あ行 |
会津そば包丁 |
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福島県の会津周辺で古くから使われる珍しい型のそば包丁。 |
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揚げそば |
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切ったそばを油できつね色に揚げたもの。 |
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浅草薬師・東光院 (明暦の大火以降) |
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慈性日記で、そばを振舞った東光院は明暦の大火後、浅草・新寺町に移る。 |
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仇敵 手打新蕎麦 (麺棒が複数本) |
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文化4年版(1807)の黄表紙。やっと複数本の麺棒が画かれている。 |
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熱盛そば 蓋つきの蒸籠に盛った熱盛そば |
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大阪・お初天神東横 瓢亭の夕霧そば。
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敦盛塚と熱盛そば 明治に入ってからの映像か? |
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須磨にあった平敦盛と熱盛にかけて江戸時代に繁盛したそば屋。 |
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出雲おろち大根 |
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島根に自生する野生種を選抜育種した辛味大根の新品種。 |
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色ひいな形 「立ってそばを打つ」 |
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宝永8年(1711)の春画。京都のそば屋で初めて?立ってそばを打っている。 |
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うずらそば券 美々卯のそば回数券 |
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大阪の「美々卯」が熱盛りの「うずらそば」を発売し、「うずらそば券」を発行した。 |
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うろうろ舟 (隅田川) |
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大坂の淀川では「くらわんか舟」。江戸の隅田川では「売ろ舟(うろうろ舟)」。 |
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江戸名所図会 (浅草 新寺町) |
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浅草新寺町の図には称徃院と東光院も見える。称往院の中に道光庵があった。 |
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(寿命そば)越前屋 寝覚の蕎麦屋 |
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中山道の木曽郡上松町の寝覚め(寿命)そばは江戸時代からの木曽路名物。 |
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大坂市街図屏風 「八けんやはたこ町の周辺」 |
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大坂城と大坂の町の賑わいの中に女性がそばかうどんを打つ図が見て取れる。 |
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大坂市街図屏風 「女性が麺を打つ」 |
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極めて早い時代のしかも女性が麺を延しているめずらしい図で、包丁まである。 |
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大阪「砂場」の跡 |
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かつて大阪の「砂場」があったといわれるあたりは、いまは新町南公園になっている。 |
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大坂・蕎麦切屋の店先風景 |
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享保15年(1731)の絵本御伽品鏡。享保頃の「いずみや」で、そばもうどんも八文の時代。 |
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大塚薬報「上方そば」 |
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か行 |
辛味大根 |
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昔から、「蘿蔔汁至極辛辣のものを用ゆべし」とされ辛い大根が好まれた。 |
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粥卜(かゆうら) |
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枚岡神社の御粥占神事ではいまも農作物の豊凶には「そば」が含まれている。 |
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川口遊里図屏風 |
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明暦3年(1657)以前に描かれた大坂、木津川の港にあった遊里でうどんを打っている。 |
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(年代物の)木鉢 |
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生そば(生蕎麦)の看板・字体 |
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そば屋の看板には見慣れない変体仮名で書かれた「きそば」とか「そば処」などが多い。 |
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木鉢 こね鉢 |
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切むぎ の看板:招牌で「そば切 切むぎ」 |
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招牌(ショウハイ)は近世初期の麺類を扱う店の看板で、「そば切 切むぎ」とある。 |
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享元絵巻 (そばを打つ姿勢 二例) |
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享保・元文頃の名古屋でそばを打つ図があって一つは座って、もう一つは立って打っている |
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京坂温飩屋(の図) |
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天秤棒を担いでそばやうどんを売り歩く図。棒手振(ぼてふり)とか振り売りとも言う。 |
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極楽寺真如堂(資勝卿記) |
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日野資勝卿の日記に登場する京都の寺。この日大福庵でそば切りを振舞われた。 |
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小間板 |
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今のようなそば切り包丁や小間板の出現は、江戸の末期とか明治以降かも? |
さ行 |
堺包丁 「日本山海名物図会」 |
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三十石文庫 |
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(同)作事之振舞同音信衆(古文書) |
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爺が蕎麦 (藪の蕎麦切) |
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江戸・雑司ヶ谷鬼子母神近くのやぶのなかにあって、「薮」という名称の興りという。 |
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酒餅論 「手打ちそば打つ所」 |
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「そば打つ所」とあって、おそらく「そばを打つ」という言い方の初見では。 |
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定勝寺(木曽・大桑村須原宿) |
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そば切りの初見である木曽・定勝寺の「振舞ソハキリ 金永」が見いだされた。 |
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称往院・道光庵の跡地 |
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江戸時代中期、蕎麦を目当てに繁盛した寺があったが、両隣の寺だけが残っている。 |
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定勝寺・古文書 (そば切りの初見) |
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「徳利一ツ、ソハフクロ一ツ 千淡内」と「振舞ソハキリ 金永」とある「そば切り」の初見。 |
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招牌 (ショウハイ) 古い時代の看板(絵馬の形) |
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招牌は近世初期の麺類屋の看板。絵馬のような板に細長く切った紙を付け軒に吊した。 |
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砂場いずみやのそば猪口 |
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大坂・砂場のそば猪口。小振りは変体仮名で「す 奈 バ」。ひとつは裏面に「砂」の文字。 |
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すなば物語 坂田孝造著 |
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聖一国師 |
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摂津名所図会 砂場いずみや |
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寛政10年の名所図会。その新町傾城郭の項に繁盛している「砂場いづみや」の図がある。 |
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そば切り売りの舟 |
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(江戸時代の)そば切り包丁 |
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江戸時代には、現在のような刃が柄の真下まで伸びたそば切り包丁は登場していない。 |
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そば切り包丁 |
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柄が刃の中心付近まで侵入し、そばを切るために特化した今の包丁の出現はそう古くない。 |
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そばクレープ |
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そば口上 ねぎ(箸)そば |
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一種のハレの食文化だろう。お椀の蕎麦に葱を立てたお盆を持ってそば口上を述べる。 |
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そば米雑炊 |
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そば猪口(大坂・砂場と同じ図柄) |
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ソバの花 ソバ畑の風景 |
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関西ではほとんど見られなかったソバの花だが、近年各地域で見られるようになった。 |
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そば畑の昆虫 訪花昆虫 |
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ソバは他家受精作物で、花が咲きだす開花期のソバ畑はいろんな訪花昆虫で賑わう。 |
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そば料理 そばレシピ |
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そば屋の看板 「きそば」と「そば処」の字体 |
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そば屋の品書 (守貞漫稿) 江戸と京阪 |
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そば屋の品書きはそばもうどんも16文だが、京坂ではうどんを、江戸ではそばを先に書かく。 |
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そば屋の二階(春画につき二階部分はカット) |
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京都のそば屋で二階を重宝していた図。池波正太郎も蕎麦屋の二階をたびたび登場させている。 |
た行 |
「茶湯献立指南」 用途別包丁の分類 |
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元禄9年(1696)刊の料理本。用途別包丁の図があり、初めて「そば切包丁」の記述がある。 |
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(そば屋の)出前 |
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料理を注文に応じて配達することで歴史は古く江戸時代の資料にも載る。配達人は出前持ち。 |
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道光庵(称往院のあった場所)そば屋・庵号の始まり |
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浅草寺町の道光庵は寺でありながら振る舞うそばが評判になる。そば屋「庵号」の始まり。 |
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東光院(明暦3年版・古地図) |
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江戸のそば切り初見である「慈性日記」に登場する江戸小伝馬町にあった天台宗の寺院。 |
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東光院(現在) |
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「慈性日記」の頃はシンナワ町(現・中央区日本橋小伝馬町)。明暦の大火後 現在地に移った。 |
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灯篭がつく |
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な行 |
(日本唐土)二千年袖鑒 |
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嘉永2年の絵入年代記。この中に天正12年(1584)に大坂でそば屋・津の国屋が開店したとある。 |
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二六そば 二六にうめん |
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「二八」の意味は不明だが、二八うどんだけでなく、二六そばや、二六にうめんも出現する。 |
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日本経済新聞・掲載「上方そば・・」 |
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日本山海名物図会 |
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日本そば大学講座・講演 |
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ねぎ(箸)そば |
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会津地方に椀に入れたそばに20センチ程の葱を入れて箸代わりにも薬味にもして食べる。 |
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寝覚蕎麦 寿命そば・越前屋 |
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江戸時代から木曽路名物の老舗そば屋。店によると、寛永元年(1624)開業とある。 |
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根付 蕎麦職人 |
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は行 |
(そば屋の)箸袋 |
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番匠作事日記 |
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常勝寺・古文書に見る「振舞ソハキリ」が登場する「番匠作事日記」(部分) |
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左利き包丁 |
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太切り蕎麦 |
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太いそばを太打ちとか太切りという。割り箸ほどの蕎麦もあり一般的に噛んで食べる。 |
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振り売り 棒手振り |
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天秤棒に担いで蕎麦やうどんなどを売り歩くのを、棒手振とか振り売りと言った。 |
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振舞ソハキリ 金永(古文書) |
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ソハキリを振舞った「金永」とは?「千新」と同様に名の通った人物では。 |
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変体仮名 |
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そば屋の看板には変体仮名で「きそば」とか「そば処」などと書かれたものが多い。 |
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訪花昆虫 |
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包丁拾弐扱之図 |
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元禄9年(1696)「茶湯献立指南」のなかに用途別包丁があってそば切包丁の初見であろう。 |
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本家尾張屋(京都) |
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ま行 |
水回し |
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ミゾソバ(溝蕎麦)の花 |
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水辺に群生するミゾソバはタデ科タデ属、タデ科ソバ属のソバと葉も花もよく似ている。 |
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溝蕎麦と昆虫 |
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ミゾソバも虫媒による他家受精植物で、花の季節になるといろんな虫が集まる。 |
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麺棒 |
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麺類處 行燈看板「うどんそば切」 |
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や行 |
屋台のそば売り 夜泣きうどん売り |
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江戸には煮売りが急増。やがて、江戸は夜鷹そば、上方では夜鳴うどんが現れる。 |
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藪の蕎麦切(雑司谷鬼子母神) |
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雑司ヶ谷鬼子母神の近くのやぶのなかにあった百姓家で、藪の中爺が蕎麦。 |
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遊楽図屏風(相応寺屏風) |
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尾張・徳川家の遺愛品のひとつと伝わる屏風絵。武士らしい人物が蕎麦かうどんを打っている。 |
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冷麺 そば粉 |
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そば粉と緑豆のでんぷんを使う朝鮮料理の冷麺と、小麦粉と片栗粉などを使う盛岡冷麺がある。 |
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