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講演録:財政学研究会シンポジウム基調講演(2006年12月9日)

双子の赤字」の再来を考える―最終講義にかえて―


                京都大学経済研究所教授   坂井昭夫


                                   


         【目次】

   はじめに

   T.1980年代の「双子の赤字」

       1.レーガノミックスの誤算としての「双子の赤字」
       2.ビナイン・ネグレクトから政策協調
       3.「双子の赤字」のファイナンス状況
   U.1990年代の米国経済再生に関して
       1.規制緩和と企業減税に注目するレーガノミックス再評価論
       2.経済再生の素地形成に寄与した政策協調等
       3.ニューエコノミー下の財政好転
       4.拡大基調をたどった経常収支赤字とファイナンス動向
   V.今日の問題状況
       1.「双子の赤字」の再来
       2.新「双子の赤字」の諸特徴
       3.楽観論の横行とその背景
       4.懸念される諸問題
       5.経常収支不均衡の調整経路
   おわりに
   付記
   図表
                                  





 はじめに


 自分自身の体調の悪さを中心とした私的な事情から、最終講義の機会もないまま定年退職の日を迎えることになるだろうと観念していたのですが、思いがけず財政学研究会の主催者からそれに代わる場を与えていただきました。何分、壇上に上るのは久しぶりですし、まだ夏の手術以後、体力が戻っていない状態なので、予定の時間を立ったままで話し通せる自信など全然ありません。それでも、私なりに頑張って用意した内容を椅子に座りこんででも何とか報告しきりたい、もって感謝の気持ちを表したい、と思っています。さっそく、本論に入ります。
 1980年代のレーガン政権期に「双子の赤字」に悩まされたアメリカ、そのアメリカがまたもや2種類の赤字、すなわち経常収支赤字と財政赤字の併存状態に直面することになったのが21世紀の初頭です。そして、その事実に注目が集まる中で、「双子の赤字」の再来をめぐる論議が世界的な盛り上がりをみせるようになりました。「80年代には双子(twin)の呼び名にふさわしい緊密な関連が2つの赤字の間に認められたけれど、今回は両者の血縁関係はそれほどでもない。従兄弟(cousin)がせいぜいだ」といった声も、確かに聞こえてきはします。しかし、80年代とそっくり同じ構図でなければ「双子の赤字」ではないかのごとき捉え方は、あまりに偏狭に過ぎるのではないのか。そんな私なりの思いもこめて、ここでは便宜的に、21世紀の冒頭に生じた事態を新たな「双子の赤字」と表現することにさせてもらいます。
 では、その新「双子の赤字」は、どのような特徴を有しているのか、それが米国経済や世界経済に対して意味するところは何なのか、それを考えてみようというのが本講演のメイン・テーマです。そうした課題を掲げる場合、どうしても80年代の「双子の赤字」や90年代に米国経済がそれを克服した過程にも目配りする必要が出てきます。過去との対比や歴史の流れを踏まえてこそ、「双子の赤字」の今日的な特質や問題性が浮き彫りになる、と思われるからです。そこで、いささか迂遠な感じもありましょうが、80年代の回顧から話を始めることにいたします。




T.1980年代の「双子の赤字」


 1. レーガノミックスの誤算としての「双子の赤字」

 詳細はお配りした数編のディスカッション・ペーパーに委ねることにして、事実経過の大筋をたどる形にさせてください。1970年代後半にインフレの高進、慢性的な大量失業、産業競争力の低下などが問題化したからにほかなりませんが、80年代初頭の米国経済はかつてない停滞の暗雲に覆われていました。周知のように、そうした経済的困難の原因を政府の規模と権限の肥大化、それによる企業の投資意欲や個人の貯蓄・消費意欲の冷え込みに見いだし、「小さな政府」化を通じるサプライサイドの強化を高らかに唱えて大統領の座を射止めたのがロナルド・レーガンでした。81年に発足したレーガン政権は、いわゆるレーガノミックスの考えを体現した経済再生計画をただちに作成して、実行に移しました。その4本柱とされたのが、歳出の抑制(国防費は除く)、大規模減税、規制緩和、マネーサプライの抑制強化でした。
 なかでも最大の目玉商品とされたのが、「1981年経済再建税法」にもとづく減税だった。その中心とされたのは個人所得減税であり、しかも富者優遇の減税だったという特徴が認められます。そうした減税を合理化した論理はというと、次のようなものでした。――大減税によって税収が減るので、さしあたり財政赤字は拡大しよう。だけど、減税のおかげで可処分所得が増えると、富者の場合にはその増加分の大半を貯蓄に回すと期待できる。となると、家計貯蓄率は上昇する。それは備投資源泉の潤沢化を意味するので民間投資の活発化につながる。投資増加が生産性を上昇させ経済成長を加速するようになれば、税収もおのずと増大しよう。サプライサイドの改善効果が作用して、財政赤字は数年内に解消するはずだ。
 では、実際はどうだったのでしょうか。家計貯蓄率をみれば、減税によって上がるどころか逆に低下の方向をたどりました(図表1)。もともと富者が可処分所得の増加分の大きな割合を貯蓄にふり向けるなんてことは眉唾で、すでに貯蓄を溜め込んでいる彼らはこれ幸いと消費に励むのではないかと、当時、私も疑念を述べたりしたのですが、それが当たった形です。ともあれ、個人所得減税による民間投資主導型の成長は、まったくの絵に描いた餅でしかなかった。しかし、82年終盤からアメリカの景気は上向き、その後9年近くも好況が続きました。世に言うレーガン景気です。その原動力となったのは、減税に刺激された個人消費の拡大と「強いアメリカ」の再建をうたって断行された国防費の増強でしたから、レーガン景気は想定されたシナリオとは異なる性質の好況、端的にはケインズ的有効需要政策を地で行くような景気拡大だったと言えます。
 もちろん、「シナリオ違いであっても景気が回復しさえすれば万事OK」なんてはずはありませんでした。中期的に解消するとされた財政赤字は、カーター政権末期の年率700億ドル台から爆発的に膨張して、83年度には2,000億ドルを突破し、以後も高止まりすることになりました。その財政赤字と深い結びつきを持ちながら、貿易赤字の急増を中心に経常収支も悪化の一途をたどりました。81年には50億ドルの黒字だったものが85年には1,182億ドルの赤字にという、これまたすさまじい悪化ぶりでした。2つの赤字の同時的な急膨張、「双子の赤字」と呼ばれた事態です(図表2)。そのさい2種類の赤字は、次の2ルートで連動する関係にあったと考えられます。「巨額の赤字国債発行の影響で金利が高止まりし、高金利に誘われて海外資金が流入することでドル高がもたらされ(図表3)、そのドル高に伴う輸入増・輸出減により貿易収支の悪化が進んだ」、これが1つ。もう1つは、「財政スペンディングに刺激されて米国景気の拡大テンポが主要貿易相手国より速くなったために、外国商品の対米流入が増えた」というものでした。



 2.ビナイン・ネグレクトから政策協調へ

 「双子の赤字」に対してレーガン政権は、何年もの間、ビナイン・ネグレクト(優雅なる無視)の姿勢をとり続けました。それが可能だったのは、高金利に引きつけられて外国、とくに経常収支黒字国の日本と西ドイツから資金が流入し、さしあたり2種類の赤字がとどこおりなくファイナンスされるという好条件に恵まれたからのことでした。けれど、高みの見物をいつまでも許されはしなかった。ビナイン・ネグレクトの背後で2つの問題が深刻化をみた事実を忘れるわけにはいきません。
 第1に、継続的な外資流入よってアメリカの対外債務は累増し、80年代半ばには対外資産を上回るまでになったのですが(図表4)。この70数年ぶりの純債務国への転落を目前にして米国内で高まったのがドル暴落論でした。そして、85年春に実際にドル軟化の兆候がみえたとたんに、ドル暴落を憂慮する声は米国内だけでなく、国際貿易・投資の混乱を恐れる世界の国々に満ち溢れるようになりました。
 第2は、産業競争力問題です。米国産業の競争力は60年代半ばから長期的に下降線をたどってきていましたが、投資率の低さに由来する投資不足が、マクロ経済的要因としてそれに深く関与していたのは間違いありません。その指標である粗固定資本形成の対GDP比をみれば、80年時点でも日欧を下回っていたのに、レーガン時代になるとさらに差が開いたことがわかります(図表5)。では何が投資不足をもたらしたのかとなると、一番の原因となったのが低い貯蓄率です。80年代には、先ほど述べたレーガン減税のせいでただでさえ他国より低い家計貯蓄率がさらに低下し、財政赤字拡大によるクラウディング・アウトが重大化するにいたったのだ、と解されます。しかも、そこにドル高が重なって、米国産業は自動車や鉄鋼のような量産型工業製品分野で世界生産におけるシェアを急速に落としただけでなく、それまで世界的に強みを誇ってきたハイテク製品の分野でも日本の後塵を拝する羽目になってしまったのでした。
 いま述べた2つの問題が進行したために、レーガン政権は80年代半ばになってビナイン・ネグレクトからの方向転換を強いられることになりました。同政権が窮地からの活路とみなしたもの、それは主要国間の政策協調でした。その第一歩となったのが85年9月のG5で成立したプラザ合意で、ドル売り、円・マルク買いの協調介入によってドル高是正をはかる点に狙いを定めていました。続いて、アメリカが唱えたのが協調利下げでした。自国の景気刺激を目的に金利引き下げをおこないたいが、それをやれば内外金利差が縮小して「双子の赤字」をファイナンスしてきた外資の流入が細ってしまうに違いない、だから資金供給国の日独両国にも利下げを要求して金利差を維持しよう、そんな思惑にもとづく政策路線でした。さらに、86年5月の東京サミットで、米国政府はマクロ政策全般にわたる政策協調の推進に関する合意の形成を主導しました。為替レートを望ましい水準で安定させるには、経常収支不均衡の解消に向けて各国の財政・金融政策を相互に整合的なものに調整することが肝要だ。そうした考えに立って、経常収支赤字国のアメリカは財政赤字の削減、黒字国の日独は内需拡大に資するマクロ政策運営に努める旨が決められたのでした。
 事の結果はと申しますと、ドルの実効為替レートは、協調介入が実施されるや否や急落をきたし、87年末には80年代前半の増価分がほぼ帳消しになる水準にまで下がりました。その間、協調利下げへの日独の協力が効いて、外資の対米流入もおおむね順調だったと言えます。だけど、財政赤字の削減は遅々として進まなかった。アメリカは政策協調への参加を黒字国に求めるための交渉材料として85年末に財政均衡法(GRH法)を成立させましたが、同法が見掛け倒しの代物で、財政赤字を縮小させる実効性を欠いていた点は、広く知られるところです。ちなみにGRH法は、許容される財政赤字限度額を年々小さくしていき、91年度に赤字ゼロとすることを想定していました。その手段として歳出強制削減措置が導入されたのですが、同措置の適用は当初予算が成立する以前の予算審議プロセスにおいてのみ可能だとされていた。つまり赤字実績が法律で定められた限度額を上回ってもペナルティはなしとされたわけで、それでは赤字抑制に役立たなかったのも当然というものでしょう。
 「双子の赤字」のもう一方である経常収支赤字はと言うと、87年の1,607億ドル(対GDP比3.4%)をピークに縮小に向かい、91年には黒字(37億ドル)に転化しました。とくに目覚ましかったのが対欧貿易収支の改善であって、87年には300億ドル近い赤字だったものが、4年後には100億ドルを超える黒字になった。その劇的な変化は、プラザ合意後のドル下落による米国製品の価格競争力回復を反映していたとみられます。ただし、2国間の貿易収支で最大の赤字を計上し続けてきた対日収支は、同じ期間に赤字幅が500億ドル台から400億ドル台へとわずかに減っただけでした。アメリカから政策協調を要求される国が実質的に日本に絞られ、しかも日本異質論の台頭を背景に、要求の中身がマクロ政策だけでなく構造政策にまで広がるようになったゆえんです。



 3.「双子の赤字」のファイナンス状況

 ところで、当時の「双子の赤字」はどのようにファイナンスされたのでしょうか。
 レーガノミックスの実践を機に急拡大を遂げたアメリカの財政赤字は、以来ずっと高止まりした後、92年度になってようやくピークアウトしました。83〜92年度の平均で2,065億ドル、対GDP比では4.3%という、実に巨大な赤字規模でした。当然ながら、連邦政府の債務残高(一般保有分)も累増の一途をたどり、同じ期間に2.6倍に膨れて3兆ドル、GDPの約半分の線に達しました(図表6)。
 一般保有連邦債務残高は国債発行残高中の民間保有分にほぼ相当するものですが、その保有主体の面でも大きな変化がみられました。外国保有分の著しい増加がそれで、84年度末には2,000億ドルに届かなかったものが、90年度末には4,400億ドルに増えています。この6年間で2.5倍にという増加率は、国内保有分のそれを優に上回ったので、外国保有比率も13%から18%へと大幅な高まりを記録しました(図表7)。これが意味するのは、アメリカの財政赤字ファイナンスが海外資金依存傾向を強めたということですね。80年代前半の対米国債投資の主役を演じたのが日本の機関投資家であったことや、ブラック・マンデー(87年10月)前後のドル買い支えに最も大きく貢献したのが日銀であった事実が物語るように、なかんずく日本に対する依存が目立ちました。
 とはいえ、決して全面的な海外資金依存だったわけではありません。アメリカの貯蓄投資バランス(ISバランス)を調べますと、80年代から90年代前半にかけて、政府部門の資金不足は高水準で推移したけれど、その資金調達を海外部門に頼りきったのではなかったこと、言い換えれば国内民間部門である程度対応できたことがわかります(図表8)。民間部門のうち、企業部門は資金不足であったものの、家計部門がそれを補って余りある資金過剰の状態にあり続けていたからです(図表9)。念のために言っておきますと、海外部門の正負の符号を逆にしたものが経常収支尻ということになります。
 その経常収支がレーガン政権下で赤字を急膨張させたのは前述のとおりですが、83年以降、アメリカはそれを海外からの民間資本流入では十分ファイナンスできなくなり、自国の対外投資を減少させる状況に陥ってしまいます。米国に流入する民間資本の過半は、高金利とドル高によって誘引されたポートフォリオ投資でしたが、プラザ合意を契機にしたドル下落とブラック・マンデーの勃発のせいで、それは大幅縮小をきたしました。その落ち込み分をカバーしたのが、外国通貨当局の外貨準備の運用としてなされた対米国債投資だった。事の経緯を示す図表10および海外民間部門の対米投資の内訳を図示した図表11、お渡ししたレジュメに載せておきました。なお、80年代後半の各年には、日本の対米投資がアメリカの経常収支赤字の3〜6割をファイナンスした計算になります。蛇足ながら、前述の外国民間・公的部門による米国債の保有は、この経常収支赤字ファイナンスの一翼をなすものでした。




U.1990年代の米国経済再生に関して


 1.規制緩和と企業減税に注目するレーガノミックス再評価論

 誤解されがちですが、1980年代の大部分、米国経済はレーガン景気という名の長期好況のもとにありました。しかしながら、何よりも日欧に政策協調を求めざるをえなくなったこと自体が覇権国アメリカの弱体化を物語る出来事だとして、米国民の焦燥感をかき立てずにはおかなかった。しかも、政策協調の遂行にもかかわらず財政の健全化や産業競争力の再建がはかばかしく進まないために、憂愁の思いはいや増し、米国衰退論が共感をもって広く受け入れられたままの状況で90年代を迎えることになったのでした。ところが、その後、状況は一変します。私は、そうした変化の芽がかの暗かった80年代に育った事実に留意しなければならない、それを見過ごさないことがレーガノミックスのあるべき再評価につながると思っています。
 さて、レーガノミックスの中核に据えられた施策、すなわち個人所得減税を通じるサプライサイドの強化という試みは、見事に失敗しました。しかし、レーガノミックスには供給力強化に資する他の施策も含まれていたのであって、それを無視すれば評価が一面的になってしまいます。その点に対する認識が深まったのは、米国経済の蘇生が誰の目にもはっきりした90年代半ばになってのことでした。とくにレーガノミックスに盛り込まれていた規制緩和と企業税制改革が企業活力を高める基盤となり、ベンチャー企業の活躍や既存大企業のリエンジニアリングを促し、もって新産業・新事業分野の開拓、産業競争力の回復・強化に貢献した点に、世界の関心が集まりました。
 規制緩和の動きはすでにカーター政権下で本格化していたのですが、70年代には主にインフレ対策の一環と目されていました。レーガン政権がそれを小さな政府の実現手段として位置づけ直したことで、規制緩和の経済効率向上策という側面がより鮮明になったと言えます。クランダール(Robert Crandall)らの研究(97年)によると、アメリカは規制緩和のおかげで毎年GDPの約1%にあたる節約を享受している計算になるそうです。加えて、レーガン政権が労働組合の影響力を弱める「政治」の見地から雇用・労働関係の規制緩和に力を入れ、「柔軟な労働市場の形成」に大きく寄与した事実も、しっかり見定める必要があります。
 続いて企業減税ですが、「1981年経済再建税法」には個人所得減税のほかに、加速度償却制度(ACRS)の導入や投資税額控除(ITC)の拡充といった企業向けの減税措置も含まれていました。たとえばACRSによって固定資産に投入された資本の回収期間が半減したとされるように、それらには法人税の実効税率の引き下げを通じて資本コストを低下させ設備投資を刺激する効果が確かに認められました。ハイテク産業より重厚長大型産業が有利になるといったデメリットの表面化もあって、86年に再度の大掛かりな税制改正がおこなわれはしましたが、個人の労働・貯蓄意欲の刺激や投資促進に税制を活用しようとの基本的な発想自体は受け継がれたとみて構わないでしょう。
 ところで、レーガノミックス再評価論の視線は規制緩和と企業減税とにばかり向けられているように見受けられます。だけど、私は、90年代に米国経済が蘇えることができた素地の形成という観点に立つなら、ほかにも留意すべき要因が幾つかあったと考えています。続いて、その点にふれましょう。



 2.経済再生の素地形成に寄与した政策協調等

 私が力をこめて指摘したいのは、レーガノミックスに由来する「双子の赤字」への対応策として遂行された政策協調の効能です。政策協調要求の主たる標的とされたのは日本でしたが、プラザ合意にもとづいて協調介入に加わったわが国は、ドル高是正のあおりを受けて円高不況に見舞われました。協調利下げについて言えば、日本は86年から翌年にかけて5%から2.5%へと段階的に公定歩合を引き下げ、その後も金利低め維持の外圧を受けつつ、89年半ばまで2.5%の当時としては超低金利水準を維持し続けました。それがバブル経済化の発端になったのですが、90年代初頭のバブル崩壊とともに日本経済が「失われた10年」と呼ばれた長期停滞に突入する羽目になった苦難の過去を、どうか思い出してください。
 日本は財政運営の面でもアメリカの主張に譲歩して、87年5月の緊急経済対策で公共事業の拡充を主柱とする内需拡大策を決定しました。81年以来の「臨調行革」路線からの決別、積極財政への転進でした。公共投資については、89年開幕の日米構造問題協議で、日本政府は以後10年間(1991〜2000年度)の総額を430兆円とする旨を約束し、実際にそのとおりの公共投資基本計画を発足させています。過去10年間のほぼ倍速にあたる年平均6.3%のスピードで公共投資を増加させようというその計画は、94年に輪をかけて大規模な新計画(1995〜2004年度に630兆円)に改装されましたが、対米配慮が先行して自主性に欠けるそれらの計画の遂行が日本財政を20世紀末には先進国中で最悪の状態に追い込む端緒をなした、と言わざるをえません。
 政策協調の受容を糸口にして、日本は経済停滞と財政破綻の袋小路に迷い込む結果になってしまった。そして、それは、産業発展を支えてきたマクロ経済的基盤の弱まりと企業業績の不振を通じて、日本の産業競争力を著しく劣化させずにはおかなかった。そのことは最強のライバルの失速による米国産業の競争力の相対的な高まりに直結していたのであって、米国政財界が意図的にそれを追求したのかどうかは別として、私はこの政策協調の効能を看過するわけにはいかないと申しているわけであります。
 ほかに、やがて90年代の財政好転に寄与することになる要因に、実効性のある財政規律の誕生がありました。すでに述べたように、85年制定のGRH法はまったくのザル法で財政赤字削減の効力などないに等しかったのですが、80年代終盤に貯蓄金融機関(S&L)の救済・整理に巨額の財政資金を投入する必要が生まれ、また景気減速による税収減も避けられなくなったもとで、米国政府・議会は財政赤字の抑制に本腰を入れなければならない状況に追い込まれました。そこで超党派の予算サミットが開催され、その産物として「90年包括財政調整法」(OBRA90)が生み出された。同法には、歳出抑制を図るための現実的な財政規律として、裁量的経費に対するキャップ制、および義務的経費に対するペイ・アズ・ユー・ゴー制という新たな制度的ルールの適用が規定されたのですが、今は時間の関係でその事実を指摘するだけにとどめます。
  なお、80年代後半から急進展した東西の緊張緩和・冷戦終結に伴う「平和の配当」も90年代の財政好転につながった要因だとみられますが、これまた指摘のみとさせてもらいます。



 3.ニューエコノミー下の財政好転

 1990年代に駒を進めます。
  91年3月からきっかり10年間にわたって、アメリカは史上最長の好景気、私の呼び方では「20世紀末景気」を謳歌しました。「景気拡大→雇用の増加→賃金高騰を主因とするインフレの高進→金融引き締め→景気後退」というのが従来の景気パターンだったのですが、20世紀末景気の場合には、低失業率と低インフレの並存状態が長く続きました。労働市場の柔軟化と情報経済化による生産性向上がインフレなき持続的成長を可能にした、とみてよいでしょう。また、20世紀末景気は、個人消費・政府支出主導型成長を持ち前としたレーガン景気とは違って、個人消費・民間設備投資(とくに情報関連投資)主導型成長を特徴としていました。旺盛な情報化投資と結びついていた事象ですが、ベンチャー企業の輩出と新産業・新事業の開拓、ハイテク関連株を牽引車とする歴史的な株高も、20世紀末景気の目立った特徴に数えられます。株高については、海外資金の大量流入がそれに寄与したことや、株価上昇の資産効果が個人消費を大きく押し上げたことも、頭に入れておくべきでしょう。
 こうした20世紀末景気の性格を踏まえて、米国経済のニューエコノミー化を唱える声が95年頃から盛んに聞かれるようになったのですが、その論議に立ち入るだけの時間的な余裕はありません。ただ、20世紀末景気の、したがってまたニューエコノミーの特徴とされている諸点が、先ほどざっと述べた80年代における経済再生の芽生えとぴったり符合していることを、ご確認いただきたいと思います。
 さて、80年代にアメリカを悩ませてやまなかった財政赤字はと言うと、92年度をピークに縮小に転じました。景気回復による各種の税の自然増収、とりわけ株価高騰によるキャピタルゲインの増大を反映した個人所得税収の増加、ならびに冷戦終結を背景とした国防費の減少が、財政好転の2つの動輪になった、とみられます。BRA90に根ざした財政ルールにも確かな存在感が認められました。なお言えば、財政赤字の順調な縮小が、今度は景気に対して好影響を及ぼすことになりました。長期金利低下による設備投資の活発化や国内外での米国株式投資の活発化、株価上昇の資産効果といったルートを通じてのことでした。
 要するに、財政好転と景気の長期的上昇との好循環が起きたのであって、そのおかげで米国財政は98年度に黒字転換を果たしました。実に29年ぶりの快挙でした。政府債務残高も98年度から減少の道をたどりだしました(前掲図表6)。



 4.拡大基調をたどった経常収支赤字とファイナンス動向

では、1991年に黒字転化を遂げた経常収支の方はどうだったのでしょうか。
 80年代には産業競争力の低下が米国民にとって財政赤字と並ぶ憂鬱の種となっていたのですが、この問題もまた20世紀末景気の中で一応の解決をみました。それを象徴したのが、93年に起きた半導体世界販売シェアでの米国勢による日本勢からの7年ぶりの首位奪還、ならびに翌年の自動車生産台数における15年ぶりの日米再逆転でした。ただし、産業競争力の回復こそ顕著だったものの、景気拡大を背景とした輸入増加によって経常収支は92年に赤字に逆戻りし、以後ずっと赤字増大基調で推移しました。とくにアジア通貨危機以降の赤字の増加ぶりはすさまじく、96年には1,200億ドルだったものが2000年には4,100億ドルにまで膨れ上がりました。しかし、米国政府は、資本財の輸入が赤字の大きな割合を占めている、それは供給力強化につながる「良い赤字」だと肯定的にとらえて、ただ見守るだけというスタンスを変えようとしませんでした。
 そこでISバランスをみてみますと、90年代後半には政府部門の収支改善を尻目に、民間部門のバランスの方は悪化の一途をたどりました。対GDP比では、95年には0.8%の貯蓄超過だったのに、5年後には4.1%の貯蓄不足にという実にスピーディな悪化であり、それがマクロ的バランスを悪化させた、すなわち経常収支赤字を拡大させた形です(前掲図表8)。民間部門のISバランス悪化は、キャピタルゲイン依存を強めた家計部門の消費拡大とITを中心とした企業部門の投資拡大によるものでしたが、責任の度合いは前者の方がはるかに高かった。しかも、伝統的に貯蓄超過だった家計部門は、99年にとうとう赤字化してしまった(前掲図表9)。これで90年代の貿易・経常収支の赤字を「良い赤字」だったと言えるのか、多分に疑問が残るところですね。
 とにかく、アメリカの経常収支赤字は90年代を通して趨勢的に拡大したのですが、世界の経常収支赤字は逆に縮小する傾向にありました。そうしたところで鮮明に浮かび上がったのが、主として日欧からアメリカに向かって資本が一極集中的に流入し、アメリカの経常収支赤字をファイナンスするという構図でした。そして、対米資本流入が20世紀末景気の長期化に一役買うもとで、その規模は年々大きくなり、94年以後は資本の純流入額がアメリカの赤字ファイナンスに必要とされる額を大幅に超えるようになりました。主役になったのは公的部門を含む海外からの対米債券投資でしたが、わけても民間主体による米国債投資の拡大が目覚しかった。95〜97年には流入外資の2/3が財務省証券に買い向かった勘定で、95年には22%だった米国債の外国保有比率も97年には30%を突破するにいたりました(前掲図表7)。
 けれども、米国財政の黒字転換に伴って国債市場が縮小したために、海外勢の国債投資はいやでも頭打ちにならざるをえませんでした。しかも、アジア通貨危機の勃発によって、行き先を失った巨額の国際資金がますますアメリカに集中するようになったという事情も重なって、外資が大挙して米国株式市場に流れ込む状況が出現するところとなりました。さらに、ヨーロッパを中心とする対米直接投資も、90年代終盤に急増を遂げた(図表12)。こうした外資流入のおかげで、アメリカは経常収支赤字の急膨張にもかかわらずファイナンスに苦慮しなくてもすむ結構な立場に身をおくことができた、そういった次第でした。




V.今日の問題状況


 1.「双子の赤字」の再来

 1991年3月以来、空前の長期好況を享受した米国経済ですが、2000年後半のITバブル崩壊でニューエコノミーの幻想は霧散し、翌春にリセッション入りする経過となりました。そこで、不況対策として実施されたのが金融および財政の拡張政策でした。FF金利の誘導目標は、01年1月から幾度も引き下げられ、03年6月には0.1%という45年ぶりの低い数値を記録しています。財政面でも、個人消費支出の刺激に照準を合わせたブッシュ減税が断行されました。「経済成長のための減税調整法」(01年6月)と「雇用と成長のための減税調整法」(03年5月)にもとづく総額3,011億ドルの、かつてのレーガン減税に匹敵する規模の大型減税です。
 このブッシュ減税の影響もあって、米国連邦財政は02年度に赤字に陥りました。97年度以来5年ぶりの赤字再転落であり、以後、赤字は急拡大して、03年度に過去最高額を超え、04年度には4,127億ドルに達しました。ただし、04年度でも財政赤字の対GDPは3.6%と、過去最高だった83年度の6.0%に比べてまだずっと低い水準にとどっまっているので、その限りで当時より随分ましな状況だと言えもするのですが。なお、財政赤字の拡大と言っても、一直線にそれが続いているわけではありません。05年度には、主に景気回復を反映した法人税の増収によって、赤字は前年度より1,000億ドル近く縮小しました。もっとも、06年度にはまたしても赤字増加に戻る、基調はいぜんとして赤字拡大の方だ、との見方が一般的ですが。
 赤字再転落・赤字急増の原因には、ブッシュ減税による税収減のほかに、株価下落と景気低迷によるキャピタルゲインの縮小に伴う個人所得税の減収がありました。01年9月11日のテロ事件による安全保障環境の変化と安保関連予算の増加、とりわけイラク関連経費の膨張といった要因の作用も大きかった、と考えられます。05年CEA報告の分析結果では、01〜04年度の財政収支悪化に対する各要因の寄与度は、景気低迷が1/2、減税と安保関連支出増がそれぞれ1/4程度となっています。関連して、キャップ制とペイ・アズ・ユー・ゴー制という財政ルールが02年9月をもって期限満了・失効となった事実も、看過してはならないでしょう。
 財政の赤字再転落に伴う変化として注目されるのが、米国債市場の再拡大です。一時は2010年あたりに消滅してしまうのではとの観測さえ流れた国債市場が一気に息を吹き返したのですが、同時に国債保有状況面でも目につく変化が起きています。市場性国債の年間発行純額の実に5〜10割が海外投資家によって取得されるようになったのがそれで、外国保有比率も01年度末の30%から04年度末の44%へと跳ね上がりました(前掲図表7)。これすなわち財政赤字ファイナンスの外国資金依存傾向のかつてない強まりであります。05年末時点における米国債外国保有分の国別シェアをみると、首位が日本の37%、2位が中国の12%となっていますから、とりわけ日中両国への依存がきわだっていると言ってよいでしょう。
 財政収支の大幅赤字化と並んで、90年代を通じて赤字拡大基調で推移した経常収支もさらなる悪化をきたしました。2005年の経常収支赤字額は、01年の2倍を超える8,049億ドル(対GDP比6.4%)。経常収支黒字国の黒字額全体の3/4にあたる、とんでもない規模の赤字です。ISバランスをみると、企業部門がITバブル崩壊後に黒字化したけれど、政府部門の赤字化の影響がより強く、全体として国内貯蓄不足がいちだんと強まったことがわかります(前掲図表8&9)。ちなみに03年の政府部門バランスは対GDP比で4%以上の貯蓄不足でしたが、それは同年の経常収支赤字の約9割に相当しました。つまり、経常収支赤字膨張の直接的な要因は財政の赤字化だったというわけなのですね。また、貿易収支面では、04年から中国がアメリカにとっての最大の赤字相手国になった事実が人目を引きます。01年に832億ドルだったアメリカの対中国貿易赤字は4年間で2.4倍に膨れ上がり、05年には2,000億ドルを突破しましたが、これは2国間の貿易不均衡としては間違いなく世界史上、最大ものです。
経常収支赤字をファイナンスしてきた世界からの資本流入にも、みるべき変化がありました。ニューエコノミーの破綻とテロ事件の影響で、01年には欧州からの直接投資や株式投資に急ブレーキがかかったのですが、代わって財務省証券、社債などへの投資が拡大をみています。その結果、純資本流入の規模はそれほど縮小せず、しかも債券投資が中心になるという投資形態面の変化が起きたのでした。
 しかし、経常収支赤字の拡大と海外民間部門の対米投資の抑制が重なって、02年4−6月期以降、アメリカは経常収支赤字を海外民間資本流入だけでは賄いきれない状態になってしまいます。その不足分を埋め合わせる神風になったのが、外国の公的部門からの純流入額の増大だった。03〜04年には赤字の半分以上が外国通貨当局によってファイナンスされた計算です。「双子の赤字」再来への懸念から減価圧力にさらされるようになったドルを買い支えるために日中をはじめとするアジアの国々が外国為替市場介入に乗り出した、かくして蓄積される外貨準備が米国債投資に向けられた、そういういきさつだったのですね。なかでも日本のドル買い介入はすさまじく、01年後半から3年足らずの期間に計35.5兆円に上りました。04年度には米国財政赤字のほぼ半分が日本によって賄われたことになります。
 もっとも、行き過ぎた市場操作だとの批判をあびて、日銀は04年3月をもって市場介入にピリオドを打ちました。それが一番の原因だったのでしょう、05年には外国公的部門による米国債投資の勢いはぐっと鈍っています。けれど、他方で景気回復を背景に海外民間部門による投資が回復軌道に乗りました。アメリカへの資金流入は資金の出し手や投資形態を変えながら持続的に拡大してきた、それが事の真相なのであります。念のために一言しておきますが、日本を除くアジア諸国の通貨当局によるドル買い介入と米国債投資は、自国の輸出競争力を維持したい等の動機にもとづいて、今もって相当な規模で続けられています。



 2.新「双子の赤字」の諸特徴

 以上、21世紀になってアメリカが80年代を彷彿させる財政赤字と経常収支赤字の並存状態に直面した事実、および2種類の赤字の概要とファイナンスのあり方に関して述べたわけですが、それではこの新「双子の赤字」は一体どのような性質をおびているのでしょうか。過去の「双子の赤字」との対比を意識しつつ、今日的局面の特徴を簡潔にまとめておくことにいたします。
 2つの赤字の並存それ自体は同じですが、対GDPでみると、今回の財政赤字はまだ前回ピークの半分の水準でしかありません。それとは逆に、経常収支赤字の方は、前回ピークの2倍水準と非常な高みに達しています。これは、今回においては経常収支赤字の増加がとみに著しく財政赤字の規模を大きく上回っているという事実の投影であって、そこに80年代との相違が認められます。事は家計部門の動向と関わっているので、その点を確認しておきましょう。
 かつての「双子の赤字」の元凶となったのは、レーガノミックスの実践に伴う財政赤字の拡大でした。新「双子の赤字」の場合にも、経常収支赤字急増の直接の引き金になったのは財政収支の悪化です。しかし、今回の経常収支の悪化には、短期的要因としての財政の赤字化とともに、より長期的な要因である家計部門のISバランスの悪化、99年の赤字化も深く関係しているとみられます。05年以降になると、政府部門の投資超過幅が狭まると同時に家計部門の投資超過幅が拡大傾向をたどるので、家計部門の経常収支赤字への寄与が一段と鮮明化します。米国家計の過剰消費を象徴する事態ですが、05年に家計貯蓄率は1934以来初めてマイナスになってしまいました。
 次に金利動向とその背景に関して。80年代には財政赤字が実質金利の上昇を招いたのに、今回はクラウディング・アウトは起きていません。景気回復を受けてFF金利の誘導目標が段階的に引き上げられるようになった04年6月以降にあっても、長期の実質金利は2%前後の低い水準にとどまっています。むろん、アメリカの経常収支赤字額を上回る資本が世界中から流入すればこその話です。
 ここでも補足説明をいたしますが、昨今、世界的にみて経常収支赤字は80年代よりいっそうアメリカ一国に集中しているのに、経常収支黒字の方は分散化が進んでいます。85〜87年には世界の経常収支黒字の2/3が日独2国によって占められていたのに対し、2001〜03年だと上位10ヵ国で世界黒字の2/3を分け合った形です。この経常収支不均衡の世界化、いわゆるグローバル・インバランスが意味するのは、米国赤字をファイナンスする国の多様化にほかなりません。アメリカに比して内需の成長率が低い日欧だけでなく、原油価格上昇の恩恵を受けている産油国も、輸出競争力維持の為替政策によって高成長を続けているアジア諸国も、こぞって対米投資国の列に加わりました。なかでも途上国の貸し手化、ドル買い介入を反映したアジア通貨当局による対米投資の増加が印象的です。ほかに、アメリカにとって貿易赤字は、80年代には主として対日問題だったのに対し、今日では中国が中心的に意識されているという違いもあります。
 もう1つ。80年代前半に「双子の赤字」が世界の関心を集めたときにはドル高が急速に進展しましたが、新「双子の赤字」では逆にドルは低落をきたしました。ドルの実質実効為替レートの推移をみれば、「双子の赤字」の再来が問題化する直前の1997〜2001年には17%上昇したのに、02年初から下がりだし04年末までに17%の下落を記録、その後も弱含みで推移しています。



 3.楽観論の横行とその背景

 ところで、今みたような特徴を有する新「双子の赤字」の到来にもかかわらず、米国内には事態を楽観視する空気が色濃く漂っています。当然ながら、そうであるにはそれなりの背景があるというものです。
 財政収支の悪化が真一文字に進むのではなく、05年度にひとまず歯止めがかかったという事実が、その1つでしょう。また、一般に財政赤字の最大の弊害と考えられているクラウディング・アウトが生じていない、それが危機感を薄めている面もあります。国際資本移動がホームバイアスの低下によって活発化している環境下では、一国の経常収支赤字がかつてなく膨張しても他国の貯蓄によってファイナンスされやすくなるので、不均衡の持続的な拡大の可能性もおのずと高まります。経常収支不均衡は国際資本がそれをファイナンスしうる限りサステナブルだし、現にアメリカの赤字は十分に手当てされているので、なかなか緊迫感が出てこないのも不思議ではありません。さらに、金利の低位安定に加えてドルも低落傾向にあるので、新「双子の赤字」が米国産業の活力をそぐ方向で働く可能性は小さい、といった安心感も広がっているようですね。
 楽観的空気を裏打ちする役割を果たしている議論の存在も見逃せません。現在FRB議長の職にあるバーナンキ(Ben S. Bernanke)が05年に唱えた「世界的貯蓄過剰」説が、その代表格として知られています。彼が言うには、アジア通貨危機を経て多くの途上国が国際資本市場における資金の借り手から貸し手に変化した、それによって世界的な貯蓄過剰状態になり、投資対象を求めてさまよう過剰な資金がアメリカに集中的に流入するようになった。その結果として経常収支不均衡の規模や範囲が世界に拡大したというのですから、要するに、過剰貯蓄がアメリカの経常収支赤字拡大の主犯だとの見方です。したがって、経常収支赤字擁護論のレッテルが貼られもするのですが、それだけではなくてバーナンキ説は「双子の赤字」否定論でもあります。なぜなら、経常収支赤字の拡大は他国からの資本流入に起因するとの認識は、経常収支赤字が財政赤字とは無関係だと言っているに等しいのですから。
 仮に世界的不均衡が高じる中で対ドル不信がつのってドル暴落にいたったとしても憂慮するにはおよばないとする議論も、米国論壇で幅を利かせています。たとえば、クロークら(H.Croke, S.B.Kamin and S.Leduc)がFRBのディスカッション・ペーパーに載せた論文(05年2月)は、過去数十年に起きた先進国の経常収支調整の23事例を検証してみたところ、通貨価値の下落によって金利上昇、株価下落、成長鈍化が起きるとの仮説は証明されなかった、と結論づけています。それどころか通貨下落を通じて、輸出が拡大し、成長率が高まった事例さえあると強調しているのですから、まさしくFRB内に溢れている楽観論を代弁した形です。



 4.懸念される諸問題

 しかし、いかに楽観論やそれを合理化するアカデミックな主張がアメリカの国内に蔓延していようと、IMFやG7のレポートや会議録にみるとおり、国際社会には新「双子の赤字」に懸念を抱く向きが多いのが現実です。もちろん、米国内にあっても事実を冷静に見定めようとする人たちがいないわけではありません。懸念される問題を列挙しましょう。
 まずは、財政状況の悪化とその影響です。ブッシュ政権は04年の一般教書で財政赤字を5年間で半減させるとの公約を掲げましたが、歳出抑制の対象を裁量的経費の一部だけに限っていますし、イラク駐留費の膨張もあるので、スムーズな収支改善などとても考えられそうにありません。景気拡大による税収増で一時的な改善がみられはしても、長期的には減税の恒久化とベビーブーマーの大量退職による社会保障費・医療費の増加のせいで、財政赤字が高止まりする可能性が大きい。その点はCBO(米国議会予算局)だって認めているところです(図表13)。巨大な財政赤字が続くとの見方が金融市場で定着すれば、長期金利の上昇が招かれる危険が増します。対ドル不信が高まってドル離れが引き起こされる可能性だって出てきようというものでしょう。
 次なる懸念は、外国からの借金の山がどんどん高まることです。アメリカの対外純債務残高は80年代半ばから拡大し続けて、04年末にはGDPの20%に達しました。しかも、財政赤字の中長期的な悪化はほとんど確実だし、家計部門も資金不足に陥っているので、経常収支赤字は容易には解消しないものとみられます。GDPの6%を超える経常収支赤字が今後とも続くようなら、10年すればと対外純債務はGDPの100%を超えることになるでしょうし、その過程でサステナビリティ不安が高まるのも容易に予想されるところです。FRBのグリーンスパン議長が、いつの日にか外国投資家が受け入れがたい水準になるまでポートフォリオ中のドル資産の割合が高まるだろうと述べて、経常収支赤字に警鐘を鳴らしたのは、04年11のことでした。
 所得収支の悪化も懸念材料の1つです。対外純債務残高が趨勢的に増大してきたにもかかわらず、アメリカの所得収支はずっと黒字基調で推移してきました。そのことは多分、CBOも説くように、アメリカの対外投資の高い収益率、とくに直接投資の収益率格差によって説明されるのでしょう。しかし、この数年、対外債務の膨張に伴う利払い負担の増加で所得収支の黒字幅は急速に縮小しています。03年には366億ドルだった黒字が05年には133億ドルに減っており(前掲図表4)、遠くない将来に所得収支は赤字化する可能性が高いと言わざるをえません。もしそうなれば、「経常収支赤字→対外債務増→所得収支赤字増→経常収支赤字増」というルートで経常収支赤字のスパイラル的な増加が起きることになります。
 世界的にみた過剰貯蓄が今後もアメリカに向かうのかどうかも大きな問題です。まずアジア諸国の通貨当局による外貨準備の蓄積を通した米国債購入ですが、外貨準備の保有には不胎化コスト等のコストが伴うので、早晩、歯止めがかかる可能性があります。鍵を握るのは中国です。日欧については、米国との金利差が狭まる傾向にある事実に目を向ける必要があります。05年まではアメリカが先行的に継続的な利上げをおこなったけれど、その後、欧州中銀が金利引き上げを行いましたし、日銀も量的緩和の解除を断行しました。金利差が縮小すれば、日欧からアメリカに向けての資金の流れは、かなりの程度細るかもしれません。また、日欧の景気上昇、投資需要の回復が進めば、米国への資金集中にも変化が起きると考えるのが自然です。さらに、米国内に収益性の高い投資機会がいつまでも存在し続けるのかどうか疑問ですし、海外投資家が米ドル資産からユーロ建て資産に資金をシフトする可能性だってなしとしません。いずれにせよ、アメリカへの資金流入が大幅に減れば、長期金利の上昇、海外投資家の在米資産引き揚げ、ドル暴落、債券安・株安の世界的波及といったシナリオが現実味をおびることになるでしょう。



 5.経常収支不均衡の調整経路

 先ほども申しましたが、財政赤字の大幅削減が期待できず、民間貯蓄もベビーブーマーのリタイアとともに減少をきたすとすれば、アメリカの経常収支赤字は今後も増加の道をたどるだろうとの見方にならざるをえません。しかも、海外からの借金に頼って対外収支不均衡の拡大構造を維持するのが中長期的に無理だとなると、いやでも調整が不可避になるというものでしょう。
 たとえばバーグステン(C.F.Bergsten)国際経済研究所長によると、対外純投資ポジションの危険レベルは対GDP比で40%あたりであり、そのライン以下に踏みとどまるには経常収支赤字を2,500〜3,000億ドル、対GDP比2.5〜3%におさめなければなりません。そのためにはドル・レートの調整がどうしても必要だと説かれます。マン(Catherine Mann)も、アメリカの対外債務返済に疑いが生じてドル暴落にいたる可能性がある、だから中期的に見て経常収支調整が不可避だし、その過程にはドルの秩序ある減価も含まれる、と繰り返し指摘してきました。
 そうは言っても、為替レートのみで調整しようなんて考えは、およそ現実的ではありません。オブストフェルドらの研究(M.Obstfeld and K. Rogoff ,2005)では、アメリカの経常収支赤字が対GDP比で1%減少するにはドルの10%の減価が必要になります。アジア、欧州の経常収支均衡化のための世界的な調整は、対ユーロで30%、対アジア通貨バスケットで35%のドル減価をもたらすということなのですが、これほどのドル減価は副作用が大きすぎるとの認識が一般的です。加えて、アメリカにとっての最大の貿易赤字相手国・中国が元をドルにペッグする政策をとっているところでは、為替レート調整の効果も限られてしまうのではという、政策手段としての有効性に対する疑念もあります。
 ドル相場に関して言いますと、90年代後半のドル高騰はアメリカの経常収支赤字を増幅する要因として作用しましたが、02~04年の減価で、ドル相場は過去の平均水準に戻りました。したがって、現在の赤字は、ドルの過大評価よりもISバランスに起因するところが大だと思われます。換言すれば、新「双子の赤字」は、米国経済の過剰消費・貯蓄不足体質によるものなのですね。だとすると、問題解決にとって何よりも肝要なのは、財政赤字と個人消費を抑制しながら貯蓄の増強に努めるという米国自身の努力だ、との理解になります。そうしたISバランス改善の施策を講じつつ、ドル安を利用して輸出を増やし貿易収支を是正していくのが、アメリカの経済運営の基本であるべきでしょう。
 だけど、国内貯蓄増強、すなわち内需抑制による解決は、ドルの大幅減価のケースと同様、世界経済に甚大な悪影響を及ぼす危険性を宿しています。そのために国際社会の側は、アメリカの責任と自助努力を強調しながらも、併せて政策協調の必要を唱えるようになっています。05年2月のG7共同声明では、ドル急落阻止の観点から、新「双子の赤字」問題にG7が結束して取り組む姿勢が打ち出されました。同年9月のIMFコミュニケでも、政策協調を通じた秩序ある調整の促進がうたわれています。それらにあって想定されている政策協調とは、アメリカは国民貯蓄増強のための財政健全化、日欧は構造改革を通じた成長の加速、新興アジア諸国は為替相場制度の柔軟化に、それぞれ真摯に取り組むというものです。
 米国政府・連銀も、単に楽観論をふりまくだけでなく、国際社会の政策協調論議に乗っかる形で自らも他国に調整責任の分有を求めるようになっています。一例をあげれば、06年の大統領経済報告は、経常収支不均衡は経済成長の格差等を反映したものだからアメリカ一国だけの政策行動では是正すべくもない、と声高に唱えました。不均衡是正は世界各国で「共有する責任」なのであって、世界的に行動を起こすべきだ、との論法です。具体的には、自らは貯蓄率向上に努めるから、日欧には成長加速、アジア諸国には為替レートの柔軟化、とくに中国に人民元改革を求めるという中身ですから、それ自体はIMFやG7のメニューと大差ないと評しても構わないでしょう。




おわりに


 すでに予定の時間を超過していますので、大急ぎで話を締めくくらせてもらいます。
 本日の基調講演で私が是非とも訴えたかったことの1つは、アメリカの財政赤字問題を経常収支赤字ファイナンスの枠組みに組み入れて理解する観点の重要性でした。関連して申しますと、先にふれたとおり、対GDP比でみた財政赤字の規模は現在はまだ1980年代よりずっと小振りですが、財政赤字ファイナンスの対外依存度はかつてより遥かに高まっています。その意味では深刻な状況だと言えるけれど、今のところ財政赤字分を含めた経常収支赤字のファイナンスは円滑におこなわれているので、切迫感はそれほどでもないのが実情です。しかし、財政赤字は中長期的な増大を避けられそうにありません。それを一大要因にして経常収支赤字が増え続け、やがて対外純債務の積み上がりによってサステナビリティ不安が醸成されるまでになれば、海外民間投資家の米国債投資が真っ先に減らされることになる恐れが十分にあります。外国通貨当局の米国債保有だって当てにはなりません。その行く手に待ち構えているのは、クラウディング・アウトの発生、金利上昇、ドル暴落の悪夢です。むろん、そこまで行かずとも、日本や欧州の景気回復等によって対米資金流入が細れば、海外投資家の米国債購入が滞り、アメリカの財政危機が表面化する可能性があります。
 政策協調に関しても、一言しておきたいと思います。1980年代のプラザ合意に端を発する一連の政策協調の場合には、当時の経常収支不均衡が主として日米間の問題であったことから、日米間の政策調整が決定的な比重を占めていました。それに対して、現在はグローバル・インバランスが背景をなしているので、協調の構図が途上国も含む世界的な広がりを持つようになっていますし、だからこそ協調の実効性に対する疑念も80年代以上に強いものがあります。その点に加えて、80年代の政策協調が日本にとってバブル経済化とバブル崩壊による経済停滞、ならびに財政悪化の糸口になった事実を、改めて思い起こさなければならないでしょう。
 前述のように、外圧に譲歩しておこなわれた積極財政への転進は、主に公共投資の積み増しを通じて日本の財政赤字を急増させる結果になりました。ここで注意を喚起したいのですが、問題は中央財政にとどまらず、地方財政にも深い爪あとを残すものでした。そのメカニズムはこうです。日本政府が対米公約に沿って作成した公共投資基本計画の総額のうち、ほぼ半分は地方の負担分でした。さらに、政府は、国の財政事情が厳しさを増すにつれ、自らも費用を負担しなければならない補助事業を抑えて、できるだけ地方単独事業にさせる算段に腐心するようになった。端的には、地方債の元利償還については後に相当程度まで地方交付税で面倒をみてやるからと約束しつつ、起債で資金を手当して積極的に単独事業を起こせと自治体に発破をかけた、という次第です。かくて、自治体の単独事業が急増をみたのですが、そのつけが回りだし、おまけに国が自分のした約束に知らぬ顔を決め込むとなると、自治体財政は逼迫し、住民ニーズにこたえる独自の行政サービスを維持・拡大する余裕を失う羽目になってしまいます。実際、90年代後半からそうした苦境に喘ぐ自治体が目立ちだしたと言えます。
 今のところは、構造改革を通じる成長の加速が政策協調における日本の役回りだとされています。けれども、構造改革に期待されているほどの内需拡大効果がなければ、金融・財政緩和への外圧が強まる心配があります。景気への配慮から利上げの打ち止めに舵を切りつつあるアメリカが、早晩、日米金利差を維持しようと日銀に利上げ抑制圧力をかけるようになるのは、おそらく必至でしょう。財政拡張の要請だって出てこない保証などまったくありません。二度と主体性のない対米配慮によって、バブルの発生・崩壊の愚を繰り返してはならないと、私は声を大にして唱えたいと思っています。また、現在、夕張市の財政再建団体への転落がホットな話題になっていますが、夕張と大同小異の財政状況にある自治体は少なくないし、国の財政も夕張と変わらない窮状にあります。そうした事実とその遠因が「双子の赤字」対策として遂行された政策協調にあったことを、忘れるわけにはいきません。アメリカにしっかり自助努力をしてもらう仕組みの構築を前提にした、あるべき政策協調の方式を、今こそ世界中の英知を集めて作りださなければならない、私はそう痛感するものであります
 最後にもう1点。アメリカが「双子の赤字」に悩まされた80年代の経済停滞から90年代に首尾よく脱出できたのは、ベンチャー企業の群生、新産業・新事業分野の誕生、平和の配当、テクノライバル日本の凋落等々の好条件に恵まれてのことでした。では、新「双子の赤字」の今日にあって、明るい明日をもたらすに足る条件が形作られつつあるとみられるのでしょうか。労働市場の柔軟化やベンチャー支援制度の整備はすでに基本的に完了しており、産業発展の新たな刺激要因だとは考えられませんし、規制緩和や供給力強化の税制改革も同じです。安全保障関連経費にしても、増えこそすれ減る可能性などまるでありません。政策協調によるライバル国叩きも、果たしてどれほどの効果があるのやら。新「双子の赤字」については楽観視する向きが少なくありませんが、私はそれを唱える人たちに根拠と問いたいと思っています。
 以上です。くらくらして早々に椅子にかけたのに、それでもまだ眩暈がしたり息が切れたりで、さぞやお聞き苦しかったことでしょう。にもかかわらず、ご清聴いただいたことに心より感謝いたします。



付記
会場ではレジュメのほかに、以下のディスカッション・ペーパーを配布しました。
・「憂愁の様相―1980年代米国経済の回顧 (1) ―」『KIER』0403、2004年6月。
・「再生の序曲―1980年代米国経済の回顧 (2) ―」『KIER』0405、2004年10月。
・「産業競争力復活の礎石―1980年代米国経済の回顧 (3) ―」『KIER』0407、2004年12月。
・「米国財政収支の過去・現在・未来―「双子の赤字」の再来を考える一環として―」『KIER』0407、2005年11月。

本講演と内容面で関係がある他の拙稿には次のものがあります。
・「米国経済の変容とニューエコノミー論」『KIER』9901、1999年8月。
・「ニューエコノミー論の虚実」関下稔・坂井昭夫編著『アメリカ経済の変貌―ニューエコノミー論を検証する―』 同文舘、2000年。
・「『ニューエコノミー論』考」『KIER』0102、2001年11月。
「アメリカのニューエコノミーと日本」『金沢経済大学論集』第35巻第2号、2001年12月。
・「NIPAデータにみる米国『20世紀末景気』の特質」『KIER』0103、2001年12月。
・「1990年代米国における歴史的な株高とその周辺事情―「20世紀末景気」分析の一環として―」『KIER』0204、2002年6月。
・「米国『20世紀末景気』を支えたメカニズムとその限界」『ESP』第366号、2002年10月。
・「米国バイオ関連特許の発展とその含意」『経済論叢』第173巻第1号、2004年1月。
・「アメリカにおけるビジネス方法特許の動向とその問題点」『KIER』0306、2004年3月。
・「アメリカのバイオ関連特許をめぐる問題状況 ― 「人類共通の財産」と「知識の私有化」の相克 ―」『KIER』0402、2004年4月。
・「アメリカのビジネス方法特許ブームと特許紛争」『経済論叢』第173巻第4号、2004年4月。
・「米国ビジネス方法特許をめぐる問題状況 ―批判論、改善措置、残る問題点―」『経済論叢』第173巻第5・6号、2004年5・6月。



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