己が剣を賭けて

 第一章  ・  第二章  ・  第三章  ・  第四章  ・   第五章  ・  第六章  ・  第七章  ・  第八章  ・ 以下続刊


己が剣を賭けて


第二章  「この腕で、守らなければならないものもあるわ」

 

「お兄様!」

 ノックも無しに扉を左右に開いたラケシスが、エルトシャンの姿を見つける前に怒鳴った。

 ラケシスの声に振り返ったエルトシャンは、その姿を認め、眉をしかめた。

「ラケシス、たとえ兄の寝室と言えど、無遠慮に入ってくるとは何事だ」

 愛する妹に対してはいささか声色が厳しいものだったにもかかわらず、ラケシスはズンズンと中に入ってきた。

 生まれたばかりのアレスを胸に抱いているグラーニェが、心配そうに眠っている息子を窺っている。

 愛する妻と息子と紅茶を楽しんでいたエルトシャンは、近寄ってくるラケシスに対し、姿勢を正した。

「何か、用があるのだな」

「当然ですわ。お兄様、明後日にはアグスティへ向かわれるとお聞きいたしましたが」

 空いているソファにも座らず、ラケシスはエルトシャンの前に仁王立ちしていた。

「あぁ。イムカ王がお亡くなりになった。弔問に行かねばなるまい」

「そのようなこと、このラケシスにお任せ下さい」

「イムカ王は我等アグストリアの盟主。悪いが、王女の弔問で済まされるものではない」

「でしたら、グランベルの動きが怪しいとでも仰ればよいこと。今、アグスティに出向かれる必要はありませんわ」

 男性の年齢ならば騎士として認められる年齢になったばかりのラケシスは、まだ幼さが残っている。

 年相応に発育した肉体と、アンバランスな幼顔。

 神の創った奇跡の造形は、見事なまでの美しさを誇っていた。

「お兄様が書状を書き、私が弔問に伺います。それでよろしいではありませんか」

「許可できない」

「許可していただきます」

 やや頬を高潮させて、自分の意見を頑として主張する義妹に、グラーニェは自分の口許に人差し指を当てた。

「ラケシス、アレスが起きてしまうわ」

 それまで目に入っていなかったのだろうか。

 グラーニェの言葉にハッとした表情を見せ、ラケシスが慌ててアレスの顔を覗き込む。

 幸いなことに、アレスが目覚める様子はなかった。

「……申し訳ありません」

「いいえ。エルト、アレスを寝かせてきてもよろしいかしら」

 アレスを抱いたまま立ち上がったグラーニェに頷いて、エルトシャンはラケシスをソファに座らせた。

 カーテンで仕切られた奥の寝室に入っていく妻を見送って、エルトシャンは小さくため息をついた。

 そして、ソファに座ってもまだ自分を睨んでいる妹と向き合う。

「大きな声を出すな。アレスが、ようやく眠ったところなのだ」

「申し訳ありませんわ。ですが、私がこうしているのも、全てはアレスとお姉様のためですわ」

 ラケシスの言わんとしていることに気付いたのか、エルトシャンは額に手をやった。

 肘をテーブルにつけ、再び息を吐く。

「ラケシスは、シャガール王を疑っているのだな」

「もちろんですわ。イムカ王が御病気という噂は聞いておりませんもの」

「だが、亡くなられたのは事実だ」

 エルトシャンの応答に、ラケシスはここぞとばかりに語気を強めた。

「シャガール王が暗殺なされたという噂、御存知でしょう?」

 ラケシスの言葉に、エルトシャンは表情を厳しくした。

 仮にも一国の盟主となった者に対する暴言は、騎士として許されるものではない。

 早くに両親をなくし、親代わりも務めた妹に対し、エルトシャンは甘えを許さなかった。

「ラケシス、今のは聞かなかったことにしてやる。だが、今だけだ。今後、そのような言動は許されんぞ」

「……わかりましたわ」

 さすがに言い過ぎていたと感じていたのか、ラケシスもあっさりと自らの非礼を詫びた。

 そうしているうちに、アレスをベッドへ寝かせてきたグラーニェが二人のところへと戻ってきた。

 当然のようにエルトシャンの隣に腰を下ろしたグラーニェは、目の前のカップに口をつけた。

「……エルト、ラケシスの言うことも尤もですわ」

 紅茶で口を湿らせたグラーニェが、そう言ってカップをソーサの上に置いた。

 妻の言葉に、エルトシャンの眉間がさらに険しさを増す。

「つい先日、ヴェルダンでの騒動があったばかり。簡単にここを離れては、疑う者も出てまいります」

「俺とシグルドの関係をか?」

「えぇ。それに、キュアン様もおいでなのでしょう? ますます疑われてしまいますわ」

 レンスターの貴族出であるグラーニェは、レンスターの王子に対して敬称付きで名を挙げる。

 ラケシスとは違った引き止め方に、エルトシャンも頭脳を働かせた。

 黙ってしまった兄を見て、ラケシスが間をおかずに、義姉の言葉に同調する。

「そうですわ。理由は何とでもつけられます。どうぞ、今回は私をお遣わし下さい」

 ラケシスの物言いが引き金となったのか、エルトシャンは立ち上がると、扉の傍へ寄った。

 扉の周囲に誰もいないことを確認し、エルトシャンは鍵をかけて二人の方へ向き直った。

「これから先は、他言無用だ」

 エルトシャンの言葉に、グラーニェの微笑がわずかに冷たいものへと変わる。

 そのことを目の端でとらえながら、エルトシャンは話を先に進めた。

「シャガール王は、グランベルトの開戦を望んでいるらしい」

 予期しなかった話に、ラケシスが言葉を失い、グラーニェから微笑が消えた。

 エルトシャンはそんな二人の様子を確かめるようにしながら、先程までいた場所に座りなおした。

「だが、グランベルとの開戦は、アグストリアを滅ぼすことになるだろう。許すわけにはいかない」

「……お兄様、何をするおつもりなのですか?」

 ラケシスが尋ねると、エルトシャンは軽くテーブルを小突いた。

「開戦なさらぬよう、説得に赴くつもりだ。騎士団を連れ、圧力をかけた上でな」

「やはり……道理でイーヴがこそこそしていると思いましたわ」

「騎士団の留守は、ラケシス、お前の一団に任せる。エリオットの動向には注意しておけ」

「騎士団全てを動員なさるおつもりなのですか?」

「我が軍団全員で弔問に向かう。前王と、新たな盟主への忠誠を示す意味でな」

 エルトシャンの話を聞き終えて、ラケシスが立ち上がった。

 その顔には、ただならぬ決意が漂っている。

「もう、何も言いませんわ。留守のこと、お任せ下さいませ」

「あぁ。頼りにしている。出立式前にはエヴァたちと共に、顔を見せるようにな」

 エルトシャンの言葉に頭を下げて、ラケシスが部屋を辞した。

 緊張をほぐすように息を吐いた夫に、グラーニェはまだ厳しい表情を見せていた。

「イーヴ達に、エリオット殿の軍勢と対抗できる力があると思ってらっしゃるのですか?」

「篭城戦になるだろうな」

「単純な兵力差で考えても、無理がありますわ」

「篭城戦になれば、君も戦場に出るのだろう? ラケシスを導いてやってくれ」

「随分と無茶を言いなさるのね」

 妻のつっけどんな言い方に苦笑をして、エルトシャンは軽く両手を挙げた。

「……わかった。諸将に準備をさせておく」

「それはいけませんわ。今、この場面でそのようなことをなさっては、シャガール王への反逆と見られましょう」

 妻の返答に少し間を取ってから、エルトシャンは苦笑を消して口を開いた。

「シグルドへの密使か」

「私が実家の主家筋に当たるキュアン様へアレス誕生の文を届けるのは、筋違いではないでしょう」

「わかった。文面は明日中に考えさせる。タイミングはお前に任せる」

「えぇ」

 グラーニェが頬を緩めた。

 ラケシスとは違った大人の優しさを見せた妻を引き寄せ、エルトシャンはグラーニェの髪へ手を差し入れた。

 胸板を軽く押し返されて体を離したエルトシャンは、名残惜しげに妻の頬に手を当てた。

「女にしておくには惜しいな」

「父も、常々そう言っておりました」

「アレスを、ラケシスを頼む」

「持参金代わりの、我が勇者の槍に懸けまして」

 グラーニェが静かに瞳を閉じた。

 就寝前の素顔でいる妻を引き寄せ、エルトシャンは回数を数えることすら意味のなくなった口付けを交わした。

 

 

 

 出立式を終え、正装したエルトシャンを筆頭に、騎士団がノディオン城を出発する。

 城門まで彼らを見送りに出ていたラケシスとグラーニェは、彼らの姿が見えなくなるまでそこに立っていた。

 やがて蹄の音も聞こえなくなり、二人は女官に促され、城内へと戻った。

「お姉様、私、ハイラインとの国境へ向かいます」

 城内の廊下を騎士に守られて歩きながら、ラケシスがグラーニェに話しかけた。

 プリンセスの称号を得たばかりで血気盛んな義妹に、グラーニェは歩みを止めずに申し出を却下する。

「お待ちなさい。砦へはアルヴァを派遣なさい。将が無闇に動いてはなりません」

「ですが……」

「ラケシス」

 不満顔のラケシスに、グラーニェが語句を強める。

 気圧されたラケシスが口を開く前にと、グラーニェは後ろに付いてきているアルヴァを振り返った。

「アルヴァ、聞いていましたね」

「はぁ……国境砦へ行けということですか?」

 のんびりとした答えに、グラーニェはホッと胸を撫で下ろした。

 ラケシス配下のイーヴ、エヴァ、アルヴァは三つ子である。

 性格はまちまちであるものの、外見上は良く似ている。

 区別が出来るのは、髪形ぐらいであろうか。

 長兄のイーヴは熱血漢。次兄のエヴァが沈着冷静な軍師タイプ。

 そして末弟のアルヴァはのんびり屋というのが、グラーニェの中での評価である。

「そうです。ハイラインの軍勢が動き次第、こちらへ戻って来るように」

「お姉様、その役目、イーヴの方がよろしいですわ。アルヴァだと、真っ先に剣を抜きますもの」

「姫様、兄よりも弟の方が任務に適しております」

 全く自分たちを把握してくれていない主にため息をつきながら、エヴァが冷静に進言する。

 一番前を歩いていた兄のイーヴが文句を言おうとするのを抑えて、エヴァが弟を見つめた。

「アルヴァ、いけるな?」

「いいよ。お土産、クッキーでいい?」

 のんきな顔で尋ねたアルヴァに、ラケシスが片頬を膨らませた。

「饅頭ですわ。エヴァ、あの地方の特産品を忘れたの?」

「……私が行くのではないのですが」

 三択を全て間違える主に聞こえないように、エヴァが小さな声で反論する。

 可哀想な部下を心の中で笑いながら、グラーニェは場を引き締めた。

「アルヴァ、行きなさい。それからエヴァ、後で私の部屋へ」

「ほら、お姉様の言うとおりにするのよ!」

 ラケシスの号令で、アルヴァがのんびりとした足取りで厩舎の方へ歩いていく。

 それを見たラケシスが、意外そうにその背中を見送った。

 ラケシスの”あら、また間違ってたのね”という小さな呟きが流れ、グラーニェは苦笑を隠せなかった。

「ラケシス、武具の調達具合を確かめておいてね」

「はい。後で倉庫に行って、町へ行ってきますわ」

「それがいいわね。イーヴ、護衛のほうはよろしく」

「お任せ下さい」

 イーヴがそう答え、足を止めた。

 ラケシスも足を止め、部屋へ戻るグラーニェに挨拶代わりのスキンシップを図る。

 ラケシスの身体を受け止めて、グラーニェはラケシスの髪を手で梳いた。

「今日からしばらく、二人で頑張りましょう、ラケシス」

「はい、お姉様」

 嬉しそうに微笑むラケシスが倉庫へ向かうのを見送って、グラーニェはエヴァを連れて部屋へと戻る。

 エヴァに決済の済んだ書類を渡し、グラーニェは退室しようとしたエヴァを呼び止めた。

「エヴァ、マッキリーの方にも密偵を送っておきたいの。適任者はいるかしら?」

「……ゴードヴェルが適任かと」

「それでは、マッキリーの動向に目を光らせておくようにね」

「わかりました」

 書類を持ったエヴァが退室すると、グラーニェは普段夫の座っている椅子に身体を沈めた。

 エルトシャンが日頃から愛用している羽ペンを手にとり、軽く指でまわす。

 彼女はレンスターの貴族の娘として武芸の鍛錬をこなしてはいたが、それも昔の話である。

 戦場に立ったのは十六歳。偶然、トラキアの軍勢と遭遇してしまった時だ。

 それ以来、アグストリアへ輿入れしてからは戦場に立つことがなかった。

 エルトシャンの目を盗んで鍛錬はしていたものの、アレスが生まれてからはそれも回数が減っている。

 まだまだデュークナイトとしてラケシスには負けるつもりはないが、戦闘勘は鈍っているだろう。

「何事も起きなければいいのだけれど」

 昨夜のうちに部屋の中へ持ち込んだ勇者の槍に視線をやって、グラーニェはため息をついた。

 夫を疑うわけではないが、シャガールの黒い噂はあとを絶たない。

 一国の王を無礼討ちにするわけもないが、幽閉ぐらいはやりかねない男だ。

 明後日に出すと決めた密使に届けさせる文を書きながら、グラーニェは夫の安否を案じていた。

 

<第二章 終わり>
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