己が剣を賭けて
第一章 ・ 第二章 ・ 第三章 ・ 第四章 ・ 第五章 ・ 第六章 ・ 第七章 ・ 第八章 ・以下続刊
己が剣を賭けて
第四章 「これが、勇者の槍です」
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シグルド軍の参戦は、戦況を一転させた。
押し寄せるハイライン軍に苦戦を強いられていたノディオン軍が、一気に攻勢へと転じる。
ハイライン軍の誇る騎士団は、あっという間にシグルド軍に討ちとられ、ノディオンの伏兵が残党を叩く。
主力である黒騎士団が不在とはいえ、大陸中に名を届かせる、ノディオンの騎士団である。
たった三部隊を率いてノディオン城前の広場を死守したラケシスに負けじと、後詰の諸将が奮戦を見せた。
まずは、ハイライン次期当主であるエリオットが憤死。
それと同時に、ノディオンに出兵していたハイライン軍の統制が乱れ始める。
そのことは、既に拠点防衛を確実なものとしていたラケシスの周囲にも伝わってきていた。
「エリオットが戦死……いい気味ですわ」
伝達兵からの報告を受けて、ラケシスがわずかに表情を緩める。
ラケシスの側近としてわきを固めていたアルヴァも、ホッとした表情を浮かべた。
「これで、ようやくおさまりますね」
「そうね。あとは、ノディオン領に侵入したハイライン勢を押し返せば、お兄様に顔が立つというもの」
アルヴァの言葉に戦闘の終了を感じ取ったラケシスは、そう言って立ち上がった。
陣幕の中にいた兵士達が、ラケシスが立ち上がったのを見て、静かに平伏する。
「まずはお姉様に拠点防衛の報告を。エヴァはこの場に残って、引き続き残党を狩ること。
イーヴとアルヴァは私とともに、ノディオン領にいるハイライン勢を国境まで追い返しますわよ」
「はっ」
ラケシスの号令に、にわかに陣が慌しくなる。
陣の先頭に立って、一番激しい戦闘を繰り広げていたイーヴ隊が、残存兵力を集結させて城の西側に待機。
ラケシスの守役として後方に控えていたアルヴァ隊が、陣容を整えて前線へ。
両者の中間で遊撃を続けていたエヴァ隊が、今度は陣容を整えて拠点防衛に当たる。
数刻おいてすべての態勢を整えたラケシスは、ノディオン城へ立てた使者からの返答を待つだけとしていた。
そして、彼女の警護を続けているアルヴァへ、数度の打ち合いを経験した自分の剣を見せた。
「できるものですわね、意外と」
「本当なら、姫様に敵が行くまでに、食い止めなきゃいけないんでしょうけど」
「構いませんわ。お兄様も、常々、指揮する者が戦わねば、誰もついてこないと仰っておりますもの」
「はぁ……でも、兄さんが聞いたら怒りそうですねぇ」
「エヴァは心配性なのよ」
ラケシスがそう答えたとき、使者があわただしく姿を現した。
待っていたとばかりに報告をさせたラケシスは、使者の言葉に耳を疑った。
城に帰還するようにとの、グラーニェの指示だったのである。
「どういうことなのかしら」
「王妃様のお考えは存じませぬ。ですが、早急に帰還されるようにとの御指示です」
繰り返し帰還を促されたラケシスは、下唇をかみ締めると、サッとマントを翻した。
隣に控えていたアルヴァが立ち上がり、陣幕を出ようとしていたラケシスを追う。
「姫様ぁ」
「お姉様の指示に従いますわ。私はすぐに城へ引き返します。貴方は先行している部隊と合流しなさい」
「合流後は、引き返せばいいんですか」
アルヴァの問いに、ラケシスは足を止めた。
陣幕の向こうに見える戦場には、もはやハイラインの旗印は見えなかった。
「それには及ばないわ。貴方に指揮を任せます。ひとまず、ハイライン勢を領内から追い出して」
「わかりましたぁ」
ラケシスの手の一振りで、アルヴァが自分の部隊へ戻って行く。
ラケシス直属の数名の親衛隊をその場に残し、アルヴァ隊が西側へ移動する。
その見送りもせずに、ラケシスは、さっさと陣を引き払った。
その様子を遠くから確認したのか、拠点防衛の陣を整えていたエヴァ隊から、護衛部隊が送り出されてくる。
その護衛部隊に守られながら、ラケシスはノディオン城へと戻り、グラーニェの元へと向かったのである。
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「お姉様、ラケシスが戻りました」
軍議室へ姿を現したラケシスは、その目を疑った。
グラーニェのそばに、見知らぬ騎士たちが立っていたのである。
「お姉様、その者たちは……」
いつでも愛剣を抜ける体勢で尋ねてくるラケシスに、グラーニェが席を立った。
彼女にあわせるように、最もグラーニェに近い位置に立っていた青髪の騎士が、グラーニェに場所を譲る。
「ラケシス、こちらはシアルフィ公子・シグルド様と、レンスター王子・キュアン様よ」
「シグルド公子と、キュアン王子……では、まさか」
驚きに目を瞬かせた義妹に、グラーニェが微笑みを絶やさずに説明する。
「えぇ。お二人とも、エルトの御親友。この危機に、駆けつけていただけたのです」
「では、先程の南側の戦場の一団は……」
「エルトの妹を見捨てるわけにはいかない。それに、ヴェルダンでの借りもあるしな」
位置的に青髪の騎士に次ぐ位置に立っている茶髪の騎士が、そう言ってラケシスの顔を見つめた。
無言でその視線を受け返したラケシスに、茶髪の騎士が名乗りを上げる。
「レンスターのキュアンだ。エルト自慢の妹君は、君か」
「ノディオンのラケシスと申します。御助力、御礼申し上げますわ」
簡単な挨拶を交わしたところで、青髪の騎士が席を外す。
茶髪の騎士がそれを見送り、グラーニェに確認の言葉をかけた。
「シグルドにはハイラインを攻略させる。かまわないな、グラーニェ」
「えぇ。仕方ないでしょうね」
キュアンの言葉を肯定するグラーニェの返事に、ラケシスはあわてて口を挟んだ。
「お姉様、ハイライン攻略とは、どういうことなのですか」
義妹の言葉に、グラーニェが節目がちに答えた。
「エリオット王子の戦死は、この上なく我が国にとって不利ですわ。この上は、最後まで戦うよりありません」
「何故ですッ。この度の戦、何よりハイラインに非がある筈です。それを咎めるのならいざ知らずッ」
声を荒げるラケシスに、グラーニェは仕方ないといった風に、一枚の命令書を見せた。
グラーニェの手から奪い取るようにして命令書を受け取ったラケシスは、その文面に視線を走らせた。
アグストリア諸国連合盟主・シャガールのサインが書かれた命令書。
それは、ノディオンへの攻撃命令とも取れる文面が書かれていた。
「これは……一体」
あまりのことに声を詰まらせたラケシスに、キュアンが命令書についての説明を加える。
「その命令書は、エリオット王子と思しき人物が持っていたものだ。私が回収させた」
「この日付、お兄様がノディオンを発たれた日だわ」
ラケシスの言葉を聞いたキュアンが、グラーニェへと視線を移す。
キュアンに視線の意味を感じたグラーニェが肯くと、キュアンは忌々しげに舌をならした。
「チッ……シャガール、一体、何を考えてやがる」
命令書を握ったまま震えているラケシスを見ながら、グラーニェが静かに口を開く。
「おそらくは、エルトの動きを読んでいたのでしょう。
エルトの言うように、シャガール王はグランベルとの開戦を望んでおられる様子」
「グランベルとの開戦か。俺たちが介入する動きまで読んでいたのか」
「ですが、この命令書を先に見ていたとしても、エルトは釈明のために出頭しなければなりませんでしょう」
「どっちにしろ、ノディオンは落とせると踏んだか。シャガールってのは、相当の策士だな」
キュアンの言葉に、グラーニェは小さく首を横に振った。
「いいえ、私の感想では、シャガール王にそこまでの策は立てられないでしょう」
グラーニェの言葉に、ラケシスは顔を上げた。
キュアンも、ラケシス同様にグラーニェの顔を見つめていた。
「シャガール王の背後に、何者かがいると思いますわ。
少なくとも、私がノディオンへ嫁いで以来、シャガール王にこれほどの策が立てられるとは感じておりません」
「……私も、お姉様に同感ですわ」
「だが、実際に先手を打たれている。エルトのいない今は、降りかかる火の子を払い続けるしかない」
キュアンの言葉に、グラーニェは少しだけ口許を緩ませた。
そして、ラケシスの方を見ると、命令書を彼女の手から取り上げた。
「お姉様」
グラーニェの動きの真意を図りかねたラケシスが戸惑った声を出すと、グラーニェは壁の槍を手に取った。
そして、キュアンを振り返ると、名残惜しそうに槍の柄をその手で優しくなで上げた。
「この槍は、レンスター王から輿入れの祝い品として頂いたもの。生涯、エルトを守るために使うつもりでしたわ」
「グラーニェ、まさか君が出陣するつもりか」
キュアンがそう尋ねると、グラーニェは残念そうに首を振った。
「私には、アレスを守る義務があります。エルトのためにも、このノディオンを守らねばなりません」
そう言うと、グラーニェはキュアンに対して、深々と頭を下げた。
「虫の好いお願いだということはわかっています。どうか、お力をお貸しください。
私はこのノディオンにとどまり、このノディオンを守ることだけに専念いたします。
しかし、それだけでアグストリアの動乱が収まるとは思えません。おそらく、全土に広がるでしょう。
シャガール王の狙いは、そこにあるやもしれません」
キュアンとラケシスは、黙ってグラーニェの言葉を待っていた。
それほど、グラーニェの認識と見解は、的を射たものであると感じていた。
「今のところ、ハイラインからの理不尽な要求に対するノディオンの宣戦布告という立場を崩してはなりません」
グラーニェはそこで一呼吸おくと、ラケシスを見た。
「ラケシス」
「はい、お姉様」
「諸国連合の盟主に討伐の対象とされた私たちに残された道は、勝ち続けることです。
ハイラインをはじめとした各国諸侯は、必ずノディオンに牙をむくことでしょう。
そのとき、貴方は何者にも屈せず、ノディオンの誇りを守りぬきなさい。
ノディオンのことは心配いりません。貴方はキュアン様と行動をともにしなさい」
「そんな……お姉様ッ」
非難めいた声を上げたラケシスに、グラーニェはつかつかと歩み寄った。
その両肩に手を置くと、グッとラケシスの身体を引き寄せる。
突然の行動に、ラケシスは唖然とした表情のまま、グラーニェに抱きしめられていた。
「この先、キュアン様には大義がなくなることもありえます。でも、貴方なら、大義を失うことはないわ」
「……旗になれと、仰るのですね」
「えぇ。ノディオンの旗を預かって頂戴」
「わかりましたわ。それが、お姉様の御意志なら、ラケシスは従うだけですわ」
ラケシスの言葉に、グラーニェは戒めを解いた。
そして、視線をあわせてきた義妹に微笑みをみせる。
「ラケシス、出陣いたしますわ」
略式の挨拶を済ませ、ラケシスが軍議室を後にする。
二人残されたキュアンとグラーニェは、お互いを見やり、小さく肯きあった。
「キュアン様、くれぐれもラケシスのこと、お願いいたします」
「わかってる」
「何とぞ、ラケシスを前面に……」
念を押すグラーニェに、キュアンは腰に手を当ててため息をついた。
まるで、弟が姉の心配を邪魔に思うように。
「あくまでアグストリア国内の騒乱に治めること。わかってるさ」
「……キュアン様」
真意が伝わっていることに安堵したグラーニェが息を漏らすと、キュアンはグラーニェの肩に手を置いた。
それは、先程のグラーニェとラケシスの触れ合いとは違い、互いに身分を弁えた触れ合いだった。
少しの温かみを残して離れたキュアンは、両手を合わせている親友の妻に、拳を握ってみせた。
「心配は無用だ。エルトは、俺たちが絶対に救い出す。王妃はここで、エルトの帰りを待っていてくれ」
「お願いいたします」
もう一度深々と頭を下げたグラーニェを一人、軍議室に残し、キュアンは城を出た。
エスリンに率いられたレンスター本隊はシグルド軍と連携し、既に国境付近へ向かっている。
キュアンは出撃したばかりのラケシス隊を視界に捕らえると、馬の腹を蹴った。
「待ってろよ、エルト。敵さんの思い通りになんか、させるものかッ」
<第四章 終わり>
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