うたかた日記 (2001年3〜4月分


4月30日(月)曇り  わたしってトレンディ?

 ある人から本をいただいた。「やまきさんにはコレっと思って」と手渡されたのは、『さよならエルマおばあさん』。こんなHPを立ち上げたおかげで、最近私にはいいことばかり起きている。どうもありがとう。

 この本は『ほんパラ!関口堂書店』というTV番組で脚本家の橋田寿賀子氏が紹介して、話題になっているそうだ。アメリカに住むエルマおばあさんが不治の病気を宣告され、静かに亡くなるまでのいわば実話が、絵本仕立ての写真集になっている。写真・文が私と同い年の日本人女性というのが印象的だ。こういう人の話を聞いてみたい。詳しいことは、またLIVREでご紹介するつもりだが、おそらく誰もが「こんな風に死ねたら幸せだろうな」と思わずにいられない珠玉の1冊。でも、こういう本が話題になるんだから、自分の「生き方」「死に方」「その後」を本当に気にしている人は想像以上に多いのかもしれない。

 「『死は不在ではなく見えないこと』というのはアウグスティヌスの言葉ですね」と教えてくれた方もいる。知らないということは、恐ろしい。我ながら知識の浅さが身に沁みる。教えてくださったのは、『ヨーロッパの死者の書』など、たくさんの著書で有名な方。この本もいずれLIVREで、と思っている。彼女とは、不思議なご縁でお知り合いになった(これはまた別の機会に)が、まだお目にかかったことはない。この夏は実現するかも。垂涎もののメールをいただいたのだが、私信につき公開できないのが残念だ。「『オブラ』という雑誌に連載しています」とおっしゃるので、早速買ってみた。実に、50代男性をターゲットにした雑誌だが、写真はなかなかきれい。興味のある人は講談社『オブラ』6月号のP92「あっちの世界にサーフィン」というページをご覧あれ。
 面白いことに、同誌には「男はノンシャランと大往生」という特集ページがあり、養老孟司がお墓や告別式など、死について、これまた私と同い年の生物科学者と対談したりしている。ことほど左様に、最近は「死を考えること」が一種ブーム化しているようだ。私がHPのアイデアを漠然と考えていた3年前には、まだここまでの空気はなかった。時代のトレンドとは縁の薄い私なのに、こんなところでトレンディ路線とは、とほほ。なんでも、女性週刊誌に俳優・田村正和がお墓を購入したということがスクープとして取り上げられたそうだ。養老氏は『能と墓』とかいう本も出しているから、これも読まなきゃならない。アウグスティヌスについても、知っておかねば・・・。

 少し前にいただいたお便りを2通ほどUPした。『八重山見聞録』の彼とは、私と同じハービス旅大賞の授賞式でお知り合いになった。彼は審査員特別賞を受賞。つまり、私よりエライのさ。しかし、「どちらから?」という私の質問に「石垣島です」という答えが返ってくるとは夢にも思わなかった。まさに驚愕!彼のHPも目から鱗ものですわよ。



4月28日(土)晴れ  究極の選択

 爽やかなGWの幕開け。我が家は恒例のバーベキューに出かけた。
場所は大阪随一の広さを誇る公園の一角。木漏れ日が、風が、初夏そのもので、とっても気持ちよかった。ただ、いつもはどちらかというとバカ話で終始するメンバーの会話が、今日は妙にシリアスに展開した。

 いつもは来ている娘と同い年の女の子の一家が今回は欠席で、その子と会えるのを楽しみにしていた我が娘はしょんぼり。しばらく借りてきた猫のようにおとなしかった。何気なく聞けば、その理由は笑えない話。数ヶ月前に両親が離婚し、お母さんは新しい男性とただいま蜜月関係に。女の子は今日、お父さんの家に行く日だったという。1年前は円満に見えた、あの家族に何が起こったのかは知らない。しかし、親の都合で小さな子どもが2つ(ひょっとして3つ)の家を行き来している現実。世間にはよくある話だし、誰が悪いわけでもないだろうが、あの子がそんなことに・・・と思うと、同じ年頃の娘を持つ者として、ちょっぴり心が痛んだ。

 あるいは、結婚相手への不満を愚痴る人あり。「だんなと結婚してしまったおかげで、貧乏くじを引いた。あの時プロポーズしてくれた別のあの人と結婚していたら、今頃こんな生活はしていなかった」としきりに語る。別のあの人はえらく裕福で人柄も申し分なし。今の夫は優しいが、カイショがない。共通点は、どちらも私を好きでいてくれること。はい、ごちそうさま。とみんなは一笑に付したいところだが、お酒も入って彼女の愚痴は絶好調。
しかし、たまさか人柄がよくて裕福な別のあの人と結婚していたら、どうだったのか。という架空の話を繰り返しても、ザンないことではある。

 つまるところ、結婚とは究極の選択。貧乏しても優しい人がいいか、経済力が何よりも優先するのか。ただ、こればっかりはやってみなくては仕方ないんだよね。やってから気づいて、やり直すならそれもよし。でも、全てにパーフェクトな幸せはない。ないものねだりしているうちが、幸せだったりして。彼女もそれは重々承知の上なんだろう。でも、言いたい。言って気休めになるなら、それも一種のストレス解消だから。こんなとき、いつも思い出すのが、明石屋さんまのお嬢ちゃんの名前だ。

「生きてるだけで丸もうけ」

 結局、娘は参加者ただ一人の小学生以下として、皆にめっぽう可愛がってもらった。はじめ、しゅんとしていたのが、帰りはすっかり自分のペースでお姉ちゃんたちを従えるまでにのさばった。なんちゅー、幸せ者でせう。 その娘。帰りの車で寝込み、夕食も食べず、服を着たまま、あれからすっかり夢の中、である。
 
 LETTREに新しいお便りをUP。ルシイドさんは常連さんになりつつある。彼女専用のページ、つくろうかな。


4月27日(金)晴れ  祝1週間
 
 SO−TAI−KIもオープンから1週間。とりあえず、日記だけは毎日更新できている。そのかわり、なおざりにされているものも多しで、反省。
 おかげさまでアクセス数もちょびっとずつ増えている。いったいどんな人が訪ねてくれているのだろう。まったく面識のない方なのか、知人友人なのかと不思議な気分。ご感想でもご意見でも何でもいいので、「見ました」メールをお寄せくださいませ。短いメッセージでも、LETTREにご紹介しますから。

 今週のアエラに「密やかに死を準備してみる」という記事が載っていた。38歳、独身、女、一人っ子、両親健在という編集部記者が、ニュースキャスターの久和ひとみ氏と、ノンフィクションライターの井田真木子氏の夭折にショックを受け、自分が何とか両親を見送ったとしても、自分自身の葬儀やお墓の問題をどう考えておけばいいのか、あれこれ取材している。
 現代日本人は、いわゆる「自分らしい」葬儀を望む人と、何もしなくてもいいと考える人の二極化が進んでいるという。しかし、パラサイトシングルという言葉が登場して、時間が経過しているけれど、こと死に関しては、病気であれ事故であれ、事件であれ、実はいつ誰に訪れても不思議ではない。だから、結局は誰にでもあてはまる話に帰結するしかなかったようだ。だって、長生きしたら準備万端か、といえば決してそうではないものね。

 この記事は最終的に「死を想うこと、それはいまをよりよく生きること」とほぼ結論づけている。そうなのです。愛を想い、死を想う。お墓はその先にある1つの証しだと申し上げているじゃあ〜りませんか(浜裕二入ってごめん)
 そう、自分を納得させている私であった。

 明日から連休。日記もちょっと飛び石連休かも。でも、遊びに来てね。
 それでは皆さん、Bonnes Vacances!


4月26日(木)晴れ  笑いながら

 
外務大臣に田中真紀子氏が任命されたそうな。彼女にしてみれば、ざーみろ野中!てなもんだろう。無派閥を強調し、歯に衣着せぬ言動で人気を博しているんだが、ちょっと待ってよ。私はやはり、オダブツ発言をするような人に政治を預けていいのか、皆の衆よ、と言っておく。彼女は小泉人気に便乗した。小泉もしかり。いったい誰が「思うツボ」なんだろうか。っかー、どうしても時事放談になってしまう。すみません。

 昨日は傑作だった。SO−TAI−KIのURLをお伝えした人からの留守番電話。
「見てみましたが、ちょっと変なのが出てきました。電話ください」
 その狼狽ぶりにこっちも驚き、なんか、いかがわしいAVでも出てくるサイトに間違ってつながったのかと思い、もう一度連絡を入れて確認した。彼女のパソコンの画面に出てきたのは、間違いなくSO−TAI−KIだった。けれど「お墓がなんたら」というのと、私とがどうしても結び付かなかったとおっしゃる。確かにそうかもしれない。「長い付き合いですが、お墓に関心があるとは知らなかった」というメールも頂戴した。確かにそうかもしれない。だって、脈絡もなくそんな話するのは気が引けるじゃないですか。そもそも説明ベタだし・・・。だから、こんなHPを作ったわけで。

 でも、私も初めて知った。そう言った彼にも、幼い頃亡くした弟がいたということを。しかも、

イメージ無いかもしれないけど、般若心経もそらで言えます。すべて弟がそうさせてくれました。あいつも生きていたら、38歳です。いいおっさんですね。

 般若心経をそら言えるなんて、イメージない、ない。そんなわけで、私は今日もひとつ、人の心の奥にしまっていた悲しみに触れてしまったのだった。また、涙ぽろり。
  
 しかし、である。だいたい、子どもの頃から吉本の洗礼を受けているバリバリ関西人の私だ。わけあって、こんなことをしているが、本来はお笑い系。夫とは夫婦漫才な毎日だ。昨日、何かのフリーペーパーで「笑いの効用」について書かれた記事を読んだが、私もできれば笑いながら、お墓を語りたいと思っている。「がはは」とはいかないけれど・・・。


4月25日(水)雨のち晴れ  チャンスの前髪

 いつも、夜中に日記を書いているのだが、今は夕方。窓の外はまだ明るく、子どもたちの遊ぶ声がしている。穏やかな、初夏の午後。
 
 「日記は平均500字ぐらいが読みやすいよ」というアドバイス。つい、書きすぎるのが私の悪い癖。以後、気をつけます。著作権について心配してくれる友人もいた。慌てて、著作権関係のサイトをチェック。引用の条件は満たしていると思われるが、これも、以後気をつけたい。
 
 今日は、とっても素敵な人に会った。消費生活アドバイザーとしてエコロジカルな生活情報を発信されている女性。秋には子どもが育つ都市づくりを研究するために大学院に進学するとか。お話ぶりを聞いていると、ほんわかとしていて少しも気負いがないのだが、その行動には1本筋が通っていて、アクティブで、今までなさっていたことを確実にモノにされている。そう、しっかりチャンスの前髪をつかんでいる人なのだ。そして、人生を楽しんでいる。彼女いわく、
「自分が本当にやりたいと思うことなら、辛くても楽しい」。この言葉、肝に銘じておこう。こういう凄い女性が、街のいたるところに暮らしているなら、日本はまだ捨てたものじゃないなと思う。興味のある方は、『エコポリシーでいこう』(小野田正美著 白馬社)をお読みくださいな。彼女をはじめ、輝いているお母さんを特集した企画本、くらむぽんから出ます。原稿はまだこれからだけど・・・。

 500字、もうはみ出た?


4月24日(火)曇りのち雨  人それぞれ

 小泉総裁決定! 「あの人なら、なんかやってくれるかも」。そう思って託した人たちに、ことごとく裏切られてきたのに、また何となく期待している世論とやら。でも、圧勝が色濃くなってきた途端、彼の顔から余裕の表情がなくなってきたことを、私は感じていた。いや、別に純ちゃんが嫌いなわけじゃないけど、イマドキの政治の世界は、いけしゃーしゃーの二枚舌がまかり通るからねえ。一抹の不安よぎりて。
「小泉よ、お前もか」ってことにならなきゃいいんだけど・・・。

 LIVREで紹介した本「お骨のゆくえ」について、ネット検索したら、けっこういろいろと書評されていることを、今さらながら知った。おおむね、好意的だったけれど、「文体がくだけすぎる」と苦言を呈していた人もいて、まったく感じ方は人それぞれだなあと思った。ちなみに、著者の出身大学には火葬を研究する先生がいらっしゃるようだ。火葬研究室(ちょっとうる覚え)というサイトにぶつかった。おっもしろいねえ。また、リンクで紹介できれば、と思う。
 で、たとえば、映画でも賛否両論は当たり前だし、世間で人気を博している音楽の世界だって、好き嫌いに分かれるのは世の常だ。私事でいえば、浜崎あゆみは好きじゃない。グレイも嫌。小室系は論外。最悪は松山千春。「いったい何様?」だもの。基本的に喉を締めるような唄い方する人はダメなんだな。その代わり、今とてもいいなあと思うのは、矢野真紀というシンガーソングライター。曲といい詩といい、歌声といい。自分の世界をもった本物のアーティストだと思う。若いのにねえ(とすっかりおばちゃんモード)。少しお姉さんでは、沢知恵という人。TVで一声聴いて、はまった。ピアノの弾き語りでこれほど無限の音楽性を感じたのは初めてだった。才能ありすぎ!何しろ、ネットスケープを立ち上げると真っ先に彼女のHPが開くのさ。で、そこの掲示板にHPの宣伝を書いちゃった。遊びに来てくれたら、嬉しいけれど。

 SO−TAI−KIだって、好きでいてくれる人もあれば、「ナニコレ」状態の方もいるだろう。それでいいのだ(ぼんぼんバカボン♪、じゃなくてえ・・・)
人それぞれだもの。一緒の方が気持ちわるい。
 目も耳も口も、こころで感じ、表現できる人が好き。
 そこのところは譲れない。


4月23日(月)晴れ  これからが大変

 
8ヶ月の赤ん坊のいる友達に娘が使っていたおまるを進呈。お礼にお昼ごはんをおごってもらった。恐縮至極。パン食べ放題のレストランで、お代わりしまくり。すっかり満腹になったけど、ウエイトレスの対応はちと不満。ただ、ランチで2時間ねばるお客もお客(笑)。この間は別の人にベビーシートをもらってもらった。少しはリサイクルに貢献しているだろうか。

 SO−TAI−KIもようやく4日目。微動ながらもアクセスしてくれる人はいるようなので、ホッ。日記だけはできる限り毎日更新していくので、よろしくね。
 
 「目から鱗だなあ」「私もHP作りたくなった」という感想もいただいたり、予想以上にいい感触があるので嬉しい。ただし、それは皮肉なことに、誰かを失った経験者の多さを知ることでもあった。とりわけ、「お母さん」を亡くす悲しみの深さは、胸に沁みる。私にはその経験が、まだない。けれど、その日は確実にカウントダウンされているのだろう。願わくば順番通りにその日を迎えたいと思う。そのときのための、予行演習をさせてもらっていると思えば、ありがたいことです。
 
 今日はLETTREも更新しました。CINEMAやLIVREも追々更新していくつもりだし、昔書き散らした掌小説とか(これはテーマから外れるものも多し)、「墓なるニュース」(仮称)とかアンケートとか、追加ページの構想だけはある。欲しいのは時間。大変なのは、これからかもしれない。


4月22日(日)晴れ  いつか来た道

 昨日の日記を更新した後で、日付を変更。書きたいことがたくさんあるので、早めの日付で更新するとどうしてもダブってしまう。ということで調整する。まあ、そこまで目くじら立てる人もなかろうし・・・。
 
 土曜日とはうって変わっていいお天気の日曜日。私は娘を連れて車を走らせた。中古で買った軽自動車。決して性能はよくないが、どこへでも車で行っちゃうのである。向かったのは某幼稚園。そう、私が卒園した幼稚園だ。確か高校か大学生の頃に一度見に行った記憶はあるが、卒園してから実に35年以上が経過し、さぞかし様子が変わっているだろうと思いきや・・・。道は狭い、建物も小さく感じた。街そのものがミニチュアの世界。けれど、雰囲気は当時のまま。震災の被害は受けなかったのだろうか。目の前にあった公園の遊具も全く変わっていなくて、私は思わず「そうそう、あったあった」と感激しきり。幼稚園の柵には犬の足跡マークが可愛くあしらわれていて、娘は「この幼稚園に行きたい」とすっかりお気に入りだ。その幼稚園をビデオに撮り、娘を入れて写真に撮る。公園で遊ぶ娘を眺めながら、私は不思議な気持ちになった。

 自分の子どもを連れてここに来ることができるなんて、5〜6年前は想像もしなかった。しかし、私ははっきりと自覚している。あの幼稚園時代なくして今の私はなかったことを。トランポリンに夢中で、友達になかなか代わってあげなかったこと、椅子の座布団をかばんのように襷がけして先生に名指しで叱られたり、もうとっくに始まっているのに何故か一人で公園で遊んでいたこと、口内炎に泣き、お医者さんで薬を塗ってもらったこと。友達に嘘つきまくっていたことなどなど、まさに「かわりもん」を地で行くユニークな子だったと思う。その血が今、娘にぃ〜(笑)。悪さをする娘を叱るたび、かつての自分を叱っているようで、情けない半分、幼い自分にワープする妙なしあわせ感。誰でもいきなり大人になるわけじゃない。生きるって、替わりばんこの練習みたいなものかもしれない。

 昨日、ご紹介したお便りのSAYOさんは、一人芝居の人形劇をなさっている方。台本書いて、人形を作って、演じる。道具の搬送も舞台の設営もすべて一人。私がお手伝いしている子育て情報誌『くらむぽん』の取材で初めて公演を見せていただいたが、実に目からうろこもんだった。ジェンダー、家族、老人介護と、現実の社会の問題点を、笑わせながらしかも目をそらすことなく指摘する。メルヘンタッチの人形劇とは二味違う大人のための人形劇。そんなSAYOさんだから、SO−TAI−KIを見て作品にお墓の問題を取り上げたいと考えてくださった。完成の暁には、必ず見せていただこう。

 まだ始まって3日かそこらだけど、これがいわゆるひとつのインタラクティブというものだろう。触発しあえるって、いいですね(簡保のコマーシャルみたい?)

 「掲示板がないのはさすが」とお褒めの言葉もいただいた。そこで、お便りくださる方にお願い。LETTREでご紹介してもかまわない方は本名ではないウェブネームをあらかじめ付けてくださいませ。文章が長い場合は、ちょっと割愛させていただく場合もあろうかと思いますが、お許しを。ということで、よろしくお願いします。


4月21日(土)雨  キンセン ニ フレル

 21日の夜から22日に日付が変わった。今日は寒かった。2月中旬並みの気温だったそうだ。「4月だというのに雪に見舞われています」とフランス2のニュースが伝えていた(もちろん、音声は日本語同時通訳バージョンさ、はは)。フランスはイギリスから波及した口蹄疫から洪水、国鉄やリストラに抗議した工場労働者もストライキと、最近御難続きのようだ。ひるがえって日本では小泉純ちゃんが予想以上に大健闘し、総裁選圧勝の気配もあるとか。まあいいさ。今ここに至っても「変わらなきゃ」の機運が立ち上がらなければ、それこそ日本は「あかんたれ」の烙印を押されるだろう。それでなくても、不良債権、えひめ丸事故、教科書問題、李登輝氏来日のゴタゴタと、情けないニッポンが続いているのだから・・・。
 
 ああ、のっけから時事放談(笑)してしまった。そうそう、寒かった話。我が家ではすでにしまっていたホットカーペットをまた出してきた。街では、花みずきが白やピンクの花を咲かせているというのに。体調がおかしくならぬよう、皆様ご自愛を。

 おととい開設のお知らせをさまざまな方に一斉にお伝えしたのだが、実は「一方的に送って反応がなかったらどうしよう」と内心ビクビクしていた。「何これ?『愛』だの『死』だの『お墓』だの。ヒマなことやってるなあ」というリアクションが関の山ではと・・・。でも、翌朝何気なくメールチェックしたら、とととと受信メールが届いていて、どれもが「HP見たよ」関連。びっくりするやら嬉しいやら。それらを1つ1つ読みながら、体温が2、3度(たぶん2、3分だろうけど、ちょっと大げさに)上がった。手に汗、そして(鬼の)目には涙がぽろり。

 普段、何の脈略もなく「お墓が・・・」なんて話は、さすがの私もできない。それだけに、義理でも何でもSO−TA−KIを訪ねてくださった方が、ご自身の実体験から「死」や「お墓」への思いを綴ってくださったと思うと、私はそれだけで心が震えるようだった。まさに、琴線にふれた一日。その方々に感謝の気持ちをこめて、いくつかを早速「LETTRE」にアップさせていただいた。さらに数珠つなぎに話題が広がっていくことを願ってやまない。

 「作りたい、作りたい」と言いながら全然出来上がる気配がないので、「もしかして狼少年状態か」と思われていたことも分かった(笑)。よかった、狼おばちゃんにならなくて(笑)。でも、大切なのは、続けることなんですね。はい、がんばります。


4月20日(金)晴れのち曇り  おそるおそる祝開店

 久しぶりにモーツァルトの「レクイエム」を聴いている。一時期、こればかり流していたことがある。ささくれだった心が不思議と落ち着いた。思えば、あの頃はまだ深い悲しみを知らなかったのかもしれない。林檎が亡くなってから、私はレクイエムに手が伸びなかった。

 正確にいえば、今はまた4月19日。夜11時を少し過ぎたところなのだが、晴れてオープンするのであるから、日記もちゃんと書いておきたいと、心がはやっているわけで、これもご愛嬌とお許し願いたい。

 先週末、欧米では復活祭が盛大に行なわれていた。復活祭=イースターは、キリスト教徒にとってはクリスマスと並ぶ重要なお祭なのだが、日本人にはこの“復活”という観念がどうもピンとこない。というわけで、何の話題にもならなかった。代わりに自民党総裁選びが、さながらお祭りの如く賑やかで、今週はますますヒートアップしている。橋本龍太郎の“復活”なるか、小泉純ちゃんの悲願達成なるか、よもや亀井さん、麻生さんはアルマーニ(さぶいギャクですんません)と思いつつ、しかし誰がなっても日本は浮かばれないような、底なし沼的閉塞感が漂っている。
 
 キリストのように誰もが易々と復活すれば、何の苦労もないのだが、ただ一度きりの命だと宣告されているからこそ、あがきもがき、ささやかなことにも一喜一憂するというもので、それはそれで美しいのだ。

 この約3年、悩み、躓き、どれだけ挫折したことか。HP1つ満足にできない歯がゆさ。歳とともに頭はますます硬直化するのだが、「つくりたい」「つくらねば」の思いは何度も投げ出したくなりながら、しかし諦めることもできないでいた。結局、世紀をまたぐことになってしまったけれど、「千里の道も一歩から」。春のこの日に新しいスタートを切れることは、やはり喜ぶべきだろう。

 とりあえず、いの一番に夫にこのHPを見てもらう。「すごいじゃん。でも、ちょっとマニアックかも」
自分では、もう客観的に見られない状態にある。だから、教えてくださいね。ここを訪ねてくださった皆さんがどう感じたかを。叱咤激励を、糧にします。

「死とは不在ではなく、ただ見えないことである」

 パリの墓地の見知らぬ墓石に刻まれた出逢った時から、この言葉はいつも私の傍らにある。どこかの空で、見ていてくれるだろうか、林檎は。
彼女が、最期の里帰りを果たし、体調悪化から帰国を余儀なくされたあの4月から、4度目の春が、やってきた。


4月19日(木)晴れ  この期におよんで

 やれやれ、明日にはいよいよ公開できそうだ。と喜んだのもつかの間、昨日までクリアだった画像が何故か見えなくなっている。ふんぎゃあー。これまでの苦労は水の泡かと、顔面蒼白になった。原因不明。泣く泣く、手を尽くしてなんとか見えるようになったが、NETSCAPEは一部どうしても見えてくれない。こうなったら、IEで見ていただくしかないかも。それにしても何故なんだ。あの、駒が割れたような表示を見るにつけ、どこかで誰かがほくそえんでいるような、インターネットの悪意を感じる(やや被害妄想)。

 ところが、次に立ち上げたときには、元に戻っていた。おちょくっとんのか〜(お下品な関西弁でごめんあそばせ)と思いつつ、安堵する私であった。

 さて、
 奈良県警の汚職事件で、収賄容疑で書類送検された元交通企画課長(58歳)が、県内の町立墓地駐車場で車ごと焼身自殺を図り、亡くなった。墓地には、本人の家のお墓があり、墓石に掛けられていたブレザーのポケットから遺書が見つかったという。なんという最期だろう。
 この元課長は奈良佐川急便から約1200万円の収賄を受けていた。彼の死にによって一連の贈収賄事件の真相究明がほぼ不可能になったとも報じている。おそらく、彼は死を覚悟して墓地に向かったのだろう。推測するに、彼の親かきょうだいが眠っている墓石に愛用のブレザーを掛け、墓前に参って車に戻り、火を放ったのだろう。それにしても、である。焼け爛れた車と遺体の後始末に駆り出される人たち、町営墓地はいい迷惑というものだ。亡くなった人を弔う場ではあっても、無責任な自殺に利用されては、たまらないだろう。ましてや、残された家族の思いはいかばかりかと思う。警察の威厳が失墜して久しいとはいえ、こんなお陀仏(最近、この言葉でホサレタ方もいるけれど)の方法と取るとは、何ともやるせない。日本では年間約3万人が自殺しているという。多くは中年の男性らしい。偉そうに片意地張っている人ほどもろい、そして孤独だということを如実に顕しているようだ。しかし、やはり彼は死ぬべきではなかった。
 
 この事件が大々的に載っている新聞の片隅に、わずか2歳で心臓移植手術を受けてアメリカから帰国した男の子のニュースが目に止まった。術後の経過は順調で「とても大手術を受けた後のようには見えない」というコメントやお母さんに抱かれた男の子の写真が載っている。個人的には、臓器移植の問題は、もろ手を挙げて賛成という立場ではないのだが、当事者、とりわけ家族にしてみれば我が子の命を助けるためなら「たとえ火の中、水の中」なのだろうから、批判するのも辛い。記事を見れば、ただただ「よかったね」と言ってあげたい。大人が身勝手に自分の命を絶っている昨今なら、なおのことだ。


4月18日(水)曇り 静かに見守ること

 皇太子妃雅子様のご懐妊ニュースで、世間は急に華やいだ。ニュースは相変わらず同じ文面を読み続けているし、話題はすっかりお世継ぎ問題にシフトされている。自民党総裁選に性懲りもなく踊り出た小泉純一郎氏は「これがベビーブームのきっかけになればいいね」と能天気なコメントを出しているし、ベビー用品関係の企業の株価が上昇したという。街頭インタビューでは、おじさんが「これで日本は安泰だ!」と喜んでいる。海外のニュースもこれを大々的に取り上げた。

 まだ、7〜8週目の「妊娠の兆候」の時点。「案ずるより産むが易し」という諺もあるけれど、一度流産を経験したご本人にすれば、ただでさえナーヴァスになっているだろうに、マスコミはおととしの失敗を少しも生かしてはいない。宮内庁が「正式発表まではどうか静かに見守っていただきたい」と釘を差したことが、かえってアダになっているような気もする。妊娠初期の兆候は風邪に似ているのだ。だから、本当に母体が安定し、雅子様が安心できる段階まで、もう少し「風邪」で引っ張ることはできなかったのか。たまさかご懐妊がもれ聞こえてきても、今度こそはマスコミ総出で「知らぬ顔」を貫くことはできなかったのか。はしゃぐ気持ちを喉元まで抑えながらも、下手をすれば「万歳三唱」を唱えそうな、この空気。この空気の中で8年間も過ごさなければならなかった皇太子妃の生活を思うと、なんと苦しかっただろうと思う。しかも、この先生まれた赤ん坊が男の子なら「でかした」とますます万歳三唱だろうし、女の子なら「やっぱりな・・・」の空気をどうすることもできないのだろう。ますます、窮地に立たされる雅子様の姿は、もう見たくないとまで思う。

 雅子様が求められている「母」の証しは、子どもが欲しいのに不妊に悩み、周囲から無神経な「子どもは」攻撃を受けている女性たちをも、二次的に傷つけているようで、ますます辛い。

 少し離れた場所に立ち、静かに見守ること。マスコミはもちろんのこと、社会全体があまりに幼稚で近視眼的で、そういう大人の優しさをなくしているなと思う。


4月12日(木)雨のち曇り    とほほ 

 日曜日、食事中に血が出るほど思いっきり舌を噛んだ。昨日あたりから、その傷が本格的に口内炎化。何をしても激痛が走る。私の口内炎歴は幼稚園時代からの筋金入りで、ひどい時は口の中、左右にでき、おまけに喉の奥まで口内炎ができていたということもあるので、半ば慣れっこになっているのだが、今は唾液さえも刺激になり、泣きそうだ。「チョコラBBを口の中で溶かしたら2、3日で治るよ」と友達に言われ、早速トライしたが、苦いわ、痛いわで、やっぱり辛い。この口内炎体質をなんとかせねば・・・。
 順調に思えたHP制作も、先週、ファイル転送がうまくいっていないことが発覚。それが解決したら、ブラウザに画像が映っていないことが判明。トラブル解決マニュアルを買い込み、原因と解決法をさぐるうち、なんとか映るようになった。すると、今度は画像が重すぎでうまく開かないことが分かった。何度もスキャニングし直し、あれこれ頑張ったおかげで、何とか軽くなった。アクセスカウンターも、本当は表示したくないのだが、何故か表示されて。うーん、何か指示が違うんだろうけど・・・・。そんなことをしているとどんどん時間がたってしまい、まだOPENできないでいる。
 ったく、我ながらなんて不器用人生。なんだかとほほな日々が続いているが、ようやく光が見えてきたのは、嬉しい。がんばろう、あの電信柱まで。そんな気分でもあったりして・・・。


4月9日(月)曇り    祖父母と孫

 3才の男の子が、継母とその両親、祖父に虐待を受け、亡くなったというニュースを聞いた。「なさぬ仲」とはいうけれど、大の大人5人によってたかって3才児をなぶり殺しにする家族って、いったい・・・。逮捕された継母と結婚した実の父親は、自分の分身ともいえる息子が、再婚した妻やその家族からどんな目に遭っているかを知らなかったのだろうか。この夫婦の間には二女がいる。100歩譲ってその娘たち可愛さ、継子の疎ましさが募っての犯行だとしても、結果的にはその幼い娘たちをも不幸に陥れたのだ。一方、自分が手放した子供が夫の再婚相手とその家族に殺されたと知った実母の気持ちはどうだったんだろうか。彼女にとっても「いらない子」だったのだろうか。考えれば考えるほど、心が寒くなる。どうか、今度はせめてまともな家族の一員として生まれ変わってほしいと願う。

 ともかく、日本は想像以上に、「愛」が欠落した社会になろうとしている。こんなニュースが日常茶飯事。これも豊かさの代償だとしたら、これからも空恐ろしい。

 昨日、TVでフランスの家庭事情についてのドキュメントを観た。4回シリーズの第1回は「祖父母と孫」。4組の家庭が登場し、祖父母と子供の子供、つまり孫とのつき合い方をいろいろリポートされていた。お国柄は違うけれど、「孫が可愛い」という気持ちと、働く女性の増加で若い祖父母が孫の面倒を嬉々としてみている姿は、万国共通興味だという気がした。その中で社会学者のコメントが心に残った。「孫は祖父母に自分の将来像のモデルを見て安心し、祖父母の死を経験することで、『人間はいずれ死ぬ』ということを教えられる。そうして、連綿と続いてきた家族の歴史の中に自分がいて、また自分の子や孫に継承されることを知る」というような話だった。私自身、身内では祖母の死しか経験していないが(祖父は物心がつく前に亡くなっていた)、そのときの悲しみは喪失というよりは確かに「見送る」という感じに近かった。子や孫にそういう生と死のモデルを提供し、自分の人生をまっとうした祖父母たちは、生前いろいろと苦労しても結果オーライなんだと思う。

 いたいけな孫を虐待死させた祖父母や曽祖父は、そういうささやかな幸せも知らず、孫や子供たちに何一つモデルを見せることもなく、今は拘置所の人となっている。あまりにも淋しく虚しい晩年とはいえないだろうか。


4月7日(土)晴れ    残る桜も・・・ 

 3月の終わり頃から開花が始まっていた桜。その後の冷え込みで、桜もだいぶ戸惑っただろうけど、この週末こそ絶好の花見日和といえそうだ。昨日、大阪・天満の松坂屋7階の書店「ジュンク堂」に行ったのだが、そこは全面ガラス張りの窓から、大川沿いのまさに満開な桜並木が見下ろせ、その気持ちよさったらなかった。今日は、近所の運動公園に咲いた桜をめでた。とはいえ、私はやっぱり3分・5分咲きの桜が好きだ。満開の桜から薄緑色の葉が顔をのぞかせてしまう頃には、花びらの色もややあせて、どこかもの悲しい。

 ジュンク堂でほしい本が見つかった。山形孝夫著『死者と生者のラスト・サパー』。これは必ず、“LIVRE”で紹介すると思う。

 4月のほんの短い見頃、人の心をなごませ、華やいだ気分にさせるために花のいのちを燃やす如く開花する桜。いにしえの日本人はそこに人生の儚さや死生観を投影させてきた。桜の木の下で花見の酒盛りをしたがるのも、花が出すオーラに幻惑され、一瞬狂って浮世の憂さを晴らす、一種の浄化作業なのかもしれない。版画家・山本容子(一字違いで大違い! しかし、おかげでよく「やまもとさん」に間違えられるワタシ)のお祖父さんは桜の木の下にお墓を建て、亡くなる前から家族で出かけてはその桜の下でお弁当を食べていたそうだ。そのとき、彼女はその墓地の公園で遊び、いつも「おじいちゃんがこの輪からいなくなっても、桜が咲くとここで遊ぶがよい」と言われていたという。(山本容子著『エンジェルズ・ティアーズ さくら横ちょう』より)。その話を読んで何故か懐かしい気持ちになったのは、私も子どもの頃、お墓参りに連れていかれるのが好きだったのだが、それは無縁仏をまつるために、小さな墓石を積み上げた三角柱のようなモニュメントによじ登って遊ぶのがお気に入りだったからだということを思い出したからだ。思えば、罰あたりなことをしていたものだ。

 桜の木の下で眠りたいという人は、淋しがりやさんなのかもしれない。一年に一度、花見がてらにでも会いに来てほしいのだろう。

「散る桜、残る桜も散る桜」

 これって、誰の句だったかしらん。昨日、大井川沿いの桜を眺め、地下鉄に乗っていたら、急にその句を思い出した。そして、電車が東梅田の駅について、降りた客が一斉に改札口へと向かっていく人波を見ながら、ふと思った。「この人たちの一人残らず、いつかは必ず死を迎えるのだなあ・・・」(もちろん、その中に私もいる)うわー、我ながらなんちゅーことを考えたのだろう。しかし不思議と冷静だった。そう思うと、死そのものは怖くないような気がしたのだ。本当に怖いのは、死を受け入れるまでに自分の人生がまっとうできるかということなんだと思う。


4月3日(火)曇りときどき雨   情けは人のためならず 

 しばらくご無沙汰だったパトリックからメールが入っていた。パソコンが故障してメールが送れなかったそうだ。前にもそういうことがあったけれど、フランスのこと。何でも故障するというイメージとぴったりだ。そのフランス語を辞書を引き引き理解し、こちらが返事を書くにもまた時間がかかってしまうのが、忸怩たる思いなんだけど・・・。

 実は、私はパトリックとは面識がない。友人のアンヌが仕事先でたまたま知り合った人で、「日本人のバイオリニストのCDをコレクションしているので、フランスでは入手しにくい日本製のCDを手に海外で手に入れるサイトがあれば教えてあげてほしい」と手紙をくれたのが最初だ。彼はフランス語と英語版のサイトを希望していたようだが、あいにく日本のCDショップのサイトは日本語オンリー。ということで、私が彼の希望するCDを取り寄せ、それをフランスに送る方法を提案した。(それをえっちらこっちらフランス語でメールにしたわけです)。もちろん、交渉成立。彼に送ったCDは10枚ぐらいだが、そのたびにきちんと郵便為替を送ってくれるだけでなく、私や家族に本やDVD、お菓子を送ってきてくれるパトリックの人柄にも感服した。私の親切へのお礼だという。私はちゃっかりCD代はいただいているので気ずつない。そのお礼にこっちもDVDを送ったりして、ちょっとした草の根日仏外交が続いている。さすがはアンヌの紹介だ。「フランス人は個人主義。尊大および批判的で日本人の国民性とは正反対だ」というイメージを持っている人も少なくないかもしれないけれど、これまで個人的に関わったフランス人に限っていえば、それはノーだといえる。

 最初にアンヌと出会ったのは、今から9年前。彼女は理系の大学で難しいことを勉強していたが、一方で日本語も勉強。出場した弁論大会に優勝したご褒美として日本旅行がプレゼンされたのだ。当時、林檎がその大学で日本語の講義アシスタントを(アルバイトかボランティアかで)していて、アンヌの人柄もよく知っていたので、私に「京都見物をしたいというアンヌを助けてあげてほしい」と言ってきた。私はフランス語の勉強を始めたばかりだし、その頃は狭いワンルームに住んでいたからうまくサポートできるか自信はなかったけれど、「これも経験だ」と承諾。新大阪でバックパックをしょった短パン姿のアンヌを見つけた時は、思わず抱き合ったものだ。2人分のふとん敷けば荷物の置き場もないような狭い空間で1週間文句ひとつ言わず、私の都合に合わせて行動してくれた。私自身、アンヌと一緒に過ごして、まったく不都合を感じなかった。コミュニケーションもフランス語+英語+日本語で何とかなったものだ。

 大したことは何もできなかったが、アンヌは非常に恩義に感じてくれたようだ。その後、フランスで再会したときは、彼女の実家でお母さんのごちそうをお腹いっぱいいただいた。彼女のご家族も素朴で温かい人たちばかりで、家族総出で歓待してくれることに感謝した。2年後、林檎の結婚式で再度再会。その後は忙しさにかまけていたが、林檎が亡くなった後、フランスで3度目の再会を果たした。そして、去年。彼女はフランスの宇宙開発に関わる研究者の一人として、日本で開かれる会議に参加するというニュースを運んできた。会議の後で休暇を取り、また京都に行くつもりだというのだ。

 そんなわけで、去年はワンルームよりはちょっと広くなった我が家に泊まってもらい、私の実家にも1泊した。近代的なマンション生活と、ちょっと古いけれど、日本の一戸建ての雰囲気も味わってもらおうと考えたのだ。私の両親も精一杯アンヌを歓待した。

 国家レベルの交流も大切だろう。でも、個人と個人が助け合い、理解し合える環境なくしては、解決できることも少ない。私はアンヌとの関わりを通して「情けは人のためならず」という諺の意味をつくづく実感した。「人に情けをかけるとその人のためにはならない」という意味にとっていた人もいるかもしれないけど、反対なんだよね。「人に情けをかけるのはその人のためだけではない。巡り巡って自分のためにもなるんだ」という教えなのだ。「何かをしたい」と思う時、誰の助けも借りずにやりたいようにすることも大切だけど、助けを乞う事で、思わぬ相乗効果をもたらしてくれる。林檎の願いを聞き入れた私はアンヌと知り合え、数年後のパトリックにつながった。彼を知ることで、私は日本人のバイオリニストを再認識し、また彼からフランス人の素晴らしい一面を発見することができた。それが、私をもっとフランスを理解したい気持ちにさせ、フランス語を通じて、何かとけちょんけちょんに言われやすい日本の素晴らしい面を伝えていきたい動機になった。最初からそうしようと思ったわけではない。けれど、結果として自分の糧になっていると思うのだ。

 林檎は生前、音楽を通して日本とフランスの架け橋になりたいと熱望していた。それが果たせないまま逝かなければならなかった彼女の無念を、私は私なりに晴らしたいと思っている。それが回りまわって、いつかはきっと、お金には代えられない私の財産になるだろう。 


3月30日(金)晴れときどき曇り   自問自答 

 昨夜、週刊文春を読んだ(もう辞めよう、辞めようと思いながら、つい買ってしまう)。阿川佐和子の対談ページの相手はニュースキャスターの安藤優子。結婚、離婚、失恋など、硬派なイメージの人が、自分の恋愛ごとまでぺらぺらしゃべっていた。その中で気になったフレーズ。
阿川「もう、いっぺん結婚してみたいですか」
安藤「どうですかねえ、望まれたら。でも最近、結婚式よりお葬式のほうが先だと言われていますからね(笑)」

 先日亡くなったニュースキャスターの久和ひとみ氏のことを暗に言っていたのだろう。冗談にしちゃうにはシュールすぎて、ちょっといただけないと思った。もちろん、それだけニュースキャスターという仕事が心身ともにハードだと実感しているからこそ、ついぽろっと出てしまったのだろうと思うけれど・・・。久和氏については、個人的には語りが硬く、言葉もストレートに胸に届いたという記憶がない。なのに、押しだけが強くて苦手なキャスターの一人ではあった。亡くなった人をけなす人はいるはずもなく、ワイドショーでは「ニュースキャスターの草分け」と、ちょっと大げさにも思える賛辞を送っていた。しかし、彼女の背負っていた人生を知って、新たに考えることもある。
 彼女は一人娘だった。お母さんは気丈にもTVカメラの前でこう語っていた。「親が娘一人を残していくよりも、私が最期を看取ってやれたのはよかったかもしれない。40年間、あなたの母親でいられて、娘にはありがとうと言いたい。一番、心に残っている娘の姿は、初めてバイオリンを持った頃の娘です」お母さんにとっては何よりも娘が自慢だったんだろうと思う。その気持ちが、言葉の端々からあふれていた。
 道半ばにして、親より先に逝かなければならなかった辛さ。親を見送れない切なさ。そして、親を乗り越えられない悔しさ。それはわが友・林檎の気持ちでもあっただろう。彼女のお母さんも、林檎が自慢の娘だった。だから、お母さんの落胆ぶりは大変なものだった。
 
 同じ病気でも、タレントの向井亜紀氏は、4月から朝のワイドショーの司会を務めることになったと記者会見していた。他人は老婆心で「大丈夫だろうか。もうちょっと、静養した方がいいのでは」というだろうけれど、一度死の淵をさまよった人にしてみれば、「明日があること」の危うさを身に沁みて実感しているのだろう。何かしていなければ、とはやる気持ちは、これまた林檎の姿とダブってしまう。痛々しく思いながら、私たちは自問自答することも必要だと思う。「そんな時、私ならどうするのか」と。


3月27日(火)晴れ    本屋&CDショップ 

 今日は、昔勤めて、今も仕事させてもらっている会社の事務所移転祝いのため、大阪に行った。新しい事務所はJR大阪駅の北側。土日は場外馬券を求める人たちで大賑わいになる一角にあるビルの最上階にあった。以前は6階建てだったのが、屋上に倉庫代わりに建てられたという部屋だ。そういうと聞こえは悪いけれど、南の窓からは、建設中のヨドバシカメラのビルが、西側の窓からはJRの貨物用線路が広がり、なかなか眺めがいい。しかも南側は正真正銘の広い屋上テラスまで用意されて、ちょっとしたペントハウス風情なのだ。今は、ビル全体が外壁&内装工事の真っ最中でブルーテントが張り巡らされ、屋上テラスもまともに使えない状態だけど、夏にはそのテラスから淀川の花火がきれいに見えるらしいので、部外者ながらもちゃっかりその日を楽しみにしている。

 この会社には大学卒業後から約5年間お世話になった。「4年制女子の就職は氷河期」といわれた時代。もちろん、ちゃんと内定をGetした友達も多いけれど、職種にこだわっていた私は卒業式を過ぎても就職できなかった。そんな私を採用してもらった日から18年がたつ。若さゆえ〜♪(笑)、わがままを言って飛び出し、転職。「とらばーゆ」の広告コピーを書いていたが、編集の面白さに目覚め、3年後にそこも辞めて、26日で書いた情報誌の会社へ。それが閉鎖になり、フリーでやり始めてから再び仕事をさせてもらうチャンスを得て、今に至っている。若気の至りからいろいろと紆余曲折したけれど、唯一自慢できるのは、それぞれの会社で得がたい友人知人を得たことだと思う。
 事務所移転のお祝いに2001年限定のカレンダーボトルのワインと観葉植物を持っていったら、お昼をご馳走になってしまった。謝謝。ワインにたとえるのもなんだけど、人間関係もすぐに醸成させることはできない。時間の経過があればこそ、歳を取ればこそ、味わい深くなるものなんだなとつくづく思う。しかし、まだまだ修行は足りない。
 
 その後、久しぶりに梅田の紀伊国屋書店で物色。HP関連や仏語関連でなんやかや散財し、次に阪神デパートの“ブリーズ”で試聴した結果、CDを4組も買ってしまった。大阪に出てくるたび、買い込むのは本とCD、さもなければ美味しいパンなどの食料品。だから、我が家は本とCDだけがやたら増えていくのだ。よって、お金は貯まらない(笑)。貧乏性の私は、流行=ファッションにお金がかけられない。似合う服もサイズもないという、負け惜しみかもしれないけれど。


3月26日(月)晴れ    ここにいる私 

 SO−TAI−KIも、そろそろオープン間近。そろそろ日記も書いていこうと思う。さて、昨日、以前勤めた会社で一緒に働いていた女性が6人、約10年ぶりに集まった。なかなか楽しい時間だった。
その会社では小さな情報誌を発行していたのだけど、バブル崩壊と親会社の経営不振から突然休刊、事務所も閉鎖された。今は跡形もなく、社員たちもちりじりばらばらになった。だから、今でも仲良くしている一人を除けばほとんどが年賀状のつき合いもなかったけれど、若いメンバーたちもそんな風につき合いが続いていたらしく、10年という区切りも手伝って今回とんとんと話がまとまり、再会が実現したというわけだ。連絡はメールのやりとりで。集まるお店もインターネットで探してもらった。こういうとき、ITはなかなか便利だ。

 10年ひと昔。正直いうと、顔も名前もおぼろげで、どんな話ができるのか不安もあったけれど、それは杞憂だったようだ。 当時20代だった彼女たちも30代になり(私は一人40代を走っているけどね。ハハハ)、それぞれに畑違いの仕事で頑張っているようだし、子育てがスタートしたばかりの人もいれば、ただいま7ヶ月という妊婦さんも。私は娘を連れての参加だったが、同じように連れて来られた6ヶ月の赤ちゃんをお姉ちゃんよろしく面倒をみている娘にも、ちょっぴり成長を実感。何よりも、本質的なキャラクターは変わらず、年を重ねて魅力を増している女性たちとの再会を素直に喜んだ。その輪に入っておしゃべりをしている自分自身にも何だか安心したりして・・・。「あの人は今どうしてる」といった噂話は意外に少なく、どちらかといえば今とこれからの話題に集中したのも、嬉しかった。
 思えばあの会社がずっと存続していれば、私たちの人生もまた違った状況になっていたかもしれない。でも、正直いえば、私にはまさに「災い転じて福と成す」結果だった。無職になったからこそ、フランスにふらりと行くことになってフランス&フランス語に出会い、ニースの浜辺でフリーになることを決心できた。そして、その旅を基点に、私の「お墓」への探求も始まったのだから・・・。

 一見、幸運に見えることが思わぬ落とし穴になることがある。反対に、絶望的な出来事が自分にとっては大切な転換期になっていたと、後になって気づいたりするものだ。
 何はともあれ、それぞれに元気でよかった。それなりにハッピーでよかった。

 同窓会とか、旧交を温めるのはちょっと苦手な私だけど、先日、偶然にも高校の同窓会名簿作成のはがきが舞い込んた。10年ぶりの再会に気をよくして、今度も「私はここにいるよ」と意思表示してみようかなと思う。

 ところで、昨日も「今、HPをつくってるの」というと、「テーマは何ですかあ」と聞いてくるので(当然聞くよね)、「何、それと思うかもしれないよ」ともったいぶると(単に恥ずかしいだけなのだが)、皆ますます興味津々。「そんなこといわれたら、よけい知りたーい」といわれ、ようやく「あのね、お墓なんです」と白状(笑)。ところが、意外にも皆の反応は「面白そう」。そういえば、この間も知り合いにそのことをいうと、「面白いかもしれない」といわれた。詳しいコンテンツを説明していないから、彼女たちのイメージ通りにできているかどうか、これからの反応はやや怖いけど、今のところ怪訝な顔をされないだけ、まだましなのかもしれない。


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