still talk arrogantly with a wise look |
また同じことをとなじる目つきなり話は端折り茶を注ぎやる (またおなじ ことをとなじる めつきなり はなしははしょり ちゃをそそぎやる) 「前にも話したと思うが」などと始める。保険をかけるようなものだ。誰と何を語り合ったかの臨場感の記憶が怪しくなる。同じことを何度も言わねばならぬほど薄っぺらな人生ではない筈。身の内に沢山の挿話がある筈だ。同じエピソードを繰り返し語るのも勿体ないこと。 Feeling his critical eyes as much as to say my harping on the same string, immediately stop talking and make tea for him |
もはや身にかかはり薄き世に在りてパソコンに読むは各紙の社説 (もはやみに かかわりうすき よにありて パソコンによむは かくしのしゃせつ) 「最後まで残れる欲は知識欲…」と詠んだ歌人がいた。年寄りは物を知りたがる。もはや勉強しても何の役にも立つまいと思うが。物知りぶりをひけらかすことに愉悦を得る。まして今やネット時代だ。知りたいことが安直に分かる。かつての長屋のご隠居さんが増殖中である。 Every morning, read the editorials of major papers on the Internet, while the society has nothing more to do with me |
政権の交代に沸く世となるも庭師はけふの松にかかれり (せいけんの こうたいにわく よとなるも にわしはきょうの まつにかかれり) 人は物を食わねば生きられぬ。食う物を得るには働かねばならぬ。世の中がどう変わろうともである。行列を作って、せっせと働いている蟻を見るとまさしくそう思う。人間は食い物の足しにもならぬ世間のことに一喜一憂する。いつから、こんな余裕を持つてしまったのか。 While the outer world is still excited by the change of power, the tree doctor starts today's work to pollard the pine |
十年後のヒロシマ五輪の是非を問はれ余命はかなき吾も物言ふ (じゅうねんごの ひろしまごりんの ぜひをとわれ よめいはかなき われもものいう) 何年後にオリンピックを。何十年後のリニア新幹線開通。本来、こう言った話題に首を突っ込めるのか。そんな先まで生きている自信はない筈。なのに、真面目に意見を言う。その場に居合わすことを当然として物を言う。「君らの時代だ、どうぞご勝手に」とは言わない。 Asked the rights and wrongs Hiroshima's willingness hosting 2020 Olympics, answer with a definite yes, having not that much time though |
歯も顎もなほすこやけし秋刀魚二尾けふも丸ごと食ひ尽くしたり (はもあごも なおすこやけし さんまにび きょうもまるごと くいつくしたり) 魚を上手に食べる奴。器用な箸さばき。感心する。羨ましく思う。戦中戦後の食糧難の時期に育った身。食える物なら、頭も骨も尻尾も、噛み砕いて胃に入れた。爾来、大方の魚は丸ごと食べている。学校給食で魚の食べ方を教えているらしい。そんな機会もなかったわが身。 Still having a strong jaw and healthy teeth, eat out two pieces of in-season saury bones and all tonight |
タワービル大き器の底に穴ゆふべ人らを四方に散らせり (タワービル おおきうつわの そこにあな ゆうべひとらを よもにちらせり) エレベーターが着くたびに放出される一群。暫くはそのままの塊でビルの出口へ。別のエレベーターが着き、次の一群が。この脈流はそのまま屋外まで続く。高層ビルで働く数千人が吐き出される夕刻。交差点をいくつか過ぎて、ようやくこの脈流から解放され、赤提灯の店に。 The skyscraper, a huge barrel having holes in its bottom, now leaks homecoming people in all directions |
生きてあればかくささやかな約束も交して久しき駅に降り立つ (いきてあらば かくささやかな やくそくも かわしてひさしき えきにおりたつ) 十数年ぶりに降りる駅。かつて頻繁に利用した駅だ。昔の面影はない。人と落ち合ういささかの約束をしたことで、この変貌ぶりを見ることに。世間との関わりの薄れてゆく身。思わぬインパクトだ。世の中が進んでゆくことに安堵する。たまには約束を交わして、外出も結構。 As long as life would last, make such a little appointment and get to the old station after a long interval |
行く末に約束の地のあるがごと待ちゐてくれよと妻を送りぬ (ゆくすえに やくそくのちの あるがごと まちいてくれよと つまをおくりぬ) 人は誰もが死ぬ。例外はない。それが後に続くものにいささかの安堵感を与える。先行した連中が待ってくれている。本当にそうなのかは分からぬ。が、そうであれば楽しかろう。信心深い人なら、これを確信している筈。先行した連中。みんな死後の世界について考えた筈だ。 As if there were the pre-arranged spot for two of us down the road, tell my dying wife to wait for me |
三十歳までの約束とうに果て子は独り身をプールに浮かす (さんじゅっさい までのやくそく とうにはて こはひとりみを プールにうかす) 高望みはしないが、せめて世間並みに。大方の親がそう思う。願い通りには進まぬ。月日が経つ。すると親は次善の景を夢見る。更に月日が経つ。とうとう親もくたびれて、次善も次々善の夢も見なくなる。成るように成るさと無責任をしきりに言い出す。そう言いながらも…。 With his promise "by the time thirty years old" broken long ago, my son floats his bachelor's body in the swim pool |
老いる身は介護するとて子の覚悟そんな約束は御免かうむる (おいるみは かいごするとて このかくご そんなやくそくは ごめんこうむる) 人に厄介になるのは苦痛だ。ことに身体の衰えでそうなるなどは想像したくない。願わくば、ぽっくりと往生したい。思い通りにゆかねば、やはり人の世話になることになる。自分もそんな親の世話に拘わった。順送りと言えば、それまでだが、うまいこと幕を引きたいものだ。 My son, it's my unwanted favor that you would make up your mind to look after your father growing old |
約束はいつでも無下に破るもの国益コクエキと奴らうそぶく (やくそくは いつでもむげに やぶるもの こくえきこくえきと やつらうそぶく) 人は自らのために生きる。そして、誰かのためにも働く。家族のため、地域のため、国のため。この「誰か」が自分から遠い存在であればあるほど、犠牲を払う意義の自覚も薄くなる。「国益」などと叫ばれると、抵抗感さえ覚えてしまう。叫ぶ者には人徳と説得力が必要だ。 Campaign pledges, they're ones to be broken so easily by politicians repeatedly insisting on national interests |
さびしさの身にふつふつと電飾の師走の街の群れに混じれる (さびしさの みにふつふつと でんしょくの しはすのまちの むれにまじれる) よく言われる。イルミネーションに人は惹かれる。ことに心淋しいものたちはあてもなく街をぶらつく。受験に失敗した時、家にごたごたがある時、街中の雑踏にもまれて、身の鬱憤を洗い流したい心地になる。老いて今、さしたる鬱憤も持たぬ身が。何故、かく歩き回るのか。 With loneliness bubbling in my heart, ramble about the illuminated streets in December, mixed with people being in a bustle |
独り居の身のさびしさに春を待つこころ隠さず着膨れてをり (ひとりいの みのさびしさに はるをまつ こころかくさず きぶくれており) 着膨れの姿。裸では生きられぬ世界。宇宙服を纏って立つ図だ。衣服や住居や火。それらが無ければ季節を越えて温帯や寒冷地に定住は出来ぬ。獣のように毛むくじゃらになるか、渡り鳥の如く季節を旅せねばならぬ。宇宙服から首だけ出して、春を待ち焦がれつつ、そう思う。 Living alone in a large house, the solitary recluse wears a lot of clothes with eager anticipation for spring |
さて今日は何せむものかうつらつら寝床に四肢はいまだ覚めざり (さてきょうは なにせむものか うつらつら ねどこにししは いまださめざり) 誰でもこうなるのか。脳味噌が「さあ」と促しても、身体がついて来ない。暫く坐ったままでいると、歩き出しても、固まった下半身がほぐれるまでに時間がかかる。エンジンをかけて数分間のアイドリングが必用だった昔の自動車だ。この身の起動時間。まだまだ伸びそうだ。 What kind of jobs should be done today? With that question, doze in bed while my four limbs are still unawakened |
カポックを部屋のぬくみに迎へ入れけふよりいのち寄り合ふ蟄居 (カポックを へやのぬくみに むかえいれ きょうよりいのち よりあうちっきょ) 猫でもよい。生きているものが近くに居るだけで、何となく心強く感じる。「猫でも」と言ったが、これがゴキブリでは困る。心強さも安堵感も生じぬ。別に猫と会話が出来るわけでもないが、ゴキブリは嫌だ。さて、彼らの方だが、同様に独り居の淋しさを感じるものなのか。 Welcoming the kapok tree into the warm den, from today on, we'll stay here beside each other life until next spring |
ボディシャンプーまた贈らるる老いの身に馴染まぬままに数を増しゆく (ボディシャンプー またおくらるる おいのみに なじまぬままに かずをましゆく) 長く使い馴染んだもの。今風のものには馴染めぬ。手足の指の爪切り。相変わらず、大きな裁ち鋏を使っている。年寄りはみなこうかと思うと、そうでもない。初物にすぐ飛びつく者もいる。家電の新製品もすぐに買う。「生きている間に楽しまねば」などとうそぶきながら。 Receive "Body Shampoo" again as seasonal gift, which increases its number on the shelf as they don't fit to the elderly like me |
かぼそかるわが血脈に未来あり年玉にをさな笑みゐる見れば (かぼそかる わがけちみゃくに みらいあり としだまにおさな えみいるみれば) 地球の寿命。膨張する太陽に呑み込まれる未来。天文学的時間ではそんなに遠い先ではない。地球上の生命は、その未来がどうであれ、命を繋ぐ営みを黙々と続ける。ことに人間は、自らの子孫の繁栄を願う。本能のなせる業だ。滅亡する地球と知っても、やはり飯は食うのだ。 While with a smile, my grandson takes New Year's handsel, confirm there'll be the future for sure in my blood |
元日ををさなと遊ぶ妻ありてささやかな幸部屋に満ちゐき (がんじつを をさなとあそぶ つまありて ささやかなさち へやにみちいき) 幸せのかたちは時を経て見えるもの。渦中にある時にはそれほどの自覚はない。グッド・オールド・デーズなどと、人はよく口にする。艱難辛苦に耐えていた頃でさえ、良き時代と懐かしむ。当時の悩みや苦悩の影のみが、思い起こすたびに、朧になり、濾し取られてゆく。 Some years back, on New Year Day, this room was filled with a certain happiness with my wife amusing her grandchildren |
餅みかんをさなも妻も揃ひゐき夜半におもひをりひとり炬燵に (もちみかん おさなもつまも そろいいき よわにおもいをり ひとりこたつに) 人生ゲームである。教育を受け、社会人になる。妻ができ、子ができ、家を建てる。炬燵があり、蜜柑と餅も置かれ、一家団欒が。そして、定年となる。子らは巣立ち、寡夫となる。炬燵の上の蜜柑も餅も消える。揃っていたものが次々消えてゆく。思い出だけ鮮明に残して。 Rice cake, orange, grandchildren and my wife, all were here at home, now pernoctate alone warming myself in a kotatsu |
焚火いまや許されぬ世にけふは匂ふ神社にけぶる左義長の火の (たきびいまや ゆるされぬよに きょうはにおう じんじゃにけぶる さぎちょうのひの) 「♪たきびだ たきびだ おちばたき…」。今の子供たちには実感の涌かぬ童謡。庭での焚き火は何十年もしてない。煙や臭いが近所迷惑とのこと。落葉焚きと焼芋の連想も過去のもの。川原のバーベキューが代りに現代の景となった。マッチを知らぬ子供も多くなったそうだ。 Although it's forbidden to make even a small wood fire in the community, today, smell the smoke of the ritual bonfire at a nearby shrine |
世の不況なほ深まるも新しき年を始むる朝の靴音 (よのふきょう なおふかまるも あたらしき としをはじむる あさのくつおと) 景気の良さの実感。そんなものを感じつつ仕事をした記憶はない。いつも、不景気だ、不況だと騒ぎながらやってきた。たしかに、後になって見れば、良い時期、かなり良い時期とされるものもある。大方は、こうして生涯を終える。新しき年、新しき朝が始る幸せさえあれば。 Now the new business year starts with commuters' footsteps in the morning, while the economic downturn deepens further in the society |
信長の末裔いまし靴紐の切れし不運を下天になげく (のぶながの まつえいいまし くつひもの きれしふうんを げてんになげく) フィギュアスケートの花形選手。ここ一番の競技中に靴紐が切れた。戦国武将の末裔とされる男。四百年前を生きた強烈な人物像。多くの物語で誰もが知る。その末裔と囃される時、当人の気分はいかなるものか。人にはみな先祖がある。何某の末裔としてこの世にあるのだが。 Having one of his bootlaces broken, the scion of Oda Nobunaga now deplores his misfortune in the lower world |
けさ供ふる水のぬくみに思はるる菩提寺の庭をかこむ下萌え (けさそなうる みずのぬくみに おもわるる ぼだいじのにわを かこむしたもえ) 奥つ城とは墓地のこと。この「おくつき」の語感に何故か親しみを覚える。不案内な落ち着き先へ向かう心細さを和らげてくれる。確固たる来世のイメージも心に描けぬ身だが、みんなと同じ途上にある。自分だけ仲間はずれでない安堵感。この世でのみ感じる安堵感なのだが。 As water for the altar is not so cold this morning, think of the garden of our family temple back homestarting slowly to be grassed |
くじ番号たしかめられて年賀状は用済みとなりしがらみの束 (くじばんごう たしかめられて ねんがじょうは ようずみとなり しがらみのたば) 幼稚園の友達からの年賀状。家族以外に、幼子にかけられた最初のしがらみ。それを手に、本人は嬉しそう。こちらは人生のピークを過ぎ、かけられたしがらみが、年を追って、一つまた一つと外されてゆく。しかも余す多くが朽ちかけていて用を成さない。寂しいことである。 Having their lucky numbers confirmed, the new year cards are no longer in use, being set aside as the bundle of protracted ties |
職引きてより音信のなきままのあまた仲間の名を数へ上ぐ (しょくひきて よりおんしんの なきままの あまたなかまの なをかぞえあぐ) 長い人生。「袖振り合うも」の縁でいくばくの知己を得た。その折々に豊かな交流もあった。だが、それも大方は細り、やがて消えた。「ゆく舟の跡の白波」の如く、一時の喧騒だった。時には、彼らと関わったイベントの記憶を掘り起こすことだ。時間に余裕の出来た今では。 Count out number of those names of my old colleagues having been out of touch since my retirement from the workplace |
ストレスを投げ捨てながらオートバイ大学通りを音たかくゆく (ストレスを なげすてながら オートバイ だいがくどおりをおとたかくゆく) オートバイがゆく。辺りを揺るがす大音響。聞く者はみな嫌な気分になる。音をたてている当人は爽快な気分なのだろう。周囲に迷惑をかけていることが愉快なのではなかろう。振り返って自分。へまをやらかした時、「こん畜生」と絶叫する。周囲に人がいなければであるが。 As if it was dumping the stress on the streets, the autobike now runs further noisily into the university avenue |
橋の上に斎場へのみち問はれをり川向うより夕映えのして (はしのうえに さいじょうへのみち とわれをり かわむこうより ゆうばえのして) 滅多にないこと。年寄りの散歩の道すがら、人にものを尋ねられるなど。何か嬉しい気分になる。もはや人の役に立つことなどあるまいと、心のどこかで思っているのだろう。以前、ドイツを旅していたとき、この東洋人に道を聞く奴がいた。それでもどこか良い気分であった。 Being asked on the bridge how to go to the memorial, look hard at the setting sun shining on the surface of the river |
歩道橋の高みに立てばはるか見ゆ夕焼をよぎるアルミの電車 (ほどうきょうの たかみにたてば はるかみゆ ゆやけをよぎる アルミのでんしゃ) 近頃の郊外電車。ステンレスやアルミの金属地肌の車両が多い。塗装などのメンテナンスが軽減されるからか。この間、赤、青、黄などカラフルな車両も走り回る。だが、かつては、鉄道車両は黒褐色と決まっていた。権威ある雄姿だ。まさに鉄道は庶民を睥睨する権威だった。 Standing at the top of the footbridge, get a distant view of an aluminum train just cutting across the setting sun |
五〇〇系さよなら運転を撮らむとて草萌え出でし土手に身構ふ (ごひゃっけい さよならうんてんを とらんとて くさもえいでし どてにみがまう) 春は夢見の季節。鉄道ファンの身であれば、鉄道車両がよく夢に出てくる。それが、不思議とモダンな車両である。カワセミの嘴と呼ばれた五〇〇系の先頭車やドイツDBの重厚な流線型機関車など。わが身は坐り心地のよいシートに坐っている。SLなどは滅多に出てこない。 Trying to take the picture of Type-500 bullet train on its final duty, square up on the greenly grassed bank beside the track |
信号を待つ間エンジンをバスは切り青きみ空を仰ぐしづけさ (しんごうを まつまエンジンを バスはきり あおきみそらを あおぐしずけさ) 十数秒を超える停車なら、エンジンを切る。温室ガス排出の軽減に寄与する。交差点の信号待ちの車の列。今ではアイドリングの騒音もなく静かだ。車には運転する人が一人ずつ坐っている。この数十秒間のしじま。前方の信号を見つめながら、それぞれは何を考えているのか。 As the bus turns off its engine waiting for a signal, quietness visits us for looking up the blue sky |
いへびとのあまた寝息を聞きをりし頃の思はれひとり覚めゐる (いえびとの あまたねいきを ききをりし ころのおもわれ ひとりさめいる) 人の寝息は聞くものに平穏をもたらす。ことに家族のそれには言い知れぬ安堵感を覚える。憎たらしく駄々をこねた子。激しく言い争った妻。すやすやと立てる寝息がくすぶっていた怒りを洗い流してくれる。信じきっている無防備。ペットの寝息にさえ信じられている喜びが。 Wake alone in the room which was once filled with breaths of different kinds taken by those sleeping members of my family |
蝦夷菊の種子の袋を耳元に振りつつ思ふとほきちちはは (えぞぎくの たねのふくろを みみもとに ふりつつおもう とおきちちはは) 食糧難の時代。食べられる物なら何でも食べた。家の空地に育てた薩摩芋や里芋など。その蔓や茎も料理した。南瓜の種は勿論、食える雑草も殆ど食った。そんな中、美味かったのは菊の葉っぱの天ぷらだった。今でも、菊を見れば、花の観賞より先に、あの天ぷらの味が蘇る。 Shaking an envelope containing the seed of aster at my ear, think of those days back home with my father and mother |
「存じます」などの敬語は口にせぬまま定年となりし技術屋 (ぞんじます などのけいごは くちにせぬ ままていねんと なりしぎじゅつや) 現役を引退した連中。地域のサークルなどに参加する彼ら。その物言いにはそれぞれの過去の匂いがある。営業畑で活躍してきた者の如才ない話しぶり。教師は教師らしく、重役もそれらしい物言いをする。技術屋だった多くはやはり口が重い。もはや変わりようのない連中だ。 Without having any opportunity in his active life to use respect language such as "sir", the engineer retires quietly today |
若き日の破れし恋をふと思ふ妻ゆきてはや四年目の春 (わかきひの やぶれしこいを ふとおもう つまゆきてはや よねんめのはる) 人は誰しもロマンスの記憶を持つ。恋愛遍歴の華やかだった者はその数を思い、経験の乏しかった者はその深みを増して思う。ことに季節が春となればだ。命を持つ万物が受け継いでいる本来の性である。年老いてなお、その輝きの昔を懐かしみ、妄想を楽しむ春を迎えている。 It's time to remember the lost love in the early years of my life, as the fourth spring has come since my wife's deatht |
独り身となれば詮なし遠き日に別れし人のときに浮かぶも (ひとりみと なればせんなし とおきひに わかれしひとの ときにうかぶも) 脳味噌は不思議だ。何十年も昔のシーンをありありと再現する。妙なことに、苦痛の思い出は薄れ、そんな場に居合わせ得たことを有難いとさえ思う。かつては忘れてしまいたかったシーンも、年を経れば懐かしい記憶となる。年寄りは膨大な記憶の海を漂いながら生きている。 People can't accuse me, now a widower, of remembering occasionally those ex-lovers in long-ago days, of remote antiquity |
ひとり世にのこされし身ぞ悩ましき火影に寄るもきみよ咎むな (ひとりよに のこされしみぞ なやましき ほかげによるも きみよとがむな) ネオン輝く歓楽街。かつては社用族として、接待をしたりされたりしながら、折にふれ、こういう場所を訪れた。度重なれば、顔見知りのホステスも出来る。先方は商売だからちやほやしてもくれる。畢竟、居心地が良い。とは言え、寄る辺となる我が家があればこそだが。 As you left me alone in this world, you couldn't reprehend my conduct looking in at such fascinating illuminations |
今生になほ出会ふべきひとありや落花あびゐるこの心地よさ (こんじょうに なおであうべき ひとありや らっかあびいる このここちよさ) 満開の桜並木。その下をひとり行く時、何か異次元の世界に踏み込んだ気になる。さまざまのことを思い出させる過去の人々に囲まれている気がする。もう十分に、この世で会うべき人、巡り合うべき人達とは結ばれた筈。あの世と呼ばれる己が行方にも既に大勢の先達が待つ。 Still, there should be one who meets with me in this world, feel good standing under the falling of cherry blossoms |
風薫る町に入り来ぬ何となく気になるひとの世にゐてうれし (かぜかおる まちにいりきぬ なんとなく きになるひとの よにいてうれし) 社会心理学は他者の存在を意識することで生じる心の動きに注目する学問。人の心に最初に住み着く他者は母親。その後の人生で、あまたの他者を心に宿すことになる。既に世を去った他者も抱える。思い起こしてほのぼのとする者もいるが虫唾が走る奴も。心理学は面白い。 Coming into the town with spring breeze, feel happy there's still somebody who somehow attracts me in this world |
職引きしよりは芭蕉の五十句を諳んじながら日々あゆむ身に (しょくひきし よりはばしょうの ごじゅっくを そらんじながら ひびあゆむみに) 仕事をやめれば、脳味噌の使い道に余裕ができる。その余裕をそのままにして置いては勿体ない。使わねば、澱も溜まれば錆も涌く。抽斗が空なら、何かを詰め込んでみよう。歌を覚える。俳句を覚える。色々と記憶する。そして暗唱だ。抽斗を順に開けながら中身を確かめる。 Having retired, live out my days with such walkies to repeat those fifty poems from memory of Basho's anthology |
焼酎に檸檬かをらせサルトルを君の下宿に語り明かしき (しょうちゅうに レモンかおらせ サルトルを きみのげしゅくに かたりあかしき) 年頃になる。小理屈を並べられるようになる。議論が面白くなる。本を読む。簡単にかぶれる。生半可な知恵を得て、また議論が楽しくなる。そうこうするうちに、自分の中の自分がまとまってゆく。話に自分のカラーが出るようになる。そしていつか辛気臭い議論にも飽きる。 There was such a day; we talked about Sartre all through the night in your room, drinking shochu savoring a lemon |
天翔るたしかな心地このあたり北極点と聞けば見下ろす (あまかける たしかなここち このあたり ほっきょくてんと きけばみおろす) 勉強机の上に地球儀があった。北極点はその回転軸の頂点。まさに地の果て。その上空を飛んでいるのだ。かくも容易に来られるとは。見下ろせば、そこはただ一面の雪原。その冷気に触れることもなく、その感傷を深める暇もなしに、時速千キロで、飛行機は上空を通過する。 Getting it through my head that we're really flying, stare down into the ice field far below being told the north pole is about here |
しばらくはここに住む身ぞこの国の人の顔して下宿いま出づ (しばらくは ここにすむみぞ このくにの ひとのかおして げしゅくいまいず) 周囲に馴染むのに時間はかからぬ。猫でも一匹で多数の犬との集団生活を余儀なくされれば、いつか自分が猫であることも忘れてしまうだろう。異国の下宿暮らしも一週間、二週間と過ぎれば、たちまち日常となる。難なく、「郷に入れば郷に」の自分に驚き苦笑するばかり。 Persuading myself living for a while in this land, leave the apartment this morning performing as one of the local commuters |
ライン橋わたる人らの早足に交じり今朝より通ふオフイス (ラインきょう わたるひとらの はやあしに まじりけさより かようオフイス) 朝の出勤風景。異国にあっても同様だ。人々はみな早足で職場に向かう。今日からおいらもこの連中に混じって出勤だ。周囲の人々の歩み。長い脚をまっすぐ伸ばして、さっそうと闊歩する。その中を、猫背のおいらの短足が、膝を曲げて、せかせかと歩く。どうも風が悪い。 |
事務机はやあてがはれこの国の言葉も使ふ仕事はじむる (じむづくえ はやあてがわれ このくにの ことばもつかう しごとはじむる) 棟割長屋の貧乏暮らし。卓袱台か蜜柑箱が勉強机だ。遊びに行った先で、友達が自分専用の机を持っている。地球儀があり、本立てに本が並んでいる。羨ましかった。それが、世に出てからは、否応なしに、机が相棒だ。そこが自分の城。今や、そこに坐る時間が日々長くなる。 Already given an office desk, start working here using occasionally the local language |
職場いま珈琲ブレーク独逸語の世間話にただ笑みかへす (しょくばいま コーヒーブレーク ドイツごの せけんばなしに ただえみかえす) 立話、茶飲み話。気の置けない仲間とする世間話。まさに職場での息抜きだ。大方が八時前から働き出すこの国のオフイス。九時過ぎの休憩は半時間にも及ぶ。テーブルにはクロワッサンも積まれている。話題は豊富だ。男も女も饒舌だ。これが仕事では見事な集中力を見せる。 A coffee break goes on at the office, colleagues are chitchatting in the local language, joined by me only with a smile |
首すぢのたしかな気配わが肩に死神を負ふ夏のゆふぐれ (くびすじの たしかなけはい わがかたに しにがみをおう なつのゆうぐれ) 気配を感じて振り向く。誰かが自分を見つめている。よく経験することだ。テレパシーは存在するようだ。人間の脳波は微弱ながら体外に放出されているとさえ言われる。虚空に漲っている人々の脳波。波長が合えば受信することにも。人の怨念や執念が飛び込んでくることも。 At sundown in summer, feel the exhaled air for sure around my neck, must have now given Death a piggyback |
掃き寄せて夏落葉あまたこの庭につとめを終へしものをいたはる (はきよせて なつおちばあまた このにわに つとめをおえし ものをいたわる) 常緑樹が衣更えをする。この夏落葉を掃き集め、始末をするのも一仕事だ。定年となり、日がな一日、家に居る身。季節という自然と触れ合う仕事。何となく労られている感覚さえ持つ。こうしている自分と、会社でのかつての自分を思い比べると、おのずから笑みがこぼれる。 Sweeping together a bulk of the early summer fallen leaves, appreciate their past contribution made to our garden |
葉桜の小径をゆくに花びらのどこより来しやわが頬を打つ (はざくらの こみちをゆくに はなびらの どこよりこしや わがほほをうつ) すっかり葉桜となった小径。一片の花びらが舞い降りてくる。見上げても、花の影など一向に見えぬ。ふと、異界からの便りかと思う。異次元の世界の存在を唱える物理学者がいる。そこは鬼籍かも知れぬ。あまたの先達がそこには。中にはこの世に信号を送るものもいるかも。 Where from it came, a flower petal hit me on the cheek, while walking under the canopy of cherry trees dressed completely in new leaves |
街路樹に青葉若葉のととのひて雨後の日差しにはやもつやめく (がいろじゅに あおばわかばの ととのいて うごのひざしに はやもつやめく) 梅雨の晴れ間のひととき。雨に洗われた木々の青葉若葉が美しい。まさに賛美歌にある「あまねく世をぞうるおして、くみていのちにかえりけり」を思う。身の内に新たな力が涌いてくる気分になる。詩が生まれ、歌が生まれ、句が生まれそうだ。新緑のもつ効用なのだろうか。 Those trees lining the street are now all with young and green leaves shining already in the sun after a rain |
良質の保守を望むと君が言ふ青葉若葉に頬を火照らせ (りょうしつの ほしゅをのぞむと きみがいう あおばわかばに ほほをほてらせ) 保守的な思考をする若者が増えているらしい。日々の暮らしに差し迫る不安がないのだ。だが、貧富の格差は増大している。世の中に歪があるのは確かだ。「良質な保守」がそれを是正できるのか。世間をひっくり返すような革命。革命が右の方を向いていることに気づくかな。 The man says he wishes a high-quality conservatism here, with his cheeks reflecting the shining green leaves in the sun |
大暑けふ蝉の鳴きやむ真昼間の庭石よぎり一匹の蟻 (たいしょきょう せみのなきやむ まひるまの にわいしよぎり いっぴきのあり) 人は歩きながら考える。蟻はどうなのだろう。観察するに、目標に向かって脇目も振らずに歩いている。学説によれば、人間だけが未来を考えるそうである。つまり、明日を憂うのである。蟻は生物本来の摂理に従って今を生きている。人はどうにもならぬ将来を思いつつ歩く。 One of the hottest days today in high summer, an ant crawls across the noontime garden rock while all cicadas have stopped singing |
雨靴はつひに破れしか漏る水に疎開児たりし日をなつかしむ (あまぐつは ついにやれしか もるみずに そかいじたりし ひをなつかしむ ) 小学三年の疎開児童。温泉町の川原での体操。履いているズックはゴム製。このゴム靴は品質が悪く、すぐ破れる。ゴム糊でべたべたとつぎが当てられている。子供たちはみんな痩せている。ひもじい日々の集団生活。誰もが同様にひもじいのだ。格差などない。いじめもない。 Having finally holes in my rain boots, the leakage reminds me of those days staying as a child evacuee in the countryside |
みやしろの御蔵ひらかれ山車はいま梅雨なほ残る世に引き出さる (みやしろの みくらひらかれ だしはいま つゆなおのこる よにひきださる) さびしいことだ。氏神様の夏祭に来ても、往年のたかぶりを覚えない。賑わいの中にいて臨場感がないのだ。寺山修司の歌の「…誰をさがしにくる村祭」の感覚がぴったり。祭だけではない。世の中全体が自分と関わりなく動き出している。すでに異界からのまなざしになった。 The holy float has now been pulled out from the shrine's carriage house into the open air still in the monsoon |
町内の知らぬ人の死告げらるる回覧板にわが印を押す (ちょうないの しらぬひとのし つげらるる かいらんばんに わがいんをおす) 「♪…回して頂戴回覧板」は歌曲「隣組」の一節。戦時中の歌。幼少時代の長屋の雰囲気を思い起こす。隣近所との交流が濃密だったあの頃。「♪助けられたり助けたり」は鬱陶しくもあった。町内会は今でもある。隣近所には関心もなく、お節介も無用という連中の集まりに。 Put my seal on the circular letter telling the death of a person unknown to me in the community |
身の内にわれを詰る吾かかへをり冷房つよき夜半の電車に (みのうちに われをなじるわれ かかえをり れいぼうつよき よわのでんしゃに) 帰りの電車はその日のあれこれを思う場だ。言わなくてもいいことを口にした。早まった決断だった。などと反省する。身の至らなさを思う。こう自分を分析する心の中のお前よ。今になってではなく、あの時に動いてくれよ。ならば、頭を垂れて、吊革につかまることもない。 Inside my body, there's another guy criticizing me on the late-night train too coolly air-conditioned |
人を見る目にいささかのゆとり出で麦酒のうまし夏のゆふぐれ (ひとをみる めにいささかの ゆとりいでビールのうまし なつのゆうぐれ) 敵か味方か。印象から本能的に判断する。早合点することもある。第一印象の悪さが消えて、相性の良さを知ることにもなる。人物判断の難しさを学んできた。今日では、ゆったり構えて人を見る。すると、それほど嫌な奴は周囲に居らぬ。「老年的超越」に近づいているのか。 My eyes to judge a person have become a little bit tolerant, the beer tastes good on a summer evening |
戦争をしてはならぬと老いが言ふされどそなへは忘るるなとも (せんそうを してはならぬと おいがいう されどそなえは わするるなとも) 戦時下の記憶はなお鮮明。「いくさはいかん」は口癖のように出る。この国に戦争のない時代が七十年余もつづく。「いくさはいかん」といいながら、自身の言葉に迫力が欠けつつあることに気付く。国の誇りとか尊厳などと世間が言い、それを守るためにはと威勢も良くなる。 An old man says you shouldn't make war against anybody, but he also says "Don't forget to be prepared for it" |
喉越しの昭和の味覚けふもまた安値の卵バナナ買ひ来る (のどごしの しょうわのみかく きょうもまたやすねのたまご バナナかいくる) 育ち盛りは戦中戦後の食糧難。卵もバナナも滅多にお目にかからぬ代物だった。ことに卵は、今や物価の優等生と言われる。欲しければ、日に何個でも食べられる。あまり食べ過ぎると健康に良くないとまで言われる。かつての病気見舞いの定番のバナナも、見向きもされない。 When those foods go down, they taste like Showa, today again, take away a bunch of bananas and eggs sold at a popular price |
いくさの世おもへば遠しわが高きコレステロール値を恥ぢ入りて聞く (いくさのよ おもえばとおし わがたかき コレステロール値を はぢいりてきく) 年毎の健康診断。標準値に比べて、あれが高いこれが低いと聞かされる。みな神妙に聞く。普段の摂生の効果を知る。中には「どこも悪くない」と言われる年寄りも。誇らしげに、それを自慢する奴ら。彼らをそれほど羨ましいとも思わぬ。余す線路がどこまでも続く訳がない。 Considering the wartime being in times long past, hear shamefacedly the report of my high cholesterol count |
一座みなほこるがに言へり心臓に前立腺にやまひ持てるを (いちざみな ほこるがにいえり しんぞうに ぜんりつせんに やまいもてるを) 同病相哀れむとよく言う。仲間がいることに安堵と心強さを覚えるのだ。この気持ちは、同じ逆協にある時に強く感じられる。同じ幸せにある時よりもだ。また、相哀れむ同病にあっても、ついつい、その軽重を比べて、自分がいくらかはましであれば、それを嬉しく思うのだ。 Each and every fellow here attending a get-together crow about problems with their hearts and prostates |
人物評わが身に及び一座いまジョッキ新たにあらたな話題 (じんぶつひょう わがみにおよび いちざいま ジョッキあらたに あらたなわだい) 酒席の団欒が進み、「ところで君は」と、お鉢が回ってくる。やれやれと思う。そこへ追加のジョッキが運ばれて来る。それを機に、話題が変わりほっとする。居合わせぬ者の噂話には、みな気楽に加わり饒舌だ。大方は批判や揶揄や中傷。当人に聞かせたい人物評が語られる。 Coming to time for the gathering to profile my personality, the next round of jugs of beer have arrived for another subject |
うながされ地デジテレビをそなふれば鮮明に映るは世の悪しきこと (うながされ ちデジテレビを そなうれば せんめいにうつるは よのあしきこと) 視力の落ちた年寄りだ。解像度などにはさほど興味はない。放送の仕組みが変更され、地デジテレビなるものを買わされた。新たな技術の集積で画像はいたく鮮明になった。問題はコンテンツである。何だか番組の多くがつまらなくなった。無用の長物を手に入れてしまったか。 As strongly recommended, bought finally a digital TV set which, however, shows clearly those undesirable affairs in the society |
驟雨一過この涼しさの身にしめば酷暑の夏をはや惜しみをり (しゅうういっか このすずしさの みにしめば こくしょのなつを はやおしみおり) 今を憂い過去を懐かしむ。人の世の常である。酷暑の夏には冬の寒さをまだ増しと言い、厳寒の冬にあっては夏の暑さを懐かしむ。空襲を逃げ回った戦時、集団疎開に追いやられた幼少時、戦後の食糧難と貧困。その苦難の過去にさえ、僅かにあった愉悦の場面を懐かしむのだ。 As the cold suddenly pierces me to the bone after a passing shower, already start missing the waygoing hot season |
わが背後あゆむ少女ら笑ひ合ふどこやらに付けまつげ忘ると (わがはいご あゆむしょうじょら わらいあう どこやらにつけ まつげわすると) 街を歩いている時。電車の吊革にぼんやり掴まっている時。他人の会話がふと耳に入る。よそながらその内容に、思わず噴き出しそうになるときも。じっと怺えて知らぬ顔をしている。逆に、声高に話す自分と連れとの会話。ときに意識して周囲に聞かせていることさえある。 Girls walking just behind me laughingly talk about the false eyelashes one of them has left in a powder room somewhere |
小銭入れのみ持つ日々の歩みなりマネキンはけふ冬の装ひ (こぜにいれのみもつひびの あゆみなり マネキンはきょう ふゆのよそおい) どうも年毎に「いらち」な性格に。税金なども通知書が届けばすぐさま払う。期限までに一月もあるのに。近頃は「終活」なる流行語に煽られて、墓地を買ったり、葬式の予約や棺桶まで準備しかねない。いまだ初秋。街はジングルベルを鳴らし、マネキンは冬のオーバー姿に。 The everyday walk only with a coin purse in my pocket, hits today all mannequins seemingly to have changed into the winter clothing |
老いるとはかかることにやわが脱ぎし靴下いまやにほひ放たず (おいるとは かかることにや わがぬぎし くつしたいまや においはなたず) まさに枯死に向かいつつある。関わり薄くなった世間から声をかけられることもない。その分、世の不興を買うこともない。世間の役にも立たなければ、害毒も与えない。そう言えば、酷暑に流す汗。水のようで一向に臭わない。息も臭くない。頭垢も落ちない。爪も伸びない。 Is this the way people grow old? My stockings just pulled off don't smell these days |
孤独死の記事を見しけふこの身なほ世にさらさむとかかる外出 (こどくしの きじをみしきょう このみなお よにさらさむと かかるがいしゅつ) 哀れなことと世間は言う。独居老人の孤独死。死後いく日もして知られる。だが考えてみれば、人の死はみな孤独死だ。いくら周囲で大騒ぎをされようと、泣き喚かれようと、死ぬのはひとり本人。臨終の当人の感慨にさほどの相違はあるまい。先には大勢が待っていることだ。 Reading the story of an unattended death this morning, go out this-a-way in the afternoon to expose myself to the public |
ぴつたりとしばし寄り添ひルミナリエ出づればいつもの距離の二人に (ぴったりと しばしよりそい ルミナリエ いづればいつもの きょりのふたりに) 人は他人から不自然に近づかれるのを嫌う。不快感や不安感を覚える。満員電車、雑踏、公園。それぞれに人々は互いの空間的距離をつくる。新婚時代にはぴったりとくっついて坐った電車のシート。年を経れば、他の乗客と同様に。別に仲たがいではなく、それが自然だのだ。 Snuggling up to my wife, went through the Kobe Luminarie: However,on leaving that site, here's an usual distance between us |
子供部屋もつは夢とて育ちしにかかる屋敷の老いの独り居 (こどもべや もつはゆめとて そだちしに かかるやしきの おいのひとりい) 家屋敷や車などを地位財というらしい。つまり世間に見せびらかすことで幸福感が得られるものだ。たしかに昔はそうだった。長屋暮らしの幼少時。子供部屋を持つ友達が羨ましかった。だが、世間がおしなべて豊かになった今。価値観も変った。そして手近な目標も失ったか。 While brought up as a child dreaming its private room, now live in solitude in a house too big for an old man |
独り居のもの言はぬ日々あゆみゐて道問はるればかく饒舌に (ひとりいの ものいわぬひび あゆみいて みちとわるれば かくじょうぜつに) ひょっとすると幾日も口をきかない。蛇か亀のように無言で生きているのだ。生きているから、顔も洗う。飯も食う。便所にもゆくし風呂にも入る。物は言わぬ。物を言う相手がいない。物心ついてから、幾十年も喋り続けてきた身だ。せめて、欠伸やくしゃみは大声でせねば。 Living in solitude, spend days without vocalizing, so become talkative this way when someone asks me for directions |
めぐり来し掃除当番この町に住むしがらみに身をさらしをり (めぐりこし そうじとうばん このまちに すむしがらみに みをさらしをり) 隣近所との付き合い。どの家でも主婦の役割だった。核家族化と長寿社会の今の世となる。伴侶を失ったり、たまたま持たぬ男たちも増える。そんな連中も町内の決まりごとや行事に狩り出される。いかにも場違いの様で恥ずかしげだ。中には水を得た魚のように張り切る奴も。 Being my turn for the sweeping in the block, expose myself to the public following the regs as long as my live would last there |
何もかも面倒くさくなる日々のいつかは来むと皿あらひをり (なにもかも めんどうくさく なるひびの いつかはこむと さらあらいをり) 思いもかけぬ病を得た人。対面する医師の神妙な顔。検査、検査また検査。そして手術。術後も検査また検査。ややこしい薬の服用が始る。ついに「もう面倒臭い」と言い出す。こんなに色々して生きるのも面倒と言い出す。分かる気がする。そろそろ日々の生活さえ面倒に。 Clean up the dishes thinking of such a day in future for me to feel tired of the whole business |
亡き妻の実家よりなほも新米の届けば炊きて夕べそなふる (なきつまの じっかよりなおも しんまいの とどけばたきて ゆうべそなうる) 盆暮れの贈答品。現役時代には、それなりの付き合いもあり、そこそこ賑わったものだ。噂では、職務によっては、大層な付け届けが得られたらしい。生真面目にいちいち送り返す者。あるいは返礼をする者。だんまり受け取る輩。何れにしろ今は昔の遠い来し方の話なのだが。 The home of my late wife still delivers the rice of new crop, cook it this evening and offer a bowl on the family altar |
大吉のみくじをかざし寄り来しにその年妻はひとり逝きたり (だいきちの みくじをかざし よりこしに そのとしつまは ひとりゆきたり) たわいない遊びと思うが。明智光秀が信長を討つ前。愛宕権現に祈願。みくじを引くが凶。それで吉が出るまで三度引いたという話。ご託宣や占いを心から信じて、それに従う人もいる。だが大方は、都合の良いものなら有難がり、意に沿わなければ当らぬも八卦と笑い忘れる。 Though she'd come close to me with an oracle slip telling the excellent luck, my wife passed away that year leaving me alone |
指先に銅貨の匂ひけふひと日ポケットの銭あたためゐしや (ゆびさきに どうかのにおい きょうひとひ ポケットのぜに あたためいしや) 片手をポケットに入れたまま授業をする教師がいた。鍵束をまさぐりジャラジャラさせる。これが話をする時の彼の癖らしい。講義を聞く学生には、これがどうも気になる。学生の方も、鉛筆を転がしたり、消しゴムで遊び始めたりする。やがて講義を聞く時の彼らの癖になる。 Smell of copper coins on my fingertips! They must have been warmed and riffled in the pocket all day long |
久しくも出さざりしわが大き声みづからおぢてかくぞ咳き込む (ひさしくも ださざりしわが おおきこえ みずからおじて かくぞせきこむ) とんでもないどじを踏んだ自分に腹が立つ。「こん畜生」と自らに罵声を浴びせる。近くに人が居ない時であれば、思いっきり大声で叫ぶ。大声はストレス解消になるらしい。周囲に人が居れば、「しまった」と小さく舌打ちするのみ。なかなか傍若無人には振舞えないのだ。 My voice being lifted for the first time after a long while, it's scared myself and caused a coughing fit this way |
路上にはもの売らむとて声あまた吾に等しき老いも交じれり (ろじょうには ものうらんとて こえあまた われにひとしき おいもまじれり) 年老いてなお働く人。夫婦連れで世界一周の船旅をする者。世はさまざまだ。金を稼ぐにも、漫遊で金を使うにも身体が丈夫でなければならぬ。丈夫でさえあれば、金を稼ごうと使おうと、生きている喜びに大差はない。露店で声を張り上げて物を売る老いに若さが漲っている。 Many sidewalk venders are giving the sales talk to passers-by, and among them, there's an old man of almost my age |
届きしは無心の手紙なほときをかけむと秋明菊に目をやる (とどきしは むしんのてがみ なおときを かけんとしゅうめい ぎくにめをやる) いつも思う。物事を決めるには一呼吸おいてと。いつでもすぐに反応してしまう。ちょっとした諍いなのに、この一呼吸がないため、互いに激昂して始末の悪いことになる。とは言え、いつも反応するのが遅ければ、ただの朴念仁と映る。みごとな即決の出来る人物にも憧れる。 Receiving a begging letter, take time to think how to react well to it, looking at the blossoming chrysanthemum in the garden |
わがかたへゆく電動の車いす日傘立てゐてジャズを流せり (わがかたえ ゆくでんどうの くるまいす ひがさたていて ジャズをながせり) バリアフリー化が進んでいる。ある程度の不自由を身体に抱えている人でも、何とか自力で世間に交じれるようになった。スマートホーン、さらに人工知能の普及によって、それらの人々の行動範囲が広がってゆく。この面では、文明の発達はまことに肯定すべきものと言える。 A motorized wheelchair is getting past me, with a parasol put on it and jazz music being loudly spilled |
遠目にも新妻らしきが窓ふけり枯野の隔つ小さき建売 (とおめにも にいづまらしきが まどふけり かれののへだつ ちさきたてうり) 都市郊外の田畑。耕作を諦め、宅地に整地し、何軒かの小さな住宅が建つ。十数年で全くの住宅地域に。田植えゃ稲刈りの繰り返された昔の面影はない。新たな住人の家族の時計が動き出す。幼稚園も小学校も満杯。そしてひと世代が過ぎ、デーサービスの車が行き交う日々に。 Even looking at her in the distance, she seems to be newly married cleaning the windows of a matchbox beyond the wintry field |
円居する縄文びとに交じりたるごとく遺構の冬日あびをり (まどいする じょうもんびとに まじりたる ごとくいこうの ふゆびあびをり) 吉野ヶ里遺跡の遺構は弥生時代のもの。この辺りには縄文時代から人々の集落があったようだ。数千年も前の人ら。我々と同様の日々の喜怒哀楽の中に生きていたのだろうか。家族を守り、集落を守り、子孫を作る。人生の究極の目的はそこに。現代社会の喧騒は何のためなの。 As if to join those ancient people sitting in a circle and chatting happily, stay at the remains in the wintry sun |
久しくも手に取らざりし「沈黙」に不採用通知の挟まれゐたり (ひさしくも てにとらざりし ちんもくに ふさいようつうちの はさまれいたり) 仲間に入れてもらえぬ悲哀。人生で必ず味わう。学力で決まる高校大学入試。落ちても理由は納得できる。これが企業となると、なぜ入社できたのか分からぬ奴も交じるようになる。性格の善し悪しも見られる。遊び仲間や伴侶の選択となれば、訳の分からぬ相性までが理由に。 Opening the old book, SILENCE, in my hand after a long interval, have found a notification of rejection being still put there |
何かかにか働き口はあらむとて研究室に囲碁を打ちゐき (なにかかにか はたらきぐちは あらんとて けんきゅうしつに いごをうちいき) 若さゆえの楽観主義か。未来への道はどの方角にも伸びていた。少しぐらい踏み迷っても、いくらでも出直しが出来た。まさに青春のいっとき。象牙の塔の一室で語り合い笑い合った仲間たち。そして今、それぞれが歩み続けてきた道の先に、くっきりと残りの未来の影を見る。 Something will work out! Taking a long view for my job hunting, kept playing go in the lab at the university |
転職の誘ひいささかありし日□わが人生のピークなりしか (てんしょくの さそいいたたか ありしひび わがじんせいの ピークなりしか) 忠誠心が高いなどと言えぬ。同じ会社に長くいるからとて。ただ転職などは面倒臭いと思っていた。転職で運を開いた例も周囲にはなかった。気心の知れた仲間との現状維持。何の不安も感じぬ。リストラ旋風のまだ吹かぬ時代だ。意思に反して転職させられる世になるなんて。 It must have been the climax of my active life when some headhunters were offering me an attractive post |
年収が五割増すとの転職の誘ひに笑みて乗らざりし吾 (ねんしゅうが ごわりますとの てんしょくの さそいにえみて のらざりしわれ) 若い頃には転職もする。社会生活を始める際の試行錯誤だ。だが巡航速度に入った働き盛りになれば、なかなか心機一転への挑戦は出来ぬもの。魅力ある勧誘にいささかの迷いを覚えているうちに時がたつ。もうどこからも声がかからなくなる。大方の凡夫の一本道を進むのみ。 To the headhunter's offer on fifty percent increase in my annual earnings, didn't buy the story with a smile |
届きたる年金記録にかくぞ見るわが遍歴の簡素なりしを (とどきたる ねんきんきろくに かくぞみる わがへんれきの かんそなりしを) 波瀾万丈の生涯などと孫子には語れぬ。物語になるようなさしたる起伏もない。徳川十五代の将軍たちの中にも後世の物語の主人公などにならぬ者も多い。それでも目立つこともなく命のバトンはしっかり繋ぐ。例え世間から凡夫と見られても、それらの来し方にも光の陰影が。 Having the my pension qualification report just in my hand, confirm how simple my journey through life is |
新卒のあまたの職につけぬ世の街角になほかかる賑はひ (しんそつの あまたのしょくに つけぬよの まちかどになお かかるにぎわい) 就職氷河期。たまたま遭遇してしまった新卒者たち。好況時なら、殆どが企業の正社員として社会に巣立つ。あとは出世しようと下積みを続けようと本人次第。親たちにとっても一安心だ。だが、氷河期とて平和の時代のそれだ。世界には戦時に遭遇しているあまたの若者達が。 While so many new college graduates couldn't find their jobs today, there's still such a lively town in this country |
いささかのいさかひありし一つ家に紅茶の香る春の夕ざれ (いささかの いさかいありし ひとつやに こうちゃのかおる はるのゆうざれ) 紅茶や珈琲の香りが部屋に満ちる。それまでの激しい議論も小休止。激論のたかぶりもやや治まる。まさに大切な一呼吸の時間。紅茶や珈琲の香りには心の興奮やストレスを緩和する効果があるらしい。職場でも家庭でも、人々のエゴはぶつかり合う。コーヒーブレークは必須。 Although some small set-to took place in the house, there's now an aroma of tea along toward a spring evening |
春風はなほも冷たしポケットのなきセーターの腕組みをする (しゅんぷうは なおもつめたし ポケットのなき セーターの うでぐみをする) コートやジャケットのポケットに手を入れて過ごした冬が去る。手を温めるほどのポケットは春服やセーターにはない。収まりどころを失った両の手。まだ外気の冷たさにも襲われる。手がポケットを恋しがらなくなるまでにはまだ時間が。やがては二の腕まで露出する季節が。 Spring breeze! It still makes me feel chilly and fold my arms wearing a sweater having no pockets to warm my hands |
郵便も電話も減りてこれならば世に惜しまるることなく逝けさう (ゆうびんも でんわもへりて これならば よにおしまるる ことなくゆけそう) 現役を離れて十数年。世のしがらみからも解放され、交誼を保つ相手も減ってゆく。早々に世を去るもの。音信不通となるもの。交換する年賀状もめっきり減る。だが不思議と淋しいこととは思わぬ。だんだんと周囲が静かになる。まさにのどかな自己中心の日々となったのだ。 No mail and not a phone call these days, now it looks easier for me to pass away without being missed in the society |
孤独死とはかかるものにや門灯は点りテレビの鳴りつぐままに (こどくしとは かかるものにや もんとうは ともりテレビの なりつぐままに) 終わりなき時に入らんとする当人。もはや周囲のあれこれには頓着しなかろう。後は野となれ山となれかも知れぬ。だが待てよ。風呂の水が出しっぱなし。コンロのガスは着いたまま。不意に訪れた死とは言え、世間様に迷惑。願わくば、少々の始末をつける時間は欲しいもの。 Is this what we call dying solitary death? The door light shines in the daytime and the TV has been left on |
吊革を持たず電車にしばらくは七十五歳を誇るがに立つ (つりかわを もたずでんしゃに しばらくは しちじゅうごさいを ほこるがにたつ) 疾駆する郊外電車。その揺れる床に両脚を踏ん張って立つ。馴れればうまくバランスが取れる。カーブや急ブレーキにも耐えられる。考えてみれば、人生も安定した等速運転とは限らぬ。思わぬ方向転換や急停車も起こり得る。転ばないためにも足腰を強化しておかねばならぬ。 Without hanging on to a strap on the train, keep standing for a while as if to show how much a 75-year-old man could do |
会合を三つこなして久しくもたかぶりし身を湯に沈めゐる (かいごうを みっつこなして ひさしくも たかぶりしみを ゆにしずめいる) 現役を離れて十数年。あの頃の多忙さを久しぶりに味わう。やりくりの手際よさもまあまあである。少々疲れはしたものの、いささかの満足感を身に湯に浸かる。これならまだ世間様の役に立てそうだ。そんな自惚れも涌いてくるが、年寄りの冷や水と言われぬようにもせねば。 Getting through three meetings in a day, keep bathing my rarely excited body in the bathtub |
無愛想に応ふるがならひされどこの電話はわれの入選を告ぐ (ぶあいそに こたうるがならい されどこの でんわはわれの にゅうせんをつぐ) 現役を離れて家に篭ることが多くなる。どうしても身構えてしまう。見知らぬ者の訪問や電話にである。もはや当人には社会的ステータスもなく、筋骨も衰え始めている。勢い無愛想に応対をする。そうすればペテンに掛かることもないと考えている。何だかやるせない気分に。 It's my pattern these days answering roughly to a phone call, but, be careful, this's telling good news my winning a prize |
食パンはこの味が好いこだはりのかく些細なる日々を生きをり (しょくぱんは このあじがよい こだわりの かくささいなる ひびをいきをり) 若い頃にはこだわりも世間に向いていた。保守、リベラル、軍国主義、平和主義。自らの立ち位置は学習や世の中との関わりで定まってきた。つまり、生き方の信条として固執してきた。だが隠遁の身となった今。日常の瑣末なことにこだわり、つつがなき日々を過ごしている。 "This bread is deliciously flavored!" Still spend my days without abandoning such a trivial inclination |
誰彼に祝はるることなきままに古希は過ぎたりなほつつがなし (たれかれに いわわるること なきままに こきはすぎたり なおつつがなし) 還暦、古希、喜寿、傘寿、米寿。人生の終盤のそれら節目。老いてゆく自らは当然ながら意識する。意識はしても、祝ってくれなどと周囲に言うほど目出度いとも思えぬ。いつまでも生き恥を曝す奴と言われそうな気さえする。そして周囲に騒がれることもなく節目は過去へと。 My ritual seventieth birthday has passed some time ago without being celebrated by anybody and my life still goes on healthily |
詠み捨つるあまたわが歌つまれゐるノート五冊に届く冬の日 (よみすつるあまたわがうた つまれいる ノートごさつに とどくふゆのひ) 人は日々言葉を発する。生涯のうちには気の利いた台詞も言うだろう。何か文章を書きたくなる。詩を作る。俳句をやる。短歌を詠む。大方は自己満足のため。時には人にも見て貰いたい。新聞などに投稿する。入選して世に出るもの。それらも遅かれ早かれごみとなり消える。 Many many poems written and junked are there in those five notebooks piled on the bookshelf where the winter sun has reached |
カポックをわが傍らにパソコンの確定申告に時をかけゐる (カポックを わがかたわらに パソコンの かくていしんこくに ときをかけいる) パソコンに親しんで三十数年。もはや世間とのかかわりに不可欠な道具だ。へたくそな手書きの申告用紙。税務署の窓口で恐る恐る受付印を貰ってほっとしていたあの頃。今や家のパソコンからちゃっちゃっと申告。二週間ほどすれば還付金が預金口座に。中々の時代になった。 With a potted kapok tree beside me in the room, chuck myself away on filing the final tax return on the Internet |
配偶者控除を受けぬ独り身となり五年目の納税の春 (はいぐうしゃ こうじょをうけぬ ひとりみと なりごねんめの のうぜいのはる) 一家の稼ぎ手として家族の中心にいた。扶養家族としての子供たちが巣立つ。運悪く配偶者の細君にも先立たれる。これまでの所得控除の項目が次々と消える。その分の税金も高くなるが、何となく淋しい。誰かのために生きている実感が乏しくなる。仕方の無い人生の末路だ。 IT's the fifth taxpayer's spring since my wife left me alone canceling the privilege of a spouse tax credit |
老いてなほいささかの税払ひ終へ胸いつぱいに春を吸ひ込む (おいてなお いささかのぜい はらいおえ むねいっぱいに はるをすいこむ) きびしい年貢を絞り取られる。食うや食わずの生活。江戸時代の小作農家の姿。昭和の長屋の貧乏暮らしで育ったが、両親が税で苦しむ話は聞かなかった。貧乏人には大した税金はかからぬ時代になっていた。世に出て、税が高いなどと人並みに口にしたことも時にはあったが。 Being enough old but having still paid some amount of tax, take a lungful breath in the spring air |
いつときをただぼんやりと見つめをり働くために生きゐる蟻を (いっときを ただぼんやりと みつめをり はたらくために いきいるありを) 蟻のコロニーを超個体と呼ぶらしい。子孫を残すためにのみのもの。働くためのもの。戦う役割のもの。それぞれ目的別に生を受けている。種族を保存するための五千万年の進化の到達点だ。数百万年の進化の過程にある人類。何だか蟻の社会を目指しているようにも思えるが。 For a while, gaze absentmindedly aただt those ants; they must go on with their lives only to work hard |
いくばくの納税すませ葉桜の小径をけふは選びもどり来 (いくばくの のうぜいすませ はざくらの こみちをきょうは えらびもどりく) ひと仕事を終えたときの爽快感。フレッシュエアを求めて出歩きたくなる。フィトンチッドの漂う林の小径などを歩きたい。だがむしろ仕事がうまく捗らぬときこそ、緑陰の小径を散策すべきなのかも。身の内のストレスが和らぎ、冷静さを取り戻し、活路もみえてくることに。 Having paid some amount of tax at the revenue office, choose the leafy cherry lane today to make my way home |
父母いまや世にあらざれば夭折の兄の忌日をわが祀るけふ (ふぼいまや よにあらざれば ようせつの あにのきにちを わがまつるきょう) 著名人は別として、普通の故人が、二世代を過ぎて、その命日を祀られることはあるまい。面影の記憶もない祖先。厳しい家訓でもない限り供養はしない。供養してくれる者がいなくなれば忘れられる。世間からはとうに忘れられている。順繰りに消えてゆく。それでよいのだ。 Without my father and mother in the land of the living, today, the anniversary of my brother died young is commemorated by me |
ゆかりいまや薄まるもなほ亡き妻の生家に近き大なゐを憂ふ (ゆかりいまや うすまるもなお なきつまの せいかにちかき おおないをうれう) 地震、大水、山火事。地球上のあちこちで大災害は繰り返す。被災した地域。すぐさまその辺りに住む知己を思う。訪ねたことのある土地ならば、その風景や佇まいを思い起こす。それらはわが来し方に結ばれたえにしなのだ。人生の終盤にある身に溢れるのは数々のえにしだ。 Although getting gradually shut of my deceased wife's home, worry about the big earthquake hitting near the area |
叔母すでに亡くもその地の原発に事故のありしを聞けばせつなし (おばすでに なくもそのちの げんぱつに じこのありしを きけばせつなし) 最先端の技術に支えられた心地よい町。職場は沢山できる。人が集まる。住宅も増える。町は大きくなり、活気にあふれる。大都会に送る電力を作る町。未来を保障されているような町。ささやかれていた不安など口にしなかった人だった。その死後のこのカタストロフィーだ。 It's an agonizing event that the accident of a nuclear power station took place in the town where my deceased aunt had once |
素粒子論まなびし身なり原発の仕組みを人に語るもむなし (そりゅうしろん まなびしみなり げんぱつの しくみをひとに かたるもむなし) 学んだなどとはおこがましい。聞き齧った程度なのである。学生時代のほんのいっとき触れた分野だ。それでも尋ねられれば、知らぬとも言えぬ。恐る恐る御託を言ってみる。一座に異論が出なければ安堵する。素人衆からその道の専門家などと言われて有頂天にならぬことだ。 |
やがてみな寿命の果つるものと居り電球が切れ今朝はテレビも (やがてみな じゅみょうのはつる ものとおり でんきゅうがきれ けさはテレビも) 諸行無常を実感させられる。日ごろ当たり前のように動いていた家電類。ひとつが故障する。すると、不思議と次々と躓きだす。こんな時に、愛用していたマグカップも手から滑って砕ける。こうなると更に凶事がと不安に。だが宇宙さへ消滅すると思えば小さい小さい話だ。 Live together with all those having a given life; the bulb was burned out and even the TV has gone wrong this morning |
けだものの咆哮をふと真似るときあやしきちから身に湧き出づる (けだものの ほうこうをふと まねるとき あやしきちから みにわきいずる) 大声を出すことで自律神経が安定化するとか。ライオンや虎の咆哮を真似てみる。何となく気分がすっきりする。人間の身体は妙なもの。泣いたり、笑ったり、怒鳴ったり、走ったり。憂鬱な気分が、知らぬ間に、ほぐれる。そうして仕切り直しが出来るように造られている。 Happened to do an imitation of the roaring tiger and now feel my body having been powered strangely |
目も耳もかく衰へて後の世にいかに尋ねむ逢ふべきひとを (めもみみも かくおとろえて のちのよに いかにたずねむ あうべきひとを) 行き馴れぬ場所に向かうのが億劫になった。目や耳や勘が頼り。年齢とともに、それらが覚束なくなった。スムースに目的地に着けぬ。これを経験すると、新しい場所や道などを敬遠する。さて来世である。願わくば、そこには通い馴れた道や見知った場所のみがあって欲しい。 With my falling acouo and eyesight in this way, how it's possible to find out my partner to meet in the afterworld? |
誰ひとり茶飲み話の相手なき吾と知りつつ駄菓子また買ふ (だれひとり ちゃのみばなしの あいてなき われとしりつつ だがしまたかう) 大阪のおばちゃんのバッグには飴が入っているとか。円滑なコミュニケーションのための必需品らしい。頃合と見れば、知り合いだろうが初対面の相手だろうが、すぐにこれが出る。人恋しさに寄り合えば、口さみしさを補う駄菓子のやりとり。話もはずむ。人類本来の情景だ。 Knowing there's nobody around back home to have a chat over tea, still buy snacks at the papa-mama shop |
福島がフクシマと書かれおぞましき原発事故の語りつがれむ (ふくしまが フクシマとかかれ おぞましき げんぱつじこの かたりつがれむ) 短い生涯のうちにだ。数百年後に、この国の歴史上のイベントとして、必ず取り上げられる。そんなエポックを画するようなイベント。それにいくつも遭遇した気のする昭和・平成。だが、四万年を超す現人類の文明の推移のうちで、これらは人類史上の大事件と呼ばれ得るか。 FUKUSHIMA, written in this way, will be remembered forever as the nuclear power plant that caused a severe accident |
ホームランつひに逆転くもる顔かがやく顔を左右に分けて (ホームラン ついにぎゃくてん くもるかお かがやくかおを さゆうにわけて) 奇跡的な逆転劇。目の当たりにして球場中が興奮。居合わすものは互いの喜びを感じ合い、妙な帰属意識と一体感を得る。だが、近頃よく言われるフェイクニュースでも同様の効果が。不確かな情報に人々は容易に踊らされる。世間に対して斜に構える訓練もしなければならぬ。 Here comes a go-ahead homer at last, and a division between beaming faces on the right and gloomy countenances on the left |
わが肩に首をあづけて眠りをりその髪になほ残る潮の香 (わがかたに くびをあずけて ねむりをり そのかみになお のこるしおのか) 夏の午後の逗子鎌倉方面からの横須賀線。海水浴帰りの乗客で満員だ。潮の香の漂う車内。席を得たものはみな眠りこけている。吊革に掴まってうとうとしているものも。だが電車が横浜東京に着くころには、乗客も入れ替わり、車内に満ちていた潮の香も消えて、現実世界が。 On the train home, she sleeps putting her head on my shoulder, and her hair still wears a salty scent |
子らもはやちちははと手はつながざり野に遊びゐてわかつ草餅 (こらもはや ちちははとては つながざり のにあそびいて わかつくさもち) 手をつなぐことで、脳内物質のオキシトシンが分泌される。この物質は絆のホルモンと呼ばれ、手をつなぐ互いの信頼感を向上させるそうだ。そう言えば、西洋人などと握手を交わすとき、親近感らしきものが湧く。効用があるなら、他人同士でも、もっと手をつなぐべきかも。 While our kids have already stopped walking hand in hand with their parents, we're out together here in the fields for sharing the lunch |
ぢぢばばとなりてふたたび手をつなぎをさなと歩む日々の巡り来 (ぢぢばばと なりてふたたび てをつなぎ おさなとあゆむ ひびのめぐりく) 多事多難の子育ての時期。その中にあって、幼きものらと手をつないで歩く。まさに至福のひととき。だが子は育つ。差し出す親の手を束縛と感じて握らない。その頃から三十年。この至福の時に再び。孫たちとの遭遇である。しかもあの多事多難に関わることもないのである。 Becoming the grandparents, we're having another opportunities to walk hand in hand with little kids |
存在が空気のやうになりしわれらいさかひもなく一つ家に住む (そんざいが くうきのように なりしわれら いさかいもなく ひとつやにすむ) 余程のことである。気が置けぬ間柄になれたということは。沈黙を恐れることもない。笑顔を期待する必要もない。互いに無遠慮に振舞っても、衝突など面倒なことは起きない。同じ空間にいて無意識という意識が働いている。相方を失って知る。空気がやや薄くなったことを。 As both of us became an existence something like the air, they live in a house without having a quarrel |
視力いまやおとろふるこの独り身の手をとり歩みくるるは誰ぞ (しりょくいまや おとろうるこの ひとりみの てをとりあゆみ くるるはたれぞ) 間もなくである。自動運転の車や無人タクシーなどが当然のように世間を走り回る。その頃には、視力の衰えた年寄りでも、障害物を避け、人にもぶつからずに歩けるような器具が開発されているかも。長生きをすると身体のあちこちに不自由が。でもそれを克服する新技術が。 Being a widower whose eyesight is gradually falling down, then, who would lead me by the hand in the future? |
はらわたに巣くふは癌かポリープかトーチをかざし進むファイバー (はらわたに すくうはがんか ポリープか トーチをかざし すすむファイバー) 大腸がんの検査。尻の穴から入れられた内視鏡。はらわたを空気で膨らませながら、明りを点けて進む。寝かされている顔の横には大きなモニター画面。自分のはらわたをよく見ろということ。単にピンクのトンネルをゆく地下鉄かと思う。医師は異常個所に気づくのだろうが。 Is it a polyp or a bad apple that lives secretly there? The endoscope marches on with a torch deep into my bowel |
絵をめぐる人らの醸す静寂にならへばわれも文化人らし (えをめぐる ひとらのかもす せいじゃくに ならえばわれも ぶんかじんらし) 欧州のちょっとした町には美術館がある。日曜日は大方が入場無料。来館者はちらほらだ。館内には静寂が満ちている。教会帰りの家族連れか、母親が子供に小声で絵の説明をしている。日本での押すな押すなの混雑や喧騒はない。教養とは静かに身についてゆくものなのかも。 People move quietly from a painting to another, being overwhelmed by the atmosphere, it's me who calls himself a culturati |
終楽章きまりすかさず拍手する者に遅るるわれの恥ぢらひ (しゅうがくしょう きまりすかさず はくしゅする ものにおくるる われのはじらい) クラシックコンサート。拍手のタイミングでばつの悪い思いをする。自分だけ遅れれば恥ずかしい。今度こそと構えて叩けば、われ一人。周囲の失笑を買う。演奏を聞きに来たのか、拍手をしに来たのか。要するにまだコンサート馴れしてないのだ。生兵法は怪我のもとなのだ。 As soon as the finale ends, there's a guy to initiate applauding the performance, leaving me a sense of shame to trail in joining |
西洋のマナー学びし身を誇るごとく扉を妻に開けやる (せいようの マナーまなびし みをほこる ごとくとびらを つまにあけやる) レディーファーストを近頃はあまり聞かない。女性は強くなった。嫁さんに荷物を持たすは夫の恥。必ず持ってやった。嫁さんはハンドバッグのみ。どうだと周囲に言わんばかり。ところが、その荷物を電車の網棚に忘れて紛失。持つなら責任を持てと大いに詰られてしまった。 Proudly pull the door open for my wife's way, as if to show how much I has learned culture of the West |
改札に向かふわが目にはや入るは傘もつ妻の影とやすらぎ (かいさつに むかうわがめに はやいるは かさもつつまの かげとやすらぎ) もはや昔の風景。雨が降り出すと、駅の改札付近に傘を持った迎えが大勢。勤め帰りの夫ゃ学校帰りの子供らを待つ女性たち。電話もそんなに普及してなかった頃。主人や子供の帰り時間は決まっていた。電車が着き、待つ者らが改札口に現れる。寄り添う人らに至福の瞬間が。 Approaching the ticket gate, already recognize my wife waiting there with two umbrellas, with a certain sense of security |
妻はなし借金もなしどくだみのはびこる庭に詮なく立てり (つまはなし しゃっきんもなし どくだみの はびこるにわに せんなくたてり) 鉄道で言えば惰行運転に入った。長く睦んだ伴侶を天国に送り、マイホームなど人生の借金も完済。もはやマスコンを引いて力行には及ばぬ。惰性で進みながら速度が少しずつ落ちてゆく。病気などちょっとした障害物に遭遇すればあえなくお陀仏。そんな余生らしさを過ごす。 With no wife and no debts, stand purposelessly in the garden where the dokudami grass grows like topstitch |
職引きしよりのとしつき大いなる日々の行事となりし朝食 (しょくひきし よりのとしつき おおいなる ひびのぎょうじと なりしちょうしょく) 出勤前にそそくさと取る朝食。職を離れた今。時をかけて準備し、ゆっくりと食べる。スケジュールに追われることはない。かと言って、無秩序にだらだらと過ごすのでもない。すでに定着した一日のリズムが動き出す。現役時代に軽んじていた朝食が、今では重要な出発点に。 As the months move on after my retirement, it's become the grand daily affair for me to take breakfast |
遠のくは被爆の記憶いまや音も閃光もなきあらたな被曝 (とおのくは ひばくのきおく いまやおとも せんこうもなき あらたなひばく) 進化の過程で途轍もない頭脳を得た人類。考える人たちは文明を起こし、生産性を向上し、世の中を豊かにしてきた。同時に、所有欲も大きくなり、戦争もする。そして、自らを破滅させるような科学技術で脅し合うことになる。数百万年の進化の果てが自己滅亡となるのかも。 While memories of the atomic bombs are getting away, another radiation exposure takes place without any explosive sound and flare |
こども手当をばらまきといま詰るやから原発マネーを配り来しもの (こどもてあてを ばらまきといま なじるやから げんぱつマネーを くばりこしもの) ばらまきは必ずしも悪くない。雨があまねく大地を潤すように、肥料が畑地の隅々にゆき渡るようになされるならばである。公平が肝要である。我田引水はよくない。また、既に水の豊かなところに雨は要らぬし肥沃な畑に肥料は要らぬ。足らざるものを足らしむることである。 Those criticizing the child allowance as a foolish handout scheme are guys who've distributed money on building nuclear power plants |
しづかなる日々送る身に届きたる要再検の文字にうろたふ (しずかなる ひびおくるみに とどきたる ようさいけんの もじにうろたう) 生涯に何度かある。意に沿わぬ通知を受けることが。昔なら差し詰め「赤紙」と呼ばれた召集令状。「サクラチル」の大学不合格通知の電報。就活での不採用通知。衝撃は大きい。そして俺だけじゃないと諦める。だが、癌の告知では、「なぜ自分が」とうそぶいてしまうのだ。 Lose countenance finding out "recheck required" in the health report just arrived at me spending quiet days |
やがて我も癌を患ひ世を去るか酷暑の夏もあといくたびぞ (やがてわれも がんをわずらい よをさるか こくしょのなつも あといくたびぞ ) 近頃よく聞く。二人に一人が癌にかかり、三人に一人が癌で死ぬと。平均寿命は延びている。心臓疾患や脳梗塞などへの予防医療がととのってきている。癌についても医療技術は日進月歩。早期発見で処置が早くなり、生存率も高くなる。ただ、高騰する治療費は考えものだが。 Getting cancer, will die sooner or later, and how many times will this scorching summer come around before it happens |
もはや死を恐るるこころ持たざるになほわづらはしその通過点 (もはやしを おそるるこころ もたざるに なおわずらわし そのつうかてん) 気の重いイベントを前に、いつも考える。ともかくそれが済んで、日常のリズムに戻れることを。そして、気に病んでいたイベントが、それほど大したことでなかったといつも知る。案ずるより生むが易しだ。さて、死への通過点だが。その後の風景は。一向に思い描けぬのだ。 Though having no fear of death myself any longer, won't think of such a troublesome passing point |
はらわたに癌らしきもの巣くふとの医師の言葉にはやうろたふる (はらわたに がんらしきもの すくうとの いしのことばに はやうろたうる) 投げられた言葉に一喜一憂するのが人間だ。それが自らの将来にかかわるからである。犬や猫は明日の自分を思い描くことが出来ぬとか。彼らは現在の苦痛と戦い、今の幸福に浸るのである。人間のみが将来の不安を、いま思い悩むようだ。そこにどんな意味があるのだろうか。 His comment has immediately put me out of countenance; the doctor says my colon might have got cancer |
かつて妻のただならぬ癌を告げくれし医師が今わが病状を言ふ (かつてつまの ただならぬがんを つげくれし いしがいまわが びょうじょうをいう) 告知をする医師も辛いことだろう。多くの重症患者の主治医を努めてきた。その殆どに死亡診断書を書いた。経験から奇跡的な治癒は予想できぬ。それでも告知に際して手術や投薬の治療段取りの説明をする。患者や家族は医師の言葉や顔つきから「希望」を汲み取ろうとする。 The same doctor, who once told me my wife had got malignant cancer, now explains about my own possible case |
透明の水のみくだりはらわたのすすぎも終へて纏ふ検査着 (とうめいの みずのみくだり はらわたの すすぎもおえて まとうけんさぎ) 他人に見せるのである。綺麗にせねば。顔や身体は洗面や風呂できれいに出来る。今回ははらわただ。糞の詰まった汚いままでは恥ずかしい。そこで下剤を呑む。水を大量に飲む。トイレでは透明の水のみが排出される。この時の気分。何となく身も心も浄化された心持になる。 Having my bowel completely washed, now excreting only clear water, throw on my examination garment |
はらわたの探検終へしファイバーがゆるゆる退けり光を残し (はらわたの たんけんおえし ファイバーが ゆるゆるひけり ひかりをのこし) 「はい終りますよ」と検査医師の声。内視鏡がゆっくりと大腸から引き抜かれてゆく。緊張していた五体から力が抜けてゆく。検査の苦痛に耐えた達成感。「なあんだ、もう終わりか」と思うほどだ。非日常の眩い光に数十分も曝されたはらわた。ようやく元の闇を得たのだ。 Leaving light there, the endoscope is slowly pulling out as it has completed its duty to hunt for cancer in my colon |
検査合格のわが腸にまづ贈らむとさうめん一束ひとり茹でゐる (けんさごうかくの わがちょうにまず おくらむと そうめんひとたば ひとりゆでいる) 健診結果の「異常なし」にはほっとする。当然のことながら、生涯これは続かぬ。いずれは「要精検」の通知を受け取る。そう思えばこそ、この「異常なし」は嬉しいものだ。刑を待つ囚人。今朝も部屋の前で靴音は止まらなかった。ほっとする。そんな束の間の安堵にも似る。 Told that it's not got cancer, cook a noodle dish alone to present the first food to the empty bowel |
年齢は六十九歳までですと市場調査の電話は切らる (ねんれいは ろくじゅうきゅうさい までですと しじょうちょうさの でんわはきらる) 内閣支持率の世論調査。市場調査のアンケート。そんな電話が時折かかる。最近は殆ど肉声の電話ではない。録音された音声ガイドによるもの。面倒なので滅多に応対はしない。ところが、年寄は「お呼びでない」と言われることも。世の中からはみだしてしまった気分になる。 The pulse-taker hangs up on me saying "Sorry, being older than sixty-nine, you're not my guest." |
ベルト掴めとのアナウンス従順な老いとなりゐる動く歩道に (ベルトつかめ とのアナウンス じゅうじゅんな おいとなりいる うごくほどうに) もはや急ぐこともない。大人しくベルトを掴んで立っている。長い長い動く歩道。かつては自分も立ち止まらずに歩いた。しかも早足で。立ち止まっている人を邪魔者と見ながら。今では自分がその邪魔者。歩く人の邪魔にならぬよう、身を片寄せて静かに大人しく立っている。 "Grab on to the handhold!" Being instructed this way on the travelator, find myself becoming a submissive old man |
かつてわが打ちしひとつか眼の内をかく執拗に蚊が飛び回る (かつてわが うちしひとつか めのうちを かくしつように かがとびまわる) 飛蚊症は加齢によりよく出る。視界の中に蚊のようなものが現れて飛び回る。気がついた当初は気になるが、そのうちに馴れてしまう。考えてみれば、生涯に千や二千の蚊は叩き潰している。中には執念深い一匹や二匹がいて、わが眼球に飛び込んで悪さをしかけているのかも。 Re It must be the one that I've once smashed some time ago, a mosquito flies thus insistently inside of my eyeball |
脳味噌によかれと日々を三百の名歌そらんじつつ歩みをり (のうみそに よかれとひびを さんびゃくの めいかそらんじ つつあゆみをり) 暗唱をしながらの散歩。やってみると覚えられるものである。文章でも詩句でもかなりの量を記憶できる。もちろん、暗唱を暫く怠れば、たちまち忘れる。忘れたくないから続ける。暗唱する総量が年毎に増える。こうなると記憶力の限界も知りたい。脳味噌が餌を求めている。 To help my brain smarten, make it a habit to recite by rote three hundred popular poems during my daily walkies |
円周率十万桁を諳んずるものありと聞く秋の夜長に (えんしゅうりつじゅうまんけたを そらんずる ものありときく あきのよながに) 文字数十万とは四百字詰め原稿用紙で二百五十枚。大層な分量である。ところが、真偽の程は分からぬが、源氏物語を丸暗記した奴もいるとか。こちらは文字数が百万だから仰天する。昔の人はよく丸暗記をした。明治生まれの父もよく漱石の「坊ちゃん」の暗唱をして見せた。 In the lengthening nights of autumn, hear the story there's someone who recites the circular constant up to one hundred thousand digits |
使はれぬままの脳味噌あまた身に萩の花咲く道にたたずむ (つかわれぬ ままののうみそ あまたみに はぎのはなさく みちにたたずむ)脳味噌の 人は脳味噌の大方を使わぬまま生涯を終える。よく言われるが、これは俗説とか。ただこう聞くと、何とかすればもっと頭が良くなる気もする。身体全体のエネルギーの二割を消費している脳である。無駄に朽ちてゆく部分もなかろう。好奇心を燃やして脳の血流をよくしよう。 Carrying a large number of unused brain cells with me, stand around in a footpath where the lespedeza blooms |
すこやかな脳たもちたしこころして鯵も秋刀魚も頭から食ふ (すこやかな のうたもちたし こころして あじもさんまも あたまからくう) 老いても歯は丈夫だ。鮎や鰯、秋刀魚や鯵など大方の焼き魚を丸ごと食べることが出来る。鮭や鯛などの固い骨でも、時間をかけて、噛み砕くうちに口中に美味が広がる。そこまで食わんでもと他人から見られても、戦中戦後の食糧難の時期の習性からは抜け切れぬものである。 In order to keep my brain healthy, intentionally chew up and eat those heads of scad and saury |
四歳の脳に早くもわが知らぬ鉄道車両の名の宿りをり (よんさいの のうにはやくも わがしらぬ てつどうしゃりょうの なのやどりをり) 幼児の脳の海馬は活発に働く。何しろ日々新たなことに出くわす。その度に驚いたり喜んだりする。こうした感動を伴った記憶は忘れ難い。興味を持てば、列車の名でも、虫の名でも限りなく覚え込む。知識を得ることで覚える感動。単調になりがちなわが人生には必要なこと。 To my surprise, this four-year-old boy has already in its brain the name of an express train that's not yet known to me |
わがこころ見透かす馬の目を見ればふつと明日が怖くなくなる (わがこころ みすかすうまの めをみれば ふっっとあしたが こわくなくなる) 心の中のごたごた。口に出さなくても分かってくれるものが居るとしたら。それだけで癒される。嫁さんにわが心を読まれたと感じるとき。互いが気心の知れた間柄であることに喜びを覚える。信仰心のある人には、神仏が自らの心を察して、悲しんでくれていると思えるのか。 Gazing fixedly at the horse's eyes that could read my mind, get suddenly rid of tomorrow having stirred up unrest |
それぞれの小さき犬つれ三人の立話けふは声をひそめて (それぞれの ちさきいぬつれ さんにんの たちばなしきょうは こえをひそめて) 長い立話。女性はなぜ話好きなのか。狩猟時代に培われた進化の結果との説。男どもの留守中、集落の仕事を手際よくこなす女たちに必用なコミュニケーション能力の発達。結果、話をすることで快感の得られる脳に。幼児でも、女の子の方が早くお喋りを始めるのも当然では。 Each leading a small dog, those three join together and stand chatting as usual, but today in a subdued tone |
身に近き死と言へるもの時に思ふいまや頼みの逃げ場所として (みにちかき しといえるもの ときにおもう いまやたのみの にげばしょとして) いつの頃よりか。「死」を忌まわしいものと思わなくなった。周囲では人生の先輩や同輩が次々と世を去る。こうなると、そろそろ自分の番かと気楽に思える。目の前に面倒なことが起きても、俺には逃げる場所がある気がする。あとは好きにしてくれと言わんばかりの気分に。 Think of my death which comes not in the distant future, that acts now as the only hideaway for me |
生き恥を曝すにしてもみじかかる余命ぞけふは秋刀魚焼きをり (いきはじを さらすにしても みじかかる よめいぞきょうは さんまやきをり) 時々へまをやらかす。物知りぶって言った話が間違っていた。現役時代ならその繕いが大変だ。下手をすれば人物評価が下がる。生き恥をさらすことに。年寄となればやや気楽である。第一に世の中の主役ではない。少々的外れを言っても、世間様を毒する影響力はもはやない。 Thinking of my life being not long anyway, though it brings occasional disgrace on myself, grill a saury today |
若きらははや年金を憂ひをり靴音たかく朝を行きゐて 将来どれほどの年金が。そんなことは考えずに働いていた。中には、若いくせにこつこつ蓄財に励んでいる奴もいたが、大方は、老後のことなど話題にもせずに過ごした。世間は高度成長の時代。それでよかった。今のように年金財政の不安がしきりに囃されることもなかった。 Already worrying about their pension benefits in the distant future, young people tramp to commute in the morning |
はからずもわが為す炊ぎ五年目となれば野菜の高値をも言ふ (はからずも わがなすかしぎ ごねんめと なればやさいの たかねをもいう) 「男子厨房に入らず」で通してきた。それが伴侶に先立たれる。子らは巣立ってしまった。仕方なく始めた自炊だ。中には億劫がらずにやってのける男もいるが、自分にはやはり面倒なことだ。もとより食通などではないから、あれこれ工夫はせぬ。ワンパターンで通す日々だ。 Unexpectedly, started cooking my own food five years ago, and now even express concern about the rising vegetable prices* |
もはや夜の街に遊ばぬ身となりてその節電の暗さ聞くのみ (もはやよの まちにあそばぬ みとなりて そのせつでんの くらさきくのみ) かつて頻繁に出かけた夜の歓楽街。現役引退後はまったくのご無沙汰。近頃の電力事情の悪化。その辺りは真っ暗と聞く。東日本大震災の原発事故による節電キャンペーンである。石油危機の折にも節電ムードに世間は包まれた。だが長くは続かなかった。人は明りに惹かれる。 Visiting the nighttown not any longer, only hear about the somber scene there caused by the power shortage |
タイムマシンとはかかるものにや夢に来る友みな若く吾を囲めり (タイムマシンとは かかるものにや ゆめにくる ともみなわかく われをかこめり) 年老いた今は少々よたよたと過ごす身。それが夢の中では、てきぱきと切符を買いホームへと駆け上がる。生来の鉄道マニアなので列車利用の夢はよく見る。夢ながら楽しい。目覚めてからも気分がよい。満員の通勤電車や新幹線での出張。今宵はどんなシーンに出会えるかな。 If it exists, the time machine would be like this; there's myself in a dream among my friends who are all still young |
立冬の後なるわれのバースデー手触りぬくき帽子の届く (りっとうの のちなるわれの バースデー てざわりぬくき ぼうしのとどく) 帽子は滅多に被らぬ。胴長で短い首。帽子はどうも坐りが悪い。だから愛用の帽子などは持たぬ。それでも毎朝しばらくはニット帽を被る。これは髪の毛の寝癖を直すためだ。冬の外出では帽子も防寒になろう。近頃では部屋の中でも帽子を取らぬ年寄が。別の理由かららしい。 TIt's my birthday today just after the coming of winter, a gift has been delivered, a hat warm to the touch |
除外例なき死と詠む歌を諳んずる小春のけふのわが歩みなり (じょがいれいなき しとよむうたを そらんずる こはるのきょうの わがあゆみなり) 「暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの」は斉藤茂吉の晩年の歌。この著名な歌人の享年を一回りも超えて生きる身。さすがに死への思いは身近である。死が恐ろしいわけではない。誰もが迎えるものと納得している。歌人たちの老境の歌にも親しみが涌く。 My walk today, in a warm autumn day, to recite the poem reading "Death will visit everyone without exception" |
落葉あまた詰め込む大き袋もつ男やもめの今朝のごみ出し (おちばあまた つめこむおおき ふくろもつ おとこやもめの けさのごみだし) 独り居の生活となる。有り得ることで、仕方ない。これまで疎遠だった近隣との付き合い。町内の決まりも知らねばならぬ。掃き寄せて、袋に詰めて、ごみ置場に運んで戻ると、もう新たな落ち葉が。これはストレス。「しょうもないこと考えずに次の仕事を」と言われそうだ。 Carrying a big plastic bag full of dead leaves, the widower is heading for the garbage spot on the corner |
神仏を信ずることのできぬままいま死に近く落葉掃きをり (しんぶつを しんずることの できぬまま いましにちかく おちばはきをり) 少しうらやましい気もする。教会の集まりなどから笑顔で出てくる連中を見ると。偉大なる神を信じてやまない人々。そんな心のよるべを得たいとも思う。だが、つつがなく過ぎる日々の暮らし。一向に切迫感が涌かぬ。趣味のサークルを終えて笑顔で街に。これもまた充実感。 Rake up fallen leaves being now near my end, having been unable to believe in gods and Buddha |
書き入るる予定なきまま新しき年の手帳をはや携ふる (かきいるる よていなきまま あたらしき としのてちょうを はやたずさうる) 口癖のように言う。半年も先の約束などには確信が持てぬと。そこまで命がないかもと言う。かと言って、予定表にはしかと書き入れる。昔はぎっしり詰まっていた予定表。年を追って余白が増える。それでも手帳を手放せぬ。世とのかかわり。縁の切れる時までは何がしか。 Although having no appointments to be written down in it, already start carrying the pocket notebook for the new year |
ひと世代めぐりこの家にをさなまた百人一首を諳んずる春が (ひとせだい めぐりこのやに おさなまた ひゃくにんいっしゅを そらんずるはるが) 押入れから古いカセットテープ。息子が小学生の頃の百人一首暗唱のテープ。いま同じ暗唱に彼の子が挑んでいる。意味の分からぬ言葉の丸暗記。それでも脳の発達には役立つと専門家が言う。論語でも経典でも子供にはまず丸暗記。あっという間にすっかり忘れてしまうのに。 As another generation goes on in the family, spring comes for the little kid to start reciting one hundred famous poems |
寒椿ひたすら白く暮れのこり路地に今宵のカレー香れり (かんつばき ひたすらしろく くれのこり ろじにこよいの カレーかおれり) 昔のことだ。夕べ近くの路地裏。そこかしこの家の夕餉の匂いが漂う。どこの家にも家族が大勢いた。準備される食事の量も多い。ことにカレーなどは向こう三軒に食欲をそそる香りを漂わす。今や世間は核家族に。レトルトカレーで、あっという間に済ます夕食では匂いなど。 With the wintry japonica glistening white in the afterglow, there's a whiff of curry in the homeward alley |
新年の誓ひ言ひ合ふ若きらに交じるも身にはその思ひなし (しんねんの ちかいいいあう わかきらに まじるもみには そのおもいなし) 例えば日記である。さあ今年からと始める時。心身にエネルギーが満ちている。それが半月ほどで大方が挫折してしまう。続かぬと分かっていても、新年になるとまたまた。始める時のたかぶりが心地よいのだ。老境に入ってようやくだ。あるがままの日々で良かれと思うのは。 Among those youngsters talking about their New Year's resolutions find there's nothing my own in my mind, |
またけふも昔を言ひぬ世の常の老いとなりゐる吾と知りつつ (またきょうも むかしをいいぬ よのつねの おいとなりいる われとしりつつ) 銭湯などでの年寄の話。聞くのが楽しかった。博識で話し上手。昔の自慢話ではない。世相への批判。従軍の経験談。子供には知識の泉のような年寄だ。さて、その年頃になった自分だが。若者たちの反応は。またまた昔の話かとの面持ちだ。あの銭湯のご隠居さんには及ばぬ。 Today, talk of the past again, admitting myself joining those typical old-timers prevailing in the world |
あたたかき冬日あびゐて心根のよき老人になれさうな気に (あたたかき ふゆびあびいて こころねの よきろうじんに なれそうなきに) もはや高望みをすることもない。日々の暮らしにもそれなりに満足している。世間の競争の枠外にいて誰からも後ろ指はさされぬ。何だか本性から毒気が抜かれた気がする。どうやらいわゆる好々爺になりそうだ。それでも年寄り同士が寄れば、噂話には相変わらず花が咲くが。 Sitting abask in the wintry sun, feel myself possible to become one of the good-hearted old people |
半世紀前のおのれを語るとき背筋は伸びる頬は火照りぬ (はんせいき まえのおのれを かたるとき せすじはのびる ほほはほてりぬ) 昔を語ることは快感である。ことに、思い出すたび、物語するたびに、いささかの脚色もされ、語り口もうまくなる。聞いてくれる一座との呼吸も合って気分は高揚する。ただ、同じ連中に同じ昔話は禁物。この話は誰にしたかを覚えておく。この年寄がまたと言われぬように。 Whenever talking about myself half a century ago, sit naturally up with my back straight and my face flushing |
老いわれを現役世代が支ふるとくどくど言へりけふもラジオが (おいわれを げんえきせだいが ささうると くどくどいえり きょうもラジオが) どこの家にも年寄はいた。中風の親を抱える家も。どの家も若い連中の稼ぎで支えられていた。それが当然のことと誰も文句は言わぬ。自助の社会である。恩給で暮らす元教師や役人上がりはごく一部だった。この恩給族に年寄全員が加わった現在。若者の稼ぎはやはり重要だ。 Today again, the radio repeats the fact that we old folk are supported financially by those active juniors |
待たさるる苛立ちありき婦人服売場の奥にあの試着室 (またさるる いらだちありき ふじんふく うりばのおくに あのしちゃくしつ) 今となっては懐かしい思い出。休日を百貨店に連れ立って来たものの、あれこれと品選びに時間をかける連れ合い。せっかく試着までしておきながら買わぬ。こちらは店員が気の毒になる。待つのに我慢がならず、書籍売場などで時間をつぶす。そんなことも懐かしい昔なのだ。 There's still that dressing room in the ladies' department where I was impatiently waiting for her decision |
「寒いねえ」応ふるひとのあらざるに語り合ふごとなほ独りごつ (さむいねえ こたうるひとの あらざるに かたりあうごと なおひとりごつ) 二人いた頃。それほど口にしただろうか。そんな些細な一句一句を。連れ合いに話すごとく口に出している。独り言の効用には脳の整理整頓もあるとか。誰かに同感を求めることで自己の存在を確認する。電車の運転手などのする指差確認喚呼と同様の働きがあるのかも知れぬ。 "It's cold today, isn't it?" Having no one answering me, continue talking as if to hold a conversation with someone |
吹き零るる寸前にガス止めむとて構へて待てり元技術屋が (ふきこぼれる すんぜんにガス とめんとて かまえてまてり もとぎじゅつやが) 男である。ミルクが沸騰するのを今か今かと待ち構えているのが。女房なら無駄に時間は使わぬ。ミルクを温めながらトーストにジャムを塗る。ミルクが吹き零れる寸前にガスを止める。女性はこの「ながら」を見事にこなす。男性が「ながら」をやると必ずへまをしてしまう。 Being a retired engineer, stand at the ready to turn the gas off just before the milk would boil over |
待つひとのなき家の門扉そそくさと人目はばかるさまに押し入る (まつひとの なきいえのもんぴ そそくさと ひとめはばかる さまにおしいる) 普通でないことの後ろめたさ。「ただいま」と家族に帰宅を告げることもない。独り暮らしの家に一人で帰るのである。何となく人の目に触れられたくない気分。人は皆いずれ一人で世を去る。恥じることはない。自分の屋敷だ。こそこそせずに堂々とご帰還あるべきなのでは。 As if to avoid attention, give a push in haste to the door of my house, where nobody awaits my return any longer |
かくばかり春を待ちをりわが部屋のカポックもさに思ひてあらむ (かくばかり はるをまちおり わがへやの カポックもさに おもいてあらむ) 鉢植のカポック。冬の間はベランダから室内に移されて寒さをしのぐ。そこは書斎。辛気臭い主との同居だ。この男、日がな一日ここに篭っている。大した仕事はしていない。下手な俳句などを考えながら顎の鬚をつまんでる。ああ早く外に戻り日光とそよ風を浴びたいものだ。 Being on tiptoe myself with anticipation for spring, guess the potted kapok beside me would have the same idea |
苦情いふは吾にあらざり言ひたきを言ひくれし人いまは世になし (くじょういうは われにあらざり いいたきを いいくれしひと いまはよになし) 腹の内の言いたいこと。口に出す根性がない。口に出してもしどろもどろで要領を得ない。そんな時、わきから叫んでくれる奴。そうだその通りと溜飲が下がる。優勢と見るや、自分も吠え出す。それでも、時には、言わんでもよいことをとこの頼もしい同輩を詰ることもある。 It was not myself to lift up my voice in public, the person who did it in my stead has been no longer in life |
スポーツ紙買はむと駅に来ればいまわが日々乗りし朝の電車が (スポーツし かわむとえきに くればいま わがひびのりし あさのでんしゃが) 何かにつけノスタルジアのようなものが。職を引いて何年も経つ。なのに朝の電車を見て通勤の頃を思う。人は過去を引きずる。その過去の苦しみの部分さえも懐かしむ。特に人生で一番生産性の高かったあの頃。誇らしく思い出す。何とか独創的な余生を送るべきとも考える。 At the moment coming in the station to buy a sport paper, the morning train I used to take just pulls in |
ただひとり学級閉鎖の子を残し靴音たかく母は職場へ (ただひとり がっきゅうへいさの こをのこし くつおとたかく はははしょくばへ) 昔の鍵っ子。遊び相手は沢山いた。学習塾や習い事に時間を取られる子など殆どいなかった。学校から帰れば近所の子供同士が集まる。年長も年少も寄って色々な遊びをする。夕方近くになれば一人去り、二人去りするうちに鍵っ子が残る。母の戻る暗い方角を見つめながらだ。 Leaving her kid alone at home, facing a class closure, the mother heads for her workplace with clip-clop footsteps |
満開の花の下なるわが歩み何ゆゑ死者の顔うかびくる (まんかいの はなのしたなる わがあゆみ なにゆえししゃの かおうかびくる) 坂口安吾の「桜の森の満開の下」のせいだろう。満開の桜並木を歩くと異界を感じる。この世の尋常な景とは思えぬ美しさ。いきおいあの世の者たちが思われるのだろう。空襲の犠牲者を満開の桜の下で焼いた話も。宇宙物理学ではパラレルワールドの存在も議論されているが。 While walking under the cherry blossom at peak, wonder why those departed faces are coming to my mind |
心地よき山手線のシートぬくかりき苦学生われは一回りせし (ここちよき やまてせんのシート ぬくかりき くがくせいわれは ひとまわりせし) 近頃は苦学生とは呼ばれぬらしい。アルバイト学生と聞いても昔の苦学生のイメージは涌かない。バイトという言葉に妙な軽みがある。学資を得るため、家族の生計を助けるために働く。そんな緊張感も深刻さもない。もちろん今でもバイトで得た金で勉学に励む学生はいる筈。 Being a struggling student, did my rounds on the Yamanote loop train enjoying the comfortably heated seat |
身構へて始発電車のドア開くを待ちきぬくとき座席を得むと (みがまえて しはつでんしゃの ドアあくを まちきぬくとき ざせきをえむと) 東京駅の一番二番ホーム。中央線の折返し電車を待つ乗客。三列に整然と並ぶ。到着電車の乗客が降りきる。ドアが一旦閉まる。ホームに待つ連中が身構える。前から十二人までは坐れる。だがぼやぼやしていると、別のドアからの連中に取られる。運動神経の試される一瞬だ。 Waiting for the doors to open, used to hold myself ready to get a comfortably heated seat on the first train |
うす暗き駅舎に立ちてやはり思ふ原発は世に要らざるものと (うすぐらき えきしゃにたちて やはりおもう げんぱつはよに いらざるものと) 原発事故後の節電キャンペーン。街も駅舎も薄暗い。だが不自由は感じない。考えてみれば、いつもの日本の夜が明るすぎるのだ。欧州などを旅するとそう思う。照明は機能的で決して過剰ではない。日本では余分の光が街中に溢れている。落ち着いた雰囲気の夜をこの国にも。 Waiting at the station in poor light, still think it reasonable to stop keeping nuclear power plants here |
五十年後の人口減をたしかめよこの家の孫と松の木に言ふ (ごじゅうねんごの じんこうげんを たしかめよ このやのまごと まつのきにいう) 少子化が進む。五十年後の日本の人口。九千万人に満たぬらしい。六十数年前の総人口のレベルだ。だが、当時に比較して高齢者の比率は高い。人々は今以上に長生きをする。とは言うものの国が豊かでなければ人々も長生きは出来ぬ。生産性の高い賢い人々の集団でなくては。 Tell it to my little grandson and the pine tree in the garden that they should confirm a depopulated society fifty years later |
満ち足りし日々とも無為を重ねゐる日々とも熱き番茶また飲む (みちたりし ひびともむいを かさねいる ひびともあつき ばんちゃまたのむ) 日々のくらし。これといった不自由はない。体力にいささかの衰えはある。働かなくても食うには困らぬ。時には悦に入りながら若い連中に昔語りも聞かす。いっぱしの知識人ぶりを振舞う。不満はない。不満はないが生産的な日々とは思えぬ。下手な歌や俳句が溜まるのみだ。 Drink another cup of hot tea wondering whether my present life is affluent or accumulating unproductive days |
突然の風雨に傘のつぶされて天に恨みをいだく他なし (とつぜんの ふううにかさの つぶされて てんにうらみを いだくほかなし) 夕立が過ぎるまで待てばよかった。避難する建物もない橋の上。突風に傘を壊される。大いに腹が立つ。思い起こすのが「天災」という落語。天の仕打ちを恨むより自らの判断の拙さを責める。また辛くも災禍を逃れ得た時などはその幸運を感謝するのは天ではなくご先祖様だ。 With my umbrella now heavily destroyed by the sudden storm, cannot but have a grudge against Heaven |
早朝の電話のベルにはや思ふゆかりの誰かまた逝きしかと (そうちょうの でんわのベルに はやおもう ゆかりのたれか またゆきしかと) 深夜早朝の不意の電話。どきっとする。この齢にまでなると、また身内の誰かの訃報かと緊張する。そして案の定いつもそうなのである。一方、今では地球規模で家族や身内が散らばっている。またSNSなどで四六時中つながっている連中も。時間帯のマナーはどうなるのか。 The telephone starts tinging early in the morning; already think of another death among my relatives |
あいつまだ生きてゐたのか死の報に呟くわれををさな見上ぐる (あいつまだいきていたのか しのほうに つぶやくわれを おさなみあぐる) 何となく没交渉となった男。その消息をふとしたことで知る。つい最近まで生きていたとか。次々と身の周りの知己が消えてゆく中。しぶとく生きて活躍している奴がいる。幼い子供から見れば遠い先のこと。五十歩百歩の差と思うだろう。長生きをしても優越感は覚えないが。 Our little kid gazes at me murmuring with a letter in my hand "I didn't know that guy had been still living" |
わだかまりかく消えたればもはや世に敵を持たざるつまらなき身に (わだかまり かくきえたれば もはやよに てきをもたざる つまらなきみに) 嫌な奴、気に食わぬ奴。身の周りに必ずいた。それが世にかかわらなくなった今。そんな連中との接触もなくなった。ストレスのない至極平穏な日々を送ることに。だが何だかつまらぬ。丁々発止、世間と渡り合っていた頃も懐かしい。脳のためにも少々の刺激は必要なのでは。 As the incompatibility fades away finally, I'll have no enemy at all in this world and live a meaningless life |
百九歳にして盲腸手術を受けし嫗わが地に住めり心強かり (ひゃくきゅうさいにして もうちょうしゅじゅつを うけしひと わがちにすめり こころづよかり) 個人差はあろうが頼もしい先例だ。超高齢となっても復元力があるらしい。すでに高齢を自覚している身にもまだ三十年先の話。悪い話ではない。しかもこの近くの人の例だ。口では、もう充分に生きたなどと言いながら能天気なものだ。人間とは意外と楽観的なのかも知れぬ。 The story, a 109-year-old woman had her appendix out, inspires me particularly because she lives near here reportedly |
集ひゐるは部下もちしものら自己主張なほぎらぎらとぶつかり合へり (つどいいるは ぶかもちしものら じこしゅちょう なおぎらぎらと ぶつかりあえり) どうしても物言いが上から目線になる。現役時代にグループの責任者だった奴ら。意見をまとめたがる。提案や指示をしたがる。相も変わらずリーダーシップを取ることが自分の役割などとしゃしゃり出る。案の定、一座にあっては歓迎されぬ。哀れな御仁にさえ見えてしまう。 Old folks gathering here, all had their subordinates in the past are still assertive and crossing swords with each other |
斎場に近きこの駅とぶらひの身形の人らけふも集へり (さいじょうに ちかきこのえき とぶらいの みなりのひとら きょうもつどえり) 今は昔の話なのかも。社員の家族に不幸があれば、その上司や同僚などが葬儀に参列する。更には仕事上の取引先までが。大層な人数が集まる。当人以外の家族親族や近隣の人は面食らう。そして当人が立派な会社の社員なのだと納得する。故人と交渉のなかった連中ばかりだ。 As the public funeral hall is near this station, today also, people in a mourning dress get together here |
人の死のその歳を聞きなほ若く逝きたる妻のまづは思はる (ひとのしの そのとしをきき なおわかく ゆきたるつまの まずはおもわる) テレビラジオが人の死のニュースを流すとき。必ずその者の年齢が言われる。それが八十歳以上ならば、まあまあと納得するが、長寿社会の今では六十代と知れば、まだ若いのにと感想を漏らす。人の寿命はそれぞれなのだろうが。百歳老人が珍しくない世が近づいているのだ。 Learning the age a woman just died at, feel still sorry for my wife having done at an earlier age |
身に近きイベントとなりけふもまた葬の知らせはただ聞き流す (みにちかき イベントとなり きょうもまた そうのしらせは ただききながす) 誰でもそんな気になるのか。人の葬式に出るのが億劫になった。現役時代にはあれこれの付き合いで毎年かなりの数の葬式に参列したものだ。多くがいわゆる浮世の義理というやつだ。浮世を離れた今。余程のことでないと出る気にならぬ。自らのときもこっそりと旅立ちたい。 As it becomes no more a third-party event, intentionally ignore the invitation to a memorial service |
斎場も墓地も完備と色刷りのちらしに有料老人ホーム (さいじょうも ぼちもかんびと いろずりの ちらしにゆうりょう ろうじんホーム) 広告は時流を反映する。一時は盛んに消費者金融のCMが。その後、それらに支払った過払い金利の還付を斡旋する弁護士事務所の広告が。高齢化社会となった今。有料老人ホーム、斎場、墓地の勧誘しきり。リバースモーゲージなどという自宅担保型年金まで宣伝されている。 A pay nursing home is here on the colored flyer saying its owning a funeral hall and associated graveyards |
隣り家の花見のうたげこの年は赤子の声の交じれるを聞く (となりやの はなみのうたげ このとしは あかごのこえの まじれるをきく) 都市近郊の住宅地。瀟洒な住宅が並ぶ。だが、それらの家々が子に継がれ孫に継がれて存続することは稀だ。その地に田畑を持つとか商いをしていない限り、子孫は別の土地に移る。華やかな活気に溢れていた新興住宅街が半世紀の後には子供らの影の見えない町並みにと変る。 A cherry-viewing party goes on next door as usual, the wails of a newborn baby catches my ear this year |
一斉に事務服の娘ら席を立ち茶房にわれも居座りがたし (いっせいに じむふくのこら せきをたち さぼうにわれも いすわりがたし) 街中はサラリーマンらの昼どき。食堂も喫茶店も一斉に混み合う。この時分どきに一般人は面食らう。あっという間に街中が満たされ、一時ごろには潮が引くように消え去る。今は有閑人となった身だ。久しぶりの市中に来て、働く者たちのランチタイムに遭遇する感慨である。 As those girls in an office wear are getting up and walking away all at once, feel like being frozen out in the teahouse |
スクワツト続けゐる身にそんなにも生きたいのかと亡き妻の声 (スクワット つづけいるみに そんなにも いきたいのかと なきつまのこえ) 国民の平均寿命は八十数歳。だが健康寿命は十歳ほど下回る。寝たきりや介護介助を受けている年寄りがかなり多い。年寄りはみなPPK(ピンピンコロリ)で死にたいと願う。死ぬこと自体に恐怖はない。向こうには沢山の知り合いがいる。人に厄介をかけて生きるのは辛い。 While doing squats regularly, hear the voice of my deceased wife "Why do you want to live further?" |
ととのはぬ視野の真中にふと出でし自転車に身を交はす一瞬 (ととのわぬ しやのまなかに ふといでし じてんしゃにみを かわすいっしゅん) 瞬発力はまだある。衝突の危機を回避して思う。年齢とともに衰える身体のキレ。まだいけると知るといささか安堵する。でも若い頃とは違う。ぼんやり行動をしていては危ない。身体のセンサーが鈍くなっているし、脳の反応も衰えている。行動には神経の集中が欠かせない。 As a bike suddenly appeared in the center of my incomplete field of view, there was only one moment to make a dodge |
どこやらの雨に濡れしか回覧板さびしき老いの死を告ぐるもの (どこやらの あめにぬれしか かいらんばん さびしきおいの しをつぐるもの) ひっそりと死んでゆく時代に。昔は町内の葬式には隣近所が総出゛で手助けをした。悲しみで途方にくれる家族の傍らでてきぱきと事を進めてくれる。今では二週間も前の葬儀を知らせる回覧板が。往年の隣組の面影の消えた町内会。人の死はもはやプライバシーとなったのか。 The bulletin just arrived looks to have bot wet somewhere with rain, and it tells the death of an old lonely neighbor |
三台のパソコンけふは傍らに俄分限のさまにたかぶる (さんだいの パソコンきょうは かたわらに にわかぶげんの さまにたかぶる) 贅沢といってもささやかなもの。それでもその気分は百万長者のそれと変らぬ筈。次の月給日までを何とかしのぐ日々を送っていた昔。今では糊口を絶たれる心肺などのない余生にある。長者ではないが長者と同様の満足感は持つ。赤貧の昔から「終り良ければ」の昨今となる。 Today, three PC machines are running in my den, exciting me to triumph like one of vulgar riches |
若きらと言葉を交はす土曜日のサークル目指すはつ夏の道 (わかきらと ことばをかわす どようびの サークルめざす はつなつのみち) 年寄りは年寄り同士。麻雀やゲートボールなどを楽しむ連中。大方の町内にはいわゆる老人クラブがある。いまだ参加したことがない。だが、どうしても気の合った常連たちの集まりとなるようだ。同窓会や会社のOB会もそうだ。世間には群れることに疲れた者も多くいる筈。 In the early summer street, head for a regular Saturday meeting where only an opportunity exists for me to talk with the youth |
花舗あらば花に目をやり玻璃あらば己を覗く愛すべき連れ (かほあらば はなにめをやり はりあらば おのれをのぞく あいすべきつれ) 女性は鏡が好きだ。道を歩いていても、己の姿を映すものがあれば、鏡に出会えば勿論、ガラス戸だろうと、水溜りだろうと、立ち止まって覗く。近頃では男でも、手鏡を携帯している奴も。他人にどう見られるかを気にする故だ。己の姿を見て心の平安を得るものもいるとか。 Each time passing by a flower shop, she is trapped, and by a paned window, she looks into herself, my lovable partner! |
五十メートルプールを泳ぎきつていま人生もう一度なんて御免だ (ごじゅうメートル プールをおよぎ きっていま じんせいもういちど なんてごめんだ) 振り返るのは楽しい。だがもう一度そこに踏み入りたいとは思わぬ。昔の苦労の自慢話はする。その苦労を繰り返す気はない。老いの実感だろう。人生の疲労感とも言えよう。病気を何とか生き抜けと言われても、面倒臭いなどと口走る。死への恐怖心などは消えてしまったか。 Having hardly swam across the 50-meter pool, don't feel like trying to live my life again from the beginning |
ひとり鬚を抜きゐるわれを折々に見やるも妻は物言はざりき (ひとりひげを ぬきいるわれを おりおりに みやるもつまは ものいわざりき) 考え事をしている風情とも。しきりに顎に手をやる。肉をつまんで鬚を抜く。抜いた鬚を光線に透かして確かめる。落語や昔の小説にある情景だ。当人はこれでいささかのストレスを解除しているのだろう。だが他人のそれは見苦しい。一座がこぞってそれを始めることはない。 Glancing, from time to time, at me trifling alone with my chin whiskers, my wife doesn't say anything at all |
身に近き悩みの稀となりたるや悩む気力のわれに失せしや (みにちかき なやみのまれと なりたるや なやむきりょくの われにうせしや) 若さゆえの悩みだ。そんなことを平然と言う年寄りになったのだ。今から見れば些細なこと。だが、人生の一大事と一睡も出来ずに悩んだあの頃。今では悩みの種が稀有となったのか。悩む気力体力を失ったのか。周囲にあるのは他人の見るべき夢ばかり。何か侘しい気分だな。 Around me, there are fewer problems today to worry about, or my motivation to tackle them might have already left me |
贈りくれし浅黄の部屋着けふもまとひ梅雨の晴れ間の縁先に立つ (おくりくれし あさぎのへやぎ きょうもまとい つゆのはれまの えんさきにたつ) 貰った衣類の中に長く使い続けるものがある。妙に身に馴染んでしまう。別に色がよいとか、デザインがよいというでもない。それでもそれを着ると何となく落ち着くのだ。着衣に余計な気を取られることがない。永年連れ添った夫婦か相性のよい友人のようなものかも知れぬ。 Wearing again the light yellow brunch coat, a birthday gift, stay in my garden during a lull in the rain |
番号を調べ電話をかけ得るや馬鹿げた問ひの「はい」を囲みぬ (ばんごうを しらべでんわを かけうるや ばかげたといの はいをかこみぬ) 高齢者への健康調査。自分で切符を買って電車に乗れますか。番号を調べて電話をかけられますか。馬鹿にするなと言いたくなる質問が並ぶ。だが考える。こんなことも出来なくなるときが自分にも来るのか。どうやら着実に来るという。でも世には百歳でもしっかりした奴が。 Circle {YES} to the silly question "Can you make a call by finding out the callee's telephone number yourself?" |
毎食の後にわが飲むヨーグルト瑞西時代のならひいまだに (まいしょくの のちにわがのむ ヨーグルト スイスじだいの ならいいまだに) 欧州までの機内の夜明け。オレンジジュースが配られてくる。西洋の朝食のルーチンの始まりと知る。半世紀も前のこと。それ以来、果汁ジュースでスタート、ヨーグルトで締める朝食を続けている。西洋かぶれかも知れぬがともかく身についた。旅館の和朝食も悪くはないが。 The habit still stays with me to have a cup of yogurt after each meal, that became a custom during my service in Switzerland |
なほ残す寿命あらむにエアコンは省エネ型にいまし替へらる (なおのこす じゅみょうあらむに エアコンは しょうエネがたに いましかえらる) すぐに自分の余命を考えてしまう。特にこれから何十年も使える物を買う時には。あと五年も生きられれば。そう思う自分に。今さら大枚をはたくのはと惜しむのだ。持ってる金なら使えばよい。金は向こうへ持っては行けぬ。それなのに、いわゆるコスパを考えてしまうのダ。 Although it still leaves its product life, the air-conditioner is making way for an energy-saving model |
残る視力のこす聴力もちよりて「源氏」を読めりみな生き生きと (のこるしりょく のこすちょうりょく もちよりて げんじをよめり みないきいきと) 年を取っても知識欲は衰えない。カルチャーセンターなどで古典を読むサークル活動が盛んだ。読了まで集いに参加できれば達成感も心地よい。この年になると古典に触れることで妙な安堵感を覚える。学生時代にあれほど毛嫌いした古文なのに。何故か郷愁を感じるのである。 Bringing their poor visions and deteriorated hearings to a book club, older folks read Tale of Genji all livelily |
太陽系いづれ亡ぶと聞けばわが名を世に残すこともむなしき (たいようけい いずれほろぶと きけばわが なをよにのこす こともむなしき) 世に名を知られる。ごく一握りの人物だろう。世に名を残すことは名誉であり快感でもある。紫式部やソクラテスのように人類の文明が続く限り残る名がある。数千年のその文明も宇宙時間では束の間のものの筈だ。しかし「どうせ宇宙は消滅へ」は負け惜しみの台詞のようだ。 As it's said the solar system collapses sooner or later, it's foolish to try leaving my name in the land of the living |
をさならの一家をあげて海へゆく愛想なき犬とわれを残して (おさならの いっかをあげて うみへゆく あいそなきいぬと われをのこして) とうとうそんな年寄に。いつも子や孫たちと連れ立っての外出だったが。そこから食み出してしまった。「お呼びでない」のだ。泊りがけで家族旅行に出かける連中のペットを預かることになる。当面は少々の役にも立つようだが。やがては施設とやらへ。コースは見えている。 My grandchildren have just gone sea-bathing en famille, leaving this unfriendly dog and myself an old boy |
なほ残る未知の粒子を科学者が寄つて集つていま追ひつめる (なおのこる みちのりゅうしを かがくしゃが よってつどって いまおいつめる) ヒッグス粒子。物質が質量を得る仕組みを説明できる粒子。それがついに発見された。半世紀以上も前に素粒子物理のゼミに参加していた。数式ばかりの暗中模索の学びだった。卒業はした。それから数々の素粒子の発見と理論の構築が。今となっては手の届かぬ領域となった。 As there's one elementary particle still uncovered, scientists are ganging up to run it to ground |
秋立てばわれにも行事つらなれりことに今年は妻の回忌が (あきたてば われにもぎょうじ つらなれり ことにことしは つまのかいきが) 一族の長老ともなれば先祖の供養は関心事。それが人生に残された己の役割とばかり主導権をとる。節目の年忌には世間並みの供養もしてやらねば死んだ者たちに申し訳ない。生前の親たちに言われた訳ではないが。こんな厄介なことをとも思う。年寄には他に仕事はないのだ。 As autumn comes, there are some personal events lined up for me, particularly, the memorial service for my wife |
鉄橋を渡る電車の夕茜つかの間ながらはや秋の音 (てっきょうを わたるでんしゃの ゆうあかね つかのまながら はやあきのおと) 青春、朱夏、白秋、玄冬と四季にはそれぞれ色が配されている。では音にある季節感とは。「風の音にぞおどろかれぬる」の藤原敏行が秋を詠んでいる。鉄橋を渡る電車の音。爽やかになった空気を経て届く音。皮膚が感じ始める涼しさもあって、秋の感傷にひたらす音となる。 Reflecting the sky at sunset, a train passes over the bridge making the sound of autumn for a while |
脳みそを絞るためにと冷房に倚り懸かりゐる日々の過ぎゆく (のうみそを しぼるためにと れいぼうに よりかかりいる ひびのすぎゆく)の 脳味噌は暑さが苦手。室温十八度ぐらいでよく働くと言われる。昔の文士や物書きは、酷暑の夏には、軽井沢などの避暑地で仕事をした。そんな贅沢の言えぬ連中にも昨今のエアコンは有難い。軽井沢並みの涼しさの中で仕事が出来る。もっとも仕事の出来栄えは別のことだが。 With the excuse to tax my brain, depend on the air-conditioner day after day in the study |
驟雨去れば秋の夕暮れ街中の蛍光塗装みな際立ちぬ (しゅううされば あきのゆうぐれ まちじゅうの けいこうとそう みなきわだちぬ) 夕立が過ぎると秋の日暮れは早い。薄暗くなる街。やけに目立つものが。道路に書かれた「止まれ」の文字や分離帯の白線。店々の看板。手に下げているレジ袋までが光りだす。みな夜光顔料を含んで仕上げられている。夜の闇が訪れるまで。暫くは蓄えた昼の光を放つらしい。 After a violent shower, all objects painted fluorescent in the town start glowing in the autumn evening |
秋立つと言ふに掃除機ひき回し若きがごとき汗を噴きをり (あきたつと いうにそうじき ひきまわし わかきがごとき あせをふきをり) 久しぶりのことだ。こんなにも汗をかくのは。そしてこんなにも水を飲むのも。何だか若返ったような爽快な気分だ。年を取ると中々あの噴き出すような汗をかかなくなる。激しい労働や運動をしなくなったのだ。汗をかいた後の水。山歩きで飲んだ渓流の水のうまかったこと。 Though autumn has started, sweat heavily vacuuming rooms one after another, like a sporting young boy |
雲の峰たけく湧きをり年寄りと呼ばれ久しきわれの行方に (くものみね たけくわきをり としよりと よばれひさしき われのゆくえに) 前方に入道雲を見る。少しゆくうちに見る見る高さを増してゆく。雲の頂は陽を受けて白く輝く。さらに盛り上がる。いかにもエネルギーに充ちた姿だ。エベレストを超える高さまで成長する入道雲。それに向かって歩みを進める。大自然からその生命力を吸収するかのように。 The soldierly towering thunderhead checks me in my course, who's been called an old man for years |
また一首あらたな古歌を暗唱すまなく焼かるるわが脳つかひ (またいっしゅ あらたなこかを あんしょうす まなくやかるる わがのうつかい) 余命わずかな身にも活発に働く脳が。歌詞を見ることなくカラオケが唄えれば。記憶力がまともであることに満足する。空で唄える歌の数が多くなれば。どこまで覚えられるものかと挑戦したくなる。そして考える。覚えた沢山の歌詞が詰まった脳を焼くのは勿体ないことだと。 Memorize another famous old poem today still using my active brain that would be cremated in due course |
レタス洗ふ俄かの水の冷たさに遠き菩提寺ふと浮かび出づ (レタスあらう にわかのみずの つめたさに とおきぼだいじ ふとうかびいづ) 夏をまたぐ数か月。流し場での水仕事。蛇口からの水は手に心地よい。それが俄かに冷たさを感じさせる。季節が移るときの実感。そのうちにその冷たさに我慢が出来なくなる。温水器を使い始める。贅沢なものだ。ひびやあかぎれの手で水仕事をしていた昔の母親たちを思う。 Washing lettuce feeling sudden coldness of water in autumn, the appearance of our distant family temple comes to mind |
いく夏をアクセントなく過ごし来しかくも激しくちちろ鳴く夕 (いくなつを アクセントなく すごしこし かくもはげしく ちちろなくゆう) 当然のこと。現業を離れた身だ。世間の浮沈の影響もそれほど受けぬ。かと言って、余生を楽しむべく、世界一周の旅に出るでもなく。敢えて日々の暮らしにめりはりをつけたいとも思わぬ。億劫なのである。大したショックもなければ喜悦もない。たんたんと日々を送るべし。 How many times summer has passed without joys? Now, crickets are singing so violently this evening |
ほらあそこリレーの孫の指さるるに見分け得ずして目は秋空へ (ほらあそこ リレーの孫の ささるるに みわけえずして めはあきぞらへ) 見に来てと言われやってきた運動会。駆けっこや遊戯を見ても。孫がどれかが見分けられぬ。小学一年生。どの子も同じ大きさ。同じ体操服と帽子では。見に来たのに見てやれぬままに終ってしまう。親でも見分ける苦労があるらしい。靴下などに目印をつけたりするという。。 "Just there!" Though told, my attempts to recognize my grandson running in a relay team fails leaving the autumnal sky above |
ひと仕事終へしかふらり死神が病棟詰所の辺りあゆめり (ひとしごと おえしかふらり しにがみが びょうとうつめしょの あたりあゆめり) 退院する患者。看護師たちがにこやかに見送る。病棟の各階にある沢山の病室。その中には。今日も息を引き取る患者が。人生で幾たびか体験する。死後の処置を受けて遺体となった身内。地下の霊安室へ。手配された寝台車で自宅に。もはや知り尽くしたわが身の明日なのだ。 Seemingly getting a job done, Death is walking around near the nurse station now without any definite purpose |
をさならの歩みに合はせ日曜の遠出の朝の駅を目指せり (おさならの あゆみにあわせ にちようの とおでのあさの えきをめざせり) 人と歩調を合わすのが苦手。そんな奴に出くわすことがある。こういう奴は一緒に歩く時だけではない。会食に際しても意見の交換においてもマイペースなのだ。マイペースだけなら結構。ややもすると他人にそのペースを強要する。気を遣って世を生きている身には羨ましい。 Keeping step with our kids, head for the station in the early Sunday morning to begin an extended trip |
新幹線しづかにしかと駅を出づ菩提寺へ向かふ一家六人 (しんかんせん しずかにしかと えきをいづ ぼだいじへむかう いっかろくにん) 「墓じまい」をしたと友人が言う。考えさせられる。節目の回忌など。一家そろって新幹線に。もはや一家にとって遠隔地となった菩提寺だ。常日頃の命日などの墓参りには行けぬ。家の仏壇に花を供え線香を焚くのみ。墓などは要らぬ、骨は海にでも蒔いてくれろとも言えぬ。 The bullet train pulls out firmly and quietly taking up six of us heading for the distant family temple |
サンドイツチ手に朝刊に目を通す出張族のあの頃のごと (サンドイッチ てにちょうかんに めをとおす しゅっちょうぞくの あのころのごと) 早朝の新幹線での出張。小さなサンドイッチ包みと朝刊を駅の売店で買う。時刻通りに列車が来て窓際の指定席に。見馴れた車窓の風景が速度を増して過ぎる。朝食と朝刊。至福のひとときだ。今朝は菩提寺へと向かう新幹線の旅。現役時代のルーチンを敢えて追体験してみる。 Starting on my sandwich, read a newspaper on board just like in those days being a busy business traveler |
(ほんどうをみたすどきょうに みをしずめ たまゆらのわが いのちみつむる) 本堂に経文の朗唱が響き渡る。何年ぶりかの菩提寺での先祖の法要。同席の幼い孫たちも神妙に聞いている。経文の意味内容は分からぬが心はやすらぐ。何が諭されているのか言葉を追う必要もない。教会の牧師の説教の如く一々合点することもない。只々平穏な時間が過ぎる。 Soaking in the air of the main hall filled with reading of the sutra, think of my life being short and small |
をさならはディズニーランドに行くと言ふ蜻蛉返りの吾に手を振り (おさならは ディズニーランドに ゆくという とんぼがえりの われにてをふり) 絶叫マシン。もはや年寄りには無縁である。菩提寺での辛気くさい法事から解放された孫たち。この旅の彼らの本来の目的地へ。年寄りの方には、とにもかくにも、一家そろって先祖の供養を果たした達成感。それだけで充分だ。この上は、早く帰ってゆっくりしたいものだと。 Saying they would enjoy Disneyland from now on, our kids give a parting wave to me making a quick trip home |
妻ありし頃よりのわが役目なり門扉の洗浄を今年も果たす (つまありし ころよりのわが やくめなり もんぴのせんじょうを ことしもはたす) 新年を迎える頃。普段は家の掃除などしない亭主がガラス拭き。通りがかる近所の人が「精が出ますね」などと声をかける。どこの家でも見られる風景だった。最近はいわゆる大掃除をする家が少ない。町に土埃が減ったのかガラスなども汚れぬ。近所の目も気にしなくなった。 It's been my role to clean the gate of our house since my wife was alive, and that has been just made for this year |
幾千の虫の声々その姿ひとつとて見ず冬に入りたり (いくせんの むしのこえごえ そのすがた ひとつとてみず ふゆにいりたり) 虫の音を雑音と聞く人たち。意味を持たぬホワイトノイズと聞くのだ。虫の音に秋を思う我々。その文化の中で育った故だろう。虫の音も初秋と晩秋では周波数もピッチも変る。冬に近づけばかぼそく淋しげに鳴く。虫の音に心を寄せることの出来る我々。素晴らしいことかも。 Though thousands of insects were singing, winter already comes without having found any one showing itself |
小春日の縁にならぶは饒舌の知つたかぶりを覚えしをさな (こはるびの えんにならぶは じょうぜつの しったかぶりを おぼえしおさな) 幼い子には日々知恵がついてゆく。それを見ると微笑ましくなる。増えてゆく語彙。聞きかじった大人の言い回しを試して反応を伺う。愛らしいしぐさだ。やがて語彙も表現力も備わって生意気な年頃に。微笑ましいと見ている方の脳味噌からは、語彙も表現力も失われてゆく。 On the sunny and balmy verandah, sit together with a chatty kid who's just acquired the habit of cracking wise |
週ごとの浴槽掃除独り居のかくも汚れのなきぞむなしき (しゅうごとの よくそうそうじ ひとりいの かくもよごれの なきぞむなしき) 浴槽やトイレなどの清掃。家族の多い頃は毎日の仕事だった。独り居のいま。一週間ごとの掃除となる。それでも浴槽には殆ど汚れがついてない。新陳代謝のかなり低下した老いの身になった。汗もかかねば垢も出ぬ。汚れが出なければ世間に迷惑はかからぬ。結構なことでは。 My abortive weekly routine to clean the bathtub; not much dirt to be washed off, being used only by me alone |
いかにして読み上げらるやもはや世にかかはり薄きわれの一票 (いかにして よみあげらるや もはやよに かかわりうすき われのいっぴょう) 選挙には行く。それも投票日に行く。家庭を持ってからは棄権はしたことがない。世の平均でも年寄りの投票率は高いようだ。わが一票で世間が動くわけではない。それでも、その晩の選挙速報で、自分の応援するものの優勢を見れば嬉しい。世に関わっているとの実感を得る。 Can't imagine how my own vote is counted, although I have no connection in depth with the society any longer |
父もまた内気なりしか鬼やらふ大声は子に叫ばせをりき (ちちもまた うちきなりしか おにやらう おおごえはこに さけばせおりき) 「鬼は外、福は内」威勢よく叫ぶ。玄関を開け、窓を開けて。長屋のあちこちで賑やかに始る。尻込みをして声を出さぬ親父。幼い子供たちが声を張り上げる。その子たちも大きくなる。恥ずかしがって叫ばなくなる。近所の父親たちは酒の勢いなのか。相変わらず威勢がよい。 Being shy, having my father's character, let our kids do the job, the shouts of the bean-throwing |
無作為に呼び出されをりわが夢に世に亡き友もあす会ふ友も (むさくいに よびだされをり わがゆめに よになきともも あすあうともも) 「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ」と詠んだのは小野小町。そううまくはゆかぬようだ。夢に登場する人物は気まぐれで、当てずっぽうだ。何十年も前に死んだ親父と、昨日サークルで議論した奴とが同席している。まさに時空を超えて支離滅裂。今夜も奇抜な夢を見たいものである。 It seems they are called in my dream at random, some are those friends already passed away and some others are to meet me tomorrow |
明日のこと考へ始む凍てつきし心に熱き粥を送りて (あすのこと かんがえはじむ いてつきし こころにあつき かゆをおくりて) 明日に迫る嫌なイベント。考えると憂鬱になる。そんな時は明後日を思う。過去の経験から大方は「案ずるより産むが易し」の感想を得る。達成感による爽快な気分を得ることも。だからすべからく気楽にともいかぬ。難題は次々と起こる。そしてその都度やはり憂鬱な時間が。 Start thinking of things about tomorrow, now pouring the hot rice porridge into my frozen heart |
漏水のこもるを聞かむ音聴棒いまし当てらる寒の蛇口に (ろうすいの こもるをきかむ おんちょうぼう いましあてらる かんのじゃぐちに) 何十秒おきかにポタッと水滴の音。水道メーター検針の人に「漏水してますよ」と言われる。そう言えばと例のポタッの辺りを調べる。洗面台の下の扉を開ける。温水器の配管。亀裂が。これで水道料がいつもの倍に。まさに大河も一滴から。月に十二トンもの水を無駄にした。 Trying to listen to the sound of water leak, he places the hydrostat over the faucet of the coldest day in winter |
水漏れはたしかにここと男いま音聴棒をわが耳に当つ (みずもれは たしかにここと おとこいま おんちょうぼうを わがみみにあつ) 漏水箇所の発見。中々手間のかかる作業。家中の水道の栓を止める。次々と蛇口に音聴棒を当てて、水の流れる音を聞き取る。怪しげな箇所を特定する。目に見える場所なら結構。壁の内側、床下、コンクリートの下ともなれば。大層な工事となる。それでも一件落着は嬉しい。 "Here must be the water leak in your house," the man says and puts the leak detector to my ear |
給湯器かく改まり朝々の洗顔がわが楽しみとなる (きゅうとうき かくあらたまり あさあさの せんがんがわが たのしみとなる) 朝の洗顔。湯を使うようになって幾十年。昔は当然の如く冷たい水だった。冬などには、湯たんぽの冷めた湯を兄弟で争った。瞬間湯沸し器や給湯器。もう馴染んで半世紀以上になる。故障して知る有難さ。今では冬の水仕事で、皸あかぎれ霜焼けに悩まされるものなどどこに。 As the water heater has been renewed in my house, it's now one of my pleasant routines to make morning ablutions |
朝食を終へてわが脱ぐニツト帽ねぐせの髪のととのふ頃に (ちょうしょくを おえてわがぬぐ ニットぼう ねぐせのかみの ととのうころに) 出勤前の身づくろい。ドライヤーで寝ぐせのついた髪をせわしなく整える。毎日が日曜の身となった今。朝の嗽手水の後にはニット帽を被る。朝飯をゆっくりとる。そして帽子を脱ぐ。髪の毛の寝ぐせもとれている。別に寝ぐせのままでも、一向かまわぬ時間を過ごす日々だが。 Finishing my breakfast every morning, take off my knitted cap as my towhead becomes normal about that time |
やるせなし投票用紙にみとせ前えらびし名前ふたたび記す (やるせなし とうひょうようしに みとせまえ えらびしなまえ ふたたびしるす) 生涯にいくたび投票所に足を運ぶことか。府知事や市長に府会議員市会議員、それに衆院議員に参院議員。それぞれが次から次へと選挙される。参政権を与えられているのは結構。だが、こうしばしばでは。スイスなどでは更に頻繁に投票させられるとか。いや投票するらしい。 It's disconsolate that I have to write the same name again on the ballot paper as I did four years ago |
今はむかし政権交代のたかぶりも語り種なりこのクリスマス (いまはむかし せいけんこうたいの たかぶりも かたりぐさなり このクリスマス) ようやくお手本の米英なみに。日本にも二大政党制が定着するかも。小選挙区制度が導入されて初の政権交代の実現。いささかのたかぶりに世間はあった。それが敢えなく挫折。しかもこの挫折した連中の四分五裂。もはや二大政党の一翼とはなり得ぬものに。うたかたの夢に。 In this Christmas season, it's already become one of the oft-told tales there were a change of regime and its excitement |
ママの漕ぐ自転車のをさな「もう春ね」おしやまな声をこぼしてゆきぬ (ママのこぐ じてんしゃのおさな もうはるね おしゃまなこえを こぼしてゆきぬ) 野山の草木も動物たちも春の訪れを感じている。幼い子供の心も春の訪れを感じている。そしてそれを表現する言葉も得た。それは母親の口真似のようだが、その意味する感動を合点する。大人になっても「もう春ね」を言うとき、それがどこか借り物の言葉に思えることさへ。 FA toddler on the bike pedaled by its mama drops a word, "It's already spring, isn't it," like a little madam |
鉄橋を渡る新型車両いま川面に春の音をひびかす (てっきょうを わたるしんがた しゃりょういま かわもにはるの おとをひびかす) 何につけても春を聞く。生理的現象かも。三寒四温の繰り返しに疑いのない春の訪れを感じる。たとえ寒の戻りに震える今日でも春の来る確信が身体に宿る。散歩をしながらもヨハン・シュトラウスの「春の声」をハミングしてしまう。鉄橋をゆく新型車量の新しい響きも格別。 A new-model train is just passing through the iron bridge giving its echoing sound to the spring river |
待ちくるるものもはやなきこの家の朝の施錠をなほ確かむる (まちくるる ものもはやなき このいえの あさのせじょうを なおたしかむる) 家を守る主婦がいた。朝の出勤前に家の戸締まりをして出ることもない。独り居の身となった今。そうはいかない。物騒な世の中。しっかりと錠をかけて家を出る。時には気になって確かめにまた戻ったりする。帰宅時もせつない。真っ暗な無人の我家。鍵穴にキーを挿す音が。 Confirm once again the gate has been locked this morning, where nobody waits any longer for my homecoming |
改札機ひつたくるごとわがカード働く人らの側へ押し出す (かいさつき ひったくるごと わがカード はたらくひとの がわへおしだす) 駅の改札。昔の駅員は上から目線。物臭な態度で切符に鋏を入れる。胡散臭げに定期券と客の顔を見比べる。それがやがて「おはようございます」と挨拶をするようになる。自動改札機になり、駅員がいなくなる。そのうち顔認証改札になるという。都会に無人駅の出現である。 The automated entranceway takes or snatches my ticket, and pushes it out to the world of the working people |
よみがへる勤めゐしころの朝々の満員電車のかかるしづけさ (よみがえる つとめいしころの あさあさの まんいんでんしゃの かかるしずけさ) 久しぶりに乗る朝の満員電車。誰も口をきかぬ車内の静けさは以前と同じ。高層ビルの職場に向かう満員のエレベーターでも人々の沈黙は続く。職務に着いた人々の口が滑らかになるまでには小一時間はかかる。ランチタイムには会話も弾む。夜の飲み会で饒舌さはピークへと。 The quietness in a fully packed commuter train reminds me of myself in those days still active in the society |
例外なく吾より若き人々が追ひ越しゆきぬけふの職場へ (れいがいなく われよりわかき ひとびとが おいこしゆきぬ きょうのしょくばへ) 朝の駅までの道。歩く人はみな早足だ。この地に越してきた若い頃。駅まで十分足らずの猛スピードで歩いていた。それが定年する頃には十五分の歩みに。サークルに通う現在は二十分の余裕をみて駅に向かう。残り時間の少ない余生なのに。時間を無駄に使うのは残念なこと。 Here, people, being unexceptionally younger than me, get ahead of me all heading for their own workplaces |
半世紀を住みて飽かざりチヨコレート色の電車の通るこの町 (はんせいきを すみてあかざり チョコレート いろのでんしゃの とおるこのまち) 昔の鉄道車両の塗装色。殆どが黒褐色だった。ぶどう色と呼ばれた。蒸気機関車の煤煙に常に曝される鉄道車両だ。汚れ目の目立たぬように塗装された。一九六〇年台後半。SLの廃止とともに国鉄や私鉄の郊外電車などに明るい塗装色が登場。今に続く昔の色がここにはまだ。 Having lived for half a century, never tired of living in the town where trains of chocolate brown are running |
「ギブミーチョコ」と呼びて我ら米兵にすがりし頃のふるさとの景 (ギブミーチョコ とよびてわれら べいへいに すがりしころの ふるさとのけい ) 小学五年だった。町では占領軍の兵士らを頻繁に見かけることに。最初は恐ろしい奴らと思った。だが、すぐに悪さをしない連中と知る。近くを通過する進駐軍専用列車に声をかける子供たち。窓からチョコレートやチューインガムが投げられる。どれもが別世界の味であった。 The scene back home still comes back begging American soldiers for a handout, saying "Give me chocolate!" |
盆を手に茶房の少女の通るとき紅茶が香りココアがかをる (ぼんをてにさぼうのしょうじょの とおるとき こうちゃがかおり ココアがかおる) 近頃は喫茶店にゆかぬ。そこは待ち合わせをする場所か会食の後に仲間と立ち寄るところ。一人で居座る場所ではない。昔、スイス滞在時代に、朝のテラス喫茶に一人で新聞を読む退職老人をよく見かけた。余裕のある景とも見えた。自分にはどうもそんな気は起きないようだ。 When the young female server passes by carrying a tray in the teahouse, smell tea steaming, and smell cocoa on some occasion |
「ちなみに」がここ暫くの口癖にその少年の新学期いま (ちなみにが ここしばらくの くちぐせに そのしょうねんの しんがっきいま) 子供のことだ。ごく一過性だろう。そんな大人の言い回しを使う口癖も。大人の使う口癖。こちらはその人間の専売特許。口癖に気を取られて話の内容を聞いてないことさへある。微笑ましく感じることも。政治家たちが頻繁に「しっかりと」を使う。この口癖にはうんざりだ。 Having "for your information" as his pet phrase these days, the grade-schooler now starts the new semester |
操車場あとに生まれし新しき街にあまねし五月の日差し (そうしゃじょう あとにうまれし あたらしき まちにあまねし ごがつのひざし) 貨物列車の操車場。朝夕の通勤時にその横を通った。広大な場内には坂埠もあった。行く先別に仕分けられ坂を下る貨車。それに取り付いて旗を振る作業員。その操車場が廃止されて跡地は高層住宅街に。その窓から見下ろすのは。早朝五分おきに通過するコンテナ貨物列車だ。 Now May sunlight covers far and wide the newly developed town after the marshaling yard having been demolished |
株高と円安を世は囃しをりここ山村に牛も鳴きゐて (かぶだかと えんやすをよは はやしをり ここさんそんに うしもなきいて) 生涯に何度か株式に手を出した。しかし良い思いをしたことはない。バブル崩壊の直前に買ったものは塩漬けのまま。三十年も経つ。知人の間でも株でもうけて家を建てたなどの話も聞かぬ。もっとも株式投資で本当に成功している奴は自慢はしない。世の中とはそんなものだ。 People are giving a cheer for the soaring share prices and depreciating yen, and even cows moo in this village |
廉売をなほ競ひゐる店頭のテレビが映す首相演説 (れんばいを なおきそいいる てんとうの テレビがうつす しゅしょうえんぜつ) デフレ脱却を政府は唱える。確かにデフレは経済の活性化にはつながらぬ。だが庶民にとっては物が安く買えることはよい。テレビが月給数か月分だった昔。月給も上がったが、テレビの値段は大いに下がった。しかも性能と品質は誠に良い。世間が不景気とも見えぬ昨今だが。 Those TV sets on sale at a cut-price store being still active are all showing the Prime Minister's address |
人間が知恵を授けしロボツトの交じる職場のラジオ体操 (にんげんが ちえをさずけし ロボットの まじるしょくばの ラジオたいそう) 人工知能は飛躍的に進歩。人間の与えた仕組みで動くのだが。膨大なメモリーと演算速度で人間の出来ぬ仕事をする。人知を超える働きをするかに見える。恩恵に浴する我々だが。ぼんやりしているとブラックボックスになりかねぬ。つまり人間の支配から遠い存在になるかも。 Given a human ingenuity, those humanoids are now mixed with their colleagues for the morning exercise |
新任の教師つばきを見やりつつ日報に記すか体罰なしと (しんにんの きょうしつばきを みやりつつ にっぽうにきすか たいばつなしと) 親に激しく折檻された記憶。大方の人にはある筈。教室でも体罰を食らうことも。そんなのは日常茶飯事の昔だったが。そしてそんな経験から。自分の子供たちには決してと思っていた。それでも怒りに任せてつい。子にも自分にも嫌な記憶を作ってしまう。子育てとは難しい。 Glancing often at the camellia, the newly-appointed teacher may fill in "No corporal punishment today" on the daily report |
ファンたりし父送らむと子はいまし「六甲颪」を弾けりしづかに (ファンたりし ちちおくらむと こはいまし ろっこうおろしを ひけりしずかに) プロ野球の贔屓チーム。腐れ縁である。期待のかかるシーズンの出足。今年も駄目かは夏に入る頃。かと言って強いチームに鞍替えも出来ぬ。さして盛り上がらぬ残りのシーズンが過ぎる。何年ぶりにか命を得たごとく強くなる時が。そんな年は忙しい。贔屓の歌も頻繁に歌う。 The Rokkooroshi is played with solemnity by the daughter at the funeral to see off her dad having been in the scoreline |
としよりの歩みとなりぬ階段と見ればおのづと手摺に寄れる (としよりの あゆみとなりぬ かいだんと みればおのずと てすりによれる) 用心深くなる。駅の階段で躓き恥ずかしい思いを。それ以後は何年も転んでいない。代りに電車の時間を気にして急くこともない。歩行速度も遅くなった。転んで怪我でもしなければそれでよい。負傷して寝たきりにでもなれば。動作はますます緩慢に。恐る恐る生きる日々に。 It's now really the manner that an old man walks, immediately look for the rail on coming across a staircase |
自治会費を集める役に十数年めぐることなき路地ふかく入る (じちかいひを あつめるやくに じゅうすうねん めぐることなき ろじふかくいる) 勤め人の頃はもちろん、定年後も近隣や町内との関わりは妻が。その妻を亡くした。思わぬ町内の仕事をする破目に。町会費を集めるために見知らぬ家を訪問。自己紹介をして頭を下げる。まるで行商人の気分。会社の看板を背負っての接客とは違う。正体不明のおっちゃんだ。 Having a turn collecting the neighborhood association fee, walk deep into the blocks for the first time in many years |
娶らざる長子を憂ふかへるでに若葉の出づる庭に立ちゐて (めとらざる ちょうしをうれう かえるでに わかばのいずる にわにたちいて) もはや珍しくはない。男性の四人に一人が生涯未婚者なのだ。世間体を気にすることもない。それでも子沢山の家族の景などには勢いを感じる。ほほえましく思う。さみしく思う。生活苦、嫁姑問題、介護などのしがらみに苦しむことはない。お一人様の人生も貴重な経験かも。 Stand under the new-leaved maple in the garden, worrying about my eldest son who has no intention to marry |
伴侶なき生涯を子の好むらし沈丁の香のただよふ夕べ (はんりょなき しょうがいをこの このむらし じんちょうのかの ただようゆうべ) 望ましいことだ。子や孫たちが幸せであることは。別に世間的な幸せの景でなくても。彼らの生誕以来、親は彼らの幸せを願い続けて来た。ともすると世間に自慢できる幸せを得ることを。自らの来し方を超えて欲しいとの心持。幾世代にも渡り先祖たちが思い続けて来たこと。 My son seems to live a life without a partner, while the fragrance of the daphne fills the garden this evening |
鍵つ子のけふの幸せちちははと海にむかひて西瓜食みをり (かぎっこの きょうのしあわせ ちちははと うみにむかいて すいかはみをり) 学校から戻っても家に誰もいない。そんな子供も昔は淋しくなかった。町内に遊び相手が沢山いた。その遊び相手の殆どが塾や習い事でいなくなる。今や夫婦共稼ぎの家庭は多い。鍵っ子と呼ばれる子らには塾などに通わぬものも。学童保育の仕組みが充実しつつあるようだが。 Eating a slice of water melon on the seashore, the latchkey kid has a high time today together with its mama and papa |
原発は良き核なりと言ふ人ありヒロシマを見し子らに向かひて (げんぱつは よきかくなりと いうひとあり ヒロシマをみし こらにむかいて) 世を長く生きていると分かる。じわりじわりと変ってゆく世の中の風潮が。威勢のよいことを言う奴が増えてくる。同調する連中も目について多くなる。敗戦を知るものは少なくなる。その声もかすれてゆく。学校でも反戦教育が愛国教育へ。抗い難い世の潮流をただ嘆くのみ。 Those grade-schoolers having just visited HIROSHIMA are now told that a nuclear power plant is good, not evil |
半世紀のちの修学旅行にはフクシマを訪ふ子らありぬべし (はんせいき のちのしゅうがく りょこうには ふくしまをとう こらありぬべし) メルトダウンした燃料デブリ。東日本大震災で炉心溶融に至った福島原発。数万年も強烈な放射線を出し続けるデブリ。それがやがて撤去される。数十年後には原発事故のモニュメントとなるこの現場。フクシマとヒロシマは良き核と悪しき核の見本と言われ生徒たちが訪れる。 Schoolers in 50 years will surely visit FUKUSHIMA as one of the memorial spots for their pre-graduation excursion |
この家の電話はもはや人の死を告ぐる時のみベルを鳴らせり (このいえの でんわはもはや ひとのしを つぐるときのみ ベルをならせり) 非常ベルかと。耳を劈く呼び出し音。そんな時代物の黒電話。それがこの家では現役だ。現役だが滅多にベルを鳴らさぬ。生命保険、墓地や格安家族葬の勧誘電話も今では一段落。何日間も全く音を立てぬことさえ。そのアンティークな静物となった黒電話が突然に鳴り出せば。 The telephone in this house starts ringing only when it needs to tell me about someone's death |
その父の逝きしこのとし娘は母にひときは紅き花を贈れり (そのちちの ゆきしこのとし こはははに ひときわあかき はなをおくれり) 「母の日」に贈るカーネーションの花。連れ合いを失った母親へ。どうかすると軽視されがちの「父の日」だったが、その父を失った。母は寂しい。子も寂しい。その寂しさにいつにも増して寄り添う家族。母の健康と幸せを願う。ひときわ真っ赤なカーネーションが微笑する。 Losing her father recently, she sends floral tributes for Mother's Day, red flowers above all this year |
もはやその目付きの読めぬほどに盲ひ声音にさぐるその優しさを (もはやその めつきのよめぬ ほどにしい こわねにさぐる そのやさしさを) 一人では生きられぬ。世にあれば周囲の人との関わりは避けられぬ。意思の疎通の良し悪し。それが問題。自ずと相性の良し悪しも。目付き、顔つき、声音や身の素振り。それらが瞬時に互いの心を打つ。身体中のセンサーが周囲を油断無く探る。味方の中にあれば安心なのだ。 My sight being lost to the extent her eyes couldn't be looked into, gentleness is probed now in the tone of her voice |
カラスよけネットを運ぶ月当番やもめを生きていつか七年 (からすよけ ネットをはこぶ つきとうばん やもめをいきて いつかしちねん) 朝のごみ出し。ごみ置場の清掃当番。主婦の仕事との固定観念が。お父さんは仕事へ。お母さんは家を守る。その景はもう過去のもの。女性も仕事へ。男も家事や子育てを。そんな時勢になった。今月は清掃当番。もはや昔のように人目は気にならぬ。てきぱきと済ますことだ。 Already seven years living a widower's life, now in the monthly role of bringing a crow net to the garbage spot |
地下街に古きおもかげ残りゐておのづと決まるランチの場所も (ちかがいに ふるきおもかげ のこりいて おのずときまる ランチのばしょも) 賑やかな地下商店街。現役時代の昼休みに、夜の会食などに歩き回った辺り。久しく訪れなかったが。昔の面影がそのままに。カバン屋。宝石店。ケーキ屋。食堂街に入れば、馴染みの蕎麦屋もカレー店もまだある。丁度昼どき。現在の勤め人らと共にランチの場所を物色する。 As the underground town still looks like what used to be, decide naturally where to eat lunch |
父の日といふしづけさを過ごしをり隣家のをさなはもの言ひ初むる (ちちのひと いうしずけさを すごしをり りんかのおさなは ものいいそむる) 赤ん坊がものを言い始める。親にとって至福のとき。新生児が目覚しい速さで人としての機能を獲得する。まずは「ばばぶぶ」から。舌や口腔の発育で「おんも」になり「おそと」へと。文章になり、語彙も増す。やがて駄々も捏ねる。小理屈も言う。世間並みの悪口雑言も。 With a certain tranquility in my mind on Father's Day, hear the young baby next door just start talking |
わが去りし町に孫子ら住み古りておのづからなる派閥つくれり (わがさりし まちにまごこら すみふりて おのずからなる はばつつくれり) 住むものらの世代も進んだ。年寄りたちの顔も次第に見えなくなる。子らの世代に入れば彼等なりの近隣付き合いが。更に進んで、全く近所付合いをしない連中も増えてくる。町内会にも入らぬ。それで一向不自由を感じないのだ。近くの商店街も通販や量販店につぶされた。。 My second-generation family has lived long enough in the town, where I left, and has naturally formed a group |
父さんはどないしますと住み捨てし町の旧知の通夜を知らさる (とうさんは どないしますと すみすてし まちのきゅうちの つやをしらさる) その地を離れて数年になる。なおそこに住む娘から近所の通夜の知らせが。「よろしく頼むよ」と不参列を伝える。当事者から弔事の案内を貰うことも滅多になくなった。人伝に知って出向くこともない。行く先がはっきり見える年頃になった今。少々先を行く者に別れは不要。 "Dad, what would you do" asked with information on the memorial for an old neighbor died in the town I'd lived many years |
わが棺置かれむ処はこの辺り梅雨ながき夜をひとり端座す (わがひつぎ おかれむところは このあたり つゆながきよを ひとりたんざす) 「家で死にたい」「畳の上で死にたい」は大方の人の望むところ。だが今や八割以上が病院か施設のベッドで息を引き取る。多くは家に立ち寄ることもなく、斎場へ更に火葬場へ。骨壷と遺影となってようやく家に戻る。死んだ当人にとっては。もうどうでもよいことなのかも。 Thinking of the spot my coffin will be placed in the room, sit square this evening in the long-lasting rain |
町内のイベントたりし弔辞いまや十日遅れの回覧板に (ちょうないの イベントたりし ちょうじいまや とうかおくれの かいらんばんに) 火事と葬式は例外だったとか。昔、集落で仲間はずれにされた家でも、この時には近隣が手助けをした。今では業者が至れり尽くせりの世話をしてくれる葬儀。父が亡くなった五十年前には町会の差配で事が進んだ。お互い様の近隣付合い。うっとうしいこともあるにはあった。 Funeral is no more a public event here, the condolence appears only on the community paper ten days later |
騒がるることなく逝ける気楽さを思へばよろしき時代なりけり (さわがるる ことなくゆける きらくさを おもえばよろしき じだいなりけり) 死とは当人にとって恥ずかしいことのようだ。だから葬式などは大仰にして欲しくない。いつの間にか世間から消えていた。当人にとってそれが一番。現今のコロナ禍が弔いの行事を簡便にしてくれている。どうやら世の中に定着しそうだ。ともかく大袈裟なことは御免である。 Good days are rolling now for easiness that we can die quietly and secretly without being regretted in public |
エベレストに挑む八十路の人のあり千首暗唱を吾も目指さむ (エベレストに いどむやそじの ひとのあり せんしゅあんしょうを われもめざさむ) 八十歳代になれば個人差は大きい。フルマラソンを走破するものもいれば、車椅子の世話になるものも。物忘れの酷くなるものもいれば、台詞をきちんと覚える舞台俳優もいる。運転免許更新の認知症試験を市販の問題集の丸暗記でこなす奴も。丸暗記が出来るならそれでよい。 The story an old man conquered Mt. Everest encourages me to achieve my daily recitation of one thousand poems |
声そろへ兵になるとふをさならに先生はただ合点しゐき (こえそろえ へいになるとう おさならに せんせいはただ がってんしいき) 国民学校一年生だった。真珠湾攻撃で始った太平洋戦争の年だ。「大きくなったら何になるの」としばしば尋ねられる。「兵隊さんに」と胸を張って答える。それが親や先生たちを喜ばす返答と思っていた。マンガも映画も教科書も。目指すべき勇ましい兵隊さんを描いていた。 With one voice, those kids in the class said they would become a soldier, and the teacher gave a nod mutely |
口々にケーキ屋さんになりたいと七十年後のをさならは言ふ (くちぐちに ケーキやさんに なりたいと しちじゅうねんごの おさならはいう) 「お国のために」などと誰も言わぬ。子供たちは自らの未来を勝手に描く。家が医者だから医者に。魚屋だから魚屋に。それも強要されない。それでも中学高校大学を済ませば身の振り方は自分で決めねばならぬ。自由なようで自由でない世間へ。兵隊さんよりは増しな筈だが。 Now seventy years later, those grade-schoolers chant in unison they would be a patisserie in future |
気骨ある素振りを見せる評論家いくさしたくばお前らがせよ (きこつある そぶりをみせる ひょうろんか いくさしたくば おまえらがせよ) もはや戦争を知らぬ連中だ。国の誇りを言う政治家。賢しげに戦いの倫理を説く評論家。人々も勢いのよい言葉に喝采を送る。不戦や厭戦を言えば左翼と蔑まれる。昔を知るものには。通った道である。戦争を知るものは世を去った。もはや君たちの国。好きにするが良かろう。 Those critics pretending to have backbone! If you wish us to enter into a war, you do it yourself this time |
賞与月とふたかぶりも見せぬままもはや中年の子が出勤す (しょうよづき とうたかぶりも みせぬまま もはやちゅうねんの こがしゅっきんす) 半世紀余も以前。賞与月の世間は賑わった。賞与を貰う当人には中身が気になる。勤務成績で札束の厚みがいささか異なる。評価が低ければ機嫌も悪い。それでも赤提灯の一杯には付き合う。愚痴を言えば不満も消える。さて今度の賞与で買う物は。巷はボーナス商戦の只中だ。 Seemingly, not excited by his bonus to be paid soon, my son, approaching middle life, sets off for work as usual |
子も母も目を凝らしゐき頼もしき父の取り出す賞与袋に (こもははも めをこらしいき たのもしき ちちのとりだす しょうよぶくろに) 「ご苦労様でした」と父親から給与袋を受け取る母親の様子。子供らは月ごとにそれを見ていた。家族のおまんまも衣服もそれで賄える。頼もしい父親。その合点する景色が家から消える。一九七〇年代のこと。給与は銀行振込になる。家の大黒柱の影が急速に薄くなってゆく。 Kids and the mother are staring hard at the bonus envelope the dependable father has just taken out of his pocket |
週末のシャッター通り若きらが若き声あげ露店つらぬる (しゅうまつの シャッターどおり わかきらが わかきこえあげ ろてんつらぬる) 毎朝毎晩そこを通る。駅へと続く商店街。八百屋も魚屋も乾物屋もある。衣料品店がある。蕎麦屋がある。寿司屋も。本屋も電気店も並ぶ。賑やかな活気のある道。それが今はシャッター通り。人々の買物は郊外の大型店や自宅近くのスーパーで。ここ半世紀ほどの推移なのだ。 On the street with shops all shuttered miserably , there are weekend stalls opened by youngsters and youthful soliciting calls |
夕風の涼しさを待つ盆明けの屋内にのこる供養の香り (ゆうかぜの すずしさをまつ ぼんあけの やないにのこる くようのかおり) お盆の間に欠かさず焚かれた線香。明けて暫くは部屋に残る香り。家の行事はきちんとこなしている。いささかの達成感を覚えている。この分なら向こうへ行っても引け目はなかろう。子や孫が見様見真似で続けてくれればと思うが。時代が進めばすたれてしまう風習もあろう。 Wait for the cool evening breeze in the room having finished the bon memorial, still filled with an incense-rich air |
政権の右傾化がいま言はるるも紳士らは日傘さして歩めり (せいけんの うけいかがいま いわるるも しんしらはひがさ さしてあゆめり) いくさのない時代が続く。幾世代も続く。中には周囲の国が怪しからんと息巻くものもいるが。ともかく平和は良い。平和なれば男も日傘をさす。男性用化粧品も盛んに売れる。男の日傘はまだ少数派。軽くて使いやすいものが出回っている。年寄りの散歩には欠かせぬものに。 While it's said the government tilts rightward, there are gentlemen in this land walking today putting up a parasol |
女子会とふものの流れか真夜ちかき電車にあまたをのこを圧す (じょしかいとう もののながれか まよちかき でんしゃにあまた おのこをあっす) 女子力とは女性が持つ底力。ここ一番で発揮される。男女共学になって、中学などでテストの成績上位者。女子が多かった。成績が良くても誇らしげではない。恥ずかしそうにしている。男子を押しのけて申し訳なさそうにしていた。社会進出の叶った昨今。頼もしい限りでは。 Those women apparently having enjoyed a girls' night out now overwhelm a smaller number of men on the midnight train |
二時間の日課の歩み噴き出づる汗つつがなき命なりけり (にじかんの にっかのあゆみ ふきいずる あせつつがなき いのちなりけり) 炎暑のもとの散歩。汗が出る。こんなに年を取っても不思議と汗が出る。かなりの量の汗。どっこい生きているわい。汗をかける健康に満足する。家に戻り冷蔵庫の冷たい水をたっぷりと飲む。若い頃には苦痛だった汗。年寄りの散歩の汗に感激している。人生とは面白いもの。 During my daily two-hour walk, being sweating like a horse, really feel this guy is surely living |
八か月先の約束かはすとき余命いくばく延びし心地す (はちかげつ さきのやくそく かわすとき よみょういくばく のびしここちす) 必ずそう思う。自分はその時まだ生きているのか。一週間先、一ヶ月先の約束ならともかく。一年も先の約束となると。現に周囲では同年輩の知己が次々と世を去っている。ふと思う。昔、戦地に赴いた若者たち。反故にされた多くの約束。それに比べれば何と太平楽なことだ。 Making an appointment to meet in eight months, feel somehow like taking fresh lease of life a little |
祈り浅きわれにしてなほその時は労りたまふ声の聞きたし (いのりあさき われにしてなお そのときは いたわりたまう こえのききたし) 教会での葬儀に参列することがある。仏式のそれとは異なり中々の雰囲気である。賛美歌が唄われる。故人の望んだ賛美歌も。余所者の気分での参加だったが。祈りの言葉や賛美歌の歌詞に、いつの間にか、心を動かされている。無信心な自分には羨ましい別世界を見る気分だ。 One who didn't offer a sincere prayer still wishes to hear Voice of Heaven at the time rewarding him for his services |
十分に生きしと言へるが十四年後のリニアを待つ思ひあり (じゅうぶんに いきしといえるが じゅうよねん のちのリニアを まつおもいあり) 根っからの鉄道ファンだ。世の中に新しい路線や車両が出現すると聞けば楽しみである。三年か四年先の話ならともかく。十数年も未来のこととなると。リニア新幹線の東京名古屋間の開業時には九十二歳。その辺りまでは生きたいものだ。乗車体験可能な体力もなければだが。 Knowing to have lived enough longer, still look forward to the mag-lev train starting to run in fourteen years |
夢にあれば普段の如く妻がゐて普段のごとくものを食ふ吾 (ゆめにあれば ふだんのごとく つまがいて ふだんのごとく ものをくうわれ) 夢を見ること。楽しいことだ。様々な場面に登場する自分だが大方は今より若い。よく見るのが社員食堂へ急ぐ場面。それにトイレを探す場面。この年齢になると登場人物の多くが鬼籍に入った連中だ。卒業のための単位取得でいまだに職場から大学へ。笑ってしまう妙な話も。 There's often my wife as usual in a dream at night, and also myself having a meal there as usual |
名月の夕べ供ふるものもなく連なる人もなき縁に立つ (めいげつの ゆうべそなうる ものもなく つらなるひとも なきえんにたつ) 芋名月。栗名月。豆名月。子がいて、孫がいて、もちろん妻がいて。賑やかに縁先で待つ満月。ずいぶん以前のことのようにも思える。家族や仲間がいてこその名月であり盆であり正月だ。「いいお月様ね」心に蘇る人々の声を聞きながら。異界に住む気分で縁先に立っている。 Nothing to offer to the harvest moon, nobody sitting beside me to enjoy the full moon at the veranda |
二〇〇九年から五年に及ぶ三百余首を掲載した。大方は「新アララギ」に投稿して選ばれた作品である。この間、世間では野党民主党による政権交代があった。しかし未曾有の大災害である東日本大震災や、それに伴う原発事故に見舞われ、四年足らずで国民の支持を失った。 この三百余首を週に一首ずつ読み直し、それぞれに百二十五文字のコメントをつけ、数年かけて並べたものだ。
すでに八十六歳になった。目標としていた古歌名歌千五百首の暗唱はすでに達成している。ところが、この記憶を維持するための暗唱の方がおろそかになっている。体力の低下で、暗唱のための一日二時間の散歩が出来なくなった。
創作意欲の方はまだある。しかし徐々に実績を生まなくなっている。「新アララギ」も六年前に退会した。
人生とはこんなものかと思う。とくに不満はない。 二〇二二年一月二十三日 ・ ・ ・ ・ 長沢英治 ![]() |