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更新: May 15, 2011
平成十八年(二〇〇六年)の秋、家内が突然のがんに罹り、あっけなく先立ってしまった。四十年近く連れ添った伴侶である。何をするにも詮無い思いの寂しい日々を送ることになってしまった。細君に先立たれた男など、世に珍しくもなかろうが、その身になってみれば、まさに「隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし」の心持である。 そして二年が経った。この間に詠みつづけた歌には、失った伴侶への思慕の念を込めたものがさすがに多い。よろよろと、よろめきながらの男やもめの日々。何を見るにつけ聞くにつけ、妻とのあれこれに結びつけて思うのである。いつまでもこんなことではとも考えるが、これも人生の通り道。己が心持は素直に表現しながら過ごして行こうと思う。かかる残余の人生に、なお、わが心を魅了するものの新たに出づるや。 |
目覚むれど妻の居ぬ部屋あさあさを蹌踉としてわれ歩み出づ (めざむれど つまのいぬへや あさあさを そうろうとして われあゆみいづ) 非日常を日常のことと思えるようになるまで、どのくらい月日が要るのだろう。何十年もの間、横に寝ていたもの。突然に消えてしまった。目覚めて暫くは、自分が独り残されたことを認識できない。現実に気づきがっくりとくる。そんな朝の目覚めがつづく。 Totteringly come out of the bedroom, as every morning awaking there to have a gut feeling that my wife has already gone |
黄落の道に入り来ぬ世にあまた生きゐる人と擦れ違ひつつ (こうらくの みちにいりきぬ よにあまた いきいるひとと すれちがいつつ) 大切な者を失った時の衝撃と虚脱状態。だが、この一大事に世間も地球も自然も全くの無反応。当人にはそれが不思議でならぬ。魚屋はいつもの如く威勢よく客を引き、靴屋は例の無愛想な顔で腕組みをしている。道を行く死者の目に世の中はどう見えるのだろう。 Brushing against each other with many people still alive here and now, enter the road lined with ginkgo trees and carpeted with their fallen leaves |
吾のごと妻を失ひし男きてとくに励ますこともなく去る (われのごと つまをうしないし おとこきて とくにはげます こともなくさる) 場の沈黙を恐れるもの。気にせぬ者。さまざまだ。中には、TVキャスターのように、絶え間なく、話題を提供すべく、気を配るやからもいる。無理矢理、場を盛り上げようとしてくれている。それで助かることもあるが、無言でもさして居心地の悪くない時もある。 A man, who had lost his wife like myself, paid a call on me and left without any particular message jacking me u |
蒲団カバー破れしままに迎へをりやもめとなりて二度目の春を (ふとんカバー やぶれしままに むかえをり やもめとなりて にどめのはるを) 「○○さん、そっちの端をしっかり持って…」と、母親や女房に言われて、蒲団繕いなどの手伝いをさせられた。昔の女たちは、蒲団に限らず、よく繕い物をした。今では靴下の破れも、取れた釦もそのまま。捨てて新しいのを買う方が安くて手間もかからぬ。 With the torn cover of my futon, still unrepaired, the second spring has now come to me as a widower |
みな小さき犬ともなひて住み古りし団地の道をゆく高齢者 (みなちさき いぬともないて すみふりし だんちのみちを ゆくこうれいしゃ) かって、若者たちの憧れの住処だった団地。住み続けて四十年、今やその多くが、高齢者の暮らす場所だ。子供たちはみな独立し家庭を持った。それぞれの活動の拠点に家も建てた。高度成長と都市集中の時代を生き抜いてきて、いささかの自慢話を語り合う場となった。 The elderly are having a stroll along the walkway of the housing complex where they've lived for many years, all with a small dog at their heels |
涙もろく朗らかなりし妻逝きて韓国ドラマをひとりわが見る (なみだもろく ほがらかなりし つまゆきて かんこくドラマを ひとりわがみる) 「またヨンさまを見てんのか・・・」評判の韓国ドラマに夢中の女房をよく茶化したものだ。実際、テレビ画面にひとり集中している姿を横から見ていると、そんな茶々も入れたくなる。それが今では、彼女の好きだった番組を代わりに見てやっているつもりになって・・・。 Watch a Korean teledrama alone while my wife, being easily moved to tears and also cheerful, is no more beside me |
少しづつ独りを生くるたつきにも馴染みてけふはコンビニに入る (すこしずつ ひとりをいくる たつきにも なじみてきょうは コンビニにいる) 生涯を独身で通した友人がいた。夕食は多く行きつけの食堂。その日の定食とビール一本。愛想の悪い店主だが、慣れれば居心地も良い。そんな町の食堂が消えた。今の男やもめはコンビニ弁当を電子レンジでチン。食事をしながらテレビも見る。大した不自由はない。 As gradually getting used to a widower's lifestyle, today, drop in at the convenience store for a box lunch |
みづからも妻を癌にて死なせしと言ふ保険屋に親しみ覚ゆ (みずからも つまをがんにて しなせしと いうほけんやに したしみおぼゆ) 「…保険屋が遠き死を売りにくる」と詠んだのは塚本邦雄。たしかに生命保険とは、己が死を月賦で買うようなもの。保険屋の方も相手を見る。丈夫そうで長生きしそうな奴が上客なのだ。幾たびも訪ねられれば、会話も深まるし情も湧く。いつしか自分の死を買うことに。 Have a friendly feeling for the insurance solicitor in the doorway who says he himself had also to see his wife dying of cancer |
縁先にふふめる椿われけふも規則正しく生きむと思ふ (えんさきに ふふめるつばき われきょうも きそくただしく いきんとおもう) 際限なく昼夜を繰り返す日々の連なり。これを日曜から土曜までの七曜に刻むのが人間社会。更に朝の九時から夕方五時は仕事や勉学の時間。職を終え、自由の身となっても、このリズムが心地よい。火曜日、金曜日はごみの日。そして今日は掃除機をかける日である。 The camellia is putting out buds in the garden, think, today too, I'll live a life keeping my regular hours |
病む妻の最後の四季のうつろひに癒ゆる兆しを見しこともあり (やむつまの さいごのしきの うつろいに いゆるきざしを みしこともあり) 「考えてみれば、彼と会ったのは、あれが最後…」はよく聞く言葉。中々、これが一生の最後などと自覚して、人と面会したり、物事に当たることはない。死刑囚さえ、その朝、宣告されるまでは、まだまだと時を送るそうだ。人の持つ生への楽観。一期一会など、とても。 During the last four seasons passing for my sick wife, she once showed some signs that she'd been recovering |
奇跡なぞ起きることなく医師の言ひし余命を妻は燃やしきりたり (きせきなぞ おきることなく いしのいいし よめいをつまは もやしきりたり) 「第四ステージ、生存率一割」などと告知されれば、誰しもがその一割の希望にすがる。そして必ず身近にそんな奇跡の実例を話してくれるものがいる。それを聞けば、気分がずいぶん明るくなる。珍しいとされる一割の話が、自分にも過たず起きる気がするから妙である。 Angels couldn't dance on pinheads, my wife burned out her life that had been numbered by the doctor |
おとづれし男やもめのたつきいま鯖の煮付けを無造作に買ふ (おとずれし おとこやもめの たつきいま さばのにつけを むぞうさにかう) 戦中戦後の食糧難。あの時代には口に入るものは何でも美味かった。好き嫌いを言うものはいない。秋刀魚などは勿論、鯵でも鮭でも骨まで食べた。お蔭で歯は丈夫、顋の張った顔にもなった。グルメや食通が話題となる今でも、夕食の目的は腹を満たすことのみである。 Here's now my widower's lifestyle starting, buy the cooked mackerel without much attention in a supermarket |
職引きてよりの十年しづかなる朝餉を妻ととる幸ありき (しょくひきて よりのじゅうねん しずかなる あさげをつまと とるさちありき) 会食は人間のするもの。大方の動物は個食である。自分の餌を奪われまいと、警戒しながらの食事だ。「どうです、お近づきに食事でも」は人間社会での挨拶。互いの警戒心を解き、親しみ合うための儀式とも。人生、数多くの会食を重ねてきた。それが今や孤食の身に。 Have enjoyed taking peaceful breakfast together with my wife for ten years since my retirement |
病みをりし妻が勧めし野菜多き食事を独りとなりて食みゐる (やみおりし つまがすすめし やさいおおき しょくじをひとりと なりてはみいる) 野菜は苦手だった。食糧難の昔、道端の雑草まで食べさせられた。そして揚げ物は何でも旨かった。機械油のような粗悪な油で揚げたものでも旨かった。それが今では、山盛りの生野菜の皿を前に安堵感さえ。高級料亭の天麩羅でも二つほど食べれば飽きがくる始末である。 Being now a widower, I'm eating as much vegetables as possible since this was recommended repeatedly by my sick wife |
ゆるゆると済ましし朝餉の始末終へ独りのひと日をけふも始むる (ゆるゆると すまししあさげの しまつおえ ひとりのひとひ きょうもはじむる) 隣家の老犬が日溜まりに寝そべっている。時折、薄目を開ける。何か高邁な思索に耽っているようにも見える。朝夕二度の食事と家人との散歩。見知らぬ者が家に近づけば律儀に吠えもする。そんな日々を普通に繰り返している。この生き方に不満もなさそうである。 Taking enough time for my breakfast and doing the dishes, will start the widower's daily routine for today |
妻の分までも生きよと植木屋が松の手入れの高みより言ふ (つまのぶん までもいきよと うえきやが まつのていれの たかみよりいう) 落語にそんな噺がある。金に目が眩んで、自分の余命を他人の短い余命と取り替えてしまうという「死神」だ。金策に行き詰まった父親が家族のためにと、保険金をよすがに自死する例も。残される者たちがそれぞれの人生を幸せに生きて欲しいと願うのは誰しものことだ。 "Live the remaining live of your deceased wife," says the tree doctor working on a height to pollard the tall pine |
独り身となりて甲斐なき庭に立てば建仁寺垣も朽ちすすみゐる (ひとりみと なりてかいなき にわにたてば けんにんじがきも くちすすみいる) 盛者必衰の理。物事には必ず終焉が来る。寂しさを託つ身には慰めの言葉だ。そう見れば、築地塀の破れも、朽ちかけた竹垣にも親しみが湧く。だが、この諦観らしきものも、庭で無邪気に遊ぶ孫たちを見てのこと。消えるものあれば補うものあり。この安堵感あればこそだ。 As my wife left me alone, stand purposelessly in our garden and see the bamboo fence starting to fall into decay |
独り身のわが暮らしにもリズムあり落葉を掃かむ明日はごみの日 (ひとりみの わがくらしにも リズムあり おちばをはかん あすはごみのひ) 夏の落葉は哀れさを誘う。冬のそれは納得の落葉だ。残す枯れ木にも未練はない。世間から生気の消える冬。達成感さえある筈。それが、常磐木落葉は追い立てられて落ちるのである。芽吹き始めた若葉が、そこは邪魔、どけと言う。若者たちから邪険に世を追われる図だ。 A widower has still the daily routine, will rake up fallen leaves in the garden as tomorrow is the garbage collection day |
妻逝けば詮なき身なりこの春の花を見むとて人ら騒げど (つまゆけば せんなきみなり このはるの はなをみんとて ひとらさわげど) 「ほら、あれ、見て、見て」は連れに注意を促す言葉。どこの国に行ってみても、幼い子がまずこれを多用するのに気付く。人というものは驚きや感動を自分一人では消化しきれないらしい。他人の共感や賛意を得てやっと満足する。連れとは欠かせぬものなのだ。 Having nothing meaningful to live without my wife, just overhear people are talking about where to go on a cherry viewing picnic |
夕されば三合の米をわれは磨ぐ妻の手捌きなほ偲びつつ (ゆうされば さんごうのこめを われはとぐ つまのてさばき なおしのびつつ) 人の立ち居振舞いには個性がある。たてる音にも特徴が出る。靴音にも、玄関の開け方にも、新聞の開き方にも、その人ならではの音が伴う。米を磨ぐ音、味噌を擂る音、物を刻む音。この厨に馴染んでいた日々の音。その台所に、今は男所帯の不器用な手捌きの音が響く。 Along toward evening, I wash 2kg of rice, still recollecting the master touch of my deceased wife |
草餅をひとつづつ手に妻と並ぶ花の下なるひとときありき (くさもちを ひとつずつてに つまとならぶ はなのしたなる ひとときありき) 大福、草餅、柏餅、餡ころ餅。どれにも昭和初期のなつかしい語感がある。親に連れられて入った餅菓子屋。幼い者たちには夢のような所だった。貧乏人には滅多に無いこと。それだけにこの昂ぶりの記憶は鮮明だ。後に思うほど、過ごしていたのは大切な時間だったようだ。 My wife and I, each carrying a seasonal rice cake, shared the time together under the full-blown cherry trees |
退院の妻車窓より花を見き身に来春のなきを言ひつつ (たいいんの つましゃそうより はなをみき みにらいしゅんの なきをいいつつ) 時々思う。明日の今頃は、来週の、来月の、来年の今頃はと。特に、トラブルや苦境に直面した時には。問題が解決して、通常の時間に戻っていることを思い描く。そして、大方の場合、何とか時が解決してくれている。でも、君には思い描く未来など来ぬと言われたら…。 On the way home leaving hospital, my wife was looking at cherry flowers from the car window, murmuring about the next spring not anymore for herself |
あひともに訪ふべき桜の花あまたのこして妻はひとり逝きたり (あいともに とうべきさくらの はなあまた のこしてつまは ひとりゆきたり) 名高い吉野山にもゆかずじまい。中千本、上千本など今が見ごろと聞いても、結局、そのうちにとなってしまうのだ。花は来年も咲くものと思えばこその尻の重さだった。さて今になってだが、さして尋ねてみようとも思わぬ。いわゆる物見遊山には興味がなくなったようだ。 Still leaving many popular spots where we'd planned to enjoy together looking at cherry flowers, my wife was taken alone from me |
わが右の眼の曇れるにふと気づく妻逝きしより三月目のけふ (わがみぎの めのくもれるに ふときづく つまゆきしより みつきめのきょう) 身体能力の衰えは徐々にやってくる。「跳べると思った水溜り…」などと、何かの折にふと気づくものだ。そして畢竟、同年輩の仲間との比較だ。中には、ずば抜けて若々しい奴もいるが、大方は相応に身の衰えを嘆いている。「年には勝てぬ」と笑い合うのである。 Today, it's exactly three months since my wife passed away, first thing I know is that the vision in my right eye has become poor |
妻逝きて六月目のけふ身をかたくして白内障の手術受けゐる (つまゆきて むつきめのきょう みをかたく してはくないしょうの しゅじゅつうけいる) 白内障手術は半時間ほど。それでも手術台に横たわれば緊張もする。身体にはいくつものセンサーが。それらのコードがモニターに繋がる。時々、腕が締め上げられ、血圧が自動的に測られている。昨年、女房もこのように寝かされて、数時間に及ぶオペを受けたのだ。 Today, exactly six months after my wife's death, I'm dead set on the surgical table to remove a cataract |
眼球に今し入り来るアクリルのレンズにわれはこぶしを握る (がんきゅうに いましいりくる アクリルの レンズにわれは こぶしをにぎる) 白内障手術は、白濁した水晶体を眼球から吸い出して、替わりにアクリルのレンズを挿入するもの。目の玉にプラスチックのレンズが入ってくる。その円い縁さえ見える。局所麻酔で痛みはない。手順通りの順調な進行ぶりだ。やがて、「次を呼んで・・・」と、医師の声が。 Now, as an acrylic lens is being inserted into one of my eyeballs, clench my fists on the surgical table |
手術室よりわれを迎ふる妻はなし笑顔そろへて孫子ならべど (しゅじゅつしつより われをむかうる つまはなし えがおそろえて まごこならべど) 一年前、胃の手術を終えて集中治療室に移される妻を子らと迎えた。全身麻酔から覚めて間がなく、握る手にも力がなかった。譫言のように「痛い、痛い」と言っていた。そして今、たとえ簡単な白内障の手術とはいえ、それを無事に終えた患者の気分を味わいながら・・・。 There's no more my wife waiting for me released from the surgery, although my boys and grandbabies stand together, all smiling |
清掃の月当番となりしよりごみ回収車を待つ身となりぬ (せいそうの つきとうばんと なりしより ごみかいしゅうしゃを まつみとなりぬ) 町内のごみ置場の清掃当番。女房が入院するとき、仕事の要領を教えられた。以後、数ヶ月ごとに、この月当番が回ってくる。回収車がごみ袋を持ち去った跡を掃除するので、それが来るまでは落ち着かない。散らかったごみを掃き取り、水を打っている男やもめの姿だ。 Now on the turns of a duty cleaner in the community, becoming the man who's waiting for the garbage truck twice a week |
大方の国民の持つケータイに徴兵令の届く日ありや (おおかたの くにたみのもつ ケータイに ちょうへいれいの とどくひありや) 携帯電話を持たぬ身だ。一向に不自由とも感じない。お蔭で振り込め詐欺にも遭わぬ。関わり薄く世を生きているとも言える。電車に乗れば、小さなスクリーンに、黙々とメールを待ち返信を打つ人々でいっぱいである。不思議の国に踏み込んだ気分だが、これも良かろう。 Since almost all people have a mobile in this land, they'll eventually get their call-up on the screen |
わが家のダイヤル式の黒でんわ鳴れば昭和の音と囃さる (わがいえの ダイヤルしきの くろでんわ なればしょうわの おととはやさる) 「ダイヤル・ア・コール」と今でも英語では言う。電話を掛けるの意だ。昨今、文字盤を回す電話機など滅多に見ない。たまにお目にかかっても、指使いが昔のようにゆかぬ。もう忘れてしまっている。書類を見ながらでも、指先が勝手に、しかも性格にダイヤルしていた。 An old, black rotary phone still works in my house and draws visitors' cheer for the Showa sound whenever it starts ringing |
ヒロシマと書く一本の鉛筆が人類のこと言ひ尽くしをり (ひろしまと かくいっぽんの えんぴつが じんるいのこと いいつくしおり) 歌手の美空ひばりが歌う反戦歌がある。「一本の鉛筆」だ。とても説得力のある歌いぶりである。一九七四年の広島平和音楽祭で初めて歌われたそうだ。以後、あまり頻繁には歌われていない。艶歌など多くのヒット曲を持つ彼女だが。この心のこもった歌唱には感じ入る。 A pencil, when it writes the letter string of HIROSHIMA, talks enough about what's humankind |
勤めゐし軍需工場に年金制度ありしを知らず母逝きて久し (つとめいし ぐんじゅこうばに ねんきんせいど ありしをしらず ははゆきてひさし) 恩給と呼ばれていた頃だ。官吏や軍人ゃ教師の貰うものと思われていた。食うや食わずの戦時下の庶民。油まみれになって兵器を削る日々の仕事。そんな兵器廠で働いていた母にも、なにがしかの恩給の権利があったようだ。当人も知らず、誰からも教えられず時は過ぎた。 Already, it's a long time ago my mother passed away without knowing she could receive pension benefits as she'd worked in an armory in wartime |
生きるのが面倒臭いと言ひをりき新盆の妻に選ぶ提灯 (いきるのが めんどくさいと いいおりき にいぼんのつまに えらぶちょうちん) 日々の暮らしのリズムを追うのが億劫なことがある。無為を重ねていると滅入るのだ。時折、このリズムを外れた非日常なチャレンジが起こる。不安で面倒くさい。そして、旅行などから戻れば、「ああ家が一番」と安堵する。非日常あってこその日常の有難さであろう。 Choose a mint lantern for my deceased wife for her first Bon Festival, who'd often murmured "It's a pain of living!" |
ことごとく妻につき来しわれにして妻の供養を仕切る身となる (ことごとく つまにつきこし われにして つまのくようを しきるみとなる) 時々思う。もし自分が鬼籍にあって、女房の方がこっちに残っていたら。折々の供養をどんな風に行なってくれているだろう。彼女のことだ。心のこもった回向をしてくれるに違いない。そう考えて、明日の命日にと花屋に立ち寄る。だが、例の如く無造作に選んでしまう。 Though having acted up to my wife's instructions all along the line, it's myself now to initiate periodical memorial services for her |
ばばを欠く家としなりきをさならは来るや帰るとママに言ひゐる (ばばをかく いえとしなりき おさならは くるやかえると ママにいいいる) 幼い子らにとって大人の男は胡乱なものらしい。帰省した孫たち。祖母にはすぐ馴染むが祖父には中々近づかぬ。女性は守ってくれるもの。男は攻撃してくるもの。そのように認識する本能を持つらしい。祖父の方も、それを淋しいとも思わずに日々のリズムを保っている。 On visiting my house, where their gramma has already departed, the little children say to their mom "Let's leave here!" |
あらかたの家には老いも交じり住み朝顔咲かせ水を打ちゐき (あらかたの いえにはおいも まじりすみ あさがおさかせ みずをうちいき) 世帯当りの人数が減った。核家族化、少子化の故である。サラリーマン時代にあくせく働いて得た夢のマイホーム。いまや老夫婦、独居老人が住み、空き家も目立つ。どこの家にも爺さん婆さんがいて、狭かった長屋暮らし。子供部屋など夢のまた夢の日々が妙に懐かしい。 In those days, almost all houses had some elderly family members, and in summer, they grew the morning glory and sprinkled with water |
庭草に沈みゐるわれ背後には草引く妻の息遣ひあり (にわくさに しずみいるわれ はいごには くさひくつまの いきづかいあり) 夏草が生い茂る。あっという間に庭を覆い尽くす。毎年のことだ。地面の下から、この無尽蔵に押し上げてくる莫大な量。太陽と雨と空気、それに若干のミネラル。それらが相携えて世に送り出す生命である。この中に沈み込む時、邪険に引き毟ることに引け目さえ感じる。 Sinking in the grass in our garden, still hear my wife breathe hard weeding behind my back |
妻あらば話題つきまじ台風も地震もありしこの週末は (つまあらば わだいつきまじ たいふうも じしんもありし このしゅうまつは) 世に大事は絶えぬ。良いこと、悪いこと。時に未曾有の場面にも遭遇する。そんな時、長生きをすればこその至福とも、惨めさとも思う。波乱の昭和に育ち、人生の起伏のあらかたはこなした。新聞の大見出しに、高みの見物と語り合うべき同輩もつぎつぎ泉下へと退場する。 This weekend, typhoon and earthquake hit us, I'd have things to talk about with my wife, if she were still alive |
新盆に寄り来しうから妻の名のもはや出でざる話題のつづく (あらぼんに よりこしうから つまのなの もはやいでざる わだいのつづく) 当事者には不満かも知れぬ。周囲の共感が期待ほどではないと見る時。しかし、多かれ少なかれそんなものだ。葬儀参列の連中が後方で呵呵大笑の談笑をしている景はよく見かける。政治の世界では弔問外交とさえ呼ばれる。参列してくれて幾許の同情は頂戴したのだから。 My kith and kin, getting together at the altar of the first Bon festival for my deceased wife, refer no more to her name in their topics |
五〇〇系に乗ると言ひ張るをさなゐてホームに待てり我ら一族 (ごひゃっけいに のるといいはる おさないて ホームにまてり われらいちぞく) 近頃は女性の鉄道ファンが増えているとか。男の子には電車の玩具、女の子には人形を。昔はこうして育てられてきた。育児に励む父親、働く母親。男女の役割についての世の中の固定観念。それが急激に変りつつある。その内に電車に興味を示さぬ男の児が増えるのかも。 As our little kid insists on getting on a Type 500 bullet train, all our family members wait for it coming into the station |
飼主も犬もいささか太りゐて晩鐘ひびく街道を行く (かいぬしも いぬもいささか ふとりいて ばんしょうひびく かいどうをゆく) 半世紀になる。あの戦後の食糧難の頃。道を行く人も犬も痩せこけていた。犬と言っても当時は殆どが野良犬だったと思う。面白いことに、野良と言っても、みな顔馴染みの犬なのだ。時には長屋の悪童たちの遊び相手にもなる。町内の犬好きに尾を振って残飯も貰うのだ。 The dog and its master are both a bit fat, the evening bells are ringing while they go along the street |
秋風を身にとほしつつ草ひけり皮肉屋たりし面影も失せ (あきかぜを みにとおしつつ くさひけり ひにくやたりし おもかげもうせ) 昔はよく頑固爺などと呼ばれたものだ。隠居の身ながら一家の権威だった。家族全員が一目置いた。それが、核家族の世となった今日、権威を誇るべき舞台がない。果たした家族への貢献を言いたくもなるが。何事にも抗わぬ好々爺たらんと自らを律しているのだ。 The man is weeding his garden being impregnated with autumn breeze, showing no signs of a cynic he used to be called |
灯ともるも人声のなき独り居の家を囲みてちちろ鳴きをり (ひともるも ひとごえのなき ひとりいの いえをかこみて ちちろなきおり) 虫の音は秋の風情。異国の人はただの雑音と聞くとか。鳴く虫に感情移入して思いにふけるのが日本人。虫の種類を聞き分ける能力も持つ。大方は虫の声から寂しさや儚さを思う。でも、四六時中それに感じ入っている訳でもない。邪魔にならぬBGMとして聞いている。 While lights are switched on, there's no sound of voices in the widower's house surrounded by singing insects |
雨脚を確かむるごと手のひらに降りそそぐ月のひかり受けゐる (あまあしを たしかむるごと てのひらに ふりそそぐつきの ひかりうけいる) 焚き火に手のひらを翳して暖を取る。バイバイと別れる時も手のひらを見せて振る。子供の具合が悪そうなら、額に手のひらを当ててみる。腹が痛ければ腹に手を当てる。それは人間にとって大切なセンサーだ。さらに顔面に加えて、喜びや悲しみを表現する道具でもある。 Expose my palm in a flood of moonlight, as if it were confirming raindrops in the fine rain |
ベランダの男やもめが秋空に洗濯物を高く干しゐる (ベランダの おとこやもめが あきぞらに せんたくものを たかくほしいる) 洗濯をするとて大層なことではない。毎週土曜日がその日。男やもめの洗濯物の分量は知れたもの。ポリバケツで風呂の残り湯を五杯ほど洗濯機に入れる。洗剤をスプーンで一杯。スイッチを押す。男もすなる洗濯などと言っても何のことはない。大方は機械の仕事なのだ。 A widower works on veranda, he's hanging out washing high up in the autumnal sky |
遠き地に菩提寺を持つわれにしてたまさかに乗る新型特急 (とおきちに ぼだいじをもつ われにして たまさかにのる しんがたとっきゅう) こちらを年寄りとみてか、葬祭場の案内や墓地の売込みの電話が頻りにかかる。菩提寺を遠く離れた当地に根を下ろして五十年。近くに墓地をなどと女房と話したこともあった。何の決断もせぬうちに彼女の方が逝ってしまった。墓地なんぞ何処にあろうと。今ではそう思う。 Having our family temple back of beyond, could get a chance to take the most modern express train |
ひと夏がやうやく過ぎぬ灯のもとに食器を洗ふ水のつめたし (ひとなつの ようやくすぎぬ ひのもとに しょっきをあらう みずのつめたし) 歳を取ると暑さ寒さにかくも敏感になるのか。この身体に心地よい気温は摂氏二十五度。面白いことに、これを一度以上も超えるともう汗ばむし、二十三度にもなれば股引を履く。外気温への許容度がいたく落ちてしまった。そして今や水仕事は給湯器に頼る季節となった。 The summer has passed at last, clean plates and utensils by autumnal lamplight in dishwater that gets cold now |
ひと仕事終へしおももち喪の服のうからそれぞれ別れ告げ合ふ (ひとしごと おえしおももち ものふくの うからそれぞれ わかれつげあう) 葬儀や年忌の集い。終った後の妙な解放感。これが身内のイベントでなければ尚更のことだ。取引先の幹部社員の身内の弔事など。もともと故人とは面識もない。参列は仕事の一部。帰り道は三々五々喫茶店に。早速、ネクタイを替えて、ゴルフ談義が始まるのである。 Feeling a certain sense of accomplishment, people of the affinity group dressed in mourning are bidding each other farewell |
幾たびも社名変りき記念樹の白き山茶花なほ残されて (いくたびも しゃめいかわりき きねんじゅの しろきさざんか なおのこされて) 栄枯盛衰は世の常。よく聞く言葉だが、近頃はこれが激し過ぎる。何十年も磐石の地位にあった大会社。それが数年ごとに社名を変えている。合併や買収が繰り返されるからだ。昔の名前で出ている会社は世に稀だ。元○○社員を肩書きとするオービー達にも空しい時代が。 While the firm name has changed many times, the memorial tree, white Camelia sasanqua, is still left there |
二人なる旅のたかぶり妻は窓のあれこれにわが肩を小突きき (ふたりなる たびのたかぶり つまはまどの あれこれにわが かたをこづきき) 同じものを見る喜び。同じものを「美味しいね」と食べる喜び。同じ音楽を聞く喜び。言わば臨場感を分かち合えることの喜びだ。だが、時には共感を強要されている場面でもある。感動の押売りになることも。誰かに分かって貰いたいとのこの気分。人間本来のものらしい。 Excited in our twosome travel, my wife shook me by the shoulders each time she saw something from the train window |
吹き抜ける凩一号ベランダのカポックの木を部屋に迎ふる (ふきぬける こがらしいちごう ベランダの カポックのきを へやにむかうる) ベランダの鉢植えのカポック。冬になると、この大きな図体が書斎の一角を占める。それほど心にかけているでもないが、寒風に晒して枯らすのも可哀想だ。一日のかなりの時間をこの部屋で過ごす身だ。今年も差し込む冬の日差しを共に浴びながら春を待つ日々となる。 As the first winter storm blows, the kapok tree is invited into my room from the verandah |
法要ののちの円居にみちのくの豊作を言ふ妻のはらから (ほうようの のちのまどいに みちのくの ほうさくをいう つまのはらから) 農家にとって豊作は嬉しいこと。遠くに住む子供や親類に新米を送る。収穫の秋である。いつの頃からか、大方はサラリーマン農家。農作業は休日のみ。先祖の残した田畑はそれで守れる。進んだ技術のお蔭だ。ただ、農業のみでは生計はたたぬ。それでみんな他所で働く。 During dinner get-together after the memorial service, the brother of my deceased wife talks about the year's rich harvest at home |
この庭のコスモスの消ゆ我武者羅に夏草ひきしわが咎にして (このにわの コスモスのきゆ がむしゃらに なつくさひきし わがとがにして) 味噌も糞も一緒。まことに乱暴な草引きだ。残すべき人生のしがらみまでも。えいっ面倒だと。さっぱりとした一時の清涼感。だが、時を経て身辺の寂しさにふと気づく。咲いてくれる花も、実ってくれるべき果実も見当たらぬ。所詮、行く先は同じと、なお負け惜しみだ。 It's my fault really to have weeded our garden completely last summer, there's no cosmos flowers blooming this fall |
窓外に半身のりだしガラス拭く七十二歳を煽る木枯し (そうがいに はんみのりだし ガラスふく しちじゅうにさいを あおるこがらし) 「ああ年だな」と思うとき。「年の割には」と妙な自信の湧くとき。まさに一喜一憂の日々である。人生の折り返し点を過ぎれば、折に触れ、誰しも自らの体力の劣化を気にする。そして世間を見る。同輩と比べるのである。「元気ですね、○○さん」の言葉にはいたく喜ぶ。 With his body thrust outward, the seventy two-year-old boy cleaning the window is hit by a gust of cold wind |
独り居の小春の縁にうつつなし父の行年を五年超えゐて (ひとりいの こはるのえんに うつつなし ちちのこうねんを ごねんこえいて) 「うつつ」は現実みとも。伴侶を失ったインコや十姉妹のように。精の出ない日々を過ごす。ふわふわと生きている。長生きをするとは、つまるところこんな具合なのか。それでも縁の日差しは心地よい。極楽、極楽と呟いてしまう。神にも仏にも願うもののない身の上だ。 Have no sense of reality at the verandah on a warm autumn day, exceeding already my father's age at death by five years |
バースデーことほぎくるる妻逝きて蜜柑ひとつを弄びをり (バースデー ことほぎくるる つまゆきて みかんひとつを もてあそびおり) 誕生日、囃したててくれる周囲の者たち。親が離れ、友が消え、妻が去る。いまだ気にかけてくれるのは子の連れ合いだ。浮世の義理がこの世の締めとは。そのうちに、なにがしかの連中に記憶されるべきが誕生日ではなく命日となる。それさえも、やがては霧の中へと。 It's birthday, my wife, who used to congratulate me on it, has passed away, fiddle alone with an orange on my lap |
七年の平均余命と聞きゐてもけふの夕餉をまづはととのふ (しちねんの へいきんよみょうと ききいても きょうのゆうげを まずはととのう) 今では凡そ七十九歳が男の平均寿命。父親の行年は六十七歳。やや早世とも思っていたが、統計資料によれば、大方当時の平均寿命だ。何事にも人並み、世間並みを良しとしてきた身である。そのあたりで退場できれば悪くない。まだ先のことに思えるのが不思議なのだが。 Start fixing a meal for the evening as usual while statistics tells seven years left for my life |
素粒子論ゼミの仲間でありし君逝きたり古希を迎へてはやも (そりゅうしろん ゼミのなかまで ありしきみ ゆきたりこきを むかえてはやも) 森羅万象の基本となる素粒子。半世紀も前に少々齧った。五里霧中だった。その後、この分野の研究は大きく進む。ビッグバンの後にこの世がいかにして出来たかが説明され始めている。想像するだに神秘の世界。そんなロマンに浸った男も、いまや宇宙の塵に戻っていった。 A classmate, in a seminar on theory of elementary particles, has just passed away after celebrating his seventieth birthday |
末枯れの野を歩みゐて独り身の子の開運をまた夢想する (うらがれの のをあゆみいて ひとりいの このかいうんを またむそうする) 不思議なものだ。他人事であれば意見にも理屈の背骨がある。が、身内のこととなると、理は通らぬ。気に入る気に入らぬ、好き嫌いの感情が先立つ。体中が熱くなって、汗ばんで、怒鳴り散らす。ままならぬ世にあっても、身内の幸運を願う本能とは御し難いものである。。 Walking in the withered field, once again, wish my son good luck as he still stays a bachelor |
たやすくも駆られてデモの中に叫び疲れ知らざりき苦学生われ (たやすくも かられてデモの なかにさけび つかれしらざりき くがくせいわれ) 別に確固たる信条もなかった。当時の大方の学生同様の付和雷同で「安保反対」とやった。世のなりゆき、大勢に従うことの安堵感。共通の攻撃目標を持つことで自分が守られているような錯覚。それがいつしか、斜に構えて世間を見ている。これが知識人とでも思ってか。 Easily egged on to shout in a demonstration, still the inexhaustible self-supporting student, it was myself |
デモよりも授業えらびし数名のわれらに教授の蔑みし笑み (デモよりも じゅぎょうえらびし すうめいの われらにぎょうじゅの さげすみしえみ) ノンポリを自称するほどでもない。デモ参加で講義をサボる多くの学生。そんな授業に出れば教授の覚えもめでたかろうとのこと。ところが思いがけぬ教師の冷ややかなまなざし。体制を批判する気概もない連中と蔑む素振りだ。自分だって授業をボイコットせぬくせに。 Displaying contempt, the professor gives a smile to those several students who preferred the class to a demonstration |
獄中より歌集二冊を世におくり死刑待ちしか三十五年 (ごくちゅうより かしゅうにさつを よにおくり しけいまちしか さんじゅうごねん) とても思いは及ばぬ。その生涯の大半を獄に繋がれるなど。それも刑の執行を待つのみの時間。人を頼り、人に頼られ、数十年を生きるのが世の大方の人生だ。まったくの孤立が生み出す創作。普通の人生では書けぬものだ。今や世に関わり薄く生きながらえる身にとっても。 During thirty five years waiting for execution in jail, he's come out with two copies of his anthology |
妻のあとひとり死を待つわが日々は死を待つ囚徒の孤独に近し (つまのあと ひとりしをまつ わがひびは しをまつしゅうとの こどくにちかし) 余命数ヶ月と医師の告知。「何で私が」と当人。が、さして狼狽える風には見えなかった。そして逝った。人はいずれは死ぬ。同輩も次々と世を去る。やり残したことはと聞かれても。あるような無いような。獄中に刑を待つ者とはどうも違う。何だか暢気な余生とも思える。 Wait alone for death to come after my wife, that reminds me of the loneliness of a prison bird waiting for execution |
わが身より風邪の抜けゆく心地して銀杏落葉の輝くを踏む (わがみより かぜのぬけゆく ここちして いちょうおちばの かがやくをふむ) やまいが抜けてゆく気分。快感である。喘息もちの生涯だ。発作が起きれば三日は続く。だが、峠を越したと思えるときの喜び。湧いてくる力。よしやるぞの気力が身に満ちてくる。幾度くり返しても、この気分は必ず立ち上がるから不思議だ。一病を持つものの幸せかも。 Feel gradually ridding the body of my cold, and linger on the shining leaves fallen from ginkgo trees |
千切れ雲ひとつかかりて縁先の世間話にきまりつきたり (ちぎれぐも ひとつかかりて えんさきの せけんばなしに きまりつきたり) 話を切り上げるタイミング。盛り上がっていた会話にも疲れが出る。黙っているのも申し訳ないと、つまらぬことも話題にする。こんな時、電話でもかかってくればもっけの幸いだ。互いにすっきりと別れられる。仲良しカップルにも「はい、それまで」と促される時が来る。 The sun goes behind a scattered cloud and looks pushing us to stop shooting the breeze in the corner of the garden |
知る者の次々消ゆる年頃に吾も入りたり先づ妻の亡き (しるものの つぎつぎきゆる としごろに われもいりたり まずつまのなき) 彼岸に移った顔見知りが増えた。向こう側に先達が大勢いると思えば心強い。問題はこの世の去り方だ。願わくば、あの世にすっと転送されて欲しい。SF小説に出てくるワープのように。あなたの癌はステージ何々などと言われて、この世の出口でうろうろするのは御免だ。 Arriving at the age bracket people tend to lose their acquaintances one after another, have lost my wife at first |
世にありて世になきごとし生き甲斐と言はばはかなきこの短詩型 (よにありて よになきごとし いきがいと いわばはかなき このたんしけい) 趣味の短歌・俳句。五十歳を過ぎて始めた。在職中は片手間だったこの戯れ。今や老境の暮らしのリズムの中核となる。古今の名歌・名句に親しむ充実した日々。生涯を飾る己が一首、一句も得たいと思う。時間はあまりない。歌詠みだった父親をいつの間にか追っている。 Being alive, but nearly not alive in the society, now all about my immature creation, this short form of poetry |
独り居のリズムきまりて昼の時報聞くや茶漬けをととのへ始む (ひとりいの リズムきまりて ひるのじほう きくやちゃづけを ととのえはじむ) ラジオの時報。これを聞いて人は反応する。まず何時かなと思う。作業中であれば、もうそんな時間かと、残りの仕事の段取りを考える。ぼんやりと過ごしていた者は、そろそろ成すべきことを思いつく。時報は人を急かせる。人を吾に返らせる。そしてけじめをつけさせる。 As the daily rhythm of widowerhood has settled, on hearing the time tone, start preparing boiled rice with tea, my noon meal |
余生とも惰性とも言ひつつがなき日々を過ごして春がまた来る (よせいとも だせいともいい つつがなき ひびをすごして はるがまたくる) 歳を取ると春を迎える喜びはことさらである。厳しい冬の寒さを生き抜いた安堵感だ。満開の桜の花の下に立てば、これが人生最後の花見ではなどと思う。それでいてさしたる覚悟もない。飯を食い糞をたれ、面白ければ笑い、悲惨な事件に眉を潜め、世を無害に生きている。 Spring has come back while going about my day business safe and sound, say, the rest of my life, or life in a rut |
若きらと政治を語る夕べなり身の端々に血潮のたぎる (わかきらと せいじをかたる ゆうべなり みのはしばしに ちしおのたぎる) 年寄りの傲慢さ。ややもすると、長上の教えを披瀝する態度をとる。己が意見は傾聴されて然るべきものと思っている。若者の反論にでも会えば向きになって抵抗する。干涸びたその身体の節々のように、自論にも柔軟性がなくなる。老害などと陰口を言われているのにだ。 It's nice to talk about politics with young people in the evening, having good circulation throughout my body |
降る雪の筋あきらけしいま着きし褐色の電車静止したれば (ふるゆきの すじあきらけし いまつきし かっしょくのでんしゃ せいししたれば) コントラストの効果。思わぬ物に目がゆく。電車が動けば電車に目が。電車が止まれば降る雪に。関心があって動かした目ではない。目のいったところに関心が生じる。そのうち、心中に妙な脈絡が作られてゆく。関心が深まって、後を引くものもあるが、大方はうたかただ。 As an arriving train comes to a complete stop, the snow outstands with its falling lines against the dark brown carbody |
しづかなる雪つむ道の家路なり十一年目かわがゴム靴は (しずかなる ゆきつむみちの いえじなり じゅういちねんめか わがゴムぐつは) レインシューズを新しくした。どうも足にしっくり馴染まぬ。仕方がない。前のものは使い古して穴が開いてしまった。まあその内に馴れるさ。靴が足に合わしてくれるのか、足が靴の形に沿うようになるのか。新しい皮袋に入ったのだ。中身の自分も新しい覚悟で生きねば。 It's my homeward walk along the quiet snow road, for my snow boots, after an absence of eleven years |
積もりたる雪も滴る音となり故郷に覚むる心地さながら (つもりたる ゆきもしたたる おととなり こきょうにさむる ここちさながら) 目覚めてなほまどろむ。春眠だ。あたたかな朝日。屋根や樹木に積もった雪を解かす。絶え間ない滴りの音。突然の寒波がもたらした降雪だ。春の陽気が戻れば、たちまち消えてゆく。生まれ育った土地の懐かしい音。なお耳に残る。思いがけぬ春のどか雪からの贈物である。 The snow on the roof turns out the pattering sound of drops, and awake as if being in my old lovely room back home |
雪道をすたすた歩む妻なりきみちのく育ちをまづは誇りて (ゆきみちを すたすたあゆむ つまなりき みちのくそだちを まずはほこりて) 凍りついた雪道。そこを普通の革靴で上手に歩く奴がいる。こちらはよろよろすってんころり。とても付いてゆけぬ。こつは体重の移し方と聞く。踏み出す足に全体重を預けて直角に立つこと。膝を曲げた探り足では滑ってしまう。何だか己が人生の生きざまのようでもある。 My deceased wife could walk briskly on a snow road and, each time, prided herself being born in the northland |
雪道に身をかたくして歩むわれ三間さきの妻の幻 (ゆきみちに みをかたくして あゆむわれ さんげんさきの つまのまぼろし) リアリティーのある幻。遭遇できれば幸せだ。「だれとも知れず夢に来て」と詠み込んだ歌人もいる。たしかに。覚めてみて、何となく夢に出ていたように思えるのだ。どうせ出てくるなら、まともな会話のひとつもしてみたいのに。他の亡者たちは生前のように振舞うのに。 Stooping to walk on the snow-covered road, see a vision of my deceased wife five meters ahead |
職引きし男らの立つ交差点「緑のおばさん」もはや世に見ず (しょくひきし おとこらのたつ こうさてん みどりのおばさん もはやよにみず) それでも世の中に関わりたい。職場ではいささかの貢献もした。家庭を作り、子供を育て上げ、大黒柱の役目もまずまず終えた。そこそこの年金。若者たちの目には悠々自適の余生と映る。それが、まるで禁煙の後の口寂しさの心持だ。近頃では人と口を利くことも稀となる。 Only retired men look after children these days at school crossings, the lollipop women are not seen in the street any longer |
食パンにとろけるチーズ挟み焼き男やもめがけふを始むる (しょくパンに とろけるチーズ はさみやき おとこやもめが きょうをはじむる) たまの旅先でいつも思う。朝食のことだ。ときに洋風、ときには和風。いずれにしろ、どうもしっくりこない。食欲のあまりない朝のこと。すっかり身構えてしまっている。これが連泊ともなれば、たちまち馴染むのだから面白い。朝ぐらいは穏当に始めたいと言うことか。 Preparing two pieces of toast sandwiching sliced cheese, the widower starts the day with no special task |
円高も株安もただ聞き流しかかはり薄き世にながらふる (えんだかも かぶやすもただ ききながし かかわりうすき よにながらうる) もはや傍観者の身。だが、世の中のごたごたには興味津々だ。今日の日経平均の終値などを知りたがる。影響されるほどの小金は持っていない。孫子の将来が気になるわけでもない。この国の未来に一家言を持つほどでもない。ただ、長生きも悪くないと思える日々なのだ。 Just letting it pass, yen appreciation or stock price crash, live rest of life independently of the active society |
起き抜けの痩躯に力もどり来て雨戸を繰れば春の雨降る (おきぬけの そうくにちから もどりきて あまどをくれば はるのあめふる) 真っ先に目覚めるのが脳味噌。次に目を覚ますのが指先と腕だ。枕元のリモコンをまさぐる。取りあえずテレビをつける。そのうちに腸が動き出す。屁が出て尿意をもよおす。洗面所へと立てば足腰もようやく目覚める。身体の節々に力が戻るまでにはなお時間が掛かるが。 Slowly regaining strength in my slim figure, still wakening, open the shutters and see spring rain falling |
いまだ世に乞はるる夢の捨てきれず呂尚にかよふ日々の川釣 (いまだよに こわるるゆめの すてきれず りょしょうにかよう ひびのかわづり) 釣り三昧の身に文王から声がかかる。中国周代の功臣呂尚の話だ。引退してストレスのない日々。食事も美味い。時間もたっぷりある。まさに悠々自適。それなのに、「ぜひお力を!」などの声がどこからもかからぬのが淋しい。そんな誘いに乗れば新たなストレスがまた。 Still have a dream to be recruited in the active society, go to fish in the river every day following the old episode of Ryosho |
仏壇の妻に卒園を告げくるるをさなの頬に燭のゆらめく (ぶつだんの つまにそつえんを つげくるる おさなのほほに しょくのゆらめく) 死者との対話。対話と言っても、台詞はこちらが作る。記憶の中の死者にそれらしい言葉を語らせる。語りかけても、生前のように意外な言葉や思いがけぬ反応に遭遇することはもはやない。君だったらこんな風に言うに違いない。それを身の内でする一人芝居なのである。 With the face reflecting the flare of candle, the little boy reports of his finishing kindergarten to my wife in the altar |
先立ちしゆかりそれぞれ偲びつつ電車に立てり春分の日を (さきだちし ゆかりそれぞれ しのびつつ でんしゃにたてり しゅんぶんのひを) 生涯にどれだけの人間と関わりが出来るのか。恵まれたえにし、実らなかった出会い、腐れ縁。世に生きてこそのさまざまなしがらみ。歳をとるにつけ、それらすべてが懐かしい思い出に。その思い出を共有するものが次々退場する。世の逸話となるほどのことも残さずに。 Bringing associated goners to mind one after another, stand on a train traveling Vernal Equinox Day |
夢になほ英語を言へり外資系に三十年余吾は勤めし (ゆめになお えいごをいえり がいしけいに さんじゅうねんよ われはつとめし) 近頃は夢を見るのが楽しみだ。脳味噌の中の様々の記憶。それらのシーンから脈絡もなく紡がれる物語。生涯に味わったストレスが蘇る。夢の中の自分のキャラクターもそのままだ。相変わらず、狡賢くて自己防衛に徹しているから妙である。目覚めていつも苦笑してしまう。 The English-speaking man still appears in a dream, that's myself having worked at a foreign affiliate for more than thirty years |
名も知らぬ野菜果物ならべられ異国の朝の市ぞはなやぐ (なもしらぬ やさいくだもの ならべられ いこくのあさの いちぞはなやぐ) 市電がマルクトプラッツに着く。欧州の中世の市街地には、中心にラットハウス(当時の市役所)と市民広場がある。土曜日には、この広場に市が立つ。大勢の買物客で賑わう。グリム童話に出て来そうな老女が野菜や果物を売っている。飛び交う異国の言葉も耳には心地よい。 Carrying unfamiliar vegies and fruits, the morning market on foreign soil looks lively |
木々茂るライン河畔の公園に深く入り来て石に坐りぬ (きぎしげる ラインかはんの こうえんに ふかくいりきて いしにすわりぬ) 人が思索を練るに適した環境。欧州の町にある公園はそんな場所だ。大抵はとてつもなく大きい。小径を行けば、戻れるかなと思うほどの深い森に入る。所々に湧き水の沼があり、ベンチが置かれ憩いの場所となる。散策をする人、自転車の人、乗馬の人などが行き交うのだ。 Entering deep into the clump of trees in a park by the Rhein, perch alone on a rock |
滞在も三月越すいま新しき友と連れ立つ初夏のアルザス (たいざいも みつきこすいま あたらしき ともとつれだつ しょかのアルザス) 若い頃には知己もすぐ出来る。歳を取ると、これが億劫となる。若者は意気投合すれば、互いに旧知のごとく振舞う。そして、その殆どが束の間の触れ合いに終わる。終生の知己、親友は中々得られるものではない。億劫ではあるが、今でも新たな出会いには憧れている。 Staying now for three month on foreign soil, go on a drive to Alsace-Lorraine in early summer choosing my local company |
かかる地をいづれは共にたづねむと思ひをりしにはや妻は逝く (かかるちを いずれはともに たずねむと おもいおりしに はやつまはゆく) 美味いものは後の楽しみに。こう考える癖がある。貧乏性なのだろう。いま楽しんでしまうより、先に楽しみがあることを知る楽しさを味わおうとする。楽しみの現在価値は失われる。腹が減っているときに食べる美味さは満腹時には感じぬ。楽しみは先に延ばしてはならぬ。 Although wished to visit again these lovely spots someday with my wife, she's meantime hastened to end her life |
山ふかくなほ人の住むかランドセル負へるをさなの駆け下り来る (やまふかく なおひとのすむか ランドセル おえるおさなの かけくだりくる) こんな山奥に人が住むとは。学校は遠い。役場も遠い。さぞ不便なことかと思う。だが待てよと思う。ここには牛もいる。山羊もいる。米も野菜もある。味噌醤油は自家製。スーパーは遠いが不自由しない。それにインターネットもある。まさに晴耕雨読の楽園ではないか。 Still some people seem to live here deep in the mountains, a boy's running down the hill carrying a bookbag on his back |
分校へ下るをさなは山みづの音に沿ひつつ走りゆきたり (ブンコウヘ くだるおさなは やまみずの おとにそいつつ はしりゆきたり) 沢の流れに沿う山道。そんな山道を駆け下って子供たちが分校に集う。この山から一人。向かいの山から二人。子らを追って下る沢水も分校の辺りで合流し谷川に。さらに麓の村の川に流れ入る。やがて子供たちにも、その村からバスに乗って、町の中学校に通う日が。 Heading away for a branch school, the little boy is dashing down the slope along the sound of a mountain stream |
「東」とふ屋号を持てる妻の生家集落一の朝日浴びをり (ひがしとう やごうをもてる つまのせいか しゅうらくいちの あさひあびおり) 生来のシャイな男。それが日の当たる場所の心地よさを知る。いつしか世間の日向を捜し求めるようになる。日差しが翳れば落ち着かない。寒くなる。淋しくなる。いったん翳った日差しは戻らない。もはやシャイではないのだが、誰もスポットライトを当ててはくれない。 Called as "EAST", the country home, the birthplace of my wife, now gets the better-most morning sunshine in the village |
山ふかく一里あゆめば新たなる集落の見え牛の声する (やまふかく いちりあゆめば あらたなる しゅうらくのみえ うしのこえする) 木の下闇の杣道を進む。森林浴の心地よさ。だが、いくら行けども人っ子ひとりに遭わぬ。すこし心細くなる。人恋しくなる。やがて前方の視界が開け、小さな集落が見えてくる。そして近づく侵入者に、もう犬が吠えている。牛も鳴く。人影はまだ見えぬが安堵の心地に。 Following deep a mountain path for another couple of miles, come in sight of another village and hear cows bellowing |
大地震あらば四万の死の予測ありて浪速にわがながらふる (おおじしん あらばしまんの しのよそく ありてなにわに わがながらうる) 上町断層帯は大阪を南北に貫く。いつかそれが大地震を起こす。言われて驚く。が、その驚きも長続きしない。日常のあれこれに没頭する日々。非日常への備えには手が回らぬ。戦時中のように、もはや空襲が非日常の事件でなくなれば、人々はそれに対して身構えもする。 On a big quake, it's predicted, there'll be forty-thousand death toll in Osaka that, I've lived long out there |
草引きし指先になほ十薬の香のみ残れり夕餉したたむ (くさひきし ゆびさきになお じゅうやくの かのみのこれり ゆうげしたたむ) 残り香と言っても仄かなそれではない。四十年も連れ添えば、それは骨の髄まで染み付いている。連れを失って久しいのに、身の内にその存在感は衰えぬ。対話もある。何かに付けだ。もはや言い争いはしない。ことによると、身の立居振舞にも影を落としているかも知れぬ。 Weeding my garden this morning, have supper with my smelly fingertips still carrying the fragrance of Doku-dami |
縁先の紫陽花にしとど雨の降り無差別殺人のニュース流るる (えんさきの あじさいにしとど あめのふり むさべつさつじんの ニュースながるる) いまでも癇癪を起こすことがある。パソコンの表示がままならぬ時など、「こん畜生!」とマウスに当たったりする。でも、幼少の頃の暴発暴走ではない。苛立っている様子を笑って見ている奴がいる。自分の中にだ。今では、この「こん畜生!」は人前では決して言わない。 Near the verandah, the hydrangea gets soaked by the rain, while the case of random killing comes from a radio |
ラジオ少年たりしわが身に親しかる秋葉原いまかく血塗られし街 (ラジオしょうねん たりしわがみに したしかる あきはばらいま かくちぬられしまち ) 六十年も前のこと。秋葉原は夢を売る街だった。ガード下にひしめく小さな店舗。みなラジオの部品を並べている。目当てのパーツを求めて集まる少年たちの目は輝いていた。その多くが後の高度成長を支える技術屋になった筈。この懐かしい場所で、あの惨劇が起こるとは。 Being an audio nut, loved Akihabara, as a friendly town, however, it's now become a red-wat spot |
吾もまた「オタク」なりしか秋葉原に米軍放出のパーツ求めゐき (われもまた おたくなりしか あきはばらに べいぐんほうしゅつの パーツもとめいき) 近頃では「オタク」と呼ばれている。昔は「○○狂」と言われた連中。ひとつことに熱中するあまり、一般常識には無頓着と見られる。社会性に乏しい偏屈男と世間は見る。ラジオの組立てに、カメラに、クラシック音楽に、鉄道模型に、移り気なオタク遍歴の来し方だった。 A geekhead, me too in those days, often visiting Akihabara to get some radio parts released by the occupation army |
組み立てしラジオよりショパン流れ出で貧家に待ちし文化の香り (くみたてし ラジオよりショパン ながれいで ひんかにまちし ぶんかのかおり) 組立てが終了する。配線に誤りがないことを確かめる。恐る恐る電源スイッチを入れる。バリコンを回してラジオ放送を受信。突然、美しい音楽がスピーカーから。まさに掃き溜めに鶴。食うや食わずの貧乏長屋にクラシック音楽だ。少年の心に吹き込んだ文化の香りだ。 Now, Chopin comes from the radio just assembled by myself, giving a cultured atmosphere to the poor family |
秋葉原つねに先駆の影を見せ折々にわが足の向く町 (あきはばら つねにせんくの かげをみせ おりおりにわが あしのむくまち) 出張の用件が早めに済む。帰りの新幹線までに小一時間ある。そんな時に立ち寄るのが秋葉原の電気街だ。無線機器、オーディオ、そしてパソコンなどのデジタル製品。話題の新製品がそこにあった。すっかりご無沙汰の二十年。聞けば、街のイメージも大いに変ったらしい。 Akihabara, a spot always showing something modern, lets my legs do the leading from time to time |
クラシックに親しみ初めしも手作りのこのラジオなりなほ捨て難し (クラシックに したしみそめしも てづくりの このラジオなり なおすてがたし) 八千ヘルツの音。それを忠実に再生できるアンプを組立てた。得意満面で友人に披露する。ピアノ、バイオリン、シンバルなどが臨場感たっぷりに聞こえる。音楽そのものの鑑賞はそっちのけで悦に入る。今や老いた耳には五千ヘルツの音でさえ聞こえなくなってしまったが。 This old handmade radio initiated my taste for classical music, and still hard to be thrown away |
リビングのソファーにバッハ聴くわれよかの棟割に夢見し姿 (リビングの ソファーにバッハ きくわれよ かのむねわりに ゆめみしすがた) 安楽椅子に深々と沈んで、電蓄から流れるレコードを聞く姿。映画や小説に見るシーン。卓袱台に問題集を載せ、就寝した家族の横で受験勉強をしている自分には夢のような情景だった。それが、この国の高度成長につれて、マイホームも得て、その夢も叶ってはいるのだが。 Listening to a Bach piece sitting on a sofa in the living room, a sight dreamt of in the tenement house |
ひつそりと家族のみにて送らるる弔事ありしを回覧の告ぐ (ひっそりと かぞくのみにて おくらるる ちょうじありしを かいらんのつぐ) タッチの差で電車を逃がしホームに残された時。階段で無様に躓いた時。消え入りたい恥ずかしさを覚える。そして決まってはにかみ笑いをする。死ぬときも同様だろう。出来れば人に知られず消えてしまいたい。大仰な葬式など当人は望まない。それを言い残しておかねば。 The neighborhood bulletin reports there has been a lonely funeral held only by the family members |
たまゆらのためらひ見せし妻も子も浜の水着の群れに交じりき (たまゆらの ためらいみせし つまもこも はまのみずぎの むれにまじりき) 人間は着衣をつけているもの。物心がつく頃から誰もがそう思う。他人に肌を見せるのが恥ずかしくなる。医師の診察にもいささかの勇気が要る。銭湯にもよく出かけたが、真っ裸で浴場に入る時の抵抗感。そして、同じ裸の群れに混じった時の安堵感。久しく味わってない。 However hesitated for a while, my wife and kids are already mixed with those in swimsuit on the beach |
大波に潮浴びの身の倒されてみなぞこに聞く浜のにぎはひ (おおなみに しおあびのみの たおされて みなぞこにきく はまのにぎわい) 世の賑わいが俄かに遠のく。つい昨日まで、その賑わいの渦中にいたのに。定年を迎えた者を襲う感慨だが、世を去る時も、そんな風なのだろう。現世に残した連中の繁栄も苦悶も見えてはいるが、手出しは出来ない。その連中も、もはやこっちを気にする様子も見せないし。 A sudden big wave hit me bathing in the sea, brought me down into the bottom and let me hear the sound of lively beach |
浜に伏すわがかたはらを脅かすビーチバレーの若きらの脚 (はまにふす わがかたわらを おびやかす ビーチバレーの わかきらのあし) 子供は親の意に従うもの。猫可愛がりをするかと思えば、急に不機嫌になり邪険にする。そんな親にさして抵抗も出来ぬ。しかし、これも束の間。子供には見る見る体力がついてくる。やがて、大声で怒鳴りつけた時、するどく睨み返される。子供らしからぬまなざしなのだ。 Right beside me stretching out on the beach, the young, active and beefish legs playing beach volleyball often threaten me |
引く波に足裏の砂のこそばゆく崩れゆくなりけふ原爆忌 (ひくなみに あうらのすなの こそばゆく くずれゆくなり きょうげんばくき) 足元の地面が崩れるとはまことに心細い。よるべとする大地を失う心地だ。阪神大震災の折の大地の揺れはまさに悪夢だった。地震のみでない。激震は人の生涯を襲う。頼りの会社にリストラされる時、睦み合ってきた伴侶を失った時。忌まわしい記憶は思い返されて消えぬ。 A backwash takes away the sand in the sea, making the bottoms of my feet feel ticklish: It's A-bomb memorial today |
「海行かば」唄ひ散りしは疎開児のわれら目指しし若き戦士ら (うみゆかば うたいちりしは そかいじの われらめざしし わかきせんしら) 大きくなったら兵隊さんになってお国のために…。そう育てられていた子供たち。どれほどの人々が、これに疑問を抱いていたのか。大方は押し付けられたとの意識もなく自ずから盛り上がってしまう。振り返ってみれば、あんな馬鹿なと思われるのに。そんな時がまた?。 "Pushing out to sea," those young soldiers sang the army song to die, being aimed at by us little evacuees back home |
いくさなほ続かばわれら疎開児もゲリラ兵とされ山野に果てしや (いくさなお つづかば われらそかいじも ゲリラへいとされ さんやにはてしや) 戦乱の地に、混乱の世に。もし自分がそんな環境に生まれていたら。そう思うとぞっとする。だが待てよ。もしそんな場所にいたとしても、それなりの達成感や幸福感がある筈。ひとりの人間が生涯に味わう幸せの総量は同じなのでは。他の世界を知らなければ、そこも極楽。 If the war didn't end, we, the little evacuees, would have eventually died somewhere over hill and dale as bushwhackers* |
敗戦を民の気魂の無さと断ずいくさ始めし者のいひざま (はいせんを たみのきこんの なさとだんず いくさはじめし もののいいざま) よくあることだ。業績不振の言い訳などだ。自らの見通しの拙劣さを反省する素振りは見せぬ。景気がどうの、価格破壊がどうしたなどと理屈を並べる。こうした連中は弁が立つ。結局、世の風向きのせいにして、責任は誰も取らない。世間はそれでもうまく回るらしいが。 The man is said to have concluded the reason of the lost battle as peoples' having little guts; how he who started the war could say it |
十に満たぬをさなきわれら救国の兵となるべく日々諭されき (とおにみたぬ おさなきわれら きゅうこくの へいとなるべく ひびさとされき) 無垢の子供だ。容易に教唆される。内戦の混乱にある地域で、今でも幼いゲリラ兵が銃を握る。幸いそんな身の上にはならなかった。ただ、成長しても人は洗脳される。世界の各地に横行する自爆テロだ。かっては日本の特攻隊の連想から、無謀な行為をカミカゼと評したが。 We subteen evacuees were trained and brainwashed day after day to become a soldier to save the country |
戦後生まれ世に憚りてかにかくに厭戦を言ふわれの疎まる (せんごうまれ よにはばかりて かにかくに えんせんをいう われのうとまる) 威勢のよいことを言う連中。メディアでちやほやされている。いわゆる平和主義者たちがここでは馬鹿にされ、悪し様に言われ、笑い者にされる。むかし来た道だ。いざ戦争となれば、銃を取るのは大笑いしている付和雷同の大衆。威勢のよかった連中は前線には出ない。 Most seen in the society are of the postwar generation and they often ignore me, a wartime survivor, repeatedly crying against war |
組む膝に重ねたる手のマニキュアを吊り革の目がときに見下ろす (くむひざに かさねたるての マニキュアを つりかわのめが ときにみおろす) 見てはいけないものと決めてしまう。臆病なのだ。遠慮なのだ。派手な身形の乗客を遠慮会釈なく凝視する母親。傍にいてそれが嫌だった。ホームレスの酒盛りを、通りがかりにじろじろ見つめる妻にも注意した。だが、目を引くものを見る。天真爛漫、それが当然なのでは。 Eyes hanging on to a strap occasionally look down at the manicured fingertips of the lady's hands set on her crossed legs |
活力とふ花言葉もつすすき照る政権の投げ出し二年つづく世 (かつりょくとう はなことばもつ すすきてる せいけんのなげだし にねんつづくよ) 政治家も民も堪え性がなくなった。民主国家の成れの果てなのか。それとも成熟の過程なのか。選挙がやたらと多い。投票率は低い。半数は物言わぬ庶民だ。大声を発する一握りの連中が世の中を代弁するがに振舞う。付和雷同を誘う。考える「声なき声」が増えて欲しいが。 Eulalia said to have its language of flower as ENERGY shines in the sun, while another admin throw-out takes place in this country |
一両の気動車は影をすすき野に遠く延べつつゆるゆる走る (いちりょうの きどうしゃはかげを すすきのに とおくのべつつ ゆるゆるはしる) 西日を背に歩く。自分の影が前方に長く延びる。頭は十メートルも先を行く。そこまでは己が領分のような気もする。また、どこまでも逃げてゆく夢。手の届かぬ夢とも思える。長く引く影にはロマンがある。時とともにどんどん延びる。五尺六寸のわが身を一町にも及ぼす。 A single diesel engine vehicle runs at a crawl with its shadow stretching way back over the zebra-grass field |
月ゆゑに靴音のみな高くしてリズムたしかに門辺すぎゆく (つきゆえに くつおとのみな たかくして リズムたしかに かどべすぎゆく) 満月の夜の路地を行く。アンデルセンの「絵のない絵本」をふと思う。そしてその教科書を使っていたドイツ語の授業を。更にその学生時代へと思いは続く。冴え渡る満月。神秘の力を持つその光。道を行く人々の頭脳を励起する。みな何かを考えながら靴音高く歩いている。 Tonight, hear people's footsteps passing my house, they are clear and clip-clop in the radiance of a full moon |
万葉の世にも照りゐしかの月のひかり浴びつつ独りなりけり (まんようの よにもてりいし かのつきの ひかりあびつつ ひとりなりけり) 人間が「考える人」となったのはいつのことなのか。そのころも月は天空に輝き、思索のきっかけを人々に与えていたに違いない。ひとり月を見上げる古代人。その思考の中味とは。小生意気な表現力を身につけた現代人。考えている中味に質的な違いはないのかも知れぬ。 While the same moon must have shone in the era of Manyo, tonight, I'm fully immersed alone in that moonlight |
ひとり聞く台風情報妻のなき厨に鳴くはひとつこほろぎ (ひとりきく たいふうじょうほう つまのなき くりやになくは ひとつこおろぎ) 大事のニュース。知れば誰かと語り合いたい。残虐な事件なら共に眉をひそめ、台風がそれたと聞けば共に安堵し、原発事故を知れば共におののく。誰かと共感を味わいたいのだ。それならトゥィッターでも代用できそうだが。やはり生身の人間のぬくもりにかなわぬようだ。 Listening alone to a typhoon warning on the radio, next thing I know, the voice of a cricket in the kitchen where my wife has left |
一つひとつ事を成しきてこの年もかへるでのはや裸木となる (ひとつひとつ ことをなしきて このとしも かえるでのはや はだかぎとなる) 仕事には大抵〆切がある。些細な仕事でも、きまりがつけば達成感がある。それを重ねているうちに月日がたつ。ときには予期せぬ課題も生じて、日頃のリズムを崩す。リズムを乱され、癇に障ることもある。だが、予期せぬことが起きるのも長い人生のリズムのうちなのだ。 Getting things done one after another, this year again, see the maple tree in the garden turning out a deadwood |
届きたる林檎の礼を告げをれば故郷の夕べは雪の降るらし (とどきたる りんごのれいを つげおれば さとのゆうべは ゆきのふるらし) 電話に聞くふるさとの言葉。かってはこの長距離電話代が高かった。公衆電話で実家の母親と話をすれば、用意した十円玉が数秒ごとに落ちてゆく。今では電話は電報料金よりはるかに安い。昔は二分間ほどの用件のみの電話だった。それが今は、長々と茶飲み話に花が咲く。 In returning thanks to my family back home for the apples just arrived, hear over the phone they're having snow |
マルクスもケインズもなほ語られて株価追ひゐる人ら増しゆく (マルクスも ケインズもなお かたられて かぶかおいいる ひとらましゆく) 株式投資で良い思いをしたことはない。かと言って小遣いほどの投資だから、損をしても知れている。その癖、いつも経済の話題には口角泡を飛ばす。いっぱしの評論家気取りだ。大方は世に言われていることの受け売り。先見の明などないし、それほど真剣でもないのだ。 Keynes and Marx are still often quoted in the society, where the number of people dabbling in stocks increases |
政治家の世襲を詰るわれにして父にひとしく歌詠み始む (せいじかの せしゅうをなじる われにして ちちにひとしく うたよみはじむ) 別にDNAと言うほどでもない。現役を終える頃になって始めた。感受性の豊かだった青少年期には興味が持てなかった。早く始めていたら、もう少し何とかなったろうに。それにしても安直な趣味だ。金はかからぬ。道具も要らぬ。使い古した脳味噌に頼るのみなのである。 Criticizing those second-generation politicians on one hand, start writing poems just like my father did on the other hand |
末枯れの道に行き交ふ人も犬も世の平穏は疑はぬらし (うらがれの みちにゆきかう ひともいぬも よのへいおんは うたがわぬらし) 平穏な世が続くとは限らぬ。思わぬ天変地異や原発事故のような大きな人災も起きる。戦争とはおよそ縁遠い六十年余を経た。しかし、これとてもどう転がるか。それでも人は足元の平穏なリズムにすぐ慣れる。そしてそれが、願うまでもなく、続くものと考えてしまうのだ。 Going along the withered walkway, brush against each other with people and dogs who seem to make no question of peace in the world |
他人を見る楽しさもありたまさかのわが旅にしてこころ浮き立つ (ひとをみる たのしさもあり たまさかの わがたびにして こころうきたつ) 景色を眺めるのは旅の楽しみ。だが旅に出会う見知らぬ人々を観察することは尚更面白い。人々の会話にも振舞いにもいつになく心を惹かれる。旅のたかぶりなのか。海外旅行ともなれば土地の人との関わりは殊に記憶に刻まれる。異文化の存在を身をもって納得するのだ。 It's one of my favorite amusements to see how other people behave during my first trip in a long while |
墓碑になほ妻の戒名見ずと言はれ寺がくれたり石屋のちらし (ぼひになお つまのかいみょう みずといわれ てらのくれたる いしやのちらし) 山道に見る古い墓石。風雨に曝され殆ど文字は読めぬ。文化何年と刻まれているようだ。立派な石碑でも二百年ほどでかくもぼろぼろになる。余程の歴史上の人物のものなら、更新の建立もされよう。多くの墓石は時とともに風化し、やがてはただの石塊へと砕けてしまう。 Saying our family tombstone doesn't carry yet an epitaph for my deceased wife, the monk puts the leaflet of an engraver right in my hands |
門に立つは宅急便の少女なり林檎ぷんぷんの箱を抱きゐて (かどにたつは たっきゅうびんの しょうじょなり りんごぷんぷんの はこをだきいて) ピンポーンのチャイム。宅配の声に玄関を開ける。思いがけぬ若い娘だ。荷物を抱えて立っている。受取るボール箱はずしりと重い。林檎の香りだ。家内の生家の今年の収穫だ。「ありがとう」と声をかければ、ぴょこんと頭を下げて娘は車へと去る。林檎の香りが心地よい。 It's a girl from the delivery service to stand at the door, with a carton box that smells already of apples from my home |
妻を失って五年目になる。この間に世の中も動いた。とくに、妻の三回忌を終えたあたりからが激しい。米国のいわゆるリーマン・ショックに始る金融危機と不況、この国では珍しい政権交代。そしてこのたびの千年に一度と言われる東北大震災。更に、安全神話に支えられていた原発の事故だ。 幸いにして、世のかかる激変に関わり薄く馬齢を重ねているのが私だ。七十五歳になる。視力はかなり落ちてきたが、そこそこの健康は保たれている。頼みの記憶力もまだ損なわれてはいないようだ。歌作のリズムも定着している。 ここでは、二〇〇七、八年に詠んだ作品、百二十四首を収めた。あらためて読んでみると、いささかの感も禁じ得ない。いつのまにか自分のスタイルとなってしまったようにも思える。残り少ない年月だが、さて、新たな境地に入ることが出来るのやら。 二〇一一年五月十五日 ・ ・ ・ ・ 長沢英治 ![]() |