己が剣を賭けて

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己が剣を賭けて


第八章  「悲しい生き方だと思わないのか」

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「姫様、今、何と」

「お前たちは今すぐこの場を離脱し、ノディオンへ帰れと申したのです」

 アグスティ城で籠城するためには、城へ続く溢路で陣を引くことがセオリーである。

 ラケシスの率いる軍勢は後詰となるために、城の北に広がる森の中に陣を引いていた。

「それは姫様とともに、でございますね」

「それならば、このまま転進を命じます」

 イーヴの確認の言葉にそう言い返して、ラケシスは背後の旗を手に取った。

 イーヴたちに背を向けた状態で旗を掲げたラケシスは、そのままイーヴたちを振り返った。

「イーヴ、再度命じます」

「はい」

「近衛隊はノディオンに帰り、王妃と王子を守ること。よいですね」

「承服いたしかねます」

「これは王女としての命令です。いいですね、イーヴ」

 ラケシスの命令を不服とするイーヴに、ラケシスの隣に控えていたベオウルフが助け船を出した。

「お姫さん、いきなり過ぎるだろうぜ」

「ベオウルフ殿」

 救いを求めるように顔を上げたイーヴに対して、ラケシスは不満そうにベオウルフに視線を移した。

「傭兵が口を出さないで」

「一応、お姫さんの副官なんだがね」

「ならば、私の判断が間違っているとでも」

 厳しい視線を投げかけてくるラケシスに、ベオウルフも苦笑しながら頭をかく。

「説明も無しにってのは、イーヴも納得できねぇだろ」

「……そうね」

 ベオウルフの言葉に肩をすくめたラケシスは、目の前に控えているイーヴに旗を押しつけた。

 仕方なく旗を受け取ったイーヴに、ラケシスは教壇に立った教師のように腕を組んでみせた。

「イーヴ、今の状況は認識できているわね」

「エルトシャン様と敵対しているという事実は」

「そう。このまま正面からあいまみえるとなればどうなるか、わかるわね」

「我々が蹴散らされると」

 イーヴの台詞に、ラケシスは小さく首を左右に振った。

「この中にも、数年後には黒衣を纏う者がいるわ。そのような者たちを失うことこそ、国を失うことになる」

 そう言うと、ラケシスは奥に並ぶ騎士たちまでも視界におさめた。

「皆に伝えます。王がシャガールに従い出陣した今は、ノディオンにとって王と王女は不要のもの。
 ノディオンの命運を預かっているのは、本国に残る王子と王妃です。
 ここで転進するお前たちこそ、国を託されし者と心得なさい」

「姫様……我々に国を託されると」

「お前たちなら、ノディオンを担うに足るはずです」

 ラケシスはそう言い切ると、微笑みを浮かべた。

 その微笑みの意味を理解したイーヴが、再び平伏する。

「行きなさい、イーヴ。アレスと、お姉様を頼みます」

「はい。我等の一命に換えましても」

 イーヴに率いられて、ラケシスの近衛隊が南下していく。

 その様子を見送っていたラケシスは、旗が見えなくなると早々に森の奥へと馬の首を向けて進みだした。

「ベオウルフ」

「何だい、お姫さん」

「お兄様は、どのように動くかしら」

 前を向いたまま尋ねてきたラケシスに、ベオウルフが悩むことなく答えを口にする。

「騎士として、正攻法で城を落とす」

「あくまでも正面突破ということね」

「あぁ。今のエルトは、ただの騎士だ」

「国王として部隊を率いているわけではないと」

「国王としてのエルトなら、俺に勝ち目はないな」

「騎士としてのお兄様なら、勝ち目はあるの」

「あくまで正攻法で来るのなら、普通に裏をかけばいいだけのことさ」

 ベオウルフの軽い返事に、ラケシスは馬の足を止めた。

「後詰として駆け、お兄様のところに割り入るという私の策は正しいのかしら」

「正しい」

 ベオウルフにそう言われ、ラケシスはようやくベオウルフへ視線を向けた。

「周囲には、ノディオンの精鋭がいるのよ」

「後詰は無視するよう、エルトなら指示を下しているはずだ」

「どうして」

「愚直な騎士として、エルトは最前列か最後尾にいる。
 正攻法で攻める騎士団長は、数名の手勢を残して最後尾にいるのが常道だ」

 ベオウルフの言葉に思い当たる記憶を思い出したのか、ラケシスは大きく息を吐いた。

「その数人なら、お前が抑えてくれるのでしょう」

「そのために残したんだろうが」

「まぁ、それもありますけれど」

 馬一頭ならば直線的に街道へ抜けられる場所に馬を止め、ラケシスは馬上から降りた。

 彼女に習ったベオウルフへ、ラケシスは火を焚くように命じた。

「狼煙でも上げるつもりか」

「野犬が出ると聞いているのだけど」

「あれだけの戦争の後だ。今、この森の野犬に出会う確率と人に遭う確率なら、人に遭う方が高い」

「信じるわ。でも、今日のうちに目の前を通ることはないわよ」

「そういうもんかい」

「あくまで正攻法というのなら、夜半は動かない」

「なるほど。確かに、傭兵には欠けてる視点だ」

 ラケシスの言葉に肩をすくめて、ベオウルフが手早く火をおこす。

 周囲の落ち木をかき集めて作られた即席の焚き火で、二人は早めの夕食をとった。

 干し肉を炙ったものを口へ運ぶラケシスに、ベオウルフが皮袋の水を飲みながら遠慮のない視線を送る。

 その視線に気付いたラケシスは、わずかに身体を斜めに向けた。

「お前という男は、デリカシーの欠片もないのね」

「傭兵に期待するなよ」

「居心地が悪いわ」

「他人の視線なんて、慣れてるだろうが」

「お前の視線は、どこかが違うわ。何かこう、殺意じみたものを感じるの」

「殺気を放った覚えはないが」

「例えるなら、倉庫の闇から感じるような不気味さね」

「いくら傭兵でも、雇い主を襲うような真似はしないさ」

「いっそ、襲ってくれれば切りつけてやるわ」

 ラケシスの言葉に小さく笑って、ベオウルフが焚き火の火を小さくする。

「先に寝ておけ。明日、早朝にはエルトたちはこの前を通るはずだ」

「お前の勘を信じるわ」

「経験だ」

 ベオウルフの言葉を信じたラケシスはイーヴの残したマントに包まって身体を休ませることに専念した。

 

 

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