隼人石 -隼人説考-

22 元明帝陵か大皇后陵か

 では、佐保山・奈保山諸陵の事情を加味して、再び隼人説定着の流れを整理します。
 隼人石の所在地を元明帝陵とするか大皇后陵とするかによって諸説を分類し、地名や像の見立てを一覧にしてみました。


【元明帝陵(火葬地)】

地名見立て
『和州旧跡幽考』
 林宗甫(1681年)
七疋狐躍る狐
『前王廟陵記』
 松下見林(1696年)
大奈閉・七疋狐
『和漢三才図会』
 寺島良安編(1712年)
 ― (欲良峯陵)躍る狐
『平城趾跡考』
 村井古道(1730年代?)
大皇后芝・七匹狐・欲良能夜麻(よらのやま)野干(狐)
『大和名所和歌集』
 長尾景福(1751年~)
欲良能夜麻・大黒が芝
・七疋狐
狐の頭巾
『大和名所図会』
 秋里籬島(1791年)
雍良峯犬衣の隼人?
『道の幸』
 屋代弘賢(1792年)
たいこくの芝・七疋狐隼人
『金石記』
 屋代弘賢(1793年)
七疋狐・雍良峯狗装し
山陵を警護する隼人
『好古小録』
 藤貞幹(1794年)
 ― 隼人
『奈保山山陵隼人石人考』
 覚峰(1798年)
なら山狗のかぶりして杖つき
犢鼻褌したる隼人
『遊京漫録』
 清水浜臣(1820年)
七疋狐隼人
『比古婆衣』
 伴信友(1861年)
大奈閉山狗の仮面をつけ
宮墻を守る隼人

【大皇后陵(火葬地)】

地名見立て
『駿台随筆』
 室鳩巣(1730年代?)
 ― 
『大和志』
 並河永(1736年)
大皇后ノ尾
『山づと』
 上田秋成(1782年)
たいこくの尾音鳴きする隼人
『山陵志』
 蒲生君平(1808年)
大黒の柴狐・狗吠する隼人?
『大和御陵考遺稿』
 北浦定政(1860年代?)
大黒の平

 分類してみると、隼人説については元明帝派が優勢であることがわかります。
 元明帝派が『大和名所図会』以降、隼人説を採るのに対して、大皇后派はむしろ狐派が優勢です。


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