「花札」と季節と行事

「春はあけぼの…」に始まる『枕草子』や季節の順に並べられた『古今和歌集』など、古典文学では季節を愛でることが風流とされました。ところが、当時使われていた暦と我々の使っている暦が違うため、古典文学を読む際に戸惑うことが少なくありません。そのうえ現代人は、動植物から遠ざかった生活をしています。和歌の世界などで定着していった季節の風物についての知識を学べば、いっそう古典文学を楽しむことができます。
12種類の花を各月に当てた「花札」は古典常識入門の格好の教材です。

  

花札とは


花札は、ポルトガルから伝えられたトランプをもとに日本で作られた「天正カルタ」をベースに、教育向けの「花鳥合わせ」や「和歌カルタ」などの要素を取り入れて、江戸時代後期に作られたと考えられています。12か月に割り振られた図案には、古来の風物を取り入れたしゃれた図案が多く、江戸時代の職人たちの教養がうかがえるだけでなく洒落やユーモアを感じさせるものもあります。



月の古称

旧暦と呼ばれる暦は、月の満ち欠けをもとにひと月を決め、太陽の動きで1年を決める、太陰太陽暦でした。また春の始まりを1月としていたので、現在の暦とはおよそ1か月から1か月半ずれていました。さらに呼び方も現在とは異なっていました。それぞれの古称の語源については各月とも諸説があるので、わかりやすい単純な説明を紹介します。

 春


 睦月/むつき お正月に皆が集まり「睦まじくする月」

 1年をいつから始めるかは時代や民族によって違いがあります。例えば古代中国の夏王朝では、太陽が復活する(だんだん昼の時間が長くなる)冬至の日を1年の始まりとしていました。しかし、寒い中で新年を祝うことに対する違和感から周王朝時代には夏王朝の暦でいう3月を1年の始まりとし、その暦が日本にも持ち込まれたと考えられます。1月には、今も昔も新しい年が幸せであることを願い様々な新春行事が行われます。平安時代には「白馬節会(あおうまのせちえ)」「七草」「初卯(はつう)」など邪気を払う行事が立て続けに行われており平安人たちがいかに邪気払いに熱心だったかがうかがわれます。また春の除目(県召の除目)があり、中流貴族にとっては一大関心事でした。

◇その他の異称◇
太郎月/たろうづき …太郎は最初のという意味。1年で最初の月の意
初春月/はつはるつき
早緑月/さみどりづき …次第に草木に緑が増えていくことから
子日月/ねのひづき …由来未詳。平安期の子の日の遊びから生まれた擬古的表現かも
霞初月/かすみそめづき …同じ水蒸気でも春は霞、秋は霧
祝月/いわいづき
 如月/きさらぎ まだまだ寒い日があり「着、さらに着る月」

 現在では28日しかない特別短い2月も旧暦では他の月と変わりません。五穀豊穣を祈る祈年祭(としごいのまつり)という農業由来の行事のほかに「涅槃会(ねはんえ)」や「彼岸会(ひがんえ)」いといった仏教行事が行われました。梅が咲き鶯が鳴き始めるなど春の息吹が感じとれるようになる時期です。

◇その他の異称◇
梅見月/うめみつき
初花月/はつはなつき
小草生月/おぐさおいづき
麗月/れいげつ …美しい月の意
 弥生/やよひ 草木がいよいよ、生い茂る、「いやおいの月」

 「上巳(じょうし)」(いわゆる「桃の節句」)を除き大きな行事ごとはありませんが、桜が咲き春爛漫の月です。

◇その他の異称◇
花咲月/はなさきづき
桜月/さくらづき
春惜月/はるおしみづき
夢見月/ゆめみづき …気候がよいのでつい居眠りするところから
蚕月/さんげつ …蚕の世話が始まる月の意

 夏


 卯月/うづき 夏を連れてくる「卯の花の咲く月」

 平安時代、4月1日は「更衣」の日でした。この月から宮中の人々は一斉に夏服に衣替えし、調度も夏の物に改めました。仏教行事の「灌仏会(かんぶつえ)」があり、月の半ばには平安の都人が挙って見物した「賀茂の祭り(葵祭)」が行われました。さわやかな初夏の月です。

◇その他の異称◇
卯花月/うのはなつき
夏初月/なつはつき
花残月/はなのこりづき
乏月/ぼうげつ …前年の蓄えを食べつくしてしまうころという意
 皐月/さつき 田んぼに「早苗を植える月」

 コメ作りが本格的にスタートする季節であることを表す名前がついた月です。いわゆる「梅雨」の季節です。5日の「端午(の節句)」はこの時期に食中毒や病気が起こりやすかったので、香りの高い植物で邪気を払おうとした風習だと考えられています。

◇その他の異称◇
早苗月/さなえづき
菖蒲月/あやめづき・しょうぶづき
橘月/たちばなづき …橘は夏を代表する柑橘系の花です
五月雨月/さみだれづき
 水無月/みなづき 梅雨明け、田んぼは「水の月」

 文字通りに梅雨が明け、水が無い月という解釈もありますが、前月の農作業のつながりで考えると、稲の生育を左右する水管理の月ということができます。暑さの盛が続き、疫病が流行する季節でもあり、前半半年間のけがれを祓う「大祓(おおはらえ=夏越しの祓・水無月の祓)」が晦日(みそか=30日)に行われました。

◇その他の異称◇
風待月/かぜまちづき …蒸し暑い日が続き、風が待ち遠しいから
涼暮月/すずくれづき …暮れ方の涼しさから
蝉羽月/せみのはづき …蝉の羽のように薄い透けるような着物を着ることから
常夏月/とこなつづき
鳴神月/なるかみづき …雷が多いことから

 秋


 文月/ふみづき・ふづき 七夕に本を虫干しする「文の月」

 朝夕が涼しくなり少しずつ過ごしやすくなる季節です。行事としては7日の七夕、15日の盂蘭盆会があります。

◇その他の異称◇
七夕月/たなばたづき
文披月/ふみひろげづき
女郎花月/おみなえしづき …女郎花は秋の七草のひとつ
涼月/りょうげつ
 葉月/はづき 葉が落ち始める「葉落ち月」

 野分と呼ばれる台風のシーズンです。また行事の多い月でもあります。8月1日は八朔と呼ばれ、収穫前に豊作を祈って贈り物をする風習がありましたし、半ばには京の南、岩清水八幡で放生会が盛大に行われ、秋の彼岸会もありました。そして何より15日には仲秋の名月。春の花見に対してこの時期、貴族たちは夜ごとに月見を楽しみました。

◇その他の異称◇
雁来月/かりきづき …雁はマガンなどの渡り鳥の総称。秋に日本に南下し春に北上します
月見月/つきみづき
萩月/はぎつき
燕去月/つばめさりづき …燕は、雁とは逆に春に南から飛来し秋には帰っていきます
壮月/そうげつ …秋の草木が盛んな月の意
 長月/ながつき 秋の夜は「夜長月」

 秋も深まり木の葉が色づくと、貴族たちは一層風流を求めて秋の夜長をさまよいます。行事は9日の重陽の節句(菊の節句)が有名です。また秋の除目(=司召の除目)が行われました。

◇その他の異称◇
菊月/きくづき
寝覚月/ねざめづき …夜があまりに長いので、途中で目が覚めてしまうという意
色どる月/いろどるつき …木の葉が色づく月という意
玄月/げんげつ …由来未詳。名月が冴える黒々=玄々と晴れ渡る夜空の意からとか

 冬


 神無月/かんなづき 収穫祝う「神の月」

 朝夕の冷え込みが厳しくなるのに合わせて10月1日には更衣がありました。また亥の日には、無病息災を祈って亥の子餅を食べる亥の子の祝いがあります。この祝いはもともと中国の行事で平安時代に日本に伝わり貴族たちの間で行われましたが、その後ちょうど収穫の時期であったことから広く庶民にまで広まりました。

◇その他の異称◇
神去月/かみさりづき …神々が出雲に集まるという俗信から
神在月/かみありづき …逆に出雲では神々が集う
時雨月/しぐれづき …時雨は短時間に降ったり止んだりする雨。初冬の風物
初霜月/はつしもづき
 霜月/しもつき 寒さ厳しい「霜降り月」

 冬のさなかです。この月の15日ごろが冬至になります。行事としては天皇が新穀を神に供える新嘗祭(にいなめさい)が中の卯の日に行われました。続いて次の日(中の辰の日)には、豊明節会(とよあかりのせちえ)が行われ、最後を五節(ごせち)の舞が飾りました。

◇その他の異称◇
神楽月/かぐらづき …収穫を祝って神楽を奏することが多いから
霜降月/しもふりづき
雪待月/ゆきまちづき
雪見月/ゆきみづき
 極月/ごくげつ 今年も最後「極めの月」

 1年の締めくくりと新年を迎える準備に大忙しの月です。御仏名(おぶつみょう)、荷前(のさき)の使いから大みそかの大祓・追儺(ついな=鬼やらい)まで行事が続き、新しい年を迎えます。

◇その他の異称◇
師走/しわす …由来未詳。年果つからとか読経のために僧侶が駆け回るからとか
春待月/はるまちづき
梅初月/うめはつづき
弟月/おとづき …末っ子の月の意
臘月/ろうげつ …新年と旧年をつなぎ合わせるというところから

季節小区分旧暦新暦
孟春・初春睦月2月半ばから3月前半
仲春如月3月半ばから4月前半
季春・晩春弥生4月半ばから5月前半
孟夏・初夏卯月5月半ばから6月前半
仲夏皐月6月半ばから7月前半
季夏・晩夏水無月7月半ばから8月前半
孟秋・初秋文月8月半ばから9月前半
仲秋葉月9月半ばから10月前半
季秋・晩秋長月10月半ばから11月前半
孟冬・初冬神無月11月半ばから12月前半
仲冬霜月12月半ばから1月前半
季冬・晩冬極月1月半ばから2月前半



花と縁物

花札に描かれた「花」の選ばれ方については謎のものもありますが、多くはその月とゆかりの深い花が選ばれています。また、一緒に描かれた鳥など(ここでは「縁物(えんもの)」と呼んでおきます)にも季節や古典に由緒を持つものが多く含まれます。

 春


 松(まつ)に 鶴(つる) + 朝日
ときはなる 松の緑も 春くれば 今ひとしほの 色まさりけり 源宗于
1月に「松」が選ばれたのは、お正月の松飾・門松からであると考えられます。松は古来、長寿や繁栄を意味したおめでたい木でした。合わせられている「鶴」も吉祥と長寿の象徴であり、左上の朝日は、「元旦」を示しているのでしょう。
 梅(うめ)に 鶯(うぐいす)
月夜には それとも見えず 梅の花 香を尋ねてぞ 知るべかりける 凡河内躬恒
2月の花「梅」は春の訪れを知らせてくれる花です。万葉時代には花と言えば桜ではなく梅でした。合わせられている「鶯」は和歌では「春告げ鳥」の異名を持っており、花、鳥ともに春の到来を告げる取り合わせです。ちなみに2月の梅、3月の桜、4月の藤は、清少納言が『枕草子』で褒めた花が並んでいます。
枕草子「鳥は」
 … 前略 …
鶯は、文などにもめでたきものにつくり、声よりはじめて様かたちも、さばかりあてにうつくしき程よりは、九重の内に鳴かぬぞいとわろき。人の、さなむあると言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞなく。夜なかぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも覚ゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。「年立ちかへる」など、をかしきことに歌にも文にも作るなるは。なほ春のうちならましかば、いかにをかしからまし。
 … 後略 …

 桜(さくら)に 幔幕(まんまく)
さくら花 ちりぬる風の なごりには 水なきそらに 波ぞ立ちける 紀貫之
春の花と言えば、桜です。咲く時期も3月でぴったりです。合わせられた「幔幕」はもちろん、花見に用いたものでしょう。短冊には「みよしの」と書かれており、豊太閤の豪華なお花見をイメージしていたのかもしれません。

 夏


 藤(ふぢ)に 時鳥(ほととぎす) + 有明けの月
我が宿の 池の藤波 咲きにけり 山郭公 いつか来鳴かむ 読人知らず
4月に描かれている「藤」は初夏を代表する花の一つ。ただ、和歌の世界で初夏の花と言えば、「卯の花」や「橘」の方がポピュラーです。藤は春の花とされます。一方、ホトトギスは夏の到来を告げる鳥として古くから多くの和歌にも登場します。一緒に描かれた月は、「有明けの月」。百人一首に入っている「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明けの 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣(81番)」の風景を描いたのでしょう。
枕草子「鳥は」
 … 前略 …
祭のかへさ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中にもろ声になきたるこそ、さすがにをかしけれ。 郭公はなほ、さらに言ふべき方なし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、卯の花、花橘などにやどりをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨(さみだれ)の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうちいでたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。
 … 後略 …

 菖蒲(あやめ)に 八橋(やつはし)
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ 在原業平
5月と言えば、端午の節句です。別名は菖蒲の節句。だから「あやめ」なのでしょうが、残念ながら、節句の菖蒲は、「しょうぶ」という全く別の植物です。(漢字で書くと同じです。)さらに残念なのは、合わせられている「八橋」。『伊勢物語』の「東下り」という章段に八橋に咲く「かきつばた」の話があり、それが絵画や工芸品のモチーフになっていました。このかきつばたとあやめの花がよく似ていることから混同されたようです。ということで、おそらく二重の勘違いが生んだ取り合わせだったのでしょう。
伊勢物語「東下り」
… 前略 …
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、かれいひ食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心を詠め」といひければよめる。
 から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、かれいひの上に涙落として、ほとびにけり。
 … 後略 …

 牡丹(ぼたん)に 蝶(てふ)
むらさきの 露さへ野べの ふかみぐさ 誰が住みすてし 庭のまがきぞ 藤原家隆
6月は「牡丹」が描かれていますが、和歌では牡丹はほとんど出てきません。「ふかみ草」という別名で数首あるくらいです。その代わり、中国では百花の王と愛でられ、かの楊貴妃もこの花にたとえられています。合わせられている蝶も中国では長寿の象徴です。日本では可憐な存在として着物の柄や工芸品のモチーフにされました。ただ、日本では牡丹が武具にあしらわれることが多かったようです。そして蝶も同じく武具や武士の家紋に使われていましたので、武士つながりの組み合わせという可能性も考えられます。

 秋


 萩(はぎ)に 猪(ゐのしし)
秋萩の 花咲きにけり 高砂の 尾上の鹿は 今や鳴くらむ 藤原敏行
初秋に当たる7月は「萩」です。かわいらしい花を咲かせる萩は、万葉時代から和歌に数多く読まれています。ただし、和歌では萩の相手は「鹿」。花札では10月に紅葉とともに鹿が登場するので、この月は別のものにということで、徒然草にも出てくる「伏猪の床」というのが萩を指すことから、猪になったのではないかと思われます。ところで、松尾芭蕉の門人、各務支考の句に「かい餅も伏猪の床の子萩かな」というのがあります。「かい餅」は「はぎの餅」、「お萩」と呼ばれ、別名、牡丹餅(ぼた餅)のこと。さらにイノシシ肉は「ぼたん」とも呼ばれるとくると、6月の牡丹と7月の萩は、もしかすると食べ物つながりの洒落なのかもしれません。
徒然草「和歌こそ、なほをかしきものなれ」
和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ、山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
 … 後略 …

枕草子「草の花は」
… 前略 …
萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれて、なよなよとひろごり伏したる。さ牡鹿の、わきて立ちならすらむも、心ことなり。
 … 後略 …

 芒(すすき)に 月 +雁(かり)
秋の野の 草のたもとか 花すすき 穂にいでてまねく 袖と見ゆらむ 在原棟梁
8月は「芒」です。旧暦8月は「仲秋」。仲秋といえば「名月」。お月見と言えば「団子に芒」という連想でしょう。光札に描かれている夕日のようなものは、だから「望月」です。ちなみにタネ札に描かれる鳥は「雁」。秋に渡ってくる鳥として和歌をはじめ古典文学ではおなじみの鳥です。
枕草子「春はあけぼの」
… 前略 …
秋は夕暮れ。 夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。

枕草子「草の花は」
… 前略 …
これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂さきの蘇枋(すはう)にいとこきが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。
 … 後略 …

 菊(きく)に 盃(さかづき)
露ながら おりてかざさん 菊の花 おいせぬ秋の ひさしかるべく 紀友則
9月9日は五節句の一つ、「重陽の節句」です。この日には酒に菊を浮かべた「菊酒」を飲んで、長寿を祈念するという風習がありました。この月の絵柄は、まさに重陽の節句そのままです。

 冬


 紅葉(もみぢ)に 鹿(しか)
ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平
10月は「紅葉」に「鹿」です。花札の中で最も有名な絵柄のひとつでしょう。百人一首の「奥山にもみぢふみわけなく鹿の 声きくときぞ秋はかなしき 猿丸太夫(5番)」に通じる風景です。ちなみにこの鹿が横を向いていることから、無視することを「シカト」と言うという説があります。

 柳(やなぎ)に 小野道風(おののとうふう) +燕(つばめ)
みわたせば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける 素性法師
11月の「柳」は花札の中で最も謎の深い図柄です。「柳」は和歌にもよく詠まれていますが、基本的に春の風物です。(タネ札の「燕」も春の鳥です。)またこの札は「雨札」とも呼ばれ、これまた11月との関係は不明です。もしかすると、花札のもとになった「天正カルタ」は10以降が人物の絵札になっており、この月は花より人物が先だったのかもしれません。もともと11月の光札には歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の登場人物「斧定九郎」が描かれていました。初代中村仲蔵が傘に身を潜めて登場し舞台上で傘を広げて見得を切るという演出にしてから人気の役柄になったそうで、「傘」→「雨」で「雨札」と呼ばれるのかもしれません。また、カス札は「鬼札」とも呼ばれ、ジョーカーの役目をする場合もあります。これも「天正カルタ」の影響と言えそうです。ところで、現在の「小野道風」に絵柄が変わったのは明治時代のことと言われています。スランプだった東風が、カエルが柳に飛びつこうと何度失敗してもあきらめず、最後に飛びついた様子を見て、自分も負けてはいられないと発奮し、ついには書の大家になったというエピソードが絵柄になっています。このエピソードがいつごろからあったのかはわかりませんが、江戸時代の子供向けの絵本に載っていることが確認できます。
 桐(きり)に 鳳凰(ほうおう)
みどりなる 広葉隠れの 花ちりて すずしくかをる 桐の下風 小沢蘆庵
12月の「桐」も謎の絵柄です。和歌にもほとんど登場しません。よく言われる説は、「これっきり」または「ピンからキリ」の洒落というもの。ただし、桐と鳳凰との組み合わせは由緒あるもので、『枕草子』「木の花は」の中でも取り上げられて清少納言も特別な木だと言っています。ところで、鳳凰は中国では皇帝の鳥、桐は日本では宮家や将軍家の家紋です。「天正カルタ」の最後が「国王」の絵札であることを考え合わせると、言葉遊びのほかに「王」からの連想があったのかもしれません。
『枕草子』 木の花は

木の花は、こきもうすきも紅梅。 桜は花びら大きに葉の色こきが、枝細くて咲きたる。藤の花は、しなひ長く色こく咲たるいとめでたし。 四月のつごもり五月のついたちのころほひ、橘の葉のこく青きに、花のいとしろう咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまにをかし。花の中より、こがねの玉かと見えて、いみじうあざやかに見えたるなど、朝露にぬれたる、朝ぼらけの桜におとらず。郭公(ほととぎす)のよすがとさへ思へばにや、なほさらに言ふべうもあらず。 梨の花、世にすさまじきものにて、近うもてなさず、はかなき文つけなどだにせず、愛敬をくれたる人の顔などを見ては、たとひに言ふも、げに、葉の色よりはじめてあひなく見ゆるを、唐土(もろこし)には限りなきものにて文(ふみ)にも作る、なほさりとも様あらむと、せめて見れば、花びらの端にをかしき匂ひこそ、心もとのふつきためれ。楊貴妃の、帝の御使にあひて、泣きけるかほに似せて、「梨花一枝春雨を帯びたり」など言ひたるは、おぼろけならじと思ふに、なほいみじうめでたきことは、たぐひあらじとおぼえたり。 桐の木の花、紫に咲きたるは、なほをかしきに、葉の広ごりざまぞ、うたてこちたけれど、こと木どもとひとしう言ふべきにもあらず。唐土にことごとしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり。まいて琴に作りて、さまざまなる音のいでくるなどは、をかしなど世のつねに言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。 木のさまにくげなれど、楝(あふち)の花、いとをかし。かれがれに、さまことに咲きて、かならず五月五日にあふも、をかし。
『徒然草』 家にありたき木は

家にありたき木は、松、桜。松は五葉もよし。花は一重なる、よし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ、世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の桜、みな一重にてこそあれ、八重桜はことやうのものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなむ。遅桜、またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅。一重なるがとく咲きたるも、重なりたる紅梅のにほひめでたきも、みなをかし。遅き梅は、桜に咲きあひて、おぼえおとり、けおされて、枝にしぼみつきたる、心うし。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心とく、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若かへで、すべてよろづの花、紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘、かつら、いづれも木はものふり、大きなる、よし。  草は山吹、かきつばた、なでしこ。池には蓮。秋の草は、荻、すすき、桔梗、萩、女郎花、ふじばかま、紫苑、われもかう、かるかや、りんだう、菊。黄菊も。つた、くず、朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる垣に、繁からぬ、よし。このほかの世にまれなるもの、唐めきる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。  おほかた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのもの、なくてありなむ。



年中行事

伝統的な行事や儀式は、古代から綿々と引き継がれているように思いがちですが、形骸化してなくなるものもあれば、日程や中身が時代によって変化しているものもあります。ここでは、『枕草子』の記事などを参照しつつ、平安時代の宮中行事の様子を解説します。

 春


 人日(じんじつ)1月7日 若菜
江戸幕府が定められた五節句の一つ。「七草の節句」。百人一首の「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇(15番)」のように若菜を摘む、古代からの行事と中国由来の吉凶占い(1月1日から順に占い、この日は人を占うので「人日」)が起源です。ただ、1月7日には「白馬の節会」という行事も行われ、平安時代にはこちらの方が中心でした。『枕草子』では若菜摘みと白馬見物が並べて書かれています。
枕草子「正月一日は」
正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人は、みなすがたかたち心ことにつくろひ、君をも我をもいはひなどしたる、さまことにをかし。
七日、雪まのわかなつみ、あをやかに、例はさしもさるもの目ちかからぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ。白馬みにとて、里人は車きよげにしたててみに行く。中御門のとじきみ引きすぐる程、かしら一所にゆるぎあひて、さしぐしもおち、用意せねばをれなどしてわらふもまたをかし。
 …後略 …
◇その他の主な行事◇
元日:四方拝(しほうはい)…宮中で帝が天地四方の神祇に五穀豊穣を祈る儀式
元日:朝賀(ちょうが)…帝が群臣の年始の挨拶を受ける儀式
元日:元日節会(がんじつのせちえ)…朝賀のあとに群臣と行う宴
2日:朝覲行幸(ちょうきんのぎょうこう)…帝が上皇などの御所に年始を祝賀する儀式
11日:県召除目(あがためしのじもく)…国司などの地方官を任命する儀式
初卯日:卯杖(うづえ)…美しく装飾した魔よけの杖を帝などに奉献する儀式
15日:十五日粥(もちがゆ)…小豆入りの粥を帝に献上する儀式
16日:踏歌節会(とうかのせちえ)…帝が踏歌※を見たあと五位以上と行った宴
   ※踏歌…年始の祝詞や漢詩に合わせた群舞
17日:射礼(じゃらい)…六衛府の射手が帝の前で弓の技を競う行事
 祈年祭(としごひのまつり)2月4日  神酒
春の耕作始めにあたり、その年の五穀豊穣を神に祈る儀式です。稲作が中心であった古代では秋の収穫を祝う「新嘗祭」と合わせて最も重要な儀式でした。しかし応仁の乱以降はすたれ、明治になって再興されました。

◇その他の主な行事◇
初午日:初午(はつうま)…稲荷神社の祭礼
上申日:春日祭(かすがのまつり)…三大勅祭の一つ。春日大社の例祭
 上巳(じょうし)3月3日  短冊と筆
五節句の一つ。「桃の節句」。古代中国で3月の巳の日にみそぎをしたことに由来する行事です。日本では、「ひいな遊び」と結びついて「流しびな」の風習が生まれたほか、貴族たちには、みそぎの際に行った盃を川に浮かべた宴が「曲水の宴」として定着しました。

◇その他の主な行事◇
桜の散る頃:鎮花祭(ちんかさい)…大神大社と狭井神社で行われる疫病を鎮める祭り

 夏


 葵祭り(あふひまつり)4月中酉日 牛車の車輪
平安時代に朝廷が勅使を送った、三大勅祭の一つ。平安時代には、都の人々の最大の楽しみにして最大の関心事であり、「祭り」といえば「葵祭り」を指しました。『枕草子』でも祭りの様子が詳細に描かれています。また『源氏物語』では、源氏の愛人、六条御息所が見物場所を巡って、正妻の葵上一行から屈辱的な扱いを受ける「車争い」という有名な場面になっています。名前の由来は、勅使の行列に参加する人にも牛車にも、すべて葵鬘(あおいかずら)を飾ったことからきています。
枕草子「四月、祭の頃」
四月、祭の頃いとをかし。上達部・殿上人も、うへのきぬのこきうすきばかりのけぢめにて、白襲どもおなじさまに、すずしげにをかし。木々の木の葉、まだいとしげうはあらで、わかやかに あをみわたりたるに、霞も霧もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、すこしくもりたる夕つかた、よるなど、しのびたる郭公(ほととぎす)の、遠くそらねかとおぼゆばかり、たどたどしきをききつけたらんは、なに心地かせん。
 … 後略 …
◇その他の主な行事◇
朔日:更衣(ころもがえ)…夏装束へと一斉に改めた
朔日:孟夏の旬(もうかのしゅん)…帝が臣下から政務を聞くための紫宸殿での宴
8日:灌仏会(かんぶつえ)…釈迦の誕生を祝う仏教行事。花まつり
 端午(たんご)5月5日  薬玉
五節句の一つ。「菖蒲の節句」。平安時代には、邪気を払うために、屋根に菖蒲やよもぎの葉を挿したり、薬玉を作って贈り合ったりしました。現在のように、菖蒲が「尚武」に通じると男の子の成長を祈る日になったのは、鎌倉時代以降のようです。『枕草子』では節句の中で一番趣深い行事だとし、宮中での催しを詳しく描いています。
枕草子「節は五月にしく月はなし」
節は五月にしく月はなし。菖蒲・蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。九重の御殿の上をはじめて、いひしらぬ民のすみかまで、いかでわがもとにしげく葺かんと葺きわたしたる、なほいとめづらし。いつかは、ことをりにさはしたりし。空のけしき、くもりわたりたるに、中宮などには、縫殿より御薬玉とて、色々の絲を組み下げて參らせたれば、御帳たてたる母屋のはしらに、左右につけたり。九月九日の菊を、あやしき生絹のきぬにつつみてまゐらせたるを、おなじはしらにゆひつけて月頃ある薬玉にときかへてぞ棄つめる。また、薬玉は、菊のをりまであるべきにやあらん。されど、それはみな絲をひきとりて、ものゆひなどして、しばしもなし。
 … 後略 …

枕草子「なまめかしきもの」
 … 前略 …
五月の節のあやめの蔵人。菖蒲のかづら、赤紐の色にはあらぬを、領布(ひれ)、裙帯(くたび)などして、薬玉、みこたち、上達部の立ちなみ給へるに奉れる、いみじうなまめかし。取りて腰にひきつけつつ、舞踏し拝し給ふも、いとめでたし。
 … 後略 …
◇その他の主な行事◇
6日:駒競(こまくらべ)…二頭の馬による競馬。騎射の技も披露された
 大祓(おほはらへ)6月晦日  茅の輪
半年間の穢れを祓い、後半半年の無事を祈る儀式です。夏の終わりの日に行うので別名を「夏越しの祓(名越し)」といいます。海や川でみそぎをしたり、茅の輪をくぐって穢れを祓いました。起源は『古事記』までさかのぼることができる日本古来の行事です。百人一首の「風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける 従二位家隆(98番)」は上賀茂神社での大祓を詠んだ和歌です。この日に京都などで「水無月」という和菓子を食べる風習があるのは、平安時代に暑気払いとして宮中で氷室の氷を食べたのを、庶民がまねて三角形のお菓子を食べたのが起源だといわれます。

◇その他の主な行事◇
11日:月次祭(つきなみのまつり)…伊勢神宮など全国の神々に幣帛を奉納する行事
14日:祇園会(ぎおんえ)…神輿や賑やかな音で疫病等を慰め送る祭。現在の祇園祭

 秋


 乞巧奠(きつかうでん)7月7日 糸車
7月7日の「たなばた」は、様々な風習が寄り集まって現在のような行事になっています。中心になっているのが、中国由来の織女星と牽牛星の邂逅のお話です。万葉集にも詠われ、貴族たちは星空を楽しんだようです。この伝説とともに日本に伝わったのが、織女星にあやかって裁縫の上達を願う「乞巧奠」というお祭りです。平安時代の宮中では様々な供え物を用意し、裁縫だけでなく技芸や和歌の上達も願っていました。この祭りが現在の笹飾りにつながっているようです。また、この時期に神事として相撲が催されていました。そのため7月7日は「相撲節会(すまひのせちえ)」の日でもありました。

◇その他の主な行事◇
15日:盂蘭盆会(うらぼんえ)…祖先の霊をおもてなしして供養する仏教行事
16日:相撲の節会(すまいのせちえ)…宮中での天覧相撲。もと7日に行われていたものが後に独立した

石清水放生会(いはしみずはうじやうゑ)8月15日  鳩
三大勅祭の一つ。元々は仏教の殺生戒にもとづいて魚や鳥を放つ行事ですが、神社でも行われるようになり、中でも京都にある石清水八幡宮で行われる放生会には、朝廷から勅使が遣わされ、盛大に行われました。なお、石清水八幡宮は『徒然草』に収められた、仁和寺の法師が念願の参拝に訪れたが、ふもとの寺社を巡っただけで帰ってしまった失敗談の舞台です。

◇その他の主な行事◇
11日:定考(こうじょう)…六位以下の官吏について昇進を定める儀式

 重陽(ちようやう)9月9日  銚子と盃
五節句の一つ。「菊の節句」。中国では、9は最も強い「陽」の数字とされ、それが重なる9月9日は「重陽」と呼ばれて、菊の花を浮かべた酒を飲み、塔や高台など「高いところ」に上がるのがよいとされていました。日本には、平安時代に菊の花とともに伝わり、宮中の行事の一つになりました。枕草子には、この日に行われた「被綿」(きせわた 前日に菊のつぼみに綿を乗せ、降りた露で菊の香りを移したものを顔に当て若さと健康を願う風習)のことが書かれています。
枕草子「正月一日、三月三日」
正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日は、くもりくらしたる。
七月七日は、くもりくらして、夕がたは晴れたる空に、月いとあかく、星の数もみえたる。 九月九日は、あかつきがたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされて、つとめてはやみにたれど、なほくもりて、ややもせばふりおちぬべくみえたるもをかし。
◇その他の主な行事◇
11日:伊勢例幣(いせれいへい)…伊勢神宮で行われる神嘗祭にあたり幣帛を奉る

 冬


 更衣(ころもがへ)10月朔日 衣桁
平安時代には、中国から「更衣」の習慣が伝わり宮中で行われていました。冬服から夏服に改めるのは4月1日、夏服から冬服に改めるのは10月1日と決まっていました。

◇その他の主な行事◇
朔日:孟冬旬(もうとうのしゅん)…帝が臣下から政務を聞くための紫宸殿での宴
5日:残菊宴(ざんぎくのえん)…宮中で残菊を観賞して催された宴
上亥日:亥子餅(いのこもち)…臣下に亥の子餅を下賜した、中国由来の風習

 豊明節会(とよあかりのせちえ)11月中辰日  扇
平安時代の五節会の一つ。「豊」は美称、「明」は酒を飲んで顔が赤らむことをいい、言うなれば「大宴会」といったところです。五穀豊穣を感謝する「新嘗祭」の翌日に行われました。新穀を天皇が食し、臣下にも振る舞われ、宴が終わると公卿の子女らによる「五節の舞」が披露されました。百人一首の「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 僧正遍昭(12番)」は、五節の舞の舞姫たちを詠んだものです。

◇その他の主な行事◇
二卯日:新嘗祭(にいなめさい)…収穫を祝い翌年の豊穣を祈願する儀式

 追儺(ついな)12月晦日  桃の弓
年末の宮中行事。もともと中国で行われていた悪疫邪気を退散させる風習が日本に入ってきて、新春を迎える儀式となったものです。現在、節分に行われる「豆まき」はこの「追儺」が起源です。最初は鬼を払う役目の方相士と呼ばれる舎人を殿上人らが振り鼓(でんでん太鼓)で加勢していたようですが、平安時代の初め頃に、方相士が鬼とみなされ、桃の弓、葦の矢、桃の杖で追いかけられ逃走させられるようになりました。『徒然草』では年末から年始にかけて続く儀式として挙げられ、ありがたくすばらしいものとされています。

◇その他の主な行事◇
29日:御仏名(おぶつみょう)…清涼殿で高僧に経を3日間読ませ、罪の消滅を祈った行事
月末の吉日:荷前(のさき)…諸国からの貢物の一部を初穂として伊勢神宮をはじめ神社や陵墓に奉献する行事
節会と節句

季節の変わり目など、区切りの日を「節日(せちにち・せちじつ)」と言い、宮中ではさまざまな神へ捧げものを用意しました。これが「節供(せっく)」です。この節供がいつの間にやら「節句」と表記されるようになります。一方、節日にはお祝いの宴席がありました。これが「節会(せちえ)」です。平安時代には「元日節会」「白馬節会」「踏歌節会」など「○○節会」という呼び名で年間を通して数多く行われていましたが、時代によってその数はまちまちのようです。そこで、江戸時代に幕府が「五節句」を定めました。現在の「桃の節句(ひな祭り)」「端午の節句(こどもの日)」「たなばた(七夕)」は五節句の流れをくむ行事です。
 ところで、節句は1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日…と奇数の重なる日に設定されています。これは古代中国の陰陽五行の影響です。陰陽五行説では奇数は「陽」の数字で、陽が重なる日は陰が兆す不吉な日とされ、邪気を払わねばならないと考えられていたのです。
枕草子 正月一日、三月三日

正月一日、三月三日は、いとうららかなる。 五月五日は、くもりくらしたる。 七月七日は、くもりくらして、夕がたは晴れたる空に、月いとあかく、星の数もみえたる。 九月九日は、あかつきがたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされて、つとめてはやみにたれど、なほくもりて、ややもせばふりおちぬべくみえたるもをかし。
徒然草「折節の移り変るこそ」

折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。  「灌仏のころ、祭のころ、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月、菖蒲ふくころ、早苗とるころ、水鶏の叩くなど、心ぼそからぬかは。六月のころ、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。六月祓、またをかし。  七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。  さて、冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り止りて、霜いと白うおける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、二十日余りの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。  かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。



花鳥ならべ

花札で行う「七ならべ」です。遊びながら、月の異名や、季節の行事を覚えましょう。