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かつて高石市の海岸は万葉集など多くの歌人に詠われた“白砂青松”の風光明媚な砂浜で有名でした。大正昭和期には、東洋一の海水浴場として栄え、ひと夏100万人の観光客で賑わう一大リゾート地でした。
その観光客を運んだのが鉄道でした。大阪中心部からも近く、日帰りで避暑に来れると、子ども達を連れた家族旅行だけでなく、企業の保養所、高級な別荘地も多く建設されました。(それが6つの駅のルーツです!)それらが高石市の都市格の向上につながりました。
昭和30〜40年代、高度成長期にこの海岸に臨海工業地帯が造られました。当時の町長、市長、住民も悩んだでしょうが、時代の変化に対応すべく臨海部の開発を決断し、その代わりに浜寺公園に府営プールや交通遊園が建設されました。その後、企業進出により税収は伸び、人口は急増、学校、幼稚園、保育所を建設、上下水道や道路、公園など整備が進み、高石市は年々発展を遂げて来たのです。 |
そういう先人のご労苦の上に今があります。昨今、臨海企業もデフレを乗り越え、市の企業立地促進条例もあり、新たな設備投資もこの12年ほどで355億円に達し、工場施設の耐震化や避難タワーなど南海トラフの防災対策も進んでいます。高石市も財政難を乗り越え、懸案の芦田川改修事業や南海本線連立事業も着々と進んでいます。
自立再生から飛躍発展と着実に成果を上げて来ました。これからも、良き伝統は大切にしながらも、ふるさと高石の未来を明るいものにして、子ども達にも思い出となる町にして行かねばなりません。どうか市民の皆さまのご理解とご支援ご協力のほど、心からお願い申し上げます。 |
今年度、ふるさと納税で、
このシティプロモーションにと約680万円の寄付がありました! |
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