己が剣を賭けて

 第一章  ・  第二章  ・  第三章  ・  第四章  ・   第五章  ・  第六章  ・  第七章  ・  第八章  ・  以下続刊


己が剣を賭けて


第一章  「命しか賭けるものがないんだよ、傭兵は」

 

 薄暗い照明が、酒場の隅々にまで届き渡っている。

 近寄れば互いの顔が確認でき、近寄らなければ風貌しかわからない。

 そんな不思議な酒場のカウンターで、一人の傭兵が杯を重ねていた。

「マスター、スコッチだ」

「へいよ。お前さん、見掛けねぇ顔だな」

 客の前にスコッチの入ったグラスを置きながら、酒場の主人は客の風貌を検めた。

 粗野と言うよりも使い古された服装と言うべきだろうか。

 男が無一文でないことは、男の腰に提げられている剣でわかる。

 そして、落ちついたその表情を見て、目の前の客は騒ぎを起こさない上客だと判断する。

「どこぞの傭兵かい」

「そうだ。この辺、きな臭い匂いがするんでな」

 目の前に置かれたグラスを軽く持ち上げ、ベオウルフはゆっくりと喉の奥へ酒を沈めた。

 勢いよく酒を煽るには歳を食いすぎていたし、上手い酒を知り過ぎていた。

「やっぱり、この国も騒乱に巻き込まれるのかねぇ」

「ヴェルダンが占領されたって噂も聞く。次は、このアグストリアだ」

 客の言葉に肩を落として、主人は度数の強い蒸留酒のビンをカウンターの上に置いた。

 客が主人の意図を読めずにビンと主人を凝視していると、主人はおもむろにビンの中身をグラスに空けた。

「傭兵が押しかけるようになっちゃ、この店も閉めなきゃならねぇ。慈善事業はしたくねぇんでな」

 主人の言葉に、ベオウルフは小さく笑った。

 傭兵にもいろいろな人間はいるが、一番最悪なのは盗賊まがいの傭兵である。

 彼らは雇い主の名前を使い、略奪や陵辱も躊躇わない。

 ベオウルフのような一匹狼風の傭兵は、当然それらとは一線を画している。

 主人が意味ありげに視線を送ってきたのに対し、ベオウルフはグラスの中身をゆっくりと流し込んだ。

 そして、空になったグラスを主人へと差し出す。

「お相伴に預かろう」

「……女っ気がありゃ、カクテルでも作ってやるところだがね」

 そう言って、主人がベオウルフのグラスへ琥珀色の液体を注いだ。

 ビンの材質のせいか、ビンを見ただけではわからなかった色だ。

「へぇ、シレジアのにごり酒か」

 客が一発で酒の素性を見分けたことに、主人は嬉しそうに口許を緩めた。

「とっておきの品だ。在庫一斉処分をして、場所を変えなきゃならないんでな」

「ここでシレジアの酒が飲めるとはな……ん? しかも山岳地帯の特製品か」

 木ノ実の混じった独特の薫りに、ベオウルフは思わず半分ほど飲み干していた。

 酒の通過した後に残るアルコール臭に混じり、かすかなざらつきが舌の上に残っていた。

「流石は傭兵。よく御存知で」

「一度だけ飲んだことがある。知り合いがもらった物らしくてな。そいつの妹の誕生日の祝いの席だった」

「随分と酒の味のわかるお知り合いのようで」

「そうだったな。最近は会っちゃいねぇが、今頃は何をしてるんだか」

 ベオウルフはそう言うと、グラスを空けた。

 主人が注いだ二杯目は、またゆっくりと喉の奥へ染みこませる。

 主人はその様子に微笑みながら、カウンターの奥へと戻って行った。

「ビン、忘れてるぜ」

 離れてしまった主人には聞こえないように、ベオウルフはそう呟いた。

 ビンの中身がまだ半分ほどあることは、薄暗い照明の中でも辛うじて見えていた。

「……普通の女でも引っ掛けてくればよかったかな」

 一人で飲むには美味すぎる酒だとぼやきながら、ベオウルフは何気なく店内を見まわした。

 女性が一人で酒場に入るような国ではないし、商売女を他人から取り上げるつもりもなかった。

 だが、一人で酒場にいる女性がいたならば、それは間違いなくいい女だという確信があった。

「いるわけもねぇか」

 時刻は既に遅い。

 万が一そういう女性がいたとしても、既に連れ去られているだろう。

 だからと言って、そこらにいる女を奪い合うほど、ベオウルフは退屈ではなかった。

「マスター、ピンク・スファーレル」

 聞き慣れないカクテルの名前に、ベオウルフは声のした方を振り向いた。

 ベオウルフのすぐ隣で発せられた注文に、主人が軽く手を挙げて応える。

「……どこの騎士様だ。勝手に他人の酒でカクテル頼むなよ」

「そう言うな。知らぬ仲ではあるまい」

 ベオウルフの隣に座った金髪の男は、置いてあったビンを主人へと渡した。

「これで作ってもらえるか」

 新しい客の注文に、主人が小さく肩を竦めてカクテルの準備を始める。

 横目で隣に座った男の素性を確認し、ベオウルフはグラスを傾けた。

「エルトシャン、何の用だ」

「お前にいい話を持ってきた」

 エルトシャン……アグストリア連合の中でも一際目立つ獅子王の異名を持つ国王である。

 大陸最強の呼び声の高いクロスナイツを率い、シアルフィ公国、レンスター王国とも深い親交をもっている。

 その男が、ベオウルフの隣に平然と座っていた。

「お前さんのいい話ってのは、命を賭けなきゃならねぇからな」

 心底嫌そうな物言いをするベオウルフに、エルトシャンは苦笑を漏らした。

 カクテルを置いて立ち去った店の主人に向けてグラスを掲げ、ゆっくりとした動作でカクテルを味わう。

 カクテルの味に満足げに吐息をつき、ベオウルフの方を見ずに話を続ける。

「未確認な情報だが、世代が交代する」

「……やっぱ、アグスティで何かあったのか」

 ベオウルフの返した言葉に、エルトシャンはわずかながら眉をひそめた。

 それを雰囲気で感じ取ったベオウルフは、グラスを左右に振ってみせた。

「そう怖い顔するな。ここに来る前に、通って来たのさ。かなりピリピリしてたからな」

「検問はなかったのか」

「ま、あの程度じゃ俺の壁にはならねぇよ」

 カクテルを飲み干したエルトシャンが、グラスをカウンターに置いた。

 店の主人から送られた視線に手を振って、ベオウルフは自分のグラスをエルトシャンのグラスに並べた。

「外に出よう。酒場でする話じゃなさそうだ」

 

 

 

 酒場を出て、あてもなく二人は歩を進めた。

 ベオウルフが酒場で危惧した、間諜らしき人物の姿は見えなかった。

 幾度か足を止めて気配を探った後で、ベオウルフは歩きながらエルトシャンの話を聞き出した。

「……なるほど。お前さんは無駄と知りつつも、シャガールのところへ行くわけだ」

「あぁ。クロスナイツを恐れるようならば、何とか抑止できるだろう」

「甘いぜ。あの男、そう簡単に引き下がるような甘いタマじゃねぇ。下手すりゃ、打ち首だ」

 ベオウルフの言葉に、エルトシャンは全てを承知しているかのように頷いた。

「あぁ。だから、お前にとっていい話を持ってきたと言っている」

 エルトシャンが言葉を切り、ベオウルフは仕方なく頭を回転させた。

 腐れ縁のような悪友だが、エルトシャンを嫌っているわけではない。

 たまに厄介なことを持ちかけてくる以外は、金もあり、知性もあるこの男に好感を持っていた。

「……護衛か」

 ベオウルフがそう尋ねると、エルトシャンは黙って頷いた。

「騎士団を連れて行くわけか」

「あぁ。アグスティとの国境付近に駐留させ、抑止力とするつもりだ」

「それで、本城の方が手薄になるわけか」

「ハイラインのエリオット王子を知っているか?」

 突然出された名前に、ベオウルフは首を横に振った。

「ラケシスにしつこく求婚している。事が起これば、真っ先に旗を上げるだろう」

 エルトシャンの口調から、ベオウルフは彼がエリオットという人物を嫌っていることを知った。

 巷では禁断の恋などと噂されているエルトシャン兄妹だが、実際はそうでないことを彼は知っていた。

「あのお姫さんに求婚ね。どんな奴だよ、そいつ」

「政治家としては一流だが、男としては諦めの悪い男だ」

「まぁ、しつこく求婚するくらいだからな」

「更に言うならば、ラケシスにはとても釣り合う年齢ではない。ロリコンだな、ロリコン」

「えらく嫌いなんだな、お前」

 冷徹とも言えるその判断から獅子王と呼ばれる男にしては、かなり私見の入った人物評である。

 ベオウルフはややたじろきながらも、何とか言葉を返した。

 エルトシャンも自分の感情が剥き出しになっていたことに気付いたのか、空咳を交えてから話の筋を戻した。

「とにかく、妹を守ってやってくれ」

 そう言ったエルトシャンに、ベオウルフは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 そして、懐から一枚の金貨を取り出し、エルトシャンへと示した。

「悪いがな、今は雇われてる最中なんだ。マッキリーまでは行かなきゃならねぇんだ」

「マッキリーだと? マクベス王に雇われたのか?」

 ベオウルフの示した行き先に、エルトシャンは厳しい表情を向けた。

「マクベスに雇われに行く傭兵隊の奴に雇われてるのさ。悪いが、マッキリーでの一件を終えてからになる」

「動乱が起こることを読んでいるな」

「だろうな。そこかしこから傭兵を雇い入れているって話だ。盗賊まがいの連中もいるらしいぜ」

「オーガヒルの流れ者か。余計に戦端を開かせるわけにはいかなくなったな」

 そう言って思案顔に変わったエルトシャンの肩に手を置いて、ベオウルフは耳元に顔を寄せた。

 エルトシャンが身体ごと引こうとするのを腕で押さえつけ、ベオウルフは口端を曲げた。

「情報料だ。グランベルとの戦端を開くってことだろうが、お前がそれを阻止しようとするわけを聞かせろ」

「……シグルドという男が、ヴェルダンに駐留している。シアルフィの公子だ」

「その男が、どうかしたのか?」

「私の無二の親友だ。騎士として、友人として、彼と戦うわけにはいかない」

 ベオウルフはエルトシャンの口から出た、親友と言葉に驚いていた。

 ベオウルフの知るエルトシャンは、常に国のために私情を捨てることを躊躇わない男だった。

 その彼が、今は親友との戦いを躊躇っている。

「はぁ、よっぽど大事な奴なんだな」

 驚きが、ベオウルフの率直な感想を口に出させていた。

 エルトシャンもそれに気付いたのか、硬くなっていた表情を微笑に変えた。

「長い付き合いだ。それに、グランベルとの戦争はアグストリアにとって有益ではない」

「ま、本音も建前も聞かせてもらえたって感じだな。いいぜ、引き受けてやる」

 ベオウルフはそう言うと、手にしていた金貨を弾いた。

 空中で回転する金貨をキャッチし、気になっていたことを尋ねる。

「それで、嫁さんはどうするんだ? 噂じゃ、子供が出来たばかりだと聞くが」

「信頼の置ける騎士を護衛につけている。さすがにラケシスまで手を回すほど、人員がいなくてな」

「あ、そ。それで俺を見付けたわけだ」

「そういうことだ」

 ベオウルフが足を止めた。

 エルトシャンも立ち止まろうとすると、ベオウルフは笑いながら手を振ってみせた。

「そろそろ宿に戻るわ。あまり無理すんなよ。お前は守らなきゃならねぇものが、たくさんあるんだから」

「引き受けてくれて、感謝する」

「気にすんな。俺は傭兵。仕事がありゃ、どこへでも行くし、何でもする」

 ベオウルフの言葉に、エルトシャンが一度止めかけていた足を止めずに歩き去る。

 彼が歩き去った方向とは反対方向へ戻りながら、ベオウルフは厄介なことに巻き込まれたことを感じていた。

 

<第一章  終わり>
第二章へ>