二十歳から自分を捜す旅が始まった。

独学で絵を描き始め、二八歳で挫折した。

その挫折がデッサン論の扉を開けた。

どうすれば心の線が引けるのか。

通勤電車の中で、

ひたすら人々の顔から受ける心の波紋を

描線に乗せようと試みた。 

二年の歳月が過ぎた。

いつの間にか十万人の顔のデッサンが山積みされ、

自問の末、借金をしてデッサン集を出版した。

私の前に師が現れた。

デッサン集を見た師が、一からやり直す気はあるかと聞いた。

私はうなずいた。

その瞬間私は絵に関するすべてを捨てた。

残ったのは鉛筆一本だった。

師は私にスケッチブックを与えた。

紙と鉛筆それがすべてだった。

三年の歳月が流れた。 

初めて師は、私に絵を描くことを許した。

私はようやく登山口に立っていることを知った。

キャンバスに鉛筆で絵を描き始めた。

荒々しい岩石から女神を彫り出すような作業が繰り返された。

不要のものを捨て去る過程の中で、

箱の形と無彩色だけが残った。

師は一貫して、私の中に本物を求めた。

本物に行き着くために、

心の絵を描くために、

捨て去らなければならなかった幾多のもの。

その大部分が心の中にあったことを知ったとき、

不純の心を見破ったとき、                      

初めてデッサン論が私の中に見えてきた。

さらに十二年の歳月が過ぎていた。

師はすでにこの世にいなかった。

今や雲上の人となった、師(松田豐)に      

私は真っ先に本書を捧げる。 

 のしてんてん

デッサン論について

目次 第1章 第2章 第3章
第4章 第5章 あとがき トップへ