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姓 名 | 生国 | 解 説 | W | |
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が | ||||
ガマ(ヴァスコ・ダ) | ポルトガル | 航海者。1497 年からの航海でフリカ大陸南端の喜望峰を回り、大陸東岸を経て、翌年インドのカリカットに達する。1524 年インド総督に任ぜられ同年死亡。バスコ・ダ・ガマ | W | |
ガリレオ・ガリレイ | イタリア | 天文学者・物理学者。振り子の等時性、慣性の法則などの力学上の諸法則を発見、望遠鏡を発明し天体を観測、コペルニクスの地動説を支持し宗教裁判にかけられ死亡 | W | |
ガレノス | 小アジア | ペルガモン生まれの医学者・解剖学者・哲学者。ローマで活動。多種の動物の解剖によって実験生理学の基礎を築き、長く医学の権威と仰がれた | W | |
鑑真 | 中国 | 唐僧。日本渡来を決意し、5回の失敗と失明にもかかわらず 753 年来日。東大寺に戒壇を設け、聖武上皇以下に授戒。のち大和上の称号を贈られ、また唐招提寺を開いた | W | |
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行基 | 日本 | 僧。諸国をめぐり、架橋・築堤など社会事業を行い、民衆を教化し行基菩薩と敬われたため一時弾圧された。のち東大寺・国分寺の造営に尽力し、大僧正に任ぜられた | W | |
ギルガメシュ | メソポタミア | ウルクの王。その活躍をうたう「ギルガメシュ叙事詩」は、紀元前20世紀頃に原型が成立し、西アジア一帯に広まり、楔形文字文学史上最大の作品として知られる | W | |
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グーテンベルグ | ドイツ | 活版印刷発明者1450年頃に鋳造活字による印刷技術を完成し近世の知識普及に貢献ラテン語訳の「四十二行聖書」などを印刷安価な聖書の普及で宗教革命にも影響 | W | |
虞美人 | 中国 | 楚の項羽の寵姫。項羽が垓下に囲まれたとき最後の宴で「力山を抜き気は世を蓋う。時利あらず…、虞や虞や汝をいかんせん」と歌い、嘆じたという。虞姫。虞氏 | W | |
グリム(ヤコブ) | ドイツ | 言語学者・文学者。「ドイツ文法」でのちのゲルマン語学の基礎を築き、弟ウィルヘルムとともに「ドイツ語辞典」「グリム童話」を編集した。「赤ずきん」「白雪姫」など | W | |
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ゲーテ | ドイツ | 詩人・作家。また自然科学者・美術研究家。「疾風怒濤」(シュトゥルム・ウント・ドラング)運動を興し活躍、シラーと共にドイツ古典主義を完成。「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」 | W | |
ゲルマン人の大移動 | ― | 375年から約2世紀続いたゲルマン人のヨーロッパ西南部への大移動のこと。直接の原因はフン人による圧迫であったが、人口増大による耕地不足が根本的原因と見られる | W | |
元正天皇 | 日本 | 母は元明天皇。聖武天皇に譲位。在位中に「養老律令」の制定(718)や、三世一身法の発布(723)などが行われた。 | W | |
玄奘(三蔵法師) | 中国 | 唐の僧。経典を漢訳し後世法相宗を開いた。629 年長安を出発し西域を経てインドに入り仏教を学ぶ。645 年に多くの仏像・経典を携えて帰国。著「大唐西域記」。「西遊記」で有名 | W | |
玄宗 | 中国 | 唐の第六代皇帝。韋后を殺して父を復位させ、譲られて即位。諸制度の改革を行い「開元の治」と称された。晩年は楊貴妃に溺れて安史の乱を招き、四川へ脱出。子の粛宗に譲位した | W | |
玄ム | 日本 | 法相宗の僧。717年〜735年唐に留学。橘諸兄の政権に参画、護国仏教の確立に努めた。藤原仲麻呂の台頭で筑紫観世音寺に左遷されその地で死去した | W | |
元明天皇 | 日本 | 天智天皇の皇女。文武・元正両天皇の母。在位中に、和同開珎鋳造や「古事記」「風土記」の編纂が行われた。710年に平城遷都を行う。大宝律令運用のため藤原不比等を用いた | W | |
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ゴーガン | フランス | 画家。後期印象派。ゴッホとアルルで共同生活、平面的な原色の配列に独自の境地を開き、晩年タヒチ島に渡った。「タヒチの女」。ゴーギャン | W | |
ゴータマ・シッダルタ | インド | 釈迦 | W | |
ゴッホ | オランダ | 画家。印象派と日本の浮世絵の影響をうけ、多くの名作を残した後期印象主義の巨匠。強烈な色彩と大胆な筆致で「炎の画家」と呼ばれる。「アルルのはね橋」「ひまわり」「糸杉」 | W | |
ゴヤ | スペイン | 画家。性格描写に優れた肖像画や、戦争の残忍さを告発する多くの作品を描く。光と影の巧みな描写はのちの印象派に影響を与えた。「着衣のマハ「裸のマハ」「五月三日の処刑」 | W | |
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