己が剣を賭けて

 第一章  ・  第二章  ・  第三章  ・  第四章  ・   第五章  ・  第六章  ・  第七章  ・  第八章  ・  以下続刊


己が剣を賭けて


第三章  「お兄様の帰還まで、負けられない」

 

「お姉様!」

「ラケシス、ノックをしてからお入りなさい」

 執務室に飛び込んできた義妹を、グラーニェは冷静に諭した。

 しかし、ラケシスは執務机の前に詰め寄ると、机の上に両手を乗せてグラーニェへと身を乗り出していた。

「お姉様、たった今、ハイラインの軍勢が動いたとの報せが!」

 ラケシスの言葉に、グラーニェは立ち上がると、奥に控えている執事を呼んだ。

 エルトシャンからの信頼の厚い執事が姿を見せると、グラーニェは急いで諸将を集めるように告げた。

「城下にいる将軍をすぐに呼び出しなさい。国境付近の兵には、今しばらく国境を死守するように伝えなさい」

「承知致しました」

 執事が出て行ったことで幾分か落ち着いたラケシスだったが、次は顔色を青く変化させていた。

 ラケシスが指揮する騎士団では、量的な問題が常に付きまとう。

 いくら駐留しているノディオン兵が屈強だとは言え、勢いを増した軍勢に数で劣る軍勢が勝てる見込みはない。

 今、この時、国境付近の分隊が瞬く間に蹴散らされれば、ノディオン陥落も冗談では済まなくなる。

「お姉様……」

 唇を固く真一文字に結んだラケシスに、グラーニェは微笑んで見せた。

 そして、ここ数日の間に違和感のなくなった、愛用の槍を手にする。

「ラケシス、イーヴ達に出陣の用意を。いつまでここにいるつもりですか」

「は、はいッ」

 グラーニェの言葉と行動に、硬直していたラケシスが弾かれたように動き出す。

 入ってきた時同様、勢いよく部屋を飛び出して行く。

 その背中を見送って、グラーニェは最後の一文を残すのみとなっていた、援軍要請書をしたためた。

 少しの焦りもなく書面を整えると、すぐに封をする。

「オペラ、これをキュアン様のところへ。馬は既に用意してあります」

「わかりました。グラーニェ様……」

 心配そうな表情を見せる侍女に、グラーニェは再び微笑んだ。

「無理は致しません。キュアン様と一緒にこちらへ戻って来ればいいわ」

「すぐに、お戻りいたします」

 そう言って頭を下げた侍女に、グラーニェは困ったように、侍女の肩へ手を置いた。

「心配しないで。ラケシスも、イーヴもいます。貴方は、確かに手紙を届けることだけに専念なさい」

「わかりました。では、行って参ります」

「えぇ」

 侍女がやや早足で厩舎へと歩いていく。

 その間に、早くも一人目の将軍が城に到着したとの報告が入った。

 そのことを伝えた小姓と一緒に、グラーニェは執務室を出た。

 エルトシャン幽閉の情報は入っていないものの、アグスティ城で何事か起きたことは予測できる。

 グラーニェは、ただ城の奥に閉じこもっているだけの女性ではない。

 レンスターにいた頃には、デュークナイトの称号まで得た騎士である。

 執務室を出て軍議室へ姿を現したグラーニェの瞳には、生気が満ちていた。

 緊急呼集に応じた将軍達の考えていた、王妃の怯えた表情などは存在しない。

 槍を傍らに置いて諸将を見渡す彼女の姿は、誰もが思わず平伏するほどだった。

「さて、ハイラインの軍勢が領内へ侵攻を始めたと報告がありました。諸将の御意見を窺いたいのです」

 開口一番、ハイラインの侵攻を認めたグラーニェに、呼びだされた将軍達の中に動揺が広がる。

 大陸最強との呼び声が高い黒騎士団は、エルトシャンに率いられ、出征中である。

 ノディオンに残されている兵も決して脆弱ではないが、日頃とは戦力が違っていた。

「今はアルヴァ隊が国境付近で展開中ですが、到底防げるものではありません」

「それでは奥方は、ノディオン城へ篭城なさるおつもりか」

 壮年の将軍の言葉に、まだ年若い将が口を開く。

「では、我等は直ちに軍勢をまとめ、後詰を……」

 その言葉に、列席していた数人が立ち上がりかける。

 しかし、グラーニェの言葉が彼らを立ち止まらせた。

「後詰は不要です。諸将は各領内の治安の安定をお願いします。ハイラインへは、シグルド軍で対処いたします」

「シグルド軍ですとッ」

「えぇ。知っての通り、私の主家筋に当たるキュアン王子がシグルド軍に同行中です。
 王子を通じ、ノディオンへの協力の約束を取り付けてあります」

「それは構いませぬが、シグルド軍はヴェルダンの問題も片付いていないのではありませぬか」

「それとこれとは話が別です。アグストリア王国の騎士として、グランベルの介入を拒む気持ちもありましょう。
 ですが、諸将にはマッキリーの動向に注意していただきたいのです」

 グラーニェの指示に、壮年の将軍が厳かに頷いた。

「奥方の御指示に従いましょう。マッキリーが動くとは思えませぬが、用心はしておくべきですな」

「……感謝します」

 頃合を良しとみたイーヴが、待機させていたラケシスを部屋の中へ導く。

 甲冑姿のラケシスを見た将軍達の中から、思わずため息が漏れた。

「ラケシス様……」

「……まるで、エルトシャン様御幼少の姿を見ているようだな」

 ノディオン王家の旗を手にしているイーヴを従えて、ラケシスが居並ぶ諸将へ頭を下げた。

「この危機を乗り切るため、諸将の奮戦を期待致しております。既に、ことの次第は我が兄にも届いている筈。
 兄からの援軍も、必ずや来ることでしょう。それまで、このノディオンを皆に託します。グラーニェ王妃に従い、
 各領地の治安の安定と、マッキリー軍への牽制をよろしくお願い致します」

 ラケシスの言葉は、不思議な力を諸将へと与えた。

 ラケシスの登場シナリオを書いたグラーニェでさえ、その不思議な王家の血筋を認めずにはいられなかった。

「ラケシス様、ノディオンの騎士の誇りにかけましても!」

「よろしく頼みますよ、ゼノン」

 将軍達を代表して誓いを立てた老将に、そう言葉をかけて、ラケシスが腕を一閃させる。

 領地へと戻る将軍達が出て入った後で、グラーニェは城に王家の旗を掲げさせた。

「ラケシス、任せましたよ。皆も、ラケシスの助けを」

「ハッ」

 城付きやごく近隣の領土を持つ将軍達が、各持ち場へと配置に付く。

 グラーニェに背中を押される形で城のテラスへ姿を現したラケシスが、祈りの剣を天へと突き上げた。

「出陣! お兄様の御帰還まで、この城を守りぬけ!」

 

 

「シグルド、ノディオンがハイラインの侵攻を受けたという報せだ」

「兄上、どういうなさいますか」

 エバンス城の執務室では、フィンからの報告を聞いたキュアンとエスリンが、シグルドの許を訪れていた。

 グラーニェからの書状を手にしたシグルドは、キュアンへと書状を戻すと、急いでオイフェを走らせた。

 オイフェが立ち去って間もなく、キュアンが顔をしかめながら、シグルドに確かめた。

「出陣だな」

「そうなる。エルトシャンの家族を、このまま見捨てるわけにはいかない」

「他国への干渉か。前回と違い、今回はこちらから攻め入ることになるぞ」

 キュアンの言うとおり、今回はアグストリア王国への侵入があって、初めて成り立つものである。

 シグルドにしても、それはわかっているのか、今一つ歯切れが悪い。

「要請は来ている。だが、他国への侵入と言う干渉は免れない」

「下手をすれば、大陸全土を巻き込んだ騒動になるぞ」

「だが、エルトシャンの家族を見殺しにするわけにもいかないだろう。」

「それも当然だ。グラーニェは私の親類筋にも当たる。開戦理由は何とかなるだろう」

 キュアンがそう言ったとき、オイフェに呼ばれたアレクとノイッシュの二人が、部屋の扉をノックした。

 シグルドの誰何に名乗った二人が、戦装束に身を包んで姿を現した。

「アレク、ノイッシュ、出陣の用意は?」

 シグルドの問いかけに、ノイッシュが力強く頷いて見せた。

「明日には出陣が可能です。陣立て隊を後発させるのならば、数刻後にも」

「馬の準備は整ってます。いつでもいけますよ、シグルド様」

 アレクの言葉を聞いて、シグルドはキュアンの方を見た。

 キュアンの傍らでは、エスリンが口許を引き締めている。

 そこへ、アゼルとレックスの両公子が顔を出した。

「オイフェに聞いたぜ。シグルド、お前の親友が大変なことになってるみたいだな」

「シグルド公子、ヴェルダン王国の降伏は、アグストリアへの影響も大きいと思います。くれぐれも慎重に」

 アゼルの言葉を二人の意見と捉えたのか、シグルドはやや表情を暗くして、開戦を口にする。

 しかし、シグルドの意に反して、レックスの返事は開戦を妨げるものではなかった。

「おいおい、オレも行くぜ。オレの馬でも、少しは戦力になるだろうしな」

「レックス……」

 予想外な返事に目を丸くしたシグルドは、アゼルの言葉を聞いて、更に驚きの表情へと変わる。

「僕も、後方の部隊を指揮させてもらいます。シグルド公子は、早くノディオンへ向かって下さい」

「アゼル公子……ありがとう」

 深々と頭を下げるシグルドに、アゼルは笑って手を振った。

 その間にも、エスリンが一足早く自分の部隊へと戻って行く。

 その動きに合わせるようにして、ノイッシュがシアルフィの軍へ指示を出すために、部屋を退出する。

 残ったのは公子達と、シグルドの護衛を務めるアレクのみ。

 そして、リーダーであるシグルドが、腰の剣を抜いた。

「ノディオン救出のために、出陣する! 先遣隊は、私とレックス、キュアンのレンスター部隊とする!」

「わかったぜ」

 表情を引き締めたレックスが、足早に立ち去る。

 先遣隊を任ぜられたキュアンも、フィンに細かな指示を与えて走らせた。

 そうしておいて、自身は部屋に残っているシグルドとアゼルに向きあった。

「ノディオンの女中に道案内をさせる。先鋒は俺に任せてもらおう。それでいいな、シグルド」

「わかった。エスリンは私の部隊が引き受けよう。やはり、レンスターの旗印を先に立てた方がいいだろうから」

「そうですね。シグルド公子、アーダンの部隊をお借りします。エバンスの守りは、それで充分でしょう」

「アゼル公子、お願いします」

 最後に出立するアゼルを一人残して、シグルド軍の先遣隊は、大きな気勢を上げた。

 結果として戦乱を大陸全土へと広げた、シグルド軍のアグストリア侵攻の幕開けである。

 

<第三章 終わり>
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