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たのしい 人名歴史年表
              


姓      名 生国 解                           説 W
      
カーリダーサ インド サンスクリット語の詩人・劇作家。後のサンスクリット文学に大きな影響を与えた。戯曲「シャクンタラー」が世界的に有名で、ゲーテは「ファウスト」でこの作品の手法を応用した
カール大帝(シャルルマーニュ) 西ローマ フランク国王。ゲルマン諸族を統合、教皇より西ローマ皇帝の帝冠を受ける。中央集権をめざして法制を整備、学者を保護し学芸を振興して中世ヨーロッパの形成の基礎をつくった W
カエサル(ガイウス・ユリウス) ローマ 将軍・政治家。ガリアを征服後ポンペイウスを倒し、B.C.44年終身独裁官となる。太陽暦採用などを行うが、ブルートゥスらに暗殺された。「賽は投げられた」。シーザー W
柿本人麻呂 日本 天武持統文武朝の歌人。万葉集の代表的な歌人。長歌、特に挽歌に優れ、枕詞・序詞などの和歌技巧を駆使した荘重雄大な歌風によって、後世歌聖としてたたえられた W
霍去病  中国 武帝時代の名将。叔父の衛青とともに匈奴をゴビ砂漠の北に駆逐。大司馬に任ぜられたが、二四歳で病死した W
かぐや姫 日本 竹取物語の主人公。竹取の翁が竹の中から得たかぐや姫の成長と、五人の貴公子や帝の求婚、姫の月世界への昇天を描く物語。作者、モデル共に不詳 W
カニシカ王 インド クシャーナ朝の国王。ペシャワルに都を置き中央アジアからガンジス川流域まで支配し、クシャーナ朝の黄金期を築く。仏教を保護奨励し仏典結集や寺院・仏塔の建立を行った
嘉納治五郎 日本 教育者・柔道家。1882年東京・永昌寺の12畳の書院を道場にして講道館を創設、柔術を改良して「柔道」を作り、その普及に努めた。大日本体育協会を創立 W
カフカ チェコ 作家。プラハのユダヤ系商家に生まれ吏員として勤めながらドイツ語で作品を書く.。作品は少ないが悪夢のような幻想に現代人の不条理を結晶,。実存主義文学の先駆.。 「変身」 W
カラカラ ローマ 皇帝。増税のために帝国内の全自由民にローマ市民権を与えた。ローマ市内に大公共浴場(カラカラ浴場)を建設。メソポタミア遠征の途次、部下により暗殺された W
カルバン フランス 宗教改革者。「キリスト教綱要」でプロテスタントの神学を体系化。1541年スイスに移りジュネーブで厳格な神政政治をしく。ルター同様福音主義を唱えた。カルビン W
川中島の戦い 日本 甲斐の戦国大名武田信玄と越後の上杉謙信が、千曲川と犀川とが合流する三角地帯・川中島(現在の長野県長野市南郊)で行われた北信濃を巡る5回の合戦の総称 W
韓信  中国 前漢の武将。項羽に従ったが用いられず、劉邦に従い華北を平定。漢の統一後、劉邦によって楚王に任ぜられ、のち反逆の疑いで捕らわれ殺された。「韓信の股くぐり」 W
管仲  中国 春秋時代斉の宰相。初め公子糾に仕えて、桓公と対立したが、のち鮑叔牙の推挙で宰相となり、桓公を覇者たらしめた。「管子」はその著という。 「管鮑の交わり」で有名 W
カント ドイツ 哲学者。イギリスの経験主義、フランスの啓蒙主義とドイツ的心情との対決から批判哲学を創始、ドイツ観念論に決定的刺激を与えた。「純粋理性批判」「判断力批判」 W
官渡の戦い  中国 後漢末期に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間に起きた戦い。赤壁の戦い・夷陵の戦いと共に「三国志」の時代の流れを決定付ける重要な戦いであった W
韓非   中国 戦国時代末の思想家。荀子の性悪説を学んで法家思想を理論的に大成し、秦の始皇帝に大きな影響を与えた。秦に仕えたが同門の李斯の讒言にあい服毒自殺した W
桓武天皇 D 日本 光仁天皇の皇子。794 年、都を平安京に遷した。勘解由使を設置、健児の制を実施。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣。最澄空海に新仏教を興させた W
        
キケロ ローマ 政治家・雄弁家・哲学者。博学・多才と雄弁で名声を得、共和制擁護を主張。アントニウスと対立し暗殺された。その文体はラテン語散文の模範とされる。「国家論」「友情論」 W
紀貫之 日本 歌人・歌学者。三十六歌仙の一人。醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集「古今和歌集」を編纂。著「土左日記」は日本文学史上、おそらく初めての平仮名による優れた散文 W
吉備真備 日本 学者。吉備地方の豪族の出身。717 年遣唐使に従って留学。735年多くの典籍を携えて帰国。740年真備と玄昉を除こうと藤原広嗣の乱。また藤原仲麻呂の乱の鎮定に貢献 W
キューリー(マリー) ポーランド 物理学者・化学者。夫ピエールとともにラジウム・ポロニウムを発見。夫の死後も絶望の底から研究を続け純粋の金属ラジウム分離に成功。ノーベル化学賞受賞。白血病で死ぬ W
キューリー(ピエール) フランス 物理学者。物質の磁性と温度についてのキュリーの法則を発見。妻マリーと共同でラジウム・ポロニウムを発見。1903年妻と共にノーベル物理学賞受賞。交通事故で死ぬ W
キュロス2世 ペルシャ エジプトを除く全オリエントを制圧したが、バビロン捕囚を解放するなど被征服諸民族に対して寛大であったので旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれている。キルス W
キリスト(イエス) ユダヤ ベツレヘムで生まれ、ガリラヤのナザレで育つ。ユダヤ教を批判しエルサレムで十字架の刑に処せられた。イエスは救世主(キリスト)とみなされキリスト教会が成立した W
欽明天皇 日本 記紀で第29代天皇。継体天皇の皇子。即位の年は現在の定説では 531 年。571 年崩御。在位中、538年仏教が伝来。また、任那の日本府が滅亡した W
      
空海 日本 真言宗の開祖。804年最澄らと入唐し密教を学ぶ。帰朝して高野山金剛峰寺を開き嵯峨天皇より東寺を賜る。書や詩文にも秀で庶民信仰の対象として尊ばれた。弘法大師 W
クーベルタン フランス 教育家・男爵。人間の健全な発達のため、スポーツの必要を説き、1894年国際オリンピック委員会(IOC)を組織した「近代オリンピックの父」 W
クールベ フランス 画家。現実をあるがままに直視して描写することを主張し、近代写実主義を主導した。パリ・ミューンにも参加。代表作「オルナン伯の埋葬」「石割」など W
薬子の変 D 日本 平城天皇の寵厚く、権勢の座にあった藤原薬子が嵯峨天皇の廃立、平城上皇の重祚、平城京遷都を企てたが,嵯峨天皇が迅速に出兵し鎮圧した。薬子は自殺した W
クック(ジェームス) イギリス 探検家。3回太平洋方面の大航海を行い、未知の海域・島を明らかにした。また、オーストラリアの領有宣言を行いイギリスの太平洋進出の基を築いた。キャプテン・クック W
クビライ モンゴル フビライ・ハン W
クフ王 エジプト 第四王朝の王。カイロ南西のギザに世界最大のピラミッドを築いた。実際には、この事業がナイル川の氾濫で一時的に職を失った国民のための失業対策であった W
鞍作止利(くらつくりのとり) 日本 止利仏師鞍作鳥 W
クレオパトラ エジプト プトレマイオス朝の女王。その才知と美貌でカエサルの愛人となり、のちアントニウスと結婚して専制支配を図ったが、アクチウムの海戦で敗れ、毒蛇に身をかませて自殺 W
         
ケインズ イギリス 経済学者。価格中心の経済理論に対し、国民所得を中心とする新理論体系を確立、自由放任経済の終焉を説き「ケインズ革命」 といわれた。「雇用・利子および貨幣の一般理論」 W
結核菌の発見 1864年までにパスツール(仏)が微生物が病気の原因であることを示唆していた。それを基に1882年に結核菌を発見したのはコッホ(独)であり、二人は近代細菌学に大きく貢献した W
ケプラー ドイツ 天文学者。ティコ・ブラーエの火星観測記録をもとに火星など惑星の運動を研究し、「ケプラーの法則」を発見、近代天文学の基礎を築いた W
      
項羽  中国 秦末の楚の武将。叔父項梁と挙兵し、劉邦とともに秦を滅ぼし楚王となったが、垓下の戦いで四面楚歌を聞き、劉邦に敗れ、烏江で自殺した。虞美人はその寵姫 W
黄巾の乱  中国 後漢末の農民反乱。張角は太平道の信徒を組織して、184 年に蜂起。乱は鎮定されたが、これをきっかけに群雄割拠を招来、後漢は滅亡し、三国鼎立の時代となる W
孝謙天皇 日本 称徳天皇 W
孔子  中国 春秋時代の魯の思想家。儒教の祖。諸国を遊説したのち、門人の教育に専念。彼の言行を記録したものが「論語」。「書経」「詩経」「春秋」などを整理・編纂した W
黄巣の乱  中国 唐末、黄巣が指導した農民反乱。875年山東に蜂起し、全土に広がる。黄巣が帝位につき国を大斉と号したが、内部分裂により鎮圧された。これにより、唐朝の権威は失墜した W
光仁天皇 日本 天智天皇の孫。称徳天皇の死後62歳で即位。道鏡を下野に左遷し、和気清麻呂を召還するなど、前代の仏教偏重の政治を改め行政簡素化、緊縮財政を目指した W
勾践  中国 春秋時代の越の王。呉王闔閭を敗死させたが、その子夫差と会稽山に戦って敗れた。のち富国強兵に努め、呉を滅ぼして覇者となった。臥薪嘗胆、会稽の恥、呉越同舟
光武帝(劉秀)  中国 後漢の初代皇帝。22 年南陽に挙兵、王莽軍を昆陽に破り、漢を再興して洛陽に都を置いた。儒学を奨励し、礼教・名節を尊び、万機を親裁し内治に努めた W
孝文帝  中国 北魏の第六代皇帝。均田法・三長制を施行し国力の充実をはかり、494年洛陽に遷都した。服装・言語などを中国風にする漢化政策を徹底した W
孔明(諸葛)(しょかつこうめい) 中国 諸葛亮 W
光明皇后 日本 聖武天皇の皇后。孝謙天皇の母。藤原不比等の娘。悲田院・施薬院を設けるなど社会事業を行い、また天皇の東大寺建立を助け仏教興隆に尽くした。光明子 W
巨勢金岡 日本 宮廷画家。肖像画の名手として伝わる。画風は唐絵で、日本的な画題を日本の形式で描き、大和絵の祖と言われる。金岡筆の確実な作品はない W
小林一茶 日本 俳人。信濃国柏原生まれ。15歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学ぶ。方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して屈折のある異色な作風を示した。著「おらが春」 W
コペルニクス ポーランド 天文学者。イタリアに遊学後聖職につくが天文学の研究を続け地動説を提唱。1543年「天球の回転について」を発表しプトレマイオス以来の天動説による宇宙観をくつがえした W
小牧・長久手の戦い 尾張の小牧・長久手で豊臣秀吉軍と徳川家康・織田信雄(信長の次男)連合軍との間で行われた戦い。勝敗決せず、長期戦となったため講和を結んで終結した W
コロンブス(クリストファー) イタリア 探検家。地球が球体であるというトスカネリの説を信じ西周りでインド発見を計画。スペイン女王イサベラの援助を得て1492年に始まる4回の航海で西インド諸島・アメリカ大陸を発見 W
コングリーヴ(サー・ウィリアム) イギリス 砲兵隊将校、科学者。1804年頃インドの火箭をヒントに、コングリーヴ・ロケット弾を発明した。ナポレオン戦争で初めて使用された
コンスタンティヌス ローマ 分裂していたローマ帝国を再統一。キリスト教をはじめて公認し、ビザンチウム(コンスタンチノープル)に遷都、身分を固定化、官僚制を整備し専制君主制を強化した W
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