神谷後峰遺跡


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神谷後峰卒都婆史跡(国指定)
   この地は、明恵上人が元久元年(1204年)春〜二年秋の
  暮まですごされ大仏頂法(大仏頂尊に祈願する行法)を修せ
  られた処で時に三十二才。
   この年の二月十三日師に文覚は勅勘をこうむり対馬に流さ
  れ、このため上人の外戚湯浅一族も郡内の地頭職を失い上
  人もこの騒動をさけ糸野よりここに移られた。
   当時この山の南麓には神谷山寺最勝寺があり、上人はこ
  の寺との間を往復して修行された。
   当時この地の下一町程に片羽舎があり、弟子霊典らが給
  仕していた。
案 内
  吉備町内を流れる、有田川北岸を走る道路沿いに案内板
 が掲示されている。  丹生神社の100m程西に進入路が
 あるが、その地点より北に狭い山道を、登っていかなければ
 ならないが、途中にいくつかの道しるべがある。
  普通車の通行も可能だが、車を駐車するスペースがないの
 で、注意すること。
  史跡は山の中腹のみかん畑の中にあるので、道より徒歩
 にてみかん畑の畦道を降りていかなければならない、他人の
 畑の中を通るため、農作物を傷つけないよう注意すること。

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