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姓 名 | 生国 | 解 説 | W | |
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だ | ||||
醍醐天皇 | 日本 | 宇多天皇の第一皇子。菅原道真を右大臣に登用、延喜の治と称される天皇親政を行なった。延喜荘園整理令発布。「古今集」「延喜格式」を編纂、「古今集」で仮名が公認された | W | |
第二次世界大戦 | ― | 世界の60カ国近くの国々が参加した史上最大の戦争。枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)側と連合国(イギリス・フランス・アメリカほか)側に世界を二分した | W |
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妲己 | 中国 | 殷の紂王の寵妃。淫楽・残忍を極め、王ともども周の武王に殺された。亡国の悪女とされるが実際にどのような人物だったのかは定かではない | W | |
ダビデ | イスラエル | イスラエル王国第二代の王。全イスラエルを統一し、エルサレムに都を定め、近隣諸国を征服併合した。すべての王の模範とされる。ソロモンの父 | W | |
ダ・ビンチ(レオナルド) | イタリア | ルネサンスの代表的芸術家・科学者。代表作に「最後の晩餐」「モナリザ」など。芸術論・自然科学・解剖学・機械工学その他に関する厖大な量の手稿を残した | W | |
ダレイオス一世 | ペルシャ | アケメネス朝の王西。アジアを統一して即位、中央集権を強化。道路を整え駅伝制度を設置し、またペルセポリス建設などを行い、帝国に隆盛をもたらした。ダリウス | W | |
ダンテ | イタリア | 詩人。フィレンツェの国政に関与して追放され、放浪生活を送る。終生の理想の女性ベアトリーチェを主人公として人類救済の道を示す叙事詩「神曲」。「新生」「帝政論」など | W | |
で | ||||
ディアス(バルトロメウ) | ポルトガル | 航海者。1488 年アフリカ南端の岬を発見し、嵐の岬と命名(のち喜望峰と改められた)、インド航路を開く端緒となる。バーソロミュー・ディアス | W | |
ディオクレティアヌス | ローマ | 軍人皇帝時代の混乱を収め、四分割統治による専制君主制を開始、軍事力の増強を行って帝国を再編成した。在位の末年にはキリスト教大迫害を行なった | W | |
ディケンズ(ディッケンズ) | イギリス | 作家。下層社会の暗黒面を描きながら弱者に対する同情、独特のユーモアと哀感を織りこんだすぐれた性格描写が特色「クリスマス・キャロル」「二都物語」「オリバー・ツイスト」 | W | |
デカルト | フランス | 哲学者・数学者。スコラ哲学を不満とし新しい方法によって近世哲学を開拓、また解析幾何学を創始。「われ思う,ゆえにわれあり」は有名。主著「方法叙説」「哲学原理」 | W | |
ど | ||||
道鏡(弓削の道鏡) | 日本 | 法相宗の僧。河内の人。称徳天皇の寵を受け、太政大臣禅師になり、のち皇位に就こうとしたが和気清麻呂らの妨害にあい失敗。下野国に左遷されその地で没した | W | |
道元 | 日本 | 曹洞宗の開祖。比叡山で天台宗を、建仁寺で禅を学んだ。1223 年入宋。帰国して曹洞宗を伝えた。44 年越前に移り永平寺を開創。座禅中心の禅風。著「正法眼蔵」 | W | |
ドストエフスキー | ロシア | 作家。神の問題を中心に人間存在の根本問題を独自の対話的方法で検討し、20世紀文学に大きな可能性を示した。「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」など | W | |
ドビュッシー | フランス | 作曲家。印象主義音楽の始祖。象徴派詩人・印象派画家の影響を受け、従来のロマン派音楽の域を脱した新生面を開いた。「牧神の午後への前奏曲」「海」「子供の領分 | W | |
ドヴォルザーク | チェコ | 作曲家。ボヘミア国民音楽派の代表者。民謡や民族舞曲から特有のリズムと旋律を創造、色彩的な器楽構成に特色がある。「新世界交響曲」「ユーモレスク」。ドボルザーク | W | |
ドライス(カール) | ドイツ | 発明家、男爵。1817年、自転車の原型となった「ドライジーネ」を発明。これは木製の二輪車でペダルは無く、足で地面を蹴って進む乗り物だった。最高で時速15kmを出したとされる | W | |
ドラクロワ | フランス | 画家。ロマン派の代表。強烈な色彩を使って律動的で力強い激情表現を行い、印象主義・象徴主義など、のちの近代絵画の先駆となった。「民衆を導く自由の女神」 | W | |
ドン・キホーテ(ドンキホーテ) | スペイン | セルバンテスの諷刺小説の主人公。自らを伝説の騎士と思い込んだラマンチャ村の田舎郷士が痩せ馬のロシナンテに乗り、サンチョ・パンサを従えて遍歴の旅に出る | W | |
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