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明恵上人ゆかりの屋敷跡
最近当地を発掘したところ、住居跡とみられる掘立柱
建物、溝、土杭及び瓦器碗を中心に瀬戸の皿、常滑
の壺、須恵質の鉢、当時としては貴重であった中国
製の白磁の碗、青磁の皿、青白磁の合子などが出土
しました。
検出した5棟の建物はいずれも十三世紀中頃を前後
する時期と考えられます。
出土品などを考えあわせれば、一般庶民の住居に係
るものではなく、当地における有力者の屋敷跡ではな
いかと考えられています。 |
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上人胎衣塚(しょうにんえなづか)
吉原遺跡(明恵上人誕生の地)の傍らに、立っている
胎衣塚。 |
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吉原卒都婆史跡(国指定)
この地は明恵上人誕生の地です。
上人は、京都高倉院の武者所につとめていた武士・
平重国と有田の湯浅権守藤原宗重の四女の子として
承安三年(1173年)正月八日に生まれました。
治承四年(1180年)正月、母を失いその九月父も上
総国で戦死して孤児となるまで、の八年間ここで育ちま
した。
上人誕生の由縁を慕い、入寂後、嘉禎二年(1236年
)高弟義林房喜海が木製の卒都婆を建立、その後康永
三年(1344年)に朽ちたので、比丘弁迂が一族を勧進
して石造りとしたのが現存する卒都婆です。 |
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案 内
金屋町内から清水町に抜ける国道の途中(変電所の
手前)に歓喜寺の案内板があり、最近広い道路が開通
している。
その道を少し南に下ると右手に、明恵上人ゆかりの歓
喜寺が見えてくる。
吉原遺跡は、お寺の前の道を100m程、有田川の方
へ行ったところにある。 |
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幕末の吉原遺跡の様子(紀伊国名所図会より)
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