己が剣を賭けて
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己が剣を賭けて
第五章 「しがない傭兵にも、守るべき自由があるのさ」
9
「ありがとうございました」
「おぅ、ごちそうさん」
ベオウルフのような傭兵は、雇い主の都合によって食事の保障が変わってくる。
傭兵団の一員として雇われているものの、元々が一匹狼のフリーナイトである。
宿は他の傭兵たちとともにしているものの、食事の保障までは受けていない。
それでなくても、彼のようなフリーの傭兵は街の空気に敏く、常に情報集めを忘れない。
その鍛えられたベオウルフの勘が、街に漂う緊迫した空気を嗅ぎ取っていた。
「ボチボチだな」
そう呟きながら、城門をくぐる。
城内に申し訳程度に建てられた傭兵たちの宿舎の部屋に戻ると、案の定、二人分の荷物が見当たらない。
「ベオウルフか。お前、どこに行っていた」
「いや、昼飯にな。それにしても、荷物のねぇ奴がいるが、何かあったのか」
部屋を見回してから、ベオウルフは戦支度を進める傭兵仲間に尋ねていた。
数人の傭兵を束ねる小隊長の地位にあるその傭兵が、その言葉に眉をひそめる。
「出撃命令が下ったのさ。お前も、早く準備しろ」
「出撃命令ね。俺の仕事は、お前さんたちをここまで送り届けるだけなんだがな」
ベオウルフはそう言って肩を竦めると、部屋に備え置いていた薬缶から、水をぐい飲みした。
支度を終えた傭兵が、意外そうな視線で彼を見返している。
「なら、さっさと更新してきな。今度の仕事は盗賊の護衛だとよ」
「盗賊の護衛か。あまり気が進まんな」
「オレもだよ。城主が盗賊を雇って、街を襲わせるってんだからな」
「口封じされかねんな。俺はここいらでフケさせてもらうとするぜ」
そう言ったベオウルフを、傭兵が引き留めの言葉を口にすることはなかった。
その代わりにと、傭兵がベオウルフを口許へと手で招き寄せる。
「ここだけの話だが、ノディオンに追討命令が出たらしい。ハイラインとドンパチやらかしてるそうだぜ」
「南下すりゃ、巻き込まれるってことか」
「そういうことだ。ズラかるなら、西だな」
傭兵はそう言うと、ニヤリと笑って、ベオウルフの耳元から離れた。
愛用の剣を担ぎ、防具を手にして、割り当てられた四人部屋の扉に手をかける。
「お前さん、どうするつもりだ」
ベオウルフの問いかけに、傭兵は首を捻じ曲げるようにして別れたばかりの傭兵仲間を振り返った。
「前金はもらってるからな。適当に盗賊を護衛して、そのままズラかるのさ」
「そうか。縁があったら、また会おうや」
「おぅ」
傭兵が部屋を去ると、残されたベオウルフは、硬いベッドの上に腰を下ろした。
すでに残りの二人も戦に出ているのだろう。部屋に残っている荷物は、彼のものだけである。
「ノディオンに追討命令ね。エルトシャン、どうやら失敗したらしいな」
ベオウルフの頭に、ほんの少し前に交わしたばかりの、エルトシャンとの口約束が浮かぶ。
気に進まない盗賊の護衛で確かな小銭を稼ぐか。それとも、窮地に立たされたノディオンの獅子に賭けるか。
賢い傭兵ならば、迷うことのない問題に、ベオウルフは小さく溜息をついた。
「お人好しだよなぁ、俺も」
そう言って苦笑すると、ベオウルフはゆっくりと立ち上がった。
傭兵の常として、荷物はいつもまとめられている。
皮袋に入ったその荷物を窓の外に投げ落とすと、彼は愛用の剣を腰に差した。
「賢い人間のすることじゃないぜ、まったく」
そう言いながらも、ベオウルフの足はメイドたちの多く働いている、厨房へと向けられていた。
10
ハイライン陥落。
シグルド軍の助勢を得たノディオン軍は、瞬く間に国境の奥へとハイライン勢を押し返した。
その勢いのままにハイラインを制圧したノディオンが次に狙うは、続いて宣戦布告をしてきたアンフォニー。
シグルド軍の騎馬隊を先行させたラケシスは、自身もハイラインの後処理を諸将に任せて攻め上がった。
「姫様、今はハイラインに留まり、王妃の御指示を待つべきかと」
そう言って血気に逸る主君を諫めようとしたエヴァだったが、ラケシスは頑として首を縦に振らない。
積極派のイーヴですら心配になるほど、今のラケシスは怒りに燃えていた。
「ノディオン討つべしとの勅書が出回っているというのに、黙っているわけにはいきませんわ」
「ですが、これ以上周辺各国との協調を乱しては、それこそ、アグストリア全土を敵にまわすようなものです」
「ラケシス様のお気持ちはわかりますが、エヴァの言うことにも一理あるかと思われますが」
側近二人の諫言に、ラケシスは手にしている愛剣を彼らに突きつけた。
「ではなぜ、シャガール王はノディオン追討の命令を出したと言うの」
「そ、それは……」
言葉に詰まったイーヴに、ラケシスは剣先を下げた。
そして、二人から視線を外し、シャガールの居城のある方角を仰ぎ見た。
「お兄様が幽閉されたのでしょう。そうでなければ、このような命令は出せぬ筈」
「はい……おそらく、姫様の仰るとおりかと」
「ならば、この戦いはお兄様が解放されるまで止めるわけにはいきません。そのための戦いなのです」
断言するラケシスに、エヴァが隣にいる兄のイーヴを見る。
イーヴが黙って首を横に振ると、エヴァは小さく頷いた。
「わかりました。我ら三兄弟、姫様を最後までお守りいたしましょう」
「えぇ。さぁ、行きますわよ」
エヴァの流したエルトシャン監禁の情報に、ノディオン軍の士気が上がる。
マッキリー国境守備隊を一蹴し、ノディオン軍は一気にアンフォニー領内へと侵攻した。
先行していたアレクたちがシグルドの指示で街へ向かうと、遂にはラケシス隊が最前線に立つことになった。
マッキリーの宣戦布告は盗賊団を闊歩させる口実なのか、アンフォニー本軍が動き出した気配はない。
それでも、ノディオンの国旗を翻している隊が先頭に立つなど、無謀に近い進軍である。
その様子を高台で確認したベオウルフは、ノディオン軍の元へと、急いで馬を走らせた。
「エルトシャンにしちゃ、妙に焦ってやがる。それとも、別の奴が国旗を預かってやがるのか」
シグルド隊が街とラケシス隊の補給路の確保に苦戦している間に、ベオウルフは間隙を縫い、本陣へと進む。
あまり戦慣れしていないアルヴァ小隊をやり過ごしたベオウルフは、難なくイーヴ小隊へ取り付いた。
見張りの兵に傭兵であることを告げ、小隊長の元へと案内を頼む。
両脇を兵士に固められながらイーヴのところへと案内されたベオウルフは、イーヴの姿を見て、声をかけた。
「よぅ、久しぶりだな、イーヴ」
「ベオウルフ殿!」
あわてて下馬したイーヴの姿に、周囲の騎乗している騎士たちが、次々と下馬していく。
苦笑したベオウルフは、たまたま通りかかったという感じで、イーヴへと話しかけた。
「何やら騒がしいらしいんで出てきてみたが、どうなってんだ」
「はい。ベオウルフ殿にはお話してもかまいませんが……」
「大体、シアルフィの連中まで一緒ってのが、俺には理解できん。エルトシャンはどうしたんだ」
本来ならば一介の騎士が呼び捨てにしてよい名前ではないが、イーヴは深刻そうに視線を伏せた。
ベオウルフはその姿に片眉を持ち上げると、馬の手綱を引いて、イーヴへと歩み寄った。
「面倒が起きてるみたいだな。本陣で話を聞かせてくれ」
「はい。では、こちらへ」
イーヴの案内で本陣に入ったベオウルフは、その中の陣容を見て、思わず表情を硬くしていた。
本来、エルトシャンが座るべき場所にいるのはラケシスであり、その両脇を固めている騎士にも見覚えはない。
「随分とメンツが変わったようだな」
「いえ、今は緊急の事態ですから」
ベオウルフの呟きにそう答えておいて、イーヴはラケシスの前で臣下の礼を取った。
「姫様、こちらはベオウルフ殿にございます。今はフリーナイトとして、諸国を旅しておられます」
イーヴの紹介に、ラケシスが軽く会釈する。
いかにも王家のカリスマを備えてはいるものの、どこか違和感を感じずにはいられなかった。
「ノディオンの国旗が見えたんだが、エルトシャンはどうした」
ベオウルフの言葉に、周囲の騎士たちが一斉に視線を伏せる。
ただ一人、ベオウルフの眼を睨んでいたラケシスが、彼の質問の答えを口にする。
「お兄様は、シャガールに幽閉されました」
「……それだけじゃねぇな。それだけなら、お前らがここにいる理由にはならん」
「もちろん。シャガールはアグストリア全土に、ノディオン追討の勅書を出しているのです」
「ハメられたのか」
ベオウルフの言葉に、ラケシスが下唇をギュッとかみ締めた。
何人かの騎士が顔を上げ、睨むようにしてベオウルフを見つめている。
その殺気立った視線を受けても身動ぎ一つせず、ベオウルフは腰の剣をラケシスへと掲げた。
「俺を雇う気はないかい、お姫さん」
「貴方を、雇うですって」
「そうだな、10000Gでいい。俺を雇っちゃくれないか」
ベオウルフの口にした金額に、周囲の騎士からどよめきが起こる。
出陣中の軍隊の自由にできる金額など、タカが知れている。
ベオウルフの要求金額は、言ってみれば法外な値段である。
「おい、貴様、我々を愚弄するつもりかッ」
今にも抜剣しそうな騎士を、イーヴがあわてて押さえつける。
黙ってベオウルフを睨んでいたラケシスは、しばらくして、椅子から立ち上がった。
「貴方に、10000Gほどの価値があるとでも言うのかしら」
実際には彼の肩ほどにも届かない身長のラケシスが、彼には大きく映っていた。
「払ってみる価値はあると思うがな。少なくとも、そこらの新米連中よりは役に立つはずだが」
「何をッ」
まだ若い将が、ベオウルフの言葉にいきり立つ。
鋭い眼光でその若い将を押さえつけ、ベオウルフはイーヴに向かって自分の荷物を放った。
「エルトシャンには、大きな借りがあるからな。それに、お前さんを守るようにも頼まれてる」
「お兄様から……」
ラケシスがそう呟き、思案気味に視線を落とす。
ベオウルフは彼女が視線を上げるまで辛抱強く待ち、さらには視線を上げたラケシスの言葉を待った。
「わかりましたわ。ベオウルフとやら、従軍を許可します。まずはこの緒戦で、力を見せて頂戴」
「いいだろう。後で、アンフォニーの情報を伝える。イーヴ、話があるから、付いて来い」
そう言って、ベオウルフは荷物を持たせたイーヴを伴って、本陣を出て行った。
残された諸将とラケシスが、素直に傭兵に付いて行ったイーヴに眉をひそめるのも仕方のないことだった。
「イーヴ、どういうつもりなのかしら」
「わかりません。後ほど、兄に事情を聞いておきます」
「そうして頂戴。とにかく、今はアンフォニーからの進軍に備えましょう。シグルド様たちがこちらへ帰るまでは」
「承知しました」
ラケシスの指示に、エヴァが諸将に配置を割り当てていく。
どこか釈然としない空気の中で、ラケシス軍はアンフォニーに対する備えを始めていった。
本陣から少し離れた場所へイーヴを連れ出したベオウルフは、手頃な岩に腰を下ろした。
隣に並び立つイーヴが、ベオウルフへと彼の荷物を返した。
「悪かったな。お前の地位を利用させてもらった」
「構いません。あの場面で私が下手に出れば、姫様も納得されるでしょう」
イーヴの言葉に、ベオウルフはクックッと肩を震わせて笑った。
「あのヒヨッ子が、強くなったもんだぜ」
「初めてお会いした時は、私も騎士になったばかりでしたから」
「あれから、もう五年は経ってるか。参謀に控えていた奴が、お前さんの弟だな」
「はい。エヴァと申します」
「兄弟揃って、お姫様の側近か。出世したもんだな」
「とんでもありません。我々は姫様の護衛に過ぎません」
真面目な面持ちでそう答えたイーヴに、ベオウルフはようやく笑いを引っ込めた。
そして、真剣な表情でアンフォニー城の方角を指した。
「アンフォニーの正規軍は動いちゃいない。元々、北の方に展開されているからな」
「ですが、シグルド軍の話では、村の方へ向かった一団があるとのことですが」
「ありゃ、マクベスの雇った盗賊団だ。何人かの傭兵も、それにくっ付いてやがる」
「何と……マクベス王自ら、盗賊団をお雇いになるとは」
「それだけ、腐ってやがるのさ。今、手駒になってるのは全て傭兵だ。ケリをつけるなら、早めに付けるべきだな」
ベオウルフの言葉を確かめるように、イーヴが口を閉ざす。
ベオウルフもそれ以上は何も言わずに、イーヴが信用するのを待っていた。
「……わかりました。シグルド軍が合流次第、戦端を開くよう進言いたします」
「その傭兵団だがな、リーダーは本物だ。ありゃ、どこかの騎士団にいた男だな」
「かなりの手練ですか」
「立ち振舞い、その剣技。ただの傭兵にしちゃ、見事すぎる」
「わかりました。そちらの方も、併せて報告しておきます」
イーヴがそう言った時、二人の視界の隅に、新たな軍旗が翻った。
ベオウルフが立ち上がり、イーヴが眼を凝らして軍旗の紋章を確認する。
「あれは……シアルフィの軍旗でしょうか」
「少なくとも、アグストリア系のものじゃなさそうだな」
二人はそう判断すると、軍旗から視線を外した。
小走りに本陣へと引き返しながら、二人は早馬がノディオン陣内を駆けているのを発見する。
「いよいよか」
「はい。ベオウルフ殿がいれば、此度の戦も必ず勝利できると信じております」
「しばらくは雇われる。エルトシャンにお姫さんを無事に会わせるまではな」
「頼りにしています」
二人が本陣に辿り着いたときには、既に早馬はラケシスへの報告を終えていた。
本陣に戻ってきた二人の姿を認めたラケシスが、出陣の指示を下す。
ノディオンとアンフォニーの戦端は、今まさに開かれようとしていた。
<第五章終わり>
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