隼人石 -隼人説考-
28 キトラ古墳壁画との比較
1983年に調査が始まったキトラ古墳で、壁面に十二支像が描かれていることが判明したのは2001年のことでした。これが現在のところ唯一確実な陵墓内の獣頭人身の十二支像と言えます。このキトラの十二支像と隼人石を比較してみましょう。
共通点としては、獣頭人身像であることとユーモラスな表情を挙げることができそうです。キトラ古墳で最もはっきり残る寅像の顔は虎というより猫の顔のようで、一緒に描かれている四神とは別物でかわいらしささえ感じさせます。
しかし、それ以外は細かな違いがいくつも見つかります。まずキトラでは中国の文官風の衣を着ています。これは中国や朝鮮の類例と共通しています。さらにそれぞれ武器を手にしており、これも統一新羅の十二支像と共通します。また、3体ずつ衣装の色を変えており、五行の思想の下にあることがわかります。加えて一緒に天文図、四神図も描かれていることから、陰陽五行の宇宙観を形作る要素として十二支が描かれていると推測されます。
また、着衣が右前になっており、当時の日本の死装束と同じになっています。これは、鋭利なヘラか何かで下絵を写し取った刻線が残っていることから、右前を正式とする中国の獣頭人身十二支の図をそのまま下絵にしたために起こったのではないかと推測されています。
このように、中国・朝鮮の影響を強く受け、整然と描かれているキトラの十二支像と比べると、隼人石は、陰陽五行が作り上げた摂理から自由になっており、その影響力は弱まっているように思われます。年代的にはキトラが700年ごろに作られたと考えられていますから、隼人石が十二支像であるとすれば、30年程度の間に日本において十二支の解釈がかなり変わってしまったと考えなければなりません。
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