己が剣を賭けて

 第一章  ・  第二章  ・  第三章  ・  第四章  ・   第五章  ・  第六章  ・  第七章  ・  以下続刊


己が剣を賭けて


第七章  「ノディオンの旗を掲げなさい」

13

 

「相変わらず、ひどい趣味だな」

「俺の趣味に文句をつけるのは、お前ぐらいなものだ」

「そりゃ、変態趣向が消えないわけだ」

 むせ返るような花の香りに顔をしかめながら、ベオウルフは目の前の獅子王に悪態をついた。

 誰もが恐れる獅子王も、ベオウルフに対してはその威厳を保ったまま表情を緩めた。

「ここならば、誰かに聞かれることもない」

「それで、そんな場所で何を言いたいんだ」

 ベオウルフにとってはまだ朝も早い時間だった。

 さすがに身なりは整えているものの、寝起きの不機嫌さは隠せるものでもない。

 あくびをしないだけ敬意を払っているという有様だった。

「ラケシスを任せたい」

「お断りだ」

 エルトシャンの申し出をにべもなく断り、ベオウルフはあくびをかみ殺した。

 用件の目星がついたことで、目の前の王に対する認識を改めたのだ。

「妹を押し付けるような王様に、敬意を払う必要はねぇな」

「別に命令ではない。これは友としての兄からの頼みだ」

「だったら、この話はなかったことに」

「逃がさんぞ」

 エルトシャンが腰に帯びている剣の鍔鳴りに、ベオウルフは立ち去ろうとしていた足を止めた。

 半眼になって睨みつけても、そこには威厳という高い壁が存在している。

「あのなぁ、俺は一介の傭兵だぞ」

「だが、このノディオンの騎士だ」

「フリーランスを勝手に国付きの騎士にするなよ」

「貴様の騎士勲章は、俺が授けたもののはずだ」

「それがどうした」

「その友の頼みも聞けない男に、俺は勲章を渡したというのか」

 徐々にやり取りが激しくなりそうな空気に、ベオウルフは大きくため息をついた。

 それだけで、エルトシャンも強めていた語気を普段のものへと戻す。

「グランベルが動き出した」

「シグルドの旦那かい」

「いや、本国のほうだ」

「何を言ってきた」

「ラケシスを有力貴族に嫁がせないかという打診だ」

「ありえる話だな」

 ラケシスを縁戚に組み込み、エルトシャンの動きを封じる。

 その上でシグルドを橋頭堡にアグストリア王国への支配権を強めていく。

 イザーク王国とヴェルダン王国を屠り、残るはアグストリア諸国連合のみ。

 多少強引な手段であろうと、グランベルの選択肢には上がるやり方だった。

「それで、お前はどうするつもりだ」

「貴様とラケシスをハイラインに控えさせ、俺が前線に立つ」

「あのシャガールが一年耐えられるとは、俺には思えんがな」

「耐えさせなければなるまい。これ以上、グランベルの介入を許す前に」

 エルトシャンの危惧するように、既にマッキリー城にはグランベルから城代が派遣されている。

 ハイラインに関してはノディオンへの配慮を見せたものの、既に侵略は始まっていると言えるだろう。

 シグルド軍が駐留するための措置との主張を押し返すわけにもいかず、エルトシャンはそれを許可していた。

「いくらお前でも、グランベルを相手にするのは分が悪いぞ」

「だが、やるしかあるまい。上手くいけば、シグルドあたりから停戦への調停が入る可能性もある」

「随分と甘い見通しだが、それほど切羽詰ってるとも考えられるか」

「悔しいが、お前の見立てどおりだ」

 エルトシャンの言葉に、ベオウルフは再びため息をついた。

「あのお姫様を餌に、俺を酷使するつもりか」

「ハイラインが持参金では不満か」

「俺は人の上に立てる人間じゃねぇよ」

「実権はラケシスに任せても構わんぞ。それだけの教育を施してきている」

「それは認めるが、とにかく嫌なんだよ」

「ベネディクト」

 エルトシャンの読んだ名前が引き金となり、ベオウルフは獅子王に背を向けた。

 瞬間的に己の失敗を悟ったエルトシャンだが、彼はあえて同じ名で傭兵を呼んだ。

「ベネディクト、また逃げるのか」

「そんな奴、知らねぇな」

「ならば問う。自由騎士、ベオウルフよ」

 三度目の呼びかけに足を止めて、ベオウルフは軽く空を見上げる仕草をして見せた。

 いつか見たような記憶に囚われながら、エルトシャンがいつか紡いだような問いかけを繰り返す。

「何のために生き、何のために戦うのか」

「俺のために生き、俺のために戦う」

「そこに誰かを並ばせるつもりはないのか」

「それほど人生に疲れちゃいないし、寂しさも感じねぇ」

「いい加減、意地を張るのはよせ。いつか、諦めてしまうことになるぞ」

 見上げていた空から視線を下ろし、ベオウルフは肩を竦めた。

 視界の先に、見慣れてしまった金髪の姫を見てしまったからだった。

「その質問は、アレスが生まれたときに答えた気がするな」

「何度でも問うぞ、ベオウルフ」

「いい加減、頭の悪い男だな」

「自由に生きるのは構わない。だが、その隣に並ぶ者がいない筈はない」

「一人で朽ちるべきなんだよ、俺は」

「何故だ。何故、それほど頑なに他人を遠ざける」

「これ以上、俺みたいな人間を作り出す必要はねぇだろ」

「お前の父親も、お前を誇りに思っていた」

「エルト、時間切れだ」

 エルトシャンの呼びかけを巧みにかわすように、ベオウルフは歩き出した。

 その先に妹の姿を認めたエルトシャンが口をつぐみ、ベオウルフの背中へ殺気のこもった視線を叩きつける。

 平然と歩き続けるベオウルフとすれ違ったラケシスが、兄の視線に足を止める。

「待ちなさい、傭兵」

「待てと言われて、待つ奴がいるか」

「お前は雇い主の命令に従わない男ではないわ」

「やれやれ。痛いところをついてくるねぇ」

 そう言いながら足を止めたベオウルフに、ラケシスが小声で尋ねる。

「何をしたの」

 同じように声を潜めつつ答えようとしたベオウルフは、寸でのところで思いとどまった。

 声を潜めるために近寄れば、絶好の機会をエルトシャンに与えてしまうことに気がついたのだ。

 その証拠に、エルトシャンの視線が絶え間なく二人へと注がれていた。

「お前さんの兄に雇われそうになってるのさ」

「随分といい話だと思うけど」

「今はお前さんに雇われてるからな。義理は立てる性質なんだ、俺は」

「解雇してあげるわ、この場で」

「それはありがたいが、金は返せんぞ」

「お兄様に雇われるなら、反故にしてもかまわないわ」

「面倒だねぇ、お姫様も」

 歩み寄ってくるエルトシャンから距離をとるわけにもいかず、ベオウルフはまたため息をついた。

「幸せが逃げる日だな、今日は」

「幸せから逃げているの間違いだろう」

 エルトシャンの言葉に、ベオウルフは腰に手を当てた。

 ラケシスを挟んだ二人のやり取りに、ラケシスが口を挟む余地はなかった。

「どうあっても、ラケシスは引き受けてもらうぞ」

「あの、お兄様、お話が見えませんわ」

「グランベルの連中にくれてやるのが惜しいなら、さっさと相手を見つけてやれよ」

「だからこうして、ハイラインの城主候補に話をつけている」

「だから、俺は自由騎士だって言ってるだろ」

「今度の論功行賞で、城を与えてやろう」

「残念ながら、俺はお姫さんに雇われた傭兵。俺の手柄はお姫さんのもんだ」

「いつまでも逃げられると思うなよ」

「とことんまで逃げてやるよ」

 自分の上を行き交う視線に割って入るように、背伸びをしたラケシスがエルトシャンの視線を遮る。

「あの、お兄様」

「何だ、ラケシス」

「グランベルからの使者が来ております」

「俺が必要か」

「はい。お義姉様は少し体調が優れないご様子でしたわ」

「わかった。だが、忘れるなよ、ベオウルフ」

「生憎、俺は物覚えが悪くてね」

 子供のようなやり取りを見せた二人は、ラケシスにとって新鮮だった。

 妻にやり込められるエルトシャンは見たことがあるものの、同性にやり込められる兄の姿は初めてだった。

 父王の健在であるときでさえ、エルトシャンは毅然として父王と対峙していた。

 その兄が、ベオウルフにはまるで子供のケンカのようなやり取りをしているのだ。

 エルトシャンが立ち去るのを見送ったベオウルフを見上げて、ラケシスは小首を傾げながら呟いた。

「不思議な男ね、ベオウルフ」

「自由な傭兵ってのは、王だろうが関係ないのさ」

「王女も関係ないのかしら」

「さぁて、お前さんは雇い主だからわからんね」

 そう言って立ち去るベオウルフを、ラケシスは不思議そうな表情で見送っていた。

 

 

14

 マディノ城の蜂起。

 そのマディノへの出兵は、シグルド軍にとって大きな賭けだった。

 居城から遠く離れた位置への派兵は、シャガールに絶好の機会を与えることとなる。

 シャガールの手配なしに、マディノ単独での蜂起は考えられないため、後手を踏むのは確実だった。

 それでも出兵したシグルド軍の留守を預かるラケシスに、当然のように大きな試練が訪れる。

 シルベール城の蜂起の報せである。

「シャガール王が……馬鹿な男だわ」

「で、どうする」

 エルトシャン直々に副官に任じられたベオウルフが、報告書を手で弄びながらラケシスへと尋ねる。

「シグルドの旦那がいない今なら、この城ぐらいは軽く占拠できるぜ」

「アグストリアの先鋒に立つことになるわね」

 特に狼狽することもなく、ラケシスは平然とした表情で着席していた。

 彼女の他に部屋の中にいるのは、彼女の副官であるベオウルフのみ。

 虚勢は無駄であることを知りながら、彼女はことさら落ち着いて振舞っていた。

「ノディオンにもグランベルからの兵が真っ先に行くわな」

「助けに行こうとも、引き返してくるシグルド軍をこの城で迎え撃つまでは何もできないわ」

「そして、ノディオンの主力はシルベールか」

「この期に及んで、二度目の幽閉はありえないでしょうね」

「当然だな。エルトには出陣の選択肢以外がない」

「シグルド軍に味方すれば、お兄様への反逆」

「シャガールに従えば、ノディオン本国の喪失」

「随分と考えられた戦略だわ」

 マディノ城へのシグルド軍の釣り出し。

 そして、アグスティ城に駐留しているラケシス。

「あのボンボンの策じゃねぇな」

「誰か、良い頭脳を飼っているのでしょう」

「それで、どうするんだ、お前さんは」

 弄っていた報告書をラケシスの前に放り投げて、ベオウルフがラケシスに最終決断を促す。

 報告書に一瞥をくれたラケシスは、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「この城に、ノディオンの旗を立てます」 

「どっちにつく」

「約定を先に違えたのは、アグスティ王国だわ」

「ま、妥当なとこか」

「ノディオンのアレスを危険にさらすわけにはいかないわ。たとえ、この身が朽ちても」

 握りこぶしを固めたラケシスに、ベオウルフが姿勢を正す。

 それと同時に、廊下を駆けてくる足音が大きくなってきた。

「強いぞ、エルトは」

「覚悟の上です。私たち兄妹が死んでも、まだお義姉様がいるもの」

 扉が強く叩かれ、ラケシスの許可と同時にいかつい顔をした鎧騎士が顔を見せた。

 シグルド軍の留守居役を任されたアーダンが、城主代行を務めているラケシスを訪ねてきたのだ。

「ラケシス様、シルベールからアグスティ王国の軍勢が出立したとの情報が入りました」

「聞いています。すぐに出陣の準備を」

「籠城の準備ではないのですか」

「この城をよく知らない貴方たちに、籠城ができるのですか」

 ラケシスの言葉に、アーダンが少しの間だけ逡巡を見せる。

 ただし、すぐに彼は決断していた。

「はい」

 派手な足音をさせて部屋を出て行ったアーダンを見送り、ベオウルフがため息をつく。

 ベオウルフのため息に合わせるように、ラケシスは微笑みを浮かべた。

「よかったわね、ベオウルフ」

「何がよかったんだ」

「お兄様と、本気で戦えるわ」

「冗談だろ。俺はクロスナイツですら戦いたくないね」

「貴方の本気が見れるわ。一個小隊でハイライン勢を退けた実力が」

「あのなぁ、敵の力量が違いすぎる。まともな奴なら、ここは逃げ出すぜ」

「まさか、逃げ出すはずがないわ。貴方がベオウルフでいる以上はね」

 意味深に視線を向けたラケシスから逃げるように、ベオウルフが窓へと歩み寄る。

 その眼下に広がる庭には、セリスと駆け回るシャナンの姿があった。

「ま、あの連中の死に姿は見たくないよな」

「情で動いているつもりはないわ。これは王族の代表としての判断よ」

「王と王女を失うとしてもか」

「王子と、頼りになる王妃が残るわ」

 ラケシスの答えを聞き、ベオウルフが窓のそばを離れた。

 ラケシスの窺がえるその横顔には、戦場に向かう男の精気が満ちていた。

「先に言っておく。エルトは誰にも止められん」

「当たり前よ」

 そう答えるラケシスに、ベオウルフが視線を向ける。

 しかし、そこに彼が予想していた妹の姿はなかった。

 一端の政治家としての表情がそこにはあり、彼は副官へと戻る。

「お前の命でも止まる保証はない」

「止めてみせる。このラケシスの名に賭けて」

「止めてみせろ。その他は、仕事をしてやる」

「信じているわ、貴方を」

「俺はお姫さんを守れる騎士じゃないぜ」

「言い直しが必要かしら。私は、ベオウルフという男を信じているの」

「……わかった」

 ベオウルフが立ち去ると同時に、小間使いたちが部屋へと集められた。

「ノディオンの旗を。このノディオンは誰が敵になろうと、シグルド軍に味方する」

 

<第七章終わり>
<第八章へ>