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更新: December 26, 2004
滅多に人の立ち寄らぬ古書店の棚にいつまでもおかれている歌集。万が一、人目に触れて手に取られても、すぐまた棚に戻されてしまう歌集。でも、新刊本のように、あっという間に出版元に返本されることもなく、無精者の店主のお蔭で、処分されることもなくいつもそこにある歌集。 インターネットのホームページはまさにそんな本棚を提供してくれている。何かの拍子で、ここへ来た人がちらっとでも目にとめてくれれば、それで幸甚と思う。 |
一年の憂さこそこゝに元日の夜の巷に恐ろしき闇 (いちねんの うさこそここに がんじつの よるのちまたに おそろしきやみ) 元日の夕方、年賀はがきを投函しがてら、町に出てみる。まだ五時過ぎというのに、人通りもない。元日の客を当て込んだ玩具屋、ケーキ屋、和菓子屋も早々とシャッターを下ろしている。普段ならあり得ないこの日だけの闇だ。何となく縁起の悪い気分になる。(一九九九年、NHK歌壇) The year's melancholy, all condensed here in the town's ominous darkness of the night on New Year Day |
元日の雑煮に餅の足らざるを妻といさかふ母をかなしむ (がんじつの ぞうににもちの たらざるを つまといさかう ははをかなしむ) 痴呆症に罹っている母親の世話をしてくれている妻。症状が進めば進むほど、叱ってくれるその嫁を頼りにしている母。元旦の雑煮から、もういつもの言い争いが。正月も何もあったもんじゃないと、つい腹を立ててしまうのだが。(二〇〇三年、新アララギ) Feel pity for my mother ill with dementia having a tiff with my wife about her rice-cake share in the New Year's special soup |
成人式終へし若きらいっときの賑はひのこし町を去りゆく (せいじんしき おえしわかきら いっときの にぎわいのこし まちをさりゆく) 市民広場にたむろする振袖姿、スーツ姿の新成人たち。ただならぬ雰囲気だ。これだけの若者たちが、どこから現れたのだろう。町中の目を集めたそのあでやかな賑わいも小一時間もすれば、あとかたもなく消える。(二〇〇三年、新アララギ) After the coming-of-age ceremony, leaving a moment of racket in the town, all young adults have disappeared |
誘はれ代行バスへと被災地の路地行く我ら罪人の如 (いざなわれ だいこうばすへと ひさいちの ろじゆくわれら つみびとのごと) 阪神大震災の直後、住吉、灘駅間の不通区間に代行バスが運転された。駅から数百メートルのバス停まで、係員に誘導されて絶え間無い人々の行列。潰れた家々の路地を行く伏し目がちな無言の列だった。(一九九五年、読売歌壇) Like people being guilty of a sin, we follow the lanes with scenes of the seismic disaster to the spot for an alternative omnibus |
気負ひさへ見せて迎へし定年も三とせに入れば凡夫の日月 (きおいさえ みせてむかえし ていねんも みとせにいれば ぼんぷのひづき) 定年後の人生設計などというセミナーがあった。大きなお世話、そんなことは自分で考える、と迎えた定年だったが。もう三年も経ってしまった。いつのまにか普通の老人の生活を送っている。さしたる不満もないのだが。(一九九九年、NHK文芸選評) Though retired under the age limit very much motivated with some can-do spirit three years ago, live a life to the unspectacular for an old man |
鬼やらふ声にぎはひし長屋いま更地となりて闇にひろがる (おにやらう こえにぎわいし ながやいま さらちとなりて やみにひろがる) 向こう三軒両隣で豆撒きが賑やかに始まる。父親たちの元気のよい声が響き合う。普段はシャイな父親でも、子供の手前、負けてはいられない。その長屋も更地となり、やがてマンションに。こんな節分の賑わいがまた戻るのだろうか。(二〇〇三年、新アララギ) The sweet old row house people used to outshout on the bean-throwing ceremonies has gone, and only the cleared land broadens in the dark |
されかうべ洗ふが如き感触を掌に与へゐる今朝の洗面 (されこうべ あらうがごとき かんしょくを てにあたえいる けさのせんめん) 出張先のビジネスホテルの洗面台で、洗っている自分の顔がやけに骨張っているのに気付く。まるで発掘した髑髏を洗う感触である。でも、今朝は何故こんな感触がてのひらに宿るのだろう。心のどんな働きで、こんな風に思うのだろう。(一九九四年、読売歌壇) I'm washing my face this morning, making my hands feel like rinsing a death's head |
車窓より恋する女のまなざしとなりて少女は海を見てゐる (しゃそうより こいするおんなの まなざしと なりてしょうじょは うみをみている) 人が海を見るときの目差しには独特のものがある。広角レンズで写すかのように、広い海原をそっくり、網膜に収めようとする。その目付きは何か哲学的な思索にふけっているかのようだ。そして、少女のそれは、恋する大人の女性の・・・。(二〇〇二年、NHK歌壇) As if she were a lady in love, the colleen is giving the ocean an abstracted gaze from the train window |
居酒屋は書店と替はり街角に新刊本の匂ひを流す (いざかやは しょてんとかわり まちかどに しんかんぼんの においをながす) 仕事を終え、家路につく街角。赤提灯につい誘われる。一合の酒が二合に。けっこう流行っていたそんな店が、いつの間にか閉じられて、あとに本屋が開店した。信号を待つ間に、入荷した新刊本の匂いが。新たな誘惑の香りだ。(一九九〇年、NHK文芸選評) Smell of newly published books, coming out from the bookstore just replaced a pothouse at the corner of the street |
残業を終へしものらの沈黙を集めつつ下る夜のエレベーター (ざんぎょうを おえしものらの ちんもくを あつめつつくだる よのえれべーたー) 残業も七時、八時の宵のうちに終われば、帰る連中にも勢いがある。ちょっと一杯などという寄り道もする。だが、十時を過ぎると惨めだ。ビルの正面玄関は閉じられていて、地下の守衛室の前を通って、人気の無い暗い地上へ。(二〇〇二年、新アララギ) Collecting silence of those businesspersons having done overtime at every floor, the elevator is going down in the night |
長旅の果ての切符を駅員に手放す時は淋しかりけり (ながたびの はてのきっぷを えきいんに てばなすときは さびしかりけり) 長い旅行の行く先々で、ずっと離さなかった周遊きっぷ。今、わが町の駅を降りるとき、駅員が無造作にそれを受取る。記念にと貰うことも思うが、生来の整理下手なので、いずれ、どこかに紛れ込んで、忘れられてしまうに違いない。(一九九五年、読売歌壇) Feel somewhat disconsolate when my ticket is finally given to the station attendant at the wicket, the ticket has just made a long journey always together with me |
乗り合はす老女勧むる飴一つ冷たく撥ねし我を恥ぢゐつ (のりあわす ろうじょすすむる あめひとつ つめたくはねし われをはじいつ) 汽車の四人席で、肩触れ合っての同席。世間話、蜜柑や駄菓子のやりとり。昔の旅の楽しさでもあった。いまでは、新幹線などで、3時間も隣り合っても、一言も口をきかない。ましてや、「おひとつ如何?」などと言われても・・・。(一九九四年、読売歌壇) Accuse my bad conscience, my flat refusal of kind offer of a hard candy by the old woman sitting next to me on the train |
丸き尻わが鼻先を掠めゆき席取る娘らの旅の華やぎ (まるきしり わがはなさきを かすめゆき せきとるこらの たびのはなやぎ) 新幹線の途中駅から乗り込んで、3列席の窓際席に落着くまでの苦労。「すみません」と、眠っている人の脚を跨がねば。春休みの女子大生らは活発だ。ジーンズのお尻で、どしどし入り込んでくる。恥じらいの気持はどこかへ。(一九九四年、NHK文芸選評) Girls muscle in for seats near the window, with their muscular rear ends almost touching my face, here being joy of journey |
昇格者人事を壁に見しものが黙って吾のかたはらを過ぐ (しょうかくしゃ じんじをかべに みしものが だまってわれの かたわらをすぐ) 人事の季節だ。本年度の昇格者の一覧が壁に貼り出される。心当たりのある社員には気掛かりな掲示だ。一覧を見終わって、それなりの昇格を果たしたものも、そうでないものも、みな無口。昼休みの喫茶店のひそひそ話で火がつく。(二〇〇二年、新アララギ) The guy who has just read the list of promotion on the wall poster passes quietly by my side |
事務室の絵をゴーギャンに替へにけり四月の空の窓に明るし (じむしつの えをゴーギャンに かえにけり しがつのそらの まどにあかるし) 新年度の出足が気になる。壁の絵を南国の色彩豊かなものに。勿論、コピーだが。部屋の雰囲気が明るくなる。描かれた娘たちは何を語り合っているのか。窓の日差しにも、いつにないエネルギーが感じられる。良い方に転がりそう。(一九九二年、NHK文芸選評) Have changed the picture in the office to one of the Gauguin's, the April sky is seen very bright through the windows |
うたたねの少女の手元ゆるむとき本のページがぱらぱらもどる (うたたねの しょうじょのてもと ゆるむとき ほんのページが ぱらぱらもどる) テレビ番組で、CM中断後に、前のシーンの数秒間を再度流して番組を進めることが多い。親切のつもりか。でも、これが癇に障る。人間の脳には中断前の記憶は鮮明に残る。本の場合も同じ。栞のページから無駄なく読み継ぎたい。(二〇〇三年、NHK歌壇) Slipping through the fingers of the dozing girl, a few pages of the book in her hand are turned back |
斜め前の席につつましくノート取る白きその指細きその腕 (ななめまえの せきにつつましく ノートとる しろきそのゆび ほそきそのうで) 新学期が始まった。ちょっと気になるその人が、階段教室の前の列に。一々のしぐさが美しい。他の人と比べたわけでもないが。講義に集中してノートを取るその姿に、自分も講師の話を聞かねばと思う。だが、いじらしく動く指が・・。(二〇〇一年、新アララギ) Sitting diagonally to the front of me, she's noting down modestly in class with her white fingers and with her slim arm |
サーファーの波頭にまろびまた立つを宿の酒宴の始りに見る (サーファーの はとうにまろび またたつを やどのしゅえんの はじまりにみる) 海浜のホテルでの商談と会食。待ち合わせのロビーから見る明るい海。光を放つ波頭。そこに群がるサーファーたち。非日常的な世界だ。それにしても、ビジネスマンたちは何故こんな場所で商談をするのだろう。役得と思う人もなかには。(一九九四年、読売歌壇) Tumbled many times on the crest of waves, surfers sometimes play well, viewed from guesthouse where a business dinner kicks off * |
昏睡の母の手にぎる妻が言ふいま「ありがたう」の合図ありしと (こんすいの ははのてにぎる つまがいう いまありがとうの あいずありしと) 終始虚ろだったその晩年。間もなく命を閉じる昏睡状態。その手を握る嫁に何かを伝えんとするように握り返す義母。諍いもあったが、結局、その嫁の世話になった終末だ。昏睡状態でもその謝意を伝える信号と納得できるものだ。(二〇〇三年、新アララギ) Sitting beside my mother in a coma and giving her hand a squeeze, my wife says "now, your mam is sending me her message of thanks" |
門ごとに銅鑼鳴らし行く葬列は桐の花咲く山陰に入る (かどごとに どらならしゆく そうれつは きりのはなさく やまかげにいる) 葬儀のやり方は地方により異なる。銅鑼を持つ僧侶を先頭に葬列が進む。家々の門口で立ち止まり、じゃんじゃんとそれを鳴らす。位牌、写真、骨壷などを持つ家族、葬旗を持つ親族や近隣の人がつづく。やがて、新緑の山陰に入る。(一九八九年、NHK文芸選評) A funeral parade, beating gongs, greeting neighbors from door to door, now hides behind the hills with blooming paulownias |
切る爪のひとつが高く飛行して墜つどくだみの濃き叢に (きるつめの ひとつがたかく ひぎょうして おつどくだみの こきくさむらに) 足の爪は、小さな爪切りでは、どうもうまくゆかぬ。ついつい馴れた裁ち鋏を使う。新聞紙などを敷いて、縁側の日向でだ。ともすると切った爪がとんでもない所まで飛ぶ。初夏の縁先に繁茂する草花。十字花も可愛らしく咲いている。(一九九七年、NHK歌壇) One little silvery chip clipped out of toenails flew far up into the air and dived into greenish bouquet of Dokudami |
庭園の池の小島に花嫁らつぎつぎ立つを喫茶に眺む (ていえんの いけのこじまに はなよめら つぎつぎたつを きっさにながむ) 週末が大安吉日ともなると、結婚式の披露宴会場はどこも大賑わい。庭園を見渡せるロビーの茶房にも、時間待ちの招待客が。池の小さな島には、ウエディングドレスの花嫁が入れ替わりカメラにポーズをとる。別世界の一日だ。(二〇〇〇年、NHK文芸選評) In cafe, just looking at brides posing by turns on the islet of garden pond |
新しき「ひかり」に乗りてワゴン押す少女の脚の長く美し (あたらしき ひかりにのりて ワゴンおす しょうじょのあしの ながくうつくし) 鉄道ファンなら新型車両に乗れることは一大事。二階に食堂のある車両。三人掛けの座席もペダルを踏めば前後に回転するのが珍しい。コーヒー、ビールの車内販売でカートを押す女性もスマートに見える。子供のようにはしゃいだ。(一九九〇年、NHK文芸選評) Young woman, with shapely legs, wheels a bar cart through the aisle of the brand new Shinkansen coach * |
見はるかす田は小糠雨農夫一人ちひさく屈み浮苗植うる (みはるかす たはこぬかあめ のうふひとりちいさくかがみ うきなえううる) この時期、西日本のどこにも、田植えを負えた水田が見られる。折しも梅雨に入る。近所総出の賑やかな田植えの後、見事な無人の水田が広がる。と見ると、小さな人影がひとつ。大きな景の中、浮き苗、転び苗の世話をする一人ぼっち。(一九九六年、読売歌壇) It's drizzling over the rice paddy as far as the eye could see, and a farm worker crouches low there to fix the floating seedlings |
踏む石のぐらりと揺れて氷壁に対ひゐる身に走るをののき (ふむいしの ぐらりとゆれて ひょうへきに むかいいるみに はしるおののき) 街は風薫る初夏だが、登山電車とロープウエイでアルプスの高地に来れば、氷河も氷壁もすぐそこにある。山男たちにならって、たわむれに、がれ場に足を踏み入れる。おぼつかない足元に、すぐさま撤退。カフェで暖かいコーヒーを飲む。(二〇〇三年、新アララギ) Being given the cold shivers each time stepping onto an unstable rock, now face the ice wall |
職引かば妻伴なはむ描かれしゲンファー・ゼーの小さき村に (しょくひかば つまともなわん えがかれし ゲンファーゼーの ちいさきむらに) バーゼルの美術館で、フェルディナンド・ホドラー(一八五三ー一九一八)の絵に惹かれた。個性的な色調でレマン湖を多く描いたスイスの画家だ。ふと、こんな場所を訪ねてみたいと思う。出来れば妻を連れてきたいもんだ。(一九九一年、NHK文芸選評) On my retirement, will take my wife to the small village by the lake, Genfersee, painted on the picture displayed in the museum |
数珠を繰る百万遍の声揃ふ家の下なる蛍田の風 (じゅずをくる ひゃくまんべんの こえそろう いえのしもなる ほたるだのかぜ) 百万遍念仏は葬儀の後や初盆などで、集落の人達が集まってする行事。一〇八〇顆の大数珠を回しながらの大合唱。小高い家から風に乗って洩れてくるその声。集落の団結のうるわしさも感じさせる。稲田には蛍がさかんに飛び交っている。(一九九四年、読売歌壇) People repeat in unison the name of Buddha passing the big rosary from hand to hand, the sound travels down with wind into the house's rice paddy with the glow of fireflies |
タワービルの吐き出す群れの一波きて四五人が入る角の居酒屋 (タワービルの はきだすむれの いっぱきて しごにんがいる かどのいざかや) 夕刻、 超高層ビルから吐き出される人波はまさに波だ。大きなエレベーターが着くたびに、大勢のサラリーマンがビルを出る。その脈流は暫く路上につづく。地下鉄の駅へ急ぐもの、街角の赤提灯に立寄るもの。脈流も次第に崩れて・・。(二〇〇一年、新アララギ) As an evening shot of the massive working stiff just dispensed by the high-rise building goes by, some are crossing their thresholds at the pub on the corner |
冷気流す果物店の前に立ち暫し歩みの汗をひかしむ (れいきながす くだものてんの まえにたち しばしあゆみの あせをひかしむ) 夏ともなれば、百貨店の入口など、思いっきり冷風を流して客を店に誘おうとする。そんな入口に、背広の上着を手に、汗を拭きふきビジネスマンが屯している。顧客訪問の途中なのだろう。青信号を待つ束の間でも、冷気はご馳走だ。(一九九五年、読売歌壇) Remain standing for a while in the cold air coming on the street out of the fruit shop, cooling my body having got up a sweat from walking |
ピロピロと出会ひ求むる発信のあまねく満つる瀬戸の青空 (ぴろぴろと であいもとむる はっしんの あまねくみつる せとのあおぞら) 携帯電話の普及はすさまじい。今や若者のみならず小学生や高齢者までが使っている。電話から発信される無線信号が、この青空にもひしめき合っている筈だ。莫大な通信費用を支払って、どんな美濃ある会話がそこには・・・。(二〇〇〇年、NHKBS列島短歌大会) Young "Feep, prr..," digital signals looking for partners are hovering in the azure sky over the Seto archipelago |
手招きて飽かぬが如き八手の葉人なき庭に風の絶えざり (てまねきて あかぬがごとき やつでのは ひとなきにわに かぜのたえざり) 独居老人の住む屋敷が並ぶ。訪う者も滅多にない家の庭で八手の葉が風邪に揺れている。おいでおいでをしている。子息たちは遠い土地に落着いてしまった。やがてこの屋敷も売られ、小さな家が三軒。そして新たな若い家族たちがここに。(二〇〇一年、読売歌壇) It looks leaves on the fatsia never stop beckoning, while the wind never stops in the garden where nobody appears |
不気味なる朝の都会の静けさよ死の灰降りし幻影のごと (ぶきみなる あさのとかいのしずけさよ しのはいふりし げんえいのごと) 夜汽車で早朝の都会に着く。大都会のビル群に人っ子ひとり見えない。「まだ町は眠りに」と言った詩的な雰囲気でもない。SF映画の示唆する世の末のよう。八月と言う時期がこんな気分を誘うのか。ちらほら人の動きも見え安堵。(一九八八年、NHK文芸選評) There's an unearthly silence in the heart of the big city early in the morning as if we were having a nightmare it'd been hit by radioactive fallout |
立秋の朝一番のパソコンに残暑見舞ひのメール現る (りっしゅうの あさいちばんの パソコンに ざんしょみまいの メールあらわる) 土用に入れば暑中見舞、立秋を過ぎれば残暑見舞。季節の挨拶に几帳面な人も多い。電子メールの書き出しに時候の言葉が添えられることは希だろう。季節を追う自然の変化を意識しながら生きたい。「暑い」「寒い」を言い合いながら。(一九九九年、読売歌壇) This morning, the day setting-in of autumn on the lunar calendar, the screen of my PC first shows a punctual season's greeting offering me best wishes for the lingering summer heat |
湯の町の郵便局のラジオより玉音を聞きしわれら疎開児 (ゆのまちの ゆうびんきょくの ラジオより ぎょくおんをききし われらそかいじ) 終戦の詔勅をラジオで聞いた記憶には、その玉音の内容より周囲の状況の方が鮮明だ。まばゆい真夏の緑、蝉時雨、破れたゴムズックの学童たち。戦争が終わったのなら、すぐにも親が迎えに来てくれるのか。その他に何を思っただろう。(二〇〇三年、新アララギ) At the local post office of a hot-spring town, we student evacuees drew up to listen to Emperor's declaration to end the war from a screaming radio |
渋谷にてまた乗り合はすささやかなそんな幸せ噛みしめてをり (しぶやにて またのりあわす ささやかな そんなしあわせ かみしめており) 通勤通学で電車を利用するとき、みな不思議と乗る車両、位置が決まっている。周囲を見れば、いつものメンバーが。言葉など交わすこともないが、何となく安堵感の得られる空間だ。そしていつもの駅でその人が乗って来てくれれば・・。(二〇〇一年、新アララギ) Just going through that little luck on the train, becoming the fellow passenger of the lady again at Shibuya |
駅に別れ返すきびすの昼下がり用のなくして地下街に入る (えきにわかれ かえすきびすの ひるさがり ようのなくして ちかがいにいる) 駅や空港で人を見送った後の気分は妙だ。ちょっとの間、つぎの仕事にすっと入れない。よほど遅い夜でなければ、連れと喫茶店などで無駄話をする。これは葬儀参列の後も同様である。送られる方にはこんな気持は涌かないのだが。(二〇〇一年、NHK文芸選評) Parting at the station early afternoon and turning on my heel, going into the underground town for the hell of it |
守らるるものとふ意識もはやなきうからら眠る家にかへり来 (まもらるる ものとういしき もはやなき うかららねむる いえにかえりく) 仕事を終え、同僚と一杯やって、一時間余の電車に揺られて家に着く。日付の変る頃だ。こんな毎日が十五年。家族もそれが父親と思っている。誰のお蔭でおまんまが食えているのだ、などと野暮なことは言わない。そんな元気もない。(二〇〇二年、新アララギ) Return to my own house in the small where my family members who don't think any longer they are protected by me are already in bed |
君の意を踏まへし後の結論と出向先がさらりと告げらる (きみのいを ふまえしのちの けつろんと しゅっこうさきが さらりとつげらる) 人生の分かれ目とも言えるイベントがさらりと過ぎる。何の大仰さもなく。人事異動は会社員にとって大変な関心事。それを告げる者には微妙な瞬間だ。告げた後の大仕事をやり抜けたような気分。素直(?)に受け入れられたと見える安堵感も。(二〇〇一年、NHK歌壇) Having been said this is the best solution taking your wishes into account, the new job assignment is told without any ado |
洋蘭の丈の高きに花ありて部屋に孤独の心地薄らぐ (ようらんの たけのたかきに はなありて へやにこどくのここちうすらぐ) 独りになりたい時、その独り居がやけに侘しく思える時。人は身勝手なもの。猫などが書斎で鼻息を立てて寝ていればそれで心も安らぐ。観葉植物でもよい。孤独感は和らぐ。そうかと言って、女房などにしばしば顔を出されるのも困るが。(一九九六年、読売歌壇) As flowers are there on the long-stemmed orchid in my room, feel relieved a little bit of loneliness |
葡萄園古城に迫る丘に立ちシュバイツァーの町飽かず眺むる (ぶどうえん こじょうにせまる おかにたち シュバイツァーのまち あかずながむる) ドイツのカイザースブルグはアルバート・シュバイツァー生誕の村。ワイン街道と呼ばれるこの辺りは一面の葡萄畑。古城のある丘に立てば中正の町並みが一望に。石畳の道をゆけば、家々のたたずまいにも懐かしさを覚えるのは何故だろうか。(一九九四年、NHK文芸選評) Beside the hilltop medieval castle with vineyards crawling up around, having an untiring view of the Schweitzer's town |
茸狩に行かで久しきかの山に熊住み初むと弟の便りは (たけがりに ゆかでひさしき かのやまに くますみそむと おとのたよりは) 裏山の樹林に分け入る茸狩りは村人にとって季節の楽しみ。都会に出た若者らにも身のうずく時期だ。過疎化で人影の消えた故郷の山には熊が出没。茸汁、茸の塩漬け。懐かしい舌触りを思い起こしつつ、すっかり都会人になった今朝の出勤。(一九九六年、読売歌壇) Many years passed without going out hunting mushrooms in the mountain back home, where, my brother just informed, bears had pitched their tent |
新しき畳の匂ひ稲刈のあまねく終へし畔道ゆかば (あたらしき たたみのにおい いねかりの あまねくおえし あぜみちゆかば) 毎朝の通勤で通る畦道。この週末に稲刈りを終えた田が広々と広がる。稲藁の匂いが心地よい。畳の匂いだ。コンバインでの収穫だから、かって親しんだ稲架は見えない。バブル崩壊でペースは落ちたが、やがてここにも、家が建ち並ぶのだろう。(一九九三年、読売歌壇) Smell of fresh tatami mats, going through the big field, everywhere people have finished harvesting rice |
少女らはゴーギャンの絵にありしごとシートに並び語り合ひをり (しょうじょらは ゴーギャンのえに ありしごと シートにならび かたりあいおり) 数人の若い女性が乗り込んでくる。昼間の空いた電車だ。向かいのシートにずらりと並んで坐る。みな背筋を伸ばして行儀良く坐る。隣り合うものどうしの静かな会話。こんな構図がゴーギャンの絵にあった。日差しの明るい車内だけに。(二〇〇二年、新アララギ) Pulling alongside on a bench like those figures in one of Gauguin's paintings, girls hold a conversation with each other |
相手の目を捕らへて話す強き娘に君はなりたり留学終へて (あいてのめを とらえてはなす つよきこに きみはなりたり りゅうがくおえて) ふとしたきっかけで人は変る。クラスで思い切って大きな声で朗読をした後。小さな喧嘩に勝った後。でも、異郷の文化に浸ったとしても、そんなきっかけを掴めぬまま、シャイな生涯を終えるものもいる。変身を自覚する楽しさも知らぬままに。(二〇〇三年、読売歌壇) Back home after studying abroad, you've become a girl with sound mind who talks looking into the eyes of the partner |
ふるさとの林檎くるみ来し地方紙をしわ延ばしつつ妻は読みをり (ふるさとの りんごくるみきし ちほうしを しわのばしつつつまはよみおり) 「ふるさとの訛なつかし・・」だ。折々届く小包の包装紙にも故郷の香りが。ローカル紙の記事はいかにも身近である。だが、いまやネット社会がこの郷愁を薄める。少なくとも情報量の地域差はない。ふるさとの訛りも若者から消えてゆく。(一九八八年、NHK文芸選評) Flattening it carefully, my wife is reading the local newspaper that was used to wrap the apples from her home |
赤彦の歌大声に流しつつ遊覧船は諏訪の湖ゆく (あかひこの うたおおごえに ながしつつ ゆうらんせんは すわのうみゆく) アララギ歌人島木赤彦は諏訪の人。秋の旅行シーズン。遊覧船には社員旅行などの団体客が。甲板の拡声器の大音響が湖面に広がる。赤彦の歌も観光案内に交じって紹介される。こんな旅をきっかけに、短歌を作り始める人がいるかも・・。(二〇〇一年、読売歌壇) Going around the Lake of Suwa, a pleasure boat reads a poem of the Akahiko's anthology over the loudspeaker |
四十余年蓄へしもの一息に吐き出さんとて朱肉に向かふ (しじゅうよねん たくわえしもの ひといきに はきださんとて しゅにくにむかう) 大きな買物をするからといって、それほど身構えるわけではない。住宅などの購入でも半ば衝動買いの体だ。多くは縁みたいなものと自嘲する。全財産を使ってしまう快感みたいなものを覚える。裸で生まれた本来に帰る安堵感のようなもの。(一九九七年、NHK文芸選評) Deciding now to spend all what has been saved during the past 40 years on it, face up to the contract with a sign pen |
かく酔ひてけふををさむる身に寒しプラットホームにすさぶビル風 (かくよいて きょうをおさむる みにさむし プラットホームに すさぶビルかぜ) 仲間と一杯やって一日を終える。こんな習いから抜けられぬ。尻の重い連中と別れ、駅のホームに立つ。思わぬ風の冷たさに身を仮託する。見上げれば高層ビルにはまだ灯のある窓が。こんな日々を、と悩んだこともあったが、それも・・・。(二〇〇二年、新アララギ) Calling it a day being drunk in this way, have chills of strong winds blowing through the skyscraper waiting for a train on the platform |
九千歩あゆむ日課の道にして猫一匹に声かけらるる (きゅうせんぽ あゆむにっかの みちにして ねこいっぴきに こえかけらるる) 不意に犬に吠えかかられることがある。あまり良い気分ではない。何度もそこを通れば犬も大人しくなる。たまたま他の者が吠えられたりすると、自分に特権を与えられた気になるから面白い。ましてや愛想の悪い猫に呼び止められたら。(一九九八年、NHK歌壇) On the way taking my daily 9,000-pedometer walk, I was just hailed by a cat sitting at the side of the road |
湖を経て黄味さらに濃く西日あり伊吹に高き雪のひだひだ (うみをへて きみさらにこく にしびあり いぶきにたかき ゆきのひだひだ) 琵琶湖の東に伊吹山がある。一、三七七メートルの滋賀県で一番高い山。高山植物など豊かな草木に恵まれ、冬には積雪も多くスキーヤーで賑わう。関ヶ原辺を新幹線で通る時には必ず目を向ける。冠雪した山頂の今日の表情を確かめんと。(一九九六年、読売歌壇) Having traveled across the lake, the further yellowed afternoon sunlight is at the summit of Mount Ibuki with corrugated snowcap fanning down |
ぽんと背を押され別るゝわき道に街より早き黄昏迫る (ぽんとせを おされわかるる わきみちに まちよりはやき たそがれせまる) 人事で本流から外れる。わき道の日当たりの悪さを実感する。本通りの明るさがやけにいまいましい。ぽんと背を押して見送ってくれた奴も、今では知らぬ顔。運命共同体といっても、ひとたび斜陽となれば、この小暗いわき道から暮れる。(一九九八年、NHK歌壇) Slapped on my back by a leaving friend, turn now into a bywalk where it's getting in the twilight faster than the high street |
角曲がる小さき車の窓ガラス鮮明に写す我のネクタイ (かどまがるちさきくるまの まどガラス せんめいにうつす われのネクタイ) 明るい日差しの中を歩く己の姿。商店のガラス戸などに鮮明に映ることがある。自分と認識するのに、ひと呼吸あるのが面白い。頭にある己のイメージはいつもひと昔以前のもの。いつまでも若くありたいとの本能的な願望か。鏡が嫌いになった。(一九九四年、読売歌壇) A small vehicle just going around the corner in front of me reflects clearly my necktie in its tiny window |
山の湯にふとかいま見し白きかげ青春の鼓動われに鳴り初む (やまのゆに ふとかいまみし しろきかげ せいしゅんのこどうわれになりそむ) ずいぶん幼い頃から異性を意識する。身なりや言葉づかいの違う連中と思うのだろう。だが、思春期を経てから感じるときめきは格別だ。その時分の甘酸っぱい感覚がいつまでも思い出として残る。異性の存在が文明を前進さすエネルギーだ。(二〇〇二年、新アララギ) Stealing a peek by chance at the fair skin of a woman taking a bath in a mountain lodge, my vernal passion started to throb |
短歌を終生詠みつづけた父の影響と言う訳でもなく、また余生のための生き甲斐の準備と言うでもなく、五十二歳になった頃から、それらしいものを作り始めた。ラジオや新聞歌壇などで時折入選したりすることで、深入りすることとなる。 六十九歳となった今、歌作のペースも上がり、気に入った作品もかなり溜まった。ここでは、一九八八年以来のものの中から五十三首を選んでみた。 今後も、旅の歌、過ぎゆく日々の歌に加えて、短歌とは縁なく過ごしてきた過去のくさぐさにスポットライトを当てる作品も多く詠みたいと考えている。 ・ ・ 二〇〇四年十二月二十六日 ・ ・ ・ ・ 長沢英治 ![]() |