「デッサンとは人の心と直結した行為=描写である」、私はまずこのようにデッサンという言葉を定義付ける。

  したがって人間以外のものが描いた絵をデッサンとは呼ばないし、書式に従って描いた図もデッサンとは呼ばない。

 あらかじめ何を描くのかが決められていて、その設計図の通り筆を運ぶのもデッサンではないし、建築図面のようなものもデッサンとは言わない。

  これらはいずれも、心と素描との間に別の要素が入っており、心と直結した行為とは言いがたいのである。

 少し具体的に見てみよう。

 建築家は、イメージを定着させようと建物の概観をスケッチする。
そして何枚かのスケッチをもとに、具体的な設計図を引くことになる。

 このときのスケッチはデッサンと言えるが、設計図はデッサンとは言えない。その違いはどこにあるのだろうか。  

  スケッチは、自分の心に浮かんだイメージを捕らえようとする行為であり、言わば心と直結した素描と言える。心とスケッチの間には何の法則もなく、ただ身体と紙と筆記用具があるだけである。

  スケッチを描いている最中に、建築家の頭の中に完成図がある訳ではない。むしろその完成図を作ろうとして、そのイメージをスケッチしながら探って行くのである。

 デッサンの意味はそこにある。

  一方、設計図を引く段階になると、建築家の頭の中には既に描き出すべき建物の概要が出来上がっている。
彼は既に頭の中に出来上がった建物に向かって描線を引いているに過ぎない。
このように頭脳の計算によ って描かれたものが設計図なのである。

  この両者の違いは、前者が心に依っているのに対して、後者は頭脳に依っていると言えよう。

  すなわち、デッサンとは心による描写なのである。そこには頭脳による操作はない。それよりも、もっと全体的な、人間存在の根底から生まれてくるものなのである。

 これは明らかに設計図とは違っているだろう。

 これに対して設計図は頭脳の作った法則によって描き出される。
設計図は、それを描く段階では、既に頭の中で描き出すべき建物が出来上がっていなければならない。言わば、設計図は、頭の中で組み立てられた建物を紙の上に映し出す行為から生まれるものだと言えるだろう。

 デッサンはこのような頭脳の働きとは根本的に違っているのである。

 デッサンは、そこから何が生み出されるのか、前もって知っている者は いない。まさにそれは混沌から生み出されるのである。

                      

(素描)

第1章 デッサンとは何か

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